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  2. #094 「永遠の都ローマ展」に..
2023-11-11 52:53

#094 「永遠の都ローマ展」について(東京都美術館 学芸員 小林 明子)

東京都美術館 学芸員 小林 明子さんをゲストに、「永遠の都ローマ展」で紹介したカピトリーノ美術館やおすすめ作品についてお聞きしました。

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Guest Profile 小林明子(こばやし あきこ)

  • 東京都美術館学芸員。専門はイタリア・ルネサンス美術。担当した展覧会に「ティツィアーノとヴェネツィア派展」(2017年)、「フィン・ユールとデンマークの椅子」(2022年)、「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」(2023年)など。

Show Notes

東京都美術館について

カピトリーノ美術館について

イタリアの美術館の話題

ローマ展について

サマリー

東京都美術館の学芸員として出演している小林明子さんをゲストに迎え、現在開催されている「永遠の都ローマ展」について話を聞いています。展覧会では、ローマの歴史芸術をテーマにして、カピトリノ美術館の作品を紹介しています。カピトリーノビーナスは、元は紀元前4世紀のアフロディテの彫像を基に作られ、その後600年の時を経て、古代ローマの作品として作られたもので、とても優れた彫刻です。また、展示されている際には恥ずかしそうな自然なポーズをとることで、視覚的な効果があります。ルネサンス時代のローマの展覧会では、ロムルスとレムスの物語に関連して展示が注目されています。展覧会では、双子の像やコンスタンティヌス像の展示があり、その複製や指の発見も注目されています。東京都美術館の学芸員である小林明子氏が、展覧会「永遠の都ローマ展」について話しています。展覧会では、カピトリーノ美術館の石膏像や近代の絵画が展示されており、特に注目すべき作品として、「ウルバヌス発祥の肖像」と「カンピドリオ広場の眺め」という絵画が紹介されています。東京都美術館で開催されている「永遠の都ローマ展」は、ローマの歴史とバチカンの歴史を結びつけた展示であり、美術館としては久しぶりのイタリア美術展です。展覧会は2021年12月10日まで開催され、2022年1月5日からは高層市美術館で巡回展示が行われます。

ローマの美術館の歴史
アートテラー・とにスのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにスが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、東京都美術館学芸員小林明子さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、ご出演いただきありがとうございます。
よろしくお願いします。
東京都美術館の学芸員さんとしては、エピソード43、44の大橋夏子さん以来の2人目の主客ということで。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
東京都美術館についてのお話は、そこで聞いていただくとして。
早速、小林さんの今やっている展覧会の話を聞きたいなということで、いいですか?
はい。お取り上げいただきありがとうございます。
ちょうどこの前、内覧会でお会いして、でもその場でキャスティング。
そうでしたね。
ぜひ出てください。
軽い感じで。
すごい展覧会だなと思ったので、今やっている永遠の都ローマ展ですね。
こちらはどんな展覧会なのですか?というのを簡単にまず最初に。
はい。これ永遠の都ローマ展というタイトルの通り、ローマの都市全体が歴史芸術がテーマとなっている展覧会となっています。
出品作品は主にカピトリの美術館というローマにある美術館の作品をご紹介しておりまして、
その美術館自体の歴史というのもすごい魅力があって、世界で最も古い美術館の一つと言っていますけれども、
その美術館の歴史とコレクションの歴史を辿るというのがまず一つあって、
それを辿ることで、ローマの歴史と芸術を辿るということに結びついて、それを重ね合わせてローマを、
ローマというと本当に壮大でどこを切り取るかというのがありますけれども、
一つ今回はそれを手がかりにローマを知るという内容になっています。
意外とローマ展というのはやっていないですもんね、そういえば。
そうですね、ローマというタイトルでの展覧会はあまりなかったかもしれないですね。
なんかローマから何かが来るはありましたけどってことですよね。
そうですね、ただイタリアの展覧会でもローマをテーマにっていうことはあまりなかったですね。
フィレンツェとかベネチアとかなんかそういうのはやるけど。
古代というとやっぱりポンペとか、他のナポリとかの美術館のものが多かったりとかしたので、珍しいです。
そもそもさっき出てきたカピトリの美術館は歴史が古いって言ってましたけど、どれくらい、いつからの美術館って書かれているんですか?
美術館の歴史はですね、元をたどると1471年、ルネッサンス頃に遡るということになっていて、
その頃はまだ美術館としては確立していないんですけれど、コレクション自体の核が築かれたのは1471年。
これは誰のコレクションというんですか?
