1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-12-01 09:37

#393 師走などの語源など from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:07
始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
沢沢森のがんこです。
言語学っていうのは、言語のあらゆる側面を研究する学問ですけど、
その中に語源っていうものも一応対象にしていると思います。
語源。英語だとエティモロジー。
読んで字のごとくですね、その語の源っていうか由来を研究するものもあるんですよね。
ただ言語学的な語源と一般的に解釈されている語源っていうのが異なることも多々あるんですね。
そういったことを研究する学問でもあるんですね。
勘違いが広まっているそれを研究するっていう、なんだかよくわかんないことになってるんですけど、
そういう間違った語源というか、勘違いの語源というか、でも一般にそう認識されているみたいなものを民間語源とか民衆語源とか言ったりします。
英語だとフォークエティモロジーっていう言い方をするんですね。
結構そういうことってあって、例えば10月のことをカンナ月って言いますよね。
漢字で書くと神がない月。
これは何でかっていうと10月になると神様がみんな出雲大社に集まるので神様がいない。
だからカンナ月だと。
そういう説があるんですけど、これは民間語源と言われるもので結構根拠の薄いものと言われています。
むしろそれよりは神の月っていうことでカンナ月になってるという方が割とあり得る語源らしいんですね。
昔の日本語はナっていうのが、現代日本語で言うノーの意味を表すことがあって、
例えば目の子とマナコと言ったりしますよね。
あれは目の子供っていう意味で、
目っていうのがマっていう音に変わるのは結構あって、まつげとか眉毛とか。
それと同じように目の子ということでマナコとか言ったりとか、
棚心っていうのもそうなんですね。
これも手っていうのがタっていう音に変わってますけど、
03:02
手の心っていうことで中心ということで棚心なんですね。
こういうふうにナっていうのはノを表していたので、
カンナ月のナっていうのもノっていう意味だったんじゃないかと言われています。
だからまああて字ですね。
同様に6月のことをミナ月って言うんですけど、
これも水がない月って書きますけど、
語源としてはやっぱり水の月だったんじゃないかと言われています。
同様ですね。ナっていうのがノを表しているので、
まあ昔はミだけで水の意味だったんですよね。
ミナ元とかまさにそうで、あれは水の元っていう意味なんですね。
だから水源っていうのは水がかぶってることになりますね。
こういうふうにね、旧暦の月を表す言葉って、
民間語源が多くて、
しわすっていうのもあれはお坊さんが走り回って忙しいからっていう語源がありますけど、
あれは民間語源だと言われています。
この民間語源っていうのは一種の勘違いっていうことなんですけど、
その勘違いというのが言語を突き動かすというか変化させる力を持つこともあるんですね。
過去のトークでも話したことあるんですけど、
チーズバーガーとかてりやきバーガーっていうのは、
これ勘違いからできた単語なんですね。
ハンバーガーっていうのはハンブルグっていう地名が元なんですね。
まあ語源なんですけど、
となるとハムとバーガーで切ることはできないはずなのに、
そこに切れ目を入れちゃって、
するとバーガーだけでパンで挟んだものみたいにね、
そういった意味を持ったものとして一人歩きするようになっちゃって、
ハムじゃなくてチーズとかてりやきとかチキンとか、
そういったものが現れるようになったんですね。
こういう勘違いを異分析と言ったりします。
異分析の例は日本語にもあって、
過去のトークでも話したかもしれないけど、
潔悪いみたいな言い方ですね。
潔良いに対して潔悪いみたいな言い方をする人がもしかしたらいらっしゃるかもしれませんけど、
潔良いっていうのは潔、清でここで切れるので、
もともと良い悪いの話ではなかったんですね。
潔いか潔くないかと言った方が正しいわけなんですけど、
ただ勘違いで切れ目を入れちゃって潔良い。
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だから潔っていうのがよくわかんないけど、それが良いか悪いかの話になっちゃって、
潔悪いという言い方も出てきてしまったんですね。
ただ僕はこういった勘違いを悪いことだとは思っていません。
カンナズキっていうのは神がいない月、ミナズキっていうのは水がない、
シュワスっていうのは坊さんが走り回ってる。
別にそう思ってもいいというか、そうなってるんだったらそうなってるんだと思うし、
潔悪いっていう言い方なんだそれはっていう風に文句を言うつもりもないです。
良い悪いは別にして、そういう勘違いっていうのが一つ、
言語を動かす原動力となっているのは確かなんですね。
民間語言にしろ異分析にしろ、
勘違いっていうのが言語を変化させる要因となっているわけですけど、
もう一つ、怠惰であるっていうことも、
つまり人間は怠け者であるっていうことが言語を変える要因となっていると思います。
まあこの怠け者っていうのはいろんな意味で言えて、
例えば発音しづらいから簡単になるっていう、
まあそういった側面もあるだろうし、
例えば分からないが分かんないになるみたいな同化現象と言われるものは、
極端に言えば、怠惰だからだと言えると思うんですね。
他にも英語で不規則動詞だったものが規則的な動詞になるとか、
ヘルプとかがそうなんですけど、あれってもともと不規則動詞だったんですけど、
現代英語では過去形も過去分詞形もedつけるだけの規則動詞になってるんですよね。
でそういうふうに分かりやすい活用になるっていうのも、
我々が怠惰であるからと言っていいと思います。
ただ、怠惰であるということは言語が変化しない理由でもあるんですね。
言語っていうのは代々上の世代から引き継いでいるもので、
もっと言うと昨日使ってたものを使ってるわけですよね。
で、いちいちそんな変化させてたら通じるものも通じないというか、
もとあるものをそのまま使った方が楽なわけですよね。
新しいものを用意どんで使うより。
そういうふうに考えると、人間が怠惰であるっていうことは、
言語を変化させる要因でもあるし、
言語を現状に留める要因でもあるということができます。
これは言語の持つ一つのパラドックスだと思いますね。
言語っていろんなパラドックスを持ってるものなんですけど、
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そういったものの一つではないかなと思います。
というわけで、今日のトークは語源の話から始まったわけですけど、
ちょっといろいろ話がずれちゃいましたね。
今回のトークに関連したものもいくつかあるので、
そちらも併せて聞いていただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よろしかったら番組フォローお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
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