ごめん、一個だけ質問を最初にさせてもらうんだけど。
はいはい。
まず始まりが商品っていうのはわかったんだけど、
この資本論っていうのは、そもそもっていうか、
この商品の話をしながら、どこに着地点があるの?みたいなところを、もしわかれば聞きたいと思ったんだけど、
あれなのかな?第1話とかでさ、やっぱりマルクスが大変な、困ってるというかつらい労働者だよね。
だったりとか、そういう当時の生活だったりとか、社会っていうものに問題意識みたいな、課題みたいなものを見出してたじゃん。
新聞社でいろいろ書いたりとかさ。
実際そのために活動するみたいなところがあったと思うんだけど、
やっぱその活動するにあたってだったりとかしながら、
マルクスにとってのある意味、変革すべき現状だよね。社会。
それを、その構造を明らかにするっていう目的の中で、それを資本主義というふうにある意味名付けて、
で、それは何だろうかっていうふうなところの第一歩がこの商品から入っていくよみたいな、
そういう感じでいいのかな?イメージとして。どうなんだろう?
ちょっと何だろうな。間違ったらいいと思うんだけど、
なんかね、やっぱり膨大すぎて資本がないよって。
ちょっとこれは、今僕がそのWikipediaの構成を見ながら言ってるんだけど、最初は商品と貨幣っていうのがあって、
その商品っていうものをやるんですよ。
はいはいはいはい。
で、そっから貨幣っていうのは資本に代わるって話をして、
ほうほうほうほう。
で、常用価値みたいな話をして。
ほうほうほう。
で、資本が蓄積されるみたいな、そういう商品からお金から資本へっていう流れをまず第一期でパッと扱うらしいんですよね。
で、そっからどういうふうに資本が流通するのかっていう社会のこととか。
流通、はいはい。
で、それじゃあ資本主義的生産ってなんだとか、利子ってなんだとか、
もうなんかものすごいことをやっぱり色々書いてるんですよ。
で、ひと言で言うと、その当時の経済学。
うん。
アダム・スミスとかもいるとは思うんだけれども、
そういった経済学の流れにやっぱり自分自身が捉えた経済の流れとか、資本主義の流れとかあり方っていうものを、
ちゃんと明らかにしようとしたと。
かつこれは、もともとはプロレタリアという労働者にそういったことをちゃんと伝えようって書いてたらしいんだけど。
これ伝えるために書いてんのこれ。
そうそうそう。
自分のためじゃなくてね。
じゃなくて、ちゃんと労働者にそういった世の中の仕組みを伝えるぞみたいな。
そういうところで書いてたんだけど、文章量もすごいし値段も高いし、当然なんだ、もういろんな知識が人だから読めるわけないじゃんみたいになって。
なるほど。
そうそうそう。で、結構なんだろうな、その後いろんな人がもうちょっと読みやすいやつ書こうかとか、
あれは逆に読めないからって読解されて受け取られたりとか、そういうことが起きちゃってるっていうふうな感じらしいんだよね。
なるほどね。だからマルクスとしては、たとえば本屋さんにそれを並べようっていうときに、ある意味誰でもわかるこの世の中の経済の仕組みとかっていうふうな感じで書いてるんだよ。
誰でもわかるとか、それでもわかるみたいな感じにしたかったらしいんだけど。
完全なる学術書というか、難易度恐ろしいことになってるっていう。
そうそうそう。しかも3巻分で何十万文字もありますみたいな。
で、さっきのような話が続くんでしょ。
そうそうそう。
引用してくれたようなね。
なるほどね。
はいはい。とすると確かに目的なんだろうな。
位置しろとか、その目的とかっていうと、マルクスが現状をわかるためとか、マルクスの活動のための、ある意味基盤作りみたいなね。
あるのかなーみたいな感じで思ってたんだけれども。
うん。
そんな単純なものでもないんだね。
単純なものでもない。単純なものでもないっていうか、これはネットで見つけた記事だからどれだけってあるけど、
研究者でもちゃんと1から3まで全部読んだ人は少ないだろうしとか、
もちろんつぶさにってことだと思うけどね。
とか、第一巻だけ読んでたら、マルクスにちょっと触れたよって言ってもいいんじゃないかなみたいな。
そう言われるぐらい通読するとかって正直しんどいものみたいですね。
なるほど。下手したら第一巻研究で一生使っちゃえるし、
使える使える。
第二巻だけでも使っちゃえるみたいな、そういう話になにか出ないのか。
そうだね。
ごめんごめん。すごい難しいなんだろうな。
素人からするとさ、「これのゴールは?」とか、「この本の目的は?」とかってさ、着地っていつも言うじゃん、哲学をときにさ、
これってどこに着地するのか最初に教えてほしいみたいな話をして、
いつも早いと困らせてるんだけど、同じようなことが起こるんだよ、これでも。