もともとですね、その当時のシクスツス四世というのは、セスティナレーハイドを作った教皇ですけれど、
シクスツス四世が教皇の元にあった古代のローマ彫刻を市民に返還するという名目でローマに寄贈したんですね。
それが四体、フロントの彫刻だったんですけれども、それが始まるということになっています。
美術館ってそもそも一番古いというか、美術館という名前自体はいつから使っているのかなと考えてもなかったんですけど。
そうですね、美術館という言葉の期限とかになるとちょっと難しいですけれど、
カピトリノに関しては正式に美術館として開館するのは18世紀のことで、1734年ですね。
その頃には他の地域にもそういったものがなかったというわけではないので、ただ最初期の事例ということは言えますね。
よくルーブル美術館は結構古いみたいに言うけど、それよりも古いということですね、当然。
そうですね、それよりは古い。
最初に市民のために変換して、1400年代にできたじゃないですか。
それは誰もが見れるものでなかったんですか、当時は。
当時、いわゆる美術館的な形にはなっていなかったけれども、人々が見られるような状況の中に置かれていたということではあったようですね。
建物としてあってということですか。
建物もあったので、建物のどこにっていうこともちょっとわかっているかもしれないですけれど、
ちょっと今すぐわからないですけど、ただ人が見れる状況ではあったということです。
美術館として再スタートではないけれど、18世紀に何が変わったんですか。
整備されたということですね、美術館として。
展示という意識を持って人々を招いて、そこでまとめてコレクションを体系的に見ることができるように整えたというのが18世紀。
それはちなみに、カピトリーノというのは地名ですか。
永遠の都ローマ展の内容
カピトリーノというのは地名で、その美術館がある場所がカピトリーノの丘ですね。
ローマはその七つの丘を通じて発展してきたという歴史があって、そのうちの一つがカピトリーノの丘。
これは国営なんですか。
現在の美術館はローマ市の。
ローマ市立美術館みたいなものはあるんですか。
市立という言い方はしていないですけど、ローマ市の美術館。
じゃあやっぱり民間が経営とかじゃなくて一応公立の美術館ではあるんですか。
公立の美術館ですね。
僕はイタリアに行ったことないからあれだったんですけど、イタリアの美術館って言ったらフィッツィとかパッと思いつくのがあれ。
カピトリーノ美術館って今回って初めて知ったんですけど、イタリアではどれくらいの知名度というか。
イタリアではもう全員知っている美術館だと思いますけど、
だけどおっしゃる通り、例えばローマに観光に初めて行って一番に行く美術館ではないですよね。
フィッツィ美術館と今バチカン美術館とはやっぱり違って、最高の美術館であり、
ローマというかイタリアの歴史にとってとても重要な美術館ということは事実なんですけれど、
一方でその知名度から言ったら確かにそうなんですよ。
観光客が行くっていう感じじゃないですか?
行く人は行くとは思いますけど、ローマに行ったら他に見たいものいっぱいあるじゃないですか。
トルビーの泉も行きたいし、スペイン広場も行きたいし、
だからそうすると多分優先、行きたいけど優先度としてはちょっと他に。
知る人と知らないけどローマ好きだったら行くけどみたいな感じ?
ローマ好きは行くとは必ず行くと思いますね。
サラッと行くような感じではなさそう。
知名度的にもそうだし、位置的にもかなり中心にはあるんですけど、
その丘の上にあるというのもあるし、その手前にですね、すごいどでかい近代のモニュメントが建っていて、
ビットリオ・エマニュエル2世紀年度っていうものなんですけど、
多分ご覧になったら絶対見たことがある。
あの白い、いかにも近代の建物があるんですね。
こんな感じの覚えがあります。
見たことあります。
この前は嫌というほど通ると思うんですよ。
どこに行くにもこの前を通らないと行かれない。
だけど、ちょうど裏じゃないんですけど、
ちょうどそのそばにあるので、なんかこう影がある。
本当だ。
実はでもこの美しい場所がこのそばにあるっていうことにちょっとなかなか気づけない。
そうか、ちょっと視覚に入っちゃってる感じがする。
そうなんですね。
規模としてもそこまででかくはない。
そうですね。広さ的にはそんなに大きくない場所ですね。
そのカフトリオの美術館を今回、どういうことでここから借りようってなったんですか?
話の始まりとしては、2016年ぐらいから話があっていると思うんですけど、
東京都もローマと有効都市の提携を1996年に結んだっていうことがあって、
当初開催予定していたのは2021年なんですけど、そうすると25周年になって、
加えて今回も紹介している岩倉施設団の訪問からも大体250年と振り切っていて、
そういう記念の年が重なるということで開催しましょうっていう話がもともとあったんですけれども、
そこから準備が始まって、
本格的には2018年か19年ぐらいにそういう構想を進めたわけなんですけど、
そのコロナ19の発生して、
イタリアは初期にこうなった。
最初はイタリアでしたもんね。
もちろん世界的にひどかったので、とても準備どころではないという状況になって、
一旦中止ということになったんですけど、
せっかくかなりの準備を進めていたので、
新たにという形で実現したので、
そういうのも含めるとすごい考え深いというか、まだいろいろ影響があるかと思うんですけど。
カピトリノ美術館とカピトリのビーナス
しかも結構ここからゆっくり、いろいろと個別の作品の話を聞きたいなと思うんですけど、
結構名品がたくさん来ているじゃないですか。
こういうのって、僕もいろいろと言ってるからあれですけど、
大体その美術館が休館とか工事をするので、ちょっとごっそり借りれるみたいな。
今現役でやられてるんですよね。
そうなんですよ。
しかもそんなに規模もでかくないから、そんなに持ってきちゃったら、
もう見るものないじゃないですか。
見るものはコレクションが豊富にあるんですけど、
結構名品が来ちゃってますよね。
そうなんですよね。
特に今回の見どころになっている、
カピトリのビーナスは美術館の顔とも言える作品で、
本当にそれだけ体制で協力してくださったということなんです。
じゃあちょっとせっかくなんですけど、カピトリのビーナスの話を聞きたいんですけど、
あれですもんね、
カピトリのビーナスがカピトリの美術館から館外に持ち出されるのが今回で3回目っていう。
そうなんですね。
しかもその時点からナポレオンは豪奪したっていう。
そうなんですよ。
それを含めての3回だから、
心よく貸し出してくれたのが2回目ってことですよね。
そうですね。
最初は展覧会じゃないんだって思いますよね。
そうなんですよ。
それぐらいの名品、ここにとっての。
大事な作品なんですよね。
収蔵されたのは18世紀のことになる。
ちょうどその美術館として整って、
一般公開された後ぐらいに収蔵されて、
それが18世紀の半ばぐらいで、
その18世紀の末ぐらいにナポレオンが征集されて、
展覧会は2011年ワシントンであったということで今回の3回目なんですけど。
2回目はアメリカだった。
そうですね。貸し出しに関しては。
大事にされてきたっていうことは、
もうその当時から優れた作品というふうに認識されていましたし、
その後に現在もですけれども、
ビーナス専用の展示室、8角形の小さな部屋ですけれど、
すごい綺麗な部屋が出来られて、
そこに特別に展示されているので、
すごく大事にされている作品ですね。
ビーナス自体は2世紀のものっておっしゃってましたよね。
そうですね。2世紀のローマで収蔵されています。
ということは、カピトリーノのビーナスという名前は、
その時にはその名前じゃなかったです。当然です。
カピトリーノビーナスの作品
その美術館に収まるようになって、カピトリーノビーナスと呼ばれる。
それはそういうことだと思いますね。
いろんなビーナス像とか大理石の像って、
世界的に見たらいっぱいあるじゃないですか。
このカピトリーノのビーナスは、どうしてそんなに素晴らしいとされている?
