1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #404 【ニーチェ雑談】キャリ..
2026-03-11 57:26

#404 【ニーチェ雑談】キャリアと哲学/マルクスとAI/孫氏の兵法

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サマリー

今回の「それ哲ラジオ」は雑談回。前回までのニーチェ特集を振り返り、パーソナリティのハヤトさんがニーチェの思想に触れた当初の感覚と現在での捉え方の変化について語る。学生時代には既存の価値観への息苦しさからニーチェの「自分の足で歩く」という言葉に共感したが、社会経験を経て、その過激な思想をそのまま実践することの難しさや、自由に伴う責任の重さを感じるようになったという。しかし、ニーチェが徹底的に考え抜いた姿勢は、現代を生きる上で自身の価値観を問い直すきっかけを与えてくれると語る。 また、キャリアアドバイザーとしての経験から、相談者の「自分が何をしたいか」という内面的な問いの重要性を説く。社会的な常識や他者の判断に流されず、自身の欲求や価値観の根幹を見つめることの大切さを、ニーチェの思想とも重ね合わせながら解説する。さらに、AIの発展が人間の創造性や感情といった領域を脅かす可能性について触れ、これはマルクスが説いた労働における疎外と構造的に似ているのではないかと考察。AI時代における「人間とは何か」という問いに対し、固定的な人間観に囚われず、変化し続ける状況の中で自身の生き方を模索することの重要性を説く。 次回はマルクス特集を予定しており、彼の思想がAI時代や現代社会を理解する上でどのように役立つのか、そして孫子の兵法における「敵を知り、己を知る」という考え方との関連性についても言及。ニーチェの内面へのフォーカスと、マルクスの外部環境への変革という対比を通して、現代を生きるためのヒントを探求していく。

ニーチェ特集の振り返りと捉え方の変化
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、前回でニーチェ編終了ということで、今回は雑談回やっていきたいと思います。
はい、今回もお疲れ様でした、というところですね。ニーチェ2回目、再登場でしたけども、どうでした?
一回目、二回目、比較してってわけじゃないと思うんですけど、改めて聞いてどんな感じでした?
前回の60何回とかにやってたニーチェをちゃんと覚えてるわけじゃなかったから、何ならもうニーチェは超人ぐらいのキーワードでしか覚えてなかったから、
比較はできないんだけど、単純に二回やってもらうと、機械度が上がっていいねっていう。
確かにちょっと思い出す感覚もあるしね。 そうそう、聞き直す、もちろん聞き直したこともあるんだけど、またそれとは違った入り方が
する気がして、ハヤトの説明もちょっと切り口が違ったりとか、もちろん今回は特にドイツ関連論から積み重ねみたいなのもありで、
繋がりもあり、ショーペンハーバーの繋がりもありだったから、余計染み込みやすかったのかもしれないんだけど、それが単純にありがたかったね。
なるほどね。確かにね、今回結構僕もやっぱり力の入り方が違うなと思ったのが、前回とか第1回やった時はとにかくニーチェのことを伝えなきゃみたいな。
しかも当時はより正しく伝えようみたいな、やっぱり間違ったことを言ってはいけないみたいな気持ちが結構強いタイミングだったから、
もちろん今も正しさとかを大事にはしているんだけれども、どっちかっていうとやっぱり自分の捉えたことも含めてそのヘーゲルからの流れとか、
なんとなくこういうバックグラウンドがある中でニーチェが何をしたからこんなにすごいって言われてるんだよとか、面白いんだよみたいな、
心を伝えたいなって思っているところもあるから、結構その辺が2,3年してやっぱり自分の取り組み方も変わってきたかなとか、そっちを結構僕は感じたんだよね。
あー、はいはいはい。まあ確かにそうだよね。60回というとそれなりの数こなしているように見えるけれども、
まだ多分その、なんだろうな、ハヤトとしての台本作りの方にしろ、このラジオにしろ、まだ型ができる前というか、そういうのがあったのかな? そうだね、試行錯誤して、そうそうそう。
しかもね、ニーチェって自分がその哲学が好きになったきっかけというかね、入り口の人でもあるから、やっぱり結構思い入れもあったから、
はいはいはい。 そう、なんかね、それこそ間違ったことを言ったら、失礼だもあるし、なんかこうね、こうニーチェ好きな人からなんか言われたらどうしようみたいな、別に言われないんだけど、
っていうところもあったなと思うと、なんかやっぱそういう意味ではなんか自分の中でも、やっぱり過去やった人をリバイバル的にやるってすごい良いなと思ったし、
やっぱ何回やっても面白いよねって改めて思った。
やっぱちょっとね、僕の感想になってしまうんだけれども、ニーチェの今回そのね、自分はダイナマイトだ、ハンマーだというところが始まって、やっぱ何を壊したのかみたいな、
ところを結構3回分、4回分くらいこう丁寧に結構やれたかなと思うんですけど、
やっぱり神は死んだってところから始まって、道徳もないし、個人の尊厳ってどこにあるんだみたいなところまで行ったところから浮上するみたいな、
この足の、なんかこの深く潜って浮き上がってくるみたいなところは結構できたのかななんて、ちょっとね、自画自賛っぽくなっちゃうんだけど、
そう思っていて、やっぱそれがすごい楽しかったというか、やっぱニーチェすごいなーっていうのを思ったんですよね。
なるほどなるほど。それと、本編はどうしてもさ、ハヤトによる内容説明が多分多くなるから、
ハヤトの感想とかさ、ハヤトのニーチェの思いみたいなものは多分その、どうしても、なんだろうな、ある意味いらない情報っていらないんだけど。
まあまあね。
言ってると言い過ぎだけど、あんまり語りすぎると、長くなりすぎるからさ、というふうに思うんだけど、
今回改めて台本作ってみてだったりとか、あとハヤト元々多分、いつ?中学校ぐらいの時からもう知ってんのか?ハヤトは。
いや、ちゃんと言ったら大学だけどね。名前とかもちろん知ってはいたけど。
はいはいはい。初めてニーチェに会って、なんとなく感銘を受けたみたいな時の切り口だったり感覚だったりポイント?
