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#412 純粋な理想としてのマルクス「共産主義」と、歴史が示した3つの罠
2026-04-08 1:00:10

#412 純粋な理想としてのマルクス「共産主義」と、歴史が示した3つの罠

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サマリー

このエピソードでは、マルクスの共産主義思想の「影の面」に焦点を当て、その理想が現実世界で直面した課題や、理論上の限界について掘り下げています。前回触れられた「共に生産する」という理想的な側面に対し、今回は私的所有の否定、国家の廃止、階級闘争といったマルクスの主要な考え方が、どのように現実的な問題を引き起こしたのかを分析します。特に、私的所有を否定したことで個人の欲求や利己心が無視され、イノベーションのインセンティブが失われる可能性や、計画経済における非効率性、そして国家を廃止したことで生じる調整機能の欠如と、結果的に巨大な国家権力や官僚機構が生まれるという逆説が指摘されます。また、マルクスが歴史を支配者層の都合で形成されたものと捉え、文化や知識人を単純化して排除する傾向があったことも論じられ、これらの要素が共産主義の理想実現を困難にした要因として挙げられています。最終的に、共産主義のアイデア自体は魅力的であるものの、それを実現する上での人間性や社会の複雑さへの配慮が不足していた可能性が示唆され、理想と現実の乖離について考察しています。

マルクス共産主義の「影の面」:理想と現実の乖離
そういう哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回第8回ということで、マルクスの最終回ですね、やっていきたいとおもいます。
はい、前回ですね、その共産主義ってなんじゃいみたいな話をちょっとしたときに、 そのね、共産っていう言葉をね、共に生産するとかさ、
共に生み出すとかって言うと、なんか全然イメージ変わるじゃんってことをね、ちょっと話したと思うんですよね。 そうだね、変わるだったりとか、そもそもそういう意味だったんだっていう感じがね。
そうね、もちろんね、この翻訳の問題もあるから、別になんだろうな、それが正解したことはないんだけれども、イメージ的にはまさにそういうね、その生産手段っていう、
マルクスに言わせると、その資本家とか一部の人が独占しているものっていうものを開放して、みんなで生産手段を所有してみんなで作っていこう。
で、工場も、工場のオーナーだけが持ってるんじゃなくて、みんながオーナーとしてその工場を運営しましょうみたいなさ、すごい平たく言うとね。
そっちの方がいいじゃんみたいなことを例えば考えていきますね。
それで言うと、それはそれでいいよねってもちろんなってくれたら嬉しいんだけれども、でもやっぱりこの共産主義みたいなものって、当然いい面だけじゃなかったんですって話なんですよね。
これは現実的に共産主義がつまずいたとか、歴史的にうまくいかなかったっていうことだけじゃなくて、そもそもいろんなことを考えていくと、成り立ちとか考え方にどうしても無理があるっていうことも同時に含まれているんですよ。
へー、そうなんだ。
うん。なので前回は光の面というか、いい面だけをあえて取り上げたんだけれども、当然コインのお持ちと裏みたいな感じで、ある種共産主義とかマルクスが切り捨てたものっていうのか、ある種そういうふうにしてしまったものもあるので、
それをお伝えすることで、共産主義の、今回はある種闇の影の面か、そういうものをお伝えすることで、ある種バランスよく見るような、そういうところをみんなさんと一緒に作っていきたいなと思ってますって感じなんだよね。
マルクスの理論構築における取捨選択とヘーゲル哲学
おー、なるほど。今回も最初に、マルクスが共産主義を、これが共産主義だ!みたいな本は書いてなかったみたいな話をしてたけれども、ちょっといろいろ分散しちゃってるみたいな感じだったとは思うんだけれども、正直どうなんだろうね。
このぐらい頭いい人が、その影なり闇の部分みたいな、デメリットみたいな部分だよね。どうなんだろう、気づかないわけがないんじゃないかっていうふうに今から見ると思ってしまうんだけれども、それがやっぱり当時の社会というか、
リアルタイムだと、やっぱりそこまで未来、例えばテクノロジーだったりとか人々の挙動みたいなものを、やっぱり読み切るって無理だから。そういう限界があったのか、それともこの活動家側のマルクスが、あえて、もうとにかく今の資本主義、今ってその当時のね、資本主義の限界が見えてると。
だからイジレンスを変えなきゃいけないよねみたいな使命感だったりとか情熱に基づいて、あえて言わなかったのかみたいな、なんかそういうふうのをちょっと邪推というかさ、思っちゃうんだけど、その辺とかって何か語られてたりとかすんの?
これはね、たぶんむしろ沢山語られすぎてますだと思うんだよね。
えー、あ、そうなの?
当然マルクスの人隣とか家庭環境とかにもしかしたら理由があるんじゃないかっていうこともできるし、当時のこういう関係とかわかんないよ、これは僕が見たよりは多分いろんな観点から言えるんだけれども、多分どれも正解だしどれも間違ってるんだと思うんだよね。
はいはいはいはい。
もともとの王道の経済学とかでもさ、いわゆる人間っていうものはホノエコノミクスで合理的に判断しますみたいなところでさ、モデル化したみたいな話あるじゃないですか。
はいはいはい。
それがね、もうちょっと時代が進んでいくと、いや人間ってそんな合理的なことじゃないよとかさ、王道経済学的に言うと、なんかすごい不合理に見えることをみんなやってるとかっていうふうなことがどんどん取り込まれていくとかってあるじゃない?
