【越境日本人編 #14】タイの人材紹介最大手。激動の30年間をどう乗り切ってきたか?(ゲスト:小田原 靖さん)
2023-09-16 43:57

【越境日本人編 #14】タイの人材紹介最大手。激動の30年間をどう乗り切ってきたか?(ゲスト:小田原 靖さん)

News Connect(ニュースコネクト)あなたと経済をつなぐ5分間

1日1つ、国際政治や海外のビジネスシーンを中心に、世界のメガトレンドがわかる重要ニュースを解説。朝の支度や散歩、通勤、家事の時間などにお聴きいただけるとうれしいです。土曜版ではゲストの方をお招きしてトークを展開していきます。

現在土曜版では、シリーズ「越境日本人編」を配信中。日本を飛び出し、海外の都市でビジネスを展開している起業家やビジネスパーソンの方に、海外に打って出た具体的な方法や、現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。

今回のゲストは、パーソネルコンサルタント代表の小田原靖さん。タイで30年近く、人材紹介企業を経営されている小田原さんに、政治や経済が激変した際の乗り越え方や、日本企業の立ち位置の変遷について伺いました。長年、現地で活躍されている起業家ならではお話です。

▼出演:

野村 高文(音声プロデューサー/Podcast Studio Chronicle代表) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠

小田原 靖(パーソネルコンサルタント代表) https://twitter.com/ODAHARA_YASUSHI

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00:06
おはようございます。2023年9月16日土曜日、ニュースコネクトパーソナリティの野村隆文です。
この番組では平日毎朝5分間で世界のメガトレンドが明るいニュースを解説しています。日頃からお聞きいただきまして誠にありがとうございます。
さて土曜版ではゲストの方をお招きしてトークを展開していきます。現在はシリーズ【越境日本人編】を配信しています。
日本を飛び出して海外の都市で活躍されている日本人企業家や文化人、ビジネスパーソンの方々に海外に打って出た具体的な方法や現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。
今回の舞台はタイ・バンコクです。【越境日本人編】第14回のゲストとしてお越しいただいたのは、パーソネルコンサルタント代表の小田原靖さんです。
小田原さんは1993年23歳の時に単身で東南アジアに渡りまして、翌94年に人材紹介会社パーソネルコンサルタントを設立されました。
その後、同業他社の中でも現地で人材紹介数が最も多い会社になるなど活躍されまして、現在に至るまで30年近くバンコクで会社経営をされています。
そんな小田原さんなんですけど、政治や経済の動向に影響を受けて何度も大変な思いをされます。
幾度となく訪れた南極をどう乗り越えてきたのか、そして日本企業の見られ方がどう変化してきたのかについても伺いました。
長年現地で活躍されている企業家ならではのお話だと思います。それでは本編をお聞きください。
それではゲストをお呼びしたいと思います。今日はパーソネルコンサルタント代表の小田原靖さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今日は小田原さんのオフィス、アソークという駅ですかね。
そうですね。スクンビットのアソークという駅にあります。
結構このエリアは日本人とかそういう駐在員の方が多いエリアなんですかね。
そうなんですよ。昔は日本人の駐在員が住む場所のど真ん中というか、今は3つ駅があるんですけども、1つ目の駅のところにあります。
小田原さん、パーソネルコンサルタントを起業されたのが94年。
94年ですね。
ということでもう間もなく30年ですね。
そうですね。もう30年になりますね。
そうですよね。改めてなんですけど、パーソネルコンサルタントと今営まれているその事業、どういった会社なのかというのを伺ってもよろしいですか。
タイにある日系企業向けの人材紹介会社ということで、タイには9000社ぐらいの日系企業さんがあるんですね。
そこ向けに人の紹介をしています。
どちらかというと採用代行業みたいな形で、日本から来られた企業の人たちが、例えば営業が増員したいとか秘書が必要だとか、そういう時に弊社にご依頼いただいて、
私どもが広告売ったり求人して探して、複数名、3名から5名ぐらいに見つくろって紹介するという形ですね。
やはりクライアントとしてはタイに進出したい、もしくは今も進出している日系企業さんということですかね。
03:04
そうですね。いつ頃からでしょう。結構初めからなんですけど、とにかくタイで頑張る日系企業を応援しますという形をモットーにして始めているので、
今もクライアントは9割方でほとんど日系企業さんで営業しています。
そういうことですね。一方でタイ人の日系企業で働きたい方々ともコネクションというかネットワークを持っているということですよね。
そうですね。もちろんもちろんそういう人たちは集めなければいけないので、
例えば大学とのパイプなんか圧倒的に内が一番太いと思っていますし、
とにかくそのタイ人をどうやって集めるかですねということにはもちろん苦心しております。頑張っております。
その優秀なタイ人の方々ってどういうところにいらっしゃるんですか?