そうだね。僕自身は全体的につかめてない、申し訳ないっていうのもあるんだけど。
なので、そういう意味で言うと、もうちょっととてものではないけど、全体を示すとかっていうことがちょっと難しいので。
思想層じゃないから、各類になる思考って言われても、
すみません、資本論にはあんまりちゃんと書いてないというか、一言でこうだってなってないんだよね。
なるほどなるほど。
高生の人が取り上げて、マルクスは常用価値について話したとか、これから話すように商品とか貨幣の値立ちってものを吹いたんだってことは言えるんだけど、
それってほんと一部でしかなくって。
へー、そうなんだ。
すみませんでした、全体像知らずに。
いや、大丈夫です。僕が不勉強なばかりに。
この不勉強のレベルがさっき言った話ってことはね、一回でも溢れてれば、ある意味専門家でも十分みたいな話になってくる。
十分とは言わないけど、溢れたねって。僕はそれで言うと、マルクスの資本論さえまだ読めてないから、まだマルクスに触れられてない人は読めてますよっていう。
そっかそっか、吹いてくれた人が書いてくれたものを読ませてもらってるぐらいの感じね。
そうですそうです。なのでまだ遠いです。
という、すみません、前提がある中で、まあいえ、今回商品っていうものに対してはちょっとだけ勉強してきたので、
それを皆さんと分かち合いたいですよっていうふうな感じですね。
なんかマルクス難しいとかってやらなかったね。
前回前々回で、ヘーゲル・フォイエル・ワッハみたいな人を踏まえてたりとか、みたいな話したんだけれども、いろんな意味での難しさがあるんだね。
そうだねーって改めて思った、今聞かれて。
では今日の本題に行こうと思っているんですけれども、さっきお伝えした通りですね、マルクス自身が資本論の中で商品というところから始めますよっていうふうに伝えているんですよね。
これすごい面白くて、要は哲学でもそうなんですけど、何を根本的な存在というかテーマにするかによって、哲学の成り立ちは変わっていくと思うんですよ。
例えばヘーゲルでいうと、やっぱり精神とかものがあって、その精神が色々と美容して絶対値になっていくというところになったときに、そこの何を大物に据えるかっていうね、精神ってものを据えますとか、
あるいはもっと昔のギリシャ哲学でいうと水っていうものを据えますとかさ、万物の根源はこれこれですっていうときに、
別にマルクスは万物の根源について語ってるわけではないけれども、この資本論っていうものを書くにあたって商品っていうところが出発点だと。
これが根本的な位置を占めるんだ、中心的な位置を占めるんだっていう話を考えていくんですよね。
前回もおっしゃった通り、マルクスの現実から世界を捉えたいって話をしたじゃないですか。
うん、そうだね。頭の中でだけじゃなくてね。
そうそうそう。平気の絶対値とか増える場所の神様を人間に回収したのはいいんだけども、そうじゃなくてもっと現実、具体のこの世界からやっぱりその世の中でも解き明かそうっていうときに目をつけたのが商品なんですよね。
そうなんだ、はいはい。
じゃあねと、じゃあその商品って何ですかって言うとさ、結構難しくない?
まあ難しいんだろうね。
普通に考えればね、その辺に売ってるものっていう感じだと思うんだけど。
よくさ、哲学っぽい言葉かわかんないけどさ、じゃあ商品とは何ですかみたいな。
定義ね、まずね。
そうそうそう。そういうときにどう答える?
商品と、なんだろうね。
販売を目的に作られた何かみたいな。
いいっすねいいっすね。
でもね、ほぼ正解って言ったらなんだけれども、その通りですと。
つまり僕らは、まずは今、いわゆる現代のAI時代でテクノロジー云々とかちょっと前のマルクソン時代、150年前ぐらいの、もうちょっと工場とかで物を作ってたんだろうなぐらいのことを想像してほしいんですけれども。
僕らって別に、有史以来から何か武器を作るとかさ、テーブルを作るとかさ、そういうものを多分やってきたと思うんですよ。
っていうときに、作ったものは商品ですかって言うと、やっぱりそれは商品じゃないんだよね。
えー、違うんだ。ほうほうほう。
うん。なぜかって言うと兄貴が言った通りで、それは人に売るために作ったんじゃなくて、自分で使うために作ってるからですと。
あー、なるほど。はいはいはい。
逆にそれがどんどん時代が進んでいって、マルクスぐらいの時代、もっと言うと資本主義的な社会になってくると、
まさに他人に売るためとか、自分では使わないんだけれどもっていうふうなもので、そういった物を作る人たちは増えてきて。
これが商品っていうふうに呼ばれてるんだっていうふうな話なんですよね。
あー、なるほどなるほど。今ので言うと、そこそこ1000年前、2000年前でも商人みたいな人はいたんじゃないの?
