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昭和100年!私たちも100年
2025-09-22 11:42

昭和100年!私たちも100年

株式会社ミスターマックス・ホールディングス 代表取締役社長 平野能章
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日々お伝えしているニュースや話題の中から1つのテーマに絞って、
専門家や当事者に話を聞く週替わりの特集コーナー、
今週は昭和100年にちなんで、
昭和100年、私たちも100年というテーマでお送りします。
きょうは、福岡県に本社を置く創業100年の企業です。
平野社長、おはようございます。
おはようございます。
まずは、Mr.MAX、今年創業100年、おめでとうございます。
ありがとうございます。
時の重みみたいなものも感じらっしゃいます?
たまたま、私が今100年目の社長をやっているわけですけれども、
ここに至る間の創業者を含め、たくさんの人がここに関わってくれて、
それから従業員だけじゃなくて、お取引先の皆様とか、
何よりも100年間、いろんな形でご愛顧いただいたお客様というのがあってのきょうなので、
みんなそのことに感謝をしながら、重みというのを感じながら、
日々の営業に向かうという、そんな状態ですね、今。
Mr.MAXも創業時はどういう事業を行っていたんですかね?
私の祖父が農家の次男坊か三男坊だったんですけれども、
18歳ぐらいになると畑は長男が作るので、お前出て行けと言って、
小銭を持って町に出て行くわけですよね。
そこで雑貨を売るような商売を商店街の外れで始めていたらしいんですけど、
それが1923、1924年で、その時にNHKが日本で初めてラジオ放送を始めます。
その事前のいろんなキャンペーンとか研修会みたいなところに、
たまたま祖父が行って、その時にラジオの可能性みたいな、
メディアの可能性みたいなのをすごく強く感じたんだと思うんですね。
それで、なけなしのお金をはたいで、ラジオのパーツを販売するというのが、
我が社の本当の意味での源流です。
まさに今年はラジオ100年でもあるわけですけど、
本当にラジオと共にアヒュンミーをスタートしたわけですね。
そこから今のディスカウント業態に進出したきっかけ、
戦ってどういうところだったんですかね?
もともと最初はラジオパーツのお店と言いましたけど、
それは何でラジオのパーツを売っていたかというと、
ラジオを製品化して売るメーカーがまだ日本に存在しなかったんですよ。
家電メーカーというのはほとんど存在しなくて、
それがだんだんメーカーが製品を作るようになっていて、
ミスターマックスでヒラノ電機は、
その時は地方で一番デカい電気の販売店だったので、
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卸しも始め、総合品種を扱う家電の卸しビジネスも始めて、
電気屋として大きくなった。
ところが、だんだん電気が広げていって、
大分県にお店を出したり、福岡県もいろんなところにお店を出したんですけど、
私の父がヒラノ電機で働いていたんですけど、
だんだん未来に対して、このまま家電店というか、
永遠に成長するのかというのを、少し疑問に思う時期があって、
そこからアメリカに勉強に行くようになったんですね。
そこで見たのが、アメリカの実態は、
家電専門店がどんどん数が減っていて、
代わりにGMSと言われる、総合品種の会社が台頭していて、
主要としては、メーカーさんがいて、
我が社が売らせてもらっているというスタンスだったのに、
アメリカを見ていると、小売がメーカーを選んでいるというような、
逆転が起こっているのを目の当たりにして、
日本はそういう時代になるかもしれないという中で、
10年ぐらいずっとアメリカに通い続けながら、
GMSをさらに追い上げている、当時とても急成長していたビジネスがあって、
それがディスカウントストアというビジネスですね。
結局、最終最後はいくつか潰れていきますけど、
今も世界最大の小売業であるウォールマートというのが、
ディスカウントストアの象徴的な存在で、
僕らはずっとそれを追っかけながら、
ディスカウントストアというビジネスに入っていった。
ざっくり100年を言うとそんな感じです。
その時に平野電機からMr.MAXという名前に変わっていくわけですけど、
その名前に込めた思いというのは何だったんですか?