限界広葉曲線ドアみたいなのをやった気がするな、なんか。
たぶん勉強でやると思うんだけれども、それと一緒で、じゃあホノエコノミクスを作った学者は人間を本当に真に合理的な人間だと思っていたんですかって言うと、そんなことはないはずなのよ。
なるほどね。そこは同じだね。はいはいはい。
あくまでもモデルとしてとか理論として作るときに進めるとこんがらがっちゃうし、自分の主張っていうものができなくなっちゃうよりはモデルとして機能しなくなるから、それは捨てますっていうことが起きるんだよね。
なるほどね。はいはい。すごく正当な挙動とも言えるし、ちょっとマットサイエンティストっぽいなとも思うよね。
そうそう、良好ある良好ある。
良好あるよね、それ。
だから、兄貴のもし質問に答えるとしたら、マルクスはやっぱり自分の主張っていうものを形作りに当たって、それに適するものは残すし、適さないものは排除するしっていうことを当然やってるわけですよ。
なるほど。
それが排除されたものがやっぱり影の目になるし、取り込まれたものが前回お伝えした光の目になっているっていうふうな。
はぁー。
そういう発想がいろんな正解がある中の1個じゃないかなって思ってる。
なるほどなるほど。だから、これ哲学なの失踪なので言うと、どうなの?ハヤト的には失踪になるよねみたいな感じなのかな?
あ、失踪かな。
そっち側は、その取捨選択をしちゃってる部分についてはね。
あ、そうだねとか、なんていうのかな。ここで哲学としての違いを言うのは難しいんだけれども。
哲学でそれゼロかって言われるとまた難しい面もあるみたいな感じなのかな。
そうだね。マルクスはヘーゲルの哲学を使って自分の理論を作っているので、哲学ってもヘーゲルなんだよね。
ほうほうほうほう。
だからマルクス哲学というよりは、ヘーゲル哲学を受け継いだマルクスの経済学らしい社会学みたいなね、というふうな発想から今日はお伝えしていこうと思ってはいるんですよね。
共産主義が切り捨てたもの:私的所有、国家、階級闘争
なるほどなるほど。ごめん、ちょっと本編と関係ないかもしれないけれどもね、ちょっとなんか気になった。
でもそうだよね、僕も思ったんだよ。なんでマルクスぐらいすごい人、そんだけ考えられる人が、やっぱりこの後言うんだけれども、とか前回実は兄ちゃんも言ってくれてるんだけれども、ちょっと思い出していただくために伝えると、
要は例えばさ、前回みんなで生産手段を持ちましょう、パンの工場はパンの工場としてみんなでパンを作りましょうとか言ったときに、
でもその機械が壊れたときにさ、直すぐらいはするかもしれないけれども、もっといい機械を作ろうとか、もっとおいしいパンを作ろうみたいな、まさにインセンティブみたいなもので出てくるのかなとか言ってたじゃないですか。
普通に習うようなイメージだよねっていう。
そうそうそう。
よく言われる。
それってすごく大事だし、実はそれがやっぱりマルクス害者を切り捨ててしまったものというか、振り込めなかったものなんだよね。
それって何なのみたいな話をこの後していくんですけれども、大きく言うとね、前回からちょっと引き継いでて、1個は私的所有、生産手段を特定の人が持つっていうこと。
これにまつわる問題と、もう1個は、前回も国家、国っていうものも否定されますよね、反証してたじゃないですか。
ね、あったね。
この国っていうものの問題と、あともう1個は階級闘争。前回も資本家と労働者とか、貢献制度だと領主と領民っていうのかな。
いわゆる身分とか立場の違いがあるっていうときに、やっぱりマルクスはそれっていうものもマルクスが否定していくわけなんだけれども、そういったところに実はいろんな問題がついてましたというところがあるんで、
この私的所有、国、あとは階級とかティチビ。ちょっとこの3つってものを触れながら、どんな影の面、闇の面があったのかっていう話をちょっとお伝えしていきたいと思ってますよ。
っていう感じなんですけど、ちょっと今まだイメージを受けにくいと思うんだけど、少しずつ話していきます。
私的所有の否定と人間の欲求・利己心の無視
まず1個目の私的所有っていう話なんだけれども、これもちょっと前回からお伝えしているとおり、マルクスは資本主義の一番の欠陥というかネックが、生産手段を私的所有したっていう、ここにあるんだっていうふうに言ってるんですよ。
で、それをなので、まず無くしましょうと。そうすることで社会っていうのは次のステップに移るよみたいな、そういうことを考えていくんだけれども、
ここがね、やっぱりめちゃめちゃ、ある種非常の空論っぽくなってるというか、それって本当にできんの?って話になってくるわけですよね。
本来マルクスって哲学って観念とか考え方と思うだから現実を変えることが本当は必要なんだみたいな。現実にもっと根付いているはずなんだけれども、なぜかここで急に現実の人間を見てない気が僕もしてて。
そう。そういえばね、じゃあみんなで共有しようよってなったときに、でもさ、本来経済を回していくとかさ、何かを頑張るって、やっぱり社会のためとか世の中のためっていうのもあるかもしれないけれども、
もっとやっぱりその根本的なところでいくと、やっぱり自分の生活を良くしたいとかさ、自分がいい思いをしたいみたいな、結局はその欲求とか利己心、ある種自己中心的な考え方って絶対あるじゃないですか。
あるいは何か買うときにも、やっぱりさ、自分の好み、これが好きだとかさ、パンよりお米が食べたいとかさ、赤より青がいいみたいな、そういうものって絶対にあるじゃないですか。
でも、マルクスのいわゆる商品っていう中には、その使用価値と交換価値っていうのがあるんだけれども、デザインとかって情緒価値と言えばいいのかな、そういうものは含まれてないんですよね。
なので、パンはパンだから食べれればいいでしょ。お腹が満たせればいいでしょとか、机は机なんだから、赤だろうが青だろうがいいでしょっていうふうな、要はそういう発想になってきますと。
なるほど、そういう発想になっちゃうんだね。ただ受け入れた人はねっていう。
マルクスの理論っていうものはそういうふうにできてるんだよね。
そもそも?