そうですね。
メリッジのビーナスとかミロのビーナスと並ぶというふうに言っているけれども、
古代の作例としては質が非常に高いので、保存状態が良かったということもありますね。
製作されたのは、2世紀のローマに製作されたものなんですけれども、
実際に元になっている作品。
古代ローマの彫刻は、ギリシャの作品をお手本に製作されたものがたくさんありますので、
それがカピトリーノビーナスの作品です。
カピトリーノビーナスの元ネタ
元ネタがあるんですか?
そうですね。
元ネタは今どこかにあるんですか?
元の作品も現像しなくて、
プラクステレスというギリシャの美術家の彫刻家が製作した、
アフロリテ、ギリシャ神話の愛の村の立像ですね。
裸体の立像ということで、元の作品と言われているんですけれども、
必ずしもぴったり同じというわけではなくて、
女性像で、
裸体の三つ像ということで、
作品はあるけど、これも今ないんですね。
これがコピーですね。
さらにそのコピーもあるんですね。
コピーとして、今にまで伝えられているもので、
それはバチカン美術家が今持っている。
そうですね。
そのうちの一つは、このコロナのビーナスというものです。
ってことは、今ここの資料にありますけど、元ネタは紀元前4世紀のもの。
はい、そういうことです。
古代ギリシャ、古代ローマというと同じ時代と思っているけど、
もうその時点で600年開きがあって、
600年前のものを作っている。
カピトリの。
そう、だからカピトリのビーナスが作られた時にも、
元の作品が、
自体を見たというよりも、それに基づく他の作品を見て、
それをお手本に制作している。
伝言ゲームのようにいくつか繋がっている。
だから必ずしも全く同じというわけではなくて、
そこには創意が加えられていて、
特にここで元のプラクシテレスとの共通点としては、
立つポーズですね、立ち姿の。
自然な立ち姿のポーズというんですか。
直立不動ではなくて、ちょっと重心が移動している感じというか。
それでより自然に見えて、動きも感じられるというポーズ。
あと、手を体の前に当てて、そっと隠すような仕草というのが、
展示とポーズの特徴
共通しているところですね。
元ネタの、今でもコロナのビーナス、プラクシテレスが作ったものと比べて、
カピトリのビーナスの方は、より恥じらい感が出ている感じはありますよね。
そうかもしれないですね。
特に胸元に手を当てているというところで、
あと顔のうつむき加減なところとかが、
恥じらいの感じというのが出ているかもしれませんね。
これは当日の恥じらいのポーズが大事だったんですか。
ストーリーがあるというよりも、
女性の裸体像の一つの典型というか形式として生まれたものだったと思うんですけれど、
女性の裸体をより美しく見せる、かつ少し隠しているということで、
裸であるということを意識させるので、
そういうので視覚的な効果がありました。
それが、そうやって作ったのに、
ピーナッツもそうなのに、今みんなに見られる。
360度。
常に見られている状態になっています。
でも、すごい恥ずかしがっているということでもなくて、
自然に身を隠しているような、
そういう瞬間が捉えられている感じもするので、
恥じらいと言われてはいますけど、
もっと自然な仕草なのかなと思います。
2世紀にできて、美術館にあったのは1800年代ですか?
1700年代です。
その間、どこにピーナッツがいたんですか?
それ以前は、別の人がコレクションとして持っていて、
盗まれたり壊されたりしないように、
埋めて保管したりしていたという歴史もあったようなので、
それを聞いても、すごい大事にされていたということが分かります。
美術館ができたのと同じくらいに寄贈された?
そうですね。
美術館ができたのが1730年で、
寄贈されたのは1750年代だったかも。
それでビーナスの部屋もできたんですか?
