00:00
日々お伝えしているニュースや話題の中から一つのテーマに絞って、専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。これまでグルアップでは北九州や博多の街を歩きながら、その街に詳しい専門家の方と
話して、それをお届けしてきましたけども、今週は歩けば歴史の音がする久留米ということで、久留米の歴史を
訪ねて私が歩いてきました。今日は、久留米を代表する産業の始まりに大きく関わった2人のお話です。
お相手はこの方です。久留米市市民文化財・文化財保護課埋蔵文化財チームの主査、小澤太郎さんです。
さて、今日は西鉄久留米駅から北東方向、大砲ラーメン本店のすぐ近く、久留米のスポーツセンターなどのすぐ近くといった方がいいかもしれません。
五穀神社という場所にやってきました。五穀といっても国を守るという字ではなく、五穀豊穣を願う五穀、5つの穀物と確保ですね。
ここを今日選んだ理由というのは?
ここは久留米の城下の東の入り口でもあるんですが、銅像、経像が並んでいます。
井上伝さんですね。
伝さん。で、右手は?
田中ひさしげ。
どちらも久留米の歴史において重要な方々ですね。
そうですね。並んでいらっしゃいます。伝さん。
久留米といえば世界的に有名なのは、霞カメリア、椿、辻ですよ。この3つですよ。
そのうちの一番トップにあるというか、有名なのがやっぱり霞ですよね。
その久留米霞を作って発明した方なんですよね。
もともとその当時は紺色の着物なんですよね。
紺色の染め物だけども、使っていくとところどころかすれて白い紺が落ちた部分ができるじゃないですか。
それを見て、これは面白いと思ったらしいですね。
これは落ちていくのを待つんじゃなくて、最初からこういう柄が入ったような織物ができないかというのが最初のきっかけだったみたいですよ。
染めなくていい場所を作ることによってそれを柄にしていくっていう。
まず柄が落ちた着物を全部ほどいて、それで糸がところどころ白くなってるじゃないですか。
そこからそういうことを思いついたみたいです。
染めなければこういう柄ができるんだと。解体から始まったんですよね、発想が。
なかなか面白い。
それを作るんですけど、最初は荒れ織りと言って、白いところがプツプツ紺色の着物の中に入っていると。
でも女性に受けたらしいです、当時の。
やっぱりオシャレに悟いのはやっぱり東西、ここの東西変わりませんよね。
で、ブームになる。ちょっと白いところがあってシャレてるって。
で、今度はデンさんが、じゃあ柄を折れないかと。柄を入れたいと思うと。
本当にいいな、図柄が入ったやつどうしたらいいだろうと思って色試行錯誤してる。
その時に近所に田中久茂、カラクリ義絵門と呼ばれてる少年がいると言うんでお願いに行ったらしいです。
03:03
そういう柄が折れるような機械、装置を作ってくれないかと。
少年はいいですよと。それが2人の出会いだったらしいです。
接点があったんですね。別々の人物として捉えてるんだけど。
そうなんだ、そこで交わるんだ。
田中久茂さんは後々東芝につながる創業者として知られますよね。
カラクリ義絵門というあだ名もありますけど、手先が本当に器用だったんですか?
