Vol.145 コモンズの再発明:心置きなく徘徊できる世の中を 丑田俊輔さん
2026-06-27 44:35

Vol.145 コモンズの再発明:心置きなく徘徊できる世の中を 丑田俊輔さん

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丑田俊輔 さん

シェアビレッジ株式会社 代表取締役
プラットフォームサービス株式会社 代表取締役
ハバタク株式会社 代表取締役
一般財団法人私立新留小学校設立準備財団 共同代表

▼コモンズの再発明 ー「みんなで暮らしをつくる」という生存戦略ー(Amazon)▼
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#自然資本論
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ー賞歴ー
第1回 みんなのポッドキャストフェス (私の推しキャス賞受賞)
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感想

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サマリー

本エピソードでは、シェアビレッジ株式会社代表取締役の丑田俊輔氏をゲストに迎え、「コモンズの再発明」をテーマに、自然資本と地域社会のあり方について深く掘り下げています。丑田氏は秋田県五城目町で「森山ヴィレッジ」を運営し、地域材を活用した持続可能な住宅建築や、教育留学制度などを通じて、新しい暮らし方や働き方を提案しています。 番組では、秋田の豊かな自然環境と、そこに暮らす人々、そして野生動物との関係性について議論が交わされました。特に、近年増加するクマの出没問題に触れ、人間と自然の境界線が曖昧になる中で、地域社会がどのように共存していくべきかという課題が提起されました。丑田氏は、単なる管理や排除ではなく、自然との調和を目指す「徘徊可能自治体」というビジョンを語り、子供たちが安心して自然と触れ合える環境づくりの重要性を強調しました。 さらに、コモンズ(共有地・共有資源)の概念が、近代社会においてどのように希薄化し、再発明が必要とされているのかについても考察が進められました。丑田氏は、現代版コモンズは、単なる生存戦略ではなく、「プレイフル」でワクワクするような関わり方を通じて、地域コミュニティを活性化させる可能性を秘めていると述べました。また、マタギの精神性や、自然の恵みを「授かる」という捉え方など、古来からの知恵に学びながら、テクノロジーや新しいビジネスモデルを融合させることで、持続可能で豊かな未来を築くためのヒントが示されました。

