00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回、ジョン・スチュアート・ミルの第3回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回はですね、その功利主義っていう話の中でも、ちょっとミルの手前みたいな感じで、
その宗教的な功利主義とか、種族的な功利主義があるよとか、
ベンサムですよね。ミルのお父さんの友人というか、師匠というか、そういった関係もあったベンサムさんっていうのが、
もともとそういった功利主義っていうものをやってたんだけれども、
特に数ですよね。貴族の幸福も、ある種子どもというか、
平民的な人の幸福も変わらんみたいな話をしたときに、論としてはツッコミどころがいっぱいあるんだけれども、
政治的な力として、やっぱそれが同じだとか、数っていうのは分かりやすいものに集中することで、
議論がしやすくなるみたいな、そういうところの良し悪しみたいなところも含めつつ、
ミルさんの質問が大事じゃないかみたいな、そんな話を前回したかなと思うんですよね。
面白かったよね。ベンサムの功利主義って、もう全く使えないじゃんみたいなさ、
数って言われてもねえみたいなさ、快楽の修行って言われてもねえみたいな感じになっちゃって、
もう全く使えんみたいなさ、意味ないみたいな感じに思ってたというか、そういうふうに多分思っちゃうと思うんだけど、
やっぱり当時なりの、さっきハヤトが言った貴族の当時の身分的なところで言うと、
あえてめちゃくちゃ数っていうものにフォーカスして、質を一体排除しないと、
同じ土俵で話しすらできないと。そういうところの理由があったんだなあみたいなのは、面白かったし、
とはいえそれが実現された後は、言うときも質大事じゃんっていう話はそれはなるよねっていうところで、
見るのを個人的な体験というかからも、やっぱり質大事だよねみたいなところに、
ちゃんとでもその順番は必然だったっていうところが前回面白かったなあと思うね。
そうだね、やっぱり僕もそこは本当に思って、なんでそんな数だけとかってそんな無茶なこと言ってたんだとかって思ってたけれども、
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そうじゃないと進まないことがあるって逆にすごくさ、僕らもあるじゃない、あえて単純化しないと進まないとかさ、
全部伝えても伝わりきらないみたいなのって日常的にもあったりすると思うから、そういった意味でやっぱり弁さんがいて、
それを踏まえた、それが浸透した後のやっぱり見るがいるみたいな、そういう流れで見ることの面白さというか、
やっぱり役立つことってあるなと思ったんですけれども、今回はよりミルさんの小売主義というものをより深く見ていくんですが、
当然これも全部は伝えきれないんで、あえてこれもシンプルにしていこうと思っているんですけれども、
今日は1個テーマとして取り上げてお伝えしていきたいのが、質の話をしていくんだけれども、
その中で結構質を追求していくとやっぱり悩ましいのが、
氷過ぎってもともとお伝えしている通り、要はその全体の幸福だよね。
互い全体の幸福とか快楽が最大化するようにしましょうと、
というふうに話したんだけれども、そうするとじゃあ個心はどうなのって話ってちょっと思いませんか?
やっぱり一人一人の幸せが足し合わさって社会の幸せになるっていうのはもちろんそうなんだけれども、
例えばもうちょっと、じゃあ観音京介さんちょっと幸福度を下げてくれませんかと、
そうすると他の人の幸福度が全員1で上がって、世界全体では何か10億上がるんですかって仮名としてさ、
それってどっちが本当にいいんだっけみたいなことってちょっと思ったりしない?
まあまあね、高齢人だとどうしてもね、
デルクに叩かれて、セーフティネットみたいに貧しいというか厳しい人は救われるみたいな感じになると思うんだけど、
確かにね、現代で言ってもね、例えば個人の所得税なんかさ、一定程度超えると55%だったりか、
あの半分ぐらい持って帰るみたいなさ、マジかよみたいなさ、
やっぱり人もね、そうするとやっぱりほら、俺たちちゃんと税金払ってるのにみたいなとか、
政治にも少し目が向かわざるを得ないというかさ、
そうだよね。
ちょっと似てるっちゃ似てるよね、その構造とね。
そうそうそう、やっぱりそういったのを見るのが発想ベースになるっていうのもそうだし、
あとやっぱりこれこそアメリカとかでも、あまりの貧富の差が激しくなりすぎちゃって、
なんかもう一定以上の所得、もう超えたものはもう全部国に納めろみたいな所得税どころか、
100%
そうそう100%、これを超えたら100%もう国に納めろ、もうなんか還元するから全体にみたいな、
06:03
そういうことが本気で議論されてるぐらいのことがあるんだよね。
はいはいはい。
そっちはね、お金とか資本というより分かりやすいものだけれども、
もうちょっとやっぱり幸福とかさ、そういったものってより目に見えないし、やっぱり扱いにくいじゃないですか。
そっかそっか、今お金の話したけど、今は幸福の話をしてるんだもんね。
そうそうそう。
やっぱりその、より多くの人が幸せになることと、個人が幸せを追求すること、
みたいなのがあった時に、やっぱそこってどうしても緊張関係っていうか、
なかなかどっちも大事だよね、ではあるんだけれども、それだけだと上手くいかないことも当然あったりするわけなんですよね。
はいはいはい。
