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さてさてさて、あと1分です。
開始いたしますね。お待ちくださいませ。
こういう感じで設定変更できるんだ。
おお、すごい。
俺の存在が、俺が余計ギリギリになってしまう。
こうしてやっと、僕がギリギリに映るぐらいですね。
おお、すごい。
おお、なるほど。
こんな感じで設定できるなんて知らなかった。
タイマーできてかぶっちゃですね。
元レギュラーだと、縦中だと、横中だと。
なるほどね。
いい勉強になる。
すいません。
今、ストリームヤードの方のツールの設定に感動しました。
クソほど関係ない。
関係ない人だったら全く関係ないことですけど。
戻ってきますか。
消す。
本日も録音開始してやっていきましょう。
よろしくお願いいたします。
スタート。
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優しさのテーマ
はい、ということで今回のテーマはですね、
誰かにとっての優しさは誰かを傷つけることだってあるというテーマでお話をしていきます。
昨日ストーリーズにもちょっとこれ上げた内容なんですけど、
ちょっとだけね、空き時間、仕事中とかのちょっとした空き時間ですね、
今、ネットフリックスの限定の恋愛リアリティーショーの愛の里っていう作品を見てるんですよ。
35歳以上、35歳以上でマックスの上に行くと60歳とかの方々が、
台本とか作られたシナリオなんかがんぶしした人生最後のパートナーを見つけるっていうことをコンセプトにした恋愛リアリティーショーですね。
僕は結構インスタグラム運用というものだったりとか、
SNS発信っていうもののこの唯一無二のコンセプトメイキングっていう部分だったりとか、
あとはやっぱりその感動とか心を動かすっていうものの全ての答えが、
あの作品恋愛リアリティーショーってものの中に僕は詰まってると思ってるんですね。
なぜ人は恋愛リアリティーショーを見て、なぜ人は恋愛リアリティーショーに涙し感動するのかみたいなものって、
すごい、ああいう先なんか詰まってて。
でもそれって作られた恋愛リアリティーショーであればあるほど、そこに面白みってのはやっぱり消えていくんですよ。
よくもあるくもですけど、教席になりましたっていう教席。
いわゆるその高校生たちが純粋な、高校生たちが作られた台本に沿って圧倒的憧れとキラキラを見せながら、
リアリティーなのか、本当にリアリティーなのかわからないような順位をするのが、よくもあるくも教席なのかなと思うけど、
でも高校生や若者たちを心を引っ張ってるのも事実。
しかしですね、ネットフリックスの中にある限定作品の恋愛リアリティーショーたちはちょっと一線を貸してたというか、
皆さんがもう一個見る作品系といったらバチラーだと思うんですよね。
あれも確かにリアリティーではあるが、顔整ったお互いが戦略に戦略を練って、
ドロドロした人間関係を見せるみたいな面でめっちゃ参考になるなと思ったけど、
それ以上に、ここ最近で恋愛リアリティーショーはネットフリックスで2つ見ていて、
1つがボーイフレンドっていう男性、LGBTQの方々の恋愛リアリティーショーと、
今やってる愛の里の2つですね。
この愛の里の方のやつは、昨日もちょっと話したんですけど、
恋愛リアリティーショーとかで泣いたことなかったんですけど、
流石にすごい泣けるシーンが何個もあったんですね、愛の里の作品は。
これ何でだろうなって思ったら、1つの理由は、
やっぱり僕が普段発信とかで言っている、その人の背景、バックボーンだったりとか、
その人の人生経験とか、その人の過去、何をしてきてこの場にいるのかっていうのがものすごく深いんですよ。
そしてその人の成したい理想の未来っていうのもちゃんと描かれるんですね。
やっぱり結婚してどうしたいかとか、残りの生活をどうしていきたいかとか、