そのすぐではなかったと思います。
もうちょっと後になってからビーナス部屋ができたと思います。
でも、カピトリの美術館で名品と言ったら、
間違いなくビーナスを考えていいです。
他にもあるけれど。
間違いなく名品が美術館のパンフレットの表紙になっていたりもしますし、
美術館の顔も見えると思いますね。
言えなかったら言えないで、
去年の段階でローマ展をやると決まっていたじゃないですか。
その時にはカピトリのビーナスが来るなんて話が出回っていなくて、
ローマ展は何を目玉なのかと思っていたら、
今年の6月ぐらいに入って、
カピトリのビーナスが来ますと言って、
ちょっとざわめくというか周りが。
なんでこんな後出しだったんですか?
それはいろんな事情がありますけれども、
交渉している段階ではもちろんお話はしていますし、
交渉できるタイミングもあるし、
広報の戦略もあったりなかったりします。
ギリギリにやっぱりこれだしてって言ったというよりは、
結構前から準備をしていた?
そうですね。
そういうのが突然出たりするのも、
本当にその時の状況が作品によって違うと思うんですけど、
やっぱり重要な作品なので、
そんな急に決められるという話はもちろんないですよね。
しかもこれあれですよね。
巡回して福岡市美術館にこの展覧会行くけど、
このビーナスは行かない。
そうなんですね。
こちらは東京でしか見れない。
そこら辺はちょっと…
福岡の人、ごめんなさいって言った。
そうですね。
でも福岡は福岡で別に重要な作品が出る。
東京にはないやつも出るんですか?
そうですね。
ここの図録にも出るからあれなんですけど、
この空鉢。
それが来るんですか、空鉢。
福岡も行かなきゃまずいですね。
福岡もこれも素晴らしい。
空鉢も素晴らしい。
それは東京からじゃなかったんですね。
そうですね。いろいろな条件があって。
それはしょうがない。
でもそれぞれ見どころがあります。
どうですか、小林さんはビーナスを見た時の率直な感想というか。
素晴らしいなと思いました。
本当にきれいな彫刻で、
カピトリーノデーはちょっと高い位置に展示されている。
台座があって。
そう、台座が高くて。
今回、日本の展示では視点がちょうど目線が合うぐらいのところに展示されています。
それで改めて見ると、やっぱり身体表現にかなり質が高い。
オリジナルのものと比べてもいいですけど、
より洗練されているというか、
肉付きとかも膨らした質感とか、
身体の曲線とかっていうのが本当にきれいに表現されていますし、
あと大理石自体もすごい質が高くて、
その発光するような、
実際キラキラした物質になったりして、
その石自体の美しさというのがあって、
本当に素晴らしい作品だと思いました。
僕も見させてもらって、
その時に岡田さんにも伝えたんですけど、
ふくらはぎが異様にツルツルしてたんですよ。
あれ、なでたのかなって。
人がね、あまりの美しさに。
あるじゃないですか、おびんずる様みたいな。
行くとみんながなでててすっごいペカペカしてる木造あるけど、
あんな感じで、ふくらはぎだけやたらとペカペカしてたんです。
触れる位置がギリギリそこなのかなって思って、
思ったら触ってはいけないんですけど、
何百年の歴史の中でみんなが触ったのかなと思ってしまう。
思わずね、触りたくなっちゃいますよね。
後ろ姿も見てて、後ろ、背中も。
だからこれが来ただけでも、
本当に奇跡的な展覧会ですよね。
そうですね。
しかも立体で繊細な石ではありますけど、
動かすという機械もありますよね。
この展覧会はこれだけかと思いきや、
他にも名品がたくさん来てるっていう。
そうですね。
どれを押しますか?
このカピトリーノの顔っていうことでは、
まずオオカミですかね。
カピトリーノのメスオオカミ。
ブロンズ像も。
メスオオカミの下に小さな子供が2人いる作品ですね。
今回こちらは複製の展示にはなっているんですけれど、
実際の作品は美術館にもあって、
今回お借りした複製は、
普段はローマの視聴者にもあるっていうことなので、
大事にされている作品です。
単なるレプリカではないってことですよね。
市役所的なのもちゃんとあるよね。
これ自体も複製されたのも最近ではなくて、
結構前から。
そうですね。これ20世紀のままぐらいの複製。
20世紀の複製ですね。
本物を持ってきて。
複製があるっていうこともローマらしいことではあるんですよね。
実際オリジナルのものがもちろんあるからできるし、
保存・修復とか、歴史的な背景、
政治とかとつながって作られている場合もあるので、
その複製の歴史を見ても本当はすごい面白いことではあるんですけど、
今回はそこまではご紹介していかないですが、
この作品は有意志があるんです。
元の作品は古代のものというふうに言われていて、
最近の研究では中世の作かもしれないということも言われています。
これが皇帝四世が寄贈したものの1点、
ホトメターンのやつだってことですよね。
そうなんです。
だからその時の状態っていうのはちょっと明らかではないんですけれど、
この双子の像がルネスタンス時代に付け加えられたということです。
そうなんですか。最初は狼しかいなかったんですか。
そういうことです。
別人が作ったんですか。
そういうことです。
そうなんですね。
結構強作だったんですか。
そうですね。だから古代にも狼だけの図像もあったし、
狼と双子を伴う図像というのも彫刻もあったり、
今回は鏡とかコインとかをご紹介しているんですけど、
そういう形でいろんなパターンが存在していて、
かなりイメージとして普及していた図像だったんですね。
ロムスとレムスの物語
だからルネスタンス時代におそらく古代のあるいは中世の狼が存在して、
より狼伝説に、ロムルス・レムスの物語にふさわしい図像にということで、
おそらくですけど、
古代のいろいろ広まっている作例を参考に双子を付け加えたのかなと。
そのとき疑問だったんですけど、いわゆるローマ建国神話、
ローマを建国した兄弟がメス狼の父で育った、みたいなことなわけじゃないですか。
これがしかもいっぱい出回っているわけじゃないですか、図像として。
なんでロムスとレムスの大人になったバージョンじゃなくて、こればっかり使われるんですか。
例えば日本で言うと大和武である大和武で、
大和武の子供時代の姿は別にあるけど、みたいな感じじゃないですか。
なんでいつもこんなパターンがメインになるのか。
一番すごいのはメス狼にしたくなります。
でもそこは多分ポイントなんだと思いますね。
そういうふうに奇跡的に生き延びたっていうことが、英雄の特性っていうか、
星の下に生まれた英雄がローマを建国したっていうところに、
そこをアピールしたいっていうところじゃないですかね。
普通じゃない育ち方を。
だけど普通だったら命を落とすような状況だったのに、
それがなんとロームスに育てられて建国した。
強靭な運の持ち主がローマの原点にいるよっていうことを、
そういうことをアピールしたいっていうことになってます。
ただ英雄像、人間だけではなくて、普通の人とは違う。
ロームスとレムスの大人バージョン像も結構あったりするんですか?