お、いいこと言うね。
その商人が売買をするために、民間品だったりを売るために作ってる人はいたんじゃない?昔から。
えっとね、ここちょっとゆっくりいこうと思うんで、それは後でまた触れます。
ちゃんとあるんだね。
うん。ありますあります。
ほうほうほう。
今は問いとして持っておいてですね。
まず商品っていうのがどう生み出されるかっていうと、
基本的には何らかの人間の労働の成果がありますね。
つまり、商品を作るようにしても、木を切ってきて、作工をして、くっつけてとかいろんな工程があるし、
さっき商品、商人って言ってくれたけれども、
仮に塩とかを持って売るとかっていうときにも、塩を乾燥させるとか、それをどっかに運ぶとかっていうふうにして、
何らかの労働っていうのがそこに加わるじゃないですか。
はいはいはい。
うん。
っていう意味だと、そこには基本的に商品の向こう側には、人間の労働とかそういうリソースっていうのは投入されてきます。
うんうんうんうん。
そういった中で、商品で生まれてくんだけれども、
商品がどういった、人間の労力とかを使えて作られた商品がどんな特徴を持つかっていうと、
それには2つあるっていうふうにマルクスは言うんですよ。
2つ、はいはいはい。
1つはわかりやすいんですけど、いわゆる使用価値ですよね。
使用価値、使うことの価値で、例えばコート、着るコートがあると、それは体を守るとか寒さをしのぐとか、そういう価値があるじゃないですか。
はいはいはい。
ただりんごだったら、りんごはお腹を満たすとか、甘いものが欲しいとか、特に食べるとかっていう、そういうふうな使用価値があって。
それは使用価値、はいはい。
使用価値。これは時代が変わっても変わらないよねっていうふうな感じなんですよね。
うんうんうんうん。
もう1個が、さっきの商品を売買するときの交換価値っていう話で、
つまりは他のものとどのぐらいの割合で交換できますかっていう話なんだよね。
ほうほうほうほう。
うん。で、そうするとどういうことかっていうと、
例えばさっきコートとりんごっていう話をしたと思うんですけど、
例えばコート1着でりんご10個がもらえますと、もらえて交換できますと。
うんうんうんうん。
っていうときに、コートは寒さをしのぐっていう使用価値があって、
りんごはお腹を乱すっていう使用価値があったじゃないですか。
うんうんうん。
これって全然違う価値なんだけれども、
これが交換価値になると、なぜかコート1着とりんご10個がイコールというか、
この等しい価値になります。
うんうんうん、なるほど。ほうほうほう。
うん。これって今僕らからすると当たり前に感じるんだけれども、
よく考えれば不思議で、不思議というか不思議に思えてくるんだけれども、
なんで全く違う使用価値を持つものが、
そうやって同じ基準で比較されるんだろうねと。
うんうんうんうん。
さっきコート1着りんご10個って言ったけど、
ここに例えば鉄1キロって載ったときに、
じゃあなんで鉄とりんごって同じ価値だって言えるの?とか。
うんうんうん。
じゃあ鉄とコートとどっちの方が、
それこそ交換価値としてより優れているの?とかって、
そこに基準って本来ないじゃないですか。
確かにそうだね。
物々交換だとすると、本当交渉だよね、その都度。
うんうんうん。
みたいな感じがする。
今それも本当に大事で、
僕らはそれこそ資本主経済の場合に、
やっぱりそういう交換みたいなものがあって、
交換って言うとあれだな、なんていうの?交換か、交易か。
あるいは特産品を、
例えば塩が取れるところと炭が取れるところがあったときに、
その塩と炭ってお互いに手に入らないものを交換するみたいなものとか。
あと実はエスキモーの例とかが出てるんだけど、
エスキモーって寒いところに住んでる人たちって、
物資がほとんどないです。
で、彼らがよく使うのが毛皮なので、
その毛皮っていうものを他のいろんな地域の人と交換をして、
いろんな物資をもらうというか交換してくるんだけど、
そうなるとその毛皮っていうものが、エスキモーにとってはある種貨幣みたいな、
ちょっと貨幣な話はまた次回するんだけれども、
お金みたいになって、
毛皮1枚と例えばリンゴ10個とか、
毛皮5枚と例えば砂糖10キロとか、
そういうふうな交換が成立していくってなっていくんですよね。
なるほど。それもっと、なんだろうな。
毛皮もっとっていうか、ある程度もっと交換できるねっていうね。
そうそうそう。
便利なものなのか。
エスキモーにとってはね。
そういうふうになったときに、でも、
本来の毛皮の価値って体を温めるとか、
それで加工して温めるとか、
あとなんだろうね。
でもそういう、たぶん何がしか身の回りを包むみたいな感じだと思うんだよね。
なんでその価値っていうものが、
他のリンゴとか砂糖とか鉄とかそういうものと交換できるんですかっていうものは、
その商品だけを見てても、やっぱり見えてきませんよねっていうことをマルクスは考えるんですよ。
はいはいはいはい。
ここに大事になってくるのが、
さっき言った人間の労働っていうふうな話で。
へー、ほうほうほう。
結局、コートであれリンゴであれ鉄であれ、何でもいいんだけれども、
例えばコートを作りますみたいな労働と、
リンゴをもぎ取ってきます、あるいは育てますみたいな労働と、
鉄を溶かしてちゃんと成形しますみたいな労働ってなったときに、
どれも全然性質が違うんだけれども、
何らかの人間のリソースが含まれているっていう時点では共通じゃないですか。
そうね。
そうすると、この何らかの人間のリソースが含まれているっていうものを、
マルクスは抽象化して、
これを抽象的人間労働っていうふうに呼ぶんですよ。
うーん、抽象的人間労働?
そう、具体的に言うとコートを作ろうとか、リンゴをもぎ取るっていう具体の労働があるんだけど、
そうじゃなくて、抽象化したあらゆる商品の根底にある人間のリソースの投入量みたいな。
あー、はいはいはい。
そういう概念を考えるんだよね。
なるほどなるほど。だからリンゴっていうものを抽象化すると商品ってなるんだけれども、
その中にはそういった抽象的人間労働、合ってる?
