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サマリー
今回の「それ哲ラジオ」では、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を深掘りし、功利主義の原則である「社会全体の幸福最大化」と、少数派の自由を守ることの間の緊張関係を探求しました。多数派の意見が社会を支配し、少数派の意見や行動が抑圧される可能性について、飲酒や喫煙の例を挙げながら議論しました。ミルは、個人の自由を制限できるのは「他者への危害を防ぐため」という「他者被害の原則」のみであると提唱しました。この原則に基づき、個人の自己決定権や、たとえ周囲から見て「愚か」に見える行為であっても、他者に危害を加えない限りは許容されるべきだと主張しました。これは、個人の多様な幸福の質や、天才のような少数派が社会を発展させる可能性を尊重するためです。しかし、この原則は行動だけでなく、意見や思想の自由、さらには自傷行為や自殺といった自己決定の領域にまで及ぶのか、といった新たな問題提起も行われました。次回は、これらのより複雑な問題についてさらに議論を深める予定です。
ミルの功利主義と少数派の自由のジレンマ
それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 今日はジョン・スチュアート・ミルの第4回ということでやっていきたいと思います。
前回と前々回、ジョン・スチュアート・ミルの公理主義ですね。 その本の内容をもとに、彼の根本的な思想にある
社会全体の幸福を最大化する というところに対しての考え方というところでお伝えしてきました。
前回は、一個の理想状態としての定常状態というところをお伝えして、 例えば経済というものにあったとしても、やっぱり無限に成長していくんじゃなくて
どっかのタイミングで一旦区切りをつけて、 そっちの発展というより、人間の内面的な発展とか成長みたいなところを
むしろ収録するような社会になっていくといいんじゃないかみたいな、 そういうふうな話もして、ミルさんのどういう世界観を描いているのかということをお伝えしてきたかなって思うんですよね。
はいはいはい。だからあれだもんね、ある程度社会の幸福量、 全体の幸福量がこのぐらいに達したら定常状態にしようか、いっか、みたいな話ってことだよね。
そうだね、うんうん。
で、その時に、やっぱり前回ちょっと触れた問題として、 社会っていろんな人がいるじゃないですかと、
いう時に、例えば99%はAと言っても、 1%がBって言ってるっていうことってありますねと、
いう時に、やっぱりその、いわゆる社会全体の幸福とか、 もっと言うとそれって多数決に近づくんだけれども、
ある種民主主義的な発想からすると、やや1%なんて気にせずに99%の方でやればいいじゃないかみたいな、
そういうふうになりがちなわけですよね。
まあなりがちだし、そうした方が、 社会全体の幸福量多いよねっていうふうになっちゃうってことだよね。
まあ多くなりやすいかな、1%があまりにも知りたげられてて、 めちゃめちゃ不幸のどん底ですみたいな。
ちょっとトータル量下がるから、 それは良くないようになるんだけれども、
ある程度そこの不のマイナスを減らした上では、 たぶん99%の方をやっぱりより良くしようみたいな、
そこにやっぱりなりがちだよね。
で、あった時に、1%の立場の人たちからすると、 やっぱり自分たちBって言いたいんだけどとか、
Bをしたいんだけどって、ある種そういう自由っていうものが、
ある種ありやなしやというよりも、 どういうふうにそのBを選びたいという気持ちとか、
Bを選ぶという行動っていうものを、 ある種担保できますかみたいな、
そういうことがすごく大事になってくるんだよね。
まあそうだね。
そうじゃないと、ちょっとこの後も話すんだけれども、
いやいや、99%がAって言ってるんだから、 Bって言うておかしいでしょ、みたいな。
で、法律とか、なんていうのかな、 識体とかじゃない、もう空気みたいな話。
で、もうある種言論が閉じられるみたいな、 そういうこともあるわけじゃないですか。
たぶんこれって現代でも全然あると思うんだけれども、
そういうところをどう考えますかっていうことが、 やっぱり見るとしてはその高齢主義と同じぐらいというか、
やっぱりこう、一緒に考えなきゃいけない問題だったっていうふうな話なんだよね。
他者被害の原則とその適用
まあ確かに確かに、その1%というか少数派側の人が、 それができないだけというか、
できなかったりとかこっそりやれるならまだしも、 その多数派の人たちから攻撃されるのはちょっと違う気もするもんね、なんかね。
そうそうそうそう。でもやっぱ気がするけど、 じゃあそれがなんでとか、
それでどこまでなら許されて、どこまで許されないのとかさ、 そうだってやっぱあるじゃないですか。
あるんだね、確かにね。
例えばこれもちょっと話していくけれども、
例えばその1%のBが、例えばだけど、 すごい良くないこととか、どう考えてもそれって、
例えば自分のことを傷つけますみたいなことだとしたときに、 99%の人も別に嫌がらせとかじゃなくて、
いやいやそんなことやめた方がいいよみたいな。
ああ、はあはあはあ。
うん。例えば、仮に飲酒とか喫煙としましょう。
で、めちゃめちゃ酒飲んでめちゃめちゃタバコを吸ってたら、 ちょっと早死にするから良くないよとかって言ったとして、
いやうるせえ、俺は別にいいんだとか、 私はそれが好きでやってるんだとかっていう人がいたときに、
例えば99%の人が法律を作れば、 例えばお酒飲んじゃダメですとか、
タバコ吸っちゃダメですって法律を作ることもできる。
確かにね。
そうすると、タバコ吸ったら犯罪ですって言って、 強制的にタバコを吸わせることもできるんだけど、
しかもそれって全員がやってるじゃん。
そうね。
でもそれってどうなみたいな話があるわけだよね。
どう思う?例えばこれ。
ああ、面白いね。
うん。
結構怖い話だなと思ったね。
ああ、そうだよね。
つまりやっぱり多数派によって少数派っていうものが、 強制的に行動させられるとか、
意見を封じられるっていうことって、
ある種その法律主義的な全体を良くしようとか、 社会全体の幸福を追求しようっていうところに、
やっぱりこう、ある種くっついてきちゃう、 やっぱり怖さなんですよね。
わー、構造的にそうなっちゃうみたいなね。
そうそうそう。
それは怖いね、なんかね。
うん。だってね、99%の人も、 いや、社会がそうやって良くなるからっていうふうに思ってるわけじゃない?
