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街を見守り続けて50年!シティ情報ふくおか:創刊時の記憶
2026-09-28 10:54

街を見守り続けて50年!シティ情報ふくおか:創刊時の記憶

株式会社シティ情報ふくおか 編集部 編集長

河野真之(かわの・しんじ)さん

企画部 統括プロデューサー

梯修二(かけはし・しゅうじ)さん

いま旬の話題にクローズアップ!当事者や専門家にインタビューし、ニュースの深層に迫ります。
※RKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で放送したものです。

田畑竜介 Groooooow Up

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日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。福岡のグルメやトレンド、イベント情報などを発信し続けているタウン情報誌
シティ情報ふくおかが今年創刊50年を迎えました。 そこで今週は、街を見守り続けて50年
シティ情報ふくおかというテーマでお送りします。 今日は創刊当時の記憶です。
株式会社シティ情報ふくおか編集部編集長河野慎二さん、そして企画部統括プロデューサー掛橋修司さんです。
まずは創刊から50年おめでとうございます。 ありがとうございます。
まず河野さんは50周年を迎えてどんな心境ですか? 僕はまだ入社してまだ20年も経ってないぐらいなんですけども
やっぱり過去やってこられてきた先輩たちの50年の歩みっていうところと、僕もこれまで仕事する中で
街の人たちからやっぱりシティ情報ふくおかっていうふうに言っていただけるとすごい喜んでいただけることが多いので
そういうありがたさっていうところをすごく感じているところでございます。 掛橋さんはいかがですか?
私は38年になりますけれども、本当にやっぱり街の人たちと会話して育ててもらったかなという感じがします。
本当に人を大事に、人と優しいコミュニケーションということを大事に考えてずっとやってきました。
それが50年続いた一つの理由かなと思っています。
今シティ情報ふくおかのホームページでは過去50年分の当時の紙面などをネット上で見ることができるようになってますけど
お二人がそれぞれ改めて創刊当時の紙面を見てどういうふうなお気持ちになりましたか? まず河原さんどうですか?
創刊当時っていうと、まあ表紙こそカラーなんですけども、やっぱり中身がモノクロであったりとか
あとはその映画の情報とかも入ってるんですけども、やっぱり全然見たことがない情報だったりするので、そこがやっぱり新鮮だなっていうところと
あとは記事を読んでいても読者参加型ということで創刊当時されてたんですけども、なんか広告とは違うフラットな関係性が3者あるなというふうに思いました。
河原さんいかがですか? 私は創刊12年後ぐらいに入社したんですけども
一言で言うとワイワイガヤガヤの中で脱紙作りをしたと、そこのある意味サークルみたいな感じで
みんないて仲良く楽しくやってたなあっていうのを思い出されて、今はやっぱりそのどうしてもやりとりがメディアがいろいろあって
発信も受けもいろんな他紙にも当たりますけども、その当時は何もないある意味ないので、やっぱり人と人との話を非常に大事にしてやってきたかなと。
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でも基本的にはそこは変わらず、やっぱり今までの歴史と伝統はそこに培っているものだったと思っているので、それを基本にやってますという感じです。
当時の紙面を見ると手書きの部分もあって、僕はびっくりしたんですけど、なんかそこから書いた人が見えてくるというか、
当時の人の気持ちとか勢い、熱量、そういったものがすごくビシバシ伝わってくるような、なんかそんな紙面だったんですけど、当時そんな雰囲気だったんですかね?
もちろん、書くのは手書きの鉛筆で書くということと、カメラも自分で実際にして、当時はフィルムという
そういう原造書に出すという作業があって、本当に今みたいにスムーズにいくことではなくて、一個一個がしっかり自分でやらないとミスも多かったというところで、
アナログのところからスタートしてやってきたので、非常に懐かしくもあり、今の凄さもちょっと感じたりします。
よく言われたのは、読者目線というか、プロが作っているという感覚ではなくて、
自分がどうしたいのかとか、読者はどう考えるかをしっかり考えて組み立てなさいというのがよく言われていました。
そして、その読者も参加型というか、掲示板のようなところで、読者が読んでくれた人に対して投稿した人が出会えるような、そういう場にもなっていたんですかね?
