その資本とかの話からちょっと離れて、そういうことが起きたこの世の中ではね、それこそ人間社会とか、あるいは自然環境とか、そういうものがどうなりますかっていう話をしていきますと。
へー、はいはいはい。
はい。なので今どこまで来たかっていうと、最初商品だけしかなかった世界で、人間が生み出した商品っていうものがあって、物々交換されてたんだけど、そこに金っていう貨幣ができて、
人々はその金を増やすための活動をしだしましたっていう、今ここまで来ましたって感じです。
はいはい。あ、なるほど。なんか自分の知ってるというか、何回か知ってたマルクス資本論の話でいうと、結構なスピードで来たね。
そう、だいぶ駆け足です。
最初の商品結構丁寧にやったから、もっと一個一個行くのかと思ったら結構もう資本主義の全体像までパッと来たね。
はい、来ました。
やっぱもうきつい?きついっていうのは真面目にやろうとすればめっちゃ時間かかるって感じ?この辺。
まあね、そもそも資本論社がめちゃめちゃ隊長みたいな話もあるし、一個一個の分析とかまで組み込むのはちょっと僕もやっぱり無理だなと思ったんだけれども、
少なくともこの商品っていう単位から始まっているよねとか、それが金とか貨幣っていうものになって、
それがその貨幣自体がその辺を生み出すっていう動きが生まれたよねっていうところのベースがわかってれば、
なんとなくその世界で何が起きるかっていうことはイメージできるんじゃないかなっていうふうに思ったんですよ。
なるほどなし。確かに前回やっぱり主役が人間から商品へみたいなところだったりとか、
やっぱり金めっちゃ欲しいみたいな挙動みたいな。その感覚はね、その仕組みというか構造みたいなのは確かに理解できた気がするから。
それで言うと確かに今回、マルクスがじゃあそれに対してどう思ったの?みたいなところは全然知らなかったというか、知らない部分だなっていうのも思うね。
そう思ってくれたら嬉しくて、やっぱり今までもツラジオなので資本本を細く読み解こうみたいなことよりは、
マルクスはどういう世界観とか人間観、もっと言うとこの世界観、経済観だよね。
いろんな経済がある中でマルクスは商品というものから始まって、今資本家が生まれて資本というものを増やすという活動をしだしましたっていうところに対して、
じゃあどんなそういうふうな設定をすると世界観というのが描けるんですかっていう、今日はその話をしたいんですよ。
はいはい。どうなるんだろう。
そうなると単純な経済の話というよりも世の中とか哲学、そしてマルクスが世界をどう見てたかっていう話になるかなと思うので、
というふうな流れを組ませてもらってますっていう感じだね。
はいはい、わかりました。勝手に資本の中を深く見ていくなと思ってたけど、
ちょっと全体の流れというか、マルクスの全体の流れを見ていくっていう感じだったんだね。
そうだね、その辺伝えたかったんだけど、今日はそういうテーマで作ってきてますって感じですね。
はいはいはい。
まずは人間と、今日は自然環境というのは2つをやっていくんだけれども、
1個目は人間の話ですね。これでいくと、どっちかというと人間の中でもいわゆる労働者だよね。
やっぱりマルクスはそこを問題としてずっと捉えていたので、
かつ資本家の方が少なくて労働者の方が世の中的には多くなります。
というときに、今後たくさんの人がある種変わる労働者って何なのっていう話をしていくんだけれども、
前回お伝えした通り、資本家からすると労働者、人間というのも1つの商品ですと。
何か売るための商品を作るために統合化するっていう意味では、
機械とかあるいは材料とかと同じっちゃ同じになっちゃうわけなんだろうね。
そうすると資本家は何をするかっていうと、もっともっと利益を上げたい、
もっとお金を増やしたい、金を増やしたいってなったときに、
当然機械とかそういういろんな設備を入れていきますね。
そうすると、当然資本家の持っている金というのも有限なわけじゃないですか。
もちろん銀行を買われるとかって当時もあったと思うんだけれども、それでも限界があるので、
当然持ってる金をどういうふうに配分しましょうかっていうことを考えていくと、
どんどんそういった機械とか設備っていうものへの投資が増えていくわけですね、割合として。
そうすると今度は、その割を食うのが人間の労働力なわけですよ。
つまりより良い商品を作りましょうとか、より金を増やしましょうって考えている以上を、
どんどんいろんな設備を統合化しましょうってなっていって、
これは当時ね。なぜならもうその設備っていうのがどんどん開業されていくし、
技術的にも発展があるから、やっぱりより最新のものを入れるとより良い製造ができるっていうふうな時代なわけですよ。
これがちょっと現代との違いね。現代と別に最新設備を入れたとして、
