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おはようございます。しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、1日1つ瀬戸内海の島からゆるくお届けしております。
はい、ということで今日は割と雑談会になります。というのもですね、今日でなんと僕も35になりますね。
いや、誰?35?自分が35って言われた時に、いやいや誰の年齢言うとんねんっていう感覚になるんですけどね。
だいたいね、27、8で止まってるような気がするんだよね。少なくとも、いや29歳ぐらいじゃなかったっけ?とか、いや言ったとしても31とか2だよねっていう感覚があるんですけどね。
自分が35って、いやーなんかあんまり感じがしないなっていう、そんなまあ誕生日を迎えておりますんで。
今日はですね、この10年ぐらいを久しぶりにというか、ちょいちょい振り返ってるかもしれないんですけど、誕生日なので、この10年どうやって生きてきたっけなっていうのをね、ちょっと振り返りながら話したいと思いますね。
イメージはもうシンプルに借金500万円から借金6000万円になったっていうことですね。なんかもうちょっとよくわかんないね。
よくあるこう、なんかね、あの一発逆転ストーリーだとね、借金500万からね、なんか資産1億円なりましたとか、じゃあ10年振り返りまーすっていうのがよくありますけどね。
借金500万から借金6000万になりましたって10年振り返り、それって何があったんだろう?みたいな。そんな感じですけど、ゆるっと今日は振り返っていきたいと思います。
まずね、10年前、何してたっけ、25歳ですよね。25歳は東京でネットワークビジネスマルチ商法にハマり、うまくいかなくなって、抑鬱の診断書もらって、借金が多分500万とかになって、リボ払いとかも200万とか超えてましたね、多分ね。
で、奨学金が残り300万みたいな。そんな状態で帰ってきたのが多分25歳になる年だったと思うんだよね。だから島に帰ってきて、東京で失敗して、それでちょうど10年になるっていう感じですかね。
そんな感じだったと思います。2014年ってことですよね。帰ってきた年、あれいつ帰ってきたんだっけ、ちょっと忘れちゃったね。あのあたりの記憶は曖昧で。で、そっからすぐにブログを書くとかにはならなくて、まずね、保険会社のセールスになったんですよね。
今はもうなくなってる。名前が変わっちゃいましたけど、もともとは三井生命だったのが、今、大樹生命に変わってます。で、大樹生命の営業マンになった理由も、僕は東京の給与明細がだいたい、一応総まとめすると、だいたい月30万ぐらいの支給だったらしいんですよ。
あれですよ、手取りじゃなくてね。で、それを反映してくれるみたいな感じだったんですよ。保険会社その最初。最初のね、3ヶ月ぐらいは研修もあるけど、その間は、総支給30万円で入れますよみたいな、だったらいいじゃんみたいな。
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で、そもそもその三井生命に入るっていうのも、親が、おかんが三井生命ずっと30何年とか働いてて、あんたもお仕事があれやったらもう営業あったらええねみたいなことを言われて、まあ確かに就活もね、やってないし、できることだったら営業かなと思って、まあまあ金融かと思ってね、悪くないかもしれないと思って入ったっていうのがあります。
だからなんか、保険でね、MDRDだったっけ、ちょっとMDRDだったかな、合成麻薬みたいな名前になってないかな、なんかそういうあのすごいのあるじゃないですか、あのクラスがね。そうで、そういうの取ろうみたいな、そんなモチベーション全くなかったですね。
30万くれるんだったらみたいな。そうそうそう。で、まあ勤めてみたんだけど、まあそんなうまくいったって感じではなかったです。なんか一応なんか新人のね、その売上がいいよみたいなものには一時入ってましたけどね。なんかで金沢とかで表彰とかも1回ぐらい行ったかな。でもなんかパッとしないですね。全然パッとしない。
でもなんかね、そのプレゼン大会みたいなのあったんですよ。あの、なんかこの商品をどういうふうに説明するかみたいなプレゼン大会があって、で、それはなんかね、中四国エリアのあの代表の手前で落ちました。まあ今よりもめっちゃ下手ですよ、話し方とかも。