っていうところがあるので、やっぱりミルもそういうところをちゃんと考えて、こういうことは言えるんじゃないかっていうことを、
ミルなりに言ってるんですよ。
あ、そうなんだ。しかも質っていう論点から、観点からね。
そう、観点から。
で、まあもちろんね、今の僕らから見たときに、それに全部同意できるかどうかっていうと、結構難しいところもあるかなとは思うんだけれども、
やっぱ結構面白い話だと思うんで、今日はそれをですね、伝えていく。なのでその社会と、個人っていうものがあったときに、
その幸福ってどう捉えていくんでしたっけとか、どういうふうに両立されるんでしたっけみたいな話っていうところをね、今日はしていこうかなと思ってます。
おー、面白そうだね、はいはい。
はい、というところなんですけれども、早速にちょっとお伝えしていくんだけれども、
もちろんね、その社会全体の幸福とか追求するって言っても、別にミルさんは、なんだろう、
人間っていうものは全員こう社会のために生まれつきなんだ、頑張りたいという気持ちを持っているのだ、みたいな、そんなことはやっぱ言わないわけですよ。
ほうほうほう。
だってやっぱ不自然じゃないですか、どう考えても。
まあね、なんだろうな、情けは人のためならずムーブみたいなのがあるかもしれないけれども、
回り回ってね。
そういう意味ではやっぱ自分のためだもんね。
そうそうそうそう。
意味で。
で、ミルさんも基本的に僕ら一人一人の人間の行動って、
社会のためっていうよりやっぱ自分のためとか、あとは家族とかそういう自分の近い存在のためっていう、
ある種私的な領域から出てるよねっていうふうなことを考えるんですよね。
はいはい。
で、やっぱりそうなったときに当然じゃあ自分の利益っていうものと社会の利益っていうことが対立しますと。
で、そうすると公理主義者はどう考えるか、その公理主義者としてはミルはどう考えるかっていうと、
ある種その社会の幸せ、幸福と自分の幸福っていうものを、
ある種もう第三者、客観的に見て、完全に偏りがないように判断しなさいっていうことを要求するんだよね。
09:10
うーん、それは自分で判断しなさいってことか、それ。
自分で判断しなさいってこと。
かつそれを自分の利益と社会の利益が両立ったときに、
自分の利益を増やすことと、社会の利益を増やすことのどっちがトータルの利益が増えますか、幸福が増えますかっていうことを、
ちゃんと判断せよって言うんだよね。
あー、はいはいはいはい。
うん。つまり、例えばじゃあ自分が、まあ何でもいいんだけど、何だろうなー、
うーんと、
例えばなんですけど、まあそのお米でも何でもいいけど、食べ物がありますねと。
で、例えば食べ物がなくて困ってる人が周囲にいますねっていうときに、
うーん。
当然その自分のものだから自分で食べるのがあるし当然というか、その権利はあります。
うーん。
でもそれを例えば人に分け与えると、その人たちの幸せ度が上がって、
よりね、自分はお腹が空いてしまうかもしれない、まああるいは腹満腹にはならないかもしれないけれども、
他の人の利益が上がる幸福になるみたいな時に、どっちを選びますかと。
はいはい、あれだよね、ある程度もう満腹近くまで食べれてて、若干蓄えがあるっていう人がいたとして、
その周囲に、なんかもうあの、漁って死ぬかもみたいなぐらい飢えてる人たちがいたとして、
はいはいはい。
まあ例えば米だったら、同じ1号とか2号あったとして、どっちの方がこうなんか社会的にだったりとか個人的に幸せな幸福増えますかというか、
はいはい。
いい感じですかみたいなところだよね。
ちょっと待って、それだとさすがに分け当たり要領ってなると思うんだけど、
極端すぎる?
ちょっとね、例えば自分の利益と社会の利益が対立するっていうことで考えると、
対立ね、はいはい。
対立、自分にはたくわえがちょっとありますと、
別にそんな裕福で、別に1年間楽に暮らすことではありませんと、
はいはいはい。
そういう時に、例えば公務員、何度も言うけどそういう人がやってきて、
お前たくわえあるからちょっとその米よこせと、
お前別に1週間くらい生きていけるだろうと、
で、その周囲には明日食べるものもない人たちがいるから、
お前の米を俺たちがもらって分け与えた方が社会全体がハッピーじゃないかと、
いうふうな状況でそれを断るかどうかみたいな話の方がイメージ近いかもな。
あー、なるほどなるほど。
やっぱりその自分の利益、自分がたくわえてるっていうことの利益と、
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社会で飢えててその今にもガチ人がいるってところの社会の利益っていうことが今と対立してるじゃない。
あーなるほど。
そっかそっか、あんまり余ってる感じを出すと、
今日さ、さっきハヤトが言った、アメリカではさ、
1点以上の所得がある人は100%持ってっていいみたいな、そっちっぽい話になっちゃうのか。
あ、そうそうそうそう。
なのでもちろん自分にも大事なんだけど、
より大事、切実さを持ってる人がいるっていう時に、
社会の側からそれを提供しようと言われたみたいな、そっちの方が近いかも。
なるほどなるほど、そっかそっか。
自分もそれがなくなることで、ちょっとだけ損をこむるというか、
ちょっと幸福下がっちゃうみたいな感じね。
そうだねそうだね。
ごめんごめん、だいぶ極端だと想像してしまったね。
あーでも全然。
だからどうかな?
例えば兄貴の普通の感情で言うと、それを断るか差し出すかってどう?