どのぐらい効果がありますかってやっぱり見えにくくなっているのが多分現代だと思うから。
そこは多分ちょっと違うんだけれども、当時で言うとそうなりますねって言ったときに、
世界全体として、豊かになっていきますねとか、資本主義でも広がっていって、
金銭とか商品の流通が増えていきますねってなったとしても、結局は資本家からすると、
人間を雇ってるよりも機械を買ったほうがいいってなっていくから、人を雇わなくなっていくんですよね。
もちろん社会全体というか、その資本主義社会全体が広がっていれば、
他の工場に行きますねとか、雇用を探しますねとかってなっていくんだけれども、
それにも限りがあるというか、結局資本家は人間を雇うよりも設備を買うっていうほうにお金を増やしていきますねっていうのがマルクスの分析なんですよ。
そうすると結局どこまで行っても人間っていうものは、その工場からあぶれてしまう。
結果的に失業が増えていきますねっていうことが、資本主義のメカニズムから言えるんじゃないかっていうことを言うんだよね。
へー、なるほど。そっかそっか。人は減っていくんだ。
そう。工場で雇われてる人は減っていくっていうふうな話かな。
なので、もちろんいろんな分析と受給のバランスとか世の中が不安定だから失業率が上がるとかっていうのはあるとは思うんだけれども、
このマルクスの発想でいくと、資本主義っていうものが広がれば広がって、
資本家がより効率的に金を増やそうとすればするほど、
労働者たちの人間っていうものは実はいらなくなっていくんだっていう、そういうふうなことを言うんですよ。
はいはいはい、なるほど。
ここでやっぱり重要なのは、単に人が多いとか、
労働者っていうものが受給関係でバランスが悪いからってことじゃなくて、
単純に金を増やしましょうっていうメカニズムを突き詰めていけばいくほど、
人間っていうものはいらなくなっていくっていう構造はあるよねっていう話なんだよね。
はいはい。実際そうだよね。
今最新のAIを動かすためのチップを作ってるのって、
すごい職人がウェハに基板に溶接して部品をやってるわけないもんね。
そうそうそう。
当然そういう意味では、世の中でもビッグテクがリストラしますみたいなニュースもあるけれども、
そういうふうに資本家は市場に人を放出しだすんですよ。
そうなるとどうなるかっていうと、
資本家からすると、要は労働力っていうのは交換可能なもの、市場にあふれていて、
いつでも調達できるっていうふうな市場が形成されていくじゃないですか。
これって歴史の流れで見ると、いわゆる正社員っていうものから契約社員とか派遣社員とか、
あるいはパートタイムみたいな、そういうものは増えていったっていうこととすごくリンクしてるんですよ。
つまり現実的には、自分は働く時間を短くしたいからパートでいいよとか、
いろんな制限があるから、別に正社員じゃなくていいよっていうふうに双方の関係が成り立っているから、
今としての仕組みとしてはうまくいっている部分もあるとは思うんだけれども、
マルクスの分析から言わせると、会社としては無期雇用でいつまでも働く人っていうよりも、
いつでも好きなときに外に出て行ってもらってもいいし、入ってきてもらってもいいっていうふうな、
そういう変動期的な考えをしたほうがお得だから、
そういうふうな形で労働力を強めたいっていうふうな発想が資本家には明確にあるよねっていうふうなことをマルクスからは見えてるんですよね。
今の例えば日本の場合ではね、雇用者の権威が強いから開講されづらいっていうときの、ある意味その抜き穴じゃないけれども、
としても契約社員だったりとか、パートみたいな話で、
例えばアメリカみたいに、もう今日から来なくていいよみたいな、ある意味労働者の保護的なところが緩いというか、
そういうとこだと、より緊張にバシバシ起こるよねみたいな話はね。
そうそうそう、そういうこと。
で、その次の働き口があればいいんだけれども、それがなくなってしまうと結局労働者からずっと不利になっていく。
結果的にマルクスの時代でいくと、やっぱり過酷な労働をして、
代わりがいるって言われると困るから何とか働いて、
前回通り8時間でいいところを12時間で働けって言われても、
働き口がなくなるよりはいいよねって言って、やっぱり頑張ってしまう。
労働者がいると、結局どんどん労働者っていうものが辛くなっていくし、
でも頑張っても頑張っても生み出した富っていうものは資本家が資本家のみになっていくしっていう、
ある種そういう資本家憎しみたいな、
ちょっとこれもストレオタイプっぽい、もともとやっぱりそういった企業をするとか工場を作るっていうリスクを背負っているから、
それのリターンがあるっていう話ももちろんあるから、
別に資本家が富を集めるのが悪いってことではないんだけれども、