はいはい。
と、あと今回だったり今の、何だろう、刺さりポイントみたいなのとかさ、面白ポイントとか、なんか変わってたりとかそういうのもあるの?
でもやっぱりあるよね。ちょっと第一回とかで言ったかもしれないけれども、やっぱり当時の学生の時とかって、やっぱり自分もなんかこう、
なんだよ、よくある若気の痛いで世の中が腐っているとかさ、何だろうな、既存の価値観を打ち壊すべきだ、みたいなのはそこまで強く思わなくても、
やっぱりなんかこう息苦しさとかって感じたりするじゃないですか。
まあまあまあね。
ね、大なり小なりっていう時に、やっぱり当時20歳ぐらいでニューチャーを生んだ時に、やっぱりなんかそれをこう、何言ってるかよくわかんないけど、
なんかすごい熱量のある言葉が溢れているなとか、なんかそのやっぱり自分の足でちゃんと歩くのだ、みたいな、そういうことをなんかすごく訴えてる人だ、みたいな感覚はあって。
へー、はいはいはい。
前もちょっと言ったかもだけど、その言葉をなんか自分の日記の最後のページに書いて、ちょっと目に入りにしておくぐらいの、やっぱりなんか感じたことはあったんだよね。
なるほどなるほど。
で、そこから10年15年ぐらい経った時に、やっぱりこう、何ていうのかな、秩序の代わりも当然それが採用されている理由はあるし、
やっぱり自分が家族とか思った時に、既存の価値観とか道徳が全部ぶち壊せっていうのは、やっぱりさすがにちょっとやっぱり無理、憧れるけど正直その生き方は無理だよねっていう感覚もあるんだよね。
まあ、その自由に対する責任だったりとかさ、リスクが多すぎるね。
そうだね、それを引き受けられますかって、やっぱり正直無理ですって今なっちゃうから、ちょっと保守的な感覚もあるんだけれども、
やっぱりそこに対してとはいえ、やっぱりじゃあ今の世の中に安住していていいのかもそうだし、ちゃんとそれを自分で考えて何を大事にするか、どういうふうにいけるかってことはやっぱり自分で考えるってことをしたら大事だよねっていうのは思うから、
ちょっと勝手にマイルドに念地を押してるけれども、そういう生き方をするっていう前提で、やっぱり本源までそれを考えたとか、一回全部さらちにして打ち立てようとした人としての念地っていうところはやっぱりすごい、
何だろうな、参考にする程度すごい言葉が軽くなっちゃうというか、都合のいいように受け取っちゃう感じになるけど、
でもそういう徹底的に考えた人の知見を借りて、自分も生きていきたいなっていうのを改めて思ったっていう感じなんだよね。
なるほど、なるほど。そっか、これが参考にするのは失礼みたいなのは、ニーチェに関して言えば、ニーチェはもう両極端みたいな、二輪路みたいなのがあったとしたら、
もう端の端の話とか、もうめちゃくちゃとんがり切った話をしてるから、例えば目の前にニーチェがいたとして、参考にさせていただきますって本に行ったら、たぶんぶん殴られるぞっていう、
違うよみたいな、勘コピしろよ100%みたいな話をされかねないからみたいなイメージか。 そういうことそういうこと、だから勝手に解釈してんじゃねえよっていう、もう自分で丸ごと引き受けるんだっていうのがね、それこそ超人の思想だったじゃない。
一瞬一瞬に意味を見出してそれを常にやり続けるっていうことがやっぱりニーチェの超人だから、そんななんか切り取って理解して分かったような気になってんじゃねえよみたいなところから言われかねないなって思う。
なるほどね、ニーチェにはね。 そんな厚さがあるし、感じざるを得ないんだね、そういう本だったりとか。そうなんです。なので、そういう意味では、何て言うのかな。
やっぱりこう、前も言ったけど、読む時、自分のスタンスとか状況によっても読み方が変わるけれども、やっぱりそのニーチェが深くまで考え抜いた人とか、そこから打ち上げた人っていうところは変わらないから、他の哲学者もそうだけど、そこまで一回潜るみたいな、そういう感覚を持たせてくれたらすごく楽しいなって思ったよね。
キャリア相談と自己理解の重要性
そういう意味で、やっぱり自分自身が生き方を考えるっていうのもそうだし、あとやっぱり最近はさ、自分だけじゃなくって、それを仕事、キャリアアドバイザーの仕事としても、やっぱりそれを人に問うっていうことは結構増えてきてるわけよ。
あー、なるほど。 うんうんうん。
どんな会社に行ったらいいかな、どんな選択肢が自分にあるんだろうっていう時に、やっぱりその外の選択肢を見るんじゃなくって、まず自分の内側を見ましょうよみたいなことを、やっぱり相手によっては聞いたりするんだよね。
うんうんうん。
だから、そういう意味では20歳の頃とか、学生の時はやっぱり自分のことだけだったけど、やっぱり今、この年になると周りの人とか、もしかして子供とか奥さんとかも含めて、周囲にそういう問いかけをしに行ってるっていう意味では、ちょっとスタンスもやっぱり変わってるかなっていう感じはあるよね。
あー、はいはいはい。なるほどなるほど。まあ確かにね、学生の頃とか若い頃は、自分の敵というかさ、周りが何なのかわかんないから怖いんだよね、たぶんね。
まあ怖いっていうか、無差別に、とりあえず日本はダメだとか世界はダメだとかさ、志望っていうか対象が大きくなっちゃうよね、やっぱりね。
そこはたぶん社会に出ると、ある程度、その輪郭がちょっとハッキリしてくる場合が多いというか、そこに少し手触り感が出てくるので、その対象が明確になるみたいな、そういうのがちょっと丸くなるみたいなところに近いのかもしれないね、今の話。
うん。うんうん。まあ確かにそれは両方あるかなと思うね。知ったから丸くなるってのもあるし、丸くなったから目が向くというか、ちゃんと見えてくるみたいなのもあるだろうなと思うし。
今ね、ちょっと思い出したんだけども、フェイスブック僕やってるんですけど、そこからメッセージをいただいて、スライドツーラジオのリスナーさんから、キャリア相談したいですっていうご連絡をいただいたんですよ。
はいはいはいはい。
