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  2. #453 逃避ではなく逃走せよ!..
#453 逃避ではなく逃走せよ!レヴィナスが考え抜いた「存在」とは?
2026-08-30 47:37

#453 逃避ではなく逃走せよ!レヴィナスが考え抜いた「存在」とは?

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00:11
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今日はレヴィナス第3回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、ちょっとハイデガーとかフッサールの話も踏まえながらですね、
やっぱり、いかに僕ら、原初悪・哲学もそうなんだけれども、
やっぱり自分というものを中心にして世の中を捉えていく。
それって当たり前じゃんっていう話ではあるんだけれども、
実はそれ自体が結構帝国主義みたいな話もありましたけれども、
世の中の捉え方っていうことを結構歪めているというか、
それ自体が一個のパターンになっちゃってるっていう話をしたかなと思うんですよね。
それこそ今あった全体主義みたいな話だったりとか、
ある意味、同調圧力の行き着く先じゃないけど、
自分が何かを理解してやろう、何かを足掴みしてやろうっていうものの
暴力性っていうのは潜んでるっていう難しさみたいな感じか。
そうだねそうだね。
そういう感覚ってことかな、なんとなく。
そうですそうです。
それがつまり、他者、他の存在っていうものを自分に吸収するというか、
そういうふうなあり方になっちゃってないかっていう話をしてたかなと思うんですよね。
今回一貫して倫理とか他者みたいな問題になってくるんですけど、
いきなりじゃあ他者って何?ってなる前のちょっとその間、
要は今僕らは自分っていうものを中心に生きてるとしましょうと。
そこからその他者っていうものが大事になるっていうこの隙間があるわけだよね。
要はいきなり自分じゃなくて他者が大事ですっていうのって、
一般論としてそう言えるかもしれないけれども、
なんで?とか、それって本当に?っていうことが考えられるじゃないですか。
まあだし、自分じゃなくて他者が大事って言われたら、
そこはちょっと抵抗感はあるかな。
自分も大事にしたいなって思うんだよね。
そうだよね。
結構兄貴も前回引っかかってたけれども、
だいたい結局自分っていう基準を他者っていうのに変えるだけというか、
03:00
みんな他者も結局自分中心に生きててお互いにやってるという時に、
だいたい結局何か入れ替わってるだけであんまりピンとこないなというか、
新しくなってないんじゃない?みたいなそんな話もしてくれたと思うんですよね。
ただ主人公が変わっただけみたいな。
逆に自分がやられる方になるだけみたいなね。
そうっていうのがあるので、
ルビナスのそうじゃないんだと。
要は自分っていう存在を突き詰める。
それが突き詰めると自分にとっても良くないっていう、
こういうことをルビナスは言うんですよね。
はいはい、まず第一の前提としてね。
前提として。
それを乗り越えりゃ他者が必要だっていう話があるので、
今回は自分から他者に向かうこの狭いようでめっちゃ広い隙間というか、
その話をちょっと細かいんだけどしていこうと思ってるんですよね。
そうね、だからルビナスが何で他者に目を向けたかっていうとこの前提、条件というか前提の話だね。
そうだね、なんで他者っていうものがそんなに重要になってくるのかっていう話をちょっとしていこうと思ってますよと。
はいはい。
はい、いうところなんですけれども、
今日は本当に半歩進むかぐらいなんだけれども、
ゆっくり皆さんと進んでいこうと思っているんですが、
まず僕らが普段生きている自分中心主観的な世界というものに関してなんだけれども、
これはですね、ルビナスに言わせると、
僕らは世界というのは知る前に、いわゆる受け取っているとか享受する。
うん。
なんかさ、享受ってなんだろうな。どういう時に伝わるかな。
恩恵を享受しているとか。
あーそうだねそうだね。
確かにそう、なんかそういう恩恵とかもさ、ちょっとやっぱり神様とまで言わないけれども、
ちょっと大きな存在とかさ、なんかこう恵まれていることみたいな感じじゃないですか。
うんうんうん。
っていう風な話をして、どういうことかっていうと、
僕らってさ、いきなり白い世界に生まれてさ、
一個一個これはご飯だとかこれは石だとかって、
なんかそういう風にやっていくんじゃなくって、
普通に生まれた瞬間から酸素があってとかさ、
あったかい光があってとかさ、
あるいは家族の温もりとかあればそういうものも含めて、
受け取って生きているわけじゃないですか。
うんうんうん。
っていう風になった時に、
僕ら普段意識しないけれども、
この世界においていろんなものやっぱりある種生かされているというか、
06:03
うんうんうん。
そういうものをある種受け取って生きているわけですよね。
うん。
これをある種100%満喫している状態っていうと、
一言で言うとある種、世界が自分のためにあるという感覚。
あー、はいはいはい。
これってゼロじゃないと思うんですけど、
自分が世界の中心のように思えるとか、
なんか知らんけど世界が私のために存在してくれている、
こんなおいしいご飯もとか空気もとか光もとかさ、
ってなった時に、
それって誰かが用意してくれたわけじゃないんだけれども、
自分を喜ばせてくれるとかさ、
生かしてくれるみたいなそういうのってあるじゃないですか。
あー、誰かが準備したわけじゃないっていうのは?