そうですね。お父さんは別行細工の職人さんなんですよ。
お弟子さんは常に描いてますから、お父さんの日頃の背中を見て、手元を見てカラクリの道に入ったんじゃないですかね。
残念ながらその時発明した装置が残ってないんですよ。
えー、もったいない。
柄を掘ったやつを糸に押し当てて染めて、押し当てた部分が染まらないようにしてたっていうぐらいじゃないかなと。
という推測しかできませんけど。
ただそういうデザイン性にも富んだクルメカスリってものが生まれてから、世にどんどん広まっていったってことなんですか。
そうですね。やっぱり柄が折れるのならさらにオシャレじゃないですか。
だから相当広まって売れたみたいですね。
井上先生が偉かったのはそうやって発明しただけじゃなくて、今度は教育者。
折り方を特許取って、今みたいに特許取って、誰にも教えないようじゃなくてどんどん教えていくんですよ。
そうするとおぶけさんでも貧乏のおぶけさんとか農家の方で、それを折る技術を身につけることによって現金収入が得られるじゃないですか。
それで生活を少しでもみんな楽にしたいということで、教育家としても活躍されてます。
だから常に2,300人のお弟子さんがいたらしいですよ。
しかも女性の社会進出というか。
そうです。
そういうところで今の時代でも重要とされる分野において早い時から力を入れてらっしゃったんですね。
そうですね。また企業家としてもすごいですよ。
どういうと。
教育するじゃないですか。これを産業として起こしていこうということで、くるめ藩とタイアップしてですね。
くるめの特産品として、寮外、くるめ藩以外に輸出するために協力していくんですよ。
だからくるめ藩の産業として、それまで昔あった米とか牢とかそういうのだけじゃなくて、くるめがそれが一つの大きな主力になっていくんです。
ということは大量に作れるような設備というものも整えていく必要がありますよね。
教育して多くの人を集めて、そういった旗織り機なんかも揃えてたくさん作っていくよということなんです。
大きな産業になっていったわけですね。
それが明治維新の後の地場産の発展につながるんですよ。繊維産業としての。
その礎を築いたと言っても過言ではないですね。
やっぱり人を育ててるのが大きいですね。
いやーすごいなあ。やっぱり利子ではなく利他というか、社会の方を見てる視野の広さがすごいですね。
06:06
こちらの田中久重さんもそうですよね。
東芝を設立する前ですけども、地元の指定をお弟子に雇って、
その人たちはそれぞれの企業を作り上げていきますからね、その後。
2人に共通するのは人を育てるということでしょうね。
そんな重要な人物がくるめから輩出されてるっていうのは誇りですよね。
そうですね。
あとこの五穀神社とのゆかりっていうものもあるんですか。
そうですね。田中久重さんなんかは五穀神社とは切っても切れない関係ですよね。
どういうと。
江戸時代のくるめのお祭り、祇園祭りっていう盛大な祭りがあったんです。
それは近隣から人々が集まる、楽しみが少ない時代ですから毎年楽しみしてるんですよ。
カタログとかプログラムみたいなのも印刷されてて、それ残ってるんですけどね。
その中で面白そうだなと僕は思うのは、あちこちに経代のあちこちにからくり屋台って書いてあるんですよ。
食べ物を売る屋台とは違うってことですね。
それもあるみたいですけど、大きく取り上げられてるのはからくり屋台なんです。
見せ物屋台で、それが8カ所あるんですよね。
実は江戸時代のくるめの町っていうのは8カ所に町割りがされてて、
このお祭りの時はそれぞれの町がからくり屋台の出来で競ったらしいんですよ。
見せ物としてどれだけお客さんを喜ばせるか評価されるかってことですね。
その時に活躍したのが田中久重さん。
その時の名前、ついたあだ名がからくり芸門って言うんですけど。
なるほど、そこで言われるように。
水からくりっていうのは得意だったみたいで。
水の力で人形が動くんですよ。
それが評判を呼んでからくり芸門って言われるようになったらしいです。
今ではJRくるめ駅前に田中久重さんのことを軽指定と言いますか。
からくり時計がありますよね。
あるいは久重さんの発明品がいろいろ出てきますけど。
その原点がここだったと。
知らなかった。
ということで、この五穀神社を訪れると一角に井上伝さんと田中久重さんの経像があります。
その他にもくるめの名師とされる人の経像もありますので
ちょっと歩いてみるといいかなと思います。
でもそのままずっと歩いていくと
くるめのくるめアリーナとか科学館とか
くるめのいわゆる中央の運動をしたりする憩いの場がありますので
歩きがいのある場所にありますからぜひ散策してみてください。
この時間はくるめ市市民文化財文化財保護課
埋蔵文化財チームの主査小澤太郎さんにお話を伺いました。
ガールズパンチ!バッテン少女隊のバッテンラジオ隊!
09:01
バッテン少女隊の春野きいなと青井リルマです。
RKBラジオでお送りしているガールズパンチ!バッテン少女隊のバッテンラジオ隊はポッドキャストでもお楽しみいただけます。
ラジコ、スポティファイ、アップルポッドキャスト、アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックでバッテンラジオ隊と検索してフォローお願いします。