合ってる合ってる。抽象的人間労働。
分の価値というか、それも入ってるよねっていう話になるんだ。同じように抽象化するとね。
そうそうそうそう。それがあらゆる商品に入っていますよね。
で、その商品が持っている価値、特にその交換価値ですね。
これっていうのはさっき言った通り、商品そのものを見ても、なんでコート温かい?
コートを着ると温かいっていうのは商品を見ればわかるじゃないですか。
でも、このコートが何とどのぐらい交換できるのかっていうのは、コートだけを見てもわかんなくて。
で、その奥にある人間のその抽象的人間労働がどのぐらい投入されているかとか、
それがどのぐらいこの商品を生み出すために使われているかっていう、
これを見ることで、他の商品との交換価値っていうものが初めて見えてくるんだっていうことを言うんですよね。
へー、そうなんだ。はいはいはい。
ここまではOK。その商品っていうものがその使用価値と交換価値があります。
交換価値っていうものを考えるには、人間の労働っていうものをトライする必要があります。
ここまではOKかな。
OKだね、たぶん。
今のをただ文字通りに受け取ってしまうと、
例えば海で塩を作りますみたいなところがあって、
一方で別の人が山でキノコ取ってきますみたいな人たちがいたとして、
海に住んでる人にとっては、海の水を汲んできてそれを塩に加工するっていう労働は、
ある意味、仮に山の人が同じ塩をデッドしようとすると、山の人はわざわざ海のほうまで行って、
その海を汲んで、一旦家にまた山まで帰ってみたいな感じで、
いわゆる抽象的人間労働の量が違うよね。
そうだね。
だから、いいのか。勝手に解決した。
どうしたの?なんで解決しちゃったの?
それで言うと、住む場所とか資源によって、
抽象的人間労働の必要な量って結構変わるよな、みたいな。
そうなった時に、そこだけ見ると、物々交換が成り立ちづらいというか、
変なことになるのかなと思ったんだけど、ごめん、今自己解決したのが、
確かに海に住んでる人にとっては、
資源を作るための抽象的人間労働の投入量で、山の人に少なく住むし、
山に住んでる人にとっては、海の人が山に行ってキノコを摘んでくるよりも、
抽象的人間労働の投入量が多分少ない。
確かにそこがある意味イコール、資源の希少性みたいなものがあるのかなとは個人的には思ったんだけど、
投入量みたいなところでは、確かに海の人が塩を作るのと、山の人がキノコを摘んでくる量は確かに変わらないから、
お互いに交渉で、これをこのくらいの量で交換しましょう、みたいなものが確かになり立つか、みたいなのを、
勝手に自己解決したみたいな感じ。
それすごいわかるし、たぶん兄貴がもともと持っていた問題点って疑問化。
そういった労働量の増加って言っても、でも結局価値ってやっぱりあるじゃないかと。
例えば、それこそ砂漠で水って貴重だとした時に、水を持ってきて植えると、
水を汲み出す労力よりも、たぶん砂漠で高く植えるんじゃないかみたいなさ。
そういうのって当てするじゃないですか。
それは実は次回の話なんだよね。
そうなんだ、あるんだ、ちゃんとその辺もなんかある。
なんでかっていうと、これですね、マルクスの資本論ではあるんですけど、
すごい哲学的なのは、まだ具体的な人間ってここまで出てきてないんですよ、ここまでの話で。
そうなんだ。
今日の話だって、まだ抽象的人間しか出てきてないんですよ、今日。商品と。
知らないけど、そうだね。確かにそうだね。
僕らっていうか、確かに今、兄貴の話聞いてて思ったんだけれども、
まだ今日、商品の話しかしてませんと。
なので、商品が売られるお店とか、商品を作った人とか工場とか、
そういうものの話は、まだもうちょっと後なんだよね。
そうなんだ。
まずは商品というものを分解して考えてみましょう。
そしたら、使用価値と交換価値っていうものがありましたねと。
使用価値と交換価値、ありました、はい。
ありました。まずなら、商品っていうものは、それを使うと温かくなったりするコートとか、
お腹がいっぱいになるリンゴっていうものだから、これは分かりますね。
商品だけは見てもいって分かりますねと。
交換価値もありますねと。
コート1着とリンゴ10個は交換できるっていうことが分かるので、
きっと何かそこには価値があるんでしょうねと。
でも、この価値って商品だけは見ても分かんなくって、
では何を見たら分かりますかっていうと、さっき言った抽象的人間労働。
誰か知らんし、何かよく分かんないけど、
おそらくその生み出した人がいて、
その人が費やした労力があるから、
それがきっと交換価値の根本にあるんでしょうねと。
今この世界、またゼロから無から商品だけが現れて、
今分析したところで、まだ具体な人出てきてないんですよね。
なるほど、そっかそっか。
具体的な交換シチュエーションを想像するのが早すぎたんだね。
そうなんです。
なるほど、失礼しました。
でも、それはすごい大事で、何故かっていうと、
僕らって普通、商品って聞いたら、
生み出すいろんな不随さ情報っていうのを考えちゃうじゃないですか。
考えちゃう。さっき希少性みたいな話しちゃったけど。
そうそうそう。
でも、あくまでもマルクスは、まず商品から始めよう。
特に市商品から始めようとして、
この根本的な概念とか存在から世界を広げていくって、
すごく哲学的な書き方だし考え方だなって思うんだよね。
だから、この経済とか世の中のことを語るんだけれども、
やっぱり僕らの先入観とか思い込みっていうものをいっぱい取っ払って、
マルクスは商品っていうものをそういうふうに捉えたんだなとか、
