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末野翔太の個性のカラクリラジオ。 このラジオでは、その人がなぜその人なのか
個性のカラクリ研究についてお伝えしている番組です。 翔太さん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はですね、翔太さんに聞いてみたいのが、これ子育て関連の話題になるんですけれども
なんかさ、今収録しているのも、8月末に差し掛かる夏休み、そろそろ終わりですってことなんだけど、
夏休みね、特にね、夏休みの宿題だったりとか、子どものゲームとかスマホとかで、悩まれてたお母さん、私の周りでもよく聞いてて、
私自身もこの子、いつ宿題するのかなっていうのを日々眺めている毎日なんですけど、
このね、子どもが言うことを聞かなくて困るっていうことを、今回テーマにお話しさせてください。
はい、子ども。なんかあのさっき具体的な事例として、なんか習い事みたいな話があったんで、ちょっともうちょっと
具体的にイメージできるように、ちょっと習い事の、何だろう、文脈をちょっともう一回。
そっかそっか、OKです。そうなんですよね、宿題もだけど、習い事の話もちょっとね、最初していて、そうなんですよ、習い事、子どもの習い事、スポーツの習い事でやっている時にですね、
例えば、行ってその場でおしまい、スイミングだったりとかね、ここだと草芸だけだったりとかするんですけど、
例えばこう、うちだったらかつてやってたダンスだったりとか、ピアノとかもそうなのかな、お家で練習する系の習い事ってあるじゃないですか。
はいはいはい。
で、しかも発表の番があったり大会に出たりとか、する時って結局こう、その、お家での練習の時間っていうものがものを言う、みたいなものをしている時って、
すごいこう親子間での関係設定に出てくると思うんですよね。
で、これがもう私の経験になっちゃうんですけど、
娘が習い事をしてた時に、あの、お家で練習しましょうね、に対して、まあ、積極的ではないお子さんだったわけですよ。
でもさ、週に一回とかに行くと、やっぱ大人なので見えるからさ、一生懸命練習してきて定着させてきましたねっていうお子さんもいれば、
あ、全く覚えてきませんでしたねっていうお子さんもいれば、
はい。
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様々だけど、例えばその大会に出るとか、能力を強化される、点数がつけられるとか勝ち負けがつくみたいなスポーツをされている場合、
結構その、親の方が一生懸命になっちゃうっていうのがあるあるだなと思うので、
でもそれってさ、子供がどうしたいかっていうのが置き去りになりがちだったりとかもあるなと思うと、
その子供を頑張る、やりたいって言ったら、子供を応援したいっていう大人の関わりと、
で、子供がそれを受けて、受けるのが受けないのかっていうか、頑張ってほしいが、そのまま伝わらなかったりとかあるわけですよね。
で、このさ、練習をやろうね、だったりとか、ボードに出た宿題もやろうね、だったりとかもそうだけど、
こっちの言うことを聞いてくれなくて困るっていうと、個性って何か関係ありますかね。
なるほど。ありがとうございます。
個性っていうか、そのちょっと前提の話だと思うんですけど、
何だろう、やるかやらないか、やっぱ本人の動機づけがすごく大事なわけで、
何のためにやるのかっていう大人の理由じゃなくて、本人なりの理由とつながってないと、そもそも主体的にやろうとなんて思わないわけですよね。
そうですよね。
だからその、何だろう、本人の中でやる理由のある子っていうのはやるわけです。
それは色んな理由があるけど、お母さんを喜ばせたいっていう動機かもしれないし、
自分が結果を出した時に褒められたって経験を持ってる人は、褒められるために頑張るみたいな人もいるわけですけど、
やってる人っていうのはその子それぞれのやる理由みたいなものがあるわけですよね。
だからそこを見てあげるのがすごい大事だと思うなっていうのと、
基本的に何だろう、体験からしか学べないんじゃないかなと僕は思っていて、
言葉でいくら頑張りなさいって言われても、何で頑張るのかもわからないし、
頑張りなさいって言われてるってことは本人の中で頑張る理由もないからそうなってるんだけど、
じゃあ仮に練習しませんでした、ボロボロでした、すごい悔しい思いをしました、
どんな気持ち?って聞いてあげたとして、すごく悲しいなのか残念なのか、
そうなんだみたいな、これ次どうしたらいいと思うの?とか聞いてあげた時に、
次は上手にやりたいなみたいな感じで本人からそれが出てきたら、
