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ラジオ100周年!ラジオのこれまでとこれから:戦前のラジオ
2025-06-23 10:54

ラジオ100周年!ラジオのこれまでとこれから:戦前のラジオ

日本ラジオ博物館 館長 岡部匡伸
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日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。今年2025年は日本でラジオ放送がスタートしてちょうど100年なんですね。
1925年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局によって日本初のラジオ放送の歴史が始まりました。
そして、今度の日曜日なんですけども、我々RKB毎日放送もラジオ九州として1951年の会社が設立され、そしてその後放送がスタートしていくということでちょうど74年の締めを迎えるということもありまして
RKBのRって何ですかって言われるんですけど、ラジオ九州ですね。
そこで今週はラジオの特集をやろうということでラジオ100周年ラジオのこれまでとこれからというテーマでお送りします。今日は戦前のラジオについてです。
日本ラジオ博物館館長の岡部忠信さんです。
岡部さんおはようございます。
おはようございます。
まず日本ラジオ博物館というのはどういう施設なんですかね。
長野県松本市にあります小さな博物館なんですが、ラジオの機械を中心にその100年前のラジオが始まった頃からだいたい2006年ちょうどスマホなどが出てくる前ぐらいの時代までを実物の資料で展示している博物館です。
関連するものとしてやはりテレビですとかレコードプレイヤーですとか、また同時代の家電製品というようなものも一部含めて全体のその流れを見ていただけるような博物館になっております。
そういった珍しい機器、懐かしい機器というのは岡部さんが全て集めてこられたんですか。
基本的には個人コレクションがベースになっております。
こちらの博物館の形でスタートしてからは寄贈していただけるものも増えておりますので大変、開館以降充実してきているというところです。
やはり100年というタイミングで企画展なども行っているんですか。
常設展の方はちょうどラジオ放送が始まってからを取り上げているんですが、今回はラジオ100年の記念の企画展ということで、ラジオ放送に至るまでのちょうど5、6年の間の主にアメリカのものが中心になるんですけれども、
アメリカで始まってそこから5年後に日本で放送が始まるというところまでの時代のものを展示するという企画展をやっております。
そんな岡部さんに伺いたいんですが、まず日本のラジオが始まった100年前っていうのはどういう状況で放送がスタートしていったんですかね。
その前に大正12年に関東大震災があったわけですけれども、そこでやはり震災でとにかく警察署も新聞社も電話局も全部潰れてしまったということで、
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情報が全くなくなったところで流言被謗が起きて、大変不幸な事件が起きたということにつながるんですが、
それと同時に震災では津波が来ませんでしたので、港に泊まってた船は無事でしたので、
そこから打電された無線がアメリカに届いてすぐに援助が届いたということにつながったんですね。
ちょうどその情報が途絶する怖さと無線がすぐに情報が伝わるという威力が両方が認識されたということがあったんですね。
当時ラジオ放送はアメリカで数年前に始まってましたので、そういったことを知った人がやろうという話は出てたんですが、
そこでやはりラジオ放送を始めるということを加速する一つの契機にはなったわけですね。
結構なスピードで準備が進みまして、1925年の3月22日に東京で始まって、
6月に大阪、7月に名古屋という形で、その3つの放送局が最初は独立した形で放送を始めたという流れになります。
当初はどういうタイプのラジオで、そしてどんな番組があったんですか。
今と同じように受信料で、当時はラジオだけで使う聴取料だったんですけども、
それで運営するという形は変わっていなかったんですが、その頃のラジオというのは公積ラジオといいまして、
電源を使わないで聞ける非常に簡単なラジオが使われていまして、
感度も低いですし音も小さいので、今でいうヘッドホンですね。
当時は受話器という言葉からレシーバーという言葉を使ったんですけども、
ヘッドホンでしか聞けないような小さいラジオで、
放送局の近くの人ぐらいしか聞こえないようなものがだいたい7割ぐらい。
もちろん地方でも聞きたかった人がたくさんいまして、
そういう人はスピーカーを鳴らせる大きな高感度のラジオを使ったんですが、
こういったものは普通の人の年収ぐらいのものから、
高いものは本当に家が建つぐらいの博来品のものまで、
大変高価でそれの使い方も難しいものだったんですね。
当時の番組は今でも共通しているようなニュースですとか語学講座ですとか、
英語講座であったり料理の番組なんていうのは結構放送が始まってすぐからあったんですけども、
放送が始まった頃の番組の特徴というのは、
朝9時から夕方の4時までほとんど相場の放送だったんですね。
株式市場であったり商品相場であったりとか、
そういったものでほとんど平日は埋められている。
休日は娯楽番組をやるんですけど、
そういった商業情報の専門局みたいな番組構成だったんですね。
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このことが一般のリスナーの方にはあまり評判が良くなかったみたいなんですけども、
そのことが逆に地方でのニーズを満たす部分がありまして、
ラジオってすぐにすごい人気になりまして、
東京ですとその年のうちに10万人を超視者突破してるんですね。
ただそのときに私どもの地元の長野県がどのぐらいだったかと言いますと、
わずか500ぐらいしかなかったんですね。
ただ考えようによっては相当高額な高級なラジオを買って、
本格的なアンテナを立てなければ東京の放送とか大阪の放送聞こえませんので、
それだけのことをして聞いた人が長野県内に500人はいたっていうことですね。
これは当時の序章資料が月1円って決して安いものではないんですけれども、
これだけ払えば東京・大阪・名古屋の相場の放送が
リアルタイムで朝から晩まで入ってくるわけです。
その地方の富裕層ですとか実業家の方などにとってみれば、
大変有効な情報源になったわけですね。
今でいうIT投資ですよね。
そういう側面が都会で公的ラジオでラジオが聞こえた楽しいっていうエンタメ的な要素と、
別にビジネス用のIT投資という側面が実際にあって、
極めて高額なラジオが全国に結構な数売れたっていうことがあります。
ただ徐々に徐々に娯楽なども満たしていくようになったラジオですが、
だんだん戦争の影が忍び寄ってくるとともに、
そのラジオの役割ってものがちょっと様変わりしてしまった背景があるんですよね。
最初は極めてスピーカーから音を出すというのはお金がかかって大変だったんですが、
それが技術開発されて、
家に来ている電気でラジオを動かすことができるようになって、
最初は外国製のものが多かったんですけども国産化されて、
ラジオがどんどん安くなって、
なおかつ電気代ってのはその当時からそんなに高くありませんでしたので、
ランニングボックスも安くなって、どんどん普及してくるんですね。
それがいつ頃ですか?
大体昭和5年ぐらいから交流化というのが始まって、
10年ぐらいまでには結構普及するというところです。
西暦で言いますと1930年代の前半というあたりになるんですけども、
そのぐらいの時代から高度成長に入るぐらいの時代までというのは、
ラジオ1台のお値段が普通の人のだいたい月給ぐらい。
というふうにお考えいただければいいかと思います。
ラジオが普及してくると今のご質問にあったように、
だんだんとそれが情報源として非常に重要な意味を持ってくるということが
わかってきまして、
それを一番有効に使ったのがドイツのヒットラーなわけですけれども、
国策を宣伝するという目的にラジオが使えるということが
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だんだんわかってくる。
そのあたりのお話をさらに明日深く伺っていきたいなと思います。
岡田さん今日はここまでありがとうございました。
ありがとうございました。
ということでラジオの始まりからちょうど戦前に至るまでお話を伺いました。
日本ラジオ博物館館長の岡部忠信さんでした。
バッテン少女隊の春野きいなと
青井リノアです。
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