はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、日本画家の堀江栞さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでご出演いただきましてありがとうございます。
改めて、自己紹介からよろしくお願いいたします。
画家の堀江栞と申します。岩絵の具とに皮を飛ばしを使って絵を描いております。
堀江さんにはいつか出ていただきたいなと思っててですね。
後々伝え話も出るかもしれないですけど、2021年ですが、ルート・Kというコンテンポラリーという神楽坂のギャラリーでお会いして、そこからの関係性だなと思ってて。
結構ちょこちょこ会ったつもりでいたんですけど、さっき発覚したのが、それ以来、直接話すの2回目っていう。
とんでもない話ですね。
あれ何してたんだって思うけど、なんか久々な感じしないですよね。
全然そんな感じもないですよね。
っていうのもちょこちょこ、いろいろと個展とかされる度に案内いただいて、僕が行く時に多分僕がオープニングにいなかったりとか、お互いすれ違ってはいるんだけど、
多分メールのやり取りをしてたりとかするので、なのであんまりお久しぶりな感じしませんけど。
いやいや、私も本当におっしゃっていただいた話を聞いてびっくりしたぐらいで。
そうですよね。
いつも気にかけていただいて本当にありがたいことです。
いやいや、本当にということで、今日はいろいろと話を聞いていきたいなというふうに思ってるんですが、
最初にオープニングの台本の通りに僕が読んじゃったんで、日本画家の堀江潮さんを追って言ってしまったんですけど、
肩書としては本人はいつもなんて答えるようにしてるんですか。
一応画家というふうに答えてますね。
でも庭家知識でもあれなんですけど、それこそでも庭を使うとか岩絵の具を使う。
これは日本画じゃんって思っちゃうじゃないですか。
こことはちょっといろいろとあるんですね。
そうですね、私の中でいろいろなぜこの線香を選んだかっていうところとも関わってくる。
じゃあぜひぜひ今日はそのあたりから話をしていきたいと思うんですけども。
じゃあ日本画では、自分が作ってるもん、描いてるもんが日本画ではないってことですか。
見た方がどのようなジャンルに分けてくださるかってことについては全然こだわり入れなくて、
もう日本画っていうジャンルであっても平面っていうジャンルであってもなんでもいいんですけれども、
やはり私自身が有機溶剤のアレルギーっていう体質を持っていて、
美大進学を考えた時に最初はもう完全に油絵で考えてたんですけども、
それで小さな予備校に通い始めてやっていたら高校2年生の時に具合が悪くなってしまって、
これではもう美大受験も厳しいだろうということで一度は全部諦めたんです。
でもどうしてもやっぱり手で絵を描きたい、筆を持ちたいっていう思いがすごく強くて、
いろいろ調べたらどうやら日本画家というものがあり、
そこでなら油絵のテレピンとかそういうものではなく、自然素材のにかわっていうのを使って絵が描けるらしいぞということが分かって、
これもしかしていけるんじゃないみたいな、もう完全見切り発車。
やったこともないのに、そのまま日本画専攻を目指す子が通うような予備校に行って、
ちょっと体験授業を受けてみたら、もう水彩絵の具でいろんな身の回りのあるものをしっかり見て描いていくっていう、
そのやり方が自分に合っているというか、物をしっかり見つめて描写していくっていうのはすごい楽しいし、
もしかしてこれなら続けられるかもっていうところで日本画家の進学を目指して始めて、
それでおかげさまで無事多摩便の日本画家に入学できたっていうところ。
なるほど。だから学部としては日本画の学部な。
もうさらっと出てきた有機溶剤アレルギーってあんまり聞いたことないんですけど、どうなんですか、結構いるものなんですか、いらっしゃるものなんですか。
たぶん一般的にはシックハウス症候群とかイメージ近いかもしれないんですけど、
深淵剤に入ると具合が悪くなっちゃうのか、割に効くかもしれないです。
あとその香梅、最近カオルガイとかいう柔軟剤とか、特にナノ系で粒子が細かいものでずっと残ってしまう匂いのもので具合が悪くなるっていう方も結構増えてると思うんですけど、
そういうものが当てはまってくるっていう感じ。
その有機溶剤っていうのは、いわゆる僕らがイメージする油彩画ではもう画材には入ってる。
全部入ってます。
これまで例えば中学校とか小学校で授業で、絵の具で美術の時間を描きましょうと、ここには入ってないんです。
実は入ってはいて、思い返すと油絵描いた後って尿に疲れてたんですよね。
でもそれ単純に真剣に描いたことをずっと思っていて、あとは新しい立てたばっかりの校舎でちょっと疲れやすかったなとか、
いろいろ当てはまってくることはいろいろあったり、あと図書館があんまり得意じゃなくて、すごい勲上をするじゃないですか。
なので時々ちょっと疲れるなと思っていたことがあったりとか。
でもそれが自分の体力的なもんかなと思っちゃう。アレルギーとは思わないから。
全く思ってなかったですね。
じゃあその発覚した瞬間っていうのは、これはもうちょっといよいよ体力じゃないぞって分かった瞬間があった?