まだこのマルクスの資本論には商品というものしか現れてないんだなみたいな。
はいはいはい。
お金ってどうやってそれを買うのとかっていうのはまだないのよ。
お金はこのマルクスの資本論の今、この春季の世界においては。
だって、交換運のみたいなのも一旦まだ話してないよと。
まだ商品の話しかしてないよだから。
なんとなく自分たちに身近な経済の話をしてくれてるから、
すぐに結びつけたくなっちゃうんだけれども。
まずは落ち着いて、このマルクスの世界観を、
いつも派手とかいう裸でというかゼロベースで、
ちょっと組み立てていってみましょうか。みたいな感じだね。
はいはい。失礼しました。OKです。
いや、でもよかった。そこがね、ちょっと今日話ができて。
そこでですね、兄貴がさっき言ってくれたのは、
中小的に人間労働ってあったときに、本当にそれってなんだろうな、
それを考えたら、交換、さっきの交換化っていうのは成り立つのって話なんだけれども、
一旦ね、海の人の塩と山の人のキノコっていうものは、
確かに同じぐらい簡単に取れるであろうということから、
確かにつながり育てるところまでは今いけたと思うんですよね。
そうなったときにですね、結局大事なのが、
その商品ですよね。今日テーマにしている商品。
この価値っていうのは、ちょっと繰り返しになっちゃうんだけれども、
やっぱりその商品自体とか、その商品と向き合っている人には分かりませんって話なんだよね。
ふーん。
つまり、海で塩を作っている人にとっては、
この塩の価値っていうのは、その瞬間にはまだ分かんないんですよ。
その塩というものを山の人が取ってきたキノコと付き合わせて初めて、
この塩とキノコっていうのは10gと1個が交換できるんだねとか。
ふーん。
で、実はその山の人はキノコだけじゃなくて、
なんかスミとかイノシシとか色持ったときに、
この塩というのはキノコ1個で、スミ、例えば10gで、
イノシシの毛皮このぐらいだねとかってなったときに、
初めて塩の価値、交換価値っていうものが現れてきますと。
わー。
具体的にね。
なるほど。そっかそっか。
そこがたぶんさっきの自分の疑問の違和感部分だったのかもね、確かに。
その交換価値って、誰かと誰かが出会って初めて出てくるんだ。
そう、そうなんです。
あー、そっかそっか。
それぞれにキノコを摂ってる時点とか、塩を作ってる時点に存在するものだと思ってたのかもしれない。
そうだね、そうだね。
それは僕らの世界で言うと、例えばこれを作ったらいくらで売れそうだよねとか、
そもそも市場っていうものがあるから、
だいたいこれってこのぐらいで売れる。
しかも交換できるじゃなくて売れるっていう、お金との比較ができる時代じゃないですか。
それはマルクスの思考論から言ったらちょっと先なんだよね。
あー、なるほど。
まずは商品っていうものから考えるっていうのはそういうことです。
で、これをですね、マルクスの言葉であるんだけども、基地の鏡っていう話があるらしくて、
要はその塩、リンゴでもなんでもいいんだけど、
それって要は価値っていうものを考えると、他のものを移してしか初めて自分の価値がわかりません。
塩の価値はキノコとか炭を通さないとわかんないし、リンゴの価値はコートを通さないとわかりませんみたいな。
そういうことを考えて、商品と価値っていうものをまずは定義していくんだよね。
わー、はい、なるほど。経済学って言ってたからちょっと気抜いてたかも。
そうね、あくまでも哲学というかそういった土台の中での、やっぱり今回話をしようとしてるので、っていうのもあります。
OKです。鏡ね。
そうそうそう。じゃあなんでわざとこんなめんどくさいこと言うのかっていう話で、
別にそういうことじゃなくても、世の中見たら市場もあるし、リンゴ1個100円で売られてたら100円の価値があるって言ったらいいじゃんっていう話なんだけども、
でもマルクスはそれだと足りないって話をして、ここから実は近代的な社会とか、その中の人間っていうものが出てくるんですよ。
どういったかっていうと、近代以前、例えば封建時代とかで両種さんがいてとかっていう話になると、
基本的には労働っていうのは行われているんだけれども、何を作るかとかどんな仕事をするかっていうのは、ある種の身分とか生まれによって決まったわけじゃないですか。
はいはいはい、そうね。
つまり、両種さんがいてお前は米を作れとかさ、お前は比叡を作れとかって言われたらそれやるしかないっていうときに、
しかも何と交換するかとかっていうことも自分では決められないっていう風な時代の労働っていうものがあったときに、
近代の労働、当時のマルクスの時代であっても、ある程度身分とかから解放されて、
完全な自由ではないにしても、ある程度自分でその仕事を選ぶことができる時代になりましたね。
行動させてもいいし、林檎を作ってもいいし、もちろんいろんな制約はあるけれども、もっと言うとプロレタリアの反転で言うと、
資本を持ってないから何かをゼロから生み出すってことはできないんだけれども、
どの工場に行くとか何を作る人になるかっていうところをある程度自分で考えられますねと。
はいはいはいはい。
これはマルクスの言葉で、仕事が分割されていくって話をするんだけれども、
分割ね。
逆に言うと古い時代の人って、自分で作ったものをそのまま売りに行きますとか、交換しに行きますとかさ、
その生産から交換というのが一つに繋がってたわけなんだよね。
うん、なんとか職人みたいな感じだね。
そうそうそうそう。
でも近代になっていくと、今で言うと分業みたいになるんだけれども、
私作る人、私売る人とか、私仕入れる人、私前工程する人、私後工程する人みたいな感じでどんどん分割されてきますと。
