大学時代に訪れた足尾銅山へ、10年ぶりに再訪しました。坑道を歩き、青く輝く銅の鉱石に触れながら、かつて日本を支えた資源の歴史と、AIや電気自動車の時代にも欠かせない「銅」の現在を辿ります。一方で、鉱山の役目を終えた町にも足を運ぶと、時間が止まったような風景の中で、今も続く人々の暮らしや新しい変化がありました。10年という時間を通して見えてきた、銅と町、そしてその未来について考えます。
※サムネイルは約10年前の足尾銅山です。
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【参考】
「よくわかる最新『銅』の基本と仕組み」大澤直著
「銅のおはなし」中田進一著
「銅のはなし」吉村泰治著
「朝日新聞GLOBE+」https://globe.asahi.com/article/15006463
「アカガネのこえ 足尾銅山閉山50年」https://www.shimotsuke.co.jp/feature/special/akagane-special#google_vignette
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サマリー
語り手は10年ぶりに栃木県足尾町の足尾銅山を再訪し、かつて日本を支えた銅山の歴史と、現代社会における銅の重要性、そして閉山後の町の暮らしについて語る。坑道探検や銅鉱石の観察を通して、資源の歴史と未来への繋がりを考察し、過疎化が進む中でも続く人々の営みに触れる。
足尾銅山への再訪と過去の記憶
はい、今回も始まりました。草とか石とかのラジオ。 このポッドキャストは、自然界で好きなもの、気になるものについて深掘っていく番組です。
よろしくお願いします。 さて、今回のテーマは、足尾銅山でございます。
皆さん、足尾銅山ってどのようなイメージをお持ちでしょうか? 小中学校の社会の時間とかで、足尾銅山講読試験って習ったことがあるかと
思うんですが、あれは足尾銅山という、銅を掘っている山から、いろんな有害物質が周辺に出てしまって、環境汚染を引き起こしたという公害の事件でして、当時、政治家の田中翔三さんという方が、国に訴えを起こしたということで有名な場所ですよね。
この足尾銅山というのは、栃木県の日光市の群馬県側の、かなり山奥の方にあるんですけれども、今回この足尾銅山について取り上げようと思ったきっかけは、最近この足尾銅山に約10年ぶりに行ったということですね。
この10年ぐらい前に行ったっていうのは、自分が大学時代、これは20歳前後の頃ですけれども、当時自転車で日本全国を回っていたときに、その当時はいろんな鉱山の跡地に行くのにハマっていてですね、
そういうところに行くと、レンガ作りの産業遺産だったり、大きな煙突が建っていたり、あとは鉱山街の雰囲気だったり、そういったものを見るのがすごい好きだったんですね。
足尾銅山はその中の一つで、1973年には閉山して、今では史跡となっている場所なんですね。
10年前に行った当時は、足尾銅山は実際に観光名所として鉱山の高堂に入ることができるんですけれども、そういったことも驚きでしたし、その鉱山の周りの街並みというのも、閉山した当時の時間がそのまま止まったような街並みでして、それがすごい記憶に残っていたんですよね。
ただ一方で、その時思ったのが、この鉱山街の鉱山住宅というか、長屋みたいな住宅がたくさん立ち並んでいるんですけれども、そういった家もだいぶ古くなっていて、街を歩いている人も少なくて、廃屋も多いなという印象があったんですよね。
それでそのままあと10年も経てば、もっと人がいなくなって、より大変なことになっているんじゃないかとも思っていたんですね。
最近自分も足尾道山を含む鉱山にあまり足を運んでいなかったんですけれども、久しぶりにあの時行った足尾道山って現在どうなっているんだろうって思って、2026年の6月に10年ぶりに足尾道山にもう一回行ってみたんですよね。
学生時代の時の記憶って自分の中ではつい最近なような気もしてしまうんですけれども、10年っていうこの年月っていうのは実際は結構だいぶ前なんですよね。
