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#887 二つの記号論:解読と解釈 from Radiotalk
2026-08-18 10:36

#887 二つの記号論:解読と解釈 from Radiotalk

主要参考文献
池上嘉彦 (1992)『詩学と文化記号論』東京: 講談社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

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サマリー

本エピソードでは、記号論における「記号」の定義から、言語、信号、ジンクスなど、様々な記号の例を挙げながら解説します。特に、共通のコード(ルール)が存在する「伝達の記号学」と、コードが後から作られる「意味作用の記号学(解釈の記号学)」の違いに焦点を当て、人間が物事に意味を与えずにはいられない本質に迫ります。

記号論における「記号」の定義
記号論や記号学と言われる学問があります。 言語学の中に記号論があるのか、記号論の中に言語学があるのかっていうのは、
結構意見が分かれるというかね、 二つの見方があると思うんですが、いずれにせよ言語というのは
記号の一種で、特に 記号論的な意味での
典型的な記号です。 ここでいう記号というのはシニフィアンとシニフィエがセットになった
そういったものを記号と言っています。 記号表現と記号内容と言ってもいいし、
言語の場合は音声的な側面と概念的な側面が一緒くたになっているわけです。
あるいは書き言葉であれば、 書かれた文字と概念の側面が一緒くたになったのが記号ということで、
例えば日本語で石といった場合、この石という
音声的な側面と石という固い物体の概念が 一緒くたになっているんですよね。
記号論、記号学で言う記号というのは、この表すもの、 すなわち石という音、そして表されるもの、石という概念、
これがセットになったものが記号です。 ただ言語以外にも記号的なものはたくさんあって、
むしろ一般的に記号といった場合は、 もっと別のものを指しますよね。
記号の具体例:言語、信号、地図記号
BGMです。 始まりました4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
動く城のハウルです。 普通記号といった場合、
思い浮かべるのは数学の記号とかですかね。 あるいは地図記号とか。
そういったものは何か変わりをしているというような イメージではないかと思います。
ただ記号論的な意味で記号といった場合は、 数学の記号とか地図記号というのは
多分あまり対象にならないと思います。 それよりは冒頭お話ししたように言語というのが
記号論的な意味での記号の典型です。 あるいは信号の色とかも
そうかなと思います。青が進め、赤が止まれというのは、 青というあの色が
記号表現。 すなわちシニフィアン、表すもので。
表されるものっていうのは進めという意味です。 赤の方も同様ですね。
赤という色がシニフィアンで、止まれというのがシニフィエ。 少なくとも日本に住んでいる人、
少なくとも大人であれば、信号の色の意味っていうのは、 意味するところっていうのは
わかっています。共通理解っていうのがありますよね。 子供だってわかっていますが、
その共通の理解というか、 青が進めで赤が止まれだっていう
要は決まりとか、あるいはルールっていうのを 記号論ではコードということがあります。
これは言語でも同様で、 われわれ日本語母語話者っていうのは共通の日本語というコードを
持っているから お互いに意思疎通ができるんですよね。
言語にとってコードっていうのは辞書と文法と言い換えてもいいし、 ソシュール的に言えばランガージュと言ってもいいかもしれません。
信号にしろ言語にしろ、その共通の了解というか、 コードというのがあるから、
相手のメッセージがわかり、それを解読することができるんですよね。
コードの存在しない記号:茶柱、ジンクス
記号論っていうのはさらに その範囲を広げることができて、
茶柱が立っているのを見て、
運がいいというか何か良いことがありそうだと思うのも一種の記号です。
茶柱が立っているという現象というか、それが記号表現で、それが記号内容として
幸運だみたいなのと結びついて一緒くたになっているんですよね。
そういう共通のコードっていうのは日本の中でしかおそらく通用していないので、
言語と同様に他の共同体に行ってしまうと、 茶柱イコール幸運というのは通用しなくなります。
あるいは黒猫が横切ったら運が悪いとかね。
そういったものも記号論に捉えることができる。
つまり言語として見ることができるんですが、
共通のコードがないような、むしろ後からコードを作り出しているように思われるような記号というのもあって、
わかりやすいのはジンクスみたいなものですかね。
例えば個人的な経験として、くしゃみが2回連続出たら良いことがあるとか、
そういった個人的な経験に基づいたものは、 共通のコードというのは存在しないんですよね。
つまり自分の中でくしゃみが2回出たという記号に対して、後からコードを作り出しています。
僕はこれは結構人間の本質じゃないかなと思いますね。
つまり何かがあるとそれを記号として見て、
何かしらそれが意味を持ったものだと思わずにはいられないというのが、
人間の差がみたいなものだと思います。
人間というのは言語を使います。
言語というのは繰り返し言ってますが記号です。
そういう記号ばっかり使っている、記号なしでは生きられない、記号の世界で生きている我々にとって、
シニフィアンがあるなら必ずシニフィエがあるみたいに多分考えちゃうんじゃないかなと思います。
くしゃみが2回連続で出たということに対し、
何かしら意味を与えないと落ち着かないみたいなね。
本来そこにコードっていうのはないんですけど、後からコードを作るみたいなことが、
人間の癖みたいなのがあるんじゃないかなと思います。
伝達の記号学と意味作用の記号学
記号論ないし記号学ではコードが想定されるような、
そういった記号学のことを伝達の記号学と言って、これは訴訟論に始まると考えられて、
我々が普通コミュニケーションをとるときの言語の使い方っていうのが伝達の記号学です。
こっちはコードが想定されてるんですよね。
一方、共通のコードがないようなものを意味作用の記号学と言って、
こっちはパースという学者に始まると言われたりします。
意味作用の記号学の方では、コードっていうのはある意味後から作られるものです。
伝達と意味作用、あるいはこれは解読と解釈というふうに言い換えることもできると思います。
何か発信者が発信したその記号を共通のコードを使って解読するのか、
あるいは何か記号について解釈するのかっていう、そういう違いで、
校舎の方は発信者に特に伝達したい意図とか意味っていうのは、あってもなくても問題ないんですよね。
茶柱とかくしゃみが苦い出るとか、そういうのは別に発信者は想定されてないので、
むしろこっちの受け取り手の方の問題です。
受け取り手がどう解釈するかっていう、そういった問題です。
この意味作用の記号学というか、解釈の記号学というのは、ある意味で独りよがりですよね。
自分で勝手に意味を与えているというか、まさに解釈しているわけですけど、
たださっきも言ったように、それは人間の本質というか、記号としていろんなものを捉えちゃうと思うし、
あるいはそういったことが人間の想像性みたいなものとも関わっているんじゃないかなと思います。
意味を与えずにはいられないというかね、解釈せずにはいられない。
すべてを記号として、言語的なものとして人間というのは捉えがちだという、そういったお話でございました。
エンディング
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
10:36

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