いやー、そうだね。
うん。
いやー、例えばやっぱ、今どこなんだろう。
いわゆるさっきさ、飲酒とかキツイみたいな話だったけどさ、
喫煙の問題だけにしてもさ、
あの、今、自分は吸わないから、 実外公務ってないんだけど、
はいはい。
あの、吸う場所少なすぎない?みたいな。
そうね、ほんとにね。
それってあるよね、学校とかさ、役所とか、 普通の会社もそうだろうけれども、
敷地内禁止でさ、敷地一歩出た外にずらーっと並んでた人がさ、
いやー、いらっしゃるよね。
出た一歩挟んだ道路の反対側にずらーっと並んでて、
そこ歩くとめっちゃ煙いんだけど、みたいなさ。
それはちょっと、なんだろうな、かわいそう、 かわいそうって言うとあれだけど、
でも、かわいそすぎるよね、それは、みたいなさ。
まあ、僕らの足吸わない側から見るとね。
そうそうそう、吸わない側が多数派だとすると、
なんかちょっとそういう光景も浮かんだよね。
そうそうそうそう、っていうことがあったときに、
でも、これはやっぱり一つの日本社会なわけじゃない?
うんうんうん。
うん、っていう中で、
じゃあ今、タバコを吸う自由はあるけど、 タバコを好きな場所で吸う自由はありません。
で、なんなんだっけ?とかっていう話でも できてくるわけだよね。
いやー、確かにこれ、さっきはいともが言った、
善意で作られたルールだよね。
たとえ福、なんて言うの?福流園とか。
福流園とか、そうね。児童喫煙とかね。
あ、そうそう、防止した方がいいよね、お互いに、 みたいなさ、しないさせない、みたいなさ。
あの、そこで作ったルールなのに、
そこまで肩に狭くなる?みたいな。
はいはいはい。
喫煙場所、そもそもないじゃん、みたいなね。
作った穴作ればいいじゃん、みたいな。
そうね。
しかもね、数十年前とかさ、別にタバコ吸うのむしろかっこいいとかさ、
いくんはやっぱ性達だ、みたいな話があったぐらいだったと思うんだけど、
それがね、変わってるとかってことも含めて、
やっぱりなんで?みたいな話ができてくるわけだよね。
わー、うんうんうん。
そういう時に、やっぱみるさんが考えたら、
やっぱりそういう社会全体の方向性とか良さとか、
守ってる空気みたいなものと、
やっぱりその個人のやっぱりやりたいこととか、やるべきこと。
あー、やるべきだと義務になっちゃうから、やりたいことかな、やっぱり。
で、これもやっぱりともすると対立しちゃったりとか、
ある種容易に社会の側が個人の側に入り込んできちゃうので、
そこにちゃんと支援を引かなきゃねっていうことを考えてくるんですよね。
わー、うんうんうん。
はい。で、これ面白いのがやっぱその、
ある哲学で自由みたいな、これ自由論っていう、
本当に結構固い漢字の名前の本なんですけど、
手元にいわなみ文庫のやつがあって、
これ結構読みやすいんですよ。
へー。
うん。もちろん難しいこと書いてはいるんだけれども、
なんかその、言葉がわかんない、すごいなんか、
難しい専門用語が出てきてわかんないとかってことはあんまなくって、
割とその、なんだろうな、自然にこう議論をしてくれてるんですよね。
で、これ最初のとこに書いててすごく大事だなって思ったのが、
その、実はちょっと読むんですけど、
この本書、この自由論の主題っていうものは、いわゆる意思の自由ではないと。
うんうんうん。
意思の自由では、そもそも自由とは何かとか、
自由を、例えば、自由になりたいと思うことは果たして自由なのかとか、
例えばそういう問題ね。
思わされてるんじゃないかとかってあるじゃん。
うんうんうん。
ってことじゃなくって、
あくまでもその市民生活における自由とか、
社会の中での自由なんだと。
あー、はっはっはっは。
つまり、個人に対して、社会が正当に行使して良い権力の性質と限界なんだ、
っていうふうに書いてるんだよね。
わー、すごい、ちゃんと、さすがですね、そうやって。
そうそう、最初に書いてるんですよ。
あの枠組み作ってくれてるんだね。
そうそうそう。
もっと言うと、社会というものは、個人に対してその自由を制限する権利とか、
そういったものを持ってますね、と。
で、逮捕する権利とかさ、
で、これをしたらダメとかっていう権利があるわけじゃない?
