00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回マルクス第2回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、第1回っていうところで、そのマルクスの人となりみたいなところとかね、
あとよく名前出るマルクス・エンゲルスみたいな人がいたときに、
エンゲルスさんから結構補助というかね、お金とかをいろいろ送ってもらって、
なんとかマルクスを過ごしてましたみたいな、そういう話をしたと思うんですよね。
今回はですね、いわゆる本格的にマルクスの話をしていくんですけれども、
最終的にはマルクスが書いた資本論っていう、経済の中でもすごく多分有名な本があると思うんですけど、
後半その話をしたいんだけれども、そこに至るまでにですね、
マルクスの哲学的な土台、前回も学生の論文とかでもその哲学について書いたよって話をしたと思うんですけれども、
やっぱりマルクスがその資本論を書いたっていうところの土台には、
哲学的に何を問題にすべきか、何を乗り越えるべきかっていうことを
マルクス自身が実はめちゃめちゃ考えたっていう、そういうふうなものがあるんですよね。
もっと言うと、実学的にっていうよりはヘーゲルなんですよ、やっぱり。
そうなんだ。すごくつながってるんだ。
つながってる。もともと時代的にもヘーゲルはなくなったぐらいの時代ではあるんだけれども、
同じドイツに生まれて、ベルリン大学で学んでっていうときに、
やっぱりヘーゲルの作った哲学っていうものがすごい広まってるわけですね、ドイツ全体に。
前回に小ペンを貼るときに言ったかもしれないんですけれども、
ヘーゲルがなくなった後にそれを乗り越えようとか、新しい発想をしようっていうような人が生まれたときに、
ヘーゲルが若い人がヘーゲルを乗り越えようみたいな話があったんだけれども、
マルクスもその流れの中にいるわけなんですよね。
なのでマルクス自身もヘーゲルのお手伝い、特に前回言った精神検証は来たと思うんですけれども、
それはめちゃめちゃ読み込んで自分のものにしつつ、
そこの批判を加えて乗り越えていくみたいな、そういうことを独自でやってるんですよ。
マルクスはマルクスで、ある意味当時のベルリン大学あたりの哲学と超本流だよね。
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そうそうそう、かつ頂点みたいな。
そこの哲学的営みに参加してるって感じなんだ、ちゃんと。
そうそうそう、そういうこと。
教授になったとかはないんだけれども、やっぱりちゃんとそれを自分の中で学んでとか取り込んで、かつ乗り越えてみたいな、そういうことをやってる人なんですよね。
なるほど、みんなやってたんだろうね。
ちゃんとヘーゲル学んだ上で、それに賛同するにせよ、批判側に回るにせよ、とにかくヘーゲルスタートみたいな感じだったんだね。
そうそうそうそう、当時ヘーゲルを削して、哲学を語れないみたいな時代でもあったから、ドイツとか特にね。
っていうぐらい大事だったんだけれども、ただすごいのが、やっぱりヘーゲルをちゃんと批判できるっていうことがまずすごいことなんだよ。
今言ったんだけど、簡単にヘーゲルを批判して乗り越えたって言ったんだけれども、意味ある形でやった人が何人いるかみたいな話って言われると、
特にこの1899とかの時代でいくと、そんなに名前が上がんないんだよね。
だから、それこそあれだよね。このラジオでは、ショーペンハウアーみたいな人とか、前回に兄ちゃんの時にやったフォイエル・バッハみたいな人が出てきたけれども、
そういう人たちは、もう上積みも上積みみたいな人たち。
ブックネームです、完全に。
なるほど、なるほど。みんなやろうとしてて流行ってるんだけど、どれくらいの人がそれ、例えばそもそもヘーゲルをちゃんと理解できたかとか、いろんな多分難しさがあるわけね。
そうそう、そういうことなんです。
実は、次回、このマルクス回の第3回ではフォイエル・バッハを取り上げようと思ってるんだけれども、流れ的にはヘーゲルがいて、フォイエル・バッハがそれを批判したものを受け継いでマルクスも批判してるみたいな感じはあるんだけれども、
今回はちょっとヘーゲルとマルクスっていうのをやって、次回フォイエル・バッハとマルクスっていうのをやって、その2回分でマルクスと哲学の関わりみたいな、そういうものをお届けしようと思ってますっていう感じなんだよね。
うわー、そうなんだね。フォイエル・バッハってそれこそニーチェの時に出てきた?