どんな未来を作っていきたいかっていう理想の未来像に向けての部分と、
それにおいて今の恋愛リアリティーショーという、今現在におけるその人の動き方や価値観や言葉とか、
行動が決定されていくっていう部分っていうのがまさにあるなというふうに思っています。
【質問】今朝の音声部屋でもこの話で盛り上がりました。
本当ですか?めっちゃ一緒ですね。
僕が言っている唯一のアカウント設計と呼ばれるものの宿図というか、完璧な状態が特に愛の里にはできあがっている。
なぜかというと、本当に台本がガチでないし、完全なリアリティーって感じがするんですよね。
それがもうそれたちにとっては人生最後の本当に結婚になるんだろうなっていう感じがめちゃめちゃして、
だから生半可な覚悟じゃない。
本気で自分の将来を考えた選択をしなければいけない。
その人と人生を添い遂げる。ほぼ結婚もしくは終末婚婚の部分になるから、一人一人の涙とか覚悟が違うなって思ってた。
だから一人一人の言っている言葉や発するものや行動や言動や動きに感動や情動が生まれる。
これがまさに僕の言っている唯一のアカウントコンセプトの本当に祝辞だなと思った。
まずそれが良かったなっていうのは、こういう場で話す上で良かったなってものが一個で、
もう一個、今まだシーズン2の途中なんですけど、シーズン2ですね。
ものすごく重要なシーンというか、倫理は関係ないっちゃ関係ないんですけど、
めちゃくちゃ重要なシーンがあって。
価値観の衝突
何かというと、下は35歳、上は60歳の人たちと本当に古い古民家をリフォームしながら共同生活するわけですよ。
共同生活をすると。
ってなったら、多様な価値観が入り乱れるんですね。
25歳差ですよ。35歳と60歳って。
25歳差って僕の人生分ですからね。
1999年、2000年生まれと1975年生まれの人が同じ屋根の下、同じ目的で思って、
恋愛対象として考えなければいけない可能性もある中で共同生活をするというふうになるわけですよ。
ってなったら、当然当たり前の文化っていうのが違うわけですね。
めちゃくちゃ確かになって思ったのが、とある人がすごく、上の年代の人からしたら、
なんでそんなことに起こるの?っていうことに対してめちゃくちゃ怒るっていうシーンがあって、
僕もそれ結構確かにその通りやなと思ったシーンがあって、
それが何かっていうと、
おかわりいるっていう言葉ですね。
ご飯おかわりいる?早く食べちゃったじゃん。
あれもう一杯いる?おかわりいる?っていう言葉。
これって、
優しさっちゃ優しさじゃないですか。確かに。
お母さんとかね、母親の人が、母親が息子、娘にご飯食べ終わったら、
おかわりいる?っていう言葉って、
めちゃくちゃこうなんやろな。優しさ?
いっぱい食べることが元気だよっていう優しさで言ってあげる言葉だと思うんですね。
良かれと思って。
しかしそれで、とある一人は泣いちゃうぐらいまで傷ついてたんですよ。
なんでだと思います?
一つが、その人の過去の経験談で、
お母さんがいっぱい食べるって言って、食べるっていう風に食べ続けて、
お母さんが喜ばせたいという思いで食べ続けたら太ってしまった。
見た目が太ってしまったと。
見た目が太ってしまって、小学校の時ね。
それがいじめの対象にあってしまって、
最終的に結果として、
お母さんが作ってくれたお弁当とかはゴミ箱で捨てちゃうみたいなようなことをやってしまっていたっていう人がいるんですよ。
過去の経験でね。
その人にとっては、極限までのコンプレックスになってるんだよ。
もうきつくてきつくてしょうがないみたいな。
それを本当にいらない。
いらないわけですよ。
食べ終わったらおかわりいらないよって。
素直に思ってる。
それをおかわりいるっていうこの言葉一つで、
その人のコンプレックスを引き出しちゃってるんですよね。
単純な話。
引き出しちゃってるわけですよ。
恐ろしいことだと思いません?