そう、つまり今僕が仮に情緒価値って言ったけれども、そういうものはマルクスの理論には入ってきません。
あれでもなんか、テクノロジーが進化していけばとかって言ってなかった?知的所有をやめて。
うん。テクノロジーの発展とかは、別に情緒でやってるわけじゃないんですよ、それって。
要はそのほうが投資家が儲かるとか、そこにお金を使うほうが新しい、より多くのお金が手に入るから、それを買ってるわけですよね。
資本主義のほうでは。
で、それを共産主義にも持ってって発展させようってなった時に、まさに誰がイノベーションとか発展をさせるんですかっていうところが、マルクスの資本主義の分析が出てこないんですよ。
なるほど、なるほど。だから共産主義でもみんなで集まって、みんなで所有することで、同じように資本主義のいいとこどり的な感じで発展していくだろうね、ぐらいのちょっと希望的観測が入ってるって感じなの。
それとも触れられてないのかな、そもそも。
前回言った、みんなで社会を良くしていこうね、自分たちはパン工場でパン作りというものを通じて世の中に貢献していくのだという、そういうふうな良心みたいなもので良くなっていくでしょうと。
でもそれも限界は別に良くて、ある意味みんなのお腹が満たすだけのパンが作られればいいわけだから、そこまでで発展では止まっていいんだよね、共産主義のみでは。
なるほど、そっかそっか。それぞれの幸せみたいな言葉を忘れちゃったけど。
真の富だね。
真の富か。そこでテクノロジーの発展みたいなとこが含まれてるのか、その限界というか到達点みたいなとこも含まれてるんだね、その概念の中に。
そうなんです。
そこが上下になるんだけれども、これは本当に、実は兄貴が前回言ってくれた面白いな、さすがだなって思ったんだけど、それってさ、わかんないじゃん、パン工場の人からしたら。
今日さ、1万個作ればいいのか、1万で500個作ればいいのか、この500個余ったらもったいないじゃんみたいなことってさ、わかんないじゃない。
そうだね。
で、なると結局とか、もっと言うと、じゃあ頑張って頑張って1万500個作れましたっていうときに、いらないって言われたらしょんぼりするじゃん、人間って。
じゃあ俺ら9500個しか作んないけどいいの?とかってなっちゃったときに、この拗ねるみたいな気持ちって、マルクスの論理には出てこないんですよ。
なるほど。
っていうのがあって、つまりマルクスは資本主義経済の分析において、使用価値と交換価値があって、うんうんとかっていうところはすごくわかるねってなったんだけれども、
でもそれだけじゃないですよ、経済って、それだけじゃ絶対ないじゃないですか。
っていうときに、そこにある種目を向けずなのか取り込まずにっていう話だと思うんだけど、そのメカニズムをひっくり返して共産主義っていうものができるっていうふうに、あえてしてるんだよね。
なんかあえてな感じするよね。そこまで分析しといて、じゃあそうやって作ったものをどういうふうに交換してどういうふうにみたいな話って絶対するはずだもんね。
そう、ただね、これ徹底してるのは、交換って話もあるんだけど、市場ってあるじゃないですか、いわゆるものを交換する市場ってのがあったときに、それも実はマルクスは否定しちゃうんですよ。
えぇ、そうなの?
そう、市場があると結局、ものとものが交換されて金平が生まれるっていうスイッチが入っちゃうので。
また第二の金が生まれてしまうみたいな話ね。
そう、第二の金が生まれて、人間っていうものが後付けになっちゃって、ものが神化する、仏性かどうかって言ったと思うんですけど、それが起きちゃうから市場はダメなんすよね。
え、じゃあどうするんだ。パン屋さんはどうやって米をデッドするんだ、そしたら。
米を作ってる人と仲良くなる。
市場欲しいな、市場が欲しいな、それ。そっか、自動車屋さんどうすんの。
米を作ってる人はその米っていうものを自由に自分で、要は所有できるわけだから、逆に言うと、米を作ってる人以外は米を所有できないんですよ、この社会において。
まあそうなるよね。
自動的にはね。なので、米を所有している人と何らかのコネクションをついたりとか、あるいはもしかしたら米を販売するっていうことをやってる人がいるかもしれないから、その人のとこに行って、やっぱりパンと米みたいなものをちゃんと交換しなきゃいけない。
貨幣はあってもいいんだけど、でもそれあくまでも交換のための貨幣で、それを蓄積するとか増やすとかっていうことは、それって資本主義の動きだから、基本的には起きちゃダメなんだよね。
うわー、ちょっと市場欲しいなー。
欲しいよね。僕もそう思う。
そうなんだー。だいぶ思ったより穴あるね、なんか。
でしょ?
うん。
なので、だからまさに何か言った計画が必要ではないっていうところが、それが行き着くと計画経済みたいになって、今年我が国ではパンをこのぐらい作る、米をこのぐらい作る、自動車を何台作るっていう上限を決めた上で、その中で経済活動をしてくれっていう、そういうふうな社会になっていくんだよね。
だって必要だよね、旗振り役がね。
あなたはこれをこのぐらい作って、あなたはこれをこのぐらい作って、そうすれば市場がない状態でこれとこれとこれとこれと交換して、そしてこれを交換して、これをこうすればみんな生きていけるよねーみたいな形でしょ。
そうなんだよね。
知識者みたいな人必要だって、それ。
必要でしょ?