あーなるほどね。
あの、たぶん渋々だよね相当。
いや言うても、
気持ちの問題ね。
そうそう、じゃあ2週間後自分どうすりゃいいんすかみたいな。
いうふうにはなっちゃうかもしれない。
はいはいはい。
結構渋々からどうなんだろう。
なるほどね。
社会だもんね。
社会。
ほらさっき言った身内みたいなさ。
知ってる人とかあったら分けるかもしれないけど。
じゃあそのお役人の人が来て、10キロよこせーみたいな。
お前っちは10キロだーみたいなさ。
えーみたいな。
そうそうそう。
やっぱ結構悩んじゃうじゃないですか。
あの、決まりがないとそうはね。
なんか自ら進んで。
だからあれだね、そういう人たちがいるっていうことを認識もししたとすれば、
ある意味、広い意味での身内みたいな感じになるかもしれないから、
あげるかもしれないって考えると、いわゆるその調整役みたいな人が信頼できるのであれば、
渡すかもしれないよね。
おーなるほどね。
そういう意味で広い意味で、身内の調整をしてくれてる人がね、じゃあよろしくねーみたいな。
慣れるかもしれないね、気持ちとしては。
いいね。
やっぱりその役の場合だと、気持ちの問題ではね、
そりゃこっちも大変だけど、もちろん周囲の大変な人がいるんだったら、
矢塚ではないけどねみたいな、そういういろんなものがありますよねと。
ここに対して、やっぱりミルさんっていうのは、気持ちの問題っていうよりは、やっぱりその合理主義なので、
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ちゃんと合理的な判断だったりとか、こういう時はこうっていうことはやっぱ決めたいとか、そういう風なロジックで考えたいんですよね。
ただそれはやっぱり難しくて、さっき言った通り、
社会に差し出すことと、自分が持っていることの、どっちが社会全体の幸福っていうものを最大化しますかって言われた時に、
真の合理主義者ならそれが判断できるといえ、真の合理主義者ってなんだみたいな、そういう問題がどんどんなっていくんだよね。
神みたいになっちゃうよね、それこそね。
そうね、結局その影響ね、カオスリロみたいなさ、何が起きるかわかんないじゃん、その行為の結果が。
例えばさ、「いや、あんな奴が飯を食って生きながられるよりも、俺が元気にちゃんと生きていく方が社会的に有用なのだ。」みたいなさ、そういう人いそうじゃない?
それも言えるよね。例えばもう、言い方だけど、子供はもう力もなくて働けない。
俺は現行で、自分が元気な方がより農業を頑張って、生産力を上げて、来年の米が倍になるとかってもしかしたら、
今この瞬間米を渡して自分の体力を減らすよりも、俺がいっぱい食って来年の米を増やした方がいいじゃないかとかって、そういうことも言えたりするじゃん、例えばね。
なんか小説とか漫画でそういうのある気がするな。見たことない。偉い俺の方が生き残るべきか、みたいな。
よくありがちだよね。
あとの時に、それはもちろんどういうことかって話もしてくるんだけれども、もう一個大事っていうか、ここで出てくる概念っていうのが、自己犠牲っていう概念ですと。
つまり、兄貴はさっき、いろいろ考えて、だけど出せるよみたいな話をしたと思うんだけれども、
それが行き過ぎると、分かりましたと。やっぱり自分一人の利益よりも社会全体でみんなが十分幸福になった方がトータル幸福なので、
自分というものは我慢して差し出しますよっていう、そういう発想もなくはないわけよね。
あー、さっきの逆か。私、最悪、もうギリギリ生きてるぐらいでいいんで、みなさん元気に生きてくださいみたいな。逆パターン。
っていう時に、それはそれで一つ選択肢としてありますねと。
で、面白いのが、ミルさんの高齢主義におけると、この自己犠牲っていうものは、やっぱり尊いは尊いんですよ。
やっぱり社会全体の幸福を見てるっていうのは尊いんだけれども、無条件にそれをすべきだとも言わないんですよね。
18:03
うんうんうん。
で、これがすごく面白いのが、こうやって道徳の問題じゃなくて、あくまでもトータル、なんていうのかな、
幸福を増やしますか、その幸福ってもちゃんと捉えてますかって話なんですよ。
でもいい、さっきの人が、自分なんて本当に一日一食でいいんで、全部持って行っちゃってくださいみたいな。
と言ったとして、でもその裏で実はすごい自分がしょんぼりするとか、実は家族がいて子供まで道連れにしているとかね、仮にね。
はいはいはい。
そうなった時に、それってじゃあ本当にトータル、社会の幸福って増えたんでしたっけと。
むしろ自分たち家族の苦痛って呼ぶのが増えて、ともするとトントンぐらいで、実はあんまり意味なかったんじゃないでしたっけ、
とかってなると、その自己犠牲っていうものは無駄だよっていう風に結構バッサリ言ってるんですよね。
あーなるほど。もう感情的とかじゃなくて、そこそこ数字で。
そうそうそう。
だったりとか。論理的にそれマイナスだよだったり意味ないよっていう風に言えちゃうってことか。
そうですそうです。
自己満足ってことはね。
そうだね。自己犠牲が自己満足になって、結構その自己満足も不幸に繋がっちゃってるねみたいな。
なので、やっぱり社会と個人っていうものを考えた時に、社会の方が強い、さっきも言った役人が来たら差し出すしかないよねとかっていう、そういう発想もあるんだけれども、
それも違うと見えるさんからするとね。
だから本当に社会の幸福と自分の幸福っていうものが両方あって、それを対等に見れますかっていう、結構この視点がやっぱりすごく大事なんだよね。
はいはいはい。
うん。なった時に、じゃあどうすればね、とはいえ、その答えってやっぱり難しいじゃないですか。何が本当にいいのかとかさ、
