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はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドギャスト番組です。
今回は前回に引き続き、アクセサリーミュージアムの田中元子館長をゲストにトークをしていきたいと思います。
よろしくお願いします。どうでした、前半やってみて。
えー、もうとにさん相手だから、めちゃくちゃ喋っちゃいましたよね。
いやいや、後半もめちゃくちゃ喋っていただければと思います。
前半でもちらっと言ったんですけど、今僕らがちょうど収録している場所がショップの空間からということなんですけど、
これショップでもあるけど、ここでアクセサリー教室みたいなのもやってらっしゃるんですよね。
そうですね、正しいね。ネットやなんかでいろんな技術を言ってるんですけど、
うちは戦後すぐ始めた時からネックレスを作ってたんで、
うちの母が考えたのが、最初に手ぐすを使うという技術はうちの母が考えたんだと思う。
それまでは何を使ってたんですか。
絹糸使ってました。それでそのスワロスキーというのを輸入して売っていたんで、
中が見える、シルクの糸が透き通ってて、それが母は嫌で、
父が釣り狂いしてたんで、釣り糸の結び方を教わって、最初に手ぐすでネックレスを作って伊勢丹とかで売ってたんです。
で、私、後から同業者の人に、あなた、うちが手ぐすを最初に使ってたの知ってたって聞いたんですよ。
だから知ってましたよっていう。
でも業界では有名だ。
で、なんで真似しなかったのって聞いたら、その頃の手ぐすは性能が悪かったって言ってました。
手ぐすの切れやすかったんじゃないんですか。
切り抜いたのが良かった。
良かったって彼は思った。
でもうちは一度もそれでトラブルは起こさなかった。
で、その手ぐすのが透明だからやっぱり仕上がりも。
透明のキラキラ光った玉に、綺麗に見えないほうが綺麗じゃないですか。
中に白い糸が通ってるような。
それで母は最初にそれを採用したんです。
ですから独特、釣り独特の結び方をうちは教えてます。
で、ここで実際作ること、その教室ではネックレスを作ることができる。
1回目の教室、1回目の生徒さんはスティール糸を止める勉強の仕方をして、
2回目は手ぐすの糸を止める勉強して、3回目は金属ピンを曲げるっていう技術どんどん進化。
基本をきっちり教えて、どうしたら綺麗に見えるかを教えていくんです。
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それ学ばれに来られる方は一般の方なんですか。職人さんというかどういう人が来るんですか。
うちセミプロとかプロも来てるんですけど、
でもほとんど好きな人、やってみたいと思ったっていう方が来て、
もう続く人は100回とか50回とか来てますけど。
なんか行ったことないからあれなんですけど、なんかイメージだとアクセサリー教室みたいなと言ってたら、
なんかキットみたいなのがあって、そのキットでじゃあ作ってみたくなると思うんですけど、
ここはどういう感じでやるんですか。
うちは基本8回までのサンプルがあって、まず何の色が作りたいって聞くんです。
自分で緑なら緑のボックスを選んで、
そしてそれを作り、自分で玉を選んで、自分で組み立てるんです。
そしてなおかつ自分がこのパーツがあって、それを買いたければ買って足してもいいんです。
いやそう、とんでもない量のパーツが今ありますけど、
これはじゃあ教室で作る時にここから買って選んでもいいってことなんですか。
いいということです。
このたくさんのパーツはなんでこんなにあるんですか、パーツが。
私ネックレス作るの好きなんで、親の代からずっとネックレスをデザインするために、
これは非常に親しいパーツなんです。
これは前半に出てきた館長の個人コレクションとはまた別、展示品のコレクションとはまた別の。
別の趣味ですね。
本当にいろんなパーツがあるんですけど、日本だけじゃないってことですか。
そうですね、ヴィンテージのパーツでチョコスロバキアとかドイツの玉とか、そんなものもあります。
それこそ前に来た時に館長が、スワロフスキーの話になったらすごい良いの見せてあげるって言われて、
当時の貴重なスワロフスキーを見せてもらって。
そうですね、まだスワロフスキーを日本が知られてない頃に、
うちの両親がとても美しいということで輸入してたんです。
その頃は船で入れてたんで、少量入れられないんです。
たくさん注文しなきゃ。
ロッドがもうでかくなる。
それでたくさん、一気に量を買って、それを各デパートに作ってはおろしてたんです。
当時はスワロフスキーのですよって言ってたんですか。ただ綺麗なパーツみたいな感じだった。
いや、スワロフスキーって言ってました。
その頃、今本当に最近スワロフスキーのレベル、シールっていうのは見ないんですけど、
うちがあんまりスワロフスキーを買うんで、スワロフスキーから2000枚スワロフスキーのタグが来たんです。
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本物だってわかるように。
わかるように。スワロフスキーとしてはいい宣伝材料だったんじゃないですか。
今でこそ、まあ僕でも知ってるレベルですけど、何十年前はまだみんな。
知らなくて、ただ美しいガラスのカット。
で、もともとは多分、よくはわからないですけど、もともとはボヘミアでカット石とか硬石っていうのは作られてた。
多分スワロフスキーはそこから出た人じゃないかと思う。
ただ、大量生産をする方法を彼は考えついた。
で、美しく作った。
当時はボヘミアガラスに比べたら安価というか、よりは安く買えたものでは?
高い。
当時からやっぱ高かった?
