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おはようございます、しゅうへいです。瀬戸内海の人工五線林の島に住みながら、フリーランスの学校とリブライカキャットという事業を運営しております。
はい、ということで、土日は連続してですね、香川県高松でセミナーで、昨日一個ね、マーケティングのセミナーが終わったので、今日は
ゼロからのフリーランス講座ということで、僕がメインで話す講座で、もう全国で90箇所ぐらい回ってきたんですけど、1年ぶりに再開ということで
頑張って2時間少々かな、話していきたいと思います。今日参加される方ね、ありがとうございます。会えるのを楽しみにしております。
一応ね、まだ1時前までだったら間に合うと思うので、もし香川県高松市行けるって方いたらね、今日リンクつけときますので、よかったら覗いてみてください。
で、この他の日程とかもね、多分出てる時もあると思うので、スケジュールが分かるね、スケジュールリンクもつけときたいと思います。
また全国でちょこちょこやっていきますので、主催者の方も随時募集中でございますので、よかったら、主催この街でできるよっていうのがあったらね、
僕のDMとか、あとはボイシースタイフのコメントとか、あとはね、フリーランスとか、この公式メールアドレスがありますので、そちらにね、今日も記載しておきますので、概要欄に送っていただけると嬉しいです。
はい、というような話で、今日は何の話かというと、まったりと仏教の話をしたいと思います。
無我とか空とかあるじゃないですか、で、チャットGPTにね、無我と空について分かりやすくって出たら分かりやすかったです。
無我っていうのは、自分というものが本当は存在しないという考え方ですと、例えば自分の体はいろんな細胞が集まってできてます。
それぞれの細胞は自分とは言えません。同じように心もいろんな思いや感情が集まってます。
それらを全部合わせて自分と呼んでるだけだけど、この中に本当の自分はないんですと。
レゴのブロックで作ったロボットを思い出してみてください。ロボットはたくさんのブロックが組み合わさってできてます。
ブロック一つ一つはロボットじゃないし、ロボット全体を自分と呼べるものはどこにもないですよね。
ロボットを自分とは思わないです。ロボットってあるけど、レゴで作るとそれ一つ一つはレゴのブロックだよね。
でもロボットみたいな形をしているみたいなところでしょうか。
空に関しては、お花を思い出してみてください。
お花は水や土、太陽の光がないと育ちません。
つまりお花一つをとってもそれだけで存在しているわけではなくて、周りの環境とつながっているんです。
こういった無我と空の説明があります。
言われてみたらそうだし、特にしんどい時っていうのは心が疲れたりとか、
自分ってなんで生きてるんだろうとかって、少し前にハイデガー哲学の話をしましたけど、そういう瞬間ってどうしてもありますよね。
無我と空大事なんだけど、ふと思ったんですよ。
じゃあなんでこんな大事なことを忘れちゃうのかってことです。
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僕も結構仏教の本、定期的に読むようにしてるし好きなんですよ。
自分自身も借金からフリーランスになってブログやって、本出したり会社したり、
フリーランサー学校、リブライカキャット授業やったりしてます。
だけどその中でも、自分がもっとすごい人だったらとか、もっとできたらとか、
なんで自分はこんなに実力がないんだとか、ダメなんだとかって思ってしまう瞬間ってやっぱあるんですよ。
で、そういう瞬間にハッとね、無我とか空を思い出すんです。
いやちょっと待ってよと、固定の自分なんてないよなと。
家族の習兵っていうイメージもあれば、コンビニ店員が思った、コーヒー買いに来た兄ちゃんみたいなイメージもあれば、
わからない、セミナーに参加してくれてる人が僕を講師の習兵だと思ってくる人もいるし、
ボイシーのリスナーさん、スタイフ・ポッドキャストのリスナー参加した時に配信したの習兵だってイメージもあるし、
固定の自分はない。文人主義とかってありますよね。文人思想みたいな。
要するに自分の中にいろんな、田中さんだったら、部長としての田中さん、お父さんとしての田中さんみたいな、
円グラフで言うと、いろんな円の中にいろんな数値があるみたいな感じで、分かれてると。
そういうのは無我なわけですよ。だから固定の自分はない。
かっこたる自分、これっていう自分はなくて、その時変わってしまうし、生物学的に見ても3ヶ月とか半年、1年すると自分はまるごと細胞ごと入れ替わってしまうので、
髪の毛もだいたい確か3ヶ月だったっけ、それぐらいですよね。全部生え変わってしまう。