自分の履歴と社会の履歴って、やっぱり完全には言ってしない時があるっていう時に、どういう風な、何だろうな、個人の振る舞いもそうだし、
どういう風な社会であるとそれが実現できるんだろうねってことはやっぱり見るさんが考えてるんですよね。
いやー、むずいね。自分で変数増やして難しくしてるよね。
そう。だからやっぱりベンさんはスタッフに削ぎ落としてやったってことなんだろうけどね。
で、ちょっとここで引き合いに出したいのがですね、前回、前々回からやったのがマルクスさんなんですよ。
当時は当然共産主義っていうものが広がりつつあって、
マルクスさんはドイツで、ミルはイギリスですけれど、イギリスの方にもそういう共産主義的な発想とか、
21:00
そういった資本主義ではね、資本化っていうところがどんどんどんどん台頭していって、
富める、栄えていくってことは、むしろイギリスの産業革命とかでどんどん起きてたんで、
そこのアンチテーゼとしての、そこのカウンターとしては共産主義っていうところも当然思想として入ってきてる。
やっぱりミルの法律主義的な発想とマルクスの共産主義的な発想って結構違うんだよね。
結構違うっていうか、同じところと違うところがあるんで、そういう話をすると少し分かりやすいかなって思ったんで、
ちょっとそれを持ってきたんですけれども。
結構比較されるというか、似てるねっていう部分があるか。
確かに共産主義を実現しようとすると、交流主義的な考えから配分みたいなものを決めるみたいな感じになるのか、自然と。
実はそこが面白くて、お互い根っこのキー感というか課題感は近いんだよね。
要は資本主義というものが広がると貧富の差ができて、資本家はどんどんたくわえてるけど、労働者はどんどん搾取されるみたいな。
そういう社会に対して、これじゃダメだよね、これ良くないよねっていうことが一緒なんだよね。
ああ、そこは一緒なんだ。
やっぱりミルも結局、個人の幸福だけ追求してるけど、さっきみたいに自分だけたくわえればいいとかさ、
他の人がどうなろうと自分だけが豊かであればいいとかってなっちゃったときに、それはやっぱり良くないよねっていう発想も交流主義の中に当然あるわけなんだよね。
ああ、はいはいはい。
それが、前回の電話で言うと貴族とか、特権階級だったけれども、その貴族から変わって特権化し始めている資本家っていうことも同じです。
なるほど。
っていうところがあるので、やっぱり急激な産業の発展とかそれに伴う貧富の差みたいな。
もっと言うと、これまでは貴族とか王族だったものが資本家になっちゃったみたいな。結局搾取されてんじゃんみたいな。
そういう構図は変わらないわけだよね。
なるほど。
うん。それを変えていこうっていう発想で、ちょっと近いんだけれども。
マラクスの時はね、マラクス界でお伝えしたと思うんですけれども、やっぱりそもそも何が悪いって資本主義の構造そのものがもう終わってるみたいな話をしたじゃないですか。
そうね。
で、生まれた瞬間からもう崩壊する運命だみたいな話があって、それを見ちゃったから、じゃあ次の社会の形として別の家を建てるみたいな話をしたと思うんですけど、
この家ダメだから別の家作って、こっちの方で暮らそうぜみたいな。
24:04
意味での革命とか、資本主義じゃなくて共産主義って別のルールで動く社会にしようぜみたいな、そういうことをやっぱりマラクスは考えたわけですよね。
はいはいはい。
そこでいくと、ミルさんは資本主義、資本家がどんどん豊かになって、労働者が削除されて、その構造は良くないよねとは思いつつも、資本主義そのものを打ち倒そうとか、それで変えようっていうことまでは考えてなかったんですよ。
これ何かっていうと、ミルさんの考えすぎたマラクスの共産主義に大きな違いがいくつかあるんだけれども、その中で一つ大きいところが、いわゆる変化の仕方というか何を持って変えるか。
マラクスはやっぱり、とにかく社会の構造を分析して、労働者と資本家っていうあるいは生産手段とかっていうものがあったときに、それをひっくり返そうと。労働者がある種上になって、労働者が作る社会というか、というものを作っていくって、ある種の社会構造っていうものを変えることで、世の中を良くしようというふうに考えたわけなんですよね。
ミルさんは実は、社会じゃなくて、もっと個人というか、人間の内面みたいな話。
前回、質の話で、豚と人間とスクラテスで話したと思うんですけれども、
究極、例えば全人類がスクラテスがどのぐらいすごいかと言っても、そういった精神的に優れた人間とか、道徳倫理的にすごく豊かな人間になったとすると、そのとき社会は良くなるはずだっていう、そういうところにミルさんは発想を持っていくんですよね。
なるほど、そうなんだ。うわー、面白い。あれか、プラトンの鉄人政治だっていうか、的な感じだよね。大丈夫か、これ。結構、理想主義っぽい感じになってきたぞ。
感じちゃった。このまま続いていくんですけど、プラトンの鉄人政治っていう、哲学を収めた人がある、それは政治家だよね。異性者になることで、その社会が良くなるっていうふうに考えたんだけれども、ミルさんはそもそも、この社会全体の人間が道徳的な発展とかをしていくと、当然その社会って良くなるよね。良くなるんだよっていうふうなことを言いましたと。
いやー、なるでしょ、そりゃ。なるでしょ。
なるんだけどね。かつそれを単純に何か学んでいくとか勉強するとかってことじゃなくて、日々の仕事。例えば、仕事ってのは辛くて過酷でただお金を稼ぐためのものじゃなくて、
27:16
仕事っていうのはそれを通して成長したりとか仲間と協力し合って、お互いの大切さを理解し合うみたいな、そういうふうな、ある種、まさに人間的な成長とか、内面的な成長とか、そういうふうな場にもなり得るんだっていうことを言い出すんですよね。
そんなこと言ってるの?