技術的に言うと。
でもボヘミアからいろんな人がドイツへ逃げたの。
いろいろ正常不安があって、ボヘミアの産地からドイツへ逃げた人とかオーストリーから逃げた人とかいろいろいて、スワロフスキーはチロルに行ったんです。
そういう意味で、あの辺って地続きですから、ちょっと50キロも逃げれば隣の国に行ったんですよね。
ですから、私が買い付けに行ったのもそういう大きな村に、買い付けに行くんです。
何で知ったんですか、ご両親もスワロフスキーという存在を。
それはね、藤田商店さんという、今マクドナルドをやった。
藤田店さん。
そうです。のところにいた女性と、うちの父が友達だったんで、彼女が教えてくれたんです。
すごい話だ。
そうです。彼女はいいとこのお嬢さんで、藤田さんにお買い物行ってるうちに社員になってしまったという不思議な人なんですけど、それでうちの父に知り合いだったんですね。
だもんで、こんな綺麗なものがあるよって。両親もスワロフスキーがそんなだって知らないけど、とりあえず綺麗で欲しいって、そういう感じでした。
へー、それ仕入れて。
だから船で取って、自分たちでネックレス作って、誰も持ってないから売れてたんです。
それがミニスカートブームになって、私がデザインするようになって、急にヤング化したんです。
あ、彼女はデザイナーの時期もある。
私、そうですね、18で会社に親がどうしても後ついてくれって言うから、嫌々入って。
あ、じゃあその時は別にアクセサリーの道はそんなに興味なかった。
あんまり。農業したかったから。
農業したかったんですか。
それだけど、親が頼むって言うから、美術学校受けたんだけど起こって、だって勉強してないんだもんね、しょうがないですよね。
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目標は農業だったんですか、彼女の若い時の。
私はもう農業か牧畜行きたかった。
だけど親はもう、そういう学校行きたかったんだって言ったら出さないっていう費用。
そっちのお金。
美術学校なら出してやるって言ったんだけど、その頃ってみんな美術学校行く人は画家さんになる人で、私のデッサン力ではそこをこっちに返した。
別にそんなにやりたかったわけでもないしっていう。
それでやりたくなくて、仕事はちゃんとしてたんですけど、まあねっていう感じだったんですけど、ある日、大体手作り、普通の女性は手作りの白いブラウス着て、下は綿のギャザースカート履いて、みんな手作りだったんですよね。
その当時。
その当時は。
世紀何十年代ぐらい、70年代、60年代。
60年代ぐらい。
お金持ちはちゃんとデザイナーさんにオーダーして、オーダー服で、デパートに生地が置いてあって、そこ端にデザイナーさんいて、そこで生地選んでっていう時代。
デザイナーさんが当時いたんですか。
いるんです、デパートに。
じゃあ布持ってってこういうの作ってくれって、そこで言う、デザイナーさんと相談して。
デパートで買って、そうでした。うちの母がそれをよく知ってて、松坂屋に5匹のデザイナーさんいました。
その他に銀座にもデザイナーさんいて、生地とデザイナーさんいて、そこでオーダーとかしてました。
でも当然それはもう高級だからやっぱり一般の人はなかなかそこで。
型紙買って、生地買って作ってて。
それでその白いブラウスと、ガラモンのスカート履いてて、白いブラウスになんかポイントがあったらいいなと思って、
その父にこんな造花がポイントで付けたら可愛いかもって言ったら。
ブラウスに。
ブラウスに。
普段あまり乗り気じゃない娘がそんなこと言ったんで、父は大喜びですぐ造花屋さんに連れてってくれて、
それで造花屋さんと相談して、デザイン自分でつたない絵を描いて、2種類作ったんですよ。
そして特別オーダーだから父も気張って300個ぐらい作ったんですよ。
1個につき。
その頃の注文ってサンダースとかそういう感じなんですけど。
サンダース36個ぐらい。
36個ぐらい注文すれば受けてくれた。
だけど新しい型作ってそんなことするのは悪いと思ったんで300個ぐらい決まって作ったんです。
だから売れなかったら300個在庫になっちゃったわけですよね。
でも次の日銀座の3iさんにまだ今のドリーブンビルがない頃にお店があったんですよファッションストアが。
12:00
そこへ5個ぐらい注文午前中にしたらすぐ次の持ってこい。
もう売れちゃって。
ちなみに造花は何の花にしたの。
革の造花です。革で赤と茶色とマーガレットと普通の花と2種類作ったの。
それでそれ売れるかどうかもわかんないけど自分はいいと思って。
じゃあ店の営業が納品してそして伊勢丹さんにも納品させてもらったらやっぱりすぐ売れて。
それはやっぱり若い人が飛びついた。
そうですね銀座で3iって言ったら若い人ですから。
今でいうマルキューみたいな感じだった存在としては。
そうですね。もっとおとなしいもんでしたけどね。300個はすぐ売れちゃったんですよ。
3iのだからデビュー戦でそんなに。
偶然のあたりです。
そうなるとなんかねちょっと気になってやる気が出てくるもんね。
それは一発目から。
そうそれでたまたまね母がねまたねハイヒールでねデパート歩いてて腕を負って大怪我しちゃったんですよ。
それで私がデザイナーの代わりになってしまったわけですよ。
それまでお母様がやってたんですか。
やってたんです。私は手伝い程度だったんですけどその母が怪我してちょっとダメになっちゃったんで。