ありがたいことにご連絡いただいて、ちょっとお話しさせていただいて、もちろん個人情報だから詳細は言わないんだけれども、やっぱり今やっている仕事は楽しめないというか、なかなかモチベーション湧かなくって、
自分でやっている、すごくやりたいことがあるんだけど、当然ね、着せるっていう意味ではなかなかそこまで着せれてないよねみたいなときに、どういうふうに考えたらいいのかなみたいな、そういうご相談をいただいたんだよね。
めっちゃありがたいし、たぶん今ももしかしたら聞いていただいてるかもしれないよね。
かもしれない、そうそうそう。
そんな早いときにありがとうございます。
一応ね、キャリア相談は仕事やってるからちゃんと仕事としてやるんだけれども、そうそう。
やっぱり思ったのは、ニーチェにちょっと重ねると、やっぱり自分が何をしたいかが根本にあるっていうのはすごく大事だって思ってるんだよね。
それがどうしても社会的な判断になると、この上稼いでなきゃいけないんですかね、何歳ならみたいな話とかさ、ずっと続けてきた会社だから、なんとなく行ったほうがいいんですかねみたいな、
やっぱりそういう、どこで聞いたかわかんないけど何かやったほうがいい気がするみたいな常識というかさ、そういうものでどうしても人って最初判断しちゃうんだよね。
なるほど。
でもそれを例えばやり取りしたときに、やっぱり本当に自分にとっては稼ぐっていうことが大事で、家族のためとか自分のために、もちろん別に、
かっこいいだけじゃなくて、家外旅行どうしても行きたいんですとか、贅沢したいんですとかっていうふうな欲求でも全然いいと思うんだけれども、そういうものが自分の根幹にあるから、やっぱり自分はこの会社に続けます。
だったらそりゃそれでいいと思うし、一方でやっぱり自分はどうしてもこの自分の都道というものにやっぱり本当に心が引かれていて、その時間を増やしたいんです。
だったらその時間を増やすためのことを考えたほうがいいはずだし、さらに辞めるとか転職するだけじゃなくて、今の会社の仕事っていうのはもうちょっと調整できないのかとか、
そういうことも含めて、実はそういう選択肢ってありますよね。でも根幹にあるのは結局自分が何を求めていて、求めているものをどうしたら手に入るかですよねとかって話をさせていただいたときに、結構その方はすっきり、
やっぱり自分は会いたいことを突き詰めたいっすみたいな、もちろんそんな簡単ではないんだけれども、そっちにやっぱり自分は心が引かれるよねっていうところは再確認していただいたっていう感じだったんだよね。
もちろんそれで全部の悩みは解決するわけではないけれども、やっぱりそういう会話とか会話を経てとか、僕もそういうニーティアとかを念頭に置きながら、やっぱりこの人がやりたいことってなんだろうみたいなことを聞くっていうことはすごく僕にとってはありがたい機会だし、
そういう悩みがある人に少しでもすっきりして一歩踏み出せるとかだったら、それは僕個人としてもだし、仕事的にはもちろん転職支援をする会社だから、最終的には転職するっていうことにより力を注ぎやすくはあるんだけれども、
でも一回面談してお話をするとかであれば全然できたりするから、そういうのはやっぱり自分のやってる仕事というかコミュニケーションと、やっぱり哲学っていう、今この場でやってることが結びついてる感じも最近あるなって思うんだよね。
そうだよね、確かにそうやっていろんな人と話すって、いろんな人の人生だったり考え方というか、価値観に触れるっていうのは意外とあるようで限られてるよね。
普通の生活でそこまで話すことはないし、仕事内容によってはそういう話に相手の人とならないから、面白い仕事を選んでるというか、あるべき場所に収まってるのか知らんけど。
そこはある意味、言い方はあるけど、数こなすじゃないけど、経験が的なところもあるじゃん、やっぱりね。
あるあるある。やっぱりね、人生相談とか好きでとか、割と乗っててとかって言っても、趣味のレベルだと言っても年間に5人とか10人ぐらいと思うのよ。
でも仕事やってると年間200人ぐらいとキャリアとか人生の相談をして、今多分500人とか600人ぐらいとお話をさせていただいてるってなってきたときに、面白いのはやっぱりパターンができることとできないことっていうのがあるなって分かってきて。
ある程度このぐらいの年齢、例えば30前後とかになると、やっぱり20代のときと同じでいいのかとか、30歳で例えばもしかしたら結婚とか育児とかそういうことが出てきて、やっぱりそういう悩みが増えるよねとかっていう一定の傾向はもちろんあるんだけれども、
当然結婚しない人もいるしっていうようなパターンの違いもあれば、同じように結婚するって選んだ人でもやっぱりその悩みって全然違う、個人個人で。
統計的にとかパターン的につかめるところと、やっぱり人としてもどうしても他の人とは接続できないことという両方があるなっていうのが見えてきて。
それはやっぱり数をこなすって言うとあれだけども、いろんな人と相談させていただいてるから、見えてきてるなとかっていうのはやっぱり思うよね。
なのでそういう両方で自分の中の人間感を広げているわけなんですけれども。
確かにそうだよね。接続書を読んでるだけじゃできないってことと、ある意味実践に使えるかどうか試してみるみたいな。
そこを行ったり来たりできてるのは面白いかもしれない。
そうそう、それで言うとまた話が広がったりするんだけれども。
マルクスとAI:疎外の構造と人間性の問い
次回2.の次やるって言った時に、マルクス・トワとジョン・スチュアート・ミルを混ぜてやるかみたいな話をしたじゃないですか。
なんか半分テーマみたいな感じでやろうかなみたいな感じしてたよね。
って思ったんだけれども、やっぱりマルクスは半分テーマじゃ無理ですわ。
なので次回はちゃんとマルクス回でやるんですけど。
まさにマルクスが言ってたのが面白くて、結構有名な言葉らしいんですけど、
前回2.の話をした時にフェイゲル・バッフっていう人の話をしたの覚えてる?
