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おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内海の島から毎日ルークお届けしております。
はい、ということで今日はですね、インスタで怒られた話をしたいと思います。
あの、まあ何本かリール上げたりとかしてて、で、中にはね、300万再生とかいったものもあって、あの、結構バズったなとか、それから5000人ぐらいフォローが増えたりとかして、
ああ、こういうものがリールでバズったりするんだなーとかっていう、こう、まあ知見を得たりしてるんですけど、まあその中でも、まあ300万まではいかないものの、まあじわじわ伸びてる動画があって、で、それ何かというと、
まあ朝起きれないので、まあ会社辞めてみましたっていうね、動画なんですよ。うん。で、多分これは認知的不協和があって、で、それでこう長く見てくれた人が多かったので、まあ結果的に
再生回数が回ってるのかなというふうにも思うし、一方で結構そのコメントに対してですね、あ、コメントじゃない、えっとリールに対して、
思いのほかね、あの、ある、とある種類のコメントが多かったんですよ。
とある種類のコメントで、何かというと、その、俺は朝起きてるぞ、とか、私は朝起きてこんなに大変なことをやってるのに、
社会を舐めてるだろう、ってね。うん、結構コメント欄で、あの怒られてます。
で、 まあ本当に別に今更それを見てさ、分かりました、なるべく朝起きるようにしますとか、別に思わないんだけど、まあちょっと1月はね、あのなるべく午前中から活動するっていうふうに、
まあ目標を定めてやってますけど、ちょっとここまた1週間ぐらいね、ちょっと昼までね、あの寝てしまうみたいなことが続いてるんですよ。
で、 あの、
とある50代のおっさん、自分でも言ってますけど、その方のコメントを読む、読むとね、もう一個のコメントじゃないですよ、この人もうね、1,2,3,4,5,6,7、同じリールに7回コメントしてるんですよね。
相当溜まってたんだろうなと思います。で、まあなんか、お前バカなの?朝起きて会社に行くなんて、生きていく以上当たり前のことやろ。
朝早くから行っても6時とか、まあちょっと切れちゃったよここね。あとは、まあ読んでみてください。これあの僕のインスタのアカウント行って、あの朝起きないのに仕事辞めてみましたって、僕は寝てるリールです。
あの多分上の方にあります。朝早くから起きて帰りは8時ぐらいだよ。これって当たり前だよね。
世の中舐めすぎ。これ同じ人ですよ。起きないと仕事がない、収入がない、クビになると思ったら1時でも起きるよ。
ちなみに俺50代のおっさんだけど、人生必死に生きてるよ。親御さんだっていつまでもいないよ。頼れるのは自分自身のみ。
俺、500万も借金あったら死に物狂いで働くけどね。
あ、あるわけじゃないね。 あのあるわけではない。まあもちろんね、別にこの人が一生懸命生きてないなんてことは思いもしないし、
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人の投稿にこんなに7個もコメントくれてね、わざわざありがとうございますとか思いながら、これによってまた再生数が伸びたりしますから、
ありがたいなとも思うんだけど、別に僕の暮らしに対してこの人はどう思うが別にどっちでもいいじゃん。
僕の暮らしだからね。なんだけど、これすごいなんかこう、
なんだろう、しさ的というか、そういうことなんだろうなと思ったのが、
まあやっぱりこう、必死に生きる人は偉い。頑張ってる人は偉い。
っていう考え方が、すごい世の中にまだまだ多いんだろうと思うんですよ。
僕なんかその、必死に生きてる人が偉い、頑張ってる人が偉いって全く思わないんですよね。
それはなんか、その人たちはバカにしたいとかそういうことじゃなくて、そんな、だって必死に生きるとか頑張って生きるなんて、その人の、なんだろう、
何だろう、こう状況によって変わるじゃないですか。何を頑張る。自分にとってその120%の負荷をかけてるとかってね、そういう風に考えたらいいけど、
多分この人にとって必死に生きるっていうことは、朝早くから起きて、その生きたくもない仕事に行っていると。だって生活できなくなるから。