私が代わりになるようになってからその若い方へ向いてたんですよね。
それまではじゃあそのご両親がした時はヤング向けというよりもうちょっと上の層向けの握手されつくさ。
でもね父はねあの銀座の店に勤めてて若い銀座銀ぶらしながらお買い物してくれた人が結婚すると来なくなって。
しばらくすると修理品持ってくるようになるんで結婚するとお金がほら昔はいいとこ行くお嬢様はお母様がお金握ってるからねお金がないから修理品持ってくるようになる。
それで父は若い人に物を売らないとダメだと思ったんで。
スタートから若いことは思ったんですけどそうそうお客さんがいるわけじゃないじゃないですか。若い人お金がないから。
それなもんでまあいろいろは作ってたんですけどそこの私がヒット飛ばしてから急に若い人に向けてそういう若いショップたまたま鈴屋さんっていうチェーン店があったんですよファッション。
そういうところに話が来るようになってどんどん若い人向けのショップが。
お仕事の業種としてはショップなんですけども宝石。
卸業です。みんな作って各店に卸してました。
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買う人はなんとかのブランドで買ってるってことなんですか。
いやファッションだけです。うちブランドつけてなかったから。
もうアンアンに乗ったあれが欲しいですからアンアンさんに貸し出ししてつけてもらう。
そうすると会社の名前が出てそのつけたあれが写真が載るんです。
そうすると私1回札幌行ったことがあるんです。
東京だとやっぱりちょっと自分なりに消化しておしゃれするんですけどその頃の札幌はアンアンの写真そっくりの顔した人が歩いてるんでね私はびっくりしてしまいました。
もうだからもうその通りにカタログのような感じ。
そうです70年代は。
おしゃれたこういうものだと思ってまずそこから。
そうでねやっぱりね札幌までチェーン店だと種類が少ないからそうなっちゃうんです。
東京は競争激しくていっぱいお店がありますでしょ。
色々と選べるけどっていう。そういう意味です。
館長は2代目に渡るってことですか。
そうですね。
これを新が作った会社の2代目。
でうちの旦那さんはオムコさんに来たんですけどだんだんやっぱりヨーロッパ行ってるうちにその面白くなってきてで2人でネタをいじりまわしてやって当たるとそれはやっぱ嬉しいですよね。
そんなこんなで主人も一生懸命やってるうちに10人の会社が100人ぐらい。
その時にこれが一番当たったなじゃないけどこれうちが作ったやつですよっていうので言うと代表作って言うと。
代表作でもないけどすごく売れたのはスマイルバッジです。
あの黄色いスマイルバッジ。
笑ってんの。
あれは館長の発は。
違いますアメリカです。
アメリカ。
でも私すごく早くそれを見たんです。
向こうで。
でこれはいけると思ってまだ日本で本当に出てない時に作って売り出したんです。
1980年代ぐらいですか何年ぐらい。
70年。
70年ヒッピーブームと。
ヒッピーブームの前ですね。
それで10万個ぐらい売りました。
あの黄色いバッジだけで。
あの黄色いバッジだけで。
あのバッジが。
それで。
70万。
10万個。
10万個。
10万個それは大ヒットです。
大ヒットですね。
売れてねコスチュームジェリーで売れて300売れたら売れた方です。
それから。
とんでもないですね300が売れたって言うと10万って言ったらもう。
大大ベストセラーみたいな。
でも一個300円から500円ですからね。
でも大ヒットで。
それからうちが最初に10万個売ってもう私やめちゃったんです。
18:05
次の流行があるから。
もう飽きちゃった。
それから後からいっぱい出て今はまだ洋服のプリントとかスマイルやってますよね。
ですからそれは続いてるんですけどファッション屋としてはもう終わったんです。
もう次の。
そうですそうです。
そういう意味でスマイルバッジは思い出深い商品ですし。
それからヒッピールックの時に男の人も女の人もみんなコスチュームジェリーつけたんです。
それも木玉とか。
それからビーズとか。
それでビーズはもうすぐ売ってましたからデザインして男色の人に作らせて。
木玉は木玉と思ったんですけどノレン屋さんに電話をして木の玉ありませんかって言って。
それでありますよって言って色付いたのもあるって聞いて。
じゃあそれを何ミリのいくつって買って何色で作って。
1から木玉作んないでもいいんですね。
どこがあるか考えたらソロバン屋さんとノレン屋さんなんですよ。
なるほどなるほど。
ソロバンの玉は高いんですよ。
利益だから。
ノレンは安いんです。
それはじゃあアクセサリーに使おうと思ったと思います。
それで作って売ったらチェーン店でもうダンボールで導進しましたよ。
すごくいいですね。
やっぱりその一時代気づいたんですねそれが。
ヒッピールックっていうのはね。
男の人も女の人もビーズのネックレスと木の玉のネックレス。
ウッドストックとかそういう頃です。
その頃は館長も旦那さんもそういう恰好してたんですか。
そうですね。
うちの旦那さんも似合うは似合わないは別にしてヒッピールックなの。
白っぽい浅原翔子さんみたいな恰好してた。
名前出して。
そうです。
あれヒッピールックなのよ。
あれヒッピールックなんですね。
まあまあまあヒッピールック。
