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日々お伝えしているニュースや話題の中から、一つのテーマに絞って専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー
Weekly Close Up。桜が見ごろを迎えております。
福岡県では唯一天守閣と桜が楽しめるのが、北九州市小倉北区にあります小倉城ですが、そこで今週は
桜の名所でもある小倉城周辺の知られざる歴史というテーマで、歴史学者のこの方と一緒に街を歩いて学んでいきます。
歴史学者で西日本国史文化研究所所長の菊地光さんです。
もともと足川隆氏が南朝方の霊を慰めるために全国に建てた安国寺の一つと言われているんですね。
もともとは現在の小倉北区の古戦場というところにあったんですが、細川忠夫公が小倉城を築造する際に
防衛上の理由でお寺さんを結構移転させているんですね。結局お寺さんというのは本堂がございますでしょ。
有事の際に巨兵できるように、いわゆる要所要所にお寺を動かしたんですね。
安国寺さんもその時に現在の地に移転をしたということでありまして、江戸時代からはもう一切動いていませんので。
歴史あるお寺ということになりますが、ただ足川隆氏の話ではないんですよね。
そうなんです。今日はですね、もう皆さんご存知、伊達正宗。
仙台の人ですよ。
そうです。
小倉と何か関係があるんですか。
そうですね。実は江戸時代初期ですけども、日本三大御家曹洞というのがありまして、一つは黒田曹洞、一つは前田曹洞、そしてもう一つが伊達曹洞。
御家曹洞がありまして、伊達正宗の十男。伊達宗勝という方が御家王陵を図りましてね。
未遂に終わるんですが、その十男の息子さん、伊達宗起という方が連座しまして、そして小倉に流されたんですね。
ずいぶん遠くまで流されたことなんですね。
そうです。伊達宗起さん、正宗のお孫さんはですね、現在リーセントホテルというホテルがあるんですが、そこに二月寛永門さんという方のお屋敷がありまして、そこに流されて約30年。
ずいぶんと息に流られたんですね。
小倉で過ごして、最後小倉の地で亡くなられて、そしてこの暗黒寺に埋葬されたと。
てことは、その暗黒寺の中にお墓がある。
お墓があるんですね。
ちょっと今、門の前におりますが、中の方に入っていきましょうか。
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ちょっと境内の方にですね。
はい、失礼いたします。
入ると、ちょうど左側には幼稚園の園舎があって、正面にはもちろん本堂があって。
そして、前にお墓、墓石がいくつか並んでますが。
いくつかあるんですが、昔のお墓でございます。
かいみを書いてますね。
自得因伝中山実行大古寺。
これが伊達正宗のお孫さん、伊達宗之のお墓です。
正面がそういうかいみを彫られてまして、ちょうど左側を見ると伊達一之の神と書いてますね。
宗之と。
ほんとですね。
伊達宗之は奥様なんかもいたんですけども、奥様たちは伊代吉田というところがありまして。
これが伊達家の道俗別家になるんですけども、そちらの方に配慮されて。
宗之だけは小倉藩に配慮をされて。
家族バラバラでですね。
東を向いてるのは偶然なのかもしれませんけども、仙台の方を見てるのかもしれないですね。
この実は安国寺さん、森鴎外と交流があるんですよ。
ここでも森鴎外に話が。
実は明治時代の安国寺の御住職が玉水俊子さんと言われる方なんですが、当時この安国寺は大変なアレデラだったんですね。
森鴎外はいろんな新聞機構をしておりますけども、当時の福岡日々新聞にですね、ある記事が載ってまして。
小倉の安国寺と人に聞いてみたら、そんなの知らないと言うと。
ただ言葉を変えて、やぶれ寺はどこかというとあそこだとみんな言うというぐらいに荒れてたんですね。
玉水俊子さんという方はこのお寺を復興しようということで、いろいろ鴎外とですね、やり取りをして見事復興したということでありまして。
森鴎外の作品にもこちらの当時の御住職のことが出てきます。
その時はさすがにやぶれ寺とかそういう紹介じゃないですかね。
ないじゃないです。
安国寺って出てくるんですか。
そうなんです。ですから鴎外の別の新聞機構では、ここは大変な小倉の戸札であるというふうに書いてある。
いわゆる宣伝も兼ねて、そういう文章をですね、新聞史上に発表してるんですね。
いわゆるこの安国寺の復興を森鴎外も手助けをしたということでありましてね。
じゃあそれを見た人は、ここを訪れたっていう方もいらっしゃるんでしょうか。
だと思います。江戸時代っていうのはよく三百諸公って言いますけども、めでたく明治維新を迎えたのが267藩なんですね。
江戸時代全部でですね、劣りつぶしになった藩がやっぱ同じぐらいの数があるんですよ。
その中の一つがこの伊達宗沖のお父さんの一能籍藩というところが劣りつぶしになってますしね。
有名なとこで言うと、阪州はこの浅野家中心ぐらいですね。あれも劣りつぶしになってますからね。
ああいう感じで劣りつぶしになった藩がそれぐらいあるんですね。
いろんなとこに新類エンジャー流されたりしてるわけですね。
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じゃあ遠く離れた地に、なんで縁もゆかりもない文化であったり人の名前が残ってたりとかするのは、そういう流れ流れてるってことが脈々とするんですか。
そうです。北九州全体そうなんですけど、面白いのが古墳もあるでしょ。
中世の歴史ももちろんあって、近世の歴史もあって、そして近現代の歴史もあるっていう。
どの時代をとってみても、いろいろな意向が残っていたり逸話が残ってたりするという、大変得意な場所なんですね。
北九州はもともと五四合併でできた都市ですけども、その中で歴史を見るに小倉っていう場所はどういう特徴のある土地になってきますか。
やはり古来から九州の玄関口として交通の要所だったわけですね。
江戸時代に入りまして、細川家が熊本に転保されて小笠原家に入国したときには、小笠原忠実公は九州担大職という、いわゆる九州の守りですね。
の官職を与えられて小倉藩の藩主になってるんですね。
そういった意味でも、当時の江戸幕府もここは大変な重要拠点であるというふうに見ていたわけですね。
これ明治になってもそうなんですね。
やはり明治時代の小倉には軍営が置かれ、八幡には製鉄所ができということで、北九州工業地帯が構築をされ、文字都若松は港町で発展をしますね。
国の重要地帯だったわけですね。
交通の重要な要所というところがいかに後々栄えていくかというか、そこと密接な関係があるんですね。
そうですね。やはり地の利を生かして発展をしてきたということなんですね。
ぜひ桜が咲いているこの季節に小倉の町を歩いて、そういった歴史至るところにその痕跡というのは残っているので、それを担保しながら楽しんでほしいですね。
今回はいろいろお聞きさん、お話聞かせていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、伊達正宗のお孫さんのお墓がここ北九州市の小倉帰宅にあるなんて知らなかったんですよね。
その背景にはまたいろいろなドラマがあるわけなんですけども、ちょっと歩いていくだけで実はこの場所ねっていういろんな歴史があるんです。
今まさに桜が見ごろを迎えております盛りですね。桜もね。それを見ながらこういう歴史探訪してみてはいかがでしょうか。
今回は歴史学者で西日本国史文化研究所所長の菊池光さんにお話を伺いました。
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