その人にとっては必死だと。僕にとっては、その人から見た僕の暮らしは、昼まで寝ていて必死に生きてない。
それは多分正解だと思うんですよ。確かにその人の世界からしたら、僕は多分必死に生きてないと思う。
そう、じゃあ僕自身、今、自分で振り返ってみた時に必死に生きてるかというと、
あんまり必死に生きてないです。必死に生きないようにしていると言ってもいいかもしれない。
それは僕にとっての思想というか哲学というか、心情みたいなものなんですよね。
なんか頑張りすぎることが、なんかすごくいいものだって思われるけど、僕はやっぱそうではないし、
とにかく自分を追い込んでいくことが人生にとって美学なんだみたいな、
そういうものを僕は次の世代に残したくないなってやっぱり思うんですよね。
それがまさに猫のように生きるっていう、今コミュニティみんなでちょっとずつ育てている
ブランドだったりプロジェクトだったり、コミュニティにもつながっていると。
あと、LLCのなんか、最近情報がなかったので心配されている方もね、ボイシーでコメントいただいてましたけども、ありがとうございます。
ちょっとね、最近そのポップアップとかできてないので、心配になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、僕自身も結構ずっと考えてます。
どういうふうにしたらいいかなとか、どうやったらいいかなとか結構考えてて、
それ1月30日に猫主総会議っていうのをね、ディスコードでやりますので、ゆるっとみんなで集まって、
なんかワイワイしたりとか、こんなことできるかもねって話すので、
よかったら、今まで2年3年ぐらい運営してきましたけど、またもう1回ここからさらに猫のように生きるっていうのを再定義しながらね、やっていく。
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結構ね、本当コンセプトが深いというか、難しいんですよ。
僕自身もまだまだ全然よくわかってないから、ちょっとずつね、やってますのでよかったらゆっくりまったり楽しんでいただいたらいいかなと思うし、
実際その猫のように生きるっていう思想を広げていく側にね、よかったら是非、どんどん入ってきてくれると嬉しいなと思います。
だからそうなんだよね。僕は次の世代にやっぱそういう生き方みたいなものだけを残すのは微妙だなと思うので、
別に頑張らなくても生きていけるし、だって実際そうじゃないですか。
僕ら今お米作ってないじゃん。ほとんど方野菜作ってないでしょ。石油を例えば中東まで行って、単価船で運んできてますか。
そういう仕事に就いてる方もいらっしゃるかもしれないけど、これだけ資本主義が発達した世界で、全部自分でやってるって方はね、いらっしゃらないと思うんですよ。
そう考えた時に、昔の100年前200年前の生き方と今の生き方比べたら、まあ比べたら、僕らは必死に生きてないと思うよ。
余暇の時間もあるし、旅行だった。旅行なんて行けなかったからね、昔の人はね。
自分の田畑を守らないといけないし、歩いてたら辻切りに会うかもしれないとか、そんな世界を生きてたわけで、まあ極論かもしれないけど、
世の中ってのは確実に良くなってると。そうした時に、
僕の考え方ね、同じ問題に対してずっと同じ解決策を当ててるのは、僕は必死に生きてるとはね、決して思えないんですよ。
これがちょっとあの強い意見だと思います。要するに、例えばこの方、
仕事が嫌で朝起きて必死に働きに行ってる。それも素晴らしいですよ、もちろん。
それを、でも嫌々やってるのであれば、僕は必死ではないかなと思います。
本来であれば本当に必死さ、何を元に必死と定義するかってあれだけど、僕は同じ問題、同じことがずっと起こってるのに、それに対して同じ解決策しか考えずに、それをやり続けているのは必死ではないかなっていうふうに思います。
これは別に、僕の勝手な個人の意見だから、向こうが僕の暮らしに対して言ってきたから、僕もある意味ここで反撃しますけど、別に必死じゃなくないと思います。
何でかっていうと、それ以外の解決策を探したらいいじゃん。作っていったらいいじゃないですか。