やっぱりそれは向こうのアメリカでまず一回見て、
これは日本でも流行るなって思ったって感じですか流れとしては。
そうですね。もう勘ですよね。
ですから最初オーダーして500ぐらい作ってダメならダメなんですよファッションは。
そしたら諦めて次に進んでいく。
いくつか並んで進んでるもんでそのうちの一つですからね。
で300台したらすぐ売れたんでもうそれは大変な騒ぎでした。
デパーさん同士で向かい合っててこっちのうちに無かったらお前あっちで買ってこいって言われました。
21:05
あー。
あっちのうちにあるから買ってこいって言われました。
へー。
そのくらい売屋さんも激しかったし力を入れてたしあれだけどそういうことに皆さん熱中してくれましたね。
やっぱりやれば当たるっていうのが皆さんも面白かったんじゃないですか。
今はやっぱりなかなか大当たりっていうのは難しい時代ですよね。
でもじゃ感情これまでざっくりどれぐらいデザインしたな作品の商品作ったなっていったら何種類じゃ聞かないもう何百種類。
何万ですよね。
っていうのは部下に最終的には部下にデザイナーがついてサンプル渡して今飾ってあるようなサンプル渡して
これはどこそこさんのデパートが別注でやりたいって言ってるからデザインお越ししてとかって
そのデザイナー別に得意なものを分けて出させて私が最終的にここ直してとかこれいいねとかって言ったりして
みんなで相談して企画してましたから。
その時はアンアンとかの雑誌とかとはどういう関係性だったんですか。
アンアンさんとか野野さんはうちは在庫持ってたんです。
普通はオーダーですよね。大した量持たないけどうちは結構大量に全国のチェーン店やなんかにも売る
デパート全国のデパート全部やってるから在庫持ってたから雑誌のデザイナーさんが来ればすぐ貸し出しした。
手元にあったんですか。文句を言わずにどんどん貸し出ししたから
そういう意味でアンアンとか野野とかいろんな雑誌はうちのものを使ってくれました。
だから見てた人たちがここに来るとあれがあるなってなったりもするってことですね。ミュージアムに来て。
そうですね。結構お年の方が懐かしいものがありますとか。だから一回80年代っていうのをやったことなんです。
それはね結構10年の方にやってやったって言ってました。そうで来たとかって嬉しがってました。
やっぱりそういう一時代を感じられるってことですよね。そこに来るとね。
そうですね。80年代のイケイケとか。
かねちゃんその時はもうイケイケだったんですか。
もう結構年でした。80年代。
その時は。
でもそんな格好してましたね。一応ちょっとファッション屋である以上はあんまり外れた格好は。
24:00
あと館長の前半でもちょっと出たんですけど海外に買い付け行ってたっていう時の話もちょっと聞きたいなと思うんですけど。
それこそ今びっくりしたけどその前半で。たくさん買えなかった。上限があるっていう。
そういう時代の時に買ってどうやって持って帰ってくるんですか。
ドイツとかオーストリーのところはメーカーさんがずっと村になってるんですよ。
こっちの家はガラスやってるこっちの家はメタリックやっててそれからデザインしたものも売ってるっていうんで。
ある工場行って床にブローチが落ちてたんですよ。
そしたら拾い上げてみたらすごい素敵なデザインだったんでこれ欲しいんだけどって言ったらそれはパリの有名デザイナーのものだから売れないって言われました。
だからパリのデザイナーさんはオーストリーとかドイツにみんなオーダーしてた。
だから私パリの最近でもパリのデザイナーさんのコスチュームジェリー見るとあの工場だなって分かる時があります。
まだやってんだとかと思います。
技術で分かる?
パーツで分かる。
ですからそのいっぱいある中でその間に立つ送ってくれる人が選んだ工場を回るわけです。
1室に10畳ぐらいの全部引き出しになっててサンプルが全部引き出しに入ってるんです。
でそれの中端から引き出し見ていくんです。
で値段聞いてここのうちは買える。
高級すぎて買えない。
買えないとごめんなさいして買える。
でいけそうなプライスだと必要なサンプルだけ全部テーブルの上に出すわけ。
それから主人と相談してこれ最低ね240個は出さないと。
初め120個って言ったら少ないって言われてすごく困ったんですけど
一緒に行ったその間に立ってくれた人があなたね遠い日本から来てね買いに来たんだから作ってあげなさいって向こうの人説得してくれた。
その初め当たり始めだって分からないから120個ぐらいしか買えなかったんです。
でもそうやって説得してくれてだんだん売れるようになって240とか300とか買えるようになったんですけど
そういう引き出しから全部サンプル出して全部ナンバー付けて発注する。
27:00
で大体頭の中でいくらぐらい買ったかなっていうのを考えてやめるんですけど
それでうちホテル帰って夜は計算です。いくら買い付けたか。
大体持ってく予算ってあるじゃないですか。それで計算してもうちょい行かなきゃダメみたいな。
その時に昔18万でしたっけ条件が。それは仕事で買うサンプルのお金だけなんですか。
それともお土産買ってきたい個人的にって言ってもそれもトータルで。
トータルでっていうのはシッパーさんっていうのがいてその仕事の会社その人が向こうの付き添いのドイツの人がまとめて
ちゃんと輸出業者にして輸入業者入れてくれるわけ。
最終的にみんな払って間の費用を払って日本で正規に輸入します。