全然やる気が出なくて何事も、ずっと家で寝てたんですよ。
さすがに親も見ていて、いくら試験前でやる気がないかもしれないけれども、こんなに寝てばっかりいるのはおかしい。
なんか無気力だし、ということでアレルギー科の方に連れて行ってくれまして。
母もなんかもしかしてとちょっと思ってたみたいで。
それでそうだろうと言われたんですけど、当時はまだお医者さんの方でもあんまり認知されていなかったので。
その時は実際本当にもう一回油絵具を置いた空間に入って試してみないとはっきり言えないぐらいの。
実験みたいな感じさせられると。
でもまあそうだろうねっていうぐらいのことで。
ただまあ美大なんていろんな要材がそれこそあるので、絶対に無理だろうなっていうところで。
一時期は完全に。
え、それって、まだ掘り下げてあるんだけど、美術館とかに行って油彩絵画を見るときとかは大丈夫なんですか。
古いものは全然大丈夫なんですけど、最近のものがダメ。
そういうのもあるんですか。
有機溶剤といってもインクにも関わってくるので、むしろ最近の例えば写真のすっごく大きなロールとかは逆に厳しかったり、版画とか。
なのでもう、実は2008年ぐらいからに発覚してから、大学卒業して完全に回復するまでの7、8年ぐらいは全く油絵とかそういうもの見てないんですよ。
もう見れない。
全く見られなかった。古いものはわずかに見られたんですけど、っていうことだったので。
だからでもそれがもう、まあそういうことがわかったときも自分ではもう意図してない。
例えば家計でそういう人がいらっしゃったとかでもなくなるわけじゃないですか。
だったらやっぱり普通だったらもう行きたくないですよね。
それがあるところにと思うけど、もう一回復活した日本画に出会うきっかけって何かでテレビで見たとか雑誌で見たとか。
本当にいろいろ調べて。
なんかないかなって。
どうしても小さい頃から絵を描くのは好きだったんですけど、いかんせん不器用で自分が絵でやっていけるっていうようなイメージは全くなかったんですよ。
それもあって、まず勉強の方頑張ろうと思って。
高校までは本当に一生懸命勉強に集中してたんですけど、やっぱりいろいろやればやるほど、本当に自分がやりたい分野に進みたいっていう気持ちの方が強くなってしまって。
かなり決意して決めた進路だったので、どうにか手で絵を描ける、何か抜け穴がないかなと思って。
そしたら意外にあったわ。
なんか日本人でよかったのではないけど、たまたまあれですよね。これがもし違う国だったら、この素材に出会ってなかったかもしれないし。
アジアじゃなかったらいいでしたね。
確かに。でもそこで出会った時に、すみません、僕が絵を描かないからあれなんですけど、
たぶんすごい決断だし、すごい油彩画から日本に転向したって、たぶん本人にとっては、というか画家の皆さんにとっては大変なことだと思うんですけど、
なんか全然バカにしたわけでもなくて、描いてないからなんですけど、素材が変わるだけでいけるんじゃないって思っちゃうところもあるし、
ピッチャーがバッターに変わるぐらいガラッと変わってるのはなくて、
3類の選手が1類に移ったぐらいの感じのようにも見えるけど、やっぱり全然違うものなんです。油彩からのコンバートっていうのは。
そうですね、そこはその人の資質にもよるところがあると思うんですけど、私にとってはかなり大きな変化でしたね。
まずその日本画と油で大きな違いがあるのはその画材の質なんですよ。
というとその、たぶんイメージするのはチューブ絵の具があって、パレットに出して混色すると赤と白がピンクになるみたいな。
でも日本画ってそれぞれに粒の大きさが分かれていて、違う粒子が。
なのでその、同じ絵の具でも15種類ぐらいの大きさに分かれていて、数が小さいものの方が粒が粗くて発色がいい。
数が大きいと白っぽくなって細かい。
粗塩から小麦粉までみたいな、そういうような感じの変化があるんです。
なので混色しようと思ってもちゃんとは混ざらないんですよ。
同じ番号のもの同士を混ぜるとなんとなくは混ざるんですけど、やっぱり番号違いのものが混ざると沈殿していこうっていうことになりますし、
粗いもの同士混ぜてもなんとなく粒が同居して混ざるっていうだけなので、いわゆるそういう色の作り方ができなくなる。
そうか、だから今までやってたやり方じゃもう全然ない。
そうなんです。色の認識の仕方を変えなきゃいけなかったんです。
なんとなく例えば紫っぽい画面が欲しいなと思っても、油絵具でも赤塗った青塗ると青塗った赤塗るので違いはあるんですけど、
そこに粒子の質感のこととかいろんな違いも入ってくるので、色を質感で捉えるようになっていったというか。
やっぱ最初は戸惑いというか、だから全然今までやってたやり方じゃできないってなってくる。
そうなんですよね。私はとにかくまた不器用だったので、日本画って工程が多いんですよね。
和紙をしっかりにじみ止めを塗って両面乾かしてからパネルに水貼りをして売るみたいな。
でも何一つちゃんとできなくて、大学に入った時にデモストからどんどん遅れていくんですよ。
でもそれって本当に何も知らなくてはいけないんですけど、言っても入ってくるメンバーも同じ大学1年生だから、
みんな同じようなところからスタートするのかなと思ったけど、みんなちょっとやっぱできた状態で入ってきちゃうんです。
いやそういうわけじゃないんですけど、単純にみんな器用なんですよ。
だから日本画、一応にってことだろうけど、日本画の学部の人は結構器用な人が多いんですか。
日本画の学部なのか、私らとりわけ不器用なのとみんなが器用なのとで差が開きすぎてたっていうのがね、これはもうまずいと思って。
まあよくここまで返ってくれなかったなと思ったけど。
いやいやもうだって今やもう本当いろんなところで展覧会やってる。
だからどこで逆に自分がものにしたなじゃないけど、まあものにするって言い方もちょっとあれかもしれないですけど、いけるようになったなっていう、何年目ぐらいと思ったんですか。
いやもう、なんか絵の具の感情をつかめたなって思ったのは卒業後なんですけど、
でも一つきっかけになったのがその1年生の夏にコンクールがあって、それは自由課題で初めて自分の好きなものを描いていいっていう機会だったんですね。
それでやってみたらものすごく楽しくて、絵の具の使い方なんか見るととても甘いところがたくさんあるんですけど、
そこで初めて集中して絵を描いていく喜びっていうのをなんかちょっとつかみかけたような感じがあって、そこからはなんかどんどん楽しくなっていった感じがあります。
その時のモチーフは何だったんですか。
それはこれです。
今、画集を持ってきていただいてますけども。
これですね。
えっと、キリンの骨みたいな。
なんかそういうこういろんな標本をちょっとモチーフにして。
これ、それこそ僕が最初に見た展覧会にもこの作品、地下になかった。
おっしゃる通りでした。
ありましたよね。
あの時は、卒業後にいただいた女性で、パリに行った時の成果発表展っていう個展だったんですけど、
それに合わせて企画作も全部飾って変化を見せた方が面白いかなと思って、大学の時の作品を飾っていたんです。
これがもう最初の。
なんかその、不器用ですからってすごい本人おっしゃってたけど、それ半年後にこれって全然不器用じゃないように見えるぐらい。
感じるとめちゃめちゃ高い。
いやいや、本当になんか、私とにかく頑張るしかないっていう。
できないことが多すぎるので、ものすごい頑張ってやりたいことに到達するっていうことしか方法がない。
たまたまなんかうまくいくと、なんか頑張ったように見える。
でもそのキリンの骨格標本みたいなものが、骨格標本なんでしょうか。
だってサイズで言うと横何メートルぐらいありました?
この絵は2メートル40ぐらいです。
もうなんでそんな一発目のデビューでそんな対策でいこうと思う?