だって自分の暮らしに対して不満があるんでしょ。それとは違う僕の暮らしに対して、リールで、要するにコメントで鬱憤を晴らしにきてるわけじゃないですか。
そこまでしないと自分の暮らしを守れないというか、認められないというか、多分、認知的不協和だったんですよ。
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自分はこんだけ朝起きて必死に働いてるのに、こいつは昼間に寝てゆったりと猫のように来てると、そんなはずがあっていいわけがない。
しかも、こっちは借金があったりとか、欲打つからスタートしてる。そんなはずがあっていいわけがないっていう、多分、認知的不協和のまさに最たる例みたいなものになってると思うんですけど。
そういったらおかしいです。その時間あったら、自分の人生にもっと向き合って、それを朝もう1時間ゆっくり寝れるようにするにはどうしたらいいかとか。
50代と言ってますけど、全然50代は若いですよ。まだまだ健康寿命も伸びてますし。
だから、もちろん僕も1対1で戦おうとは思わないし、勝ち負けとかってことではないと思う。でもこれはすごく示唆的だと思うんですよね。
こんな綺麗な例にはならないかもしれないけど、ひるがえって自分自身の今の生き方とか働き方を見たときに、僕は同じような構造がそこには隠れてるんじゃないかなと思うんですよね。
頑張ってる。私は頑張ってる。僕も頑張ってる。頑張って生きてる。
だけど、もし同じ課題に対して同じ解決策しか当ててないのであれば、本当にそれは必死に頑張って生きていると言えるのだろうかってことですよ。
やっぱり僕はアップデートするべきだと思うし、より良い方法とか、より楽な方法があるんだったらそっちを選ぶべきだと思うんですよね。
人類はそうしてきたわけじゃないですか。
狩猟採集よりも濃厚の方が良かったよね。
だからデジタルというか、わざわざ物を、手紙を届けるよりもメールの方がいいよねとか、テキストばっかり見るんじゃなくて動画の方がいいよねっていう風にどんどん時代っていうのは、より良い方に変わっていってるわけでしょ。
だから、例えばよくアフリカで水を10キロ離れた川から取って村に運ぶみたいなのがありますけど、それを一生懸命毎日10キロの水を、例えば5キロ歩いて行って帰って選択してやってますと。
そうなると学習時間も短くなるし、生活の時間も短くなるし、もちろん健康にはいいかもしれないけど。
じゃあそれをもう一方の人がいて、水道管を引こうとしてますと。
ここらあたりはそんな水道管なんか引いたこともないし、井戸も掘ったことがない。
だからみんな歩いて取りに行ってんだっていうのを、じゃあ水道管とか井戸とか掘りましょうよっていう風に言うのは、僕はどっちが必死なのかってことなんですよね。
個人で見たときには、確かに水を取りに行ってる側の方が必死なような気がする、感情移入もあるかもしれない。
でも長い目で見たときに、次の子供たちとか、その次の子供たちとか、その次の村の状態、10年後20年後村の状態って考えて、本当に考えたら、必死に考えたら、
僕はそれは、井戸とか水道とか衛生的な部分を整える、インフラを整えていく方が必死だと思うんですよね。
だから、もちろんこの意見に対しては反対意見もあると思います。
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だけど、これ誰かが結構言わないといけないことだと思うんですよ。
だから頑張ってるから否定できないみたいなのってあるじゃないですか。
でも確かに頑張りはいいんだよ。頑張りは頑張りでいいんだけど、こっちの方が楽じゃないですか。
それはなんか空気を読んでないような気がして、あれだけど、僕は全体で見たときに、人類とかで見たときにはそうした方がいいと思うし、
そのまさにこの方の、一生懸命働いてるんだ俺は、お前も朝起きて働けよみたいな。
それって違くないってことなんですよね。
僕は違うと思う。
本当に必死に生きてて、目の前のことに充実感を覚えているのであれば、僕はその他人のことなんか気にならないだろうし。
それよりも、周りのこととか次の世代のこととかを考える。
自分のことだけで一生懸命ですってのも必死かもしれないけど、
もうちょっと広げて、自分というこの枠を広げていって、私たちという枠を。