社会の側に。
っていうときに、やっぱそれが不当に行われると、
それこそ不当逮捕とか、
なんかこう、好き勝手されちゃいますね、
その社会の側がね。
あー、好き勝手ね、はいはい。
そうそうそう。
で、さっきみたいに、じゃあ1%のお酒飲む人とか、
タバコ吸う人はもう全員で、
毒防疫だとかってなったらもうやってられないわけじゃない?
1%の人からすると。
やっぱ特にちゃんと線を引かなきゃいけないねっていうことがあって、
これをやっぱ考えていきましょうっていう話なんですけれども、
「愚かな行為」を許容する権利と個人の尊重
今日、例えばやっぱ考えていきたいのが、
やっぱりその、なんていうのかな、
なんでそもそもじゃあ、みるが、
あるいは社会全体の幸福が最大化すればいいわけじゃないですか、
高齢主義的なみるからしたら。
でもあえて、ある種少数派とか1%になることを考えている。
やっぱこれってなんでなんだっけって話なんですよね。
あー、まあそうだね。
逆に言うとさ、99%はいいって言ってるんだったら、
もうその方がみんなハッピーじゃんみたいな。
むしろ、その1%を別の国に追いやったら100%になって、
この社会100%幸福じゃんとかっていうことも別に考えられるわけではね?
今のハヤトの話聞いてたらさ、思い浮かんだのはさ、
ドラえもんのなんだっけ、あの独裁スイッチだっけ、なんだっけ。
あるよね、はいはい。
なんだっけ。
あのー、この人名前呼んで押したら消えちゃうやつでしょ?
存在が消えちゃうやつ。
そうそうそう、で最後のび太しかいなくなったみたいな。
はいはいはい。
なんか、これ怒んない?これ。
あの、99%で1%でしょ?
1%捨てて、1%を捨てたら100%になるわけだけど、
そういう100%の中でまた新たな1%とか2%が生まれるわけじゃん。
これ、一人にならない最後。この国。
いやでも、まさにそれが独裁政治だよね。
あー、はいはいはい。
だって、自分に都合の悪い存在とか、
自分の意に沿わないものは決して良いというか、
その権利があるっていう話だからね、その独裁政治っていうのは。
まあ、私、いわゆる民主主義みたいな、
その多数決でも起こり得るのか、それ。
まあね、起こり得ると思う、そう。
で、大事なのはまさに今回独裁者の話じゃなくって、
あくまでも当時のイギリスっていう、一定民主主義が拡大していく時代の話なんだよね。
はいはいはい。
つまり、王様とか貴族みたいなさ、
まあそれ、少数の人が特権を持っていて、
あとの人はもう全員制限されてるじゃなくって、
一定その多数派の民衆っていうものが政治を動かそうとしてる。
まあもちろん男性だけとかいろいろあるんだけれども、
っていう時代ではありますと。
はいはい。
で、当時の発想からすると、
まあ、ミルはこういうことをよく考えてるんだけれども、
普通の感覚からすると、
やっとその権利、政治とかも含めてその権利がやっぱり一般化してきましたねと。
うんうんうん。
で、僕らの自由も拡大してきて、
要はその社会の権力っていうものと、
その国民の一定のその意思っていうものが一致する。
それがまあ、要するに民主制とか、
その普通選挙とかっていう話じゃないですか。
うんうんうん。
当時まだ普通選挙はないけれども、
っていうところがあるので、
どんどん社会が良くなって、
どんどん自分たちの自由っていうのは
完全になっていくじゃないかみたいな。
うん。
そういう風な雰囲気が当然あるわけですよね。
いやー、おー。
うん、ね。
まあやっぱミルはやっぱそこに、
やっぱりこうちゃんと矛盾を見抜くわけですよ。
やっぱそれがすごいなと思うんだけれども、
それが今日も話してきたような、
いわゆるその多数派とか、
まさにその民衆とか大衆っていうものか、
逆に今度は権力を持ってくるっていう話。
あー、はあはあはあ。
うん。
で、やっぱりその民主主義ってやっぱり
その多数派が絶対的にやっぱ力を持ちますと。
うん。
まあ日本でもそうだよね。
やっぱりその投票っていうシステムによって、
数が多かった人が政治の場に行くわけだから、
やっぱりそれはその一定、
まあもちろんね、
ある程度、
多分いろんな選挙の改正の中で、
少数派の意見も取り入れましょうとかさ、
言ってあるとは思うんだけれども、
でもやっぱりそこってあくまでも
多数派が強いっていうのは変わりませんねと。
うーん。
いうときに、
やっぱり自らやっぱり、
これまずいよねって思ったのが、
結局それによって法律が変わるとか、
警察みたいな権力が変わるとかっていうことよりも、
やっぱりそのさっき言ったような空気だよね。
うん。
例えばさっき言った1%の人に対して99%が、
お酒なんか飲むなっていうこともそうだし、
逆に言うと、
お酒飲むってちょっとおかしくない?とか、
そんなことをしてる人と付き合っちゃいけませんとかね、
例えば。
ああ、はいはい。
っていうことが起きたときに、
でもお酒飲みたい自分はどうしたらいいのって、
やっぱりなっちゃうじゃない?