日本画って特に大きいものを求められる傾向があって、大きな画面をものにしていくってすごく勉強になるので、みんな対策を描きがちなんですよ。
大きいの描いたほうがいいよってみんな言われたんで、わかりましたって感じで、何にも考えずに。
だいたい実寸に近いサイズなんですよ、これが。
でもそのいろんな画題がある中で、たとえば日本画描きますって言ったら、いわゆる日本画の画題、花鳥風月とか、なんかいろいろとモチーフありそうなものの、その画題としてはあまり日本画っぽくない画題じゃないですか。
このキリンの骨格にしようと思った理由とかはあるんですか。
ほんとシンプルにこれ見たときに描きたいって思って。
どこで見たんですか。
ある博物館しか見たんですけども、これは絶対描きたいなと思っていて、その気持ちはずっと残ってるんですよ。
でも今だっていう感じ。
何の裏話もない。申し訳ない。
でももうこの作品見たときに思って、いや僕だから今でも覚えてるんですけど、一番最初にその展覧会見に行ったときに、
まずはその画廊の方と知り合いだったんで、招待いただいて見に行って。
堀江しおりという名前だけ見てても何者かはわからない。
で、いろんな作品見る。で、その多分でっかいキリンの作品も見る。
とんでもないベテランなんだろうなと勝手に思い込んでたら、すごい若い方だったんでびっくりした覚えがあるんですよ。
それを今、あ、そうだったなと思って、逆にあわあわしたの覚えてます。
なんかすごい機体のルーキーみたいな人が出てきたなっていう。
そんなん全然。単純に観録がないだけ。
違う違う、だって実際そのときまだ20代。
そうですね、すごく若かったです。
だからそのキリンはすごいなと思ったんですけど、この時点ではまだ卒業してから自分の中のものになったっていうこと。
これまだちょっと自信はついたけど、まだまだ技法的に、画法的にはもっとやっていきたいって感じ。
そうですね、絵を描く感覚みたいなのは掴めた感じの一枚。
ここからさらにやっていくこととしては、やっぱり技法というか画法をもうとにかくものにしていくっていう作業になってくる。
そうですね、まだ画材に慣れるまでに時間がかかるぐらいすごく岩井の具って扱いが難しいので、
とにかく描いて、体で覚えていって、やり方を自分でいろいろやっていくしか方法がなかったんですね。
大学も忙しかったですし、高校生のノリで、午前に授業詰まってて僕に描けばいいやぐらいの感じでいたんですよね。
でも単位が足りなくなっても困るから、最初に入れとけばいいだろうっていう、すごい単純な考えでいったらもうキツキツになってしまって。
もう1ヶ月半ぐらいで1枚描かなきゃいけなかったので、それをこなしながら大学の授業も出てて、もう本当に大変で。
それでもみんなはこなしてるんですか?みんなもやっぱヒーヒーながらやってるんですか?
思います。
やっぱ大変なんだよ。なんか芸大とかだと、なんか1年目にいろんな、でもまあ学部は決まるけど、でもまあ他の版画とかもやりましょうみたいなことって聞いたことはあるんですけど、たまピーバスというのはある?
夏に技法講座みたいなものがあって、一時的にちょっといろんな他のものを試すっていう機会はあって、私もちょっとやって、その時は陶芸を撮ったんですけど、それはそれすごく面白かったです。
でもその陶芸の道に行くよりもやっぱ絵だったんですか?
そうですね、もう平面絵画を描くっていうことが圧倒的に好きだったので、土いじり自体はすごく楽しかったんですけど、そっちに行きたい、行きたいというか行ける気がしなかったというか、もう陶芸はまた陶芸で本当に大変なの。
土をこねるところからすごい力仕事が大変なので、自分にはとてもできないというのもあるんですけど。
でもそれでじゃあ、もう自分でこれでやっていこうみたいななんとなく決めて、日本画の道に進んでいくじゃないですか。
で、堀江さん作品って、今まずその一発目でキリンの絵もあったんですけど、だからそれ以外に僕は結構堀江さんの絵で特徴的だなと思うのがやっぱ人体の、人物の絵のイメージ。
しかも顔が結構クローズアップされてるものか、もしくは直立で立ってて、基本的に全てこっちを見てて、でなんかその表情が笑顔でもなく、悲しんでるようでも怒ってるようでも無表情のようにも見えるっていう、
何かこうちょっと特徴、もうだからもうパッと見て堀江さんの作品だなってわかる、なんかその特徴をすごい個性を感じてるんですけど、この作風なんかモチーフにはどこからたどり着いたんですか。
ちょっとなんかこう長い話になるかもしれない。
いいよ、全然その番組長い番組なんで。
ありがとうございます。そのちょっと最初の質問にちゃんと答えきれてなかったなと思って、なぜ日本画家って名乗らないかっていうと、結局なんかそういう方向性から来てるので、日本画を描きたいと思って入ってきたわけじゃないってひけ目がずっとあって。
さっき言ったように僕は花鳥風月とか描くんじゃないかっていうのはそういうことじゃないから。
全く興味関心が実はなかったんですよ。
今も、あんまり。
そうですね、見るのは好きなんですけど、描きたい。
描きたいかっていうと違う。
なんか違う。で、もちろんそれは学びとしてはとても面白いんですけど、多分そのにかわと岩絵の具と和紙を使って絵を描くっていう感覚が自分に一番近いので、それでこう画家っていう言い方になってるっていう。
で、動物を最初主に描いてはいて、遠目から見ると動物描いてた人が人物になったっていう流れなんですけど、最初から動物を描きたいと思ってたわけではなくて、自分が心から描きたいものしか描けないので、それを描いていったのを繋げていったら動物が多かったっていうことなんですよ。
で、ただその時も人物っていうのは描きたいモチーフには入っていなくて、なんでかっていうとその人物っていうのが私にとって距離があるというか、ちょっと緊張感があるものだったので、わざわざ絵で向き合いたくない。
自分自身。
はい。
画家自身。
はい、画家としては。人物が見るのはすごく好きだったんですけど。
制作するってなるとってことなの。
そうなんです。なので全然考えてもいなくて、ただ卒業してまた描き続けていく中で、身の回りというか世の中的なというか、どんどん物が言いづらくなっていくというか、上からの大きな力に対して個人個人が声を上げたり批判することも許されないような、そういう息苦しさ、閉塞感みたいなのを感じるようになって。
これはとても危ういなと思いましたし、そういうものに対して、画家として作品を通じて何か言わなければいけないんじゃないかっていう自分の中での迷いもあったんですね。
その中で留学の機会をいただいてパリに行ったんですけれども、ちょうど私が行く前年に大きなテロがありまして。
パリの。
私が行った時もパリではないんですけど、結構テロがあったんですよ。
なので日本人も全然いないし、街もちょっとピリついてるし、兵士は武器をかかえて歩いてるしっていうところで、これまで遠い国の何か物事として見ていたいろんな事象とか事件とか歴史的なものっていうのが、
地続きの大陸に自分がこういて、すごく目に迫ってきたんですよ。
で、パリも華やかな都っぽく見えますけど、ちょっと大通りから横に逸れるとテントがたくさん並んでて。
とか、シリアの難民の方もたくさん来ていらしてとか、そういうところを見て、今人に向き合わなければいけないっていう気持ちになってきたんですよね、不思議と。
その時フランスに行った時は一人で単身で、普通に考えたら僕ですら怖いなと思います。
逆に今こそ人と向き合いたくなくなりそうなものを、よく向き合おうと思いましたよね。だからやっぱりそこの力がすごいなと思って。
たぶん今までいたコミュニティからも離れて、不思議な距離感で人を見たっていうのもあったでしょうし、これが本当にありがたいことに大学に入るとか、そういう助成金ではなくて、お金はあげるから好きに行っておいでっていうタイプの女性だったんです。
東急の今なくなっちゃったんですけど、後藤文化財団だった時のので。なので本当にただ部屋を借りて、ぽつんといるっていうか、本当に不思議な感じだったんですよね。
その向こうで学校に入るとかじゃなくて、もう何か制作のヒントじゃないけど、制作するために何かフランスにって感じたんですか。