それでどんな場所か覚えているようでいて、頭に霧がかかったようなそんな感じで、詳細なところはなかなかはっきりと思い出せないっていうところも多かったですね。
ただ実際に行ってみると、こんな場所だったかなーって思う場所もあれば、ここは結構覚えているなっていうところもあり、当時の記憶もちょっとずつ思い出してきましたね。
坑道探検と銅鉱石の観察
今回はまずこの足尾道山周辺の観光のメインどころである鉱山の鉱道に入るっていうのに行っていきました。
ここは昔の鉱山の雰囲気を再現するために鉱道は昔使っていたトロッコで入っていくんですが、10年前もこのトロッコには乗った記憶はあったんですけれども、
改めて乗ってみるとこのトロッコにガタンゴドンっていう振動が結構迫力があって、昔の人もこうやってトロッコで揺られながら鉱道に入っていったんだなっていうことが体験できて、
とても味わい深かったですね。
また鉱道の中も久しぶりに入ってみると印象的で、中には昔の採掘の様子を再現した人形があったりして、どうやって採掘をしていたかっていうのを説明してくれるんですけれども、
例えば古い時代は手掘りに近いやり方だったのが、徐々に時代が近年に上がっていくにつれて機械化が進んでいく様子っていうのが、これは覚えていて記憶通りではあったんですけれども、改めて迫力があるなと思いました。
また久しぶりにこの足尾洞山の鉱道に入って気になるなと思ったのは、鉱道の中の水滴ですね。
で、ひょっとしたら行った時期も違うのかもしれないですけれども、鉱道の中ってこんなに湿度が高くて水がポタポタと永遠に垂れているような場所だったなっていうことを改めて気づきましたね。
ここの鉱道は木の柱で天井とかを支えているんですけれども、そこにも水がポタポタ滴っていて、こんな環境の中で採掘を頑張っていたんだなって思うと本当に大変な仕事だったんだろうなと感じましたね。
その一方で、この鉱道の規模って総延長が1234kmっていう長さなんですけれども、これは東京から博多までの直線距離に相当する長さということで、この鉱道で観光できるのはほんの一部だけだったんですけれども、
そういった鉱道の規模であったりとか、説明を見ていると当時は相当儲かっていたんだろうなっていう、そういう雰囲気も伝わってきましたね。
現在の日本って目立った鉱山資源ってほとんどないので、日本国内でこうやって地面から採掘できる資源があって儲かっていたであろう時代があったっていうのは少し羨ましいような気もしました。
それから鉱道の中では銅の鉱石も改めてじっくり見ることができましたね。
銅が採れる場所なので、鉱道の天井の岩肌にも銅の鉱物が水色の結晶になっているところがあったりしましたけれども、それがすごい綺麗でしたね。
銅ってなんとなく青いイメージはあったんですけれども、鉱山の中においてもかなり普通に青い鉱物として存在しているんだなということが改めてわかりました。
あと、この鉱山で採れた鉱石を展示しているコーナーもあったんですけれども、金属らしくピカピカメタリックに光っているものもあれば、青かったり緑がかったりしている鉱石もあったりして結構違いがあったんですけれども、中には孔雀石っていう鮮やかな水色の石も展示されていましたね。
全体的に銅を含む鉱石って鮮やかな緑とか青色の色になることが多いんですね。
僕が前農作業でたまに使っていた農薬で、ボルドーザイっていう銅が主成分の農薬はちょっと青みがかった色をしていたんですけれども、改めてこの農薬の青い色っていうのは銅の色だったなっていうのを改めて納得しましたね。
現代社会における銅の役割
ところで少し話を脱線すると、銅って結構街中でも見かけますよね。
神社とかお寺の屋根なんかは銅でできているのも多いんですけれども、あれは緑色になっていますよね。
あれは緑性という錆なんですけれども、あの錆が銅の表面に守る膜となっていまして、それ以上腐食しにくくしてくれているんですよね。
今回改めてちょっと調べてみると、銅の青ってなんとなく毒なのかなっていうイメージが僕にはあったんですが、
昔はこの銅の緑色って毒であるって教科書にも書かれていたそうなんですが、実は銅が毒っていう根拠は特にないということがわかってきまして、それはちょっと意外な事実でしたね。