いやー、
まあミル自身がね、
前回も言った通り、
そうだもんね。
旦那さんがいる女性とお付き合いしてて、
何あのミルさんみたいなことを、
めっちゃ言われてたからってことだもんね。
うん、まあそうそうそう。
言われてたし、
なんなら絶縁というか、
友達からも減ってくみたいな、
そういう感じでしょ、おそらく。
そうそうそうそう。
やっぱそれって、
そのもちろん社会的にいった話もあるけれども、
やっぱりもう精神的に、
やっぱ来るわけで、
やっぱ自分はおかしいんじゃないかとかさ、
こんなことしてて本当にいいのか、
でもやっぱりその、
ね、ハリウッドさん女性を愛する気持ちは、
やっぱり捨てられないみたいなさ、
そういう葛藤勢抱えてやっぱ生きるのって、
やっぱめちゃめちゃしんどいよねと。
これって多分、
まあ今もあるかもしれないけど、
ちょっと前で行くと、
ね、もうそろそろいい歳なんだから、
結婚した方がいいんじゃない?とかさ。
はいはいはい。
例えばなんか、
いやもうそんな変な、
例えば、
よく昔だったと言う聞くけれども、
たぶん左利きだと苦労するから、
右利きに直しなさいとかさ、
例えばね。
はいはいはいはい。
っていうのって、
ある種、
社会のやっぱ圧力なわけよね。
いやーそうね。
うん。
本人からしたら、
いや別にその結婚しようがしまいが別に、
それって自分の自由じゃないかとか、
そもそも自分は左利きで生まれてきたんだから、
それとして生きるのが普通なはずなのにとか、
そういうことの葛藤って、
別に今の時代も全然あると思うんだよね。
いやーそうね。
うん。
っていうことがやっぱり起きるよねと。
で、起きた結果やっぱりその、
いわゆる少数派というか、
それを押し付けられる側の個人っていうものが、
やっぱりかなりしんどい状況に置かれる。
っていうことはやっぱりミルさんは、
まさに身をもってやっぱ知ってたわけなんですよね。
わー、
まあそっか、
そうだね。
うん。
なので、やっぱりそれをどうにかしたいと。
で、その時に例えば国家の介入とかさ、
その法律みたいな話であれば、
その法的な制度とかを整えて、
ちゃんとその少数派遣を取り込めるような、
なんていうのかな、
制度にしましょうとかっていうふうに、
制度の側でいけるんだけれども、
いわゆるその同調圧力とか空気みたいな話って、
それってやっぱり抑えようがないじゃないですか。
まあまあそうだよね。
うん。
なので、やっぱそれをどういう、
どうやったら扱えるかっていうことをやっぱりミルさんは考えるんですよね。
ほー、うんうんうん。
うん。
自由論の原則と現代社会への応用
で、それが一個の結構シンプルな原則として、
その他者被害の原則っていうものを立てますと。
他者被害。
被害?
うん。
あの、被害を加えとか、
その危ないとか害。
うん。
ほうほうほうほう。
他者に被害をっていう話だよね。
うん。
要はもうめちゃめちゃシンプルなんだけれども、
そのね、人類とか社会っていうものが、
個人のその自由な構造に、
正当に干渉できるとしたら、
それは他者への被害を防止することだけなんだっていうふうに言うんだよね。
ほー、はいはいはい。
逆に言うと、他人に被害を加えない限り、
個人は自由だということをミルさんは考えるんですよ。
うんうんうん。
こっから実はいろんな問題が出てくるんで、
今回と次回色々話していきたいんですけれども、
今日はもうちょっとミルさんの話をしてるっていう意味で、
じゃあこれを考えると何がいいかっていう話なんだけれども、
まずさっき言ったような、
その少数派1%の喫煙とか飲酒っていう人に対しても、
他人に被害を加えない限り認められますって言うと、
うん。
のが、本人のためになるからっていう意味での干渉、
つまりお酒は飲まない方が健康だとか、
煙草は吸わない方が長生きできるとかっていう理由での干渉っていうものを、
一切拒否できるんだよね。
そうね。
うん。
なので逆に言うと、例えばもうなんていうかな、
それこそ公共の場でやっぱ吸っちゃうと、
その副流炎の問題とか、
吸いたくない人に吸わせるっていう被害を加えるので、
それは制限できますねと。
でも吸ってもいいところとか、
自宅とかも含めてね、
っていうところで吸うことに関して、
他の人が何かを言うのは間違ってますねっていう、
こういう原則を立てるんだよね。
おー、はいはい、わかりましたね。
そうそう、これでどう思う?