何のために家電から総合ディスカウントストアというビジネスに変わるのか。
その目的というのは、日本で最大の会社になりたい。
日本で最高の会社になりたい。
日本の小売業を代表する会社でありたい。
その最大とか極限という意味がMAXに込められています。
MAXの状態を目指す男。
例えば長島さんがMr.ベースボールであるように、
その業界を代表する人にMr.がつくように、
小売業を代表としてMr.MAX、我が社にMr.がつくように、
というような壮大な思いを込めてMr.MAXという名前にしたと聞いています。
そのMr.MAXが100年今続いているわけですけど、
その続けてこられた秘訣って何だと思いますか?
僕らが今でも一番大事にしているのは、
Mr.MAXというのは普段の暮らしをより豊かに、より便利に、より楽しく。
お客様の普段の暮らしがより豊かになってもらいたい。
より便利になってもらいたい。
そして何より楽しくなってもらいたい。
そのために僕たちは毎日仕事をしているし、商品を集めるし、
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もちろんディスカウントストアらしい価格で毎日販売する。
そういうことをずっと100年考えてきたので、
幸いにも潰れずにここまで繋いでこれたということだと思います。
この100年の歴史でのターニングポイントって言うとどういうことになりますか?
まさに総合家電のそれなりに九州では成功していた会社を
Mr.MAXという総合ディスカウントストアに業態転換をするというところは
多分この100年の歴史の中では一番大きなターニングポイントだったんだろうと思います。
僕は大学3年生の時にこの会社が開店するんですね。
Mr.MAX長積店というのが1号店として開店するんですけど、
大学2年の夏休みか春休みかな、大分にまだその頃住んでいて、
突然父親から明日福岡に行くぞって言われて、
何時に行くんですか?まあいいから行くぞって言われて、
これは百貨店で買い物でもしてくれるのかなと思って喜んでついて行ったんですけど、
そしたら福岡市の街並みが見える前に田んぼに見えた道路に車を停めて、
降りろって言って、何ですか?って降りて田んぼを見ながら、
ここにディスカウントストアを作るんだって急に言い始めたんですよね。
正直何をおっしゃっておられるんですか?みたいな感じです。
今の長積店がその場所なんですけども、敷地面積で3000坪で建物が700坪なんですね。
大学2年生の平野少年にとっては、3000坪の田んぼって広大な土地に見えたんですよ。
大変なことをやるんだなって伝わってきました。
今思えばその時父は本当に自分の人生そのものを賭けた勝負に出てるんです。
僕は父親からそんな仕事の話なんて滅多にされたことはないですし、ないんですけど、
その時は本当に強い思いがあって、この先大変だけどここは息子に一回俺の思いを聞かせるぞっていう思いがあったんだと思います。
僕としては平野電機に大学を出たら就職するんだろうなと思ってたんですけど、
いきなりこれは就職活動をした方がいいのかなって思い始めるくらい危機感が伝わります。
それから大学3年になった夏休みくらいに帰ってくるともう建物がガンガン出来上がってきてるんですよね。
たぶんそれがでかいわけですよ。
今、我が社でいうと700坪のお店っていうのは小型店なんですね。
最大3000坪の売り場まであるんで。
でもその時はね、僕らの最大のお店っていうのは大分市にあった平野電機の大分本店。
これが250坪なんですよ。
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それはもう3倍みたいなお店がそこに出来上がっていて。
もうそこから僕学生時代からずっと休みのためにMr.MAXに戻ってきてはアルバイトをしながら。
1年目から僕はバイトをしてましたし、その頃働いてた何人かは今でも残ってくれてますし。
そんなMr.MAX、これからの展望を最後に聞かせていただけますか。
Mr.MAXがもっと面白くて楽しくて、いろんな人がMr.MAXで働きたい。
あるいはMr.MAXに関わってよかったと思ってもらえるような、みんなを後押しできるような。
そしてみんなの力で我が社を後押ししてもらえるような、いい会社でありたい。
そういうことを思ってます。
どの時代においても最高峰の代名詞でいる会社として、ぜひ福岡を盛り上げてください。
今日は貴重な時間を抑えて、インタビューご協力いただきましてありがとうございました。
ますますのご発展を祈りしております。
ありがとうございます。Mr.MAX、皆さんよろしくお願いいたします。
ということで、これまでの歴史を語っていただきました、
株式会社Mr.MAXホールディングス代表取締役社長平野義明さんでした。
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