フェイゲルの生徒だったけれども、フェイゲルが死んだ後批判したよっていう。
死んだから批判したって言ったんだけど。
死ぬけどその後自分の独自の説をやっていったよっていうふうな人なんだけれども、
このフェイゲル・バッフっていう人が実はマルクスにめちゃめちゃ影響を与えているっていう話があって。
僕それちゃんと知らなかったんだよね正直。
知らなかったんだけども、よく見たらそういう流れがあって。
マルクスがフォイエル・バッフ・テーゼっていう本とか文章を書いてるんだけれども、
最後に11個あるんだけど、その11個目に哲学に対して面白いこと言ってて、
哲学者はこれまで世界を解釈してきただけであると。
重要なのは世界を変えることだっていうふうにして、
自分はその哲学の解釈者じゃなくて実行者になるんだっていうふうな宣言をしたんだっていうふうに言われてる文章があるのね。
それはマルクスの宣言ね。
マルクスの宣言、そう。
マルクスにマニキュアをつけたような形で、その哲学者を読んでるだけだとねみたいな話をしたときに、
もちろんそれは趣味だしやりたいことだし読むんだけど、
それを使いたくなったからこうやってアウトプットとしてのスレッドストラジオをしているとか、
人生相談の中でも哲学を使えないかなってことを考えてるって自分がいたときに、
それを150年くらいにマルクスがこうやって、哲学は世界を解釈してきたけど、
俺は世界を変えるんだみたいなことを言ってるんだと思って、
面白と思ったんだよね。
もちろん僕はね、世界を変えるほどの何かを持ってるわけではないけれども、
そう、でもそういった人の話をちゃんと深めてみんなと共有して学ぶことで、
なんか見えてくる新しいことがありそうだなっていうのをめちゃめちゃ思ってて。
なるほどなるほど。確かに。
マルクスを例にしちゃうとね、一歩引いてしまう人が出てくるかもしれないから、
その人が革命家になるのかみたいなね。
ここがマルクスの面白いところでもあり、残念なところだよね。
そうなんだよね。
めっちゃすごいこと言ってんのに、
いわゆるね、何だっけ、
氷山?
氷山主義だね。
の革命者でもあるから、
そこのね、タグが2つ付いてるからとても大変っていうね。
そうね。
偏見じゃなくてね、嫌な人も出てきちゃうっていうのが難しさがあるよね。
そうね、イメージとしてどうしてもね、あると思うんだけど。
なので、ちょっと先ずして言っておくと、
革命家とか活動家としてのマルクスっていうのはほとんど触れないんだろうなと思っていて、
そのマルクスを作り上げた思想的な背景とか、歴史的な、彼が何を考えたのかとか、
資本論っていう本も有名だと思うんだけれども、
結局、資本主義に対して彼が何を言ったのか、何を分析したのか、
っていうところを伝えるのはめちゃめちゃ役立つだろうなと思ってて。
その分析がすごすぎるって話だもんね。
当時まだ、いわゆる資本主義っていうこともあったんだかなかったんだかっていう時代では、
現象が先に起きてたときに、その現象をしっかりと客観的に、
ここまで見れんの?みたいな。言語化できんの?構造化できんの?みたいな、
その凄まじさがあるっていう話だよね、おそらく。
そうだね、客観的かっていうとちょっと違うって話もあるんだけど。
なるほど。
そう。
メタ的にではあるよね。
いわゆる、ちゃんと資本主義ってものを構造的に捉えようとしてみたいな話はあるけど、
その構造はやっぱりマルクスが作ったものだから、みたいないろんな話を今僕も勉強中なんだけど。
そこはあれなんだけど、客観とマルクスがメタ的にやったっていうのは、
そこはちょっと哲学を扱うというか、言葉を扱う話としては、
そこをちゃんと分けとかないと、そこも言い過ぎだよみたいになっちゃうんだね。
そうそうそうそう。どうしても客観的っていうと、科学的とか主観が入ってないから、
いわゆるそれが事実だっていうふうなイメージになっちゃうじゃない?