何も考えてなかったし、まあ口先発寸というかさ、そんな感じだったらペラペラペラペラ喋ってたらなんかそうなって、別に勉強してたわけじゃなくて。だからペラペラ喋るってことはなんか得意だったのかもしれませんね。なんかそれは繋がってるかもしれない。だけど、まあパッとしなくて、このままじゃやだなあ。でもなんか別に仕事辞めて企業とかできそうにないしなあとか、でも会社辞めて売り上げっていうか、その収入どうしたらいいんだろうとか。
毎月返済が7万8万ぐらいあって、一応成績がいい時はさ、手取りで25とか、一瞬ね、なんかね、いろんなボーナスとか支給手当みたいなのが重なって、一時ね、なんかね、36万ぐらい支給された気がするんだ。嬉しくて、写真撮りましたもん、確か、携帯で。
ゆうちょ銀行の通知を記帳しに行って、ジジジガチャガチャみたいな、三井正明の振り込みみたいな、36万みたいな。イエーイ、会社員で36万もらえるんだ、すげーみたいな。あの、めっちゃ覚えてますね、それは。
そう、覚えてる覚えてる。で、すごい感動したのを覚えてますね。でもそれがずっと続くわけじゃないからね、やっぱ契約が取れてる時はいいんですけど。そういうのもやっぱしんどいなーっていうのは正直あって、で、うーん、とはいえ辞めてなんかするかっていうのも全然なくて。
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で、そっからたまたま本当にね、東京で何回か会ったことがある友達から、あの、なんかまだ東京で消耗してるの?っていう、池谷さんの本紹介されて、それでね、それ読んだ時に衝撃が走ったんですよね。あの、田舎で?っていうか、高知の山奥でブログ書いて、月500万ぐらい稼いでんだ、この人みたいな。マジで?みたいな。
で、その人いわく、池谷さんいわく、なんか田舎だったらパソコン一つでできるらしい。マジか。まあ確かに聞いたことあるけど、そんなこうリアルなケースとして僕は知らなかったんですよ。で、そっからブロガーとかインフルエンサーっていう人たちの情報を見るようになって。
まあ、いわゆるその池谷さんとかハーチュさんとか、あとは本当にね、あの、まあ名だたるブロガーさんですよ、当時。あの、ヒツジさんとかもちろん今もいますけどね。黒猫屋さんとかも当時からもいましたし。で、たまたまね、僕の高校の同級生で一人ブログがっつりやってる人がいて、で、始めたんだっていうので、まあ連絡取ったりとかして。
そうそうそうそう。だから意外とね、まあめっちゃ仲良い人にはいなかったんだけど、まあちょっと広げたらいたっていう感じでした。で、そう、それが多分ブログを始めた27歳かな?27歳の年ですね。確か2017年、あれ違う、そっちは28の年なのか。あれ?うん、28の年なのか。あれ?
2010、僕自分がいくつなんだっけ?2024年で、え?今年2024年で35でしょ?ってことは、そっから何歳引けばいいんだ?7歳引けばいいんですから。あ、そうだ、28か。28の年に、そのブログとかSNSっていうのをちょっと始めてみて。で、28の年か、そっかなんか変な感じするね。
で、独立、それからブログを始めたんだけど半年ぐらい、10ヶ月ぐらい書いても全然うまくいかなくて、で、あかんっていうことで会社、1回で会社辞めようとしたんですよ、ブログを始めた瞬間に辞めようとしたんだけど、辞めるの怖くなって辞めるの辞めて戻ってきて、恥ずかしいけどね。
それで辞めるのは辞めたんだけど、やっぱりどうしても半年ぐらい書いてて、このままじゃあちょっと拉致あかねーなーみたいなズルズルいっちゃうなーと思って、もう区切りつけようと思ってパッと辞めて、収入もブログ収入1500円とかでしたね。借金500万で毎月7万8万返済があるっていうのが多分29になる年だったと思いますね。2018年だったと思う。
で、辞めたもののすぐに稼げるわけでもなく、辞めてからね、4月に退職してまともに稼げるようになるまでね、3、4ヶ月はかかった気がします。アフィリエイトで月20万30万というのが出るようになったのがね。
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で、その間も出るんだけど、収益としては出るんだけど、振り込みが全くないんですよ。アフィリエイトってだいたい2ヶ月後ぐらいの支払いサイトっていうのがね、振り込まれるまでが。なので結構ね、待つんですよね。だから売り上げは上がってるけど手元に現金がないっていうので、もう本当にあの時どうやってたんだろうね。
後輩にお金を借りたりもしたし、まあアコムとかカードローンとか枠なるべく使ったりとか、あとはそれこそIKEAさんにスポンサーしてもらってね、もう結構IKEAさんがその年には、えーどれくらいもらったんだ?100万近く多分スポンサーしてもらったんじゃないかな、結構IKEAさんからね。