これとてもありがたいことに30年やっているので、
うちで紹介してもらった人がここに来ればいい会社紹介してくれるよみたいな口コミというか口伝というかそういうのが一番大きいですね。
それと大学の卒業生たちですかね。
今はもちろんウェブで探したりっていうのも増えてきていますけれども。
そっかじゃあ口コミが口コミを呼んでみたいな。
そうですね。それがとても強いですね。
ですのでアソークにある人材紹介会社という形で30年間来てるんですね。
そういう意味もあって引っ越せないっていうのがありますね。
そういうことですね。
結構タイの人たちの中ではアソークにある人材紹介会社ここだよねみたいな形で浸透はしているようです。
そうですよね。記事を拝見したんですけどタイの数ある人材紹介会社の中で人材紹介数が最も多いんですか。
そうですね。紹介している数は最も多いはずです。
2056年からタイの労働省が統計を公表を始めたんですね。
毎月の人材紹介会社ごとの決定数を発表を始めたんですけども。
発表を始めた年がうちが一番多かったんですよ。
2013年頃に発表をやめちゃったんですね。
そのまではうちが一番多かったんですよ。
ですので紹介件数は単体ではうちが一番多いと思ってます。
いくつかの会社はあちこちに支店というかブランチを作って支店ごとにやっているところがあって
そういうところがちょっと多いかもしれないですけど単体的には弊社が一番多いです。
公表されていた期間っていうのは王座を守り続けたってことですか。
そうなんですよ。ずっとうちが一番でしたね。
ということでもうタイ人の方も皆さんご存知の人材紹介会社を経営されているということなんですけど
ちょっとググッと時計の針を昔に戻しまして
なぜタイで起業するに至ったのかってお話を聞いていきたいなと思うんですが
そうですね。起業したくて起業したというわけではないんですね。
私はアメリカの大学に行ってまして卒業した後やはりまだ海外で働きたいと思ってたわけですよ。
でも日本じゃないなアメリカじゃないなどこか他の海外で働きたいなと思っておりました。
06:05
私福岡出身なんですけどアメリカを卒業して福岡に帰りましてさあどこ行こうかということで
当然大学生終わって帰ってきたのでお金がないわけですよね。
福岡で2ヶ月なんですけどアルバイトしてお金を貯めてさあどこ行こうかと思った時に
友人がマレーシア航空で働いてたんですよ。
その93年なんですけど福岡マレーシア便、福岡クアラルンプール便が飛行機飛んでまして
その時代ってまだ片道のチケットが取れなかったんですね。
飛行機のチケットですね。それでケールだったら片道のチケットを安く取れるよみたいな話があったので
じゃあクアラルンプール行ってみるよみたいな形でクアラルンプールにまず飛びました。
それが当時20何歳の頃ですか。
23ですね。
23歳の頃に地元の福岡からまずは海外で働きたいということでクアラルンプールに飛んだわけですね。
仕事を探してこれも本当に若気ぬいざりですけどあるわけないんですよね。
今そんなんが来たらお前何してんだよっていう話するんですけど
2週間仕事を探して当然ないんですよ。
当然ないんでここ僕が来るところじゃなかったのかなと思いクアラルンプールの国鉄の駅に行って
次どこに行こうかなと。
当然南に行けばシンガポールだし北に行けばタイだということで
本当に何を考えてたのか何も考えてなかったんだと思うんですけども
北に登ってきたわけですね。
バンコク行きのチケットを買って
クアラルンプールでバンコク行きの鉄道に乗ったってことですか?
乗ったんですよね。
その話沢木幸太郎さんの深夜特急みたいだなと思ったんですよね。
そんなシャレたもんじゃないんですよね本当に。
もう汽車に乗ってそれも二等寝台で木の椅子なわけですよ。
全然眠れる状態なんかじゃなくてまたすごいゆっくりで窓は開けっぱなしなんですね。
もちろんエアコンなんかないので夜は走るんですけど
虫が窓から入ってきて出ていくぐらいゆっくり走ってるわけですよ。
すごいですね。だいぶ虫も余裕で入ってくれるぐらいのスピード。
出ていくぐらいゆっくり走っててもちろん車には追い抜かれるぐらいのスピードですね。
トコトコバンコクに登ってきてバンコクに着きましたと。
クアラルンプールまだ英語を通じたんですね。
ですけどバンコク英語は通じないんですよ。
その時代のタイってそれこそ日本と同じように
タイって侵略されたことがない国ですし
タイ語っていう固有の言葉がある国ですし
タイっていう独立をずっと守ってる国なのでやっぱりタイ語が強いんですよね。
それ日本と同じように日本がすごく強くてみたいな感じで
ですのでその時代英語力すごく弱かったんですよ。
また英語が通じないと。そんな中就職活動を始めました。
その時代の就職活動は新聞広告で探すんですけども
新聞広告で探して訪問しては断られ訪問しては断られ
ただ3週間目に一社採用してくれる会社がありまして
そこで働くことになりました。
09:01
それはどういう会社だったんですか?
それはやっぱり当然タイのことなんで何も知らない
万国に来たけれどもそもそもどこにあるか分かってないぐらい
マレーシアよりも北なんだなって感じで来たので
何も知らないわけですよ。
そんな人でも雇ってくれるっていう仕事って結局
日本人の駐在院の家アパートを探す不動産屋さんですね。
その時代から日本人の駐在院ってたくさん来てたんですね。
彼らはやっぱりアパートを探さなきゃいけない
住むところを探さなきゃいけないので
そういう人たち向けの不動産屋さんっていうのはいくつかあって
その中の一つが採用してくれました。
そういう不動産屋さんって結局日本人って今も同じですけど
このエリアに住んでるのでこのエリアのことさえ知ってればよくて
タイ洋も来たばっかりの日本人なので
私が来たよりも後に来てる日本人に紹介するので
先輩面もできるわけです。
っていうような仕事で日本語しか使わない
で、相手は日本人です。
で、自分が先輩面できるみたいな仕事で
そういう会社に働きました。
その会社っていうのはタイの資本の会社?