はいはいはいはい。
そう、なってしまう形勢だと思っているんだけれども、
やっぱりどうしてもマルクスの資本論みたいな話は、
ちょっと僕が今読んでいる限りの、すごいちっちゃい知見なんだけど、
やっぱりマルクスがどう捉えたかとかっていう、マルクスの観点とか主観はどうしても入ってくるわけだよね。
これはどんな科学もそうなんだけれども、それがより強いというか、
やっぱりマルクスは資本主義っていうものを批判して、新しい体制を作って、
マルクスを打倒したいっていう、やっぱりそういう欲求がある人だから、
そういった目での分析とか、構造の捉え方にはなっていると思うんだよね。
あー、だから例えば前回の認知でやったりとか、定義でやったとかしたけれども、
それも多分ある意味客観的にはなり得ないですよね、多分こういう学問って。
なり得ない。やっぱり哲学はなり得ないよね。
それでいうと客観的な哲学なんて証明不可だったもんね。
そうそうそうそう。
その中で、若干マルクスはポジションというかちょっと強いかもねぐらいの話って感じか。
まあそうだね、やっぱりさっき言った通り彼は哲学者として、哲学を学んでるんだけれど、
最終的には発動家というかね、行動の方に重きを置いていくから、やっぱりそこを分けて考えないといけないかなとは思う。
その辺の話はまた次回ちゃんとやろうと思ってるんだけれども、
それが自分の話として哲学の学びと実践みたいな話っていうふうに繋がるのもそうだし、
あとちょっとこれも話広げちゃうんだけれども、先日アナニキも参加してくれたけれども、
今月に1回ソロエテツーカフェっていうオンラインの対談会をやってるんですけれども、
以前公開収録とかもして、皆さんで話す内容とかもお伝えしたこともあると思うんですけど、
ソロエテツーフォーラムっていう会員の人で集まってやってるやつがあって、
そこでやったのがAIの話をしたじゃないですか。
全然1時間で足りない足りないって毎回なるんだけど、
AIといってもいろんな形式がある中で、やっぱり僕が面白いなと思ったのは、
AIの話をすると、そこと対比して人間と何ができるんだろうとか、
AIにはやっぱりできなくて人間には残るものって何みたいな、
結構そういう対比の話が多かったなって感じたんだよね。
今、ハヤットの言葉を聞きながらなるほどなって思ったんだけど、
確かにここまで人間が相対化される何かってなかったのかみたいなのを今思ったね。
いわゆる工場の機械が作られるとか、馬車じゃなくて車になるとかさ、
そういう機械化とか産業革命とか、そういうのとはまた違った?
それはそれで人間よりも仕事ができるみたいなのは全然あったと思うんだけど、
人間の存在そのものがちゃんと相対化されて企画されるみたいなのって、
確かにAIのおかげというか、工場のここまで発達したからかって思った。
そうね。おそらく歴史の中では似たようなことはあったと思うんだよね。
例えば飛脚の人がいたときに、日本だと飛脚というか、そういった走ることで生活したりしたときに、
馬車とかそういうもっと速い乗り回りをしたときに自分のアイデンティティが損なわれるとか、
あったと思うんだけど、それとあくまで自分の走るのが速いとか、仕事という人格においての企画だと思うんだよね。
そうだね。
そう。そういうときに確かにAIで初めて感情とか創造性って言われてるような、
なんとなく人間しかできないと思われていたものを結局は代替されるんじゃないかとか、
結局は自分よりも上手く小説を書くAIがいるとしたときに、
じゃあ自分が何かを考えたりとか表現するってもう必要ないんじゃないかみたいな、
そういうふうな発想になるのは分かるというか、そういう時代なんだなっていうふうに思うんだよね。
でも一方で僕が思うのは、
そんなに比較して人間だけしかできないことってそもそもあるんだっけとか、
そんなに必要なんでしたっけって思うのね。
ほうほうほう。
つまり創造性であれ何であれ、
人間を他とは違うものとしたいわけじゃん、捉え方として。
人間は例えば猿とは違うとかさ、人間はコレコレとは違うっていうふうにして、
自分であることを、人間という存在であることを大事にしようとしてるんだけれども、
そもそもそんなのって元々あったんだっけって思ったりするのよね。
はいはい、確かにその信号が大きすぎるかもしれないし。
そうそうそうそう。
だった時に、僕らが失う前として必死に抱えてるものって、
そもそも持ってなかったものなんじゃないですかとか、
そもそもそれって作られた幻想で人間とこういうものであるとか、
創造性を持っているとか、人を愛せることができるとか、
それってなんかこう、すごい大事なものとして扱われてるけど、
果たして本当何でしたっけとかっていうことに最近関心があるのよね。
どういうことだ。
つまり、なんていうのかな、要はニーチェの話でもそうだけれども、
やっぱり人間には何か追い求めるべきとか、
あるいはみんなが共有しているすごく大事な価値観というものがあって、
この価値観があるから人間という存在が尊いのだみたいな、
そういうふうな発想が仮にあったとした時に、
人間のイディアの話になっちゃってるよね、それはね。
そうそうそうそう。
それって僕らは勝手に作られたものだし、
なんとなくそれを信じてるとうまく生きていけるっていう前提条件としてあっただけの話で、
別にそれに頼らずとも生きていけるんじゃないかっていうふうに思ってるんだよね。
あー、オッケーオッケー分かってきた、はいはい、なるほど。
だからAIがどんどん小さくなると人間が脅かされて、
人間独自の発動とかっていうのがなくなってしまうみたいな話も、
結局やっぱり誰かが作り上げた人間らしさっていうものがあって、
それにやっぱり縋っていきざるを得ない我々人間がいるっていう構造なんじゃないかって思ってるから。
おー、はいはい。
面白いね、確かにこの前のスレテッツカフェのテーマも、
AIが発展してきたこの世の中、
人間はどうなるのかみたいな、確かもう人間って言葉入ってたよね、テーマにね。
入ってた入ってた。
確かにね、だからそれに連れて大きくなっちゃう。
だけど、確かにそのテーマを例えば、
AIが発達した時に人間はどうなるかじゃなくて、
私はどうなるかっていうふうにすると、だいぶまた視点変わってくるなって思ったね。
あーそうそうそうそう。
AIは人間の代わりはできるかもしれないけど、
私の代わりはまあできないかみたいな、以上みたいな。