どっちかというと空気とか光とかそういう感じ。
どっちかというと自然物的な方の、自然の方の感じ。
そうそうそう。
はいはいはい、そうだね。
その自然の沖の中にもちろん家族とか誰か用意してくれたものとかもあるんだけれども、
それも含めて自分の外部のものが自分のために存在しているとか、
自分を喜ばせてくれるとか、
そういう風な感じってあると思うんですよね。
オッケーオッケー、一瞬なぜかマックのハッピーセットを想像しちゃって、
あれは誰かが準備したやつだよなーみたいな。
外部にもいろんなものがあるでしょ。
このハッピーセット買って幸せみたいなことがあった時に、
そっちを想像すると、あれ人が準備してくれてるぞって。
もうちょっとあれだね、今日の温かい太陽とかね、
さわやかな風とか、そういう方ね。
そういうこと、とはいえそのさ、
ハッピーセットもさ、たぶんマクゴナラの企画の人とかさ、
実際にお店作ってくれる人とかいろんな人がいるわけだけれども、
それもなんか自分がお願いしたわけじゃなくて、
ある種出してくれる、もちろんお金払ってとかさ、
別にお客さんだからとかあるんだけれども、
そういう風に自分を喜ばせてくれるものが世界にはたくさんあるじゃないですか。
はいはいはい、あるね。
っていう風なことの中で、その中心的な自分っていうのは、
前回の帝国主義っていう話で、ちょっとね、
いかついことを言ったんだけれども、
今日の話で言うと、いわゆるちょっと王様みたいな感じ。
要はその王様がいて、
家臣というか、そういう人たちが、
せっせっせっせと自分を喜ばせようとして、
いろんなことをしてくれるみたいな、
そんなイメージを捉えるのも、別に間違ってはないよね、
っていう風な話を考えるんですよ。
なるほどね。だいぶさっきの教授の時に感じた、
王になるものとはちょっと違う感じになっちゃったね。
自分が王様で他は家臣だみたいな感じになったけど、
そういうイメージで大丈夫?
大丈夫。その教授っていうものはベースにあるんだけれども、
09:02
それは行き着くととか、
その自分の教授してるものが当たり前だとか、
それが当然だとなると、
そういうちょっと傲慢さというか、
こっちになるよねっていう風なイメージかな。
なるほど、OKOK。
っていうのがありますと。
レビナスに言わせると、
僕らは普段そういう風に生きているんだけれども、
ちょっと待てよと考えてみてくださいと。
果たしてそういう自分の外部にあるものって、
その当たり前のものなんでしたっけと。
もちろんハッピーセットはマクドナルドが、
発売しなきゃなくなるかもしれないし、
もちろん空気とか光とかもさ、
それこそ空気も汚染されてとかさ、
光も大きなビルが建つと当たらなくなってとかっていう風にして、
やっぱり自分の存在させてくれているものが、
当たり前じゃないっていうこともわかるわけですよね。
ここまでは現実的な話なんだけれども、
ここからちょっと思考実験っぽくなっていくんだけれども、
要はそういった自分の周囲にある喜ばせてくれるもの、
光とか空気とかハッピーセットとか家族とか、
いろんなものがあったときに、
それが全部なくなったと想像してみてくださいと。
全部なくなったときに、
どんな想像になりますかって話なんだよね。
ちょっと兄貴も想像してみてほしいんだけれども、
どんなイメージか、それを一個一個消した先で、
どんな風になるかな。
自分もいなくなってるかな。
完全な闇みたいな。
いいねいいね。
闇とかさ、もしかしたら無とかさ、
あるいはゼロとかさ、そういう感覚だと思うんですよね。
そうだね。そこにはやっぱり自分もいないから、
本当完全に闇、灰と言ったら無みたいな感じにイメージするかな。
ってなると思うんですけど、
じゃあそこには闇があるとか、無があるとか、
ゼロがあるって言えますかどうかって話もあるんだけれども、
もっと言うと、それすらもないものって思いがけますかって話なんだよね。
あれ?今回東洋の話だっけ?