ニーチェの時に出しました。
ニーチェだね。
ニーチェの時。
うんうん。
だからニーチェのおまけぐらいのことさ。
拡張すると僕も正直そんな重要事務だと思ってなかったんだけど、本当フォイエル・バッハ派の人には申し訳ないんですけれども。
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でもマルクス見るとめちゃめちゃフォイエル・バッハのこと出てくるんだよ。
おー、そうなんだね。
だからやっぱり出ておいてよかったって思ってるんですけど、それがなんで出てくるのかとか、結局マルクスとヘーゲルってどんなつながりあるのっていうところを今回と次回お伝えすることで、
そういう哲学的なつながりがあるんだとか、そうやってラジオのメガネで見るとそういうふうに見えるのねみたいなことをお伝えしようと思ってますっていう感じなんだよね。
おー、はいはい。いいね。でもなんかそういう登場人物の名前がわかるその内容さ、ちゃんと覚えてないけれども、なんかこれまでやってきた甲斐があるよね。
そうそう。なんとなく聞いたことあるみたいなね。
何言ってるかわかんないけどっていうのを含めてやるし、ヘーゲルも一応2回やったけど正直わかんないと思うんですよ。ヘーゲルが何言ってましたかって言われてもさ。
もう覚えてない。
なので復習というか、ヘーゲルのこんなこと言ってましたよねってことも踏まえながら、今日はお話をしていこうと思っておりますぞというところなんですけれども。
おー、おりますぞと。
はい。どうなんだけどね。よく言われてるか、これもマルクスのことを学びながら知ったっていう感じではあるんだけれども、
マルクスがヘーゲルをちょっと揶揄してというか、表して言うのが、ヘーゲルの哲学があるわけじゃないですか。
で、マルクスに言わせると、ヘーゲルっていうのは逆立ちをしていて、それを自分は足元から立て直したんだ、みたいな、そんなことを言ったらしいんですよね。
えーと、だから自分っていうのはマルクスがそれを立て直してあげたんだよっていう話。
そうそうそうそう。で、どういうことかっていうのを一般的にはですね、要はヘーゲルってこの後も話していくんですけれども、
何を言ってたかっていうと、精神現象学っていうのがあったときに、意識群みたいなものがいて、
いろんな旅をしてレベルアップとかジョブチェンジをしていって、いろいろレベルが上がっていった結果、最終的に絶対値っていう、
なんか全てが自分であったとか、全てが理性の働きであったみたいな、そういうとこに行き着くよって話をしたのは覚えてますかね。
うんうん、そうね。この前回っていうか以前やったときは、その精神現象学で意識群の旅みたいな感じでやったっていうのは何となく覚えてるね。
そうですね。そこで一方、ちょっと思い出しながら聞いていただきたいんだけれども、その意識って要は人間の認識する力とか、あるいはそれがレベルアップしていくと理性とかになっていくんだけれども、
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その認識力を使って、世界のあらゆるものも、自分の体もそうだし、自然もそうだし、
何なら宗教とか国家とかそういうことも含めて、いろんなものが全部人間の理性っていうものに回収されるというか、その働きの一部なんだよっていうのがヘーゲルが言ったことなんですよね。
うんうん。
やったときに、それはそれでいいんだけれども、すごい頭でっかちじゃんみたいなことを思うわけですよ。
うーん、そうなんだ。
全てが理性ですか、全てが意識ですかって言われてもさ、いやいやでもこの自分の体もあるしとかさ、いやでも自然っていうものがあったときに、
これさ、シェリングとかの時にもやったと思うんだけれども、自我と自然とか人間と自然って本当に同一のものなんでしたっけみたいなさ。
うんうんうん。
なんかやったの覚えてる?フィヒテは自我からいって、シェリングは自然からいってとかさ、なんかやったの覚えてる?
そうね、その大きな立ち位置みたいなのがなんとなく。
そうそうそうそう。
そういうのがあったときに、やっぱそこは当然突っ込みどころがあるし、
マルクスのことを考えたときに、彼はやっぱり現実的な労働とか労働者とか、そういうものを大事にしていった人じゃないですか。
うんうんうん。
なので、そういう認識とか理性っていうことじゃなくて、いわゆる物質的なものとか、現実的な人間っていうものから、
ちゃんと物事を発想しないとダメだよねっていうふうな、そういう発想をベース持ってたりはするんですよ。
あーなるほど。だからヘイデルの言いたいことはわかるかもしれないけれども、ちょっとあまりに手触り感なさすぎるよねみたいな、
そういうマルクスなりの問題意識というか、物足りなさみたいなものは感じてたみたいな。
そうそうそうそう。
本当にヘイデルの哲学で世の中変えられるんでしたけど、前回言ったその哲学って、物事を説明とかができるかもしれないけど、
現実変えれないじゃんみたいな話があったときに、そこに課題を持っていくわけなんですよね。
逆立ちっていわゆる意識とか理性って頭であるものを、要は土台に据えたっていうふうに、頭が下に来ているっていうもの。
それをちゃんと私マルクスは足元から立て直して人間が立つっていう、そういうふうなとこに作り変えたんですよっていうふうな話をさしてるんじゃなかろうかと、
いうふうなことを言われたりするんですよね。
あー文字通りだね。地に足がついていないって思ってたみたいな。
あーそうそうそうそう。頭が地についてるみたいだね。
そうそうそうっていう感じなんだけど、ただそれだけだとある種単純なんだけど、実はそこまで単純なことでもないし、
当然マルクスはヘーゲルのいろんなことを吸収しているわけなんですよ。
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今日は3つぐらい取り上げながら、一回マルクスがヘーゲルから何を学んだのかとか受け継いだのかとか、何を乗り越えたのかっていうところをお話ししていきますっていう、
ちょっと前段が長かったんだけども、そういう話なんですよね。