1日100本ぐらい生えてて、1日100本ぐらい抜けてるっていうことらしいです。この前美容室で聞きましたけど。
どんどんどんどん僕ら変わっているはずです。頭ですら、体ですら、心ですら。
なのになぜか他人の評価とか、自分の人生を考えた時に、なんでこんなんなんだろう、なんで自分はダメなんだろうとか。
ちょっと待って、その自分ってなんだってことなんですよ。
なんで落ち込んでるの?いや、会社でミスしてなんとかさん部長が自分のことをできない奴だって思ってると思うんですよ。
でも、その部長から見たあなた、できない奴だって思ってるかもしれない、その人は、部長はね、もしかしたら。
仮にそれが本当だったとしても、部長から見たできないあなたという見方で、世の中の70億人があなたのことを見てるはずがないですよね。
そもそも70億人にあなたが認知されてるなんてないわけじゃないですか。
ってことは、できないあなたっていうのは、部長の中ではもしかしたら成り立ってるかもしれないけど、
会社を辞めたりとか、仮に部長が変わったりとかしたら、そのあなたっていうものは、存在してるようだけど、存在してないような気がしますよね。
そして、それを引きずる必要はないわけですよ。
なんだけど、なんでこれを忘れちゃうのかってことです。
要するに、僕もね、いろいろ考えて悩んだりするんだけど、結局無我と空に落ち着くんですよ。
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あ、そうだった、自分ってかっこたるもんないんだった、でもなんでこれを忘れちゃうのかってこと。
で、そっちの原因を突き詰めた方がいい気がしたんですよね。
で、それ何かって思ったんですけど、シンプルに自分が死なないと思ってるからかなって思ったんですよ。
ずっと生き続ける前提で生きているから、多分無我とか空を忘れてしまうなのかなって思ったんです。
シンプルですよね。ずっと生きる前提になってるから、もっと言うと死なないと思ってるから。
もっと言うと、今日も明日も明後日も生きると思ってるから。
でもそんな保証はないわけですよ。確率的には僕はたぶん明日生きてると思うけど、高確率でね。
でも死んでる可能性ももちろんあるわけです。
でもその死んでる可能性っていうものをどっかで忘れてしまってる。
だからもっと言うと、なんで死んでしまうかもしれないっていうことを、必ず人は死ぬっていうことを忘れてしまうのかってことですよね。
これも哲学的な、もしかしたら問いかもしれない。正解みたいなのはないかもしれないけど。
だからある意味、死を意識する。1日のタイミングで。
僕最近、なるべく瞑想とか座禅とかを寝る前に少ししてるんですけど、その時に呼吸瞑想をしてるんですよね。
最初に5分だけ。呼吸だけに集中して、鼻先の呼吸が出ていって、吐いていって、それだけに集中するんだけど。
他のことを考えるわけですよ。
こんなになんで思考が湧いてくるんだろうと思いながら、不思議だなって考えようとも思ってないのに勝手に湧いてくるんだよね。
生きてる証拠なんだろうと思うけど。
その時に、たまに思うっていうか、思うっていうような感じるというか感覚的なものがあって、それは何かというと、
いやでもこれ、今心臓動いてるけど急に止まる可能性あるよなって思うんですよね。
で、次目開けた瞬間に、本当にちゃんと目が見える可能性がどれぐらいあるんだろう、見えなくなる可能性もあるよな。
呼吸も、自分が吸って、吐いてってやってるけど、これ自分がコントロールしてんのかな本当にって思うわけですよ。
吸うけどさ、じゃあCO2とO2を交換しましょうみたいな、ヘモグロビンがO2、酸素を運んでくれて、
細胞がゴミを出してCO2また上脈から戻ってくるみたいな、何のコントロールもしてないよなって思うわけですよ。
だから、呼吸瞑想してると、入ってきた酸素を、自分の内側には森林みたいな場所があって、自然ですよね。
森林がO2とCO2を交換してくれるじゃないですか、夜の間に。
夜の間だったっけ、高校生だったっけ、昼だっけ、ちょっと忘れてたけど、森林はそういうふうに交換してくれてますよね。
マイナスイオンみたいなイメージ。そういう世界が自分の内側にも広がっているんだなっていう感覚を持つときがあるんですよね。
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何て言うの、自分が呼吸してるんだけども、吸うぐらいは自分の意識かもしれないけど、そっから先は心臓を動かすとか、
この自分の首から下みたいなのが自然で、その自然の生態系みたいなのが何かうまいことやって、また吐き出してくれてるみたいな。
だから一瞬怖さを感じるんですよ。確かに今んとこは正常に動いてるけど、吸って吐いていってこれいつまでちゃんとやってくれるのかなって思うんですよね。
思考の方はまだ自分がコントロールしてる気がするじゃないですか。本当はそうじゃないんだけど。