うん。
すごいね。それはすごいや。
へー。
ただそれはやっぱり資本主義的な資本家と作者と労働者っていう関係ではできないので、
これちょっとマルクスの時にも言ったかもしれないけれども、共同組合。
はいはいはい。
働く人とか出資者と受益者が同じっていうところであればそれが実現できるよねと。
うんうんうん。
つまりみんなでお金を出し合って組合を作って、その中で生まれた余剰利益とか、そういったものはみんなでちゃんと分け合うんだっていう、
そういうふうにすると、ある種自然と自分の幸福と共同体の幸福。
さっき兄貴もさ、周囲で困ってる人がある種身内になれれば、ちょっと気持ちよく渡せるかもとかって言ったじゃないですか。
うんうん。
つまりその共同体イコール身内みたいな、そういう感覚が増えていくよねっていうことを考えるんですよね。
おー面白いね、そっか。
それからちょっとマルクスと同じようなアウトプットが出てるね。
そうだね、アウトプットとしては。
でもやっぱりその根っこにあるものとか、目を向けている社会の構造を変えるのか、人間の内面を変えるのかっていうところがはっきり違うんだよね。
いやー面白いね。そこ全然、ある意味、アウトプットと同じなのに、求めてるものというか、チェッカー出てくるもの、魔尺っぽい感じするもんね。
そうだね。
見てるものがね。
それはね、同一生育成ってもちろん地理的な違いとか、個人個人のいろんな違いもあると思うんだけども。
もう1つ面白いのが、いわゆる共産主義だと基本的に競争とか、競争って争うね。
お互いこうなんだろうな、複数の会社が同じ事業をやって、お互いを牽制し合うみたいな。そうやって基本的にはもう全部NGなんですよ。
30:03
いや、そうだよね。すごかったよね。だってパン工場はさ、作って余ったパンを当ててるもんね。
パンを売ってさ、パンを売って得た利益をお金で分配するとかじゃなくてさ、
確かパンをもらうから、あとは勝手にそのパンで他の米なり魚なりと交換してくださいみたいな話だったもんね。
そうそうそうそう。
まさに言った通り、マルクス世界で言った通り、その競争があると結局資本っていうものが、お金っていうものが生まれて、
お金っていうものがどんどん人間が反省しちゃって、そっちがもう原理で動いちゃうから。
そうそう。
そうじゃなくて、もう競争っていうものそのものがダメなんだっていう。
そこまでいったのがやっぱりこの競争主義なんですよね。
そうだそうだ。お金すればいいじゃんって言ったけど、そのお金があるから資本主義なんでしょみたいな話だったもんね。
そうなんだそうなんだ。
でも競争はダメ。もうパン工場は1個だけみたいな。そういう世界になっていくんだよね。
そこに対して、逆にミルはそこにちゃんと批判するんですよ。
要は、いろんな問題社会にあるけれども、競争っていうところに1個絞ってそれが悪だ、絶対悪だとか、それがなくなれば良くなるんだっていうのっておかしくないみたいな、そういうことをミルはちゃんと言うんですよね。
面白いね。だから当時、このミルもそのマルクスの思想みたいなものは多分知ってるはず。
そうだね。時代的にもだし。
マルクスを直接読んでるのか、そこのまた劇的な感じだというのかちょっと分かってないんだけれども、それに対して批判したっていうところがあって。
かつてミルの方がちょっと現実的なところがあって、やっぱり過酷な競争によって労働者が使い倒されるとかさ、
いわば資本化した労働者ってコストだから、もっと長く働かせようとかさ、もっと生産性上げるって、今みたいにIT化とかじゃなくて、とにかく酷使するみたいな。
っていうところってすごく良くないよね。それはおかしいよねっていうことは認めるんだけれども、
逆にそういう競争って刺激があるからこそ、やっぱり人間がちゃんと創造性を発揮するとか、改善しようとしてやっていくけれど、その競争がなくなると人間はもう怠けてしまってダメになるみたいな。
そうすると社会の進歩も止まって、結果的に社会全体の幸福が下がる。
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あるいは増えていかないっていうことがあるので、やっぱりその競争っていうものが、社会全体の幸福って効率的的な発想から言っても大事なんだと。
っていうことを考えるんですよね。
今の話も社会全体の成長がストップしちゃうみたいな、いわゆる競争なくなると、話も見るは考えてるの?
考えてる考えてる。
さっき理想主義みたいな話でちょっと言っちゃったけれども、すごいね、だいぶ今の仕事感というかさ、仕事を通じて成長するとかさ、
そういう感覚で、このソレテツラジオっていうかさ、哲学書の中で初めて聞いた気がするから、だいぶ初めに行った人のうちの1人くらいの感じなのかな。
そうだね。やっぱりその仕事に対することって平気とかも言ってるし、仕事とは何かとかっていうことは言われてはいるんだけれども、
それと社会的なことをつないでいくとか、それと自分の成長とか内面的な発展みたいな話っていうところは、
まあ、平気でも一部言ってるか。言ってるけれども、ちゃんとそれをこういう社会全体とつなげて言ってるっていうところが、やっぱりミルさんが初めてぐらい。
つかれさんもこのソレテツラジオで取り上げてきた中では、初めてぐらいじゃないかな。
人間とはそうあるべきだ、みたいな感じの根拠みたいなものが、ちゃんと社会だったりとかとつながっている感じだよね。
結局この成長するっていう成長ベクトルが、この公理主義的な感覚だよね。
これを1人1人が持ちましょうと。自分の幸福と社会の幸福と他人の幸福っていうものをちゃんと客観的に見る目を育てて、
お互いみんなが幸福になるように協力して共同体として切磋琢磨して競争しながら、みんなやっていこうぜ、みたいな話でしょ、ベクトル的には。
そうだね、そうだね。
すごいね。
ただね、ここからがちょっと理想っぽいというか、兄貴がどう思うかなっていうふうなことを話しますと。
だって皆さんもここまではまあまあいいじゃんとかね、わりと共感できないって思うかもしれないんですけれども、
この次の話をぜひ聞いていただきながら一緒に考えたいんですけど、じゃあねと。
36:00
ミルさんはわりとバランスよく話してると思うんだけれども、
それがある種資本主義でやっぱり競争して、より良いものを作っていくっていう動きだとして、
それがある種永遠に続くこととか、永遠にやっぱり成長、社会が発展し続けることに大事なんでしたっけってことも考えられるじゃないですか。
考えられるね。
問い通してね。
ミルさんは明確で、世界の幸福が上がるって限界があるよねって彼は考えてるんですよ。
すごいじゃん。
どういうことかっていうと、要は経済成長っていうものもやっぱり無限には続かないだろうし、
それが続いたからといって必ずしも社会が幸福になるわけではない。
その状態のことを定常状態の定常常に定まる、定常ってあるじゃないですか。
っていう言葉で表現するんだけれども、これを我々は積極的に受け入れる必要があるんだっていうことを言い出すんですよね。
特に社会が一定の発展状態にある段階だと、やっぱり社会のみんながちゃんと豊かに生きていけるとかね、
食べるものに困らないとか、そういうことも含めてやっぱりある程度成長とか発展とかって大事なんだけれども、
一定の豊かさに達した時点で、僕らっていうのは理工的な競争、自分だけがで儲かればいいとか、
無不当な競争で相手を追い詰めてやろうとかっていうことをやらずに、
やっぱりミルさんが言った人間的な、内面的な成長だよね。
そっちっていうものを追求していく社会に、ある種、移り変えていくべきだっていう、そういうことを考えるんですよ。
移り変わるんだ、ほうほう。
なので、マレックスで言うと資本主義でも妥当した共産主義を作ろうみたいな話なんだけれども、
ミルさんは今この瞬間は難しいけど、資本主義をちゃんとうまく使って社会を豊かにして、
そうするときには、より人間の内面的成長を重視する、それを最優先にする、そういう社会っていうのができるんじゃないかっていうことを考えるんだよね。
おー、はいはいはいはい。
どう、この発想?