あんまりないんですか?
あんまりないんじゃないですね。
こっちがメインになる。
あともう、こういうロームスとレムスの物語って連作があったりとかもしますけど、
中にはゼロではないと思いますけど、あまりポピュラーではないですね。
ここなんですね、メイン。
そうですね、そういえば。
コンスタンティヌス像の展示
今回これから展覧が始まって、他にも複製の巨大コンスタンティヌス像。
そうですね。
結構パンチありましたね、あれ。
パンチありますよね。
ありました。
これも今回の見どころの一つなんですけど。
頭だけ、パーツパーツがあったじゃないですか。
手だけのパーツ、足だけのパーツみたいな。
で、頭、首から上みたいな。
そうですね。
首から上だけでも何メートルくらいあるんですか?
これで1.8メートルですね。
これはパーツパーツになっていたけど、もともとはでっかい像があったんですか?
そういうふうに推測されますね。
伝説があるんですか?
伝説としては。
現像しているのは本の部分が残っているだけなんですけど、
巨像の部分は2体あって、
1つがブロンズで、もう1つは大理石の方があって、
両方ともその部分部分が残っているんですけど、
おそらく頭が1.8メートルだから、両方それくらいで、
大理石、これはブロンズなんですけど、
片方は座った姿だったと。
それでも10メートル以上あったという感じなので、巨大ですよね。
それはコンスタンティヌスが作らせたんですか?
コンスタンティヌスが作らせたんだというふうに考えられますね。
皇帝の肖像って今回もいくつか紹介していますけれど、
そういう自分のイメージに広める戦略ということで、
複数作らせたりということもあって、
コンスタンティヌスの場合はそれをさらに巨大にして、
自分の存在感を示すという戦略の1つだったと思います。
その10メートルの象ってあまり見たことがないですよね。
日本の仏像以外、大仏以外に。
あるものなんですか?向こうに行けば。
珍しい例なんですか?
ローマ帝国の美術って巨大建築とか、
北北で勝負するようなところもありますけれど、
多くはないんですよね。
技術もいますし、それだけの力もあったし、
そういうものを作らせたいというメンタリティも、
彼が見えますよね、その本人。
キリスト教を公認したという大事な功績もあるので、
偉大な人だったと思います。
パーツ自体は頭と手と足だけなんですか?
もう少し他にもパーツは?
ブロンドの方はかなり限られているんですけど、
大理石の方は10とかぐらいは存在していると聞いています。
それが全部カピトリの美術館の方ですか?
カピトリの美術館にあるのがむしろそういう感じです。
今回はそれの複製が来ているということですけど、
頭と手はブロンズの部分の複製で、
足は大理石の複製ということで来ています。
複製って聞くと、軽いもので作って持ち運びできるのかなと思いきや、
普通に大理石で作っているんですか?
複製の素材は違うんですね。
さっきのオオカミは同じブロンズで作っているんですけど、
今回の方は頭と手のブロンズの複製は石膏でできていて、
そこにブロンズの色が塗られている。
足の方はFRPでできているので、
その時代の最新の技術で製作されているんですね。
頭と手は20世紀初頭の古い複製なんです。
そうなんですね。
そういう複製の違いも面白いですし、
さらに今回は手というのは左手なんですけど、
そこに指に注目してもらえた人差し指が、
もともと人差し指の中指のない状態で発掘されていて、
保管されてきたんですけど、
割と最近にその人差し指が
グーグル美術館で発見されたんです。
人差し指でかけたやつが?