あれ?
無がないみたいなね。
あれ?有識の話だっけかみたいな。
違う違う、ルビナスの話です。
なるほど、それすらないね。
だから、闇だとまだ真っ暗なイメージだけど、
それを無にするともうちょっと何もない感じになるけれども、
ちょっとあれだね、分からないね。
分からない。
そうだよね。
12:00
もしかしたらリスナーの方の中でもできたっていう人がいたら、
ぜひ教えてほしいんですけれども、
おそらくほとんどの人はできない、できないというか、
いわゆる完全な概念でしか言えないけど虚無みたいなものとか、
空虚みたいなものって、
人間にはあんまり思い浮かばないでしょってことを考えるんですよ。
あらゆる存在を消してくださいって言われたときに、
それをやろうとするんだけれども、
でも何かが残る、空間なのか、
無っていう概念かって分かんないけれども、
概念は存在じゃないから存在を消したと言えるかもしれないけれども、
やっぱり何かが残るよねっていうときに、
さっきまで僕ら王様で空虚ないとかってやったわけじゃん。
それを一個一個もしかしたらこれもないかもあれもないかもって消していったときに、
それでも消しきれない存在することそのものみたいな。
ほうほうほう。
つまり存在を消しきろうとしても何かの存在は残るとか、
その存在を消しきるということができないってことにぶち当たるんだっていうことを考えるんですよ。
だからレビナスがマジで頑張ってもそうだったってことはね。
どこにレビナスが行き着くんだよね。
つまり具体的なもの、さっきの光とかっていうのはものって言われたらあれだけれども、
それを生み出す太陽だもんそうだよね。
含めて全部消していってもやっぱりこの何かが存在する。
もっと言うと逆の何も存在しないということをやっぱり想像できないっていうこの感覚が残りますと。
はいはいはいはい。
これをレビナスがフランス語でイリアって言うんだけれども、
英語で言うとthere is何々があるっていう定型のあると思うんだけど、
これはフランス語でイリアって言うらしいんだよね。
そうなんだ、肉よりかっこいいね。
確かにね、それ多分カタカナっていうか外国語そのままだかと思うんだけれども。
つまりこの何があるって指示できないんだけれども、
でもあるとしか言えない感覚。
これっていうのが残るんだというか、あるんだよっていう話をするんですよね。
ここまでOK?
ここまでOKはね、どういう話になっていくか全く分からないけど、ここまでの話はOK。
OKOK、了解。ここまで大丈夫です。
で、じゃあなんでこのイリアって大事なのかっていうと、
さっきね、さっきというか前回からずっとやってるのが、結局僕らって主観強めで生きてますねと、
15:06
自分中心っぽくなってますねという時に、
この何かを消し去ってもイリア、何かが存在するということだけが残るという時に、
つまりこれってある種自分っていうものから出発した時に、
どうしても拭いきれない不自由さなんですよ。
どういうことかっていうと、
僕らっていろんな世界のものを享受して生きてるってさっき言ったけれども、
でもこの存在の根底には、要は自分の存在とか存在することっていうことからは逃れられないねっていうことが、
常にそういう闇があるんだってことをレビナスが考えるんですよ。
どういうことなの?