なるほどだし、前段が長い上にさ、さらに質問して申し訳ないんだけどさ。
大丈夫です。
このマルクスがヘーゲルを興味を持ったというか、
やっぱりマルクスが地に足のついた世界観を構築する上で、やっぱりここは通らないと誰も納得させられないというか、
あまりにも一人弱になるよねみたいなところ。そういうのもやっぱりあったのかな。
それもあるし、もともとで言うとマルクスってむしろヘーゲルをめちゃめちゃ評価してるんですよ。
そうなんだ。
一回どっぷりハマったらヘーゲルすごいってなって、
例えばこの後話すんだけど、いわゆる弁償法みたいな、
矛盾があったときにそれを否定する力で乗り越えていくとか、先に進んでいくっていう、そういう発展の原理とかはめちゃめちゃ評価をして自分も使ってるんですよね。
あー、そっかそっか。だから、自分のこの感覚だったりとか、自分のこの問題意識をヘーゲルがちゃんと説明してくれてるんじゃないかみたいな期待を持ってちゃんと学んでるわけか。
そうそうそう。
ちゃんとヘーゲルの哲学を使えば、ちゃんとそれが論理というか哲学的にも土台を作れるし、確からしいことを言えるんじゃないかっていうことをやっていくわけなんですよ。
ただ、ここまでは使えるけどやっぱりここからは使えないっていうところが逆に言うと見えてくるわけで。
ちゃんとやればやるほどね。
そうそうそうそう。そこにちゃんと線を引いたりとか批判をしたっていうことができたっていう、その営み自体がマルクスすげえっていう感じなんですよね。
あーOKですOKです。そっかそっか。だから批判的な目からヘーゲルに入ったんじゃなくて、ちゃんとドップに浸かる中で、そうやって自分の中の価値観というか線引きができていったって話か。
そうそうそう。その通りですその通りです。
OKですOKです。
はい。さっき乗り越えるって言ったんだけれども、基本的にはマルクスは自分はヘーゲルを正当的に受け継いでいる、みたいな。そういう自覚があるんだよね。
なので、そこの距離感っていうのをちょっと今理解いただいた上で今日お話ししようと思っているんですけれども。
早速ちょっと1個目に行くんだけど、これさっき言った弁償法ですね。ヘーゲルと言えば弁償法みたいな話ってあると思うんですけれども。
よく言われる正反合みたいな感じで、あるものとあるものが矛盾対立しているときに、それを矛盾を解消してさらに次に行きますみたいな。
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これまでのソイツダジャモの本当に解消できる矛盾は矛盾なのかとか、いろんな話があったと思うんだけれども。
一旦ここはシンプルに、そういった働きってのがありますよねって思ってほしいんですけれども。
いわゆるヘーゲルが言う弁償法とか矛盾って何かっていう話なんですけれども。
これってもともとで言うと、本来精神原子力の話なんだけれども、絶対値の観点からいくと全部が理性とか自分の認識の内側にあるものなんですよね。
それを例えば意識と体で分けるとか、以前奴隷と主人みたいな話をしたこと覚えてるかな。
どこで?ニーチェかな?
精神原子力の話で。
覚えてないや。
確かに奴隷道徳、ニーチェでもしたね。
精神原子力の時に、要は意識と体っていうのがあった時に別々のものなんじゃなくて、
自分の体とかそういったものも、意識とか理性というものから生まれてるんだけれども、
その外部に見えるものを何とか内側に取り込んでいって、道具チェンジとかレベルアップしていくっていう運動を、ヘーゲルの精神原子力の旅だよっていう話をしたと思うんですよね。
なんか最初あれだもんね、確か。
意識君の旅の最初の方って、確か何かぶつかったぐらいの感じからスタートして、
そうそうそう。
その途中の話でもね、どっかの話。
その話です。
その時に、その外にあるものが自分ではないはずなんだけれども、実はそれが自分であったっていう風に取り込むっていう、
この動きがいわゆるヘーゲルのようなベースとなる弁償法みたいな話なんですよね。
はいはいはいはい。
っていった時に、さっき言った通り意識とか理性っていうものがそれをやっていくんだけれども、
やっぱマルクザンは最初の主語ですよね、弁償法を誰かとか何が起こしてるのかっていう時に、
この理性とか意識がそれを起こしているっていうところをまず否定しだすんですよね。
ほうほうほう。
どういうことかっていうと、例えばさぞわかりやすい例で言うと、
皆さんがお腹空きましたよねと。
で、何か食べたいなとかちょっと飢えてきたな苦しいなとかっていう時に、
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もし本当に理性とか意識の話で全部済むんだったら、
お腹空いたなってことを理性的に捉えて、
自分はお腹空いてると思ったけど、実は満たされているんだっていう風に、
思考とか意識とか理性っていうものを切り替えれば、
自分の空腹っていうものも本来なくなるはずじゃないですか。
ちょっと待って、もうちょっと説明して。
つまり、理性っていうもので現実っていうものを、
もっと言うと、ヘーゲルは理性っていうものと現実っていうものをほぼイコールっていう風に見てるんだよね。
つまり、お腹が空いているという感覚とか意識とか理性っていうものがあるから、
お腹が空いているんだってそういう順番だとします。
そういう時に、ヘーゲルに本当に乗っ取ると、
自分は実はお腹空いてなくて満たされているんだっていう風な理性の働きができれば、
その上とかを感じなくなるはずだっていう、そこまで実はいくんだよね。
はいはい、今回仏教の話でしたっけっていう。
ヘーゲルとマルキスの話です。
なるほど。でもヘーゲル的に言うと、物質よりも理性とか意識とかそっちが先立ってるから、
お腹が空いてるとかっていう現実の話は実はどうでもよくて、
本当に認識だったり意識の話でしかないから、
そっちを切り替えることで、現象的というかさ、
この物質的な方は実は外に帰られるんだっていう風になっちゃうよねっていう話ね。
ヘーゲルを突き詰めるとね。
そうそうそうそう。
しかに、もしかして本当に絶対理性かどうかまでいったらそうだのかもしれないけれども、