そうなんです。
それが発見されたのも最近だし、
さらにこのコンスタンティヌスの指だというのがわかったのも最近のことだと。
なぜそのところにというのは、
さっきのカピトリのリーナスと同じに、
おそらくですけど、
その時にナポヒョンに摂取されて、
パリに持ち運ばれ、ローマのお宝がおそらく持ち運ばれて、
その後変換されるんですけど、
その時に起こっちゃったかわからないですけど、
そういうことは歴史と関係しているのかなとは思われて考えられている。
その指が最近になってカピトリの美術館に運ばれて、
今展示でくっついた状態で、
オリジナルのが展示されているんですよ。
それにちなんで、
今回も元々あったこの複製は指なしの複製だったんだけど、
今指があるから指も付けましょうということになって、
指だけ今の現在のそれこそFRPのような素材で複製を作って、
それで指と手と別にこっちに運ばれてきて、
この展覧会のために指の複製を作ったと。
それでこの会場で展示作業の時に付けたんです。
指はピッタシハマったんですか?
ルーブルで見つかったやつというのは。
ピッタシというか、多少ゴログロクになってはありますけど、
穴空いたりするのがありますけど、ハマってます。
でもルーブルは何かの人差し指ぐらいしか持ってなかった?
人差し指かどうかも多分わからなかったかもしれませんね。
何か指。
展示はせたんですかね、これまで。
ルーブルですか。
どうなんですかね、ちょっとルーブルでどうだったかというのは、
私も詳しくわからないんですけど。
確かにどういう経緯。
いろいろあるから、それをどういうふうに扱っていたかというのはあれですけど。
でもそれでそういうふうにわかるということがすごい発見だと思いますよね。
そうだったんですね。
なのでその複製として指があるのは初公開です。
なるほど、それは貴重ですね。そこはちょっと注目です。
あともう一個あれじゃないですか、
前にもチラッと出た岩倉施設団の話じゃないですけど、
アリアスの石膏像の展示
結構実はカピトリの美術館と日本の関係みたいなものがあって、
今回展覧会のラストで、
日本の芸大生とか美大の人はみなさんおなじみの石膏像の元ネタが。
そうなんですね、このアリアス。
そうそう、アリアス。
だから僕は全然美大とか受験してないからわからないですけど、
受験生はアリアスって聞いたのも今思い浮かんでるってことですね。
そのようですね、私もそういう経験がないんですけど、
だから最初にアリアスってなんだろうって、そこに馴染みがない言葉だったんですけど、
それがディオニショスのパートナーのアリアドのと勘違いされて、
日本では受け入れたときにそういうふうに勘違いされて、
それが短くなってアリアスって呼ばれるようになったんだろうという話なんですよね。
しかもアリアスっていうふうにみんながデッサンするときに、
この石膏はアリアスっていうふうに呼んでるし、
聞いた話によるとこれは難しいらしいんですよ。
デッサンの中でも難易度が高いやつの一つがアリアス。
芸大の方にも聞いたら、
これは結構頭の部分、この辺に髪の毛も装飾的っていうか、
ここらへんが、
ここらへんって声で言ってもあれなんですけど、
この頭の何ていうか、
側頭部。
側頭部か。
この辺がやっぱり立体感を出すときの肝になるらしいんですね、デッサンで。
この辺りにこうやって装飾があると、面として捉えづらいからやりづらいんです。
難易度高いんです。
だからみんなこれをできるだけ選ばないようにする。
他のやつは選んでる。
そうですね、そういう話を芸大の方から聞きました。
アリアスの元ネタになったのが、
今回アリアスの部分、よく皆さんが使っている石膏像と並んで、
本物が消えるということですよね。
元ネタになったと思われる。
何も意識しないで描いていた石膏は、
実はカピトリの美術館にある古代の名品が、
それのオリジナルの元ネタになったということに気づく。
元のリオニソスの像も、
これも本当にきれいな彫刻で、
ヨーロッパでもかなり名高くて、
いろんなところに広まったということなので、
その作品自体は本当に貴重な作品だし、
今回は元のリオニソス像と、
プラス日本で製作されたアリアスの石膏像を、
元に作った石膏像を展示しています。
アリアスはみんな美大生を受験する人たちは、
女の人だと思っていたわけです。
そこまで考えるのかどうかはよくわからないですが、
実際に見た感じに、
顔立ちとか装飾とか髪型とかも、
なんとなく中性的な雰囲気です。
でも元のリオニソスは男の人です。
女の人だからリオニソスじゃなくて、
奥さんの方の名前が取られちゃって、
名前が変わって伝わっちゃったということですよね。
そうですね。
描くときに男女があっていうことは、
あまり関係ないのかもしれないですけど、
カピトリーノ美術館の石膏像
少なくともそういった通称、
おなじみの通称は、
少しアレンジされて伝わってきちゃったということなんですかね。
でも世の中に石膏像でいくつか描かれるものがあるじゃないですか、
美大生がよく。
そのうちの一つのアリアスがこれで、
元ネタがリオニソス描きというのを。
なんでこれが選ばれたお題として。
今回の展覧会のお題ですか。
カピトリーノに、
しかも日本だけじゃなくて、
その石膏像は世界中にあって、
よく知られている、
むしろ石膏像として知られている像のオリジナルが、
このカピトリーノというところにありますよ、
ということも一つありますし、
他の作品、他の石膏像。
というか、どうやって日本に伝わってきた。
伝わってきたのは、
明治の時代に、
その美術学校ができた頃に、
イタリアから、
美術教師が招かれて、フォンタネジ。