そうそうそうそう。
仮に自分のコピーAIとか、自分の全人格とか過去の経験を入れ込んだAIがいたとしても、
でもそうやって一瞬ごとにずれていくじゃん。
だし今の技術じゃ無理だね、それはね。
さすがにね、そうそうそう。
そういった時に、結局は自分がどう生きるかみたいな話に紐を付けると、
そこまで、AIがどこまで賢くなるかっていう話と、
もちろん環境は変わるからさ、仕事どうするとか、何を大事にするかとかっていうのが変わるんだけれども、
結局は自分としてこう生きるってことさえ定まっていれば、
そんなに影響はたくさんあるけど、別に尊厳を気づけることはないのかなって思ったりしてるんだよね。
それを思った時に、マルクスの話に戻ると、
彼は仕事っていうものを人間というのはやっぱりある種捉えた時に、
やっぱり仕事っていうものが人間から捉えされているとかっていう話を言って、
結局、すごくわかりやすく言うと、自分が作った、何でもいいよ、壺でもいいし、器、お皿でもいいんだけど、
それが自分が作ったものなのに資本家に搾取されて売られていくみたいな。
で、自分が例えば仮に5時間空けて本当なら5000円もらえるはずなのに、
工場の賃料とか場所代とかかかるから、自分は2000円しかもらえなくて、資本家が3000円持っていくみたいな。
すごいシンプルに言うと、そういうことを問題視したというか、これおかしくねっていうふうに言ったわけだよね。
はいはいはい。あの構造的な作詞が存在するよねっていう話だね、確かね。
そうそうそうそう。何かも経済のやつだからそういうの多分入りやすいと思うんだけど。
他のラジオも聞いてるしみたいな。
なるほどね。そうそうそう。
で、あった時に要は自分の作り出したものが自分のものではないっていうこの距離感っていうものを、
マルクスは1個捉えたわけなんだけど、多分これに近くって要は自分に所属しているはずのもの、
想像性とか愛とか感情みたいなものも結局AIがそれをうまくやれてしまうんだったら、
やっぱり自分ってどこにあるのっていう、その構造で大きくなった時には結構似てる話じゃないかなって思ったんだよね。
あーそうか。
つまりこれまでは自分の外に自分が作り出したものってありましたよねと。
例えばその器でも壺でもいいんだけど。
はいはいはい。
で、仮に自分の想像性というのがあったとしても、それを想像的な壺とかすごくクリエイティブなお皿っていう、
ある種そのやっぱりアウトプットされたものとかサービスとして捉えたわけだよね、僕らは。
それがその想像性とかクリエイティブなものを生み出すとされている能力とか、
自分の内側にあるとされている発想力みたいな、
そういうものをAIが脅かしているんじゃないかっていうふうに捉えると、
その脅かされているものが外にあるものか、アウトプットされたものか、
アウトプットされる前のものかっていうだけの違いで、構造的には一緒じゃないかなって思ったんだよね。
わーむずっ。まってまって、これ本編だって。
雑談会なはずなんだけど、すげえ難しいこと言ってんな。
今の話すごく難しいよ。
3分くらい欲しいもん、沈黙。
沈黙がね、整理する時間がね。
欲しいぐらいの。
孫子の兵法とニーチェ・マルクスからの示唆
はいはい、確かに。
今確かに話してて、この感覚なんか、
さっき言ったソルテッドカフェでAIと人間って話をしましたねっていうところから、
そこから30分くらい話さないと伝わらない話をしてるかもって思った今。
そうね、マルクスの話だったりとか、もうちょっとちゃんと話した上でだったら、
なるほどってなる話を今、
はやとは本読んでるから、こう思った話をファーッとされると、
やっぱりここまで伝わらないんだっていう。
そうだね、久々に。
あるあるな感じなのかな。
そうだね、たぶん今自分が本読んだり台本作って考えている、
まさに考えている最中のことを今自分も整理するに伝えてるから、
こうなるんだよなって思う。
こうなるんだよなって、悪い意味じゃなくて。
わかるわかる。
悪い意味、こっちからしたら悪い意味だよ。
何意味わかんないこと言ってんだよ、いきなり。
難しいこと言いやがってっていう悪い意味だよ。
確かにね。
避難されて叱るべきなんだけど。
あとそう思ったのが、今のはやとの例えもちゃんと理解したいなと思ったのと、
今のはやとの話を聞きながら、ちょっと違う想像にも頭を読んじゃって、
だったら同じような構造で人間の感情みたいなもの、
だったら人間の感情みたいなやつとかクリエイティブみたいな話、
さっきの構造的作詞と同じような話で、
感情っていうものがどこから来てどこへ向かうのか、
自分の感情とは何なのか、
社会的に感じろって言われてるような感情、感覚って何なのか、
その距離とは実は何なのかみたいなとこも同じようなロータリックで、
説明できるかもって自分の中で想像しちゃったから余計ごじゃごじゃした。
こっちの問題もある。
そっか、イメージがあるし広がってしまったが故にってことね。
こっちの想像力が広がった上に早いとか難しい話をし始めて、
崩壊した脳内メモリー。
脳が崩壊した。
ありがとう、ありがとう。
でもそのぐらいの中でイメージが膨らむ話なんだろうなって、
AIの話と今マルクスをやろうとしてる話を勝手に僕は繋げて考えてて。
確かにね、その労働のところと搾取みたいなその構造。
その人がその、いわゆる資本主義の中で、
労働っていうのはどういう役割を持っていて、
その中でどういうふうに商品が生み出されて、
っていうその足し引きだよね、変数化。
それがこの分搾取されてて、この分はその労働者に行ってるみたいな。
で、搾取って言うとさ、言葉が強いからあれなんだけど、
別にその労働者は別にその、
ある意味お互い、雇う方と雇われる方は一応、
お互いが同意の上でその労働に対する対価としての賃金を得てるわけで、
別にその、なんだろう、
働いてる本人は必ずしも搾取されるとは思ってないっていうところが実は問題っていう、
ところもあるとは思うんだけど、
なんかそういうところも含めて、なんか面白そうだよね、みたいな。
はいはいはい、そうね。
それもさっきの早友が言ってた、たとえだったりとか、
いろんなのにその構造が使えるんだよね、たぶんね。
あ、そうそうそう。だから、
例えばね、いわゆるAIを使うことで、
例えばね、小説が書きになりましたとか、
自分が思っていたことが音楽として表現できるようになりました、
という人もいたりするわけじゃない?