キャッポリズってね。
もしれないけれども、とはいえ僕らの人間の現実って、
ちゃんとお腹が減ったら食べ物を食べて、外からそれを取り組まないと、
結局はお腹も満たせないし、命も失っちゃいますって話じゃないですか。
さっきのマルキスで労働みたいな話でいくと、
何かを生み出そうとか仕事をしようっていう時に、
今でこそ別にサービス業とかっていう風に、何か物を介在しないような仕事もあるけれども、
基本的には何がしか、やっぱり道具を使って何かを作り出すとか、
粘土をこねて壺を作るとか、
そういうところがやっぱりもともとの仕事というか、
労働的な活動としてあるわけじゃないですか。
つまり、物質的なものっていうものをヘーゲルはあまりにも見てなかったよねっていうことをマルキスは言うんですよね。
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意識とか理性に物質的なものを取り込ませてなくしちゃうんじゃなくて、
ちゃんとそういうものと関わっている人間、意識的なとか理性的な人間じゃなくて、
ちゃんと自然の中で普通にその周囲の環境とか物事と関わりながら生きていく人間っていう、
この人、この存在っていうものを守護において、
この存在が伝承法的に生きていくならっていう、
そういうことを考える人があるんじゃないかっていうふうなことを言うんですよ。
なのでヘーゲルの別に伝承法を否定したわけじゃなくて、
使い方とか適用範囲を変えたっていうのがまず1個目の話なんだよね。
それこそ地に足をつけたいっていう感じがするね。
そうなんです。これがやっぱり1個目の受け継いだものっていう感じなんだけども、
もう1個はね、大きなキーワードがあってですね、
疎外っていう話があるんですけど、
疎外って、何ていうのかな、
集団から仲間外れにされるとかさ、
まとまってるものから弾き出せみたいな、そういう意味だと思うんですけれども、
この疎外っていう言葉が哲学的に使われるときって、
基本的には最初はヘーゲルなんですよ、スタートは。
そうなんだ、なんかキーワードとしてあった気がするね。
そうそうそうそう。
この疎外っていう概念も、要は、
さっきの精神病職が話したいしきくんのところでいくと、
いしきくんっていうものは、さっきの意見で言った通り、
ぶつかったとか、いてぇみたいな、そのぐらいのところから始まっていくんだけれども、
それは何か、それを通じて初めて、自分の外で何かがあるっていうことを知りますねと。
でもその、外だと思っていたものが、
実は痛みを感じる仕組みっていうものは、
自分の体として、自分の実は内側にあるしとか、
そういう相互作用語においてあるっていう限りでは、
実は外にあると思っていたものが、実は自分の内側だったっていう、
そういう運動を常にやってるわけなんですよね。
逆に言うと、内側にあるものを外に捉えて、
自分と外にあるものの違いっていうものを見出していくっていうところに、
さっきの弁職の動きがあるんだけれども、
外に出すっていう働きを、ある種この疎外っていうふうに言うんですよ。
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本来は絶対値の観点からすると全部一緒なはずなんだけど、
我々人間は外にあるものとか、あるいは法律とか国家でもいいんだけど、
そういうものって自分とは違うものって書かれてるじゃないですか。
それはつまり、林檎でも法律でも国でも、
そういうものは自分たち人間から疎外されているか、
逆に人間っていうものが外部の自然から疎外されてしまった、みたいなふうに言うんですよね。
ほうほう。それって種目は?
これはヘーゲルが言っている、人間とか意識とか精神だね、これは。精神現象学の話なので。
やっぱそっちが主語になって、疎外しているのかされてるのかはわかんないけれども、
そういうふうになってるよって話ね、さっきの。
そうだね、そうだね。
疎外されているから、他者を立てた瞬間に自分っていうものが、
やっぱりその他者と離れてしまって疎外されているみたいな。
それは本当は自分にしてるんだけどっていう、そういう逆性的なこともあるんだけどね。
この疎外っていうものが、ヘーゲルの伝承法の根本的な発想にもあるんだけれども、
要はこれを乗り越えるために、ヘーゲルって伝承法を使って、
実はこの外にあるものって自分と同じなんだよとか、
本来は自分の内側にあるものをたまたま外だと捉えてるだけなんだよっていうふうな、
そういうことを考えていくんですよね。
そうすると、意識君とか理性君っていう人が、
これは実は自分の内側にあるものだったと認識すると、
ここでレベルアップできて、次のステージに行きます、ゲームクリアっていう感じです。
ということなんだけれども、これもさっきの話と一緒で、
要は全部、認識したえばOKとか、理性が捉えられちゃえばOKっていう、
そういう頭の中の話なんだよ、全部。
実際に法律が自分にフィットするかどうかってことは関係なく、
この法律も自分とか、もっと言うと人間の理性というものを作り出したものだから、
結局理性と法律っていうものは離れたものではないっていう、
そこまで行っちゃえばよしOKみたいな、そんな世界なんだよね。
はいはい、絶対値に近づいたね、よしよしみたいな話になって。
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レベルアップできたねっていう、そう。
精神現象学的にはね。
これあれだね、ここで自分もだけどさ、
ここが気になっちゃう人は是非前回の平原解を聞いてくださいって話だね。
そうだね。
細かくね。
結構丁寧に前回やらせていただいて、僕もちょっとちゃんと覚えてないぐらいだからあれなんだけれども、
一定その平原の世界観でいくと、やっぱり人間一人一人っていうよりは理性とか認識の働きそのものを大事にしてるんで、
ということが成り立つよねっていうふうに言っていくわけなんですよね。
なんとなくその世界観だけはふんわり覚えてるっていう感じかな。
そうそうそう、それがあれば全然聞いていただけと思うんだけれども、
でもやっぱりマルクス、ここからマルクスの話なんだけれども、