うーん、まあ、
この被害を加えられたっていう側の、
その、
グラデーションもあるから難しいけれども、
あの、一つの納得する線引きではあるよねっていう感じ。
まあそうだね、うんうんうん。
そういうところがあるので、例えばねその、
ただその人に対して、
そういうふうにアドバイスをすることもまた自由なわけですよ。
だから、例えばそのタバコを吸ってる人に対して、
いや吸わない方がいいんじゃないとか、
長生きしてほしいからさ、ちょっと減らしてよとかっていうことも自由。
なので、
それ自体は全然その説得とか忠告ってことはできますねと。
ただそれを超えて、
何か社会的に制限をするとか、
あるいは家にあるタバコを全部捨てるとか、
それはやっぱ自由を侵害して強制している。
だからやっちゃダメだよねっていう、
そういう線引きを引けるようにしましょうねっていうことをミルさんはやっぱ考えるんだよね。
おー、はいはいはい。
で、これってもっと言うと要は、他人と自分というものをめちゃめちゃ線引きしますと。
つまり自分の体と心っていうものが自分だけのものだから、
それに対しては何をしても良いけれども、
その他の人の体と心は他の人のものだから、
それは侵害しちゃダメだよっていう、
こういうことを考えるんですよね。
おー、はいはいはい。
で、これがある種は事故決定権みたいな話でも繋がってきてて、
事故というものの尊さというか、それを侵害してはダメだみたいな、
そういう発想にも繋がっていきます。
でね、これがちょっと実は面白い話があって、
それを認めると、次こういう権利も考えるよねっていうものがあって、
それが、人がある種愚かなことをする権利。
愚か、愚公権とかってこともあったりするみたいなんだけれども、
つまり大人であればって、子供とかはまだちょっと自分で判断できないっていう、そこの発作ミルさんもあるんだけれども、
大人であれば、
どんなに旗から見て愚かだなーとか、
おかしいよっていうことでも、
する権利があるんだと。
ただし、他者への危害を及ばさない限りはっていう感じなんだけど、
で、
これがね、やっぱすごく面白くって、
なんかそのミルさんってね、幸運いしてるじゃないですか。
なので社会全体が幸福になってほしいわけですよね。
でも、ある個人が、例えば何か間違ったこととか、どう考えてもおかしいことをして、
要は不幸になりそうですと、要はそれがもう、
99%の人はわかってますと。
でもその、
一般の人が愚かなことをしたい、愚かにしか見えないことをしたい、
という時に、それは守られるんだってことを言うんですよね。
ああ、面白いし、この愚行っていうのも、
その99%側からの、
その主観的な言葉だね。
まあそうだね、私別に自分でわかっても、これは愚かななーって思ってて、別にやってもいいのよ、その人がね。
なるほどね、そうそうそう。
だから例えば僕もそういうのよくあるけど、
なんかどう考えても食べきれないけど、
食べきれないというか、別に、
お腹空いたわけじゃないのに、めっちゃ食べ放題って、
腹パンパンになって、苦しいって帰ってくるみたいなさ。
はいはいはい。
ともすると、ちょっと愚かじゃん、別になんかこう、
食べなくてもみたいなね、気持ち悪くなるぐらい、食べなくてもいいじゃんみたいな。
ああ、旗から見てもらうし、自分もそう思うけど、
あの、
何らかの、何らかの幸福メーターがアップするから、まあ、
無効なのはわかってるけど、ね、みたいなね。
あ、そうそうそうそう。つい行っちゃうんだよねー、みたいな。
はいはいはい。
ことって、まあ別にあると思うんだよね。
別にそれを、まあそれがかわいいものとは思うけれども、
まあそういったことも含めて、ある種人間にはそれをやる権利があるんだと。
はいはいはい。
ということはやっぱミルさんは言うんですよね。
で、これすごい実は大事で、なんでかっていうと、
そうじゃないと結局、
世の中のやっぱ決めたこういう正解をやりなさいとか、
さっき言った通り、
ある種この社会において人はこういうふうにあるべきだから、
そうすることがあんたにとっても最善ですよっていう、
やっぱりそのある種感傷っていうものが、やっぱりこう、なんていうのかな、
何をもってやっぱ拒否できますかって話なんだよね。
ってときに、世は別に知らないからやってるんじゃなくって、
もう愚かだとか、全然役立たないってわかっているけど、別にやってもいいっていう、
他の人に危害を食わない限りはって、そこはもちろんベースあるんだけれども、
っていうことをちゃんと言うことで、
そういった多数派の声に対して、いやいや自分は愚かだとは思うけれども、やってるんですっていう、
これを言えるようになるんだよね。
おー、はいはいはい。
で、それはやっぱりある種見ると人間感っていうものがあって、
やっぱりその人っていうものは機械みたいな正しいことだけをするとか、
幸福ある種、1位みたいな感じで数だけれども、
この幸福を、1位を積み重ねて100位になったらハッピーだみたいな、そういうもんではないんだと。
それは植物みたいにいろんな生命力があって、
同じ、例えば杉の木でも、こっちは