これっておかわりいるとか、
なんで食べないのっていう言葉って、
もともと太っていた経験がある人とか、
言葉の影響
過去自分の見た目に自信がなくなっていた人、
腹余感になってしまうと言ったらいいんですが、
言葉で言うんだったら。
とかが、
そうやってご飯食べることっていうのが偉いよとか、
そうやっていっぱい食べなってて、食べて太った経験があって、
それによって何かいじめられたりとか、
何かにとってきついっていう経験をした人にとっては、
おかわりいるって言葉って、
肌が荒れてる人にニキビあるよって言ってるぐらい、
やばいことなんですよ。
そばかさあるよみたいに言ってるぐらい、
普通に結構な地雷ワードなんですね。
これでも、そういう経験をあんまりしたことがない人とか、
別にそこに対してのコンプレックス性がない人にとっては、
全くもって、
普通じゃんって思っちゃう事象かもしれないんですけど、
これは僕自身も、
小学校ですね。
小学校時代は僕、
健康検査みたいなので、
太りすぎとかにいくぐらい、
めちゃくちゃ太っていた時期もあります。
正直に。
太っていた時期がすごくあるし、
それによって、それでもスポーツをやっていた。
けど、やっぱり当然そういうね、
デビューみたいな言葉なんていうのは、
よく言われる時期もあったわけですよ。
で、それの小中とそれを過ごして、
中学校ちょっとは痩せたけど、
バドミントンとか部活やってね。
それでも小学校の時はそれってめっちゃ太ってた。
僕の固定ノートに貼ってあるんで、
旅行行ってるシーンの僕の見た目とか、
小学校の卒業式の僕の写真が載ってるんで、
見てほしいですけど、
まあまあまあみたいな見た目なわけですよ。
で、高校生になって、
いろいろ変えてイメージチェーンして、
大学生以降になってから、
生活のコントロールみたいなのをするようになったと。
ってなってくると、
僕もわかる。
おかわりいるって言葉って、
いやもう本当に、
それの量で十分なんだよっていう場合ってありますよね。
実際に。
その人にとって生きていく中で、
これくらいの量で十分だよっていうのがある。
でも、上の世代の人たちからしたら、
え、なんで食べないの?みたいな。
おかわりとか食べた方がいいの?
え、食べないと大きくなれないよ。
っていう風に、めちゃくちゃ素直かつ、
めちゃくちゃって普通に言ってくるんですよ。
これは結構リアル僕の体験談でも、
いわゆるおばあちゃんの世代ですね。
おばあちゃんの世代は、
マジでこれ言ってくるんですね。
本当に悪気がないのはわかってるけど、
本当にわかってるんだけど、
僕からするとめちゃくちゃ辛いみたいなものっていうのは、
本当にあった。
実際にあったね。本当に。
なんで食べないの?って言ってくるんですよ。
食べ終わってごちそうさまって言って、
え、おかわり食べないの?みたいな。
いやいや、いらないいらないみたいな。
もう十分だったからって言うと、
え、なんで食べないの?みたいに怒られるみたいな。
え?みたいな。
全然あったんですよ。
だからこれって向こうからしたら、
おかわり食べていっぱい食べて元気になることが優しさである。
いっぱい食べてほしいっていうものが優しさだけど、
こっちの太ったとか何かしらのコンプレックスを抱えていた人にとっては、
ひとつもなく自分っていうものを傷つける行為っていうもの。
これが一つ目の誰かにとっての優しさは、
変わることの意味
誰かを傷つけることだってあるという二つ目。
そして一つ目、もう一個めちゃくちゃドラマの中で、
まだ僕チーズン2、3、4話くらいしか見てないですけど、
そこにめっちゃ詰まってるんですけど、この話が。
すごいなって思ってる。
あれはね、マジで教科書っすよ。
本当にSNS発信とかしていく上で、
多様性を認めるっていう教科書だと思うんですけど。
もう一個が僕からすると、これもすごい大事だなって思ったのが、
この場に来て変わらなきゃ、変わらないと。
っていう言葉。
ここに来て変わろうよっていう、
ギタリストみたいな人がいるんですけど、
そこの人がすごい暴走しちゃうわけですよ。
でなった時に、いろいろうよく直接のセリフがあるわけですよ。
あなたの知っている曲じゃなくて、みんなの知っている曲の方がいいのよみたいな。
みんなの知っている曲を聴いたら、
それがいろんな人に伝わるし、
それだったらみんなが喜ぶじゃんみたいな。
自分勝ちじゃなくてみんなが聴ける曲でいいんだよって。
せっかくここに来てるんだから、変わろうよっていう言葉。
その言葉って、自分という軸を大事にしている人や、
自分の人生軸を生きる人にとって、変わろうよって言葉って、
つまり自分の元々生きているこの、
自分という人生のアイデンティティを否定されているに等しいんですね。
でも言っている人からしたら、めちゃくちゃ良心的に言ってますよね。
変わろうよみたいな。今からだって変われるからみたいな。
ここに来て変わることがみんなにとっての成長だよみたいな。
特にこういうのは僕らみたいな働き方の人ってめちゃくちゃ言いやすいじゃないですか。
変わろうぜみたいな。
皆さんは今まで何をしてきたの?