はいはいはい。
しかもそれが別に社会全体って何か計画されて、
じゃああなたはリンゴをこんぐらい取ってくださいとか、あなたはこんだけコート作ってくださいってことじゃなくて、
自分たちの生産能力とか、そういったものに応じて、とりあえず作れるだけ作ろうとか、
採算が取れるまで作ろうというふうになっていくわけなんですよね。
これどういうことが起きるかっていうと、
労働者一人の観点からすると、
自分が投下してる労働料とか、それによって作られた商品っていうものが、
果たして本当に社会で必要とされているのかとか、
何とどのぐらいで交換されるのかっていうことが、作ってる人には全くわからないっていう状態になるんですよ。
自分が作ってるというか作業してる段階ではわからないんだ。
そうそう。わからない。
なぜなら、価値っていうのは鏡だから。
組み出されたものを市場に持ってって、
昨日はリンゴ10個とコート1個あったけど、
今日はいろいろあってリンゴ15個じゃないと無理ですよみたいなことが起きますよね。
はいはいはいはい。
中小的労働が投下料で価値になるって言ったんだけれども、
それもやっぱり日々ブレてしまう。
鏡だしっていうと。
そうそう、紙だからね。
っていう話で、自分がやっていること、
投下した労働料とかリソースっていうものが、
人から始めて社会的に価値があって、
他のものと交換できたっていうふうな価値を持ちますっていうふうになります。
これ大事で、さっき今日の冒頭言った通り、
商品っていうのは交換できるもの、
もっと言うと売るために使えるものが商品って言ったじゃないですか。
なので売れなかったものっていうものは、
商品としての当然そのアイデンティティが失われるわけですよね。
もっと言うと売れてとか交換できて初めて商品として価値があったってなるので、
僕らは、当時の労働者は、何かを作っている視点では、
それはもう商品ですらないんですよ。
おー、はいはいはい。
何かよくわかんないけど作らされてて、
自分が使うためのものでもないものを作らされてて、
それが交換されて初めて、
自分たちはちゃんと商品を作っていたんだっていうふうに、
後からわかるっていう、
こういう構造があるよねっていうふうにマルクスは考えるんですよね。
なるほどね。
今のここまでの話、今の話だけで言うと、
それは職人さんとかさ、山でキノコを取るみたいな人にも怒り得るよね。
そうだね。さっき言った通り、
労働の分割って話と、自分で仕事を選ぶってこの2つが結構大事です。
資本主義的な生産を考えたときに。
たとえば、いわゆる牛同性みたいな感じで、
割と職業選択の自由がない中でこの職人やってますとか、
この身分だとこういう仕事しかできませんとかってなると、
それは社会においてある程度必要な仕事だから、やっぱり残っているとか、
ある程度その社会の枠組みの中で、
いい意味の分業かな、あなたは机を作ってください、
あなたはタンスを作ってください、あなたはコードを作ってくださいみたいな感じで、
いって社会の中に必要な仕事っていうのが定義されてて、
そこに入っていくっていうイメージじゃないですか。
なるほど。だから需要が先にあるって話だね。
そうそうそう、そういうことそういうこと。
それも作ってと交換価値っていうのは、
使用価値に基づいた需要だよね。
要はこの街にはまだテーブルのない家が100件ありますと。
テーブルが壊れちゃうところもあるから、
その100個作るとか修理をするっていうことが求められますっていう
使用価値に基づいてるんだよね。
はいはいはいはい。
逆にこの街の全員が机を持ってるのに、
どんどんどんどん机を作りましょうって本来はやばかしいじゃないですか。
そう、余るね。
余っちゃう、時給関係的にね。
でもそれを作るっていうことしか自分はできませんとか、
まずはそういう仕事に就いてしまったからですみたいな話もあるし、
作ったそれはまさに余剰なんだけど、
その余ったものをもっと遠くの人と交換しましょうと。
もっといい机があるんで、今の机を捨ててこれと交換してくださいとか。
っていうふうに、
使用価値を超えて作っていくっていうのが、
やっぱりすごく近代的資本主義的だよねっていうふうな発想になってくるんだよね。
なるほどなるほど。
そう、なのでさっきの通り、
机を作りますと一生懸命作ります。
でもこの机が本当に必要かどうかっていうのは分かりませんっていうことが、
近代的資本主義的な労働の特徴だっていうふうに言うんですよ。
なるほどなるほど。
はいはいはい、需要無視なんだね。
こっち側の都合でひたすら作り続けるというか。
そうそうそうそう。
だから需要があるかは分からない。
他のものと交換できるかは分からない。
っていうのが、この商品から始めたときに見えてくる、
その労働者と商品の関係性なんだよね。
なるほど。
これがちょっと前回とか言ったような、
いわゆる商品とか仕事からの疎外っていう話にも近くって、
一生懸命作ってる、自分が作ったものなはずなのに、
それがそもそも誰の役に立つかとか、
価値があるとかってことも分からない。
それに従事し続けなきゃいけないっていうふうな、
ある種人間の苦悩というか、
困難っていうのが当時のプロレタリアにはあったよねっていう話なんだよね。
なるほど。
現代に言うと、それこそ受給の調整とか、
だいたいこのぐらい売れてるよねとか、
このぐらいの金額だよねっていうところがあるように見えるから、
それを乗り越えてるように感じるんだけれども、
果たして現代って乗り越えたんですかねっていう話も出てくるわけなんだよね。
なるほど。はいはいはい。