結構落ち込んでる時とか失敗した時はチャンスだと思うんですけど、
本人はどう感じていてそのために、じゃあそれはどうしたらそうなると思う?みたいな、
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じゃあやっぱり家で練習しないとねみたいな、練習するんだって話をして、
練習するって言ったら、するのねみたいな、じゃあママにどういう風に応援してもらったら嬉しいの?とか、
これ完全にコーチングになっちゃいますけど、そういう関わりなのかなって思うんですよね。
僕子供いないから、机上の空論みたいな話になっちゃいますけど、
究極的に本人が体験の中で学ぶしかないと思ってて、
何をやる子で何をやらない子っていうのって、
必ずその子の中でこういう、何をやりたいことっていうのはことがやりたいんじゃなくて、
ことの前に条件みたいなものがあって、その条件が満たされると楽しいからやるっていう順番なんですよね。
だからこの子は一体どういうものに対して楽しいという感情が湧くような子なんだろうかっていうことを見ていくのがすごい大事で、
結局そういうことっていうのはやめろと言ってもやめないし、大人になってもずっとやるんですよね。
習い事って習い事やってた時はやるけど、やめたらやらなくなって大人になったらもうそれ使えませんみたいなことよくあるじゃないですか。
それは結局その根本的にその人のその子の喜びとつながってなかったからやめちゃってるわけですよね。
だからそのもともとの備ってる個性が変えることができないので、大事なことはその子を変えようとすることじゃなくて、
その子がどこに喜びがあって、その喜びとどのように活動、その喜びをどういうふうに引き出してあげるのかっていうところを見てあげるのに関わりをした方が、
結局その人生レベルの時に役立つものが渡せるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
なるほど、すごいな。条件を満たされるの話がこうと思った。
そうか、条件満たされるとその楽しいとか喜びとかになるんだ。
そうです。例えばなんだろうな。ユッキーだったら今、性教育のことやってる。性教育っていうこと自体に一つのユッキーのセンサーがあると思うんですけど、
例えば性教育じゃなかったとしても、人前で楽しく喋って、なんかみんながワーって気づきがあって感性が上がるみたいなことは、
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性教育じゃなくても全般的に楽しいと思うんですよね。自分の得意なお話しするテーマが性教育じゃなかったとしても、
もしかしたら何かのきっかけで、このテーマを私が話すとすごく喜ばれるんだってなったら、そっちをやってる可能性も全然あるわけじゃないか、可能性としては。
何かっていうと、性教育っていうのは1個のポイントなんだけど、その別のポイントとしては人前で喋って喜ばせるのが楽しいっていうポイントがあって、
こういうものに反応する私、こういうものが喜びである私っていう要素とか条件みたいなものがいっぱい人にはあって、条件が重なるとこれライフワークみたいなものになるわけですよね。
なるべくいろんな要素が詰まった1つのライフワークを作れれば楽しいわけじゃないですか。
っていう話なので、だからその、何だろう、習い事で練習することしないことっていうのも、そもそも簡単と毎日決めたことを積み重ねるということ自体が楽しいという人種がいるんですね。
これ10タイプのうちの1つのタイプなんですけど。
積み重ねること自体が楽しい子っていうのは、それ自体が楽しい喜びセンサーが反応するから、積み重ねるのなんて当たり前だし、それが楽しいわけですね。
でも他の人は別にそうではなくて、僕は別に積み重ねること自体は楽しくないですけど、人と喜びを分かち合うことは好きなんです。
エネルギーを循環させるということが好きなんですね。
だからサウンドソウルの100人セッションっていうの昔やったんですけど、それも100人やるということ自体だけだと気が重たいんだけど、セッションは好き。
このセッションが毎日その時間で、毎日そのセッションの毎日で埋め尽くされるとしたらそれは楽しいってなるんだけど、それは積み重ねることではなくて、エネルギーを循環させることなんですよ、僕にとっては。
そっちだったら反応するけど、積み重ねましょうねって言われると慣れるんですよ。別に積み重ねたくないしみたいな。
積み重ねるってことを考えない方が積み重ねられるんですよね。
めっちゃコツコツやるじゃん、翔太さんって思ってたし、なんかすごいできるなっていうけど、別にそれが好きでやってる?