そう。
だって、好きな楽器持ってきていいですよっていうオーケストラがさ、機能するわけないじゃんみたいな。
機能するわけない。絶対ないんだよね。
これが面白いのが、その時にね、面白いって面白くないんだよ。その後すごい変なことが起きて。
何が起きるかっていうと、君たちパンで1万個年間作ってくれって言われるじゃん。
社会のために頑張ろう、俺らパンを作るんだって言って、仮に作るとするじゃん、すごい一生懸命頑張ってさ、パンを作って俺らはこの社会に貢献するなって思ってる人いたとしても、機械とかって壊れるじゃん。
はいはいはい。
1ヶ月さ、創業停止とかになったらさ、次1000個作ったら1000個作れなくなるわけよ。
他にパン作ってる人いないから。
いないから。だってパンは1万個しかないんだもん、この社会には。
はいはいはい。
でしょ?
で、1000個作らなくなりますと。で、それを復旧させて頑張って機械を入れて、その1000個取り戻しましょうとなるかっていうと、それをできる人がいないのよ、この社会には。
なぜなら計画形態で全部作るものは決められているから、プラスアルファでその壊れたパンの機械を新しく作り直すっていうリソースがないんだよ、この社会に。
いや、その指揮者は解雇しよう。
ね?ってなるじゃん。
要備要員補欠みたいな人いないんだね。
もちろん計画の中でそれを織り込むことはできるんだけれども、分かんないじゃん。パン工場だけじゃ米農家も困るかもしれないし、ひでりがついたらポロポロ涙を流すしかできませんとかってなったときに、
まあね。
宮沢健さんが登場したときに、そうなると、要は雪届かなくなるわけですよ、食料が。
まあ確かにそれを完璧にできたら神だよね、本当に。
本当に神なんだよね。これもちょっと言い過ぎかもしれないけど、だから、その共産主義を指導する人たちは神みたいな力を持っちゃうのよ。
まあまあまあ、持っちゃうんだ。
だって全てを決めてるんだもん。
例えばそれでさ、パン1万個じゃ足りません。1万1千個作って、やっぱりちょっと保管とかしておかないと困りますよって言うときするじゃん。
どうなるかっていうと、お前はじゃあそうやって余剰分を作って、本来必要な真の富っていうものから離れていくのかと。
たくさん稼ぐ、作るってことはそれだけみんな忙しくないってことだから、それって社会を逆行させている。つまりお前は社会に立ち着いてるんだってなるわけよ。
確かにね。きっとみんなのリソースを使ってでもやりたいのか、そんなことみたいなね。
そうそうそうそう。お前はパンのことしか見てないけど、こっちは米も車も色々見てるんだと。
でもお前の意見なんていうものは受けられんって言って職勢されるんだよね。
そんなことが起きますと。なので、もちろんそれは単純化した話だけれども、やっぱり計画をどんだけ作ってやっととしても不足の事態は起きるし、
それが仮に食料とかで起きると当然飢餓が起こってしまって、飢える人が増えるみたいな、そういうことになるんですよね。
はいはいはいはい。
これが一個の指摘所有っていうものを否定したときの、そこに対して人間の欲求とか自己中心的な発想とか、そういったものを織り込まなかったことの代償なんですって話なんだよね。
うんうんうんうんうん。
なんか見えてきた? ちょっと闇の目。
うーん、まあね、無理か。
いや、ね、資本主義ぐらい貪欲に金を生んでいくのだ、みたいなさ、気持ちでみんなが働けば、
例えば計画を100%だとしたときに、全部150%作っとこうみんな頑張ろう、みたいなさ。
はいはいはい。
で、余ったらもうしょうがない、もう捨てる、もうそれはしょうがないっていうふうに、捨てばいいじゃんっていうのは多分超素人考えなんだろうねっていう。
そうね、じゃあそれを150%ならいいのか、149%ならいいのかっていう責め気にどうしてもなるし。
で、じゃあその捨てるみたいな、まあまあいろんなことはあるよねと。
国家の廃止とその逆説:調整機能の欠如と官僚機構の肥大化
もっと言うと、やっぱりマルクス、ちょっと次のとこに行くんだけれども、次は国とか国家って話ですと。
はいはいはい。
で、マルクスとかが国っていうのはどういうふうに見ていたかっていうと、実は国っていうものはあるし、いたしかたなくあるものなんだってやっぱり発想なんですよね。
マルクス的に。
マルクス的に。これ前回も兄貴がコスモポリタン的なことかって言ってくれたんだけれども、国っていうものはいろんなものを調整したりとか、あるいはそのなんだ、
これさ、ロックとかのやつと思うんですけど、国っていうのは自分たちじゃ持てない権利とか、要は襲われるみたいなそういうものに対して、
国っていうものはいったんいろんなものを預けて、国が守ってくれるとか、国が保障してくれるっていう、そういう機関なんだみたいな話をしたと思うんですよね。
いわゆる社会契約論だったね。
そうそうそう。そうなんです。
そういう意味では、自分たちだけではうまくいかないから、国っていうものに一個託す、みたいな。そういう意味で言うと、必要性があるとも言えるし、支配なしやってるっていうふうにも言えるんだよね。
確かそうだよね。ジョン・ロックの時にあったかもしれないけど、そういう順番。人々が必要でしょうがなく国っていうものを作って、契約のもとにみたいな。
その国みたいなものとか政府みたいなものがダメなことをし始めたら、革命を起こしていいよみたいな話までしてたよね。
そう。革命権の話までしてて。
いわゆる王様、王権のところから民衆の権利にフランス革命につながったよみたいな話をしたと思うんですけども。
国家が本当にそういうものかどうかというのを一旦置いておいたとしても、まるで国家っていうものは、ある種、しゃあなしあるものとか。
もっと言うと、資本主義における国家っていうものは、どっちかっていうと資本家寄りだと。
お金を持ってる人とか、生産資産を持ってる人たちが持ってない、いわゆる非支配層みたいなことを言っちゃうんだけど、
そういう人たちを抑圧するための仕組みなんだぐらいまで言うんだよね。
おー、もう国の目的がね。
そうそうそう。
確かに法律の話をしても、前回も言ったけど、この土地にある枯れ木は拾ってはいけませんなんていう法律を作る国がさ、
本当に、我々労働者とか困ってる人の味方かとかって言われたら、確かにそれって違うぜって思っちゃうじゃない?