そこで部屋で描きつつも美術館博物館にいるっていう。私アレルギーがあって美大にも入れないので、逆にどこかに入らなきゃいけないってすると、もうその女性受けられないところがあるので、すごくそこが助かりました。
だから最初は別に人を描こうともなくて、フランスでいろんな美術館見ながら何か得るものをと思っていったって感じだった。そこからじゃあそういう糸口を見つけて、でも人を描くって言ってもいろんな描き方があるじゃないですか。
で、どうなっていくんですか、そこから。 それが不思議で、今までの私の感じだと、動物を描くときに動物園に通い詰めてたみたいに、人間も誰かこの人を描きたいって人を見つけて描く感じなのかなと思ってたんですけど、そうではなくて、それは私が個別で関われるほどの物を持ってなかった語学力も漢字も含めてっていうのもあるんですけど、
街の中で人とちょっとやりとりをするとか、歩いていてそのいろんな羊の人がいるっていう、そういうなんかいろんな残像とか自分の記憶とか、そういうものから出来上がってくる人間としてのイメージっていうのはなんかすごく強くあったんで、たぶんここを基点にしていけるんじゃないかっていう感覚があって、
でもいろんなところでスケッチしたり、公園とかメトロの中とかでちょっと描いたりとか、水彩のドローイング始めたりとか、自分の中でどうやってその自分のその感覚と人体のフォルムっていうのを結びつけていけばいいのかとか、色々試行錯誤を続けていったという感じですね。
これはじゃあ誰か特定のモデルがいるわけでもないし、自画像でもないし、本当に人を描いてるってことなんですね。人の平均値っていうのがわかんないですけど、集合値みたいな感じのイメージ。
あった人関わった人のイメージがたくさん重なって厚くなっていったところに人を描いて取り出すような、そういう意味での輪郭っていうシリーズで人物を描いてるんです。
一番最初に描いたのはどの人なんですか、今もしか、画集で見せていただいて。
ちょっとここ、一番最初のものが入ってるわけではないですけど、かなり近い時期のものっていうとこの2点ですね。
最初期は横向き。
はい、横顔が一番描きやすいんですよね、隠れて。
見る側としては。
そうなんですよ。で、盗み見る感じでちょっと描いたりしてたデッサンごとに描き起こして。
最初、別にこれ男性でも女性でも特に関係なく描いてるって感じですか。
なんかこの表情いいなと思ったのを覚えるようにしたりとか。
なんかその、このところから、その正面側、なんか今は結構正面側が多いイメージがあるんですけど、
その正面になってたのがグラデーションなんですか、それともいつの間に、ここで変えたんですか。
その頃はとにかくまずその見たものをどう絵にしていくかっていうところで、手を慣らしていくっていう気持ちの方が強かったので、
それでもいろいろやってたんですけど、割にもうすぐに正面から見る形にはなって、やはりこう人と向き合いたかったんですよね。
こうしっかり対話をするというか、私も自分が描く人たちっていうのが、そのこう個々の苦しみに寄り添いつつ、それぞれのいろいろな個別のちゃんと記憶を持っていて、
どれも無名なんだけれども無名の人の肖像画になるぐらいのその強度を持ったものにしたいっていうのがあったので、
かなり初期からも正面性が強い絵にはなっていた。
でもその最初になんかやっぱり向き合っていると自分も辛くなっちゃうみたいな。今はどうなんですか、人物が描いているときは。辛さはないんです。
そうですね、これはまあ具体的な人ではないので、何かこう自分がきっかけで思い出しちゃうようなこともないですし、こう自分の思いっていうのをそこに満たしていくような感じがあります。
なんとなくその作品が、例えばそのフランスで描いてたからってのもあるかもしれないですけど、今はもちろん日本拠点に活動されてるじゃないですか。
これは僕の勝手な主観なんですけど、あんまり日本人ぽくないイメージがあるんですよ、なんか描かれてる人が。
ザ・日本人って人じゃなくて、なんか党ぽいのもあるしみたいな。そこはなんか意図的なんですけど、やっぱりこう無意識に描いてたらそうなっちゃう。
さすが素晴らしい人だったと思ったんですけど、やっぱり私の中でよく作家性って大事じゃないですか。
なのでこの顔だったらこの人みたいな、この作家のならではの表情や顔の作りっていうものは獲得できたらなとは思ってはいるんですけど、
それと同じくらい、絶対どの人も違う顔にしたいっていう気持ちがあるんですよね。
誰にも言わないですけど、心の中でちゃんと一人一人の名前がついてて、この誰々さはもう決して他に現れないというか、
そういうものにしたいっていうのがあるので、描き分けっていう意識の中で多分ちょっと東欧っぽいものとか逆にアジアっぽいものとかが出てくるんじゃないかなっていうのは。
そうか、小林さんが大事にしているその名前を教えてくださいなんて野暮なことは言わないですけど、高橋さんとか佐藤さんみたいな日本人の苗字はいるんですか。
小林 あ、いますいます。
あ、いるんだ。日本人、自分の中では日本人のイメージで描いてる人もいるんです。
小林 はい、でもなんか今初めて意識したんだけど、ファーストネームですよねみんな。苗字がないです。
苗字がない、なるほどなるほど。
小林 フルネームではなかったです。
なるほど。それでなんか自分の中でその関係性は作るんですか。この人とこの人は実はこういう関係でみたいな。それでももう一人一人。
小林 一人一人です。
でもその作品によっては、それこそボカテン、上野の森でやるボカテンに出展された時は、数点多分人物が並んでたじゃないですか。
ああいう時ってのはどういうイメージなんですか。その一点じゃなくて、何人かで一つみたいな。
小林 あれはなんか一枚一枚でも成立するけれども、こう集まった時にも一つの絵画と成立するような強さを持てるようにしたいなっていうのがあって、
やっぱりその一人一人が強い意志を持って立つことによって、関係はしてないんだけどもそこにあることが次の何かを助ける連帯になっていくような、そういう集合たちとしての強さを目指した。
その時にはやっぱりそのメンバーでないとダメなの。並び順とかも。
逆に人間もそうだしみたいなことなんだ。
小林 そうなんです。最初は5点から始まったんですけど、5点も書いた順番に並べてたわけではなくて、いろいろこのフォーメーションがいいなっていうので、最初に番号を決めたんですね。
で、今回先日まで第一生命ギャラリーでやってた5点では逆にもう書いた順に並べて変化を見せるっていう風にしてみたんですけど。
ああなるほど。
小林 やっぱり組み合わせが違うだけで表情がガラッと変わる。閉じていく方に動きが強まる。逆に広がるとか。それも合わせて展示空間に寄って書いてます。
だから逆に書こうと思えばそれこそ最初のキリの作品は横幅が広い作品だったから、別に横長の作品も書けるわけで、5人が1枚のキャンバスのっていう作品も書こうと思えば書けるけど、それじゃなくてやっぱり一体一体書くってところに意味があった。
なるほど。なんか今聞いて腑に落ちます。でもそれともう一つ人物モチーフの特徴的なんですけど、堀江さんの色彩というのかな、もう見た瞬間に堀江さんの色がある感じに見える。
逆になんか僕が最初に勝手にベテラン見覚えたっていうのが、なんかこれ別に男女がどうとか若いとかそうじゃないっていうつもりじゃないんだけど、なんか若い女性の画家はポップな色、特に日本がやってます人は、こういう時代だからこそ次の世代としてあえてポップな色合いにしてますっていう人がなんとなく多いイメージがあったから、
言い方あれですけど堀江さんの作品ってもうポップさのポの字もないじゃないですか。
ポの字もない。
あ、褒め言葉で。
ありがとうございます。
これは最初からなんですか、それともなんかやってくうちになんとなくこういう色合いになってた。
私の字ですね、これは。もう堀江さんの欠片もない字なんで。
本当に昔から誰とも好みが合わなくて、そのちっちゃい頃も黒とか焦げ茶とか着るのすごい好きだったんですよ。
服も、今日もね、黒いお飯物ですけど。
で、派手なのとか好きじゃなかったり、この赤は好きだけどこの赤は嫌いとかいろいろあったんですけど、全然その周りと好みが合わなくて。
もともとプリキュアとかは見なかった?