これは単純に資本家個人の素質よりもゴールドを使ってゴールドを増やそうっていうふうな話をすると、
結果そういう社会になっていくよねっていうふうな話をある種マルクスは冷静に見ているってことなんですよね。
はいはいはい。そうなると、
労働者へのお給料というか賃金が構造的に上がらないよねっていう感じだもんね。
常に破れてるから。いつでも交換可能だから。
そうです。
そういうこと。
上げる必要ないようになるし、逆にもちろん労働人口が減ればとか、
いろんなことでもちろんそれは変わっていくんだけれども、
さっきともマルクスが見ている時代からすると、
労働力は余っているし、いつでも安価で購入できるものになってしまったっていうふうな流れがあって、
それもある種資本主義のメカニズムに生み込まれている構造だっていう話をするんだよね。
はいはいはい。そうだね。マルクスが言っている今、
マルクスから見た今、この世界を変えるのだってなると、もうそうなるよね。
今はそうだから。今はみんな溢れてるから。そういう仕組みになってるし。
そうなってるし。それも今後は起き続けるであろうっていう話だよね。
そっかそっか。なんならもっとひどくなるだろうみたいな見立てなのか。
そういうことです。
というのが人間という話と、もう一個は自然環境という話なんだけれども、
これも読んでると、マルクスの時代に起きてなかったいわゆる郊外の問題とか、
そういったものを先取りしてたよねっていう話で言われるんだけれども、
結局はいわゆる生産といっても、やっぱり何かしらの材料とか原料が必要じゃないですか。
そこに対して、僕らが必然に考えると、
豪欲な資本家が、環境なんかどうでもいいから、
塩の話で言えば、どんどん海水を引き上がってでも塩を作れとか、
木を切ってでも塩を乾かす地面を作って、資本生産量を上げろとか、
そういうふうに思えてくるんだけれども、
もうちょっと違う観点でマルクスは見てるんですよ。
これどういうことかっていうと、
例えば要は、もともと人間と自然っていうものが仮に調和していた時代があったとすると、
やっぱりそこには色んな関係があって、
例えばキノコを取ったら次は取りすぎないようにするとか、
なんとなくそういうものって暗黙的に土地とかには根付いてたはずなんだよね。
要は取りすぎてなくなっちゃうから半年取らないようにしようとか、
こっちのキノコ取ったら次はあっちのキノコを取るほうがいいよねとか、
そういうものが何がしか受け継がれていて、
うまくキノコを取り続けるっていうことができるようになっていましたね。
マルクスは本来労働っていうのはそういうふうに、
人間と自然のある種物理的な関係があって、
そこで何か取りすぎを抑制するとか、
自然からの恵みをちゃんと受け取るっていうふうなそういう関係があったはずです。
でも資本主義のシステムになっちゃうと、
そういった関係性とかっていうのは破壊されてしまって、
本来自然が持っていたはずのキノコって無限に増えるわけじゃないよねとか、
塩って無限に取れるわけじゃないよねっていうものを超えて、
やっぱりそのサイクルをどんどんどんどん破壊するような、
アクションではなく増えていきますねっていうふうなことをマルクスは考えるんですよね。
はいはい、なるほど。
それは単純に欲とか不快とかっていうことじゃなくて、
ゴールドを増やす、金を増やすっていう目的から考えると、
それが最大化することがやっぱり正義だっていうふうになるから、
結局キノコを取ってなくなったとしたら、
次の山に行けばいいじゃんとか、
塩を作るために木を切って、
例えば木が取れなかったとしても、それはじゃあもう俺らには関係ねえみたいな。
なぜならその塩を増やして、金を増やすってことが我々にとっては正義だからっていうふうな、
そういう動きがどんどん出てしまいますよっていうふうな話なんだよね。
そうするとさっきの人間の話と同じで、
人間って本来別に12時間働けないとしても働けっていうのと同じで、
偶然に対してもキノコ取れなくなっても、もっとキノコ作れっていうようなことが、
ある種の発想としては正しくなってくるわけですよ。
なるほど、そう考えるとわかりやすいね。
資本家の目からすると、あるいは資本主義のメカニズムからすると、
そういう本来物理的な限界とかっていうものがあるはずなのに、
それを超えてもどんどんどんどん金を増やす、
お金を増やすっていうことが、より求められるってなってくるんで。
そこに本来は矛盾が生じるんだけれども、
資本の論理だけではそれを止めることができませんねっていう、
そういうことをマルクスは分析するんですよね。
なので現実的にキノコを取り尽くして、
山からキノコを一掃するってことは起きなかったかもしれないけれども、
でも資本主義のメカニズムではそれを止める論理がありませんって話をするんですよ。
実際そうじゃない?