あいつら、持ってるやつだけを保護してるとかってなってしまうときに、
なのでその法律を変えるんじゃなくて、前回言った1階と2階の話で言うと、
1階側にある生産手段とか、働き方とかもっと言うと、資本家と労働者ってそもそも立場とか、
そういうもの無くせば、必然的にある種階級の差異性がなくなるわけだから、
それをある前提で使われていた国家とか法律っていうものも、自然になくなっていくっていうふうな、そういうことを考えるんですよ。
それがいいことだっていうふうに言うんですよね。
それだけないと、確かにそうかもね、ないならないでいいかってなるんだけれども、けれどもだよ。
本当に国家ってその資本家だけのためのものでしたかっていうと、当然違いますね。
例えば、当然インフラを整備して道路を作るとか、公共施設を作るとかっていうのも、
例えば席が1000万以上の人しか入れませんとかってなったら、それはさすがにいいんだけども、
別にそうじゃないんだよな、例えば日本とかでもね。
っていうときに、本当はその国家っていろんな立場の人の利害を調整するとか、
要は個人だけでは作れない公共的なものをやっぱりやるっていう、そういった仕組みが本来ならある。
かつ民主主義における議会とかもそうで、議会が機能してるかどうかっていろんな発想とか考えがあるとは思うんだけれども、
議会があることで、なんとなくその土地の代表者とか有権者の信用を受けた人、それなりに思われる人が集まって、
それぞれの利害を代表しながら意見を戦わすことができるわけなんだよね。
でもマルクスは国をなくすってなるから、この議会とか公共的なものっていうものも全部なくなるっていいんだっていう話になるんですよ。
そういうのがどうなるかっていうと、さっきパンの人と車の人が会ったときに、パン工場で機械壊れた、車工場でも壊れたっていうときに、
パンと自動車のどっちを直しますかと。
っていうときに、この調整できる人いないんですよ、この社会に。
いないんだ。いないんだね。
そう。だってパン作りをしてる人と車作りをしてる人しかいないわけだから。
調整屋さんは。
調整屋さんは基本いない。
みんな社会のために考えてつながっていれば、本来なら自然にそれ良くなるはずだから。
なるほど。
理想的にはね、全員がこの社会のためを思って本当に心から尽くしているのであれば、
法律者同士とかある程度そういった人たちがつながれば解決するはずなんだよね、理想的には。
でも無理じゃん、それって。
無理だね。
なので、さっきの計画経済と一緒で、調整屋が必要ですと。
これがいわゆる国家権力ってものになっていって、なぜか国は要らないっていう風な理論になったはずなのに、
気がつけば、歴史上最大の国家権力とか官僚機構ってものができるっていう風な、そういう逆説が生まれちゃうんだよね。
今日見てきた2つだけ取っても絶対必要じゃんっていうところだよね。
肩振り役というかさ、指揮者みたいなものがないと回んないじゃんみたいなところがまさに、
そこを国がやらないとねみたいに自然になっちゃうよねっていう。
僕がマルクスの共産主義を根っこから信じてる人だとすると、
それは資本主義に染まってて、本来個人個人が持つべき社会への義務とか、出すべき貢献っていうものを持ってないだけで、
あなたが社会に貢献したいっていう気持ちを国とかに預けて、
ただのらりくらい生きてるだけだからそういうふうに思うんだっていうふうにも言えてしまう。
ああ、だから同じというか、もし共産主義出発だったとしても、そうなっちゃうのか。
共産主義の本質をわかってないって言われかねない程度ではあるんだ、それは。
そうそうそう、そういうこと。
調整役作るとか、国に旗振り役任せるみたいなやつは、自分たちの真の価値に対する姿勢だったりとか、
世の中を良くしていこうっていうものに対する考えだったりとか行動が全然足りないだけだみたいなふうになるって話なのか。
そうそうそうそう。
わー、はいはいはい。
逆に言うと、本来の共産主義というものを実現するまだ途上だから、
足りてないだけですねっていうふうにも言えてしまう。
そういうことになるわけなんですよね。
だから、共産主義の彼の面ではあるんだけれども、
共産主義は必然的にこういう調整役が必要になるとか、官僚機構を強大化させるとは言ってないんですよ。論文とか読んでもね。
ただ、現実にそれを実現しようとしたときに、どうしても調整役って必要になるよね、なのか、
あるいは調整役として収まることで、メリットがある人がいたときにそれを得たのか、それはもうわかんないよ。
わかんないけど、そういうことになってしまったよねっていうのを、僕らは後から知っているって話なんだよね。
そう。
階級闘争論における歴史観と単純化の問題
だから、こういう話で、やっぱり共産主義ってダメなんだねっていうのもちょっと早いし、
前回の話だけを踏まえて、共産主義って本当に理想だから、それを突き詰めようよっていうのもよくないし、みたいな。
そういうことを前回と今回で伝えたいんですよ。
はいはい、なるほど。すごいね。
面白いでしょ?
面白い。面白いけど、やっぱり思うのは、マルクスは今を変えたかったのかな、みたいなところかな。
もうちょっと長い目で見てよってこと?