いやいや、日本人がやってる会社ですね。
そこでその時代1万5千バーツで始まりましたね。
6万円ぐらいですかね。
海外で働きたいという一心だけを持って
クアラルンプールに渡って
その後クアラルンプールでは仕事が見つからなかったので
あんまり知らないバンコクに行ったってことですよね。
なんかすごいチャレンジャーというか
いやー何も考えてなかったんだと思いますよ。若さですね。
ただ本当に海外で働きたいという思いだけだったので
職種を選ぶわけでもなく業種を選ぶわけでもなく
給料に固執するわけでもなく
ですので本当に6万円ですか1万5千バーツで働き始めて
その給料高いやすいっていうのも全然気にしてなくて
とにかく海外で働きたいんだと思う思いだけで来ましたね。
日本ではもう大学卒業されてから1回も就職することなく?
いやしてないです全く。
じゃあもうほんと筋金入りですねそこは。
そうですねなんかこうすごい憧れみたいなのがあったんですよね。
その反面日本で働いている
例えばその時代まだスマホなかったので
スーツを着てジャンプやマガジンを読んでいる日本人が
あんまり好きじゃなかったですね。
スーツを着てパチンク屋に入っていく日本人が
なんかすごい大人なのに格好悪いなと思ってたんですよ。
ですのでそうじゃなくてバリバリ海外でビジネスマンやりたいな
っていう憧れがあったので
とにかくなんか海外で働きたいっていうところに
思い切ってましたね。
そういうことですね。
じゃあもう結構10代の頃からあまりこう
日本で働いている会社員像っていうんですかね
があんまり魅力的に映らなくて
そうそういいイメージがなかったですね。
それがあのTシャツで漫画読んでいる日本人は全然気にしなかったんですよ。
仕事着であるスーツを着て漫画読んでいるとか
仕事着であるスーツを着てパチンク屋に入っていくとか
そういうところに大人なのに格好悪いなと思ってて
12:02
なんかその強烈な行動の裏にあるものを
ぜひ伺いたかったなと思ったんですけど
そういう思いがあったわけなんですね。
そうですねただ今人材紹介会社をしてて
時々やっぱり来るんですよね
22、23の大学生だと
アカリですってお二人で働きたいんですけど
何してんのよタイのことを
そうですね
今の立場からするとそう見えちゃいますよね
そうなんですよ紹介する側からすると
紹介できるわけないだろ
じゃあタイのこと言ってみるよ
何してるかみたいな感じで言うんですけど
まさしくもう本当に何も知らずに来て
よく雇ってくれましたよねって思います。
いやいやでもこじ開けられたってことですもんね
そうですね
じゃあその不動産会社に入られて
日本人の仲材向けに物件とかを紹介されるって
いうことをされていたと思うんですけど
そこから企業まではどういう経緯があったんですか
そうですね結局その時代もうほぼ
90年代ってまだ現地採用っていう言葉がないぐらい
もしくは言葉としてはあるけれども
それで働いてる人ってほぼいない
もうすごく少なかったんですね
どの会社もうちの会社は現地採用はしたことないから
とか前例がないからとかなかったんですよ
駐在院以外で日本人で働いてるっていうのは
もうそれこそ不動産屋さんの案内をしてる人か
日本食屋さんにいたからぐらいな感じで
あと旅行会社かそれぐらいしかいなかったんですね
そんな中で今は本当にいろんなサービス業をしてる
日本人が大にいるんですけどもその時代いなくて
旅行会社は旅行会社の仕事をします
日本食屋さんは日本食屋さんの仕事をします
不動産屋さんは不動産の紹介をしながら
なんでも屋さんみたいな形で
結局不動産の紹介をする時って
半日間一緒にいるわけですね
ですので家のアパートの話だけじゃなくて
いろんな話をするわけですよ
当然家族どうですかとか
子どもの学校の話だったりもすれば
うちの会社の秘書が辞めちゃってさ
とかっていう話もあれば
求人の広告の出し方がわからなくてさ
みたいな話もあるんですね
そういう中から不動産をやりながら
その会社自体が人を探そう手伝いもしてたし
物を日本に送ったり
日本から輸入したりして販売したり
っていうこともやったり
なんか小さな出版もやったりしてる会社だったんですね
そういうのもあって
お客さんを案内する時に
求人しなきゃいけないんだけど
広告出すのがわからなくてさって言われた時に
いや僕英語できるんで
英語で万国ポスト求人出しておきますよ
っていうことをやってあげたり
今考えると
今求人広告出すのってそんなに難しくないんですけど
その時代インターネットがなかったんです
はいはいはい
ですので原稿を手で書いて
でファックスで送って
でそれを万国ポストとかネーションっていう
英字新聞の会社に電話をして
今送りました見てもらえますかって見てもらって
で今度それが構成して帰ってきて
それをこちらで見直しをして
で出すみたいな
結構一仕事二仕事かかったんですね
それをやっぱ駐在の人たちがする時間がなくて
もちろん英語力が届かないといけない方もいらっしゃるし
みたいな形で
15:00
その代行業をやってるうちに
じゃあ今度もうそれだったらちょっと面接までやってみたいな形で
こちらで面接をして
英語このぐらいできましたよっていう話をしたり
この人良かったですよっていう
結局その人材紹介業みたいなことを
不動産の片手間みたいな形でやってたんですよ
でそういうのもあって
人材紹介の仕事もやっておりました
で走行するうちに
半年くらい働いてて
この会社の社長さんがすごく
今とても感謝してるんですけど
まあいい加減な方だったわけですよ
まあそれは23でタイのことは何も知らない人間を
6万円で採用するぐらいなので
まともな会社じゃ採用しないですよね
すごくいい加減な方だったんですよ
おかげでこんな形で社長いいの?