ここ大事なんだけれども、
要は、もうちょっと言うと、
前回のお話でハイデガーとかって、
存在するっていうのはある種素晴らしいことなんだみたいな。
これってもっと言うとキリスト教の時もそうなんだけれども、
以前ね、中世の時にやったかもなんだけれども、
いわゆる神様っていう存在がいて、
その存在があるから僕らも存在できるよねみたいな。
つまりこのあるとか存在するっていうのは、
結構哲学の本当に根本的な概念というかテーマなんだけれども、
この存在するということがあって初めていろんな物事がこの世界で起きていくから、
この存在するってすごく素敵なことというか、
あらゆるもののベースにあるものだよねっていう話を考えるんですよ。
もともとの哲学の流れ的にね。
だからこそ過去の哲学も存在するとは何かとか、
存在するとはどういうことか、
何が存在というのを基礎付けているかということを考えることで、
存在の根本をつかみに行こうとしたわけではね。
っていうようなことなんだけれども、
ルミナスはやっぱりそこからちょっと外れてるんですよ。
そうなんだ。
つまり、存在するって本当にそんな素晴らしいことなんですかとか、
存在を基礎付けているものって、
それこそ昔で言えば神様だったりするんだけれども、
そんなに素敵なものなんですかっていうことに目が向いちゃうのね。
これもやっぱり第一回に言ったような、いわゆるナチスみたいなことも含めて、
やっぱり自分の存在が、
亡くなった数百万人の同行の地の上にあるというか、
18:02
そういう感覚ってあったんじゃないかと思うんだけれども、
ある種、自分の存在とか生存から逃げられない、逃げ出せない、
そういう重さっていうものを、
実は自分で背負ってるんじゃないですかねっていうことを考えるんだよね。
さっきの王様の話で言うと、
自信家とかが知恵を増やしてくれる間はいいじゃん。
でも一方では、すごい策略を巡らしている家臣とか、
暗殺されそうな、暗殺してきそうな第二王子とか、
そういう人がいっぱいいるみたいな、
そういう世界もあったりするわけじゃない?
という時に、
さっきはその教授っていう中で、
よりポジティブな方にいったんだけれども、
当然その存在にはネガティブな側面もありますね、
という時に、
ネガティブな側面っていうものを突き詰めると、
さっき言ったイリアっていう、
どこまで存在を消去しようとしても仕切れない、
自分の手に負えない何かがあるっていう、
そういうことにレビューのやつは行き着いたんだよね。
どういうことだ?
自分の存在をコントロールできないみたいな、
普通はしてるつもりだけど実はできないみたいな、
どういうことだ?
もっと言うと、自分の存在、
例えばカンのハヤトっていう存在が、
どういうふうに存在してるかっていうことを、
ちょっと考えてみたいんだけれども、
さっき言ったみたいに、
いろんなものを享受して生きてはいますねと、
でもそうやって自分を生かしてくれているものを、
一個一個消し去っていった時に、
要はその生かしているものは全部なくなったとしますと、
自分も消えるよね、兄貴が言ってくれた通り。
だけれども、そこに消えないものが残る何か、
っていうと、
要は自分の生存っていうものが、
何かよくわからないものとか、
自分ではどうにもコントロールもしきれないものに、
ある種依存しているというか、
そういうものが自分の存在の根底にある、
っていうことの不気味さ。
なるほど、なるほど。
ちょっとわかった気がする。
それがイリアだよね。
それがイリア。
なるほど、なるほど。
普通に、たぶん素朴に考えると、
自分の核みたいなものが何かしら残るはず、
それが自分である。
21:00
それは精神なのか、肉体なのか知らんけど、みたいな話なんだけど、
このレビナスに言わせると、
自分っていうものの核を探しに行くと、
自分じゃない何か別のもの、
自分じゃないものが残ったぞ、あれっていう話ね。
何だこれっていう話ね。
そうだね、うん。
自分っていう意味でもそうだし、
最後の最後、自分っていうものも消し去ろうとしたじゃないですか。
消し去ろうとして、でもそれもやっぱりできない。
これはちょっとデカルトっぽいけれども、
要は何か存在がないということとか、
全てを消し去ろうとした時の、
それを想像している自分っていうものは、
ついに残ってるじゃないですか、どこかに。
まあまあまあ、それはね。
っていう時に、要は自分という存在を、
ある種、何だろうな、消し去ろうとか、
自分という存在を度外視して考えようっていう時に、
でもその自分が存在していることとか、
その存在というものが何かよくわかんないものに基づけられていることとか、
それっていうものはどうしても捨て去ることができない。
なるほど、その感覚になってないかも、今。
あー、なるほどね。
さっきその無とか闇ってなった時に、
今、ハエトが言ってくれた、
それを考えている自分は言うているよねみたいな、
感覚ではなってないな。
あー、なるほどね。
自分も消し去った、消し去れたっていう感じね。
そう、自分は消し去れたとしても、
その闇というか無みたいなもの。
だから自分はもう聞いてるんだけど、
その無だけがある、自分はもういない。
じゃあその無を消すことができるかできないぐらいの感じがない。
あー、なるほどね。
なんかね、あ、そうだ、一個これちょっと例えというか、
オレビナスの言うてることもあるみたいなんですけど、
このイリアっていうものに向き合う恐ろしさとか不気味さっていうものを彼は言うんだけども、
それやっぱりちょっとイメージ湧きにくいじゃないですか。
それを夜眠れない、不眠症みたいなものにしといてるんですけど、
結構寝ようと思ってもいろんなことが思い浮かんで眠れないとかさ、
なんかもう明日早く起きなきゃいけないのになんでこんなに目が冴えちゃってるんだとかっていう経験って誰にしてもあると思うんですよ。
っていう時に、その時って要は眠るっていうことって自分の行動だからさ。
本来は眠りたいと思ったらもう眠ってほしいわけじゃん。
24:04
自分の意識をオフにできると思うんだけれども、
でもやっぱり自分ではコントールできない。
いつ眠るかってことに関してはもうなんかこんなに寝たいのにやっぱり寝れないみたいなことがあったりするわけじゃない。
っていう時に、やっぱりすごい不安に襲われるとかさ、
なんか夜の暗闇が重たく怖く感じるとかさ、
そういうのって感じることってないですか?