別の要因があって、僕の中で続くものと続かないものってやっぱりあって。
例えばフェイスブックは続くけど、インスタは続かないんですよ。
何かっていうと、自分の表現したいことが表現したい形で表現しやすいっていうのはまずフェイスブックの方があって、インスタだと結構まずエネルギーロスが結構あったりするんですけど。
今はメルマガとかもやってるっちゃやってるんですけど、でも最初はメルマガとか全然できなかったんですね。
これは何かっていうと、反応がリアルタイムでもらえることが僕にとっては大事で、結局循環が大事だから。
そうしたものが即座に反応として返ってくるものは自分の喜びセンサーが反応するんだけど、一方的にただ淡々と配信するだと喜びが反応しないので、それだけだとなかなか続かないんです。
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今はフェイスブックのために記事を書いて、それをメルマガに流すとかだったらできるんですけど、また別の自分の中の、別の喜び、今は循環っていうことを紐付けてますけど、
例えば、これは喜びの条件というよりかは自分の今の願いみたいなところで言うと、人生の中で思想を残したいというか、自分が大事だと思うことがこの世界にもっと伝わっていったら生きやすくなる人が増えるんじゃないかなとか思っていて、
それを残すっていうことはやりたいなみたいなふうに思っていて、残す素材としてメルマガみたいなものがもし毎日コツコツ書けてたら、それを素材に今度本にしたりKindleにしたり、いろいろできるわけじゃないですか。
そのためだったらちょっとやってみようかなと思ったりはするわけで、いずれにしても本人なりの願望や目標を叶えたいことや喜びのセンサーみたいな、最下位との結びつきっていうものがあって、それとどうつなげるのかって話したんですよ。
だから習い事も最初親がやりなさいっていうパターンもあるかもしれないですけど、親に何が何でも答えるよってタイプだったら、それが幸せか不幸かは置いといてやるでしょうねと。
でもその関係よりももうとにかく主観が強くて、私がやりたいやりたくないどっちかですみたいなこの場合は、親との関係よりも自分の今やりたいやりたくないを優先するんで、その子の場合だったらたぶんやらないでしょうねっていうことが。
じゃあその主観が強いタイプで、主観が強いタイプだったら本人の動機と結びつくかどうかっていうことなんで、最初お伝えしたようなコーチング的な関わりをして、今何のためにこれやって、本人はそれに対してどう感じてて、それに対してどういう結果が今その子が欲しいと思ってて、それに対して親とあの子と関わってほしいのというようなことをやるしかないのかなと思っていて。
子育てね、分かんないけど分かんないなりに勝手に自分が思っているのは、いかに失敗を許容できるかっていうことだと思うんですよね。
めっちゃ大事。
あなたの人生ですっていう、ある意味線引きというか、親は見守ってるんだけど、最後の最後は手を貸すにしても、最後の最後はちゃんと見てくれてるし、最後の最後は手を貸してくれるってことは子供に伝わっていながらも、基本的には好きにさせてあげて、自分で失敗、自分で痛みを感じさせてあげるってすごく大事だと思って。
結局答えを親が教えてしまうと、その親の答えに従うのはいいけど、親がいなくなった時に自分で答えを見つけることができないとか、自分で生き方を探すことができないという風になっちゃうので、ことは先に親が子供の失敗を許容するっていうか。
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別に宿題やらなくても本人が困らないのと別にいい話であって、先生から宿題なんでやらせないんですかとか言われるかもしれないけど、この子やりたくないみたいな。
やらなかった時に、その授業やらなかったんだね、どうだったの?本音で関わってくれるかわかんないけど、やらなかったならやらなかったなりに気まずさとか、この時間嫌だったなとかあるわけじゃないですか。
それでもいいんだけどさ、それでもいいの?って聞いてあげたら、嫌だかもみたいな話になってきたら、じゃあやった方がもしかしたら授業中楽しく過ごせるかもねみたいなことを雑談ベースで言ってたら、もしかしたらやるようになるかもしれないですけど、でも最後は決めるのはあなたですよ。