今からだって変われるよ。
この言葉、めちゃくちゃ普通のことに来るかもしれないけど、
自分の人生とか自分を大事にして生きてきた人にとっては、
これまでの人生のアイデンティティを否定するものにも繋がりかねないんですね。
これもマジでその通りだなと思ったんですね。
殺されていく感覚と本当に近いというか、
自由とか自分軸とかを持っている、
自由や自分軸とか自分らしさっていうものを持っている人にとって、
変わろうぜって言葉って一種のアイデンティティの否定になるんですよ。
確かにと思ったんですね。
だってその人の前の行動がいけないよっていうことを言ってるから変わろうって言葉が出てくるわけですよね。
変化って。
これはある意味一種、今やってるあなたの行為はダメですよっていうことは、
あなたの人生は間違ってますよってことを言うことに他ならない。
っていうのも、これも確かになって思ったんですね。
変わらなきゃねとか、学んで変化しなきゃねとか、
そういうのって本当にそれまでの自分の人生とか自分が生きてきたものっていうものが、
否定される感覚になる人もいるんやなみたいなものってすごく感じたなっていう。
そこが作品とかから強く感じた。
本当に誰かにとっての優しさは誰かを傷つけることだってあるっていう、これは難しい。
教育と多様性
多様性のある価値観があるからこそ、
あのぶつかり合いや、あの世界観っていうものが出来上がることに対して、
すごい祝図だなって思ったんですね。
ただここからもう一個だけすごく大事な話をして終わろうと思うんですけど、
この多様性のある価値観っていうものが共存することって、
こうして考えさせられるし、人に大きな意味合いや思考や、
深いメッセージ性を作ってくれる。
これを、この多様性というものやこの優しさを傷つけるこれをなくす方法って、
いくつかあるんですよ。
一つ目は何かっていうと、決められた正解というレールに乗っ取って、
同じような人たちを量産するって方法ですね。
いわゆるこれは、インスタグラムの業界で言うんだったら、
ノウハウでもTTPして同じようなアカウントが量産されるっていうもの。
あれにはいわゆる多様性なんてものは存在しないから、
どれくらい真似できて通常の良い状態か。
世の中で言われる良いと言われるものにどれだけ乗っ取ってるかっていうものに軸が行きます。
これを現実世界で言い換えるんだったら、学校教育だと思います。昔の。
もともと学校教育っていうものは戦後ですね、
軍隊に派遣するための徴兵制のために作られたのが、そもそも学校、寺子屋です。
学ぶ人、つまり教育という頭を良くする平均的な人間をいっぱい作れば、
軍隊として使える人間が多いと。
使える駒として捨てられる人材が多くできるっていうものと、
実際の子どもたちっていう、生まれた出生した人たちのいわゆる戸籍、戸籍だけじゃなくて、
実際にこいつが何歳でどれくらい徴兵できるかっていうものを簡単にするために作られたのが教育です。
だから学校教育っていうのは意味わからないルールがめちゃくちゃありますよね。
アイデンティティと教育
というかアイデンティティを消すようなルールがいっぱいあるはずです。
2ブロックにするな、眉毛はどうこうだ、髪の毛の色はどうだ、靴下はどうだ、服装は一緒にしろ、何色じゃないといけない。
ルール厳格に縛っていくっていうもの。
これはまさに平均的に一般性のあるものを作っていく。
だから義務教育って言うんですよ。偏差値50を作る教育なんで、学校現場っていうものは。
これらもすべていわゆる徴兵性、今の話と一緒で同じような人材を作り上げるために存在しているもの。