っていう時代があった。今もそういう。今も大きくやってるんだったらそうだと思いますよ。
でその18万っていうのは自分がお昼食べたりそれからホテル代は日本から払えたんです。
原地生産じゃなくて。遅れたんです。その代わりすごい良いホテルで。
日本で知ってるとても高価なホテルに初めは泊まれたんです。
そんなホテル旅行者が知らないからちっちゃい安いホテルが。だんだん安いところが開発できたんですけど。
とにかく日本からお金を送ってもらって向こうの生活費だけが2人分の36万。
お土産なんて買えないですよね。円が360円の時代ですから。
18万たってドルにしたら大したことない。
そっかそっか。食事もあんまりいいの食べれないですか。
そうです。で向こうの人がおごってくれたりするとすごく。夜呼んでくれたりするとすごく。
確かに確かに。
そうです。とてもみなさん大事にしてお家呼んでくれて。
それで私たちはインテリアとかそれから彼らの暮らしぶりとかがよく分かりました。
なるほどなるほど。
それでとても勉強になってこの家建てる時に彼らのシステムを入れました。
そういうのも反映されてたんですね。
そうですね。
1年でどれくらい行ってたんですか。
1年2回は行ってました。
それからアメリカに行って流行を見るサンプルを買うっていうので1年2回。
2月は買い付けに行って5月分と9月分の買い付けして秋はパリとミラノとロンドン行って何が流行ってるかチェックです。
30:04
その何が流行ってるというのはどこに見に行けば分かるんですか。最先端の場所があるんですか。それとも結構町を散策する感じですか。
町を1週間ぐらい行っててほぼ毎日歩いてます。
初めのうちはね、面白いからよく夜遊びに行ってたんですよ。
パリの有名どころ。しかしちゃんと仕事するようになったら夜は見に来たものを全部ノートに書いて考えをまとめて、
次の日行くところ、前の日のことは前の日、次違う街行くから違うことが見られるんですよ。
で、比べてどれが流行るみたいなんです。ですからサントノーレ会は今日は行く、今日はこっち側の高級品街を行くとか、そういうふうに歩き回ってる。
見えてくるんですか、これが流行ってるなっていうのは。
見えてきた。その頃は。今でも多分流行ってるものはちゃんと店頭にあると思う。
それは今は日本の方が早いこともあるんです。
流行が逆にこっちが。
そういうこともあります。
それはかんちゃんいまだに職業部じゃないですけど、街中とか歩いててもこれ今流行ってるなとかって夢で見ちゃったりするんですか。
私3ヶ月一度は渋谷の街歩いてマルキュー行きます。
それは流行を見るために。
そう、面白いから。見るために。今、巷で何が流行って何かなっていうのは非常に興味があるから。それで行って写真撮ってきたりしますよ。
前半でカラーコンタクトの話がありましたけど、他になんかかんちゃんここ最近気づいたなって渋谷の流行。
マルキューね。若い人は今ミニスカート行ってるなと思いました。こんな寒いのにこんな短いスカート。
だから流行な。
流行だと思います。
これ流行って結局何で起きるものだと思うんですか。
今先ほども話したんですけど、方々でいろんな流行が起きているって言ってますよね。
ですから一概には決められないんですけど、好きな人は好きでやっぱりやってるんですよね。
だからラフォーレ行けばあるじゃないですか。ロリータルックとか。あれはそういう族がいるんですよ。
ですからずっとその売り場存続してるわけですよ。でもマルキューの場合全員同じような動きするんですよ。
だからなんとなくショップがみんなテイストが似てると、マルキューの方が。確かにラフォーレが細分化されてますので、上の階はこういう階でみたいな。
そういう意味でね。あとやっぱりデパートがぷらりとしたりします。
33:05
これ館長に聞いていいのかなと思いながらあれなんですけど、個人的にすごい疑問に思ってるファッションで言うと、
それこそ昔は男性でもヒッピーブームとか、フォークソングの時には髪伸ばすとかあったじゃないですか。
今ってほぼ男性ってファッションあんま流行ない気がするんですよ。みんながこの格好してるみたいな。
女性に比べて多分男性の方があんまブームがない気がするんです。それは男女差ってあるもんだと思う。
でも男の人は最近化粧品つけるようになったし、パンもかける人もいるし、ロン毛もいるし、格好だけではなくて、やっぱりやってることはやってると思います。
じゃあ変わらないんですか。年代だとか男女だとかで。
そうですね。私、こちらに来てくださる男の方で、4,50の方にネックレスを、チェーンのネックレスをおすすめするんですよ。納得して買ってきてくださる方も多いんですけど。
ショップもあるからそうですね。
それはね、私、男の人がネックレス、今たくさん若い人はつけてますよ。でも4,50の人はあんまりつけてないから。
僕が今42ですけどつけてないですもんね。
それつけることによって、私コミュニケーショングッズだと思ってるの。男の人がそういうチェーンするって。
だからつけることによって、この人って話せる人だなって思ってもらったら、私その人の生活自体はちょっと変わるかなと思って来てくれた男の方にはおすすめしたりするんですよ。
おしゃれをするっていうのは、自分を見せるだけじゃなくて、これによってこういう人だよって知ってもらうっていう部分もあるってことなんですよ。