やっぱり彼は人間の理性そのものとか、そういう共通の働きっていうことじゃなくて、
やっぱり一人一人の人間とか、今苦しんでる人間っていうのをやっぱり大事にしたいわけですよ。
なのでそういうことでいくと、さっきの話と一緒なんだけれども、
やっぱりいかにリンゴは自分と同じだとか認識しても何も解決されなくて、
それをちゃんと食べましょうとか、育てましょうとか、収穫しましょうとか、
そういうものがないと何事もやっぱり進まないじゃないですか。
そうね、現実。それこそ現実はね、なんか。
そうそうそうそう。
ちょっとこれは資本論とか先取りになっちゃうんだけれども、
マルクスは労働の疎外とか、商品からの疎外とかっていう感覚でこの疎外って言葉を使うんですよ。
なるほど。
どういうことかっていうと、例えば工場で働く労働者の方がいたとしたときに、
いかに労働者の人が、これは俺が頑張って作った壺だとか、そういうものを言ったとしても、
でもそれがベルトコンベアに流れていって、結局は誰かわからない人のとこに売られちゃうわけじゃないですか。
っていうときに、どんなにこの壺は俺の作った壺だとか、俺と同一のものだっていうふうに認識したとしても、
結局は資本家に取り上げられて売られるっていうことは変わんないわけですよ。
これがすごくベースで言うところの、壺と自分というものが離れてしまったとか、
壺という自分が作ったものから作った、生み出したものであるはずの自分が疎外されているっていうふうな、
そういうふうな話になっていくんだよね。
なるほど。これもこの先説明あるかもしれないけれども、
それと対比というか、疎外されてない状態、逆に、っていうのはもっとあれなのかな。
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いわゆる職人さんが、材料を仕入れるところから壺を作って売るところまで、
全部一人でやってたっていうところ、そことの対比でっていうイメージなのかな。
それもある。原始的なあり方として、自分が全部やっていたっていう時代もあったよねっていう話はあるはず。
どっちかっていうと、それをどう解消するかっていうほうがメインに語られたりするので、
疎外されている状況を乗り越えるために、実はマルクスは、
簡単に共産主義だったりとか、自由財産の否定っていうふうな話につながっていくんだよね。
そっかそっか。だから、疎外されてない状態、よかったよねっていう話だったりとか、
疎外されてない状態ありきで、今、疎外されてるとかじゃなくて、
とにかく現状を疎外されてるよねっていうところで全然、起きるって話ね。
そういうことです。なので、当時の働き方でいくと、ブルジョワっていう資本階級がいて、
プロレタリアみたいな働く労働者階級がいて、その現実を捉えたときに、
そういった疎外とか、ある種ヘーゲルが言ったような概念で捉えたときに、
ピッタリ当てはまるようなことが起きてるよねっていう、
そういうことをマルクスはある種分析をするんだよね。
はいはいはいはい。オッケーですオッケーです。
そこで、二言論的に疎外されてる、されてないとかじゃなくて、
今されてるよねみたいな、全然それでオッケーって話ね。
そこの構造だったりとか概念を理解すれば、マルクス的にはオッケーだよねっていうね。
そうそうそう。あくまでもマルクスを変えてるのは、
現実のそういった労働者が苦しんでることとか、
やっぱりその何て言うかな、まるいはその構造だよね。
自分が労働者を作ったものが資本家の手に渡って、
資本家のほうが稼いでいて、労働者のほうが苦しんでいるみたいな、
そういう現在の状況をどういうふうに構造で捉えて解決するかとしたいので、
今みたいな分析をして、疎外っていうものを現場に当てはめたって感じなんだよね。
なるほどなるほど。はいはいはい。
仕事なわけなんですよね。
それがあったから、いわゆる資本論っていう経済の本を書いたりとか、
共産党宣言みたいな労働者立ち上がるようなことを言って、
やっぱり働くっていう場に改革を求めていたって話なんだけれども、
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実はこのヘーゲル自体も、働くこととか労働っていうものをちゃんと評価してたんですよ。
うーん、そうなんだ。
つまり、いわゆる労働を通じて人間は何かを生み出すんだとか、
何か働かれたときに自分の範囲とか影響力を広げていくんだみたいな、
そういうベースの発想があります。
うんうんうん。
これは働くことと筒枠っていうテーマでもあると思うんだけれども、
もっと前でいくと働くっていやしいことだとかさ、
神と繋がるためにやってるけど別にやらなくていいもんだみたいなさ、
そういうのも結構あったじゃないですか。
あのー、働くことと筒枠の回のときにやったよね。
ハンナ・アーレンとか出てきたとき。
そうそうそうそう。
そんなことしたこと。
うん、そのときね。
ほい。
っていうのであったんだけども、ヘーゲルは結構働くってことをプラスに捉えてるんだよね。
うんうんうん。
で、マルクスもそこには共感をするんだけれども、
ある種その、マルクスにはすると、ヘーゲルが言ってる労働とか働くっていうことって、
どっちかっていうと、なんとか例えば哲学者が何か新しいことを生み出しますとか、
芸術家がなんかものすごい美を生み出しますとか、
割とそういう絶対値とつながるための労働とか、
そういったものを表現している人たちの労働っていう感じなんだよね。
うーん、そうなんだ。ほうほうほう。
うんうん。
つまり、なんかその、なんていうのかな、
さっきの壺を生み出すとかっていうものも、
ただ、地の形を変えただけじゃなくって、それが絶対値に至るとか、
そこに何か意識君とか理性がレベルアップする何かを含んでいるんだったらプラスなんだけど、
そうじゃなかったら別にそこって意味ないよねみたいな、結構そういう感覚なんだよね。
へー、そうなんだ。そのヘーゲルはね。
うん、ヘーゲルは。そうそうそう。
なぜならやっぱり精神現象学的な発想で言うと、やっぱり意識とか理性がレベルアップして、
その、歴史とかが前に進んでいくってことがやっぱり一番大事なので、