なんかすごい太く生えてるけど、こっちはちょっと細いけどすでに長いとかっていろんな違いがあるわけじゃないですか。
っていうふうに、いろんな環境の中で刺激を受けながら伸びていくっていうふうな、
そういうふうな生命体なんだっていうことを考えるんだよね。
もっと言うとやっぱり人が、
もっと言うと自分がね、
何をしているときに本当に幸せを感じますかとか、
その幸せが、例えば日光浴をしているときの幸せと、
さっき言ったような、食べ放題っていうときの幸せって、
同じですか違いますかって質の話をするとやっぱりそこが出てくるわけだよね。
なるほど。でもそう、やっぱりそれってやってみないとわからないじゃないですか、正直。
そうね。
なのでやっぱりそういうふうなことをある種実験するというふうな、
そういうことをやった結果が、自分はこれ全然ハマんなかったわーとか、
思ったよりこれ自分めちゃめちゃハッピーじゃんとかっていうことを、ちゃんと試していく。
そういうふうな自由というか、権利があるんだよっていうことをやっぱり言っていくんだよね。
はいはいはい、なるほど。
そうすると、やっぱりその多数派に合わせるとか、
なんていうかな、みんながこっちだって言ってるからそっちに行かなきゃいけないとか、
ってことから個人って言うものは守れますよねというか、
戦敵ができませんっていうことをミルさんは考えていくんだよね。
わー、すごいね、そっか。これでいわゆるその抗議主義的な、
なんだろうな、
こう、同調、強くはないけど、みんなを畜体にしちゃうような、
その匿名性なくなっていく感じみたいな、
ところと、
その個人の自由というか、
こう言っても、
質だよね、
人によって幸福の質も量も感じるものも全然違うじゃんみたいなところを、
これで両立させようとしてくれてるのか。
あ、そうそうそう、そういうこと。
やっぱりベースにあるのは高齢主義で、社会全体が幸福になるっていうことが絶対的に大事ですと。
でもやっぱりその中で、ミルさん自身も含めてやっぱり少数派とか、
やっぱり割を食う人が絶対出てくる。
もっと言うと、その後の議論で天才についての話もあったりするんだけれども、
なんか最近、ちょっと数年前にも天才を殺す文字みたいな本があって結構話題になってたんだけど、
でもその天才っていうものがやっぱりその同調圧力とか、
やっぱりそのある種、尖ってる部分を削られると、やっぱりこう、その天才性がある種なくなってしまう。
あった時に、やっぱりその天才っていうものを伸ばす社会がやっぱりどういう社会かっていうと、
そういう個人でやっぱり自由っていうものを最大限担保できる社会だっていうことも考えてるんだよね。
なのでその、もちろん個人っていうそのいろんな人の話もあるけれども、
そういったその社会を動かすというか、
前に進めていく天才っていう人がいるっていうことをミルさんは考えてるんですよ。
なんで天才について焦点当てたんだろう。
同じように少数派になりがちだみたいな。
そうだね。天才の議論でいくと面白いのは、
基本的にミルさんはその個性を発揮する、やっぱり人間がその個人個人の個性を持っていて、
それを発展させていくっていうことをすごく大事にはしてます。
で、そうした時に、
えーとね、例えば自由、逆にその反論、批判する人からすると、
要は分かった、お前たちがそういうのはいいけれども、俺らには関係ないことだから勝手にやってくれと。
つまり、君たちが自分たちの自由を大事にするように、自分たちは
自由を大事にしないということを大事にするから、
そこはもうお互い勝手にやっていこうねっていう話もたぶんできたりするわけですねと。
ああ、なるほど。勝手にこっちにやってね、みたいな。
自分たちには関係ないよっていう話もあるんだけれども、
そうじゃなくて、
要はミルさんはそこに対する一定の想定した反論として、
やや違うと、自由っていうものはそれを大事にする人だけじゃなくて、
そのみんなが自由であることっていうのが、
他の人に、要は世の中にとってもやっぱりプラスになるんだっていう、
そういうふうな話をしていくんだよね。
つまり、自由を活用しない人でも、
世の中の自由を広げることによってメリットがあるっていうふうな話をして、
その中で、いわゆるやっぱ天才だよね、世の中を動かしていくとか、新たな真理を見つけるとか、
そういう人っていうものはもちろん少数派であって、
歴史的にもそうだったし、現代もそうだろうから、
その少数派の人たちがちゃんと自由に自分の個性を伸ばしていく、
その結果、天才性が発揮されて時代が次に進んでいくっていう、
そういうメリットっていうものが自由を認めることにあるんだよっていう、
そういう流れで言ってるね。
ああ、なるほど。
だからその行為主義への反論として、
まあ、ご自由にというのであれば、俺たちもご自由にさせてもらうよって言ったとして、
あの、包括しちゃうんだね、その人たちも。そういうあなたたちもこの行為主義の中で、
あの、そうやって自由にやっていい存在ですから、反論とかもないから、
ご自由にやってください、どうぞみたいな、
あの、ちょっとずらすみたいな感じになるのかな。
そうですね、ずらしつつ、でも自由って大事なんだよとか、