その辺はまた次回以降もちゃんと触れていこうと思ってるんですけど。
今日の話、いろいろあちこち言ったんですけれども、
一言で言うとね、あくまでもこの資本主義的な社会。
ちょっと兄貴の問いを後でって言っちゃったんだけれども、
昔も商人とかであちこち歩いて、
公益とかしてる人いたじゃんって話をしたじゃないですか。
あれっていうのが、資本主義的労働とはちょっと違うんですよ、捉え方が。
商人っていうものも、
もちろんそれを集めるとか運ぶとかっていう意味で自分のリソースを投下してるから、
そこには当然価値があります。交換価値が出てきます。
でも、その商人がやってることって、どっちかっていうと、
受給バランスを、要は足りないところに持っていくとか、
要は、海と山が近いと思うんだけど、
ある特産品を別の街に持っていってないところに渡していきますっていう話がメインだと思うんだよね。
当時の公益とかって。
そうすると、今の話の受給、需要がないところでも作り続けなきゃいけないとか、
売れるかどうかわからずに、とにかく労働として投下しているっていう話とはちょっと違うなって。
これは僕が思ってはいるんだけど、
そこの価値ってどうだろう、兄貴として。これまでの話で確かにちょっと違うなとかってなるかな。
そうだね。だから昔の商人っていうのは、
たぶんだけど、そもそも分業じゃないし、商人が持ってる使用価値だよね。
商人のサービスなのか、使用価値を生み出すための抽象的人権労働っていうものが、
ある意味、リンゴだったりとかキノコみたいな、
そういうものと同じような形で決定付けられてる。
商人から物を買う人にとって、
商人と自分が設定になったときに初めて、
今日言ってた鏡としての交換価値が昇ずる、みたいなところ。
そういう意味では、今日話した分業によって、
そういった形にはなる構造にはなってなさそうだ、みたいな感じかな。
そうだね。確かに、何を本当の価値としてますか?みたいな話で、
商人が自分で予算品を作って、自分でね。
作って、とかその土地で塩を作って収集して、遠いところに持って行って販売してとかって、
全部やってる人だったら確かに、労働者って言えるかなという感じはあるんだけれども、
そこまでやる人って少ないと思うんですね、商人で。できないと思うんですよ。
それは商人じゃないもんね、ただの。
確かに、出稼ぎ。
遠くに売りに行ってますっていう。
そうそうそう。
そういうときに、商品を生み出すっていう過程がいりますね。
現代でいわゆる無形の商材とかサービスっていっぱいあるから、
そこまでいくと今回の商品とか外れちゃうんだけれども、
あくまでもまるく具体的に物として見える商品っていうところをまずは取り扱ってます。
ほうほうほうほう。
っていうときに、商品を自然から生み出してちゃんと商品にしていくっていう過程があって、
その過程で人間の労働力が投下されるようにリソースが集中されるようにっていう話をするんだよね。
ほうほうほうほう。
あくまでも商人って流通の過程じゃないですか。
要はすでにある商品っていうものをその中で手に入れて、それをリザーが出るとこに持ってって売るっていう話なので、
商人自体は商品を生み出してるんじゃなくて、差額で儲けてます。
うんうんうん。
なので、これ次回以降でやるやっぱり税とか資本とかそっちの話なんだよね。
商品の富の増やし方って。
なるほどなるほど。ほうほうほう。
なので、その商品を生み出す、作るっていう仕事と、その生み出されたものを使って着せるっていう話がここでは別だっていう感じだね。
あーなるほど。わー、そういうのも混同しちゃうね。なんか今はとね、サービスも商品だみたいな。
あーそうそうそうそう。
そっかそっか。はいはいはい。
だから僕も結構調べてるときに、え、じゃあ株式売買ってどうなのとかさ、
AIが頑張ってプログラム作って売るとかってどうなのみたいな話はあって、
それはまた最後に現代に当てはめたりとかって話はしようとは思うんだけれども、
マルクスの場合、150年前の話でいくと、さっき言ったコートとかリンゴとか鉄とか、
そういう目に見えるものっていうものが商品としてまずはありますよねっていう、
そういうところからイメージしていただいた方が話としては入りやすいかもしれない。
はいはい。中でも製造業みたいなとこがイメージしやすいのかな。
あ、そうだね、やっぱり工場労働者。
これなんて言ったらいいかなって、これは次回とかに話すけれども、やっぱり、
当時のプロレタリアというのは資本家と労働者の比較なので、
やっぱり工場とか生産手段を持っている資本家と、
手段を持ってなくて自分の労働力を提供するしかない。
もっと言うと、自分自身が消費になっている人間っていう、こういう文脈につながってくるんだよね。
なので、今日まだ人間はちょっと抽象的なところしか出てないというところから、
少しずつ人間のリンクが出てきたと思うんだけども、
人間の特徴を捉えていくことで、マルクス的には資本主義とはこういうものである。
あるいは、資本主義を分析するとこういう人間のあり方が見えてきたってことを話していくので、
そこはゆっくりと、まずは商品のことを話してみせようっていう、
ちょっとずつ進んでいきたいなと思ってますっていう感じだね。
なるほど、OKです。分かりました。
だから今日あれでもね、チラッとハヤトがさ、さっき労働とかさ、
労働者とか、あとは粗買いに近いみたいな、
粗買いだよね、商品化の粗買いに近いよねみたいな、
そういうキーワード、マルクスキーワードを出してきたけれども、
今回、今の現時点では、その辺のキーワードわかんなくて全然OKで大丈夫ですか?