今日の話の結論としては、なんでムガとかクーとか忘れて僕ら苦しくなってしまうんだろうっていう、それは死なないと思ってるから。
死を意識しないからっていうこと。それを思い出すためにちょっと寝るときに僕はやってみようと思ったのが、
呼吸瞑想してるときに、自分が生きてる、自分で生きているって感覚あるけど、いつ息の根を止められてもおかしくない状況にあるんだなって。
だって何にすれば僕らはコントロールしてる感覚ないじゃないですか。酸素の交換とか。分かんない。心臓どうやって動かしてるのか分かんないですよ。
手だって動くけど、でもこれ本当に自分がうまく動かしてるのかなとか、なんでこの指を動かそうと思ったらこの指が動くんだろうとか。
なんら僕らは自分で完全にコントロールできてないって感覚になるので、もし僕と同じようなことを考えてっていうか、思った方とか、ハッとした方がよかったら一緒にやってみませんか。
そうそうそう。夜寝る前にね、呼吸瞑想でも。何でもいいですよ。寝る前に寝ながら吸って吐いて、これどうやって交換してるのかな。交換されなくなることあるかもな。
口の内側にはすごい自然みたいなのが広がってて、それがちゃんと自然が保たれてるっていうのはすごいありがたいことなんだなって。
っていうふうなことを一日一回思い出してると、無我とか空とかもそばに置けるんじゃないかなって思う。
そこがそばに置けるからこそ、かっこだる自分みたいな、固定した自分がなくて、自分が何かミスした時も、そんなずっと覚えてる人なんかいないし、
副業とかフリーランスもさ、勇気がいるじゃん。始めようと思った時。でも誰も見てないんですよ。
僕何かやった時、失敗して誰かがずっと覚えてるって気がしたけど、みんな自分の人生で精一杯。
それよりも自分がここに今存在しているってこと?それのすごい縁起だよね。縁起っていうかその空だよね。
いろんなものがないと生きられない。この内側のシステムもないといけないし、外側のシステムもないといけないし。
メンタルっていうものが良好じゃないと何かしようと思ったら難しいし、そう考えたらいろんな状況がベストで今揃っている。
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しかもその健康でいられる期間ってさ、例えば10代、20代、30代、40代、50代とか、その時その時したいことがあるけど、移ろい変わっていきますよね。
って考えたら今ちょうどこのタイミングでAIだったりWeb3とか分かんないよ。
何でもいいです。本能を読むとか、ランニングするとか、自分がハマりたいものハンドメイドでもいいし、農業でもいいし。
それが今ちょうど自分がやりたいと思って、そしてそれができる状況にあるっていうことは、ものすごくいろんな確率とか計算するともう本当にあれですよ。
よく言うじゃん、人と人が出会う確率は時計をすべて分解して、ロレックスとか分かんない、全部分解して、シティズンでもいいけど全部分解して、それを25mプールの中に投げ入れて、
その分解された一つ一つの部品が水の力と流れだけによって勝手に元の時計に汲み上がるぐらいの確率だとかって言うけど、
そんなことあるのかあったかも思うけどね。なかなかねえだろうと思うけど、全部沈んじゃうよ、下にって思いながらね。
それがゆらゆら揺らぎながら元に戻る、そんなことねえよと思うけど、そんなことねえぐらいの確率で今僕らはここに存在してるってことですよね。
それを思い出すと自然と無我とか空とかっていうところにも触れやすくなるし、そうなると必要以上に自分の存在とかで苦しまなくていいのかなと思います。
ああ、いつか消えてしまうんだ。だから、だったら自分のやりたいことやろうとか、嫌だと思うことは断ってもいいかもしれないとか。
そういう変化を生み出しやすくなるかもしれない。意外と嫌だなと思ってたことも断ったりとかするじゃん。
本当は断るまで結構時間かかるんだけど、それが嫌ですとか、今後続けられませんってバーンって言っちゃったら意外と楽だったりする。
なんで早く言わなかったんだろうとか、仕事辞めるときもそうじゃん。僕も辞めるまですっごい時間かかったけど、辞めてみたらこんなもんかと思ったし。
うーん、なんだ生きられるじゃんフリーランスでと思ったので、そんな話を今日はフリーランス学校のゼロからのフリーランス講座でみっちり2時間くらい皆さんにお伝えできたらシェアできたらいいかなというふうに思います。
はい、ということでそんな話でございました。今日お会いできる方楽しみに待ってます。
スケジュールとかまた更新され始めたら今日つけてるリンクでまた見れると思うのでよかったら覗いてみてください。
今日も聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間を過ごしてください。バイバーイ。