まあ経験はあるね。
っていうこの不眠症の時に感じる不安とか夜の恐ろしさみたいなものが、
イリアに対する恐ろしさに近いんだみたいな、そんなこと言ってるんですよね。
やっぱりさっきは眠るっていう行為のことだったけれども、
イリアに関してはもっと根本的な存在するっていうことに対して、
いかに人が自分の思い通りにできないかとか、
自分のコントールできないものっていうものが、
ある種自分に影響を与えているかみたいな。
自分を自分でコントロールしてると思ってるんだけど、
実はできてないみたいな話になってくるのか、
でもそれが存在レベルで起きてるみたいな感じなのか、
まだイメージが湧かないみたいな感じだね。
確かに。
今、兄貴のリアクションを見て僕も思ったんだけれども、
ここって前回までみたいな、メルロポンティーはこう言いましたとか、
こういう風な論がありましてとかっていうことよりも、
自分の恐怖とか、
その存在に対する恐ろしさみたいな話をしているから、
これって言葉で言っても伝わらないだろうなって確かにちょっと思ったんですよ。
レビナスのことを言ったら多分対話をしたほうがよくて、
後半でそういう話に切り替えてみたいんだけれども、
今回話したいことを言葉だけで言うとね、
さっき言ったハイデガーとかっていう人たち、あるいは過去の哲学者っていう人たちは、
存在っていうものをすごく尊いものとしてましたと。
あるいは存在するということをね。
なので、その存在するっていうことは素晴らしい。
だからそこから、しかもかつてそれをベースにして、
僕ら人間もそうだし世界っていうものがこれだけいろんな物事が起きていて、
27:04
多様性があって、かつて世界ってどんどん広がってより良くなっていくんだみたいなさ、
そういうことを思ってたわけですよ。
でもレビナスっていう人はその第一回で言った通り、
哲学の第一原理を倫理っていうものに変えようとしたわけだよね。
だったときに、ある種批判したい過去の哲学、
つまり存在っていうものを大事にしている哲学に対して、
その存在っていうことって実はそんなに良いものじゃないんじゃないかとか、
もっとより正しい捉え方があるんじゃないかっていう、
そういったことを考えたわけですよ。
ちなみにレビナスが第一原理を倫理だって言ってるけれども、
いわゆる西洋哲学一般的な当時は第一原理ってあるのと共通した?