これで会社って経営できるの?
それだったら自分でもできるんじゃないの?
と思わせられちゃったんですよ
そういうわけで半年経った時に
自分たちでやっちゃおうということで
そこで働いた方と一緒に独立して
今の会社を作ったんですけど
独立した時はそういうわけで
不動産会社で独立したんですけど
だんだん人材の仕事の方が増えてきて
ちょっと待てよと
不動産の仕事は半日間一人のお客さんに拘束されます
なおかつ決まらないと1円にもなりません
そのお客さんが午後別の不動産会社で回って
そっちで決定されちゃうと
午前中回った私の労力はもうゼロなわけですよ
ですけど人材の仕事はその時代であっても
やっぱり電話でできたんですね
ですので最初のお客さんと話をした
その5分後には別のお客さんと話をすることができる
みたいなのがあり
これは人材の方が仕事として効率がいいなと思いまして
じゃあこれはもう人材紹介会社を軸にしようということで
人材紹介の仕事になりました
なるほど
じゃああれなんですね
最初は不動産エージェントとして
その日本人仲材の方とお話をしていく中で
実は人を雇いたいっていうニーズが
かなり多かったですね
太いぞってことに気づかれて
もう一方でその雇われていた会社の社長さんが
結構いい加減で
会社経営で自分でもできるんじゃないかみたいな
すごく感謝してます
もしあの時点で素晴らしい会社に入ってたら
独立してないわけですから
もう尊敬してる社長なんかだと
ずっとこの社長と頑張ろうと思ってるでしょうし
今もちろん退院にいらっしゃるんですけど
リタイアされて住んでるだけなんですけど
感謝してます
じゃあ起業されたのが24
そうですね1年24です
人材紹介のビジネスって
日本と同じように1人決まると
例えば年収の何割かを
その起業さんからいただくみたいな
そういうビジネスモデルを想像していればいいですか
そうですね独立した時点では
その時代1994年なんですけど
パソナさん一社しかなかったんです
パソナさんが給料の2ヶ月分をいただく
18:00
という形でしてたので
それだったら弊社も給料の2ヶ月分をいただこう
ということで全く同じでやりました
そういうことですね
割と年収が高い方をマッチングすると
見入りも多いし
っていうビジネスモデルってことですかね
もちろんただそこまで行くのに何年もかかって
最初の頃は当然私自身が
人材紹介会社をやってるなんて
誰も知らないわけですし
今みたいにインターネットで
いろんな形に専念できる形でもないので
もう一生懸命新聞豪華出したりするしかないわけですよ
そんな中パソナさんで探してくれないんだよ
見つけきれないんだよっていうお客さんが
落ちてくるわけですね
でもパソナで探してくれないんだよっていうお客さんは
もうとにかく絶対決めるつもりでやるということで
それが最初の5年ぐらいそうでしたね
そういうことですね
じゃあもうある意味パソナさんが
落としたポロポロ落としていくのを拾いながら
走っていったみたいな形ですね
それでも立派なニーズですもんね
そうですねもちろん2社しかなかったので
ちなみにそのビジネス始められてから
もう最初から割と
小田原さん及びスタッフの方の分っていうのは
結構売上が立ったのか
結構最初のうちは売上が立てるのに苦労されたのか
そのあたりでいかがでしたか
必死だったので売上は逆に立ってましたよね
まあ売上は立ってましたね
それぐらいもう必ず決めるつもりでやってましたので
そういう意味ではいつまで94年に独立してから
リーマンショックの12月まで赤字になったこと一回もないですもんね
そうなんですね
20年ぐらいずっと黒字でしたよね
十何年か
そうですね2008年なので14年間
ずっと黒字ですね
そうですかタイの歴史をたどっていくと
結構いろんなことが起きたんじゃないかなと思ってまして
例えば97年にアジア通貨機ありますよね
そういう時ってなんか想像するに
結構タイの経済がいろいろ混乱して
小田原さんのビジネスにも影響があったんじゃないかなとも思ったんですけど
そのあたりいかがでしたか
97年はありがたいことに立ち上げて3年目4年目で
ちょうど土台ができたかなっていうぐらいで
でもそういう経済に影響を受けるほど大きい会社じゃないぞみたいなところで
そんなに影響を受けなかったんですね
そこは乗り越えました
やっぱりその後大きかったのは2008年の11月12月のリーマンショックですね
あの頃はもうさすがにドンと落ちましたね
もう初めてそれこそ会社設立からずっと単月の黒字を続けてたのに
2008年の11月かな12月かな単月と赤字になって結構ショックでしたけども
その時っていうのはやっぱりそもそも企業さんが人を雇わなくなるってことなんですか
そうですそうですもう人材の採用がやっぱり末起きというか雇わなくなる
そもそも人材ちょっと待って今増やす必要ないからとかっていうことですね
そういうことですねそこでじゃあ初めての赤字が起きてしまったってことですね
そうですね
ちょっとその2008年までの時点での話っていうのを伺いたいんですけど
21:00
90年代94年に始まったじゃないですか
その後タイってどんどん経済成長していったのかなというふうにも思うんですけど
街の変化とか経済の変化とか雰囲気の変化って何かその十何年振り返って感じることってありますか
いやもう街は変わりました93年94年私来た時にはまだそもそもジーンズ履いてる人さえいなかったみたいな感じで
街も白か黒かグレーか茶色かみたいな形ですごい暗かったんですね
タクシーも交渉のタクシーしかなくて今みたいにメーターのタクシーないし
