正解を押し付けず共に考える
田舎社労士さだきちの路傍観察日記
第21回
共に分け合って都会の会社を退職したさだきち。 よくさだきっちゃんって呼ばれるんですけど、
日々をぼーっと観察して、考えたことをお話しするボトル。 10分くらいで、共に考える、どういうことかなって。
労務相談とかをやっていると、労働相談でもいいんですけど、 というか、
とても正しくて、とても有効な回答というものを 求められることがしばしばあります。
まあ、でも残念ながら、そんなものはない場合の方が多くて、
法的な正解はこれだけど、現実解ではない、 みたいなことはたくさん起こります。
もちろん、これが正しい法的にっていうのはあるんですけど、 それを押し付けてしまうと問題は解決しません。
私が現場で感じてきたのは、 すごい正解を出してあげることが
全てではないってことです。
一緒に考えることだって、必要だし、有用だし、
時には愚かな意見であっても出すことで、それが議論の起点になったりします。
だから、完璧じゃないから、正しくないから、すごくないからといって、
何も言わないのは、とても良くないことだなっていうふうに思います。
だからといって、間違ったことを主張するっていうのも、 またちょっとね、それは害があるんですけど。
でも、間違った意見だったとしても、 何も言わないよりはマシなのかなって思います。
まあね、いろいろ批判はあるんでしょうけど、 共に考えるってことが重要だなって思ってます。
資格予備校時代とY先生の授業
で、それをですね、私が学んだのが、
Y先生っていう人で、 シャロウ市受験生時代の講義担当の先生です。
私はシャロウ市受験生時代は、 タックという資格予備校に通っていました。
働いていたので、 講義は夜、週2回受けました。
アフターファイブは全て勉強に突っ込んでましたけど、
そのY先生の生講義の前に必ず、
大先生って東京にいらっしゃる有名な先生の ウェブ講義を必ず見て、
それから小テストがあるんですけど、 前回の内容の復習としてあるんですが、
必ず満点を取れるように、
合格の都合とか、過去10年の過去問、 なんかっていう問題詞を解いて、
必ず満点を取れるようにして、
そして満点を取って、いい気分で、
全くウェブ講義と同じ内容の生講義を受けて、
その講義をしてくれた人間のY先生に質問をする。
このルーティンを、インプット期は続けました。
Y先生の生講義は、ウェブ講義担当の大先生のコピーでした。
全く同じ内容でした。
展開も版書もすべて同じ内容でした。
しかもY先生は、質問に対してバチッと答えを返してくれる先生では決してありませんでした。
答えを与えず合格後も考えられる人を育てる
その態度に対し、がっかりして批判する生徒もいました。
つまんないって噂を聞いたこともあります。
でも私はY先生が好きでした。
何でかって言うと、
Y先生は質問をすると必ず一緒に考えてくれるからです。
なんでだろうね、どう思う?これがね、みたいな。
こう考えればこうだよね、でもね、こういう見方もあるよね、みたいな感じで。
正解のある勉強なのに、試験勉強だから、なのにY先生は一緒に考えてくれました。
私にとっては恩師でした。
多くの学生や生徒っていうのは、バチッと正解が出る、すごい正解が出ることを期待します先生によって。
でも、それは本質ではないと私は思っています。
Y先生は王先生の合格実績のある講義を全く同じ感じで再現することができました。
つまりY先生が作っていたのは、講義のコピーではなく、合格率の再現だったと思います。
またY先生は必ず一緒に悩んで、生徒に答えを見つけさせました。
答えを与えるのではなく、生徒に自ら答えさせました。
Y先生は共に悩んでくれました。
今思えば、このY先生の態度というものが、いかに効率的で省エネで、かつ効果は出る方法だったかっていうのを思い知らされます。
他の先生の批判をするつもりは全くないです。
とてもいい先生がその当時もいっぱい卓球にはいました。
面倒見のいい先生もいたし、講義が素晴らしい先生もいました。
でも私にとってはY先生がベストでした。
すごい正解を出してあげる。
これはすごい講義だと褒めてもらうことは、本質ではない。
先生にとって本質ではないです。
合格率を上げること。
合格した後に考えられる人材を排出すること。
Y先生が心の奥底で目指していたのは、そんなことだったのではないかと、今になって思います。
ちなみにY先生は、お母さんでした。
女性で、お子さんいて、もちろんご結婚もされててって方でした。
田舎シャローシー佐田吉のロボ観察日記、第21回
共に考える。
この話の続きはまた明日。
またね。