共通したものがあるっていうよりは、それこそ万物の根源は何みたいな話で、
概念的なものを含めてこれが哲学の出発点であるとか、
もっと言うと形状的に、それこそイディアとかもそうだけれども、
そういったものから考えを進めていこうっていう話をしてたっていう感じかな。
それがいわゆる理性とか、もっと言うと存在、
いま言ってるのは存在するということが一番のベースにあるよねっていう考え方かな。
なるほど。それに対してレビナスは倫理だっていう話をし始めていて、
倫理って何だろうねっていうところをいま頑張って説明をしてくれてるっていうところだもんね。
倫理が大事っていうさらにその手前の、
そもそもなんで自分というものから始めちゃダメで、
他者っていうものが入ってくるんだけっていう話をしようとしてる。
だから第一原理がなんで存在じゃないんだっけっていうところをいま崩してるというか。
やりたいこととしては、いきなり他者っていうものを引っ張ってきてもなんでってなるので、
自分っていうもので考えてると行き詰まるよねとか、無理があるよねっていうことを示そうとしてるっていう感じかな。
そうだよね。まず相手を崩さないことにはってことだもんね。
俺が正義だ、こっちが正義だになっちゃうから。
で、ちょっとね、繰り返しにもなってしまうんだけれども、
今日の話でいくと、普通に考えると自分がある種、世界を享受している。
30:00
時には王様みたいになったりするかもしれないけれども、
そういう世界から恩恵を受けているという捉え方っていうのはあんまり間違ってなさそうですねと。
普通に考えるとね。
でもレビナスはそこからその恩恵を受けている存在っていうもの、
光、太陽、空気、そういったものを一個一個消し去ったときに、
その存在の根底、根底というか、その存在を消し去ろうとするんだけど、消し去れないっていう、
そういう特性に気づきますと。
ということは、僕らはその存在っていうものから、
存在っていうものをそれこそ享受しているとか、
存在っていうものを受け取って生きているってよりも、
その存在から逃れられない、
そういう宿命を背負ってるんじゃないかっていう、
そういうことを考えるんだよね。
ちょっとわかったかも、なるほど。
なので、例えば自分が死んだら自分の存在がなくなるから、
それでいけるんじゃないかとか、例えば思ったとしても、
でも、死んだら存在しなくなるっていうこと自体がすでにすごく主観的な捉え方というか、
自分中心主義だから出る発想なんだよね、やっぱり。
そうだね。
なので、それだと、自分中心主義の中では上手くいくかもしれないけれども、
ルミナスが考えている、自分の行き詰まりっていうものを乗り越えることになりませんと。
まあ、死んじゃってるからね。
なので、どこまで行っても、やっぱりその存在っていうことからは、
やっぱり逃れられないっていう、そっちの捉え方をしてますっていう感じなんだよね。
なるほど。
だから、享受するっていうのの、
種目が存在、存在が享受しているって思ってたんだけど、
一般的な西洋哲学においては、存在を享受しているっていう感覚っていうことかな。
まあ、そうでもあるかな。
それがどこまで一般化できるかあれなんだけれども。
ルミナスは、そういう比較しているものとしてはあったこと。
そうだね。やっぱり存在っていうことから始めていくから、
そういう意味では、やっぱり存在がベースにある、存在っていうものを受け取っているっていうのはあるかな。
それに対してルミナスは、存在を享受しているわけじゃなくて、
33:06
仕方なしにしちゃってるよね。逃れられないよね。
自分たちが存在しちゃってるってことからはっていう、
どう存在してるとか、存在とは何かじゃなくて、
どう存在してるか、慕ってるかみたいなところの捉え方が違うって話ね。
そうだね。
これ難しいね。
いや、そうだね。
それでよければ、その視点の違いというか、
その存在って何でしょうねの前提条件の違いっていうのは分かった気がする。
そうだね。ありがとう。
まさにその存在のあり方の違いっていうのは本当にそうで、
例えばその存在が尊いものとか、世界が尊いものであれば、
それをよりよく理解しようみたいな、その理性の力でみたいな話とか、
あとはその存在の根源とか根本でも理解して、
人間というもののより正しい姿を知ろうみたいなさ。
まさにこれ前回のメールポンティーの時にも言った、
100点の世界を知るとか、この世の真理を知るみたいな、
そういうふうに多分行きがちだと思うんですよ。
メールポンティーも否定してたってことね。
そうそう、否定してた観点で言うとね。
でもレビナスはさっきの通りやっぱり重荷とか、仕方なくっていうかな。
居合をなくみたいな。
そうそう、居合をなくとか逃れられないものっていうふうな話なので、