今もド派手なピンクだ黄色のタクシー走ってるじゃないですか
原色のタクシーいっぱい走ってますよね
そうですそうですなかったですし当然もう電車BTS地下鉄だとか高架鉄道ができたのも2000年代前後ですし
スワンナープームができたのも2000年になってからですみたいな形で
90年代はすごいまだまだ暗いというか今みたいに明るくはなかったですね華やかじゃなかったし
そもそもあんまりなかったってことなんですかね
そうなんですよただ日系企業の進出ラッシュでいくと92年前後90年代最初に日系企業の大きな会社さんがみんな出てきてるんですね
ですのでこの数年30周年という会社すごく多いんですけども
ですのでそういう企業が出てきた時に弊社も人材紹介会社を立ち上げたのでおかげでうまくいったっていうのがあります
その上りのエスカレーターのよいどんって一番最初の時に一緒にスタートできたっていうのはもうすごくついてましたね
そういうことですねだからもうその時進出してきた日系企業がどんどん人を雇いたいっていうタイミングだったってことですか
そうですそうですトヨタさんなんかも去年65周年やってましたけどもうそういう60周年70年の会社なんですね
かおだとか味のおつだとかそういう会社さんもあるんですけどもポンダーが立ち上げたのが92年なんですよ
でちょっと撤退してしまいましたけど伊勢丹も92年なんですねみたいな感じで
92年に大きな日本の上々企業だとか大手企業さんが出てきてそうなるとやっぱりその次の下請けの会社さんも出てきて
ポンダーの次の下請けの会社さんやっぱりでかいんですよ
当然ポンダーさんに限らず2万兵兵とか3万兵兵とか5万兵兵とかすごい工場を建てるわけですよね
エンジニア10人送ってとか経理部作るのに5人必要だからとかもうそのすごい複数の人たちを採用してもらえるっていうのがあったので
本当に高速の上りのエスカレーターの入り口に立てたっていうのがすごく良かったですね
そういうことですねでもやっぱりそれはちゃんとそういうマーケットを選んだというか引き寄せたわけですよね
選んではないですよね
選んではないですよたまたま来たらタイであったぐらいなので
でも人材というビジネスを選ばれたのはそういうことですね
いやもうついてますよな運ですね良かったですねあの時始めてて良かったしこの仕事を始めてて良かったですよね
ちょっと話が脇道にそれるんですけどそのBTSもMRTもなくてレータータクシーもない頃のタイってどういう風に移動するんですか
基本毎回毎回タクシー運転手の方と交渉するんですか
いやもちろん交渉してましたねTuk Tukかタクシーと交渉するしかないですよね
24:04
もしくはもうバス2バーツとかでしたよ
おーすごい今でいうと数十円ですね
そうですね
それってあれじゃないですか毎回毎回吹っかけられるじゃないですかそんなことないですか
いやもちろんもちろん吹っかけられません知っておかなきゃダメですね
あのあれなんですよ屋台なんかにとか今街を歩いてモーターサイト行ってバイクタクシーがあって道の入り口にバイクタクシーが止まってるんですけど値段表がついてるんですね
であの値段表だったり屋台の値段表ができたのが多分これも2000年代になるかならないかなんですよ
90年代は値段表というものがなかったんですよ
ですのでバイクも交渉だし屋台にも値段表なかったような気がするんですね
じゃあなんか物を買ったりご飯を食べる時も
もう常に交渉ですよ何でも交渉でした
そうなんですねそれはなんかあれですねまあ面白いっちゃ面白いかもしれないですけど結構なコミュニケーションコストですよね
そうですね
じゃあそれでいうとまさにこのタイの変化っていうのをご覧になってきたんだなというふうに思うんですけど
リーマンショックの後そこから2010年代に入っていくと思うんですけど
そのあたりっていうのはビジネスはいかがだったんですか
リーマンショックの後も日本でもちょっとニュースになりましたけど
花服と着袋問題だとかクーデターだとか洪水だとかいろんなことがあったんですよね
そうありながら実はリーマンショックもそうなんですけどリーマンショックもやっぱり一部いい業界もあったわけですよ
みんながドーンと落ちたように感じましたけど後継機の業界もあり洪水があった時も湾国と北部湾国は良くなかったけれども
東部の方は結構ちゃんと普通にみんな動いてたりクーデターや内戦じゃないですけどそういうのがあっても
整形分離で政治はゴタゴタしてるけど経済はちゃんと動いてるみたいな形だったんですね
ですのでそういう意味では普通に2010年代は通り越したんですがやっぱりもうリーマンショックだバーツショックだという
もう全然違って今回のコロナもとっても大変でしたね
そうなんですね
やっぱりこの2年半3年間ですねもう本当に長かったですよね
リーマンショックはもう本当3ヶ月ぐらいの赤字ですぐ黒字に戻せたんですよ
大変な社会自体も公的にV字回復しましたし
他の何か揉め事があってもそれはもう整形分離で政治はゴタゴタしてるけど経済はちゃんと動いてるとか
北の方は大変だけど南は大丈夫だとか何かはダメだけどこっちは大丈夫みたいなそういうのがあったんですけど
コロナの間だけはもうそれこそ世界中ですからねしょうがないんですけど
採用に関して言わせていただくと日本から来る新規進出はもちろん飛行機飛んでなかったのでなくなりましたし
増員も当然ないわけですよもうみんな抑えてたので
欠員補充もないんですねやめたら今いる人間で頑張れみたいな感じで
27:01
5人いる部署が1人辞めても大丈夫4人で頑張れ3人になってもまだ頑張れ