そうなると、その人は別にAIに対して恐怖じゃなくって、
むしろありがとう、AIがあってよかったって思っているはずなんだけど、
でもそれが行き過ぎて、
例えばその前ちょっと僕も読んだ記事があるんだけど、
自分の仕事とか想像力を全部AIに任せて、
AIエージェント10人ぐらいに指令を出して、
こういう小説を書いてくれとか、
こういう音楽を作ってくれっていうだけで出来上がったものが見えたときに、
あれなんか、もしかして、
自分いなくてもよくないみたいなことになっちゃうみたいな人がいるみたいなんだよね。
そうすると最初は感謝したりとか、
自分うまく仕事やってくれてありがとうって言っていたAIという存在が、
そのうち自分をどんどん吸収してしまった結果、
お前なんかいらないよって自分を弾き出すみたいな、
そういうふうな話を見たときに、
それも結局工場とかで、
最初は一生懸命手で作っていたものがどんどん自動化されて、
車とか作る頃にはもうなんか俺じゃなくてもいいみたいな、
むしろ自分の方が交代可能なものになっていて、
この工場とか、
その出来上がった車っていう方が大事なものになってしまったみたいな。
っていうことと、
似てるものがあるなって直感的には感じるんだよね。
同じとは言えないんだけど。
AIの問題って実は新しくて古いとかってよく言われると思うんだけれども、
別に人類が未知のAIというものに出会ってしまって、
そういう側面もあるとは思うんだけれども、
ちゃんと過去を理解しにいこうとか、
そういう構造的に捉えようとしたときに、
なんかもうちょっと理解しやすくなるんじゃないかな、
それをマルクスっていうものを通してはいけるんじゃないかな、
っていうような期待があるんだよね、今。
うんうんうん、なるほどなるほど。
それは本当に、
その概念を理由にイメージできたら、
すごい楽しそう。
確かに。
もちろん僕もまだ台本作っている途中だし、読んでいる途中だから、
もちろん間違っていることもいっぱいあると思うんだけれども、
さっき兄ちゃんのときに言った通りで、
別に間違っててもいいかもって、
最近やっと思えてきたから、
もちろんマルクスがこんなことを言っていいそうだとか、
言って正しかろうってことはお伝えはするんだけれども、
そこで読み取ったこととしてきっとこういうことって言えるんじゃないかなとか、
こういうことを考えたときに、
もうちょっと僕らの不安とか、
どうやって捉えたらいいかわかんないっていう、
ごちゃごちゃしたものを整理できるんじゃないかなみたいな。
うんうんうん。
ところに今自分はやりたいことがあるなっていうふうに思っているし、
そういう意味でこのニーツェっていう前回やった人と、
次やるマルクスっていう人は結構面白い比較というか対比になるなっていうのを思ってるんだよね。
なるほどね。
それ個人的に思ってるのが、
なんでその二人が面白いかなって今思ったのが、
自分が好きなのが、
孫子の兵法でさ、
敵を知り、
何時を知れば百戦危うからずっていう、
その感覚っていろんなものに通ずるなと思っていて。
はいはい。
今の世の中生きるときに、
敵って何なんだろう。
敵が早いとさっき言ってた環境じゃん、外部環境。
はいはい。
それを知ることと、
何時を知るっていうのは、そのままの通り自分だよね。
自分を知る。
で、その両方知れば百戦危うからず。
で、孫子の兵法って、
めちゃくちゃ具体的にこういう時はこうしろ、こういう時はこうしろ、こういう時はこうしろっていうのもあるんだけど、
はいはい。
基本的には無形なんだよね。
なるほどね。無形ってどういうこと?
形がないってこと。
あー、はいはいはい。囚われちゃダメってことか。
囚われちゃダメなの。常に動いてるから、
めちゃくちゃ細かくやってるんだよ。
もうこういう川が後ろにあるときはこうするとか、狭い道があるときはとか、
この下城構成は絶対大事とかいろいろこう、
めっちゃ具体的な話もしてるんだけど、
結局形はないからねっていうのが一番大事なところで、
そういうのを余さずやった上で、
そうすると自ら形はなくなると。
ただ形がなくなるっていうのは人権がないとかじゃなくて、
人権が多分その場の流れとか、
向こうの雰囲気こっちの雰囲気っていうのは、
向こうのパワーが100こっちのパワーが80とかって定まってるものでもなく、
時間だったりとか、向こうの今の腹減り具合とかさ、
向こうの今の敵の将がこの人で、
左将がこの人で、奥にいるのはこの人で、
本国にはこの人が控えてる、この王が控えていて、
今こういう状況だからこうなってるだろうみたいな、
相互にコクコクと変化する中での、
こっちはじゃあどうしようみたいな意味での向けというか、
そこに定まって続ける、一周一周みたいな話の向けだから、
っていうところもあるんだけど、ごめんごめんそっちは本題じゃないんだけど。
という意味で、
まず自分を死ぬっていうところはニーチェっていうライブカバーで一番気がする。
この超人として一瞬一瞬を、
自分は外部環境はもう虚無だ、何もない中で、
何か自分はこうしていくのだっていう、
特別なスタンス、身体制みたいなものはナンチだとして、
敵っていうのはマルクスの資本主義なんだよね。
はいはいはい、そうね。
みたいなところだから、その両方を知ると、
今の自分がどういう向けで生きていくのかみたいな、
好奇な際じゃなくて、自分がどうすればいいのか、
自分の向けを定めるみたいな話で、
その感覚を得られるのかもみたいな意味で、
その2人は面白そうだなとか、
あと個人的にすごく期待してるみたいなイメージ。
面白いね。その期待に応えるかどうかは一旦置いといたとしても、
孫子の話ね、今めちゃめちゃ面白いなと思って聞いてて、
ちゃんと読みたいなといつか孫子会ができるかもなって今思ったんだけど、
今まさに僕の発想の、これは完全に僕の話なのであれなんだけど、
自分とは何かみたいなことを考えるときに、
事故と世界の関係の中に現れるものだというふうに定義してみたのね。
事故と?