それに乗っかってる前提の労働、さっき言ったような哲学者が何か新しいことを考えるとか、
芸術家が美を生み出すとかっていうことはいいですねと。
一方で当然、現実には泥臭い肉体労働とかさ、ある種人間が搾取されているみたいな現実があるわけなんだけれども、
ヘーゲルはそこにはあんまり触れないんですよ。
あー、そうなんだ。ほうほうほう。
うん。やっぱり労働一般ってものを捉えて、労働は素晴らしいって言ったんじゃなくって、
さっきの哲学者とか芸術家みたいな素晴らしい働き方をする人たちがいて、
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そういう意味で人間の創造性とかを発揮する労働は素晴らしいっていうようなことを言ってるのに過ぎないんだよね。
あー、これはマルクスに言わせるとって感じかな。
実際ヘーゲルもそういうふうな感覚で捉えているし、マルクスが言わせると余計にそう見えてるって感じかな。
なるほど。他の人から見ても割と労働についてはヘーゲルは、ある意味限定された使い方をしてるんだ。
ほうほうほう。
はい。それ自体は全然正当な批判というか観点、捉え方ではありますというところなんだけども、
これもさっき言ったようにマルクスから言わせると、やっぱり世の中の多くの労働は絶対値に至るためにやってるものっていうよりは、
もうちょっと生活のためとか、あるいはもしかしたらやむなく見ることもあるんだけども、
それがなぜか資本家階級と労働者階級で分かれてしまって、自分が作ったものが商品とか資本とかってものになって取られてしまうと。
逆に作ったもので、自分がよく例で挙げるのが、もともと時代的には先だけれども、
例えば車の工場、フォードとかそういう工場があったときに、工場労働者が一生懸命車作っても自分では車を買えませんみたいな。
そのあとヘンリー・フォードとかが工場の賃料とかあげて、所得を高めたことでやっと買えるようになったとかってあるんだけれども、
その時代って1900年とかだったらもっと全然先なんだよね。
そう考えたときに、やっぱりさっき言ってた自分が作ったものから疎外されているのもそうだし、
自分が働いたっていうことが全くもって報われないというか、自分のためになっていない。
なんだかんだ辛さと貧しさだけがついてくるみたいな、そういう状況って現実にあったわけなんですよね。
なるほど、なるほど。
だから求めると、さっき言った伝承法的な何かを否定する、働きによって進んでいくっていう意味は使うんだけれども、
それが理性とか意識じゃなくて、ちゃんと人間存在がそれをやっていますかどうですかっていうふうに変えたってところがあるし、
疎外っていうのは自分と自分じゃないもの。ヘーゲルに言わせれば意識と自然とか外にある観光だし、
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悪く言わせると働く労働者と労働者が作った商品っていうものの関係性をどう捉えますかっていうときに疎外っていうものを使ったりとか。
働くっていうこともヘーゲルもそこに光を当てたんだけれども、むしろその光を当てたことで闇の方を見てなかったから。
ちゃんとその闇の部分を見に行けましょうねっていう、こういうところをマナクスはヘーゲルから受け継いで発展させていくってことをしたって感じなんだよね。
なるほど。そっかそっか。今回、何の話をしてるかちょっと見失ってたんだけど。
そうだよね。マラクスがこのヘーゲルの考え方をどう捉えて、自分なりにどう消化していったかっていう話だもんね、今回。
そうなんです。今ヘーゲルとマラクスの話があってややこしかったかと思うんだけれども、基本的にはさっき言ったマラクスは現実の労働者の問題を解決したいですと。
ただそれをちゃんと構造を捉えて、一気に変えたいって思ったんだろうね。
いわゆるモグラ叩き的に目の前の工場だけを変えようとかじゃなくて、そもそもなんでこうなってるのかってところから入ったときに、その構造を解け明かして、その構造ごと変えたいって思ったはずで。
なるほど。だからあれだよね、例えばその辛さがどこにあるかは労働者によるだろうけれども、例えば賃金が少ないです、みたいなことがあったときに、
みんなで賃金あげろ!っていう暴動とかデモを起こす。それとはやっぱり違う話だってことはね、このヘーゲルとマラクスが見てたのはね。
そうそうそう。それだったらその構造とかその街とかは上がるかもしれないけど、当然隣の街とか別の国では同じようなことが起きてるわけだから、そういうことを全部解き明かしたいと変えていきたいって思ったんだろうね。
なるほどね。だしね、なんでこんなに労働者たちは貧しいのだろうかみたいなところをね、やっぱり考えないといけないって話だね。給料あげればいいとかでもないだろうし、
例えば肉体的につらいだったら、労働時間を減らすとか、労働の内容自体を軽くすればいいとか、そういう対照両方的なところじゃないってことがマラクスにはわかってたってことだね。
そうそうそう。これも先取りだし、皆さんも聞いたことあるかもしれないけれども、いわゆる資本主義っていうのは資本家と労働者っていうところの対照の弁償法的な、いわゆる無人の対立で、それを乗り越えたときに共産主義っていう別のステージに行くんだっていう、そうなんだマラクスって。
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おー、なるほど。聞いたことなかったわ。
そうなんだ。そこは前提が変わると思うんだけど。彼はあえて資本家と労働者っていうところを、無人、対立させたんだよね、あえて。
はいはい、そっか。これはヘイデルでいうこの弁償法的な対立、無人の構造に当てはめたんだね、それ。
そうそう、そういうこと。当てはまるじゃんってことを見抜いたんだよね。
マラクスに言わせると、共産主義っていうのは資本主義よりも進んだ社会体制なんだよね。
ヘイデル的に言うと、絶対的により近い方なんだね。資本主義をしっかりと対立構造を作って、アウフヘイベンしたやつ。
アウフヘイベンって言いたいだけ的なところがあるんだけど、アウフヘイベンであってる?