見なかった。興味がなかった。
今流行ってるシール交換みたいなことが。
シール交換の文化はあってちゃんと乗りましたけども。
乗ったけど別に交換したいことではなかったんですか?
それはなんかこうそうしたのが、私の好みが他と合わなかったので誰とも競合しなくて。
私はいつも好きなのを貰えてます。
でもなんかみんなの人気は別に私もそんな好きじゃなかったので、
なんかすごく良いものをくれる人みたいな感じになってたんですよ。
みんなから欲しいコップなやつは、別に本屋さんからしたらもうあげれるんですかね。
そうなんです。
それはもう昔から色の好みみたいなものがもうはっきりしてた。
そうですね。
じゃあもう最初から作風としてもなんとなくそういう色なんですかね。
どうなんでしょう。なんか実際すごい派手な色も絵の中ではたくさん使ってるんですよ。
発色意識したりする関係で。なんですけど、どうやっても最終的にこうなっていく。
なんかそれこそ、例えばこの前第一生命のギャラリーで展覧会を見させてもらったときに、植物を描いた作品もあって、すごく緑がもう発色きれいだなと思ったんですけど、
背景というか、字の色というかは基本的に紺色だか茶色だか黒だかみたいな堀江カラーになってるじゃないですか。
この背景色のこだわりみたいなのがあるんですね。
それは私が基本的にすごく心から描きたいものを描くっていうときは、1対1で向き合いたいので、一つの画面にちょっとしか配置したくないんですよ。
そういうときに集中して見ていったときの背景色ってあんな感じなんです。
自分が見てる感覚なんだ。
ここが全部消えていって、描きたいものだけがすっと残る。自分と相手だけの空間っていうのがああいう色で。
なんか今それを聞いて、はっと思ったのは、全員が全員ではもちろんないんですけど、日本画って長い歴史で考えたら、そのモチーフを描くときには、後ろそもそも塗らないじゃないですか。
白地でよくて、白地に魚だけがポンと描かれてるとか、鳥が描かれてるとか。でも堀江さん作品って確かに白地はないです。
だからそこらへんは油彩画家っぽいというか。やっぱり全部塗りたいは塗りたいんです。
そうですね。空間、背景に何か説明を加えないっていうところは、日本画的な空間作りで多分意識してたわけではないので影響を受けてると思うんですが、
当初は和紙そのままで、和紙の滲みを使って、絵の具はあえて乗せずに描いてたんですけど、私がどんどん厚塗りでモチーフを描くことによって、何も描いていない和紙と描きすぎたモチーフとの凹凸の差が出すぎてしまって、
私が望んでいない影ができるようになったりとか。 だって平面をやりたくて来たのに立体になってっちゃう。
もう好きな質感まで描いていくとどんどん厚くなっていくので、これはなんかちょっと違うなと思って、背景を描くっていうことも一つ実は課題の中でずっとここ数年やってきた。
背景と言いつつも、モチーフと高さを合わせる作業もしてくれてるんだ、これは。でもそうなるとどう描いていくんですか。一般的な日本画って、最初にバーっと背景の薄い色で塗って、描いていってちょっとずつ仕上げていくじゃないですか。
織恵さんの場合って立体を慣らしていかなきゃいけないから、モチーフを最初に描いてから背景で上げていくんですか。どういう感じですか。 だいたい同時に描いていきます。もう背景はもうつかめてきているんで、これぐらいとりあえず進めておこうみたいなのやって、あとはもう好きなものバリバリ描いて、調子に合わせてっていうことをずっと続けて。
そういうことなんだ。ちょっと建築っぽいところもあるんですね。なんかこっちだけ作業、こっちの作業とこの作業なんか、だから最終的にゴールは同じにしなきゃいけないですもんね。立てるものが違うけど、最終的には高さ揃える。
揃えるって言ってもどちらか気になっているのがそのものの際のところなんですよね。背景と自分の描きたものの際、線。 要するに輪郭というか。 そこの処理だけきれいにできれば、あとはそこまでちょっと変でも。
なるほど。だからそこを意外と難しいって言いますよね。なんかもうにわか知識であるんですけど、ルノワールの絵をある学芸人さんに教えてもらったときに、ルノワールは例えば外に屋外でなんかヌードの女性がいるような絵をよく描いてるけど、初期の絵は女の人と背景が処理が下手だから、なんかベールをまとってるように見えちゃう。
その輪郭。それがだんだん慣れてきてバレなくなってきてるけど、実はルノワールとはいえ、やっぱその処理難しいんだよって言われて意識してみると確かに気になっちゃうけど、やっぱムーズいもんなんですか。背景とモチークの際っていうのを。
やっぱりその処理があるかないかとかどうするかによって背景に溶け込ませるのか、背景から浮き上がらせるというか、しっかり見せていくのかで、多分もう描いてるものの性格は変わってくる。
なるほどね。それはでも作品とかモチークによってもやっぱ人物描くときと動物描くときもやっぱ違うし。
そうですね。ここで全部違いますよ。その絵作りの中でここはちょっと奥に行ってほしいとか、逆に手間に出ててほしいとか、いろいろありますし。
それは描いてるときに決めていくものだ。それとも描く前になんとなくこのモチーフだったらこうだな。
描きながら見ていきます。
そうなると描きながら進めていくと、このフィニッシュはどういうときにこれで完成だなっていうのはどこで思うんですか。
まず物理的に絵の具が乗りづらくなるっていう。
へぇー。
どんどん重ねすぎてなんか引っかかりがこう逆になんか微妙な感じになるっていうところでわかるんですけど、私がすごく好きな質感の詰まり方というかっていうのは感覚的にあって、なんかそこでわかる。
うーん。でもその作品を引っかくわけにいかないから引っかいてもないですけど、結構じゃああれ厚みはあるんです。
すごい厚みあります。
普通の日本画、正統派の日本画家って言い方ちょっとあれかもしれないけど、の作品と比べたらもう圧倒的。
かなり厚み、はい。
だからその言われないと油彩っぽい感じもするのはやっぱそういうところなんです。
でもやっぱりそれはもともと油彩画からコンバートしたらあれだけど、やっぱりその厚い感じの質感とかも好きなんです。
どうなん、多分そうだと思うんですけど、自分の手癖というか、受験で絵を描いてる時から厚塗りだって言われていて、全然自分では意識してなかったんです。
ここまでは描き込んだ方が質感が出るなと思ってやった方が厚塗りって言われていたので。
なるほど。
性質かもしれない。