だからこそ頭がいい人が素晴らしいという価値観を一つ作り上げて作っていくっていうものですね。
もちろんそれがだんだん是正されてきてるっていうのが今の現代かなと思うんですが、
インスタグラムの発信で同じような発信を真似して同じような人たちがいっぱい出来上がっていくっていうのは徴兵性に似てるっちゃ似てるなというふうに思います。
この方法をすればみんな統一化された価値観に沿うので、誰でも同じような価値観に沿っていけるので、誰も失敗しない、誰も傷つかないということになっていくと。
しかしそれは面白かった話なんですね。恋愛リアリティショーみたいなところに事例出してますけど、
それがみんな形取られたような、みんな学んだお勉強の恋愛ごっこをしてたら誰も感動しないと思うんですね。
っていうのと一緒なんじゃないのっていうことですね。
今日のテーマっていうものは、だからそういうことをしないようにしようねじゃなくて、むしろこれってものすごい価値のあることなんじゃねえかっていうふうに思ってるってことですね。
そこにはその人のアイデンティティや過去や様々なものが入り乱れるから、そこの一つの事象に対してものすごい考えたりとか向き合ったりするということが起こるわけですよ。
それはその人の人生観や様々な経験をしてきたからこそ起こる出来事であり、だからこそ人の記憶に残るし、こうして人の思い出や感情やエピソードとして残ってるし、あの作品を面白いと思うわけですね。
でもああいう恋愛リアリティショーって有益性なんてものが本当に一ミリもないわけですよ。
簡単に言ったら何が学べる、何を得られるなんてものなんて本当にないわけですよ。
恋愛リアリティショーの影響
でも人は見る。人は感動する。涙する。応援したくなる。頑張ってほしいと思える。その人たちの先が気になる。
皆さんだって人生の中で一度恋愛リアリティショーを見たことある人は経験したことあるでしょ。その後っていうふうに調べたこと絶対あるでしょ。
あの恋愛リアリティショーが終わった後のその後がどうなったかみたいな。
それってその人たちのその後が知りたくなってますよね。こうやってインスタのフォローでいう一番理想系じゃないですか。
その人のその後が知りたいなんていう状態。
本当にだからあそこの恋愛リアリティショーに出てる人たち一人一人のフォーカシングだったりとかって
本当にインスタグラム発信というものにおいて最も重要なことを教えてくれるなと僕は思いました。
だからあなたは形作られたモテテクだけを使うような
モテテクマシーンみたいな発信をするのか恋愛リアリティショーに出て台本もなく
価値観や多様性というものに触れながら傷つき悩み迷いながら成長していく
そんな発信者になるのか。あなたは今二択を取ることができます。
簡単なのはきっとモテテクを覚えることでしょう。
モテテクに沿って一緒に二人で歩くときには
女性は男性の右、左側に立って
左側に座って横並びで座って温かい飲み物を飲んで
甘いものを食べて血糖値を上げた状態でみたいなことをする
形取られた正解を取るようなやり方をするのか
そうではなくて迷いどろどろしながらもめちゃくちゃ難しいながらも
自分の信じる道をやりながらぶつかり合って価値観に触れて悩みながら
より良い出会い方をするのか
これは本当にSNSの発信というものでも全く一緒なんじゃないかなと思います。
簡単なのは前者でしょう。どっちも。
だけどすごく大切なことを教えてくれるのは後者なんじゃないかなと思ってますので
ぜひそんなような発信者が僕の発信を触れている人は
多くなってくれることを願って
今日の内容は閉じさせていただければと思います。