5人いたところが2人になった時点でちょっと2人じゃ大変だな1人採用しろみたいな形になって
本当に採用の依頼自体がなくなったんですね
もう一つはそういう時にワンクッション入るようになってそのワンクッションはオンラインでどうにかできないかということになっちゃったんですよ
1人減ったのか採用するっていうのが今まで普通に流れてたんですけど
その流れじゃなくてもう1人減ったそしたらその人数でオンラインで何かできないのか
もしくは2人減ったそしたら何か考えろみたいな感じで
これまでは減ったら入れる減ったら入れるという普通の流れが変わっちゃいましたね
皆さん1回考えるようになっちゃって
一気になくなっちゃったってことですね
そうなんですよガラッと変わりましたね
その期間は今ようやく何というかちょっとずつ戻っているのかなって感じはするんですけどどうされていたんですか
25年間貯めてきたもので何とか生き延びましたね
もう今は元に戻っているので生き延びてよかったなっていうのがあります
90人100人近く社員いるんですけど一人も開校せずみんなで頑張ろうということで
家自体は人を減らすことなくここでできたのはやっぱりもう25年間の積み重ねがあったからっていうのがやっぱりありますね
その時って対面でそういう人材の仕事をしたいっていう方々と面接もできないじゃないですか
企業さんともなかなか対面でできないんでオンラインで本当に何とかかんとかマッチングしてやっていくみたいなそういう感じだったんですか
そうですそうですでもそれはもう今も変わらずその状態にもなってしまっているんですけど
弊社先ほどお話しさせてもらったアソークっていう四日堂の大きなビルの3階BTS電車が繋がっている階に直接来れる場所にあるんですね
なぜここにあるかっていうと1日50人1ヶ月で1500人ぐらいの登録者が毎日来てたんですよ
1日50人前後の人たちが来てここで登録をして面接をして直接会って顔をあって話をしてそれから紹介するっていう形だったんですけど
コロナのせいでそれがゼロになったわけですよ毎月ゼロで今も基本的にゼロなんですね来ないんですよ
もうオンラインでできちゃうのでですのでモデル自体がすごく変わってしまいました
それっていうのはもう変わってしまったじゃないですかじゃあもうそのニューノーマルに今対応されてるってことなんですか
そうですね今は対応できてるんですけども私の経営判断としてどうするべきかっていうところがここに居続けるのか
それともどこかもう場所に対しての価値がコロナ前ほどないわけですよ
短期的に見るとコロナ前ほどないんですけど長期的に見ると一番最初に申し上げた通りアソークにある人材紹介会社はここだっていうので
対人でも場所知らなくても住所知らなくても電話番号知らなくても来ればここにあるんですよね
30:00
それを30年間培っちゃったので他の強豪の会社さんはみんなビルの上の方に入ってるんですよ
ですので日本人のお客様でもその強豪のお客さんに行くときにあれどのビルだったっけとか何階だったっけって考えなきゃいけないんですけど
日本人のお客様家に来るときはほぼ皆さん考えなくても来れるんですよね
一回来れば忘れないし一人でも簡単に来れる場所でありすぐ分かる場所でありなのでここに居続けようと今のところ思ってはいますけど
やっぱり当然ながら便利な場所や値も高いのでそことの判断をまだちょっと少し悩んでいるところでもあり居続けようと思っているところでもありっていうのがあります
でもそれはきっとコロナの後の世の中っていうのがどれくらいリアルに戻るかとかそういったところにも影響してくるってことですよね
そうですね求職者自体はもう本当にその1500人生きてたものがまた来なくなっちゃったのでそこに対しての価値っていうのは減ってはいるものの
まだまだみんなアスオフにある人材会社っていうことを意識して分かってもらってるっていうのと日本人のお客様はやっぱり来てくれるので
ですのでまあまあまだ価値あるからっていうのは思っていますけどね
なるほどちなみに小田原さん今バンククがベースだと思うんですけど
同じくそういうふうに越境して活躍されている日本人企業家の方々のコミュニティも運営されてるんですか
そうなんですよ海外で活躍する日本人企業家の集まりっていうワオジェっていう名前でやってるんですけどもそういうのがありまして
始まりは20年前に香港になったんですけどもバンククでも15年前に立ち上がって
今ワオジェっていう名前に変えてワールドアソシエーションオーバーシーズジャパニーズアントレプレナーってやつなんですけども
名前が変わって今8期目になるんですが世界中で頑張っている日本人企業家の集まりということで今500人ぐらいメンバーがいるんですね
でももちろん東南アジアタイにもシンガポールにもマレーシアにもいるしベトナムにもいるしフィリピンにもいるし
オーストラリアにも支部がありハワイアメリカにも支部がありブラジルにもありみたいな形で
海外で企業している日本人が頑張っている日本人の集まりですね
もうあれなんですね東南アジアだけではなくて
世界中にいますよ頑張っている日本人そうなんですよ
私自身は5期目と6期目のその世界の代表をさせてもらったんですね
今次の代表に席を譲って今7期目8期目の8期目に入っております
横で繋がっていって何なら互いにビジネスをしたりとか情報交換したりとかそういう形で繋がってるんですか
そうですねビジネス情報交換もすごく大きいですしお互いに単国間貿易をやってる人たちもいれば
コンペチター同業者もいるんですけどカンボジアで今人材紹介ってこうだよね
タイはこうだよとかオーストラリアだとこういう風にやってるよとかそういう話も聞けるので