なんかだからそう、作品見た時に結構ゴワゴワしてる、ゴツゴツゴワゴワというか。
だから本当に最初見た時に堀江さんに会うまでっていうと、結局その展覧会見て10分後くらいには会ってるみたいなんですけど。
そんなに何年も会ってなかったことないんだけど。
なんか最初すごく言葉を選んで言うけど、誤解させないであれですけど、怖い印象だったんですよ。
その作品最初見た時にはちょっとホラーとは言わないけど、なんかホラーサスペンスというか、パラサイトハンチカノみたいな質感というか、ちょっと怖い作品なのかなと思ったんですよ。
でもなんかこう見ていくと、実は柔らかいなっていう。
コーティングが硬いんだけど、中めっちゃ繊細で柔らかくてみたいな感じがして。
なんかね、僕は本人も言ったことないからあれなんですけど、全然変な例えだと思うんですけど、なんとなくあの、あれです。
イグアナの娘って昔なんかね。
ハギを持ってたのが。
ハギを持ってたのが、菅野美穂さんがなんかあれだったけど、なんかそれ見てる感じ。
なんか外観はイグアナっぽいっていうのもちょっと失礼な話なんだけど、でも中はなんかすごく、女性的って言い方もこのご時世よくないのかもしれないけど、なんかそういうイメージなんですよ。
なんかすごい不思議なテクスチャーだなっていうのは見てて思うし、なんかそれが年々重ねるごとに外観がどんどん硬くなり、中がどんどん柔らかくなってるように、この5年間感じてます。
ありがとうございます。それはなんかすごく嬉しいです。
本当ですか。イグアナとか変な例えばっかりしてましたね。
イグアナ好きですから。
書いたことはあるんですか。
ありません。
あるんですか。
じゃあよかったです。
すごい動物も好きですし、あの漫画、ドラマがある話も知らなかったんですけど、漫画は好きな話で。
そうなんですか。なんとなく堀江さんの絵見ながら感じたのが、それにちょっと通ずるところをなんか僕は勝手に感じてましたね。
嬉しいです。ちゃんと声を上げるとか、一人一人の尊厳を守って、ちゃんと抑圧に抗って立つっていうものって、ただ強いだけじゃダメで、弱さとか辛さをちゃんと理解した上でないと強くなれないじゃないですか。
誰かの隣に寄り添う強さっていうのも必要だし、自分自身が戦う強さも必要だし、なのでその外側は硬いけれども中が柔らかいっていうのはなんか嬉しいですね、感覚的に。
よかったです、思い切って言ってみてよかったです。
こういうところが嬉しいですよね、話しながら励まされます。
こういう話は本当は会ってちょこちょこすればいいのに、なんか本当にタイミングがすれ違って、会うタイミングがなくてね。
本当にありがとうございます。
今さっきね、振り返って失礼だなと思ったんですけど、ある時にアートビラっていう、大丸さんがやってるアートウェブサイトみたいな、僕未だに連載やらせてもらってるんですけど、立ち上げの時にアートビラマーケットやりますっていうのがあったんです。
とにかくアーティストを招いて、アートフェア的なことをやりたいって。
僕が推薦人の一人に選ばれて、作家さん紹介してくださいって言われて、その中で堀江さんをチョイスして、堀江さんも多分了承してくださって作品を出展していただいて。
9人ぐらい僕が挙げたら、9人皆さんが出てくれるってことになって、全員分のキャプション書かなきゃいけなくなったんです。
多分作家さんのキャプション書くっていうのは実は初めてで、展覧会の感想書くのはいっぱいあるけど、作家さんの人生かかってるのにキャプション書けって、これは難しいなと思ったけど、
その時に一応9人分、美術館の芸術家のキャッチコピーって、炎の画家とかなんとかの魔術師とかあるけど、
なんかテンプレすぎるから、全員分なんか新しいキャッチコピー作ろうみたいな感じで思って、勝手にこう自分で化して書いたんですよ。
それを今自分で堀江さんなんて書いたかなと思って、例えば出芸の作だから出芸界のファンタジスターとかね、霧江のイノベーターとか書いた中で、堀江さん、その女逆境に尽きって書いた。
すれーだなー。
よくわかってくださっていると思いました、ほんとに。
だからその油彩から日本画にコンバートしてみたいな話とかも書いて、これはあれですか、イラッとしなかったですか。
全然嬉しかったです、ほんと。
とにかくちゃんと物を言う絵画というか、出会ってほしい。自分が説明したり語るんじゃなくて、絵がちゃんとそういう強度を持っているものを目指したいので、なんか嬉しかったですよ、ほんとに。
一応なんか褒め言葉で、うまいを通り越して、そこにいると存在感を覚えるリアリティのある絵を描いている作家さんっていう、だからやっぱ存在感っていうのがやっぱりありますよね。
ありがとうございます。すごく嬉しいです。
いやーよかった。まあでももうこんなキャッチコピー使わなくていいですよね、そんな逆境にさ。
もうなんか私の精神性に近いところがあるんでも、なんか普通に逆境かもしれないですよ、なんかいつも。
そっかそっか。いやでもなんかその、今はでもそんなにその、あれですよね、その日本画の画材に苦手意識とかはもう慣れて、まあ難しいところももちろんあると思いますけど。
苦手意識はないんですけど、一回やったことができるわけではなかったりするというか、私も、まあこれ私のせいかもしれないんですけど、うまくいった時に限って何も覚えてないんですよね。
なんでできたかっていうのが、できちゃったけどもう一回やるとなるとみたいな。
絶対できない。いつもそうなんですけど、シリーズ化していくと背景の色とかほんと合わせたいの。
はいはいはい。
忘れちゃうんですよ。で、描いとこうっていつも思うんですけど。
まあ配合とかわかんないけど、そういうものを。
集中していい感じでこう、できてるなと思ってて、全部そういうこと抜けてて、いつも出来上がったものを見ながら、これ何で描いたんだっけなってこう。
あ、そうか。再現するのも難しいんだ、自分の。
アトリエに置いてある絵の具の配置とかって、なんかこれっぽいなみたいな。そういう感じで。
え、例えばじゃあ、背景一回上手くいった時を、じゃあ覚えてじゃあもう一回やるとするじゃないですか。
じゃあもうそれはさすがに覚えた、大丈夫なんですか。
だからもう自分で作るときも、その堀江ブレンドみたいな。
そういうことはちょっとやりにくいんですよ。色んな絵の具をその都度合わせて置いていくので。
なんかあればできるものでもないんだ。それは大変です。
でもそういう話を一回友達にしたら、いや自分は覚えてるって言われた。
