朝のルーティンと仕事の課題
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩なのかな。
朝のモーニングからの帰り道の反省回です。
今朝は、ちょっと朝、
また仕事を少ししてから、一旦抜けて、
モーニングと、あと、何て言うのかな、モーニングページって呼んでるというか、なんだけど、
本来のモーニングページっていうのは、なんか朝、まず起き抜けの頭が、
空っぽというか、その前のタスクとかが詰まってない状態で、
思っていること、頭に浮かんでいるのを、ただただ書き出すみたいなワークで、
それをすることによって、すごく
もやもやしてたりとか、その前に気になることとかがあって、なかなか
心なのか頭なのか、とどまり続けているものっていうのを一度出し切る。
で、その中で、その先に、なんていうか、普段、
うっすら考えてたけど、言語化できてなかった部分とか、
あるいは、なんかそういうもやもやみたいなもので、少し考えていられなかった、考えられていなかったこと、
みたいなんだけど、本来、自分が望むことみたいなものを、一回書いてみようみたいなね。
それを見つめることによって、また自分に起きる変化を見ようみたいなワークなんだけど、
一旦、もうちょっとライトな、頭の棚下ろしみたいな時間を持とうというので、
週に一回ぐらいとか、ちょっと時間もかかるんだよね。
何気に、散歩と同じかもしれないけど、で、やっていたというので、
先週は月曜にやっていたらしく、ずっと同じノートでやっているので、それを持っていってやってましたね。
今日は棚下ろしして、仕事でちょっと目の前のことを集中しようなと思っていることと、
あと、家であんまり中長期的なことに取り組めていないこともあるので、
それが課題に思っているんだなぁみたいな気づきを持って帰ってきた感じかな。
複雑な仕事と時間の流れ
ちょっと今、仕事が詰まっているというか、複雑なものを複数抱えているから、
それを分解しないとタスクにもなかなか落ちないし、それが結構苦労しているところもあるので、
それにかかりきりになっている自分もまたいて、
それを一旦置いて考えるみたいな時間を持つのは大事だなと改めて思ったりはしましたね。
もちろん朝のお茶を純粋に楽しんでいる時間とか、
少しスマホを見たりしてのんびりしている時間とかもあるにはあったけど、
果てしなくのんびりしたい気もしなくもないけど、
月曜日休んで昨日1日しか仕事をしていないのに、
昨日はそんな調子で仕事が復活して、
でも休んでいる間も依頼とかを分担してくれている仲間がいたりとかして、
引き継ぎというか、どんどん自分の仕事が目の前の仕事にシフトしているなって感じることもあったし、
あと、割と親しいというか、軽く一緒に仕事をしている仲間が旅立っていく話とかも昨日あって、
そういう意味だと、仲間みたいなものに対しての感覚がちょっと強くなったのと、
あと、時間の流れというか、
一時期は一緒に毎日プロジェクトしていた人が、
全然別のプロジェクトでやっている間に、また次のキャリアで転職するとか決めたりとか、
自分自身もだいぶその時とはやることが変わっていたりするんだけど、
時の流れを感じたりみたいなのがありつつ、
ちょっと目の前の今のことをきっちりと片付けて次に進まないとって、
別に厄介事でもないんだけど、むしろ望んでいることなんだけど、
次のキャリアのためには今大事なのはどっちかというと、目の前だったりするという状況と、
なんかね、ちょっと時間の感覚と目の前の状況とのギャップみたいなものもあったりするし、
なんかその落ち着きを取り戻すみたいなことが必要なのかなっていうふうにしていたかな。
鋭敏な感覚と不可逆な変化への適合
なんか厄介だなって我ながら思ったりはするけどね。
多分そのいろんなやり方があると思うんだけど、
自分はできるだけ情報を多く鋭敏に取り込もうとはして、
それは多分僕が育った世代にはお金少なかれあると思うんだけど、
大量の情報を摂取してできるだけ選択肢を多く持つっていうのが正しいというか、
そういうふうにして今までの人生を乗り越えてきたところはあるし、
実、選択肢が多く獲得した上で自分が選択したことが、
もしかしたら選択肢が正しいかどうかよりも、
選択肢が多い中で選んだこと自体が正しいっていうふうな部分も結構あるのかもしれないけど、
それを納得感を持って進んで、
納得して進んだことによってまた次が開けるみたいなのを繰り返してるから、
できるだけ鋭敏になっていこうと、
特に外の世間の流れに対してもそうだし、
自分のメンタルとかそういう部分についてもやっぱりトラブルが起きた経験から中にも詳しくなろうってなって、
それで鋭敏になればなるほど逆に言うといろんな変化を拾うし、
それに反応する自分もいるっていうところだよね。
それを逆に情報の多さだったり変化の感知の多さみたいなものに右往左往はしつつ、
それをまたチューニングというかアライメントするようなことをしているみたいな感じでなんだろうね。
でも正解から進んでいくこともできないし、
自分が学んだ正解を人に、それこそ影響力がある程度ある息子とかに伝えても全然響かなかったりするし、
実際自分もまたそういう道を辿ってきたから、
なんか経験で獲得して、でも、
そうだよね、なんかもうでも、
なんていうのかな、鋭敏じゃない自分っていうのを取り戻すこともできないっていう、
そこは一度進んでしまった感覚を鋭くしてしまったら見過ごすわけにもいかないみたいな、
なんか不可逆な変化っていうのが起きてたりとか、
そういったことを織り込みつつ、自覚的になりつつ、
それを飲み込んでいくみたいなプロセスをしているような気はするよね。
過去の過ちだけでもないけれども変化は取り戻せないので、今適合しています。