環境とか世界。
事故と世界の間に現れるもの?
相互作用であるって言ってもいいんだけど、
つまり兄貴は敵を知り、何時とか己を知れば百姓はよからずっていうときに、
言葉としては敵と自分っていうのが分かれてるんだけれども、
むしろそれを全体的に捉えたものが自分であると。
だから無形。
だから無形だし、相手が何をしてもそれは自分のことで取り込めるしっていうふうな、
そういう発想があるとすると、
しかもその人はやっぱり兵法だし戦争だから常に状況が移り変わるとか、
とどまらないっていうことを分析してるとしたときに、
それって実は僕が好きなホワイトヘッドとかの世界観で常にやっぱり世界はプロセスであるとか、
固定的な存在が集まって世界ができてるんじゃなくって、
むしろ流れとか動きを中身に世界が現れてくるんだっていう発想にめちゃめちゃ近いんだよね。
へー、そうなんだ。
だから多分その戦争っていう特殊なところで考えた、
多分その孫子の話は、
今の捉え方によってはもっと拡張できるかもって思って、
すげー面白いと思ったんだ。
たしかに、
普段早友が接してるところと違うところからのイメージとしては面白いかもよ。
そんな長くないし。
うちの本だよ、たしか。
ああ、そうなんだ。
ちょっと読んでみよう。
今日までイメージの間にバーッと喋ったこともあったんですけど、
兄貴は総理で、
人生っていうのは逆に環境っていうものを一旦ゼロ化して、
民も道とかも全部破壊して、
環境っていうものをゼロリセットするときに立ち上がってくる事故の生き方とか、
自分の内側から自分の内側に分かれていく生き方っていうものにすごいフォーカスした人なんだよね。
パルクスは無難に受け入れてる通りだけど、
資本主義というか資本化とかブルージョワっていうものに対して、
やっぱり効率は良くないというような話をしたときに、
併用だったりとかフォイエルバッハっていう自作的な発想を踏まえた上で、
じゃあどうあるべきかっていうことをやっぱり考えた人。
今の外部環境に照らしたときに、やっぱり環境ってどう変革すべきか。
これがいわゆる共産主義的な変革とか革命ってなっちゃうんだけど、
そのアクション部分じゃなくて、その手前にある発想とか思想だよね。
っていうものを捉えると、やっぱり外の環境をどう変化させるかみたいな感じになるから、
確かに内側、自分に向くか環境に向くか。
でも本来はその両方がセットで、本当は世界なんだぜみたいな。
そういうふうな話ができると面白いかもね。
ちょっと相談になってきましたね。
そうだね。
ちょっとね、マルクスが。
マルクスは多分難しすぎるけど、難しいけど面白そうみたいなところで、
自分もね、うちにガッツリ調べたとかじゃないからさ。
はいはいはい。
ハヤトが何回かわかんないけど、マルクステーマで。初めてだよね、多分マルクス〇〇は。
〇〇は初めて。名前はよく言ってるし、いつかやろうって言って。
本当はカント、ヘーギル、マルクスですとかってやろうとしたんだけど、やらずに来ちゃったって感じだね。
なるほど。いつもどうなるか楽しみだね。
次回はいつも第1回なので、来歴というか人との間でのところをお話しするんですけれども、
今作ってる感じ、なんか面白いというか、いい感じになるんじゃないかって勝手に未来の自分に期待してるので。
そうね。
はい。兄貴も言ってくれた通り、マルクスっていう言葉を人が聞くときに、
なんかそういうことちょっと危ないんじゃないとか、ついにスウェーデンサージャーもそっちかみたいなことを思う方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、
なんかそうはならないですし、スウェーデンサージャーはいつまでたってもちゃんとバランスを、
その時だけでは傾くんだけど、マルクスの話をしたらマルクスっぽい話をたぶんしちゃうんだけど。
だってジャイアントの誰の話をしてんだよって。
マルクスの話をプロセスでもね、マルクスの話をした一瞬一瞬常にフラッと戻し続けるってめちゃくちゃ聞きづらいラジオになりそうだね。
そうだね。誰も喜ばない、3時間ぐらいあるけど何も伝わってこないみたいな。
情報の9割が反逆はいいみたいなね、一方で話をし続けるみたいなね。
そう、常に下の方にこの発言は何だろうな、ハンマーハヤトの本心でありませんって出しておきたいみたいな。
そうそうそう。
BGMそれにしとくマルクス音ってやな、常に小っちゃい声で。
サブリミアの洗脳でしょ、それ。怖すぎるよ。
無言のとこでよーく聞くと、この会話、ハヤトの本心ではありませんみたいなのがちょっと聞こえるみたいなね。
絶対嫌だ。呪いだよ、そんなの。
はい、呪わずにちゃんとお届けするんですけど、そういう気持ちは持って届けたいと思ってるので、
引き続きぜひ楽しんでいただけるようにやっていきたいと思うので、
次回ですね、マルクス会というところでやってみようと思っておりますというところですね。
はい、わかりました。では次回ですね、マルクス楽しんでいきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
57:26

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