それで、
その時に教材として一緒に石膏像がもたらされた。
それが最初。
もちろん、アリアスだけじゃなかったと思うんですけど。
ということは、フォンタネジが、
わりと外国人の人が日本に来て教える教材としてきたってことは、
イタリアでもこれが教材として使われているんだ。
ヨーロッパでも使われていた。
教材と美術教育の方法とかも、
一緒に日本に伝達してきた。
じゃあ、日本に限らず、
この像はヨーロッパの美大生たちにも同じみたいな。
そういうことです。
しかも、難易度が高い。
難易度が高いという話。
これが今回、似てきているんですね。
そうですね。
それを見ることで、
しかも、カピトリーノという場所自体、
それよりさらに古くさかのぼると、
1870年に岩倉施設団が、
カピトリーノ美術館に訪れるという歴史もあるので、
その時は本格的な美術館の視察ということで、
訪れているわけなんですけれど。
岩倉施設団も、
このイオニサス像も見ていますし、
カピトリーノのビーナスも見ているということですね。
そうでしょうね。
おそらく日本人で初めて、
カピトリーノ美術館に訪れた人の可能性が高いですよね。
ローマを訪れたというと、
もっと他の古い施設団にさかのぼるんですけど、
美術館ができた後に、
そこに入ったということでいうと、
岩倉施設団が一番古い。
ということは、日本人が初めて行った美術館は、
カピトリーノ美術館である可能性が高いということですね。
そうですよね。
日本には美術館がないわけですし。
日本の美術館を作るために視察をしているので、
実際にできたのが1734年だから、
だいたいその100年、
その間にどこかにできていて、
そこに行っていれば始まったじゃないか。
日本人が行った初めての美術館かどうかは、
ちょっとわからないですけど。
でも公式な記録で考えたら、
たぶん間違いだそうですよね。
古い最初期に見えますよね。
しかも美術館も視察できたんですね。
いろんな視察をしていたわけですけど。
そうですね。いろんな視察のうちの一つ。
それの報告書とかも残っていますよね。
でも結局それなのに、日本には美術館ができなかったんですよね。
すぐにはできないかもしれないですね。
あとは美術館だけじゃなくて、
美術教育とかそういったところを見ていたと思いますけど、
そのまますぐにはできなかった。
確かに。
あと個人的にちょっと話が変わっちゃうんですけど、
僕が推したい彫刻はローバソンです。
ローバソンですね。
あれは衝撃的な。
面白いですよね、この作品は。
これも2世紀のと言っていましたよね。
2世紀ですね。
キャプションが書いてあって、
もともとは巫女と考えられていたけど、
いろいろと考えた結果、ただのローバであった。
そんなに言ったらないとは思いましたけど。
もともとは同じ感じがしますよね。
単なるローバだった。
これも頭部が16世紀の後付けされた説明なんですけど、
確かに頭部がすごいローバの表情が出ているんですが、
それを除いて体の部分だけ見ても、
やっぱりこの張りっていうか、
それこそカピトリのビーナスとの比較っていうことでも、
今回これは出品作品に入れたっていうこともあって、
このリアルな重力に向けている。
ローバの体。
そうですね。
肌の感じとか、
あと洋服から浮き出ている肌の感じとかっていうのが、
すごいリアル。
そういう眼差しも古代に、
ただ理想化した像ばかりではなくて、
いろんな多様性がある。
どういう需要があったんでしょうね、確かに。
カピトリのビーナスがある理由は何となくわかるじゃないですか。
ローバって言葉を選びますけど。
そうですよね。
リアルにっていうよりも、
さっきミコとかそういう話がありましたけど、
当時作られるとしたら、
そういう信仰に関係した場所とかに、
設置されることが多いわけですけどね。
でもなんでミコの像と考えられたのが、ただのローバであるので、
何がきっかけで、これはミコじゃないってなったんですか。
じゃないっていうふうに断定はできないと思うんですけど、
なかなか結びつける根拠はないですよね。
まつがる情報が多分少ないってことだと思うんですけれど、
かなり物として結構厚みがないっていうか、
すごい薄い彫刻ですよね。
だから設置される場所とかも、
あんまり丸彫りが設置される場所ではなくて、
壁際とかに設置されてたのかなっていう感じはしますけれど、
だから絵が何かっていうのはわかんないですね。
だって実際展示も背中側が見えないような感じの角っこに展示してありますからね。
カピヨイの皆さん360度見てくださいっていう展示なんだけど。
そうですね。それは色んな事情もあってなんですけど、
どんな風に展示されたのか、どんな需要でっていうのは、
すごい興味深いところですけど、
実際のところはあんまり明確なことはわかんないと思っています。
ちなみにもう話、そろそろ終わりの時間が近づいてきて、
ウルバヌス発祥の肖像
今日ずっと彫刻の話ばっかりしちゃったんですけど、絵画も出すんですよね。
本当はそこがミソで、やっぱり古代の彫刻の印象が強いと思うんですけど、
今日は近代の絵画になって、後半は絵画、版画。
その中でも特にこれは見てほしいとかがあれば。
特にですね、私の一押しはウルバヌス発祥の肖像ですね。
ウルバヌス発祥、今日色んな人が出てくる。
そうですね、ちょっと一時的に名前、この版画もいいんですけど。
じゃあ二ついきますか。
一つはこのウルバヌス発祥は、ゲートルラポルトーナという、
ローマのバロックの中に描いた胸口の肖像画ですね。
2メートルくらいあって、結構迫力が多いんですけど。
こういう胸口の肖像画って、脈々とあるものなので伝統的なものではあるんですけど、