むしろ逃げたい、逃走するっていう話なんですよね。逃げるほうの逃走。
いかにこの存在っていうものの不気味さとか、
自分っていうものを存在させているものの空虚さみたいな、
ものから逃れるかみたいな、そういうふうなものとして、
特に自分、自己の存在っていうもののあり方を考えていくんですよね。
もっと言うと逆に言うと、僕らは本当はそういうふうに生きてるんだけれども、
そういった光とか空気とかハッピーセットみたいな、いろんなものがあるときに、
それでもう良しとしているというか、そっちに目を向けることによって、
その存在の根本的なあり方である不気味さみたいなものをある種で忘れちゃってるよ、みたいな考え方なんだよね。
36:00
現実逃避みたいな感じかな。
そうだね、そっちを直視すると怖くていられないから、
まさに逃避しちゃってるって感じだね。
さっきの逃走っていうのは、まさにその仕組みから逃れた話だけれども、
逃避だから本当は危機に浸している。
目の前が崖なのに、ここは全然安全ですよって言ってるみたいな、
そんな感じなんだよね。
なるほど、逃走してるつもりで逃避してるよねっていう感じか。
逃走してるつもりでもないって感じ。
でもないんだ。
だって見えてないから、現実逃避って目の前の危険が見えてないっていう話じゃん。
順番でいくとそうなるのか。
普通の人たちは逃避してることにも気づいてないよね、それで言うとね。
そうそうそう。
だから自分は世界を享受している豊かさって思ってるんだけど、
実はそれは現実逃避で、本当の存在の根本はもう穴だらけというか、
もう闇の底に落ちそうになっているのにみたいな、そんなイメージ。
なるほどなるほど、確かに確かに。
それだと、さっき言ってた普通の西洋哲学の自分の存在素晴らしい、バンザーイみたいなところを崩したね、それは。
よかった、ちょっと感じた、そこ。
崩してるね。
崩れたかどうかはわかんないけど、レビナスは崩したね、確かに。
はいはいはい、そうね。
と言っていいね。
あーよかったよかった。
やっとそうだね、破ったね、破れた。
その存在バンザイから破れて、目が覚めたね。
あーよかったよかった。
夢から覚めたね、逃避してるんだ。
そして、実は自分は逃走しなきゃいけないんだ、っていうところが見えたね。
おー、よかった。
あーでも、ありがとうございます。
でもありがとうございます。
本当にその通りで、普段考えないじゃない、そういうことを。
別にそれが正しいかどうかっていうのは、今この瞬間に腐り落ちることではないと思うんだけれども、
その考え方として、確かに僕らが生きている世界って、いろんなものを与えてもらってるけれども、
でもその根底って実は白標の上というか、紙一重みたいなことを言われた時に、確かにそうかもねって思う感覚はあるじゃない?
いやー、そうかもねって思っても思わなくてもいいけど、今、ハヤットが言ったその状況をイメージできるかできないかみたいな話をすると、
イメージしたこともなかったのが、やっとイメージさせてもらったかなっていう感じだね。
39:03
よかったよかった。
ちょっとこれね、すごい入り組んでたのと、兄貴と今僕が対話してるから、兄貴が分かったってあると思うんだけれども、
今聞いていただいてる方がどこまで感覚を持ったかっていうのはちょっとすいません、難しいかもとは思ってるんですけど、
でもこの感覚はすごく大事で、やっぱりダンスはルビナスがやりたいこともそれで、
当たり前に僕らは存在っていうのをベースにして、あるいはもっと言うと、例えば何かを知るとか理解するとか、
社会を作っていくっていう、いろんな人間の営みの根本にはそもそも人間が存在しているとか、
その存在の在り方っていうものを問うっていうことが西洋哲学、特にハイデーガーとかっていうのはことなんですよね。
だからそこが、いわゆる第一原理根本だったんだけれども、ルビナスはその存在のさらに奥にある穴を見つけましたって話なんだよね。
それが今言ったような、でも存在って存在させられているというか、存在せざるを得ない、さっき言ったね、嫌王を泣くみたいなアニキが言ってくれたっていうところがあったときに、
やっぱりこれってなんだっていうことに目が向いちゃったわけなんですよね。
ってすると、そもそも僕らが思っている存在の在り方とか、自分の在り方っていうものもやっぱりガラッと変わってしまうから、
ここから考えなきゃいけないよねっていうことが出発点なんだよね。
いやー、そうだね。だからルビナスの視点から言うと、いわゆる逃走もせず、逃避した状態。
その状態でいくら物事を見ようとしてもとか、考えようとしても、そこに何か積み上げても、さじょうの牢獄ですよと話はね。
そういうことなんです。
おー、伝わった。嬉しい。
伝わってる?