いやー、素晴らしいと思うけどね、個人的には。
はいはいはい。
うん、あのー、話としてはね。
うんうんうんうん、なるほどね。
だって、やっぱりこの時点で、ある意味資本主義の初期段階みたいなさ、今が大難段階か違うけど、初期段階みたいなところで、
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この群れの成長は無理だよね、みたいなところを、ある意味冷静に捉えて、定常状態っていうところを受け入れるべきだ、みたいなさ。
受け入れるだからさ、いわゆる人間の欲望だったり、もしかしたらその社会の欲望が無限だったとすると、この定常状態にはならないんだよね、たぶん。
だから定常状態っていうのは、なるんじゃなくて、しなきゃいけないみたいな、たぶん感覚だと思うんだよね、たぶんこの受け入れるみたいな表現をするとね。
そうだね。
ここから、そういうふうにちゃんと考えてるっていうところはめちゃくちゃすごいし、ある意味理想論には違いないんだけれども、
こうあるべき資本主義のゴールというか、理想的な状態の一つとして想定するっていう意味では、すごくすんなり入ってきてるけどね。
なるほどね。
理想論だとは思うよ。
うん。
でも分かる分かる。
僕らも普通にそういうのって、やっぱり思ったりするじゃないですか。
要は、もうミルが生まれたって200年前ぐらいだけれども、200年後に生きる僕らも、やっぱり今のAIが浸透してて、AIが全部働いてくれるんだったら、人間は労働とか生産ということから離れて、もうちょっと違うことできるじゃないかみたいな。
そういうときに、人間他人をするんだっけとかって話って、そういったテーマってずっとあると思うんだけれども。
そこに対してミルは人間的な成長、それっていうのは結局、自分の幸福と他者の幸福って重ね合わせていく。
やっぱりその自分が、社会が幸せになることと自分が幸福になることっていうことが繋がっていくって、やっぱりそういう状態になっていく。
そういうふうな人間っていうのは全然あり得るんだっていうことをやっぱりミルは言ってるわけなんだよね。
いやー、そうだね。なんかここで自分がこのミルの定常状態に対して、そんなにいいなというか、思える理由というかがあるんだけど。
うんうんうん。
これ多分もう結構言われてるとは思うんだけどさ、定常状態って要は昨年との成長比率100%っていう話でしょ?
まあそうだね。維持しようって感じだからね。
だよね。この状態がめっちゃ楽で、もう人間働くことなんかない、改善することもないから、ずっと100%を維持するなら何もやることないから、
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もう仕事なんて適当にやって、いわゆる自分の豊かさとか別の仕事じゃないことを頑張っていきましょうよっていうふうに言い返しちゃうと、おかしくなっちゃうと思うんだよね。
うん、なるほどね。
やっぱりその100%を維持するってすごく大変なことだと思うんだよね。
はいはいはい、それもそうだよね。
結構そういう話って増えてきてるよね、多分。
増えてると思う。
削退110%、120%みたいなさ、じゃなくて、100%もでいいじゃん、100%も大変だよみたいなのってどうだろうな。まだ少ない?やっぱりみんなまだ120%くらい求めてる?
まあまあでもやっぱり削退でいくと上回って言いましょうっていうはずは強いと思うけど、もうちょっと中傷期、上場してなければやっぱりそういったある種、維持し続ける。
で、自分のある種の樽を知るじゃないけれども、そういうところで逆に増やしすぎない?
ちょっと雑談というか話外れちゃうけどさ、百食屋って聞いたことない?