そうですね。編集部はちょっとオープン的な感じで、読者が気軽に入れるというか、来てコミュニケーションを取ったりとか、
読者が例えばそのままアシスタントになったりとかしていました。
僕は紙面を通じての出会いの場になっているのかなと思ったんですが、本当に来ていたんですか?
来ていました。
職場に。なんで職場に読者が来たんですか?
これは創刊当時の話を聞くと、シティ情報福岡の創刊当時は、とりあえずこういう本を作るからと言って、
昔はネットとかないので、それを知り合いとかに言って、学生とかに言ったら、その学生がどんどん広めてくれて、
じゃあ、こういうの面白いから手伝いに行こうと言って、みんなボランティアみたいな形でやっていたと聞きます。
例えばですね、自分はイラストを描いたりとか漫画を描いた人が好きだと、その一人が植山敏さんだったんですよ。
確かにすみません。
クッキングパパ?すごいですね。
でも何か参加したくなる熱量というか、熱の源みたいなものがこのシティ情報福岡には当時あったってことですかね?
そうですね。
柿安さんもこのシティ情報福岡に関わるということが決まったときは、やっぱり嬉しかったんでしょう?
その当時はですね、大人気企業で、みんながうらやましがるというか、リスペクトがすごくて、
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入れると聞いた瞬間に飛び上がって喜んだという。
創刊号の記事を拝見しまして、1976年の10月号を見たんですけど、当時100円。
ヤングの直撃インタビュー。言葉の使い方も当時ならではだなって思うんですが、
岩田屋新刊は本当に新しいのかっていうのを書いてて、そして街頭カメラレポ、街行く人のファッションチェック。
ここに乗ると、読者の方々もやっぱりちょっと鼻が高くなったりとかしたんですかね、当時ね。
そして学園新聞っていうのもあって、当時は周遊館の情報を掲載してましたけど、
こういう身近な記事を載せることによって、自分に関わりがあるんだっていうことで、
人を巻き込むような、やっぱりそういうふうに至ったんですね。
創刊号をご覧になって、竹谷さんはどんな印象ですか。
シティ情報復興からの最初のスタートなので、涙が出るぐらい感動するというか、そこに凝縮されている。
要は初代編集長の方と、その仲間たちが本当に世に出すっていうところ、これが始まりなんだなっていう考えさがでしかないですかね。
河野さんは第一先輩たちが手がけたその創刊号の記事っていうのはどういうふうな印象を持ってご覧になったんですか。
今と比べるとやり方も全然違いますし、今はやっぱりすごいスムーズになってるんですけども、
過去これだけ手書きでこうやったりとかっていうのは、むちゃくちゃ時間がかかって大変だったろうなっていうですね、そういう思いがあります。
街頭カメラルポはですね、何年か前まではラメカメラっていうタイトルに変わってずっと同じようなことをやっててですね、
創刊当時からこういうことをやってたんだっていうのを改めて知るとすごいなっていうふうに感じました。
ファッションであったり、グルメであったり、その街のトレンドっていうものをずっと見つめ続けて、それを継続することによって福岡の歴史がどう変わっていったのか変遷がわかるわけですもんね。
そうですね。
これ創刊直後からシティ情報福岡っていうのは売れたんですか。
そこがどうなんですかね。
いや売れてないと思います。
最初は苦戦したところがあったんですか。
前の本を見ていただいたらわかるんですが広告も結構入っていて、もう本当にノンアポで言って、こういう本を作るからお願いしますって言って最初に入っているクライアント様がすごい支えてもらったというか、本が売れなかったからですね最初は。
パイロット版のような形でこういう雑誌をこれからやっていくんだっていう、まずはスポンサーにも知ってもらう。
そうですね。
で、街の人にも知ってもらうっていう。
何のコネクションもないからですね。
楽しんで何?っていうところから始まってますから。
そういう時代からですよね。
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そんな創刊から50年というシティ情報福岡さんですけども、実際この50年でどんな思い出が残っているのか、そのあたりはまた明日お話を伺いたいと思います。
今日はここまでお二方ありがとうございました。
ありがとうございました。
この時間は株式会社シティ情報福岡編集部編集長の河野慎二さん、そして企画部統括プロデューサーの架橋修司さんに伺いました。
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