どっちを選んでもいいけど、また決めてね。それに対してあなたが感じたことに対して私はサポートするよっていう感じで関われるといいのかなと、今今子供がいない僕は勝手に思ってますけど。
そうですね、ありがとうございます。そうなんですよね。子供の気まずさを味わう体験を許容するっていうのは私もすごい大事だなと思うようになったので、失敗しないようにじゃなくて、
翔太さん言ったように失敗をどれだけ許容できるかってやっぱりせっかくだからいっぱいいろんな思いしたらいいじゃんって思うからさ、でもやっぱり思うようになる前とかって結構そうだったよ。子供が嫌な思いをしないようにとか。
前段階で言うと、誰のために子育てやってるのかってあると思う。つまり私が他のママとか先生から評価されるために、もしくは抜信を受けないために子育てをしているのか、それともこの子供がより良い人生を生きるための子育てをしているのかによって変わってきますよね。
親の評価、周りの評価とか気にしだすとやっぱりやらせないと私が困るわけで、子供は私が困るんですよ。
そう、私が困ってたから、ガミガミ言ってたなって気づいてから辞めたのがあるね。
はいはいはい。
それはあるけど、だからいいお母さんでいいんだきゃみたいなのって結構あるなって思う。いいお母さんって何ってお話だけど。
子供のためになると結局、やっぱり教えたことって、もちろん教えることも大事なんだけど、いかに自ら成長できるようにするかの方が大事で人生レベルでいうと。
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そうすると何で成長できないのかっていうと、失敗できないから成長できないので、失敗できる子にした方がいい。
失敗怖くないよってちゃんと覚えさせた方がいいのかなと僕は勝手に思ってて。
自分は子育てはしてないけど、受講生との関わりはそういうつもりで関わってるんですよね。
すごい、なるほどね。
なんか最初の方で聞いたコーチング的な関わりのことはあれだね、ちょっと思うところあったな。
なるほど。
いや、その時はそうでもさ、気持ちすぐコロコロ変わるから。
そうですよね。
やるって言ったじゃんみたいな。なるなって思った。
そういう教育、親、親みたいな感じで言うとそうなんだけど、もう別の視点で見るとやっぱり人と人っていう親と子なんだけど、人と人っていう目線で見る側面大事だと思って。
その時にあなたはいいかもしれないけど、私は嫌なよみたいなことを大人気なく言えることも大事なんじゃないかなと思って。
大事、大事、めっちゃ言うようになったそれ。
もうママはやめますとか、ここまでは私できるけど後はできませんとか。
どっちが正しいとかじゃなくて、私はこういう時にこういうことを感じるのよ、あなたはこういう時どういう風に感じるのっていうことを話し合って一緒に作っていくみたいな関わりって、やっぱりその人との関わり、その後の他の人との関わり全部、それが派生していくわけじゃないですか。
本当本当そうですね。何を大事として親が聞いてくれてるのかっていうのって、それがやっぱり日常の生活の中にあるから、それをもうできたかできないかっていうのを重んじて聞いてる親なのか、何を感じてるのっていうところを大事にしてくれてるのかとかさ。
そうだよね、すごいそうだよ。なんかついついね、課題というものがあったり、習い事であれば評価の練習だったりとか、学校の宿題、計出物だったりとか点数とかって、見えるものって優先しがちになっちゃうし、周りに目をかけないようにとか、遅れを取らないようにって思いがちだけど、
でも大事なのはどう感じてたのっていうこととか、やってみた後どうするっていうところなんですね。
そうですね。こんな感じでしょうか。
結構喋っちゃったね。大丈夫ですか?
結構20分ぐらいですね、今回。
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ちょっと長かったね。じゃあ次、ちょっと1回区切りましょうね。
はい。
このお話が良かったな、面白かったな、また聞きたいなとか、別のお話聞きたいなと思う方は是非チャンネル登録していただいて、いいねのボタン押していただけたら嬉しいです。ご視聴ありがとうございました。
塩田さんありがとうございました。
ありがとうございました。