これについては合意できますよね。なぜなら、そういう天才ってものが、
そういう自由が少ない社会では生まれないというか、
その個性を十分に発揮できませんからねっていうふうな話をする感じかな。
なるほど、なるほど。
なので、よく天才とバカは神一人とかって言うと思うんだけれども、
まあ、そういうね、愚かな、一見すると愚かなことに見えるじゃん。
やっぱりその天才性が発揮される前とかさ、
なんでそんな意味のないことやってんだとか、そんなことを、
なんていうのかな、
誰も試してないよとかっていうことをやった結果、やっぱりその新しい発見が生まれたりするとかって言うと、
さっき言った愚公権、愚かなことをする権利っていうことも、そこにやっぱり繋がったりもするんだよね。
うんうんうんうん。
うん。なのでその、もちろん個人の自由を守るっていうことが、
引いてやっぱり社会っていうものを発展させるとか、
それができる個人を育てることになるんだみたいな、そういうことを伝えていくことで、
自分の自由論っていうものを、説得力を持たせるというか、
そういうことをしたっていう感じかな。
はいはいはい。
自由論の限界と次回への課題提起
なるほど。いやーすごいね。ここまでいろんな、
その多様性みたいなものだよね、今で言うとね。
そういうものをちゃんと想定してるのがすごいね、本当は。
そうだね、そうだね。
やっぱりそれは何度も言うけど、やっぱり女性との関係性とか、自分が仕掛けられたとか、
もっと言うと、すごい聡明な女性に対して、やっぱりもっと女性の地位を高めようみたいな話が多分あって、
これもちょっと余談っぽくなっちゃうんだけど、その自由論の一番最初、
冒頭に弊社の言葉を書いたりするときがあると思うんですけど、
そこでハリウッド・テイラーさんへの言葉みたいなものを書いてるんですよね。
この自由論を出すときに、テイラーさんは亡くなってしまったらしくって、
で、本来であれば一緒に見てもらって補足、構成もしてもらって出せたんだけれども、
それができなくなってしまったみたいなことを、すごい嘆き悲しんでるんですよ。
ちょっと開けようと思うと、この本の最も重要な部分のいくつかは、
かなり慎重な再検討をテイラーさんにしてもらう予定だったんだけれども、
今では叶わぬことになってしまったと。
彼女と共に葬られてしまった偉大な思想や高貴な感情を、
せめて半分でも世界に向けて伝えることが私にできるのであれば、
私はそうするだろうし、世界にとって有益なものだろうみたいな。
そういうことを書いて、やっぱりハリウッド・テイラーさんがいたことで、
どれだけ自分が豊かな人生になったかとか、
世の中に伝えたいものをちゃんと伝えられるかっていうことがやっぱりあったりしたので、
それだけ優れた人が女性っていうだけで地位がちょっと低いとか、
自分と女性との関係っていうものがこんなにも豊かなものなのに、
やっぱり社会的にはちょっと強いてあげられているみたいな。
ところとの重ねていくことはすごくあったんじゃないかなって思うんだよね。
なるほどね。
そんなこともあるので、やっぱりミルさんの発想でいくと、
社会っていうものを捉えながら、いかに個人の個性とか、
そういった自由っていうものを擁護するかっていう、
このバランスがちゃんとあるっていうことがすごく大事だなと思っております。
そうだね。私、今回冒頭で言ってたさ、
そもそも自由とは何かとかさ、自由の本質とはじゃなくて、
社会で、もしくはミルが想定するこの公立主義っていう社会で、
人々が自由に生きるってどういうこと?みたいな。
だったりとか、しかも構造的にはね、個人の方もそうだけども、
その構造的にさっきの具貢献があるとかさ、
被害を加えない限りはOKみたいな。
そういう話をしてるっていうのは、すごくリアルというか、
ちゃんとこう、本律的でもありつつ、
ちゃんと社会にこれを実現していきたいみたいな。
前回とかさ、だいぶ理想主義っぽいというかさ、
理想論っぽいとか話はしたけれども、
意味のある理想論として、すごくこう、
そこの地に足をつけたいんだ。
ちゃんとこれを社会にインストールできるような形にしたいんだ。
みたいな、このミルの切実さというか、
考えみたいなもの。
そこは伝わってくる気がするね。
うんうんうんうんうん。
だからやっぱりすごくね、前回のやっぱり誠実さというか、
ちゃんとやっぱり世の中を良くしたい。
それをどこかにかておるんじゃなくて、
ちゃんとバランスを取りながら、
社会と個人とか、
それ両方に目を向けながらやっていきたいというところが、
すごくあった人だなと思うんだよね。
だからそういった意味で、
結構こういったもの、原理原則は人に危害を加えちゃダメですよって。
それとなぜかというと、自由を守るためとか。
それは自分の自由も同じで、他人の自由もということも含めてね。
ところがやっぱりすごく根本的な話だとやっぱり思ったりはします。
なので、やっぱりこのベースの話はめちゃめちゃいいんだけどっていうところを、
今日伝えた上で、次回にそこから出てくる問題点とか、
どういうことが議論になるのかっていう話をしていきたいなと思っているんですよ。
あ、そうなんだ。
これで自由論めでたしめでたしじゃないのか?