はい、全然大丈夫です。
今回の話で、その粗買いわかったよねっていう話はないよね?
うん、ならない。
あー、よかったよかった。
でも商品というものが何か、そこに使用価値と交換価値ってものがあるよねとか、
そういうことが伝わってれば、もう今日は100,000万点って感じですね。
はいはい。うわー、なんかだいぶ丁寧にやったんだねってことは。
でもそうじゃないとわかんないと思うんだよね。
やっぱり商品がありますよ。お店の単位並んだ商品を僕ら想像してるじゃないですか。
まさに今回、サービス商品とも混同してたしね。
本当は商人の話は、今回は関係なかったんだね、本当はね。
そうだね。商品が生み出されるとか、商品を単位にするっていうところからいくと、
ちょっと先、要は商品、既にあるものを売買するっていう営みだから違うよねっていう話だね。
うんうんうんうん。
でも僕もそこに積属できなかったから、やっぱりそこの、なんだろうな、
ちゃんと届けができてないんだなって自分自身もやっぱり思うよね、まだまだ。
あー、なるほど。
今日はややこしい部分もあったかなとは思うんですけれども、
次回以降、また商品とか交換とか、あるいは貨幣とか、
そういうところまで話していくとちょっとずつ見えてくるかなと思うんで、
少しもどかしいかもしれないんですけれども、
一緒にもう少し資本論の世界っていうものをちょっとずつ味わっていければ嬉しいなと思っておりますというふうな感じですね。
はいはい。分かりました。
ちなみに次回のテーマはあるのかな?決まってるのかな?
次回はですね、貨幣、お金ですね。
お金っていうものがなんで生まれてくるのか。
商品っていう世界からお金っていうものがどう生まれてくるのか。
それがどういうふうに資本みたいな形で蓄積されたりとか、再投資されるのかみたいな、
そういった話をしていくことになるかなと思ってます。
これは実際マルクスの資本論もそういう流れで出てるので。
なるほどね。だからマルクス編始まったときにさ、最初から資本論行くのかと思ったみたいなさ、
ヘゲルフェルワッハ経由ですか?みたいな話したんだけれども、
入ったとてだね、これね。
そうね。資本論やります。まずは商品と関係からと言われてもさ、
ん?ってなるじゃん。
しかも今日もそういう話になっちゃったけど、資本主義の中で生きてるから、
なじみがあるだろうみたいな、そういう感じで入っちゃうと怪我しそうだっていうのが今回でわかった気がするので。
はい。
ここはあれだね、ちょっと早藤も言ったけどもどかしいかもしれないけど、
今回はいろんなキーワードが出てきたんだけれども、とりあえず商品。
マルクスの言うところの商品はこんな感じです。
次回は貨幣だよね。
じゃあ貨幣とは、うちらが言うお金でしょみたいなそういう話じゃなくて、
貨幣ってみたいなところを、あれだとここは積み重ねていきましょうねってなっちゃうんだね、これは。
そういうことです。哲学で言うところの人間とは何ですかとか、
平言で言うところの精神って何ですかって言ったときに、
平言で言う精神と僕らで言う精神とか精神論とか心とかって全然違うんだよみたいな話と似てるよね、この辺は。
やっぱゼロベースでちゃんと聞いて、世界観をちゃんと作っていかないと、というふうにちょっと思ったね。
そうだね。ゆっくりゆっくりなってしまうかもしれないんですけれども、
これはすごい大事だし、それをちゃんと積み上げていくと、
だからマルクスがこんなこと言ったのかみたいなところに行けれるんじゃないかなってちょっと思っているので、
そこはぜひ皆さんで頑張って進んでいければなと思っております。
はい、分かりました。では次回ですね、マルクスの可変というところで見ていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。