百食屋ないね。
関西の方、確か京都にお店があるんだけれども、一日100食しかお弁当売りませんと。
ほうほうほう。
100食を作るっていうことを最適化するようなシフトあったりとか、生産性だったりとかっていうことをやるみたいな。
要は売れるからたくさん作ろうじゃなくて、100食しか作らないと決めるみたいな、そういうふうな発想はやっぱあるなーって思った。
面白いね、はいはい。
そういうのは近いかもね。
うーん、そうかね。
百食に決めるっていうのが、もう毎日何も考えずに百食、同じのを作り続ける一生みたいな話じゃないじゃん。
そうそうそうそう。
百食をお客さんに飽きずに毎日、もしくは一人のお客さんが週1回でも買ってくれるように、
その百食っていうものに命をかけて頑張っていくんです、みたいなのは、もうたぶんめちゃくちゃ改善が必要じゃん。
そうね、間違いない。
この見るの言う定常状態っていうものに至ったときの、いわゆる人間のリソースの分配、配分みたいなものが、
楽って捉えちゃうと、経済成長80、自己実現というか自分の成長20みたいな状態で頑張ってたのを、
経済成長ゼロ、自分100みたいに解釈しちゃうとやっぱダメじゃないかな、だし、そう読めちゃう部分もあるのかな。
この定常状態みたいなものを。
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じゃなくて、たぶんだけど100%維持するって、経済成長60、自分40ぐらいだと思うんだよね、せいぜい。
はいはいはい。
自分の中とそういう理解だから、この定常状態に対して、たぶんポジティブに捉えられる部分が大きいかなって思ったって感じかな。
なるほどね。
確かにね。
今のアンケートの使い方もすごくバランスが良くて、やっぱり三重さんは常に社会全体の幸福ってことを考えているので、
やっぱりそれは無茶しすぎると、結局資源を使い果たしますとか、誰かが幸せを食いますとかさ、そういうことってどうしても大きくしちゃうじゃないですか。
はいはいはい。
なので、その100を維持するってなった時に、もしかしたら同じことをただやってればいいわけじゃなくて、
その100を維持する中でも、より良くしていこうとか、より例えば社会とか自然とか他人とかっていうものに、
例えばより良い形でできないのかなとか、そういう工夫はたぶんあるわけなんだよね。
そういったことをみんなが考える社会って、たぶんすごく理想的だよねというか。
そういう社会になると、その社会と個人のある種の圧力というか、そういう矛盾とかっていうのはどんどん薄くなっていって、
社会が個人の役にも立つし、個人が社会の役にも立つことを別に何も変に思わないというか、
自然優先ができるみたいな社会ってあるよねっていうことを言いますねというところなんだけれども、
結構これがすごく、逆に気をつけた方がいいなと思うのは、
これってたぶん、みるさんの無自覚な部分というか、僕が引っ張ってきてるところもあると思うんだけれども、
やっぱりこの定常状態と呼ぶのが一定のゴールラインで、
そこに至るということが、この人間社会の順当な発展なんですみたいな、
言い方が悪いけど、すごい西洋中心主義みたいな発想なんだよね。
発想とも取れると思うんだよね。
つまりいろんな文化、文明があって本来はいいはずで、別の定常状態とかってことじゃなく、
うちの文明はもう別に部族とかめちゃめちゃ強くて、そもそも身内しかいないっていうことからすると、
経済の発展とか関係なく、僕らは集団とか社会のために生きてますという人たちがいたときに、
そこに対して、でもあなたたちはまだ植えて子供が死んでしまうとか、病気になって苦しんでいる人がいるから、
幸福度が低いはずだと。
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なので、例えばそういう農業を学べとか、異常というものを身につけて、
全員がちゃんと生きるような社会を作りなさいとかって彼に言ったとしたときに、
あれってどうなんて思わない?
なるほど。このビルの高齢主義でいうと、その到達点、定常状態の到達点って一律なの?
決まってるな。
自分の感覚だと、さっきハヤトが言った、だから理想だって言うんだけど、
定常状態って共同体とか国とか人とかによるよね、みたいな部分が、
実際難しいんだろうなーって思っちゃうみたいな感覚があるから、
それ一律だったらそれはちょっとなって思うね、確かに。
やっぱり、ある種、ミルがそこまで言ってるわけではないんだけれども、
高齢主義っていうものから発想したときに、
あなたの社会ってまだ発展途上じゃないですか?とか、
あなたの社会の全体の幸福ってもっと高められますよっていう発想が出てくるわけよね。
予定なお世話だね、なるほど。
そうそうそう。
出てきそう、確かに。
なったときに、
今、自分が生きている社会と個人の対立っていうこととか矛盾っていうこと以上に、
社会と社会の矛盾で、
例えば、それが全く断裂してて全然違う、交流もない社会であればいいかもしれないけれども、
例えば今のものが、
例えばイギリスっていう仮に国の中にそういう部族の人がいたとして、
国全体としてはこっちに行きたいんですと、
でもこの部族としては逆の方に行きたいんですって仮になったときに、
それってわがままなの?それとも多様性なの?みたいな話っていうところが出てくるわけよね。
これ、アメリカのいわゆるネイティブアメリカンっていうか、
まさに起きてる問題だと思うけど。
アメリカのね、協力地ってあるじゃん、インディアン。
そうね。
まさにそうだよね。電気通しますか?水通しますか?みたいなさ。
そうそうそう。
だけどもやっぱり、お金ではつながってるとか、教育ではつながってるみたいなね。
だからそういうふうに社会っていうものはやっぱりもっと複雑だし、
やっぱりいろんなものが絡んでいるとしたときに、
やっぱりパッと見、社会全体の幸福いいよねと。
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で、その個人の幸福と社会の幸福が重なったらいいよねって、
一個一個はいいよねいいよねっていけるんだけれども、
やっぱり本当に、逆に言うと社会全体の幸福が、
自分にとっては不幸だみたいな、
こういうふうなことって絶対に起こり得ますよねと。
言うときに、それってどうするんだっけって話が出てくるんだよね。
まあそうだね、確かに。
で、だったときに、実は今回で公理主義編は一旦終わりなんですけれども、
次回、自由論の話をするんですよ。
実はこれがまさに今言ったような話なんだよね。
もっと言うと、ちょっとこれも先取りなんですけれども、
例えば社会全体がいいよねってときに、
99%の人はいいよねって言ったときに、
1%は嫌だって言いますと。
それって資本主義とか民主主義的な発想でいくと、
多数決の原理が前提にあるので、
この99%の人をとってはいい世の中にいるじゃないですか。
でも1%にはダメってなったときに、
社会全体の幸福が多分最大化されてるんだよね、その時点では。
そうだね。
でもじゃあこの1%の人って、
本当にそれでいいんでしたっけとか、
逆に言うと1%の人の立場に立つことってできるんでしたっけっていう、
そういう問題が起きてきます。
それをみるさんが自由っていう発想というか、
もっと言うと自由がどこまで実現できるのかとか、
自由っていうものがどのように社会で実現されていくのかっていう、
そういうところから結構切り込んでいくんだよね。
じゃあみるはここまで交流主義の話、
こんなにしながらも、
今流行っている1%側の感覚というか、
立場みたいなものについても考えてるってことなの?