ない。ここだけで終われれば別にいいんだけれども。
例えば、次回どのテーマを扱おうと思っているかっていうと、
今回で行動の話をしたじゃないですか。
人に危害を加えちゃいけませんと。
それこそ殴る、蹴るもそうだし、
さっき言ったお酒とかタバコ全部捨てるとかってやっぱり良くないじゃない?
勝手にね。
っていうのはあると思うんだけれども、
例えば意見とか言論?
もっと言うと思想ってどうなの?と。
例えば、仮に
例えばタバコを辞めさせたいから捨てましょうっていう人がいたときに、
捨てようということを考えたっていう人と、
全部捨てた方がいいよって言った人と、
実際に捨てちゃいましたっていう人がいたときに、
行動はダメっていうことはさっき言われたじゃないですか。
でも、じゃあその意見を言うとか、そもそもそういうことを考えるっていうことって、
どこまで認められるんでしたっけっていうこともあるし。
そうなんだ。
それが例えば、
一人がいいぐらいならいいけれども、
99%の人が、例えば100人とか100万人が、
お前辞めた方がいいよ、タバコ捨てちゃうよって言ったとしたらさ、
それってどうなの?ってなっちゃうじゃん。
それってもはや危害じゃない?みたいな。
それが起きるのが、現代やっぱりSNSだったりするわけですよね。
まあまあそうはね、わかりやすいね、確かに。
そうそう、当時はなかったけれども。
社会の声ってやっぱりそういうことだし、
みたいな話もあれば、
あとは、
例えば、タバコを吸わないとかぐらいであれば、
一定その議論できると思うんだけれども、
例えば宗教的な違い。
例えば仮に、リンゴを食べちゃいけません、
リンゴを食べるなんて不潔ですっていう宗教と、
リンゴ大好きめっちゃ食べたいっていう、まあ宗教とか社会があったときに、
リンゴを食べる人と隣にいるだけで、私は苦痛ですっていう人がいたとして、
それって他者危害なんだっけ?とか。
なるほど、そっか。
つまりそれってリンゴを食べたいという自由と、
リンゴを食べる人なんて同じ空気も吸いたくないという主張とか自由で、
どうするの?みたいな話とか。
なるほどね。
そういう、前回もね、高齢主義の時もそうだったけど、
社会って思っている複雑だし、いろんな発想の人がいるっていう時に、
原理原則、他人に危害を加えない方がいいよねっていうことが仮に合意できたとしても、
個別具体の話ってめちゃめちゃいろいろあるんですよね。
そっか、あるか。あるね。
なるほど、全然想定できてなかった。
とか、あとやっぱりもう1個大事なのは、
さっき言った、自分の体と心は自分のものだと、
という人が言ったところで、やっぱり自分というものは自分に決定権があるんだって話と、
例えば、自傷行為とか、もっと言うと自殺だよね。
つまり、
良識のある大人なのであれば、自分の体と心は自分のものなので、
自分をいくらでも痛めつけても良いとか、
自殺っていうものもその人の自由であるとか、
で、別に言えたりすると思うんだけれども、
果たしてそれって本当にそうなんだっけみたいな話が多分、当然議論できますねと。
なのでこの辺はちょっとミルの議論を超えるところもあるんだけれども、
やっぱりミルが言ってくれた、公立主義とか自由論っていうことを踏まえたときに、やっぱそういう問題が多分、
僕ら現代の人にとってはやっぱ大事かなと思うので、
ちょっと次回はそういった話をしながら、
自由とか、個人と社会の幸福とかって突き詰めてどこまで考えていけるのかなみたいな、
そんな話をしたいなと思ってますっていう感じなんだよね。
そうなんだ。全然今日の話で目出しでいい気がしてたからさ。
なるほどね。ちょっとどんな話になるんだろう。
面白そう。
目出し、目出し、オールハッピーになればいいんだけど、そうならないねってところがあったりするんで、
ちょっと次回そういったことも含めて、より現実的なというか、より具体的な、
自由という話とか、ミルの自由論から出てくる話をしたいなと思ってますというふうな感じですね。
はいはい、わかりました。次回ですね、ミルの自由論の後半ということでやっていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
45:27
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