ほとんど等身大で描かれていて、等身大よりはちょっと小さいけど、
こういう質感の表現とかっていうのもすごく見事ですし、
この画家はローマのバロックを代表する画家でもあるし、
胸口もヴェルニーとか、これ等の重要なパトロンだったりしたので、
すごいローマらしい作品なのでおすすめです。
これは絵画のコレクションの中でも結構名品の一つ。
そうですね、大事な名品の一つだと思います。
カンピドリオ広場の眺め
そしてもう一つは、
ユペラックという人のカンピドリオ広場の眺めという本があって、
これは作品としてもいい作品です。
図録の表紙にもなっている作品です。
全然気づいていなかったんですか。
こういうちょっとシックなものを表紙にしたんですけど。
何でまたこれが目玉というか。
カピトリンの様子をよく表す作品なので。
これはカピトリンの美術館の外観なのですか。
そうです、外観なんです。
17世紀当時の様子で、
これは広場が16世紀当時の様子なんですけど、
広場の両脇にあるのがカピトリンの美術館で、
正面は視聴者。
この広場を整えたのがミキランゼロだったんですね。
ここにミキランゼロが関係しているというのが、
この場所のすごい面白いところで。
もともとこことこの建物が2つしかなかったところに、
ミキランゼロが広場を整備していると教皇に頼まれて、
ルネッサンスは左右対称。
近世の取れた空間というのが重要なので、
向かい側に全く同じ建物を建てて、
この2つは壊さないし、
今でいうとリノベーションみたいな感じで、
その位置も直角には立っていないわけです。
その角度も活かして、こっちも斜めに建てることで、
広場が台形になった。
遠近法でこう見えているのではなくて、
実際の場所も3つの建物が90度、90度、90度になっていないんですね。
そうなんですよ。
ちょっと端向かいになっている。
さらに向こう側にはフォロロマーノという古代の遺跡があって、
こっち側に階段があって、
こっちは正面を向いたわけなんですけど、
この広場は広場というか、カピトリーノの場所が、
もともとはちょっとややこしいんですけど、
この奥の視聴者になっている建物が、
土台はフォロロマーノの中にある古代の遺跡を土台にして建てられているんですね。
遺跡の上に建っているんですか?
遺跡の上に建っているんです。
増築しているということですか?
そういうことですね。
だから、この建物はもともとフォロロマーノに属する建物だったんですけれども、
フォロロマーノというのはいつぐらいの時代ですか?
フォロロマーノは古代ローマの外戦門があったりとか、
古代ローマの中心地だったので、ローマ時代遺跡なんだ。
そこに属する建物だったんだけど、
そうやって正面をはっきりさせて広場がこっち側を向くように、
ミゲランジェルはそういう設計にしたわけですよね。
今まで言うと歌舞伎座みたいな感じですか?
歌舞伎座の建物の上にビルができているじゃないですか。
あんなイメージってことですね。
最近ので増築しましたよというのがわかるようになっている。
そういうことですね。
だから反対側から見るとそれがよくわかるんですけど、
こっちの広場側から見るとここだけしかわかる。
ほら、丘になっているから。
下の部分が古代の土台なんだ。
「永遠の都ローマ展」の特徴
だから増築の歴史も面白いですし、
ここの場所だから古代ではなくて、
こっち側を向けたことで、この広場をずっと延長すると、
そこにバチカンにつながっているわけです。
軸が通っている。
だから軸をバチカンに向けて、
ここの場所を教皇庁と結びつけたというのが、
このミケランジェロの素晴らしい巧みなんです。
建築家ミケランジェロの仕事が見えるんですね。
彫刻家ではない。
そうなんですね。
その既存の歴史をちゃんと踏まえて、
それでこの整備を頼んだのは教皇だったので、
そういうところに巧みに応えられた。
さすがミエスタンスの巨匠です。
それでミケランジェロの肖像館も展示してあったんですね。
そうなんですね。
やっぱり壮大な歴史なんですね。
そうですね。
ローマの歴史でもあるし、
バチカンの歴史とも結びついているので、
いろいろお楽しみのポイントがあると思います。
そもそもイタリア美術展が結構久々だったなという印象もあったんですよ。
結構やってなかったんですよね。
そうですね。
やっぱりコロナということもありましたし、
ここでもなかったですね。
そうですよね。
カラバッジョ展やティッツィアーノ展とかいろいろあったけど、
ここは美術館としても久々のイタリア美術展が。
そうですね。
ティッツィアーノとベニツヤ派展以来ですかね。
もう6年くらい前ですね。
そうですね。
だいぶ気づけば。
でも他にもあまり最近は見ないですね。
見てなかったです。
そういう意味でも、コロナで一番最初にダメージを受けたのはイタリアだったから、
この展覧会ができるようになったというのは、
少し世の中が収まったのかなという証な気もしますよね。
そうかもしれないですね。
見れてよかったです。
改めてですけど、この展覧会はいつまで告知をしていただけたらと思いますか。
展覧会は12月10日までです。
巡回展の情報
そして巡回が。
巡回が高架市美術館で、
2022年1月5日から3月10日。
そっちでしか見れないカラバッチョもあると。
両方見ていただくのがいいですね。
そうですね。
ぜひ早く来てください。
はい。
ぜひ来る前にということで。
そうですね。
次回は小林さんの経歴を交えつつ、
美術についての話を続けていきたいと思います。
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