えっとね、マルクスが生きた当時の社会がやっぱり、多分マルクスから見たあまりにひどすぎて、
とにかく変えなきゃ、みたいな風にすると、今のような話になる。
厳密にやりすぎるには多分時間も足りないし、
あと、やったところでついてくる人増えないし、みたいな。
そういうふうに最適化されてるのかもなーって思っちゃうよね。
そうだね。これは想像でしかないけれども、やっぱり社会を変革する。
たとえば自分が生きてる間にとかするときに、やっぱり推進力をどう作るかとか、そういうことは絶対考えてるはずだから、
その部分でちょっと無理があるとか、推進力をつける方に行き過ぎたっていうことも言えるかもしれないよね。
そうねー。だから資本主義の分析に関しては、多分当時資本主義側のめっちゃ頭いい人とかも、
多分そんなにつける隙がなかったんじゃないか、みたいな感じがするぐらい、多分、
なんだろうな、気合い入れてやってるよね、多分。
そうだね、そうだね。もう何十年ってかけてやってるからね。
だからある意味、土台さえ同意というか共感してもらえれば、その先は何でもいい部分ってあるじゃん。
あるある。
そういう意味では大成功というか、そういうリソースの先具合なのかなーみたいな、人生のね。
そうね。だからこれまでいろんな意見があるんだけれども、やっぱり僕が読んだ人でも、
資本論とかっていうことでも一定資本主義っていうもののメカニズムを暴いたから、
そのメカニズムに手を入れれば、より新しい、より良いものができるっていう、
まさに土台があるから、それをボタンポチッと押せばうまくいくよねっていうふうな感じにもちょっと見えてしまうみたいな。
そんなふうに言ってないけど。っていうような捉え方をしてる人もやっぱりいたね。
あーそうなんだ。
わかんない。もちろん共産主義とはどういうものかっていうのは僕は知らないだけ、読めてないだけで、
もっと深く伝ってるとか、実際にそれを伝えてることはあるとは思うんだけれども、
この今日、前回、今回お話ししてるメカニズムの話だけで言うと、
いろんなほころびが起きそうだよねとか、起きたことを知っている僕らからすると、
もうちょっと考えてほしかったよねっていうふうに見えてしまう?
そうだね。ほらねみたいな感じの場所だもんね。
そうそうそうそう。調整役いるじゃんみたいな。
これでもあくまでも僕らがそういうことを知った上で見てるからでしかないっていうのは結構大事だと思う。
そうだね。確かに確かに。
まず現代でもこういうことって起き得るからね。
やっぱり今の世の中っていうものは間違っているとかで、
資本主義っていうものをこういうふうな形で変えていこう、乗り越えよう。
これがいいんだとかっていうのもたぶんいっぱい出てると思うんだけど、
それをどれを選ぶかとかって、当然まだわかんないわけだから、
やっぱりめちゃめちゃ良さそうなものでもやっぱり悪いかもしれないし、
めちゃめちゃ悪いものでも有望かもしれないしってやっぱり発想は結構大事かなって思うんだよね。
確かに確かに。
ほらねって言ったけど、ほらねっていうのは結果を見た後の話だからってことだもんね。
そうそうそうそう。コロンブスの卵と一緒で、アメリカ大陸着いた後にそれあるっしょっていうのと一緒だから。
っていうふうな話を、やっぱり結構マルクスっていうのは持ってるんだなって僕は思ったんですよって話で。
今指摘所有の話と国家の話をして、
最後ちょっと階級闘争って、さっきも言った階級とか立場とかって話を少ししたいんですけれども、
マルクスの前回お伝えした有為物主観みたいな歴史観があったと思うんですけれども、
やっぱりこれがかなり影響してるんだなっていうのがあって、
やっぱりマルクスは建物を一階と二階っていうふうな発想をするんだけれども、
この二階部分では法律でも宗教でもいいんだけれども、
そういう僕らが持ってる価値観とかって、
あらゆる時代においてあらゆる支配者層っていうものがあるとそれを牽引してきたというか、
もっと言ったら自分たちの都合のいいように作ってきたんだみたいな、
結構そういう批判的な目を向けてるんですよね。
これは本当に思っていたのか、ロジック上そういうふうにしてるのかってちょっと分かんないんだけれども、
よく一般的に言うのも歴史っていうものは勝者の歴史だみたいな感じで、
その時々の支配者層とか、戦争して勝った方があらゆる都合のいいように美化されるように、
制度とかそういったものを作ってきたっていうものは事実あったりはするわけじゃない?
