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#859 ピクミンで言語学?引っこ抜かれて、戦って、食べられて… from Radiotalk
2026-05-12 09:48

#859 ピクミンで言語学?引っこ抜かれて、戦って、食べられて… from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

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サマリー

このエピソードでは、ピクミンの印象的なCMソングの歌詞を言語学的な観点から分析しています。特に、「引っこ抜かれて、戦って、食べられて」という部分で使われている受動態(タイ)や、「てくれる」と「てもらう」の表現が、主語を統一し、歌詞の流れをスムーズにする上でどのように機能しているかを解説しています。これらの言語的な特徴が、ピクミンの歌詞をより深く理解する手がかりとなることを示唆しています。

ピクミンCMソングの印象と言語学的分析の導入
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。ケングリフィージュニアです。
ピクミンというゲームがありますよね。これはもともとゲームキューブのゲームでしょうか。
20年ぐらい、もっと前ですかね、に流行ったゲームで。
これはね、CMソングがなかなか印象的なんですよね。 愛の歌というのがCMソングだったわけですけど、
CMバージョンの歌詞だと、引っこ抜かれて、戦って、食べられて、でも私たち愛してくれとは言わないよっていうようなね、
歌詞なんですよね。これがなかなか メロディ的にも愛しを誘うというかね、
なんかそんな感じがするし、 結構衝撃的なね、
歌詞だし、 まあピクミン自体のその
ああいうキャラクターとのギャップっていうかな、そういったこともちょっと話題になったんではないでしょうか。
各有私はピクミンをやったことはないので、 どんなゲームかはわかりません。多分増やしてどうのこうのみたいな、
歌詞にね、そんな風にあるから、まあそういうことだと思うんですけど、 あとは赤ピクミンが火に強いとかね、
あれはピクミン2の方ですかね、まあそういったCMソングもありましたよね。 紫ピクミンは力持ちだったかな、なんかそんな特性があるみたいだね、
そんなこともありましたが、それはそれとして、 今回はピクミンの最初の方のCMソングですね。
さっきも言いましたけど、引っこ抜かれて戦って食べられて、
でも私たち愛してくれとは言わないよというこの歌詞ですが、 これね言語学的に見ても結構深いっちゃ深いんですよね。
歌詞の主語と動詞の構造
というのが、今言ったところの 歌詞の主語っていうのはちゃんと出てきてるんですよね。
でも私たちっていう風に、この私たちっていうのが 文全体の主語となっております。
文頭には出てきておりません。 つまり文の頭ではなくて、文の途中で私たちっていうのが出てきて、
特にここに助詞とかはついてないんですよね。 私たちはとかがとか言ってませんが、
これが主語と言ってよろしいと思います。 動詞がいくつもつらなっているわけですよね。
引っこ抜かれて戦って食べられて、最後は言わないよという、 合計で4つの動詞があるわけです。
そして前半の方はですね、「てえてえてえ」という風に、 日本語教育なんかでは「てけえ」と言われる形ですが、
それで文が、文というか歌詞が展開していっているわけです。
ちょっと専門的な言い方をすると、これらはすべて動詞語です。 主語が全部一緒、私たちとして解釈されると思います。
これはなかなか面白い特徴だと思いますね。 日本語というのは、
動詞が主語によって変化する。 そういったことはないので、動詞だけ見ても、
誰がやったか、何が主語なのかというのはわかりませんが、 その代わりというわけでもないですけど、
こういう風にてけえみたいなのが つらなる場合は、
同じ主語と解釈されることも多いです。
こういう風にてけえを使って文が展開していくっていうのも、
受動態(タイ)の役割
一つ日本語の面白いところですが、ここでもう一つ注目したいのは、 受動体、受け身文というのが、
匠に使われているということです。 引っこ抜かれて、
食べられてというところが、受動体、受け身文になっているんです。
れる、られるというのがついているわけですが、 そもそも受動体というのは何かというと、
単的に言えば目的語が主語になるということです。
ですので、私たちを引っこ抜くが、
私たちが引っこ抜かれるになるし、
私たちを食べるが、私たちが食べられるという風に、
王がついていた目的語が主語になります。
そのおかげでてえでもって つなげることができるのです。
もし受動体がなかったとしたら、
ちぐはぐというか、私たちを引っこ抜いて、私たちが戦って、私たちを食べて、
でも私たち愛してくれとは言わないよという風に、主語が行ったり来たりすることになります。
私たちというのが目的語で主語で目的語で主語でという風になってしまいます。
この歌詞全体の主語を統一するために、受動体が役立っています。
受動体を使えば、私たちが引っこ抜かれて、私たちが戦って、私たちが食べられて、
でも私たち愛してくれとは言わないよという風に、全て私たちという主語で一貫できるので、
そうすると、ある意味省略というかね、出てこなくて ok ということになって、
引っこ抜かれて、戦って、食べられて、でも私たち愛してくれとは言わないよと、
そういう風に歌うことができるんですね。
四五十五の坪。
「てくれる」と「てもらう」の比較
こういう風にれる、られるというのがくっつくような、受動体受け身分のことを、
言語学ではボイス。
日本語だとタイ。 クマによく似た味のタイと言います。
このピクミンのCMの歌で、愛してくれとありますけど、この手くれるっていうのも、
これも一種のボイスと言えなくもないんですね。
愛してくれる。
これだとというか、歌詞の中だと、私たちを愛してくれるとなるわけですが、
これがてもらうっていうのを使うと、私たちが愛してもらうとなります。
つまり、てくれるっていうのをてもらうというのに変えることで、
目的語だった私たちをというのが、主語の私たちがになります。
私たちを愛してくれる。私たちが愛してもらうと。
この目的語だったものが主語になるっていう点で、
てもらうっていうのは、受動体のれる、られるに結構近いっちゃ近いんですよね。
つまり、愛してもらうっていうのと、愛されるっていうのは、
意味的にも近いというのはわかると思うし、
実際、目的語だったものが両方主語になってるんですよね。
私を愛するが、私が愛されるなり、私が愛してもらうになってるんですよね。
こういうふうに目的語だったもの、というか目的語を主語にするっていうような操作が、
いろんな言語で観察されるわけですが、
日本語だとれる、られるを用いた受動体、
あるいはてもらうみたいなね、やりもらい表現、
こういったものがあって、
同一主語のモチベーションとボイスの存在意義
で、なんでそういったものがあるかというと、
今日お話ししたように、引っこ抜かれて戦って食べられてみたいに文が展開していくときに、
同じ主語にしたいみたいなのも、ある程度モチベーションとしてはあると思うんですよね。
もちろんそれが全てではないですけど、
そういうふうに、同一主語、同主語で文を展開するために、
ある意味、ボイスというものが存在していると。
そういった観点で、ボイス、体を観察してみる、分析してみるっていうのも面白いんじゃないかなと思います。
このピクミンのCMの歌ではね、それが結構はっきりと見て取れるというようなお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
09:48

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