だからパンツが開いてるとかどうとかって言っても、それってこういう人だなって見るじゃないですか。男の子も女の子も。
ですから自分表現だと思うから、自分の外から見た自分っていうのを見てほしいと思う。
ちなみに僕にじゃあもし勧めるとしたらどういうネックレス。
チェーンのネックレス、そこにある銀色のネックレスを勧める。
銀ですか。
銀。金はちょっとね、男の人だったら行き過ぎだと思う。
ちょっといかついイメージもあるじゃないですか、金って。そうでもないですか。
なんか男の人で金ってつけてるとちょっとこう。
怖い人みたいな。
そう、闇金牛字幕みたいなイメージ。
だからシルバーだとちょっとその。
そうです。そしてちょっと常じゃない柄の、ちょっと変わった編み方のチェーンをおすすめしてます。
結構じゃあそうやってここで相談していく人もいるんです。
そうですね。全く僕は若い人で、僕はアクセサリー知らないんですけど、僕は何つけたらいいでしょうかって来る人もいる。
36:05
アクセサリーのショップの方の取り扱いは何種類くらいあると言ってたら。
だってもう普通にアクセサリーショップ以上にありますもんね。
そうですね。かなりの種類ありますよ。勘定したことないけれど。
これは逆にこのアクセサリーショップで売ってるのは彼女が昔作ったもの。
ヴィンテージです、ヴィンテージ。
とか、あと海外で見つけてきたものもあるってことですか。
それは昔アンティーク屋さんが辞めた時とか在庫を買ったりしてるんです。
そうかそうか、そういうものか。
アクセサリー屋さんも辞めちゃった人が、辞めるからサンプル売るよって言って、私に譲ってくれることがあるんです。
そういう時はもう買ってます。
じゃあもうデッドストックですよね。
本当ここでしか買えないものもいっぱいある。
ここのものはここでしか買えないと思う。
ここはあれなんですよね。しかもショップだけも利用もできる。
そうです、外から入ってくれば。
相談に別に頑張って売るわけでもないんで、どうしたらいい、今流行り何とかって言うと今流行ってるのはこれです。
ほら、真珠ネックレスがすごく流行ったのご存知ですか。
ちょっと前のですか。
ちょっと前。
あれはね、BTSがつけたんで、すごく世界的に広まっちゃった。
それで日本は円が安いので買えなくて、日本は今真珠が少ないんですよ。
安い真珠ね、単製真珠ね。負けて買い負けて。
なるほどなるほど。じゃあこれから来るブームは何ですか。真珠の次は。
次ね、真珠の次、太一円かな。
じゃあ男女問わず。
男女問わず。それから今ちょっと私コスチュームジェリーの流行が来てるような気がする。
で、ブローチってもうね、90年代ぐらいから売れなかったんだけど、ブローチが売れ始めた。
今また、30年、35年ぐらい経ってですか。
ブローチ何気に買ってくる人がいるってことは私ちょっと来てるのかなって。
確かにブローチってここ最近聞いたことない言葉でしたね。そもそもブローチつけてる人見たことない。
でも確かにブローチじゃないかもしれないですけど、結構美術館とかでもピンバッチがミュージアムショップで結構売ってるなと思ってて、ピンバッチは結構見るけどさらに今度ブローチ。
うちピンバッチも置いてるんですけど、それもポチな売れるんですけど、ちょっとブローチがね、動いてるなーっていうのがね、不思議です。
あれ思いません?なんか街中で最近見てると、ぬいぐるみをバッグにつけてる人が、しかもなんか昔はもういかにもオタクな女性だけだったのが、今は結構いい大人でもつけてて。
39:06
本当ですね。
なんかちょっとそれは気になってたんですかね。
あれはね、すごい流行ってます。
やっぱ流行ってます。
流行ってます。もう結構子供じゃないですよね。大人ですよね。そう思います。
そうなんですね。
私はジャンルじゃないから流行ってるなと思ったけど、取り上げないんですけど、流行ってると思います。
あともうこの番組が今3月21日配信ですけど、この頃には落ち着いてるかわかりませんが、なんかぷくぷくシールがすごい、とんでもなく流行ってるって聞きます。
私それ知らないですけど。
なんかもう争奪戦、お母様方が、娘がたぶん欲しいって言い出したんだろうけど、お母さんがちまなこになってぷくぷくシールを。だからこんな時代になってもやっぱりその流行。
トレンドってどこに行くかわからないけどあるんですよね。ぬいぐるみ下げるなんて子供がはじめしてましたよね、子供は。だけどそうなったんだから流行りでいいんですよね。
なんか面白いですね、そういうなんか。
世の中は本当、いろいろ流れていくんですね。いつもそう思って見てます。
それも定点観測するのも楽しいですね、館長的にも。
そうですね、こんなもんみんなやってるのねとか、こんな寒いのにこんなハイソックス履いて、そのマルキューでカラコンとかの売り場を見てははーって。
館長もカラコンつけようかなんないですか。
私、昔金眼だったからコンタクトしてたんです。だからコンタクトの扱い方っていうのは結構難しいんですよ。
だから私あの売り場見た時に、今の若い子こんなコンタクトつけて目悪くしないかしらって。ババ心です。
そっちが心配です。
そうです、心配です。
ちょっと話があれなんですけど、いろんな人に聞いてることなんですけど、いつもだと美術以外で好きなものはありますかって話を聞いてるんですけど、
館長に今回返したら、アクセサリー、これ以外で館長の趣味とかって言うとなんかある?