支配者っていうものがまずいて、その人たちが都合のいいものを作ってきた、
それを繰り返してきたものが実は人間の歴史なんだっていうふうに言ってるんですよね。
王権とかもそうだし、兄貴がやってくれた法権制とかもそうだけども、
やっぱり社会には一定の支配者層っていうものが、
少なくとも例えば農業が始まったとか、日本で定住革命が起きた後とかにはいて、
そういう人たちにとって都合のいい、どうしても社会性というものができていたっていうものが一定の事実として確かにありますね。
ただね、じゃあ全部が本当に支配者層だけのものなんですか?とか、
これはまず日本でもあるけれども、やっぱり平安時代とかでも貴族風の文化があったときに、
それをやっぱりいいなとか憧れて、それがどんどんどんどん民衆化していったみたいな時代はかかるけれども、
そういう流れってのがあったときに、
全部が全部支配者が上から押し付けたとか、支配者の都合で広まったっていうわけじゃないっていうのも事実なんですよね。
もっと言うと、例えば中国でも儒教とかあると思うんだけれども、
親とか子っていうのも例えば立場って立場じゃないですか。
でもそこに対して親がこう思うとか、子が親を思うみたいな、そういうものも、
例えば儒教の批判、儒教を批判してそれも、いわゆる年長者が若い者を支配するための都合のいい論理だと言えなくもないけど、
でもそれで切り捨てるには、本当に親子って支配関係なんでしたっけっていうことも言えるわけだよね。
っていうふうに本来もっとデリケートなはずなんだけれども、
さっき言ったようにマルクスは当時支配的な思想、
当時というのは時々支配的な思想とか、
社会の制度っていうものは全て上から押し付けられたものだっていうふうに、
ある種単純化してしまってるんだよね。
なるほど、なるほど。
確かに、例えばあれだもんね。
昔修行社会でさ、50人ぐらいの集団で生きてたときに、
なんとなくリーダーができるみたいなのがあったときに、
それってそのリーダーが周りを統治して自分のためになってんのか、
それともなるべく素敵になったリーダーみたいな、
そういうのはそこまで人数減らしていくとありそうだよね。
そうそう、尊敬されて認められてリーダーになるっていうことも当然あるわけだとしたときに、
さっきのそこを中心にするとか欲望とかを切り去ると一緒で、
そういう下から認めるとか、下っていうと言い方あれだけども、
でもそういう立場があったとしても、
そこってお互いの関係性だねっていうことを切り捨てちゃうんですよね。
なぜならマルクスは資本家に、
労働者ってのは削除されているとか、
資本家というものの私的所有が、
我々労働者の持たざる者というものを作り出しているっていう、
そういう構造である種語ってしまうので、
これがやっぱり切り捨てられちゃうんですよ。
なるほど。
そうするとどうなるかっていうと、
じゃあそういった過去のものっていうものはいらないからって言って文化財を壊すとか、
あるいは知識人っていうものは過去の知識があるだけで役に立たないから、
不吉だって言ってこれも粛清されるとか、
そういうことに繋がってしまうものがあるんだよね、
このマルクスの考えてる中に。
もちろん物を壊したらダメですよとか、
人を殺したらダメですよなんていうのは当たり前のことなんだけど、
マルクスも別にそんなことは言ってないんだけれども、
その資本主義という家というものじゃなく、
共産主義という家を建てようとしたときに、
そういった過去の支配者層に属する人っていうものは、
現代ではもはや価値がないとか、
人だけじゃなくて過去の、
たりに歴史というものがあって、
それで繋がれてきた手物とか文化とか、
そういったものは新しい社会には不要であるとか、
そういうことが言えちゃうっちゃ言えちゃうんだよね。
なるほど。
っていうふうな話があって、
共産主義の理想と現実:実現可能性と人間の条件
やっぱり共産主義というものを実現しようとしたときの、
前回お伝えした光の面と、
今回お伝えした闇の面というものが、
ある種引き出せてしまうんですよっていう感じなんだよね。
それを引き出した人が悪いとするのか、
マルクスがそういう引き出せるように作ったのが悪いというのかも、
これはわからんし、
そもそもヨシアシっていうのは何で見ますかっていうと、
それも難しいんだけれども、
スクラフトも歴史の中で僕らが知ってる中で言うと、
そういった虐殺とか、
やっぱり飢餓とか飢えとか、
そういったものは起きたって事実あるから、
それは良くなかったよねっていう風に言えると思うんだよね。
みたいな感じで前回と今回で、
共産主義というものを話してきたんですけれども、
どうだったこの2回って、
ちょっと僕も色々言ったけど、
普段と違いすぎてるんだろうな。
語ってる自分の手応え感っていうのかな。
それが分かんなくなっちゃってるんだけど。
いつもだと歴史に残ってるというか、
ちゃんと評価されてる哲学者とかの、
哲学を紹介するみたいな感じで、
その人に共有した感じでやるみたいな話してたけど、
今回はそういう感じじゃないからじゃない?
それもある。
途中で共産主義者的にはとかって兄貴言ってみたけど、
どこまで言っても慣れないっていうか、
言ってる僕自身がやっぱり、
でもさ、これ大丈夫?みたいな感じで言ってるところはあるからね。
もちろんすごいことなんだよ。
マルクスが言った共産主義って、
僕はすごい、みんなでもっと自由に集って、
より良い社会を作っていこうよっていう、
根本にある発想自体は間違ってないと思うし、
素敵だなって思うんだけど、
やっぱりそれが資本主義を乗り越えとか、
新しい家を作るってなった瞬間に、
もうちょっとなんとかなりませんかねって思っている、僕自身が。
っていう感覚があるからかもしれない。
面白かったよ。すごく面白かった。
共産主義っていう名前が共に生産するなのぐらい、
イメージがないところからスタートだから、
そもそもそういうことを考えてたんだっていう意味で、
純粋に面白かったし、
配当的には感想とかある?
感想というかね、
兄貴もたちで言ってくれたけれども、
なぜマルクスって、
労働者とか現実を見て、
現実から現実を変えていくっていう発想をした人なのに、
本来人間があるべき、
パンじゃなくてお米が食べたいとか、
お米も今日はチャーハンがいいなみたいな、
すごい素朴な欲求じゃん、それって。
そういうものを見てないような感じがするんだよね。
今学んでる限りでは。
なんでそうなっちゃったのかなっていうのが一番の疑問。
そしてまだ残ってる。
ちょっと僕の中でも調べきれなかったし、
そういう切り口でもうちょっと、
マルクスと仲惚れしてみたいなっていうふうには思ってる感じかな。
なるほどね。
でも、早藤が途中言ってた、
例えばその、
共産主義的な、
パン工場、みんなで頑張るパン工場とかあったとして、
そこも働く一人一人が、
自分の、たとえばその、
真の富だったっけ?