日本のミナマタ病とかで洪水を作っても海に流して、
その魚を食べた人が病気になるとかっていうときに、
結局はその有害物を処分するコストとか、
それを排出しないようにするコストっていうものが、
資本家の当時から言わせると別に欠ける意味がないというか、
それをする必要がないっていうことが、
結局は地域の甚大な被害を招いたっていうときに、
これを止める論理っていうものは、
やっぱり資本主義の中にはなかったわけなんですよね。
なぜなら金を増やす、お金を増やすってことが第一目的だからっていうふうになります。
減っちゃうからね、増える量がね。
別のことに使っちゃうとね。
まだそういった公害の問題とか、
自然環境を守れとかっていうことがない時代から、
ある種マルクスはもう資本主義の中にそういうメカニズムがあるんだっていうことを見抜いてたわけなんですよ。
わー、はいはいはい。そうなんだ。
そう。
マルクスの分析が優れてるとかは徹底したいっていう話なんだよね。
面白いのが、マルクスはそれを単純に経済学的にそうなるということだけじゃなくて、
資本論を書いた後に、いわゆる地質学とか植物学とか、当時の有機化学みたいな、
どうやって植物を育成するのかとか、よりよく育つのかみたいな、
そういうこともめちゃめちゃ研究したらしいんだよね。
そうなんだ。
マルクスが実践にいった、
そのね、哲学って発想はしてきたけど、現実を変える力がなかったとかって言ったと思うんですけれども、
マルクスもただその経済現象を分析して、何かわかった気になるだけじゃなくて、
じゃあどうするかっていうのを、そういった物理的なものとかも勉強しながら、
自分で考えた人なんだっていうふうな話なんだよね。
わー、はいはいはい。なるほど。
なので、今言った通り、マルクスに寄せると、資本っていうものは無限増殖していくっていうものですと。
それを推進するのが資本化っていうもので、
その資本化っていうものは人間っていうふうなある種の商品と、
その、いわゆる自然っていうとこから得られる商品。
これっていうものをある種、消費してでも、やっぱり新たな菌を生み続けます。
増やし続けますっていうふうな、そういうふうな構造で捉えてるんだよね。
はいはいはい。
だからもちろんこの構造自体が本当かとかってこともあるし、
そこに対していろんな批判とかも加えられるかもしれないけれども、
少なくともこの世界観で見たときに確かに、
人間っていうものが酷使されて、辛い人が増えるかもねとか、
自然っていうものは使い尽くされて、人大な被害があるかもねとか、
そういうことが結構自然に言えるじゃないですか。
いやー、そうね。何か言えそうだよね。
なんだろう、めちゃくちゃ優秀だけど超暴れ馬みたいな馬がいたとして、
どう怯するかみたいな。
ほっといたら周りにいるやつみんな蹴殺すよねみたいな。
とんでもない馬がいるよね。でもめちゃくちゃ優秀だよねみたいな。
だけどこういうふうにここに手綱つけて、ここにあぶみつけて、
こういうクラスてて、こういう角度からこういうふうに接して上手く乗れれば、
もう戦場では負け知らずみたいなさ。
めちゃくちゃケアが必要みたいなさ。
そういう感じなのか、その巣の暴れ馬みたいな。
なんなんだろうね。暴れ馬だとちょっと怖いけど、
それのもうちょっと良いやつ版みたいなね。分かんないけど。
まあでもそうね。
ちょっと言うと、特定の一族には名付いている暴れ馬がいたとして、
例えば、鈴木家では暴れ馬は使えるけど、
外家では使えませんとあったときに、
外家の人からすると、あいつらだけ良い馬持ってんなみたいな。
そこに対して、その馬を俺にも貸せよって言っても貸してくれませんと。
なったときにどうするかっていうと、当然別の馬を探し出せますよねと。
その探した先の別の馬がある人まで使い忘れると共産主義なわけなんだよね。
はいはい、なるほどね。
だから自分たちは資本主義を使っても幸せになれませんねとか、
あるいは資本主義を使っても結局は自然環境が破壊され尽くして、
資本主義自体が終わりますねと。
なるほど。さっきの暴れ馬で言うと、
あっちの家の暴れ馬はめっちゃ優秀かもしれないけど、
めっちゃ被害出してんじゃんと。
そうそうそう。
鈴木家が戦場で駆け回って、
めちゃめちゃ武器を立てる間、