そうそうそう、収入の欄にIKEAっての入れてましたから。なんかこうアフィリエイト、ノート、ね、アドセンス、IKEA、なんだそれ、IKEAってなんだよって感じですけどね。あとはクラウドファンディングのミニミニバージョンでこうポルカってのがあって、300円500円とかって投げれるやつだったんですけど、それでこう利息払ってくれみたいなやつを独立1か月目ぐらいにやったら、そういう結構ね5万ぐらい集まったりとか。
で、瀬戸さんをその翌年買いましたけど、瀬戸さんと出会って、瀬戸さんね借金あるけど買い回すって言ったら10万ぐらい集まって、10万ぐらい集まったはいいもののなんかプチ援助してですね、あの海風さんじゃない、春風さんだったっけ、えーっと、ね、インフルエンサーの方かな。で、なんかこう、まあ吊るし上げられたってわけじゃないけど、なんかこう、ね、あのお金じゃなくていいんじゃないですかみたいなね、なんか欲しいものリストでいいんじゃないですかみたいなことを言われて、まあまあ確かにそれはありますね。
みたいなやり取りしたの確か覚えてますね。そうそう、その時にめっちゃ猫クラスター、保護猫クラスターにね、すぐ目をつけられて、その人たち結構粘着アンチ1年ぐらいやられた気がしますね、なんか。
なんか、なんて言ったっけ、あの、井戸水を使っていて違法に井戸水を飲んでいる。水道代0円ですみたいな話をしてたんですよ。で下水道だけかかりますみたいな。そう、本当に下水道代だけ払ってるんですよ。上下水道契約じゃなくて、下水だけ契約するってことができるんですよ。で、それをたぶん知らなかったんでしょうね。
で、僕がこう、違法に井戸水を汲み上げ、違法に下水に流しているみたいなことを言ってましたね。どうでもいいよと思いながらね、もうどのレベルの情報なんやねんとか思いながらね、まあまあ彼らも全然僕は今もう全然認知もできてないって感じですけど。
うん。そんな方もいらっしゃいましたね。あの元気で幸せでいてほしいなと思いますけど。はい。で、そんな感じで、まあフリーランスをまあやってて。途中からね、やっぱり1年目すごく刺激的だったんですけど。やっぱね、1年半、そして3年ぐらい経ったらね、結構なんかだれたんですよね。
だから自分の生活費分はこうやってやったら稼げるなーみたいな見えちゃって、なんかなんていうのかな、刺激がね、なくなっていったっていうか。で、その時に池谷さんに、まあCACもそろそろ法人化したほうがいいんじゃないかっていう話になって、で、会社作ったのがたぶん2021年みたいな感じですかね。
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それから2021年から2024年だから会社もちょうど丸3年経って、で、2021年にはフリーランスの学校を始めて、2022年にはリブライカキャットを始めてっていうので、まあ2023年、そして2024年ときたと。
そう考えたらね、この2年ぐらいがね、僕の中では、もちろんLLCのローンチ大成功で、LLCハウスも立ちますから、もちろんもううまくいってるし、皆さんの応援がありがたいんだけど、自分の成長度合いみたいなものがね、この2年はね、この1年ぐらいかな、あんまり感じないんですよ。
自分がこれをやればいいことをしてないとかも、もちろんあるんだけど、なんかあんまり成長できてないというか、なんかもっとも世の中のことわかってるつもりだったのに、いいことなんでしょうね。
全然何もわかんねえなっていうか、何も言えることがないなっていうような感覚で、わりとこのボイシーポッドキャストを喋ってしまっているっていうのが、わりと正直なところで、この8年目であります。
だから多分、やっぱ発信やめていった自分よりも、先に発信をやってた人がやめていってるのは、僕もたくさん見てるんですよ。それが本当にダメとかそんな話じゃなくて。
で、それをなんでかなと思ってた時期もあったんですよ。せっかく何十万人フォロワーいるのに、なんでやめちゃうんだろうとか止めちゃうんだろうとか思ってたんですけど、
なんかわかるなって最近思うんです。この1年とか。なんか何を言ってても自分が何を喋ってても薄っぺらくなってしまって、その状態で言えることがないというか。
僕もインフルエンサー1年目みたいな時はもう会社なんかすぐ辞めたらいいんだよみたいなこと言ってて、すごいなと思うんですよ。自分当時の自分を。
よう言うわ、そんなことって。いやそう確かに辞めた方がいいって人もいればそうじゃない人もいるよなみたいな。
そう、なんかどっかでいろんな意見があるよね。いろんな人がいるよねっていうその前提に疲りすぎてるというか。