ああ、そうだね。
幸せとか、
あと十分足りた状態みたいなこと分かんないじゃん、
早藤が言ってたと思うんだけど、
まさにそれだと思うんだよね。
ああ、なるほどね。
だから今回思ったのが、
世の中の人間全員が、
マルクスとエンゲルスだったら、
この共産主義の社会は、
ちゃんと機能してたかもね、
っていう話で、
今回話した2階建ての家でいう1階建てに住む人間たちに、
求められる能力だったりスキルだったり、
マインドセットみたいなものが、
そもそも無理あるよねっていう感じだったんだと思う。
そういう意味での理想。
現代技術による共産主義の再考:市場と貨幣の役割
だから、その構造が理想なんじゃなくて、
人間に求めるスタンス、マインド、スキル全部が、
かなり無理を敷いてるというか、
そこが理想だったんだと思う。
はいはいはい。
それはすごく面白いし、確かになって思う。
今、兄貴が言ってくれて思ったんだけど、
さっきね、僕もパン工場とか車の生産工場とかで言ったけど、
当然パン工場を作るには、
建築の人もいれば、機械を作る機械工の人もいれば、
ネジの加工者もいれば、ネジを作る鉄の精錬する人もいるみたいな。
経済とか物ってつながっているじゃないですか、基本的に。
なると本来、やっぱりこれは資本主義がいいとこなんだけれども、
パンを作るためには、あらゆる人とつながっていないといけないって、
良くも悪くも。
それが今の資本主義はお金になりすぎているとか、金銭というものだけでつながっているのは、
確かに良くないかもとは思うんだけれども、
それが姉かやってこいって、市場はあってほしいってのと同じで、
それがないときに、この複雑化した社会とか世界っていうのをどう成り立たせるかっていうのは、
かなり難しいっていう、そこの現実の問題もあるんだろうなと思う。
そこはびっくりしたね。共産主義で市場ないんだ、みたいなの。
貨幣はない方がいいんだ、みたいなね。
そこはちょっとさすがに無理やろう、みたいな。
でもね、やっぱりそうすると結局資本主義、資本っていうものが、
社会っていうものを変えることができる。変える必要あるのかっていうのは別に置いていったとしても、
やっぱりその発想として、そのぐらいお金とか市場とか、貨幣って強いよねっていう話でもなるよね。
いやー、そうだね。
世の中全員がマルクスとエンディルスで、今の技術があれば、
割といけるかもね、貨幣なしでも。
確かにね。
AIじゃないけれども、普通にデジタル技術で全ての商品を登録しておけば、
あらゆる交換が瞬時に、貨幣なくても瞬時にレートと、
私は自動車を持ってるけれども、米とおもちゃと服とこれが欲しいんですって登録しておくと、
一瞬でマッチングしてくれるサービスが実現できれば、貨幣なしでのブツブツ交換が可能になるかもしれないから、
そのシステムと、あと全員がマルクスとエンディルスっていう条件が整えば可能だね。
そういうシミュレートしてみたいね、パソコンの中とか。
現実世界では無理だから。
でもそういうことかもしれない。だからアイデアは死んでないかもしれない、やっぱり。
ただ、実現のハードルが高いというか、99.9%無理みたいな。
無理だね。
そうなのかもしれないね。
難しい。そこへサービスまで行ってくるから。
マルクス思想の現代的意義と今後のテーマ
そうそうそうね。もちろんご存知、感じていただければ嬉しいんだけど、
いわゆる共産主義というものを通じて、この現実世界にある共産〇〇みたいなものを批判したいとか説明したいっていうことではないです。
今、僕が今日まで前回話したことは。
その観点で聞いた方で話したことがあったら申し訳ないと思うんだけど、
今でもマルクスって人を踏み込んで見てみたときに、何が見えてくるのかとか、
どういうことが良い点とか悪い点が見えてくるのかっていうことが、今日はお伝えできるとすごくいいなと思ってて。
なので、次回まだ少し悩んでるんだけれども、このままちょっとヨーロッパ突き進むのか、
実は他の気になってるところで、〇〇と哲学みたいなのがあったときに、
いわゆる働くことと哲学とかだと思うんだけど、
例えば言葉と哲学みたいな話とか、あとはAIと哲学みたいな最新のお話っぽくしていくと。
っていうものを一回挟んでも面白いんじゃないかなって思ってて。
まあそうだね。ぜひちょっと聞いていただけれども。
そうそうそう。結構マルクスの長かったからさ。
なので、いわゆるミジステーキのことをやりようとは言ったけれども、
別に歴史批判とか批判をしたいわけでもないので、そこは柔軟にテーマを選びつつも、
今回はマルクスのことを通じて、やっぱり僕らが知らない共産主義みたいなものとか、
そもそもマルクスという人とか、ということが抑えできたら嬉しいなという形でございます。
はいはい。だから、なんだかんだ関東から始まって、ヘイゲルきてここまでたどり着いたねみたいな感じ。
ヘイゲルからいろんなところに、関東からもあるけど、いろんなところに分岐はするんだろうけれども、
ひとつここまで来たねみたいな感覚はあるよね。
そうだね。その前にロックとかもやってるからね。
すごいね、ほんとに。
そういうと、ほんと丸一年ぐらい。ロックだったのがちょうど去年の4月だったみたいなので、
ほんとに丸一年かけてこういう流れをたどってきたねって感じだね、ほんとに。
うん。はい。
壮大な物語に残ってました。
そうですね。なので次回はつだんも挟みながら、次のテーマこうしますよということもお伝えして、
マルクス界は一旦終了でというふうにしたいと思っておりますという感じですね。
はい、わかりました。では次回はつだん挟みつつ、また次のテーマに進んでいきたいと思いますというところで、
引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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