外国の俺らめちゃめちゃ蹴られて水づいてるんですけど、みたいな。
まあまあまあ、だしね。
鈴木家自体もめちゃくちゃ手綱を使い壊すの大変そうじゃんみたいな。
そうそうそうそう。
そういうことも含めて。
だからあんな暴れ馬じゃなくて、
うちはもっといい馬というか、
いるよねっていう話ね。
そうそうそう、そういうことそういうこと。
馬で表せたらそんな感じ。
要はその馬に駆けつける。
うん。
その馬確かにすごいけど、
それだけにこだわってる必要あるんでしたっけって話だよね。
うんうんうんうん。
うん。
っていうことまでやっぱマルクスが考えちゃうわけなんですよ。
わー、はいはいはい。
そう。
それはさっき言った通り、
さっき言ったらちょっとざんで言っちゃったんだけれども、
結局人間と自然っていうものがダメージを受けますねってさっき言ったと思うんだけれども、
とはいえマルクスに合わせるとやっぱり商品を生み出すのはどこまで言ってもやっぱ人間なんですよ。
ほうほうほう。
最初にね。
それは商品の分析ととおり、
人間の具体的有用労働みたいな話と、
注射的労働っていうものが仮に分かれたとしても、
結局は何らかの労働がないと商品は生まれないから、
やっぱり経済の担い手の根っこの部分はやっぱ人間なんですよね。
ほうほうほう。
だし、その人間が何らかの材料に挟まれかけてやっぱ商品が生まれるから、
人間と自然環境っていうものは本来資本主義の根底にある重要なものなはずなのに、
それが前回言ったとおり、何か知らんけど物のほうが大事にされていますよねとか、
何だったら資本家の人たちって人間のことも自然のことも大事にしませんよねとか、
そうすると結局人間は例えば、
働かなくなるかはわかんないけれども、
労働力っていうところがどんどん弱くなっていくし、
自然の価値っていうものが下がっていて、
結局は資本主義そのものが崩壊する。
つまり資本主義の大きくなっていくっていうメカニズムの中には、
その先に資本主義自体が崩壊するっていう、
そのゴールまで含んじゃってるっていうことをマルクさん見るんですよ。
はいはいはい。
ちゃんとイメージはできてないけれども、
それ進んでいくと、労働者どんどんいなくなるよねっていう話。
もう働いてらんねえとかっていうのもあるし、
何なら現在で過労死みたいな形で働きすぎて体調崩して働けなくなるっていうことは起きてるわけじゃないですか。
私さっきのテクノロジーが進んでいくと、
労働者もいらなくなるよねみたいなことが究極的に進んでいくと、
それはどんどんゼロに近づいて、ゼロになったときの世界って、
結構周り見渡したら鬼ごっこしてたら鬼の自分しかいなくて、
逃げてる人誰もいないからどうしようこれみたいな感じになってそうだよね。
めっちゃ楽しくさ、鬼が逃げてる子たちを捕まえてたんだけど、
気づいたら自分しかいないみたいなさ、
え、どうするんだこれみたいな感じになりそうだね。わからないけど。
そうそうそう。っていうと鬼ごっこっていうそのもの自体は成り立たなくなるじゃん。
そうそうそう。その時点で最後の一人捕まえた時点で崩壊だよね鬼ごっこ。
そうそうそうそう。
本当に多分近くって、
日本は全部機械化されて工場に人がいませんとかって今もあるとは思うんだけども、
少なくともその機械を作っている人はいるはずだし、
その機械を設計している人もいるはずで、
突き詰めていけばどこかに人の仕事って今残ってるはずなんだよね。
その残っている仕事ができる人がいなくなる。
要は働かせされ続けてとか、
そういう人間というものが酷使され続けて、
結果的に労働力として使える人間がゼロになるって可能性もあるわけよ。
はいはいはい。
それは機械化によって人間の仕事を乗り越えたっていうことじゃなくて、
資本を増大化しようとした結果、人間というものがある種使い潰されて、
その労働というものが提供せなくなりましたっていう世界が、
ある種ディストピア的にあり得るわけなんだよね。
あー、なるほど。そっちもマルクス想定してるんだ。
そうだね。
うーん、なるほどなるほど。
うん。
だから労働、なんだろうな、テクノロジーとか技術が発展するにつれて、
ある意味労働市場はどんどん増える。
はいはいはい。
けれども、ある意味ボイコットみたいな感じで、