伝わってる。そこでさじょうの牢獄って言葉が出るっていうことは伝わってると思う。
おー、よかったよかった。
よかった。難しいし、久しぶりに番組の後半も後半にならないと、この感覚がイメージできないっていうね。
そうだね。雑談っぽくなっちゃうけど、論理じゃないじゃん、ここって。言葉はロジックで話してると思うんだけれども、この理解って論理を超えているというか、一回自分を通さないと出てこないから、これが難しいよね。
42:00
これはそうだね、いわゆる哲学者がみんな苦悩してることなのかもしれないけれども、自分のひらめきみたいなものをどうやって他人に言葉で説明すればいいんだよみたいなね、あるのかもしれないね。
もちろんね、レビィナスはもっと違うことを語ったりもしてるし、もっと哲学的な前提とかも踏まえながら話しているから、今日の話がレビィナスが言ったことですとは到底言えないんだけれども、レビィナスの説明を僕が言ってますとは言えないんだけれども、
自分がなんとなく受け取ったものを皆さんにも伝えるとした時に、やっぱりこういうふうになってしまうっていう感じだね。という感じで、後半で自分の存在だけでは行き詰まるよというところまで行けたといたしましょうというところなんですけれども、ここでやっと他者が出てくるわけですよ。
おーはいはいはい。
これはつまりちょっとね、次回また言うんですけれども、要は自分だけだと袋小路でしたねと。本当に自分の存在かやとね。
うんうんうん。
ってことはどこに活路を生み出すかっていうと、これをレビィナスは他者っていうものにやっぱり見出したってことなんですよね。
うん。
なので、この自分でこの存在の不気味さとか闘争をなんとかするんじゃなくて、他者の力を借りましょうと。
ほうほうほう。
でもその他者っていうのは別に自分を助けてくれるとか、一緒に協力する他者じゃないんだよね。
あー違うんだ。
もっと言うと、この他者っていうのはまさにその存在の根本とか根源がわからないっていうぐらい、同じぐらいわからないものとしての他者なんだよ。
まあでもそうだよね。これまでの迷路ポンティにせよさ、ニーティにせよ、誰にせよさ、サルトルでもいいや。
その人、まず一人目を想定したとすると、他者も同じような人が出てくるわけで、だから今回の世界観でいうと、その他者もある意味闘争してるわけだもんね。
そうだね。他者は他者で闘争してる。
どうする?一緒に逃げる?みたいな話なのか、何か生まれるのかっていう話だもんね。
そう。っていう、その他者とのどういうふうに関係を、関係を作ると言うとあれなんだけども、他者っていうものはどういうふうに自分と関わり合いながら、この闘争というか、この世界ってものをより僕らは生きているのか?
っていう話を次回、実は他者、あるいはこのルビナスの主要な概念である顔っていうものを使ってお話ししていこうと思ってますというふうな感じですね。
45:05
いやー、ハヤトが今日半歩進むかな?みたいな話しちゃうけれども、まあね、進めてたらいいね、本当にっていう。
そうね。いや、進んでると思うし、まあこれはその、どうだろうね。要は半歩と言ったけど、でもその存在の奥にあるね、闇とか。
それって左上の牢獄じゃんっていうふうに言えたことは、もしかしたらめっちゃ進んでる可能性があるからね。
おー、なるほど。逆に言うとあれだもんね、今回ここを理解しないと、この先のルビナスの話が自分たちにとって左上の牢獄になるよねって話だもんね。
まあそうね、左上の牢獄ということは理解だけど。
ただ使いたいだけになってるね。
そうね、かっこいいことを扱いたい人みたいな。
言葉としては聞いた気になるとか、読んだ気になるんだけれども、やっぱり本当にじゃあなんでルビナスが他者っていうものを大事にしたっていうか、向き合わざるを得なかったのかとか、
なんでやっぱ存在っていうものではダメだったのかっていうことが、なんとなくでも、もちろん今日で100%伝わったという気も全くない、これはもう本当に常に思ってるんだけれども。
僕も100%理解してると思ってないんだけれども、人がけでもそこがつかめてると、次回以降のルビナスの話とかがちゃんと入ってくるんじゃないかなっていう感覚かな。
逆に言うと僕もその人がけを頼りにしてルビナスをなんとか読もうとしてますっていう感じが多分正しい。
なんとかあれだね、ルビナスにくさびを打ち込んで、そこから少しでもいいからみたいな感じだね。
じゃないと本当にどんどん滑ってくからさ、日本語だけど理解できないとかってよくあると思うんだけどさ。
なんかね、私音でもちんぷんかんぷんみたいなところの根底にあるのが今日の話だったかなと思ってます、ルビナスに関してはね。
わかりました。この感覚を持ったままですね、次回なんとか話を聞いていきたいというところで楽しみにしていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
47:37

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