植物と動物です。
植物、観葉植物的なことですか。
植物は何でもいいんですけど、植物を育てる。それから花を買ってきて生けるという。
でもやっぱりうちにはランの鉢が小さいうちなんですけど、10個ぐらいあった。
それはお祝いでいただいたランの花をうちに持って帰って育ててるんです。
でも、1,4,5年いるのもあって、ちゃんと毎年今頃になってくるとつぼみが出て、ちゃんとうちの中で咲くんです。
それも趣味として。これ昔からでも好きなんですか?農業をやりたいという。
42:03
農業をやりたいんですから、昔から。
そこがすごい気になったんです。何で農業をやりたかったんですか、若いとき。
植物が好きだから。
だから、別荘は庭をちゃんと作ってもらって、全部自分でやってたんです。
別荘はどちらにあったんですか。
芝にあるんですけど、犬シシが来て、壇になった、壇をほじくり返して、全部キュウコも食べられました。
もう悔しい。
せっかく育てようと思ったのに。
いや、ずっとやってたんです。水仙は毒って聞いてたんですよ。
ニラと間違えてみたいなのよくありますよね、水仙の。
そしたら、それも全部食べちゃいました。
もうヒアシンスからグラジオラスからクロッカスから、全部きれいに食べられました。
咲く前に。咲いた後も。
なんていうの、冬は食べ物がないから来るんですよ。
ショックですね。
夏みかんの木は猿に全部食べられちゃって。
ちょっと待って、僕は千葉中心で、千葉ってそんな田舎でしたっけ。
田舎です。
海の前の。
キョンは大丈夫でしたか。
キョンはね、会ったことないです。
まだないですか。
でも、ご近所の人は朝散歩してたらイノシシにぶつかられて大けがをしたと言ってました。
大変ですね。
それは驚きました。
でも、動物が好きだっていう話も今。
でもイノシシは恨みっこ続いてたんですよ。
趣味の動物はどういうことですか。
趣味は馬とか犬とか小鳥とかは。
それから熱帯魚とか全部やりました。
馬ってのは乗馬ですか。
乗馬してました。
あと海水魚から、普通の熱帯魚から全部やりました。
飼ってたってことですか。
飼ってたんです。
海水魚って何を飼うんですか。
海水魚って海水でいるサンゴや何かを追ってピロピロしてますでしょ。
ドンキホーテみたいな感じ。
あんな大きな魚じゃなくてピロピロした綺麗な光るかわいい。
それをグアムと言って捕まえたんですよ。
それで捕まえて、うちには海水の水槽あるから、捕まえては瓶に入れて口を塞いで海水が通るようにしておいて連れて帰ったんです。
で税関で申告したら海水魚はオッケーですって言われたんで、うちの水槽に入れました。
45:00
そしたらやっぱり丈夫なんですよ。
海水魚の方が。
違う、自分で捕ってきたもん。
業者さんの手を経て長く疲れているのと自分で捕ってきたのは息がいい。
それはそうっす、確かに確かに。
そうなんです。
それは育ててたんですか、それで。
ずっとやってました。
もう物好きなんです。
館長だって新しいもの好きですよね。
前聞いたのがそれこそご夫婦で海外行った時に射撃をしたみたいな。
そうですね。
結構早い段階でしたみたいな。
そういう場所があったんでたまたま経験できたんです。
それは改めて教えてもらっていいですか。
主人と中国行ったら射撃場があるっていうんで、主人が乗り気になっちゃいまして、行く行くって車を雇ってその射撃場に行ったわけですね。
その射撃場って、よく戦争してるこういうバズーカをやってたんですよ。
クレー射撃とか。
それもあったんですけど。
バズーカを撃ったって話なんです。
で、私やってみたいって言ったんですよ。
バズーカを。
一つ5万円だって言うんですよ。
一発。
で、私やりたいって言ったら分かったって、主人がやればって言うからやったんですよ。
そしたら50m先ぐらいにレンガの壁が築いてあって、あそこを狙って撃てて、50mぐらいだったかな。
で、肩に担いで。
何歳頃の話ですか、それ。
50歳くらいですね。
50代でバズーカ担いで。
当たりますけど、本物のバズーカですか。
本物。
弾飛んでって、レンガが崩れましたから。
当たりましたよ。
それで、後からテレビでいろいろあるじゃないですか、戦争の場面が。
あれ、私が撃って。
そういう見方してる人初めて見ます。
懐かしいみたいになる。
そういうか。
旦那さんはバズーカはやったんですか。
やらなくて、あの人ピストル撃ってます。
ピストルの方。
かんちゃんはバズーカの方。
私ピストルあんまり興味なかった。
バズーカの方に興味がある。
面白かった。ちょっとやってみた。
一発5万するんですね、バズーカ。
でもそれ、50年ぐらいの時ですから、すごく安かったんですよ。
安かった。今はもっと高くて。
今はきっと、っていうのはその方向射撃場がなくなっちゃってるんですよ。
まあ、そうはそうでしょうね。
だんだん文化が上がってきて、昔は車で行けたんですけど。
それは軍の施設とかじゃなくて、一般の射撃場。
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狩猟とかそういうことをする人が行ってるんじゃないですか。
軍の施設なのかもしれません。
でもバズーカは軍のやつですよね。
そうですよね。
その写真とかあるんですか。
うちはね、することが主でね、写真撮ってないんです。
もったいないですね、バズーカ売ってる写真。
よくね、仕事してる写真ないんですかって聞かれるんですけど、
ヨーロッパの店頭のショップの写真なんて死ぬほどあるんですけど、
自分の写真がない。
撮ってこなかったんですか。
撮ってない。
記念写真的なもの。
記念写真はないんですよ。
今考えるともったいないですね。
そうですね。
仕事してる写真ないんですかって言われるんですけど、ないんです。
死なものに集中しちゃうんで。
お互い撮り合わないんですか、一回ぐらいは。
やっぱり死なもの、そっちがメインなんで。
集中しちゃいますからね。
片方も値段がいくらとかっていうことで、それでいくらになるよとかわっきで言ってるんで。
だからあんまり写真撮るっていう。
そうか、習慣にはならなかった。
ならないですね。でも観光旅行の時は、どこそこ行ったっていうのはあります、多少。
バズーカ歌以外で海外でこんな希少な体験したなっていうのは何かありますか。
これを超えるのはなさそうな気もします。あります?