働いてくれないよね、みたいな世界を想像してるのかな。
いや、ボイコットとかはもうちょっと新しい概念で、
どっちかっていうと、単純に自然のほうが壊れやすいんだけれども、
さっき言ったとおり、きのこ取り尽くした結果、きのこ売れなくなりましたっていう話はイメージしやすいじゃないですか。
それと一緒で、人間をある種働かせ続けて、使い潰し続けた結果、
労働市場に労働できる人間がいなくなりましたって話だよね。
なるほどね。はいはいはい。
労働市場にどんどん増えていくっていうさっきの概念だけじゃなくて、
同じね、労働者を使い潰しましたねっていう話ね。
はいはいはい、オッケーですオッケーです。
もしかしたら、一時的には労働市場に人が増えていくんだけれども、
もっと安く買えるじゃん、安く買えるじゃんって言って下げすぎた結果、
さすがにそれでは働けないとなる瞬間とかもちろんあるわけじゃない。
一日働いて、米粒一粒だって言われたらさすがに働かないよとかってなった瞬間に、
もちろん資本家はじゃあ米もうちょっと上げるとかっていう条件はあるとは思うんだけれども、
あくまでも調整の話で、資本主義のメカニズムを行き着くとかまで行き着くすると、
さっきのキノコと同じように人間というものもある種いなくなります。
そうだね、いくらそれを調整してあげていっても、いつかは使い潰すよねって話ね。
そうそうそうそう。
なると結果的に資本主義っていうものが崩壊する。
なぜなら商品を生み出す、本来のベースにあるはずの人間というものと、
自然環境、素材とか材料っていうものがなくなるからっていう。
そういうことをマルクスはある種どんどん見出すんですよね。
なると結局資本主義って生まれた瞬間から崩壊する定めじゃんっていうふうになるわけよ。
なるほどね、持続可能性ないじゃんっていう話ね。
そうそうそうそう。
っていうものに対して、果たして本当に資本主義でいいんだっけとか、
そもそも現時点でそういう労働者が補給使われて苦しんでいるとか、
生活が成り立たないっていうふうに起きている。
割と末期症状になっている資本主義っていうものをどうするんですかっていう話にやっぱりマルクスはなっていくわけなんだよね。
はいはいはいはい。
どうだろう、ちょっと商品のところから始まって、今回まで何だかマルクスが描いた資本主義のメカニズムというか構造って見えてきたかな。
いやー面白いね。ただ一個、今早いと末期症状って言ったけれども、末期症状っていうよりは生まれたてかもしれないけれども、
すでにもうこんなヤバいこと起きてるっていうのは、末期症状というよりはもう資本主義っていう暴れ馬の挙動として、
もう、めっちゃそのポテンシャルあるけど、すでにこんな弊害が起きてんじゃん。
で、その末期症状というか、最終的には、それはもちろん10年後なのか5000年後なのかもわからないけれども、
いつかはそういう誰もいなくなった状態になるよねっていう、持続可能性がないよねっていうのをマルクスはもうわかってんだから、
生まれたての子の仕組みかもしれないけど、もうわかったんだからもう変えようよみたいな、
末期症状っていうよりは、末期症状が来る前にもうわかってんだからみたいな感じじゃないのかな、マルクスの厚さとしてはね。
たしかにたしかに。いやそうだね。それがもう見えちゃったんだからみたいな話かもね。
ある意味ね、今現代に来る僕らからすると、貧富の差とか、労働者が働きたくても働けない人がいるっていうのが、日本だけじゃなくて世界各地で起きているとかさ。
あとは自然の環境が破壊されているとか、やっぱりいろんなものが結局はそういう資本主義的な活動の中でとか、
富を求めるっていうところに対して、やっぱり弊害で起きてるとかっていうことって結構現実的なイメージとして持てると思うんだけれども、
そういったものが、まさにアイキー言ってる通り、起きる前とか、世の中でやっぱり目に見える前からこういう構図があるよねと。
やっぱりそれって良くないから、ちゃんと新しいこと考えようぜっていうようなことを言っていた。
それが見えちゃってたっていう、マルクスの恐ろしさだよね。
そうだね。初めのその社会構造みたいなのが見えてたっていうのはとんでもないね。
そうそうそう。これはやっぱりマルクスの頭の良さというか、知性だったはずだなって思うんだけれども。