それと鉱山の中の展示の中で銅が使用されている製品についても展示がありましたけれども、改めてみると銅って本当に身近な金属なんですよね。
例えば、熱を伝えやすいのでフライパンであったり、冷蔵庫とかエアコンの一部なんかにも使われていますし、
10円玉もほとんど銅でできていたり、お寺の鐘であったり銅像なんかも銅の合金でできていたりしますよね。
また銅は電気を通しやすいので電線にも使われていますし、現在のスマホとかパソコン等の電子機器にもよく使われていますよね。
なので、昔は銅はお金であったり仏像のイメージだったと思うんですけれども、今では電気を流すための金属っていう役割がかなり大きくなってきたのかなと思います。
最近はAIがすごいとか半導体が重要っていう話はよく聞くんですけれども、そのAIに電気を届けるためにはまず大量の銅が必要なんですよね。
また最近よく聞く電気自動車、EVもガソリン車よりずっと多くの銅を使いますし、場合によっては4倍ぐらいいるとか言われていますけれども、
その他にも風力発電や送電線にも大量の銅が必要になるんですね。
そう考えていくと時代が変わった今でもこの銅そのものというのはますます重要な資源になっているんですよね。
閉山後の足尾町の現状と変化
その一方で10年ぶりに久しぶりにやってきた芦生の街の様子はどうだったかと言いますと、やっぱり寂れていましたね。
昔はこの高堂の横に大きなレストランとか売店があって賑わっていたそうなんですけれども、それ自体がもう廃墟になっていまして、
芦生銅山という歴史を見せるために作られたその施設自体も今ではその一部がもう歴史になりつつあるんだなということを感じましたね。
また高堂の説明に配置されていた人形にも光が当たっているところだけ苔がびっしり生えていたりしまして、
この人形も何十年もここで立ち続けているんだなって思いましたね。
それにこの芦生の街を歩いていると人は全然いないんですけどめちゃくちゃ猿がいるんですよね。
それが僕が近づいても全然ビビらないし、普通に道路の真ん中で子供を抱っこして子育てしたりしていてですね、
人間より猿の方がたくさん増えているんじゃないかって思うぐらいでしたね。
ただ一方でこの芦生の街ではそれなりに新しい家も意外と建っているんだなということも気づきましたし、
昔はなかったと思われる自動販売機ばかりを集めた無人販売のお店なんかも多分できていて、
全く10年前から変化がない止まった街っていうわけでもないんだなというふうに感じました。
それとちょっと安心したことがこの芦生道山から群馬県側に少し行ったところにあるデイリー山崎なんですけれども、
これ私が10年前の学生時代に芦生道山側から夜中に自転車で必死で坂に登ってですね、
そのデイリー山崎でご飯を買った記憶があるんですけれども、
めちゃくちゃ田舎なのでもうさすがにそのデイリー山崎なくなっているんだろうなと思って行ったら、
まだちゃんと営業していたんですよね。
それでこんなに人がなかなか来にくい辺境にもまだあるんだって思ってちょっと嬉しくなりましたね。
足尾銅山の街の未来への考察
最後にまとめに入っていこうと思うんですが、
10年前にこの芦生道山に来た時はこの街は特に新しい産業があるわけでもないし、
どんどん人がいなくなっていくんだろうと感じていて、
それで実際に人口は減っているんだろうと思うんですね。
ただ実際に改めて10年後に来てみると人はちゃんと残っているし、一定その暮らしも続いていくんだろうなというふうに思いまして、
要は芦生道山の道山としての歴史は終わったんですけれども、
その街はまだ終わっていなかったんですよね。
これからも日本の地方っていうのは芦生道山に関わらずちょっとずつ様子が変わっていくし、
人も減っていくんだと僕は思っているんですね。
ただ思っているよりもずっと粘り強く人はそこに暮らし続けていくんだろうなということを今回改めて感じました。
ということで今回は10年ぶりに芦生道山に訪れて感じたことをお話ししました。
以上草とか石とかのラジオ芦生道山についてでした。
お聞きいただきありがとうございます。
15:14
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