なんかできる人はできる。
そうかって思いました。私だけでした。
でも、だってこの作風の人ってあんまりいないですもんね。
だからどういう、だから日本画家界隈の人と話をする機会が多い。それとも油彩画界隈の人と話をする機会が多い。どっちですか。
別に。
例えば日本画の画家たちとか油彩画の画家たちとか、情報交換してるなと思ったりするんですよ。どうやってるみたいな。
堀江さんの場合はもうそういうのが。
何にもないんですか。
そうかそうか、だからもう全部独学って言い方も変だけど、そういう感じでやっていくしかないんだ。
日本画といっても、例えば下地のやにどめ、ベニヤのやにどめなんかに実装を使ったりする人って結構多いんですよね。
で、私はアレルギーがあって合板のベニヤも使えないので、ベニヤ板すら使ってないんですよ。
で、ジェスソもダメなので、日本画だから全部が大丈夫ってわけでもなかったりして。
そうか、だから使える素材はもう限定されてるというか決まってる。
なので友達の展示でも行きにくかった時期があり、油の人なんかもっと行けないので、見に来てくださっても私が代わりに見られないんですよね。
なるほど。
やっぱり作家同士のやり取りって作品を見てっていうのが大前提なので、そこが申し訳なくて。
そういうのもあって誰かと一緒に何かやるとか、関係を続けるっていうのがちょっと申し訳ない感じがあるというところで。
いやでもその中ずっとやり続けてくる、モチベーションはどうやって保ち続けるんですか。
やっぱ書いてるのは楽しいんです。
だからそれはもうずっとやっていける。
ちなみに今話からとかかもしれないですが、シリーズとして制作してるものって何シリーズぐらいやな。
6シリーズぐらい。
その人物書いてるのは輪郭のシリーズ。
輪郭のシリーズと後ろでの未来っていうシリーズが。
後ろでの未来、これはどういうシリーズになるんですか。
某カテに出していた1点ずつのものがそうなんですけど、さっきお伝えした世の中の閉塞感とか物言いにくい雰囲気っていうものを最初に書こうとしたのが、
この後ろでの未来っていうタイトルをつけた群像の絵なんです。
ここにもちょっとあるんですけど、たくさんの顔だけが並んでいる。
ルートKでも最初飾ってた。
なんか合唱団のように見えるみたいな感じのイメージですよね。
それを書いていて、そこから塊ではなくて、一人一人に集中して書いていきたいっていうところで、
同じシリーズの名前を使って一画面細長いものに一体書いていくことになるんですけど、それと輪郭っていうのが人物で、輪郭ともつながってはいるんですけれども、
やはり私が抱いている危機感とか苦しさっていうところにより重点を置いていて、やはり未来って今どうしても明るくはないじゃないですか。
やはりいろいろな問題がたくさん起きていて、そういう中でも押さえつけられてしまう個人っていうのが一人一人ちゃんと尊厳があって立ち上がっていて、
大切なものはちゃんと抱えているっていう後ろでの未来っていうものは必要なんじゃないかっていうところで、たぶんこれからも書き続けていくと思います。
いや、これだからちょっと真面目な話で言うと、例えばそのシリーズって、それは別に抑圧された人をモチーフにしてるわけじゃないですか。
たぶんそれは、そういうことがないことがいいわけじゃないですか、世の中は。だから作家としてはこうやって声を上げていって、なくなるに越したことないと思うんですよ、そういうことが世の中から。
でも残念ながらこの5年経って、どんどん良くなくなってるじゃないですか。今まさにこの格闘というか、だから制作は本当はしたくない、こんなシリーズって言う方も変かもしれないけど、
もう終わってくれた方が実は平和なのに、書き続けなきゃいけないこの世の中に対して、画家としてはどういう気持ちになっちゃうものなんですか。
本当にまさしくそれが難しい問題で、なんというか、私のこのシリーズって不思議でというか、見た方によってもう蘇る思い出というか、辞書が全然違うんですよね。
例えばすごく5年配の方だと自分自身の戦争体験になりますし、最初これを発表し始めた21年、2年くらいというくらいの話が多かったんです。
でも今はガザって言われるんです。なので、私としては個別の事象ではないんですけど、そこに共通する痛みの因子というか、
ものと抵抗の姿勢っていう、私は抗いの姿勢っていうふうにキーワードで言ってたんですけども、そういうものを持っているものにしたいって考えていて、
それって日常でも同じなんですよね。例えば私が若手の女性画家っていう国に入るので、そういう中でやっていくとかいろんな嫌なことがあるんですよ。
多分チェニーさんみたいな男性からすると、見えてない世界が多分ある。そういうものも一つ一つ抵抗になっていくし、
抵抗する意思っていろんなところに多分当てはまっていくと思うので、書いていくことでそれを励ますじゃないですけども、
それが間違ってないというか、特に日本って静かに黙っている方が得だよっていうのがあるじゃないですか。
声を上げていいんだっていうような力を与えたいと。与えたいってそれはあれですけど、ちょっとおこがましいですけども、一緒にやるよっていうのはそういうものとして書いているので、
本当はなければ何こしたことはないんですけども、いろいろな場面で多分出てくる必要な勇気というか、そういうものを描けたらなとは思うので、
これをずっと続けるっていうことは多分私の中でも逆に張り合いになっているというか、大事なことになっているのかなという気がしますね。
その声を上げるっていうことの時に、でも描かれてる人は口を開けてないというか、つぐんでるじゃないですか。
ここは例えばもっと激しい表情にしようとかにはならない。
それは絵作りの話になってくるんですけど、とにかくすごく絵として強度があるものにしたいって考えた時に、演出になりかねない要素は限りなく省きたかったんですよ。
不思議なもので我慢している表情が泣いているように見えたり、逆に苦しそうに見えたりって自分の感覚でも変わって見えることがあるじゃないですか。
なるべくそれを見た人に委ねられる形で、でも芯がある表情っていうのを追求したいなと思った時に、割にこういう表情にまだできてはいないんですけど。
いやいやいや、だから本当に作品たくさん何度も見させてもらって、さっき恥ずかしいから黙っちゃった、隠したんですけど。
僕が店で見た作品を、なのにこの前その第一声明ギャラリーでね、そういうこと言う。3ヶ月、2、3ヶ月前ですよね。見たのが全く同じ作品と思ってなかったんですよ。