しかもそれを別個にやっぱり得るんじゃなくて、結局商品っていう1単位から始まって、商品っていうのは人間の労働と自然の環境、素材っていうのができているからっていう、
こういう最小単位からちゃんと作ってるっていうのが、すごく僕からしたら哲学的というか、
ちゃんと積み上げていってるねっていう感じがするんだよね。
はいはいはい、なるほど。
というふうな話をした中で、今回で資本論の話は一旦落ち着くんですけれども、
じゃあねと、そういって見えた資本主義の限界というか、そういったものに対してマルクスがどう立ち向こうとしたんですかっていうところが、
いわゆる名前が出ている共産主義みたいな話なんですよね。
はいはいはいはい。
マルクスは単純に革命を起こしたいとか、労働者が辛そうだから資本化をしたそうとしたみたいなことじゃなくて、
資本主義に内在している限界を超えようとして共産主義をある種、もう一個の代替案として出しましたというふうな感じなんだけど、
じゃあこの共産主義って本当は何だったのとか、どういうふうな発想なのっていうところを次回ちゃんとお伝えしようと思ってるんですよね。
あーいいね。確かに資本論とかの話って聞いたことある気がするけど、じゃあマルクスの共産主義ってどうだったのみたいな話って意外と知らない気がする。
そうそうそうね。兄貴はまだ生まれた時はあれか、ベルリンの壁だったと思うけど、僕とかももうなかった。ベルリンの壁は崩壊後に生まれてるんですよ。
当然僕も実感としてはもちろんあるわけないし、調べたのも本当に何か本で読んだぐらいではあるんだけども、
やっぱり当時の東西ドイツとかソ連、ロシアじゃなくてソ連だった時代とか、当然共産主義っていうものが今以上に密かだったはずなんですよね。
ただ、それがソ連型の共産主義とマルクスの共産主義が違うみたいな話もあったりするんですよ、いろいろ見てると。
なのでここも、あえて共産主義って言葉だけで結構抵抗感を持つ人もいると思うんだけれども、
なんかタブーみたいだね。
そうそうそうそう。
一旦これをさらちにして、商品っていうものがやっぱり僕らが思う商品と今回マルクスが言った商品っていうのが違うっていう発想と一緒で、
一旦僕らがなんとなくイメージしてる共産主義、あるいはイメージ持ってないものを含めた共産主義と、
マルクスが言った共産主義って果たして同じなのかな、違うのかなとか、
この話を流れてみたときに、マルクスが言った共産主義って結局どんな意味を持つのかなとか、
そういうことを次回お伝えしたいっていうふうな感じなんですよね。
なるほど。確かにね、確かに調べようと思ったこともないし、
確かに大学で例えば経済の授業で、共産主義あえてなかった気がするなあ。
まあ、確かに。
選べもしなかった気がする。
あー、なるほどね。
なんとか経済、経営人材とかさ、いろいろさ、ミクロ、マクロ、いろいろその中でもあったりとかするけれども、
その共産主義的な経済学みたいな、なかった気がするし、そんな先生もゼミもなかった気がするから。
まあ、確かにね。なんか確かに感覚的には共産主義経済とかっていう授業があったとして、
なんか、ちょっとなんか抵抗感あるじゃない。
行っていいのかなみたいなね。
そうそうそう。別にそれって僕ら何も共産主義って知らないはず。
僕らっていうのは今の、僕36だけど、生まれて別に共産主義に何かを、親を殺されたわけでもないのに。
なんとなくやっぱり抵抗感というか、ちょっとやっぱり心理的なハードルがある。
うん。それも一般的な感覚はわかんないけれども、
ただその今の、今回のマルクス化に流れていくと、
そういった世の中の共産主義がどうとかって話じゃなくって、
あくまでもこういうね、ヘーゲルとかポイレバッハを経て、
こういう商品とか貨幣とかっていうことを分析して、
資本主義っていうものがいつか崩壊するとか、
そういうメカニズムが内在しているっていうことを考えたマルクスが、
ある種こう、提唱した共産主義とか、
資本主義に変わるものとして考えついた共産主義って何なのっていう、
そこにちょっとシンプルに向き合ってみたいんですよね。
そこは純粋に興味あるよね。こんな人がどういう大案を出すのっていうね。
そうそうそうね。
それって結局、本当に資本主義をある種大案たり得るのかとかさ、