でもそれは多分大事なことなんですよ。いろんな人がいるっていうのをね、知るっていうこと。知らずに僕は結構バーって言ってたとこあったから、反省をしつつ。
で、反省するんだけども、それを一瞬わかった状態で言う必要もあるわけですよね。何かこう尖ったというか。
それがなんか自分の中で、なんかしんどいなみたいなねことがあったりとかして、こういう風になっていくのかなその途中で辞めた人。
分かんない、僕がまだまだところで止まってるのかもしれないし、もっとさらに上があって辞めますっていう人ももちろんいると思うし。
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だけどなんか分からんでもないなみたいなことをすごく思ったこの1年、2年ぐらいですかね。
だからなんかこう、ボイシーずっと聞いてくれてる人からしたら、なんかもしかしてそういうのを感じてる人もいるかもしれないけど、
僕もやっぱりこう自分の中で新しいこととか新しい何か提案みたいなのができてないかなとかって結構思ったりするんですよね。
だから難しいよね、こればっかりはね。で、意外とそれでこうたまにやっても、この建物を建てるって、
過去の自分からしたら多分あんまりイメージわからないことやってるだろうなとかね。
子供の視聴の表記や訪問とかも含めてですけど、気づけばちゃんとステップごとに成長はしてきてるだろうけど、
なんかどこかで自分では内面的な部分っていうかね、あんまり成長を感じないなっていうのを。
もちろん1年前の自分と比べたらできること増えてるなと思うんだけど、それでもなんか物足りないというか、もっとできたんじゃないかなっていうのはやっぱりありますね。
だから35歳、2024年そして2025年がもうすぐ来ようとしてるわけですけど、
ここからはね、特に中年というかさ、病気とかもね、やっぱり起こりやすくなってきますから。
もちろんそれは65歳とかと比べたらもっと確率が低いのかもしれない、一般的なレベル。
でもやっぱり何が起こるかわかんないからね、車乗ってて後ろから突っ込まれるかもしれないし。
だからやっぱり一日一日、明日も生きるだろうではなくて、明日死んでるかもしれないなっていうね、今日も生きれたっていう。
やっぱりそういう一日を積み重ねていきたいなっていう、割とありきたりなところかもしれないんですけど、でもそれ最近ほんとすごく思うんですよね。
たまに心臓の音を聞くんですよね、胸に手を当てて。
もし今できる方いたら、手首でもいいですけどね。
これ、動いてる心臓?ちょっと待ってね。
胸に手を当ててもね。心臓ってどこになりましたっけ?ちょっと待ってね。
あれ?手首はね。
あ、見分かる見分かる。手首が動いてるってことは大丈夫だね。たぶん動いてる。
たぶんこれ肋骨の、難しいね。たぶん肋骨があるからわかりにくいんだろうね、押さえてもね。
あれ、最近あれかな、筋トレしてるから大胸筋で。
これ、わからなくなってるのかな。
なんだこれ。何を聞かされてんねんって感じだよね。
ほんとにね、すいません。
あれ子さんもめっちゃ爆笑してます。
収録中で声出しちゃいけないって思いながら、こういう笑い声が出ちゃってる。
何の話だったっけ。あ、そうそう、脈がね。
そうそう、たまにこう聞かれん。手首もなくなっちゃった。
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あるあるある。ちょっと早くなってるよ今。
で、なんかね、これをたまにゆっくりね、感じる瞬間があるんですよ。
アップルウォッチとかでもあるじゃん。アップルウォッチポチッとしたら、計測中でハートがピコピコって。
これがさ、もうダメだ。終わろうか。
いやほんとね、今日も生きられてることに感謝です。
あなたも私も、そんな話で来年のね、今日もこういうふうに笑えるように一緒に頑張っていきましょう、ゆったりとね。
はい、ということで今日も生きられてありがとうございました。
今日昼から池谷さんとスペース12時から一緒にします。
あと、今日ね、たまたま島にとあるベンチャー企業を創業して出家されたっていう方がいらっしゃるんですけど、
その方がなんかね、お話し会に来られるということで、ちょっとね、あれ子さんと行っていきたいと思います。
はい、ということで、夜ご飯はなんか食べよっかな、わかんない、どうしようかなって感じですけど、
そんな誕生日を1日過ごしたいと思います。
今日も聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間をお過ごしください。
バイバーイ。