共同同じ業種なんですけど一緒に頑張ってるっていう思いが持ててすごくなんかこう自分たちのためにはなってるなと思います
33:01
いいですねなんかその中国の方ってその至る場所に同胞がいらっしゃるじゃないですか
そうそうそれと同じ家境ですよね家境と同じ最初はその和境って言ってたんですけど
和境じゃなくてなんかもっといいイメージで行こうっていうことでローマ字の英語の名前に変えちゃいました
そうですね和境っていう単語はあんまりしっくりこなかったですか
そうですねイメージ的に和境じゃなくて世界で活躍する器用化の集まりっていう英語で行こうと
それぞれの国のそれぞれの人たちにもわかってもらいたいんですよ
確かに確かに
でもその家境和境って言っても日本人しかわかんないんですよねもしくは中国人わかるかもしれないんですけど
じゃなくてタイの人にもわかってもらいたいしオーストラリアの人にもわかってもらいたい
日本人の器用化の集まりだよっていうことでわかってもらいたいっていうのもあったので
もう英語名にしようということで英語に変えました
そういうことですねそうなんですよね中国の方がそれぞれの場所にいらっしゃるからやっぱり外に頼れるというか
まずこの方に話を聞けるっていう同胞がいるってすごいいいなって感じはするんですよね
そうですよねそうなんですよ目指してるのはやはり中国の家境みたいなのを目指してます
でこないだテーマみたいなのがあったんですけどもう日本のために日本を出るということで頑張っていこうみたいな形で
いいテーマですね
外側から日本を盛り上げていこうという形で頑張ってますね
そうですねこれで起業されて29年30年ぐらいだと思うんですけど
一口で言い表せないっていうのは前提に伺いたいと思うんですけど
やっぱりこううまくやってこれたそしてここまで会社を伸ばせてこれたっていうのは
どういう要因が効いたっていうふうに思われますか
もう本当に一言で言っちゃうと本当に運が良かったスタート出しが良かったので
良い時に来て良い時に始めて日系企業と一緒に成長してきてというところですね
そういう意味ではこれまでは良いんですけどこれからが大変ですよね
残念ながら日系企業のプレゼンスも転がり落ちてるんですよ
90年代2000年代2010年代ここに来ればいい会社を紹介してくれるよと
いい会社イクオール日系企業だったんですよ
でも今ここに来れば日系企業に紹介してくれるよと
でもそれはいい会社かどうかわかんないよと
そうなんですよ30年間ここに来ればあそこのあそこの四つ角にある人材紹介会社に行けばね
いい会社紹介してくれるよってじゃあ行こう行こうっていや一緒に行こうよって
あそこに行ったら給料上がるらしいよとかいい会社紹介してくれるらしいよとか
そういう話がずっとあったわけですね
それが今ここに来れば日系企業に紹介されるよ
だいぶニュアンスが変わりましたね
そうなんですよすごい今劇的に変わってますね
それちょっとこの間別のチラノコン大学で先生されてる方に聞いたんですけど
タイの会社は採用負けしてるっていう話があるんですけども
採用負けしてるのがその外資じゃなくて中華系でもなくてタイの会社なんですよ
なんとそうですか
タイの会社なのかっていうところなんですけど
この30年の間でタイの大手企業さんもう100倍とか70倍とかに企業規模が大きくなってる
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トヨタがこの30年の間で2.5倍にしかなってないんですよ
その間にタイの大手企業はみんな数十倍の木並みになってるんですね
やっぱりみんな成長してる会社で働きたいとかこれから良くなる会社で働きたいとか
目に見えてどんどん良くなってる会社がたくさんある中で
なぜ成長してない日系企業で働かなきゃいけないのかということで
来年さ来年成長率何%ですかっていくと日系だいたい皆さん
よくもあるが平均で3%だよ5%だよって答えるんですけども
タイの会社行くと下手したら来年20%上がるよとか50%上がるよっていう会社もあるんですよ
そんな中で日系企業を選ぶかどうかっていうところもありますね
結構そこって割と根本的な問題というかもうマクロ動向の問題じゃないですか
そこに対しては何か小田原さんとしてアプローチをかけようとか
手を打とうと思ってることっていうのもあるんですか
おっしゃる通りマクロ動向の話なので私自身がもしくは会社が動向っていう話はどうにもならないので
これはお客様にお話する時はもう自分の会社が良い会社だよ
なぜならば日系企業だからじゃなくて自分の会社が良い会社だよ
なぜならばこれができるよあれもできるよこうなるよっていうのをちゃんと言えるようになりましょうね
っていう話を社長さんですとか人事の方に伝えるようにしてます
うちの会社は良い会社だよなぜならば日系企業だからねっていう時代じゃないですよ
日系企業だからっていうのも魅力じゃないのでそれを引いて
うちの会社はいい会社だよなぜならば君がここに入ったらこういう仕事ができるよ
こういう仕事やったら君はこういうふうに成長できるよ
うちの会社はこういうふうに成長してるんだよって言えるようになってくださいね
っていう話をしてますね
今のはすごく重いお話ですね
でもそうですよね会社の成長規模であるとか
なかなか払える給料みたいなところ特にもう為替の問題とかもあると思うんで
タイの企業と日系企業をフラットに比較されてもやっぱりタイの企業の方が魅力的っていう
魅力的っていう状況に育てるんですね
そうすると例えば仕事の中身であるとかこういう環境があるみたいな