なんで大案としてそこまで信じて、彼のその後でいくと、
やっぱりそれをまさに国家として実現すべきだって言ったことを僕らは知っているから、
何がそこまで借りられたのかっていう話だよね。
しかも今変わりって言ったけどさ、変わりどころか、
マルクス的にはもうヘーゲル的な弁償法の考え方を使って、
だから資本主義の変わりのもう一個とかじゃなくて、
資本主義を弁償法的にブラッシュアップさせたものというか、
次元を超越させたものこそが共産主義なのだ、みたいな感覚なんでしょう。
そこで言うと若干言い過ぎかもしれなくて。
本人的にマルクスもそうは思ってない感じ。
これちょっと正確性がない話をしちゃうんだけれども、
僕が今言えるのは、マルクスがヘーゲルの弁償法を使ったのは、
資本家と労働者っていう現実の際層とか人間存在に対して、
その矛盾を克服した結果としての共産主義っていう社会とか、
人間の在り方っていうものを考えたっていうのは間違いないはずなんだよね。
それが資本主義というものが、
それこそヘーゲル的に段階が精神君とかが経験して理性になっていくとかっていう意味で、
資本主義というものよりも共産主義というもののほうが次元が上だって言ってたのかっていうのはちょっと今わかんなくて。
なるほどなるほど。はいはいはい。
ただ、少なくとも資本主義に含まれている限界とか矛盾っていうものを、
こういったものは共産主義という体制だっていうか、メカニズムだっていうことは思っているはず。
そっかそっか。そこの違いは確かに面白そうというか、
確かに資本家と労働者を対立させて、
電車を持って行くっていうのは確かにできるかもしれないけど、
確かにいまいったら資本主義そのものを乗り越えるってなると、
資本主義と何かを対立させなきゃいけないから、
それって何?ってなっちゃうわけだね、たぶん。
そうなんだよね。そうそうそう。
そっかそっか。確かにそれはとんでもないことだって気がするな。
それをまるっと乗り越えるのは。
そうなんだよね。イメージでいうと資本主義という中には、
資本家と労働者という対立する、矛盾する構造があって、
それを乗り越えると共産主義になりますって話なんだけれども、
その資本主義そのものと共産主義そのものが、
何か愛に対する矛盾があってとかってことではない。
弁償法的にはね。
弁償法的にはね。
話を、ごめんちょっと今僕が持ってる情報はここまでしか言えないんだけれども、
ちゃんと次回調べて皆さんにお伝えしたいと思っているので、
単純に共産主義、うんぬんみたいな話じゃなくって、
マルクスがこうやって積み上げてきた考えというのを引き継いだときに、
果たして資本主義以外に、
メカニズムとして信頼し得るものを見出して、
それを共産主義と名付けましたっていうのはやっぱり順番でしかないから、
そういう形でちょっとお伝えしていきたいと思ってるんですよね。
いいね。面白そう。
結構次回がわりと集大成っぽくなると思います。
そのマルクス会の。
という感じで資本論って中で3回話してきて、
もちろんこれで資本論がわかったってことではないし、
兄貴も途中で言ってくださった通り、結構すっ飛ばしたねっていう感じだとは思うんですけども、
わかってる人からするとね。
まあわかってないけどね、自分はね。
イメージがある人からすると。
でもあくまでも今回3回かけてお伝えしたかったのも、
結局次回話す、じゃあ共産主義と呼ばれる経済なのか思想なのか、
そういったものって何なのって話?とか、
なぜそれはマルクスが考えなきゃいけなかったのかみたいな話をしたかったので。
はいはい。確かに哲学でいうとそこが着地点だもんね、マルクスのね。
そうそうそうそう。
それが彼が考えた一つの大きな体系だったもので。
それを思想だけじゃなくて実践に落とし込んだっていうのがマルクスだから。
それをお伝えして、もしかしたらその次でマルクス界全体の振り返りみたいなこともするかもしれないけれども、
あと1回2回ソーマルクスについてお話をしてお届けしていきたいと思ってますっていう感じですね。
はいはい、わかりました。
次回ですね、ソーマルクスの共産主義の中身というところで見ていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。