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桜の名所・小倉城周辺の知られざる歴史:森鷗外ゆかりの陸軍第十二師団司令部正門
2025-04-01 09:44

桜の名所・小倉城周辺の知られざる歴史:森鷗外ゆかりの陸軍第十二師団司令部正門

歴史学者 西日本国史文化研究所 所長 菊池満
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日々お伝えしているニュースや話題の中から、一つのテーマに絞って専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。福岡では先週、桜の開花の宣言、そして満開の発表もありましたが、ちょうど今ね、見ごろを迎えている桜
福岡県内では唯一お城・天守閣と桜が楽しめるのが、北九州市小倉北区にある小倉城ですが、今週はその桜の名所
小倉城周辺の知られざる歴史というテーマで、歴史学者のこの方と一緒に歩いて学んでいきます。
歴史学者で西日本国史文化研究所所長の菊地光さんです。
菊地さん、今日はどんなお話を紹介してくれるんでしょうか。
やはり小倉城の中なんですけども、こちらはもう時代がガラッと変わりまして、明治時代の遺構ですけれども、ちょうど真正面にございますのが、陸軍第十二支団司令部正門ということでございまして
はあ、レンガ作りの門が残されていて、確かに小倉城の中にあるにはちょっと違和感のある建物ですよね。門だけが残っていますが、これは何ですか。
これは日清戦争後に新設された陸軍の司団の司令部の正門だったもので、今現在門中だけ残っておりますけども、この十二支団の二代目の軍委部長になったのが有名な森鴎外ですね。
明治32年から2年10ヶ月小倉に住んでおりまして、鴎外は2年10ヶ月の前半を小倉帰宅の梶町で、後半を京町。
小倉駅の近くで過ごしまして、いわゆる軍委部長ですからね。馬に乗って自宅からここまで通勤していたと言われています。
ちょうど天守閣のあたりから南側の方にいたエリアになりますかね。50メートルちょっと。
かつては門をくぐりまして、現在広場になってますけども、本丸のところに天守台よりもちょっと東側の方に十二支団司令部の長者があったんです。
その十二支団はどういう役割だったんですか。
結局ですね、陸軍の組織というと支団があって旅団があって連隊があるんですね。小倉は十二支団司令部があって、十二支団司令部の南側にも門が残ってるんですけども、こちら今度旅団司令部。
そして現在は北方に移転しておりますけれども、現在の中央図書館からあたりに歩兵第14連隊という連隊があったんですね。
小倉はそういう意味で軍事都市でありまして、大貝は本業は軍医ですので、軍隊のお医者さんですから、いわゆる転勤で小倉に来たということです。
当時森大貝が来たとき、まだ小倉は市になっておりませんで、福岡県旧郡小倉町だったんですね。
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そうなったんですか。
大貝は小倉に左遷されたんじゃないかというお話があるんですけれども、あれは大貝が自身のお母様にあてた手紙の中にそういう文章が出てくるんですね。
大貝としてはやはり東京にいたのが、自分の出身地の蕾野よりもはるか西のですね、まだ市にもなってないところに転勤になったわけですから、左遷されたと思い込んだようでありまして。
じゃあその後に小倉市、そして北九州市と発展していくことは当時はまだ森大貝として知らなかったんですか。
そうなんですね。当時まだ鉄道もですね、新橋から大貝は汽車に乗って、今の豊富ですね、三田尻っていう昔駅がありまして、そこまでしかまず汽車が通ってなかったんですね。
三田尻から船に乗って文字、現在の文字港に上陸をして、文字港の遺構が出てますけど、あそこが駅だった時代ですから、あそこの近くに小賀文という旅館がありましてね。
そこで始発の時間になるまで休んで、始発の汽車に乗って小倉に来るんですね。
当時小倉駅というのは現在室町に山田電機があるんですけど、あそこに駅車がありまして、来たと。
大貝は自分は軍部部長ですから、いっぱい歓迎の出迎えがあるなと思ったらたった数名だったというんですね。
それはまた本人殺戦されたって思ってるし、なおかつ迎えも少ないし、意気揚々と小倉に来たわけじゃなかったってことですかね。
ただ小倉に在籍している時は東京ほど軍務が忙しいわけではありませんから、いろんな作家としての創作活動を行ったり、あるいはいろんな観学者の方とかお坊さんとかと知識的な交流を深めてですね。
ですから森大貝離任する時は当時の新聞によると2000人ぐらいが小倉駅で見送ったと言われてますから。
じゃあ行きと帰りとで全然違ったわけですね。
そうですね。そんな大貝が通勤していたものが小倉城に現在でも残っているということでありましてね。
小倉にいた期間というのは短かったわけですけど、森大貝の足跡に触れる資料というか意向としては貴重なものということですか。
もっと言いますとね、小倉時代に住んだお家は梶町に現在でも森大貝旧居という子たちで減損しているんですが、
大貝が住んだことのある建物は地球上に3つしか残っておりませんで、1つがツバノの成果なんですよ。
あとベルリンに留学してましたからドイツに公衆衛生学を学ぶために。
そのベルリンの下宿のアパートですね。そして小倉の梶町なんですよ。
これは貴重な住居が残っているということですね。
ですからぜひ小倉にお越しの際には、まず梶町旧居に行っていただいて、小倉城まで来ていただいて、
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大貝が通勤したルートをぜひ辿っていただきたいなというふうに思いますけどね。
ちなみに小倉城の中にあるというのは当時から門が建てられた時から城は天守はなかったわけですよね。
もう火事で焼けてますからね。
その後、慶応4年に小倉は騎兵隊に攻められておりまして、火を放って河原に転身したんですね。
そのために小倉というのは城下町なんですけども、武家屋敷は一件も残ってないんですね。
そうなんですか。
ですから明治になって軍営が置かれた時は武家屋敷も、お城のそういう移行もほとんどないような状態、石垣ぐらいですね。
それで軍隊の調査ができてという流れであります。
なるほど。そういう軍の司令部など、奥にはやっぱり城があっただけにいい場所だったということなんですかね。
結構他の地方でもお城の中に司令部とか連隊があるというのはよくあるんですね。
そうなんですね。あと門からちょっと西の方向に放題がありますね。
これは昔戦友会の人が寄贈したやつですね。
大砲がこの西門よりも東側にございますけども、大砲と西門の間にちゃんと説明板もありますので、
当時の司団の長者が立っていた時代の写真が載っておりますから、ぜひここをお見えの際には見比べていただきたいなと思いますけどもね。
なんか城とレンガ作りの門が残っているこのミスマッチな感じというかね。
これがまた歴史を感じさせますね。
和洋節中です。
城内を歩いていますと突如門だけが現れるので、これは何なんだろうなと思う方もいると思うんですよね。
森尾がゆかりの陸軍第十二司団の司令部の西門だということです。
ぜひまた歩いてみてください。
今日はこの時間、歴史学者で西日本国史文化研究所所長の菊池光さんでした。
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