そうしたときに、より良くなるのはどうしたらいいんだろうか。
自分が本当にぱつぱつで働いて時間がなくて、大変だ大変だって文句を言いながらやることが、結果周りの人にとっていいことなのかなっていうのはやっぱり考えるべきですよね。
そこにはちゃんとメスを入れていかないといけないと思う。
でもこれって難しいんですよ。
自分のことだけでも結構難しいのに、
その周りのことまで考えていく、自分の主語を大きくしていくって非常に難しい。
だからこそ与えられた時間で、そこに対して僕らは考えて思考して、仮説を立ててやっていくっていう。
僕はそれがフリーランスの学校をやってる理由だし、今度セミナーにも回ります。
全国行くし、チケットとかスケジュールリンクちょっと付けておきますけど、
エレレーシー、リブライカーキャット、猫のように生きるっていう思想を広げてることにもつながってます。
難しいです。そんなやりたくない。
ゆっくりしてたい。ゆっくりはしてるんだけど、でもゆっくりしててもやっぱ気になっちゃうんだよね。
暇で退屈でっていうか時間があって、でもちょっと待てよ、みんなが猫のように生きるにはどうしたらいいかって考えた方がいいなって思うし、
ちっちゃく実験していった方がいいなって思う。それはやっぱ自分自身の体験がベースになってます。
目の前の仕事とか朝起きれないとか、そういったことで自分はできない、ダメだ、ダメ人間なんだって思って、
やっぱふさぎ込んでた時期があるから、そうじゃないよって別に昼に起きたって豊かな人生というかさ、
楽しい人生できるし、これでいいんだって思える人生を生きられるし。
でも同じようなトラップ、落とし穴にさ、次の子供たちとか次の世代がまたはまるんですよ。
ポコポコポコと落ちていくんです。その穴を塞いだ方が良くない。その穴を塞ぎたくて、
フリーランス学校とかリブライカキャット猫のように生きるってことをずっと考えてるというかやってるというかね。
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今フリーランス学校プロフリーっていうものをやっていて、すごいプロフリーランスのニンテク講座参加されてる方レベルが高くてですね、びっくりしてます。
すごい。課題も毎回毎回面白いし難しい課題が出ていて、それに一生懸命みんな取り組んでて、素晴らしいなと思う。
このレベルの環境が100人単位でいて、この方々がほぼ約1年後ぐらいに市場というかそういった仕事場に出ていった時に胸張って僕は仕事できると思います。
この学びのレベルをこの1年間キープできていったら。僕はその人たちは必死に生きてるって思うよ。
だってやらなくていいことをわざわざやってるわけでしょ。
みんな目の前の生活費稼いでとりあえず税金払って飯食ってたら、とりあえず生きていける。
そこから時間が空いたらYouTube見てダラダラして寝てていいわけ。お酒飲んで。
でもそうじゃなくてプロフリーランスニンテク講座っていうものに時間を使ってるわけですよ。
必死に生きてるなって僕は個人では思います。
全体で見た時に人類というかどう生きるかって全体で見た時には僕はその方が必死な気がしますね。
だから僕はその思想とか心情みたいなのを広めていきたい。
違う人もいらっしゃるでしょ。このコメントくれた方とかも違うと思う。
そんなのはそうじゃないとかっていうかもしれないけど、だから何?僕はこれを広げていきたい。
あなたのその生き方を貫いていったらいいんじゃないでしょうかっていう感じですかね。
でも僕はどこかではこういう人たちにも猫のように生きるとか、
自分をアップデートしていくっていうような選択肢がファッと舞い降りるようにはしていきたいなと思います。
それは何かの演技かもしれないし、時代が変わることかもしれないしね。
その人の本人の変化かもしれないし。
っていう話です。だから何が正解かってわけではないんだけど、
今日はなかなかないですけど、インスタから来たコメントについてしっかりと考えて答えてみました。
というわけで、今日も聞いていただいてありがとうございます。
セミナーのチケット、スケジュールとかリンクつけておきますので、チャプターリンク概要欄を覗いてみてください。
今日も聞いていただいてありがとうございます。この後も心地いい時間お過ごしください。バイバイ。