あってるあってる。その無人を解消した次のステージに行くってのがアウフヘイベンだから。
なんでさっき言った労働者が貧しいのかっていうと、
それが、ストーリーと労働時間が長いからだとか、賃金が安いからだとかじゃなくて、商品から疎開されているからだっていう、そこにヘイゲルの施策を持ち込んだ構造を見出すことで、めちゃめちゃシャープに切り込んでいくって感じなんだよね。
めっちゃヘイゲル使ってるんだね。
そうなんだよ。やっぱりマルクスを知るにはヘイゲルを知らないといけないっていうのはそういう文脈らしい。
逆に、ちゃんとマルクスが哲学を土台にするっていうところも、そういったヘイゲルのワードとか概念とかっていうものをうまく使いながら、ちゃんと自分なりに組み替えてるというか、やってるっていうところがあるんだよね。
なるほど。その深みというか、説得力みたいなものが段違いってことなんだ。適当に言ってるってことじゃなくて、
マルクスを一位考えとか思想とかじゃなくて、これは哲学なんだぞっていうふうに言える強さがあるんだね、本当に。
45:04
そうそうそうそう。だから、皆さんヘイゲルご存知でしょう、哲学者に対してね、知識人に対して。
あなたたちはヘイゲルのことを批判するんですよ、何にするんですよ、わかってるでしょう。
ヘイゲルが言ったような歴史の展開、絶対値に向かう展開っていうものを、この現実世界に落とし込んだときに、
今この資本家と労働者が分かれて対立しているとか、苦しめ合っているように見えるこれっていうのも、実はその歴史的転換の一場面でしかなくて、
ってことは次のステージに行ったほうがいいですよね、それが共産主義ですよっていう、そういう文脈を張っていくわけなんだよね。
なるほどね、なかなかそうか。そうすると同じ土俵でマルクスとディノンを交わすっていうのが、なかなかの話になってくるわけだね。
そう、なかなかの話だね。マルクスを批判しようとすると、ヘイゲル哲学を批判しなきゃいけなくって。
そこから、そうだよね、そのレベルから批判というか作り直さないと。対話しないといけないんだ、マルクスと。
そういうことです。もちろん、だから共産主義はいいですとか、だから資本主義っていうのは、いわゆる矛盾対策の構造がありますっていうことかって言うと、そうでもないですと。
これはある種、マルクスのあとの100年200年で見えてきたことで、皆さんもとはいえ、確かに経営者とか社員とかっていうところに壁はあるかもしれないけど、
日々バチバチすごいやられてますかって言うと、別にやってなかったりとかさ、なんなら仲いいですとかって言う人もいたりするわけじゃない?世の中的には。
マルクスは本当は、そういった対立が激しくなって、自然にローズはこの国は出らんねえって言って革命を起こすって思っていたんだよね。
あるいはマルクス主義者とかそれを受け継いだ人も、そういうふうに時代が発展していくって思っていたんだけれども、
意外と資本主義が生き残っているというか、続いているのは、その対立っていうものが思ったよりも激しくなんなかったねとか、思ったよりも上手いことやってるねっていうふうになってきてるというのがあって。
はいはいはいはい。
これってマルクスが間違ったの?ヘーゲルが間違ったの?そもそも他の考え方があるの?みたいな、そういうことが今でも議論されてるみたいなんですよね。
そこはですね、もうちょっと調べたら、マルクスから最後とかで現代的な意義みたいなことも伝わられたらなと思うんですけれども、
でもこのマルクスの観点でいくと、やっぱりその資本主義というか資本家と労働者の対立っていうものを、ヘーゲルの弁償法的なもので組み込んだときに、やっぱりこっから作れる未来があるとか、もっと良い世界があるというふうに思ってたっていう感じなんだよね。
48:20
今ってマルクスからある程度答え合わせができた時代だから、ああだこうだ言える部分もあるけれども、あくまで当時のマルクスが生きた時代の目線からすると、これおかしいでしょみたいなことがすぐめっちゃ起きてたはずなんだよね。
明らかにおかしいでしょみたいなね、人が作ったものが。
そうそう。
労働の現場でさ、いろいろ。
だからおかしい。明らかに苦しいとか、詐欺すまれてるとか、つらすぎるとか、そういうことがたくさんあったわけだから。
それをなんとかせねばと思うのは、それはそれで小さしいというかすごいことなんだよね、やっぱり。
その中で、現実の中で答えを出したことだって話したもんね。
そうそうそうそう。
そういうのがあるので、今回マルクスとヘイギュラーみたいな話をしたんですけれども。
今日の話は本当に一部でしかないんだけれども、マルクスっていうものは、ヘイギュラー・キスワークをまさに現実の問題に適応させましたと。
その時にやっぱりいろんなうまくいかないことがあるんで、その意識じゃなくて、ちゃんと人間というものを立てましょうとか。
頭の中で考えてることだけじゃなくて、ちゃんとこの現実世界に適応できるように、ある種変換しましょうみたいな。
ってことをやったんですよっていうような感じなんだよね。
いやー、思った以上にマルクスっぽいとこにたどり着かないなーって思ってる。
本当にあれ?
