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#13_木村先生『あずまんが大王』より_妄想労働文学研究
2026-09-26 10:31

#13_木村先生『あずまんが大王』より_妄想労働文学研究

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サマリー

今回は『あずまんが大王』の高校教師・木村先生について考える。木村先生の「女子高生とか好きだから」という決め台詞は、率直な欲望の肯定というより、社会的人間としての敗北宣言のように響くと語る。アリストテレスの「人間は社会的動物である」やルソーの社会契約論を手がかりに、教師としての職業倫理と本来の身体性の対立を読み解く。話者自身の休職中の経験にも触れながら、木村先生の表情に宿る絶望、葛藤、悲哀、滑稽さを描く。

『あずまんが大王』の木村先生
田舎社労士さだきちの路傍観察日記 第13回
木村先生 わけあって都会の会社を退職したさだきち
よくさだきちゃんって呼ばれるんですけど 日々をぼーっと観察して考えたことをお話しする
ポッドキャストです。 10分くらいで終わります。
今日は、あずまんが大王の木村先生について考えます。
の、あの木村先生です。似てないですね。 古文の木村です。
あずまんが大王って、90年代にすごく流行ったことを覚えてますかね。
日常系と言われる作品群の走りで、 女子高生たちのゆるい日常を
漫画4コマが多いかな、にしたようなかわいい作品なんですけど、
二次創作魔導人誌とかも含めて、とてもとても アニメ化もされて盛り上がった作品でした。
木村先生は作中に登場する高校教師で 教科は古文。
木村先生の台詞にある敗北感
古文を高校で教えている10年のおじさん先生で 決め台詞があって
冒頭の女子高生とか好きだからって言うんです。
それを女子高生たちが、主人公たちがちょっと気持ち悪いみたいな目線で見るような描写があります。
私はなぜか木村先生が憎めなくて、 実際に憎めないようなキャラクターとしても設定されてるんですけど、
どうして女子高生とか好きだからっていうセリフは
気持ち悪さだけじゃなくて、 やつれだとか
気合とか、まあと言うと絶望感を感じさせる表情と共に表現されるのか。
最近改めて思い返しました。 なんでなんでしょうね。
たぶん、好きだからという愛の告白が 率直な欲望の肯定ではなくて、
社会的人間としての敗北宣言のように感じられるからじゃないかな。
じゃあ社会的人間って何だったかなっていうと、
社会的人間と社会契約
遠い昔ですね、アリストテレスが言い出しました。 人間は社会的動物である。
平たく言うと、
この人間関係の社会の中で一人一人が 社会の一員としての役割を果たしていく。
それが人間という動物の特徴なんだ、 みたいなことをアリストテレスは言いました。
近代になるとルソーが現れて、社会契約論を言い出して、
人間はもともと弱くて、みっともない存在なんだけど、
公共、みんなの幸せのためにそれを少し我慢して、 一般意志に従うような動物になる役割を果たす。
社会契約論みたいなことを近代の基礎と 気づいたルソーが言い出します。
その文目でいくと、木村先生は教師、 高校教師として社会と契約をしています。
高校教師としての役割を果たすことが求められています。
一方、主人公たちは自然な感じに近い存在として、 あの作品中では描かれています。
木村先生は社会的存在として、先生としての役割を全うしています。
そこには常に本来の自分、女子高生が好きな自分という 身体性とそれから職業倫理の対立があります。
よく、自己成長とか自己実現とか、そういう文脈で語られるような キラキラした美しい人間みたいなところじゃなくて、
身体性と職業倫理の葛藤
みっともなくて滑稽で、でも女子高生が好きだということを 肯定せざるを得ないような、冒頭倫理的絶望が木村先生の表情には滲んでいます。
私はこの1年、身体性の回帰みたいなことをテーマに 少し仕事をお休みしています。
ちょっと木村先生の気持ちがわかります。
キラキラしたような実現をしなくちゃいけない自分みたいにもありつつ、
でもそこから一歩身を引いてみると、自然な欲求だとか、 自然を愛する心とか、というのが湧いてくるんですけど、
でもそれは世間一般で言われるような自然を楽しむみたいな救済ではやっぱりなくて、
むしろ社会的人間としての自分の苦々しい敗北、絶望みたいなところがあって、
木村先生も多分絶望しているんですけど、 だからといって、絶望しているからといって免罪はされない、
むしろ滑稽さに木村先生の表情が回収されます。
木村先生が女子高生とか好きだからっていう時は、それは愛の告白ではありますが、欲望の肯定ではありません。
むしろ社会的人間としての苦々しい敗北宣言でしかあります。
木村先生の表情をどう読むか
だからあんな絶望した顔なんだよねっていうふうにいつも思い返します。
好きだからって明らかんと言えるわけじゃない、でも言わざるを得ない。
そこに木村先生の葛藤があって、その悲哀、その絶望、その滑稽さ、
それがないまぜになってあんな表情になっているって読むと、ちょっとなんとなく面白さというのが湧いてくるのではないでしょうか。
中正郎氏佐田吉の老房観察日記 第13回 木村先生
この話の続きはまた明日。またね!
10:31

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