そうだね。
第1回でも言った通り、
ハリエットさん、ハリエット・フェイラーさんという女性がいてさ、
その人が既婚者で、本当にお互い惹かれ合ってるけれども、
うまくいかなかったみたいな話をしたじゃないですか。
やっぱりその時に自分が、みるさん自身が少数派になったよね。
面白いね、確かに。
そっかそっか。
その時にやっぱりそういった社会において、
その社会、交流主義的な社会全体の幸福とか、
そういったものの発想すると同時に、
でもその中でいくと自分、少数派の自分は、
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こんなに憧れてやまない人と一緒になることができないとか、
旦那さんが亡くなって一緒になったらやっぱすごい白い目で見られるとかっていう、
そういう経験もしてるんですよ。
っていう時に、自分の幸福、自分と旦那さん、
あるいはその家族の幸せは上がっているはずなのに、
社会からはそれはダメだって言われて、
社会全体の幸福がもしかしたら下がっているかもしれないみたいな。
あった時に、やっぱりそれって何が起きてるのかとか、
それってどういうふうに解くべき問題なのかみたいなことが、
ミルさん自身がやっぱりめちゃめちゃ考えたんだと思うんだよね。
わー面白いね。
そっか、こんな話しながら自分はその少数派側なんだね。
やっぱりその第一回で言った女性の権利とかっていうものに考えたのは、
当時はまだ女性って全然まさに少数派。
男性優位でやっぱり女性の地位がまだ社会的に低いみたいな時代だったから、
それをちゃんと女性の権利っていうものを対応としたっていうところが、
そこにかなり個人的な思いもあったはずなんだよね。
歴史的に言うと、この公理主義っていうのも本があるんだけれども、
これの本が朝に出てるんですよ、実は。
へー、そうなんだ。
自由論を書いて、その後に公理主義の本を書いて出してるんだけれども、
ただ両方を書こうとか書きたいって思いは元々あったみたいで、
逆に見るのでは公理主義的な社会にしていくっていう話と、
その中で個人というか人の自由っていうものをちゃんと守るというか、
定めるというか、これは大事だっていうことは、
多分両方が頭にあったんだと思うんだよね。
わー、なるほどね。
そこから導入のところでもあったけれども、
やっぱりベンサムの公理主義による、
一人一人の顔が見えない感じっていうもの、
そこへの問題意識みたいなものが、
本当に徹底してたのかもしれないね。
今日のテーマでも出てきたけれども、
公理主義っていう全体を見ることによる個人とのトレード不関係みたいなものを、
どっちも捨てない、全体も個人も捨てないみたいな、
その視点は本当にすごいね。
それが伝わるとすごく嬉しいなって思う。
ともすると共産主義みたいに、とにかく全部変えようとか、
社会変革だとか、
ある人はもう資本化なんていらない、
労働者だけでやるとかっていうのが、
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共産主義だと仮にしたときに、
やっぱりそこをちゃんと両方大事、
両方あるよねっていうこのバランスとか、
全体としてどうするみたいな、
その複雑さの中でも、自分はこれが理想だと思うとか、
これが大事だと思うっていうことを、
ちゃんと提出していたっていうところが、
すごく誠実さというか、
そういったものは感じるなって思うんだよね。
そういうふうな話があるので、
今回ミルさんの中でも、
共産主義の中のある理想状態としての定常状態とか、
そこに至るまで社会と個人との矛盾とか、
圧縮的みたいな話をしたんですけれども、
これを踏まえて次回の自由論の話として、
一体その社会において、
人間ってのはどういうふうに自由というものを実現できるのかとか、
それを守ることができるのか、
話はちょっとまた前半、後半ぐらいで、
お話ししたいと思っておりますというふうな感じ。
はいはい、わかりました。
いや面白いね。
でからこのミルの言う公理主義だったり、
この定常状態だったりとか、
人間がちゃんと成長していくべきだ、
この公理主義的な感覚をちゃんと身につけて、
客観的に見えるようになるべきだ、
みたいなものがあった時の、
その人に比べてはどうすべきかってところが、
この自由論とつながってくるのかな。
振る舞い的なところで。
どうすべきかというよりは、
自由というものがどういうふうに成り立つというか、
なんていうかな、
社会の中で実現されるのかとか、
どこまでは守られて、
どこからは自由が侵されてもいいのかって、
その線引きの問題?
その公理主義を実現するためのってことだよね。
実現というか、公理主義の中に生きてくる人間の振る舞いというか、
そうです。
話だよね。
はいはいはいはい。
なのでちょっと今回までの話があると、
次回の自由論っていうことも、
ちょっと入ってきやすいんじゃないかなと思うんで、
ぜひまた次回も楽しみに聞いていただければ、
嬉しいなと思っております。
分かりました。
次回ですね、
ミルの自由論を見ていくというところで、
楽しんでいきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。