違う違う違う、薄い知識でさ、マルクスといえばさ、さっさと貨幣とかさ。
確かにね。
そうそう、労働、価値か、あと価値とかさ。
そういう話にささっと入ってくるのかなーと思ったらさ、ヘイデルとマルクスの関係みたいなさ、関係というかさ。
ヘイデルをまずこう踏まえてるみたいなさ、すごいところからいきますね、やっぱりね。
いやー確かに言われたらそうだよね、あの貨幣とか多分ね、次の次、音次ぐらいに出てくる。
まだ次回出てこないんだね。
次回はフォイエルバッファなので。
言ってたね、そっか。今回と同じように、マルクスの問題意識を考えるにあたって、ヘイデル踏まえました、今回。
51:01
次回はフォイエルバッファ踏まえましたっていう話で、まずはね。
話です、はい。
しかもそのフォイエルバッファはヘイデルを踏まえているから、フォイエルバッファはもともとそのヘイデルを批判とか乗り越えた一番急先鋒みたいな人なので、
そのフォイエルバッファをマルクスは学んでるんだよね。
その時に、なので、大元はヘイゲルですと。
そのヘイゲルを直接学んでいるマルクスと、このヘイゲルの批判をしたフォイエルバッファを学んでいるマルクスと。
両方のルートがあるんだよね。
すいません、ちょっとね、ややこしくて申し訳ないですけれども。
次回はフォイエルバッファから何を学んだのかとか受け継いだのかとか乗り越えたのかっていう話をすることで、
改めてマルクスがどのぐらい哲学ってものを土台にしていたのか。
どのぐらい現実的な問題解決に哲学ってものを応用しようとしたのか。
っていうことをお伝えできるんじゃないかなと思っているので。
はいはいはい。
本当これいっぱいにしてもいいかなと思ったんだけど、ちょっと収まらなかったんですわ。
現実的な話。
まあそうね、結局いつもぐらいの時間になってるもんね、このヘイゲルとの関係だけで。
そうそう。なので、ちょっとすみません、2回に分けちゃったんですけれども。
そのぐらい今だけ言ってくれたさ、実はマルクスが言っている基本家と労働者の関係ってヘイゲルの伝承法が入り込んでるとかって意外と知らなかったりするじゃないですか。
いや意外じゃないよ。知らないよ。
意外じゃない。
意外でもなんでもなく知らない。知らないことを意外だと思わないでほしい。
ちょっとごめんね、そこがやっぱりもう自分の中ではわからなくなっちゃってるなって思ったんだけれども。
ただ今それを知っただけでもね、たぶんね、今回聞いていただいた価値がめちゃめちゃあると思う、マジで。
いやー、だからそうだね、まださ、マルクスのいわゆるね、一般的な話に至ってないんだけれども。
物事について考えるっていうことの深みみたいなものをちょっと今回思ったよ。
さっき言ったじゃん、やっぱり労働者が大変そうだとかさ、あの人が大変そう、あの工場が大変そうみたいなときにさ、
やっぱりその給料上げろとかさ、待遇改善しろみたいなさ、話になっちゃうと思うんだけど、
その問題、ある意味は社会でもいいけど、身の回りの問題について考えるっていうときに、
本来こういう風なルートをたどるんだなみたいなさ。
54:05
うんうん。
なんかその深みみたいなものをちょっと感じるよね。
そうね。最終的なマルクスの共産党宣言がさ、万国の労働者団結せようでしょ。
給料上げろでも、労働時間を減らせでもないでも、団結せようなんだよ。おかしいでしょ、どう考えても。
そう言われるとね。
主張としてね。
なんだろうな。これはもう、一市民である自分からしたらさ、よし団結しまーすってなっちゃうんだよ。
なっちゃうんだ。どこだって知らない国のおじさんが言ってるんだよ。それでもなっちゃうか。
うん、なっちゃうなっちゃう。だって、似たように多分大変だったりとかしたらさ。
まあまあね。
大変な国も仕事内容も違うけれども、いわゆる労働者として大変な場所にいたら、そうだそうだってなっちゃうんだけど、
これはじゃあマルクス的には、そんな簡単に団結するとか言うなってむしろ怒られても、そういう意味じゃないみたいなふうに言われる可能性もあるね、それはね。
もちろんスローファンなのでわかりやすくとかってあるけれども、
ベースにはやっぱりこのぐらいのそういった、彼が見出した資本主義的なものの構造とか、
劣悪との接続があって、それを乗り越える。さっき言った通り、いわゆる次のステップ、ジョブチェンジする。石木くんがジョブチェンジするみたいに、
当時資本主義って言葉で言われたかちょっとわからないんだけども、今の構造を乗り越えようとすると、この労働者の団結、しかも万国のっていうものは必要だったっていう、そういう話なんだよね。
なるほどねー。
恐ろしいよね。
いやー、だってまだそこに全然たどり着いてないもんだって、まだヘイゲルだもんだって。
まだ先です、共産党宣言は。
20年後ぐらいかな、たぶん、こういうヘイゲルのことを書いていた頃から、たぶん20年後ぐらいにそういう共産党宣言の方を出すんだけれども、
その中に司法のつかまりとか、やっぱり本人のいろんな出像とかっていうのがあったというふうな、マルクスの歴史があるわけだよね。
なるほどね。単純に共産党宣言書きましたとか資本論書きましたみたいな話かもしれないけど、やっぱり20年こういうことをやり続けてるんだね。
そうそうそう、そうなんです。
でもあるので、前回のマルクスの人と会えたらもそうだし、今回ヘイゲルやって、次ポイレバハやって、ちょっと歩みとしては遅いんですけれども、
57:03
そのくらいやっても、やるからこそその後の資本論の話がめちゃめちゃ面白いって僕勝手に思ってるんで。
いやー。資本論って難しいってよく聞くんだけど、資本論の中身っていうか、こういうところなのかもしれないよね。
あると思う。
知識というか、土台なんかすごいことになってるんだけどみたいな、そこも含みなのかな、もしかしてね。
僕もちゃんと読んでなくて、めちゃめちゃ分厚いとか、教養、いろんなシークスペアの話が入ってるとかっていろんな難しさがあるらしいんだけれども、
やっぱりこのベースにある哲学的な話とか、そういったマルクスがつかんでる構造的な話が入ってるっていうのも絶対あると思うね。
わかりました。ちょっとそこを覚悟してというか、マルクス難しいみたいなのはなんとなく一般常識として知ってるつもり。
イメージとしてね。
そうそう。イメージとして知ってるというか、知らされてるつもりだったけれども、覚悟するわ。こういうことなんだっていうね。
そういうことですね。でも今回と次回、哲学的な話をすると結構入りやすいと思うんで、資本論とかも。
これあくまで僕が理解した上になるけどね、もちろん。
なので、いわゆる経済の話に経済から入ってくるだけじゃなくて、ちゃんとマルクスの哲学っていうことも含めて入っていくと、やっぱり入り口としてはちょっと入りやすいというか、横口からちゃんと入れるかと思うんで。
そんな形で次回以降もマルクス回楽しんでいただきたいなと思っております。
はい、わかりました。次回はフォイエル・バッハとマルクスというところで見ていきたいと思います。では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。