報酬とかじゃない部分で魅力を訴求できるかっていう勝負になってくるわけですか
もちろん報酬も大事ですしですけどその成長だったり変化だったり
っていうところをちゃんと見せてあげるっていうのも必要ですよね
そういうことですね今のお話は本当に重いですね
日系企業にとっては日本の国にとっては重いんですけど
まあでも当然と言えば当然ですよね
自分の会社はこういうふうにいい会社だよって言えないと
いい人は採用できないですね
ちなみに強めの変化っていうのはどれくらいから感じられてました
あのですねコロナの前から多分あったはずなんですよ
ただ逆にコロナでどんな国がみんな鎖国鎖国したみたいな形になったじゃないですか
その間に少なくとも発展途上国というか
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ちょっと後ろを走ってた国は勢いよく成長しましたよね
自分たちでどうにかしなきゃいけないっていう気持ちが芽生えたんだと思います
でやってみるとちょっと申し訳ないですけど
タイの人たちがこれまでは外資がないと進まないとかできてないと思ってた人たちもいたし
そう思ってた外資企業の偉い人たちもいたんですけど
いざ駐在員がそれぞれの国に帰っちゃってタイ人だけで回してみると
できるじゃないかできたじゃないか
それはそうでしょう他のタイの会社できてたんだからっていうのが分かったりして
ですのでコロナの間で見えちゃった見えるようになっちゃったっていうのがありますね
そういうことですねなんかそのコロナで見えるようになったものっていっぱいあって
これまで潜在的にはできるでしょうでもやっぱりこう変わる方がめんどくさいから
変わんないみたいなそれが一気に変わったみたいなものってあるじゃないですか
リモートワークとかもそうだと思うんですけど
それと同じようなことがあれタイの自分たちだけで
外資の力借りなくてもできるんじゃないかって気づいちゃったわけですね
自分たちも気づいたし結局外資の企業もあれ日本人戻さなくていいじゃない
タイ人だけで運営できるじゃないのっていう形になっちゃいましたよね
そういうことですねそっかだから駐在という行為そのものが
本当にこれ必要なのみたいなふうに
もう今はなってますねすごい勢いで帰ってますよ減ってますね
そういうことですね今そういうふうに割とこう日本にとってはちょっと
しんどいというかなかなかマクロ的に大変だなっていうところがあるんですけど
越境してビジネスを取り組まれている企業家のお一人として
何かこう日本にいらっしゃる日本人に対してメッセージってありますか
あのですねこの今のインフレと円安なんですけど
そうなってるっていうことをやっぱりみんなに知ってもらいたいですよね
特に日本にいるみんなには知ってもらいたい
私も先週も日本に帰ってましたし時々日本帰るんですけど
帰っちゃうともう日本がとっても幸せなんですよ
このままでいいのかなってやっぱり錯覚しちゃうんですよね
なぜならばすごいこう日本にいる分には幸せなので
ですけど海外はその間にみんな成長してるんだよ
日本が沈んでるわけじゃなくて周りの国が上がってる
結果日本だけ成長してないっていう形なんですね
ですので日本にいる人はちょっととにかく外に出て
今海外はどうなのかアメリカも物価めちゃくちゃ高いよって話もあれば
中国の人もこの間あって言われてたんですけど
もう全然ITは中国の方が全然進んでるよと
日本なんてみたいな話をされてたんですけど
どこの国に行ってもあれとみんな思うはずなんですよ
それをやっぱり自分たちの目で見てほしいですよね
そうですね確かにその物価の感覚で言うと
万国と日本ってほぼほぼ変わんないぐらい
今ねそうですよね高くなっちゃいましたね
おそらく感覚で言うと昔それこそ1バーツが3円でしたよね
今は1バーツ4円になっていて
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昔例えば400バーツのものがアップフレームしてるから500バーツになってると
そうすると4×3×12の日本円で1200円になったものが
5×4×20の2000円になってるみたいなそういうような感覚ですからね
もちろんもちろんそれもありますよね
確かに日本にいると結構物価もそうですし
何かと快適じゃないですか
だからついなんていうかここでいいかなみたいな
という思いが頭に浮かんでくるんですけど
ただそれって長期的にどうなのっていうところありますもんね
それはありますすごくあります
ですよねだからちょっと精神的に負荷はかかるんですけど
やっぱり外の現場を見た方がいいんだろうなっていうのは
個人的にもすごく思いますね
そうですね世界の流れにある程度やっぱりついていった方がいいと思います
ということで今日のゲストはパーソネルコンサルタント代表の小田原靖さんでした
ありがとうございました
ありがとうございました
というわけで本日はパーソネルコンサルタント代表の小田原靖さんにお話を伺いました
来週もどうぞお楽しみに
ちなみに今回もご案内させていただきます
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ということで今日はこのあたりで失礼します
ニュースコネクトお相手は野村貴文でした
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それでは良い週末をお過ごしください
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