もう何か見ときながらなんだったけど、でもやっぱり多分その時の感情が違うんだと思う。その二線の、そのボカテンで見た時と、やっぱりこの後時勢で見てるのもあるから。
だから何か違う作品に感じられたのは、確かにあれが何かわかりやすいポーズしてたりとか表情してたりすると、多分もう何かその場ではわかるけど、何かそんなに残らないのかもしれないですね。
やっぱり汎用性があるというか、何か属性があるように感じられるのは、確かにこのポーズ、この表情なんだなって思います。
もう一つだけいいですか、何か話したくない。顔の話ばっかりしちゃったんですけど、でももう一つ僕堀江さん作品って、手の表情もやっぱりすごいこだわってるなと思ってて、そこはどうですか、手に関して。
手は、昔から手は好きで結構描いてたんですよね。すごく性格が出るというか、その人の生き様が出るところなので、すごく大事にはしてます。
そこは結構ポージングしてるよね、手に関しては。これはどういう感じで決めていくんですか。
何か持つものっていうものを基準に考えて。
ぬいぐるみ持ってたり、花を持ってたりと。
自分でもって鏡で見てチェックして、そこから絵的におかしくない程度にいろいろアレンジもしつつ、最終的に形を決めていきます。
ここも一つの顔とはまた別だけど、一つの表情を出すためにってことだ。
意思が出る場所だと。
確かに。でも本当に深い話をいろいろと。
先ほどの話につながるんですけど、普遍的な話が出たと思うんですが、例えば特定の戦争とか事象とかを掲げて制作する場合もあるじゃないですか。
それはそれですごく難しいことだと思うんですけど、私がその抽象性が高いものにしたいって思ってる理由の一つが、
これも作家の業というか、絵描きの罪深さみたいな話になってくるかなと思うんですけど、
特に何か悲劇とか歴史的なこととかっていうのは、いくら自分が問題だと思っていて、それをちゃんと啓蒙、世の中に作品を通して啓蒙したいと思ったとしても、
その作家の名前で作品を出すとその評価って作家の評価になっちゃうじゃないですか。
なので、全然そういう意図はなかったとしても、他者の被害がすごく悪い言い方するとネタになってしまうということが起こり得る話だと思ってるので、
やはり世の中の様々な問題をどうやって作品の中で扱うか、また向き合うかっていうところは、すごく自分でも考えていかなきゃいけないなというふうに感じてますね。
なんか、そこがたぶん堀江さんの作品の、たぶん僕は惹かれるところだと思うんですけど、
僕もね、例えば311だとか、戦争だとか震災をテーマにしてる作家さんも、もちろんすごく意義があると思うんだけど、
そうじゃない、そこまでいかない悲しみとかって日常って結構あるけど、そこってあんま救ってもらえなくて、
すごく良くないのかもしれないですけど、僕が覚えているのって言うと、311だったかな、震災ですね。
その時に募金、もちろんその震災に対してしなきゃいけないし、僕もしたんですけど、その時僕一番お金なかったんですよ。
でも誰も作ってくれないじゃないですか、こっちにはっていう、生活苦しいぐらいで何か言ってんじゃないよ、むしろ今募金しろよみたいな空気になったけど、
でもたぶん堀さん作品って大きな問題にも小さな、小さなって言いたくはないけど個人としては、
でもそのみんなに対して同じ目線で多分訴えかけてくるから、たぶん刺さるんだろうなっていうのは今日話を聞いてすごく思いましたね。
ありがとうございます。本当その特定のその事象を扱うっていうか勇気がいる子だと思うので、そこにコミットすればその分作家が引き受けなきゃいけない大変さってきっと増えてくるはずなので、
果敢にそれに挑戦されてる作家さん本当にすごいと思うんですけど、やっぱりいろいろな向き合い方があってもいいのかなと思うので。
いやでも逆にこっちのみんなの悲しみに対してっていう方も大変だと思う。逆元気玉みたいな話ですもんね。
みんなのちょっとずつ悲しみを分けてもらったらとんでもないパワーになるから、いやそれを一人で引き受けてと思って。
本当に皆さん素晴らしい作品作られているので、私も学ぶところはたくさんあります。
いやちょっとねまだまだいろいろと聞きたいんですけども、それはぜひまた後半でもねちょっとお話を伺えたらと思うんですが、作品をね見たいという方ももちろんいらっしゃると思いますので何か告知とかがあればぜひぜひ。
はい、何点かありましては、まず今年の1月から2月にかけて第一生命ギャラリーで開催していた私を数えるというコテについて、展示の記録集の小冊子を観光予定ですね。
まだちょっとどうなるかわからないんですけれども、皆さんにお手に取っていただけるように準備を進めていますので。
これは何で手に入る?
多分ギャラリーで販売とかそういうことになってくるんじゃないかな。
じゃあ堀江さんのホームページとかインスタグラムとかをチェックしておくと。
はい、情報を出しますよ。
はい、でまた今年の9月にはその今申し上げたコテンをそのままもう一度ルートK。
僕が最初に出会ったと。
神楽坂にあるやつですね。
で開催したいと思ってます。でこれには旧作もちょっと絡めながら第一生命ギャラリーとまた違った見せ方ができたらいいなという風に。
新作もじゃあこれに。
おー楽しみ。
少し追加したいと思ってます。
であともう一点は、2027年の2月末頃に今私がウェブで連載している片ばめ書房さんというところからエッセイ集を。
片ばめ書房あれですね、この番組にも出ていただいたなりあいさんがパロディの本出した、あそこの出版社から。
はい、観光予定です。でこれまで書いたエッセイも夜まとめる予定。
でそれに合わせて観光記念展もいろんなところでちょっと開催していこうという風に考えています。
だから今日その話できなかったけど堀江さん文章もね巧みですから。
とんでもないです。
それもちょっとぜひ合わせて読んでほしいですよね。
とんでもないです、ありがとうございます。
エッセイ本としては初、作品集とかはあるけれど、ぜひ販売されたら手に取りたいと思いますので。
気になる方はぜひぜひ堀江さんのSNSなどをチェックしていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
はい、ということで後半もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
はい、次回も堀江しおりさんとのトークを続けていきたいと思います。