私、中国史が大好きなんです。
で、高雅に手を浸してみたいと思ったんで、主人に行きたいって言ったんですよ。
そしたら、じゃあ行ってみっかっていう話になって。
近所に行くぐらいの感覚。
だから当時としては中国に行くのも、それまで来なかったからあんまり行けなかったのが、行けるようになった。
親しい旅行者、ほら年中ヨーロッパ行ったりするんで、親しい人がみんな手配してくれて、ツアーっていうのはないんですよ。
それで空港に迎えの人が来て、それが見張り役だったんですね、私たちの言動を。
まだそういう時代。
まだ見張り役の人がついて、までハイヤーで案内してくれるわけです。
それで、敦煌まで行ったんですよ。どうせ行くならと思ってずんずん行っちゃって。
高雅も行きましたけど、敦煌とかいろんな名所をまぐって、それで行くたびに土地のガイドがつくんですよ。
その都度。
で、見張り役はずっとなんです。
それで、カードがまだ出たての頃で、私がお土産買い物して、違うところへフラフラって行ったら、
私の見張り役ガイドが、月切りのガイドが、僕サインしておいたからほらこれってカードと買ったものを勝手にサインしちゃった。
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カードも知らない。その人がサインしなきゃいけないっていうのがわかってない。
今はありえないけど、当時まだカードの分がなかったから。
そうです。で、最終的にずっといろんなとこ回って、青安行ったんです。
青安を見物してたら、例の中国の学生運動になっちゃったんですよ。
豪宅党のあの時の党ですか。天安門事件。
天安門事件になっちゃったんですよ。
北京が。私たちは青安。
そのタイミングでってことですか。
その同じ時期。それでテレビ見ると戦車が映って、学生がこんなことしてるんですよ。
ニュースで見ますよね。ニュース映像。
それで翌日ガイドに、あんた、北京で学生さんが大変なんですって聞いたら、そうだねっていう他人事みたいな返事なんですよ。
それでその後、私たちね、テレビで見て、あ、親に電話したの。
そしたら、お前どこにいるの。
心配ですよね。
大変だろうがって言うの。
それで、早く帰ってこいって言うんで。
で、どっちみち青安も、ある程度見学してから、見てからなっちゃったんで。
バスがブロックされて、パンクして、戦車が来られないようにしてあって。
それで、その青安のガイドさんに、あなた、北京大変なんじゃないのって言ったら、そうだねって。知ってんのって聞いたら、風の頼りで知ってるっていう。
ね、彼は。
それで街行こうやって見ると、こうラジオ、携帯ラジオを持ってる人がいるの。
そしてこうやって、周りに7、8人寄って、みんな聞いてる。
でもガイドは、風の頼りって言ってた。
その人は国で繋がってる人。
だから、言わないわけよ、すべての外人が。
で、結局私たち退散することになって。
帰りはしたんですね、そこからは。
うんとね、そこが、飛行場がクローズされてるから。
どう帰るんですか。
それで、裏側にドアがあるから、裏側から入ろって言うんですよ。
空港の裏側?
空港の裏道があるから。
空港の裏道って、車つかないじゃないですか。
道なんですよ、普通の。
ドランク持って、入ったんですよ。
あの時、あの裏側。
行けって言うから。
それから上海行って、それから帰れなくて、4日ぐらいいたのかな、ホテル。
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ホテルも慌てて、ぼーっと上海に降りたわけですよ。
そしたら、新聞社の人が、ホテルすぐ取らないと、亡くなるよって言われて。
日本系のホテルが取れたんですよ、そのガイドに行ったら。
そして、毎日5日間上海で、市まで動物園行って、餌を。
ただのんきなもんですねって。
禁止行に餌やったりして、知り合いがいるからって言って。
見物できないんですよ。
なぜかって言うと、みんなホテルにも人が来ないのよ。
それからショップも閉まってるのよ。
緊急事態というか。
緊急事態で、すべて止まっちゃったわ。
ホテルに入って寝ることはできるし、食事もなんとかだったんですけど、
街ふらふらできない。ガイドが連れてってくれるとこしか行けなかった。
それでやっと、だって日本の飛行機が来て、
飛行機がアナウンスで、日本の国境を越えましたって言った時に、全員拍手して。
すごい話ですね。
そう、本当。本当の話。
だから行くまではそんなつもりじゃないわけですもんね。向こうでってことですもんね。
ぷらんぷらんしてたんです。
だってそもそもの話は、高賀に手を突っ込みたいだけの話だったんですよね。
それで中国史で見たところへ、読んだところへ行ってみた。
でも敦煌まで行って、西安まで来たからOKだったんです。
運が良かった。
いい話なんですかね。
いやいや、すごい話になってしまいましたけども。
何の話でしたっけ。
感情の勉強を色々とお伺いできたんですけども、
改めて最後に告知。
中国とはまた関係ないですけれども、
告知をよろしくお願いいたします。
今開催中の企画で。
ミリアム・ハスケルをご存知という展示を今しています。
アメリカで一番有名なデザイナーのアンサインドというものを展示しております。
アンサインドというのはデザイナーさんが名前がついてない、
そういうものなんですけど、
ハスケル特有の迫力のあるコスチュームジェリーが展示されています。
日にちは前期が2026年1月13日から4月25日まで、
後期が26年4月28日から7月25日の土曜日までです。
前後期で結構入れ替わるという。
そうですね。70何点入れ替えます。
今回は洋服とミリアム・ハスケルのコスチュームジェリーがセットになって展示してあるところが、
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なかなか両方一緒に展示するとこないんですけど、付けて展示してあります。
さらに、このコレクションを持たれている渡辺真理さんと館長による対談が6月5日に開催予定と。
そうなんです。6時から45分くらい。
これは45分で収まるものなんですか。
怪しいですね。
怪しいですね。そこはもう楽しみに来ていただく。
これはどういう感じで申し込み制なんですか。
予約制になっています。
じゃあ館長の話を聞きたいという方は、ぜひぜひこの6月5日を狙ってみてって感じですね。
よろしくお願いします。
ということで館長、あっという間に後半も終わりましたけれども。
すいません。いろんなこと言っちゃって。
いえいえいえいえ。もういろんな話が飛び出て面白かったです。
また改めて今後も番組に遊びに来ていただけたらと思っております。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
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