ゲスト紹介と森山ヴィレッジの概要
自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は森で働くことを愛する高橋と奥田が、 マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、北木の高橋です。 山東の奥田です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
今日は久々に、結構久々な感じですね。 ゲストに来ていただいておりますので、早速ご紹介したいと思います。
今日は秋田から参加していただいてます。 牛田俊介さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。牛田さんは去年、Commonsの再発明という本を出されて、 そこからじゃないですけど、その前からの繋がりはあるんですけど。
秋田と東京と鹿児島で活動されているってことで、
本を読んだらまあまあわかると思うんですけど、 かなり幅広くいろんなことをやられているので、
簡単な自己紹介をいただいた後で話していきたいなと思うんですけど、 いいですか、牛田さん、自己紹介を。
よろしくお願いします。
牛田と申します。
普段はですね、秋田県の五条目町という、 人口7000人台ぐらいの中山間地域の森の中に暮らしていまして、
収入の半分は秋田にいます。
残りの半分はですね、東京の千代田区の神田という町で、 千代田プラットフォームスクエアという町づくりの拠点を20年ほどやっていまして、
そちらに拠点があって、東京と秋田を行き来しつつ、
ちょっと東京に行ったついでに西にジャンプして、 鹿児島に着地して戻ってくるみたいな、そんな暮らしをしております。
遠い、だいぶ西ですね。
日本の中でもまあまあ行きづらいところですよね、秋田も鹿児島も。
普通の人はね、人生で1回行くかどうかという感じです。
羽田空港で一番乗り場が遠い仲間みたいな町ですね。
今日はなので、いろんな引き出しがあるなと思いつつ、
今、森山ヴィレッジっていうのをやられているというところで、
秋田のコモンズ、秋田だけじゃないんですよね。
コモンズというテーマにいろいろ活動されていると思うので、
その辺の話を最初聞きながら話していけたらと思うんですけど、
森山ヴィレッジの話から聞いてもいいですか、最初少し。
OKです。僕、今住んでいるのが森山ヴィレッジというですね、
五条目町の森山というシンボルマウンテンの裾野というか中にある場所に、
五島からなる集落と呼んでるんですけれども、
集合住宅のような場所を2年前に建てまして、そこに暮らしています。
この森山ヴィレッジという集落はですね、
コンセプトとしては、半径30キロ圏内程度の里山から杉を切り出して、
その杉を地域の中で制材して、デジタルパブリケーションというテクノロジーも使いながら、
みんなで加工して、酸化型で建築していくという形で、
30キロ圏内の自然資本だったりとか、もしくはコミュニティ、社会関係資本だったり、
そういったものを生かして、住宅を作っていくことができないかというふうに、
思って建てた住宅ですよね。
スマイルとしても使えるし、一棟樫のホテルとしても使えるし、
もしくは日々居住する方々が、例えば東京に住んでるけど、
月の1週間ぐらいは秋田に住みたいみたいな人が、
一人で一棟フルフルで持ってると、もったいないっていうのもあるので、
1週間分の家賃で住めたりとか、
町の小学校でですね、教育留学という制度を作っているんですけど、
1週間、2週間単位で住んでいない子どもも、
5畳目の小学校に通うことができて、出席日数にもカウントされるというような、
日々で教育できるような、そういう制度を作ってまして、
親子で2週間滞在したりっていう人も結構毎月のように秋田は来ているので、
そういったような暮らし方とか学び方とか働き方を、
住宅側も受け止められるようにできたらいいなと思って、
いろんな人たちが暮らしながら、
常に変わり続けていくような集落を作ろうというのが森山ヴィレッジですね。
いやぁ、興味深いですね。
秋田での暮らしと自然との関わり
出身は東京なんですか?牛さんって。
育ちはずっと東京で、生まれだけ福島の合図ですね。
そうなんですね。
なんで秋田に?
なんか水にあったのか、
土があったのか、東京の千代田区の神田でずっと活動してるんですけど、
千代田区と秋田の五条目町が姉妹として経営をしていて、
子供たちの交流とか、
企業同士の交流とか行政同士の交流っていうのがずっと緩やかに続いていて、
それで2013年に初めて五条目の方々を神田で出会って、
遊びに来ますって言って秋田に遊びに行って、
一泊水泉っていうおいしい日本酒が町の中で作られてるんですけど、
そこをたらふく飲まされて、いつの間にか引っ越してたっていうのが2014年。
僕も稲谷シリーズを作る前の時に、
地方でインキュベーションじゃないけど、そういうところをやってるとこないかっていうので探して、
結構たまたま五条目のベースがクリエイティブが素敵だったのがあって、
めちゃ真冬の大雪の中行ったんですよね。
だからすごいところだなって。
ここに企業組んのかってめちゃくちゃ。
それぐらい降るのか、五条目は。
めちゃめちゃ降ってましたね。
秋田の中ではまだマシな方だと思いました。
そうでしたか。
日本海が比較的近いんで。
でもそんなところから、そういう活動でやってらっしゃることも知らなかったんですよね、その時。
ババメベースのサイトを見て素敵ですか?みたいな感じだったんで。
そう、うっしーさんがそんな色々やってる人とも知らずに行って、あ、そうなんだ。
感じですけど、すごい素敵な場所でしたね。
そう、なので、うっしーさんはたぶん掘りがいがありすぎるので、
やってることを掘っていくと本当に全然終わんないし、またいろんなところでも喋られてると思うので、
今日はこの3人だから話せる話をしたいねって話をしていまして、
ちょっと事前の打ち合わせでも、今週クマ獲れましたみたいな話を。
ね、さっき動画ちょっと後ろでね。
してくれたんですけど、本当に山深いエリアで、
教育とコモンズ、共有地っていう部分と野生みたいなものと、
自然資本、自然資源っていうのをどう生きていくのかっていうのを、
たぶんいろんな視点でリアリティー持ってやってらっしゃると思うので、
なんかその辺をなんかディスカッションしたいなみたいな風にはちょっと思っていたりするんですけど、
なんかうっしーさんの中で今、秋田に暮らす中での自然との距離感とか、
その地域の中での位置づけってどんな感じで考えてらっしゃるんですか?
自然との距離感で言うと、野遊びがベースの生き方をしているので、
人間のコミュニティよりもどちらかというと、
岩名とか桜マスとかの方がたぶん好きなんだと思うんです。
そうなんですね。知らなかった。
吊り吉山平のふるさとでもあるので秋田。
すごく豊かな渓流と源流域があって、
五条目町はババメ川っていう川が1100m台ぐらいの山から流れてくる川の源流域に町があって、
そんな長い川じゃないんで町を通過して隣の八朗潟っていう寒沢した湖に流れて、
その八朗潟の湖から小川半島っていう生ハゲがたくさん生息している半島があるんですけど、
そこの海に流れていくっていう、ババメ川流域圏っていうふうに呼んだりもするんですけど、
どちらかというと町っていう自治体の枠というよりは、
この野遊びと水の流れで上流から下流、海まで行き来して暮らしてるなという感じですね。
春になると源流の渓流で岩名に遊んでもらったりとか、
あとは夏になると小川の海で夕食の食材を調達したりとかですね。
冬になると八朗潟の湖が凍るので穴開けて若さぎ釣ったりとか、
そんな感じで野遊びと季節の変化とともに行き来しながら、
ある意味その循環がもっと豊かになってくれた方が楽しくなると思うんですね。
アユとかサクラマスがもっと登ってくれた方が春のテンションが上がるんだけど、
感覚したことでそういった相乗も減ってきたりとか、
もしくは大きな気候変動みたいなものがあることで、
捕れる魚が変わったり減ったりとか、
もしくは3年も4年前に町で2年連続で水害で洪水が起きてるんですけど、
真っ黒な自然環境の変化と同時に、
ミクロな里山の状態であったりとか、林業も含めた木材とか、
残ってた材が流されて橋桁が詰まったりみたいなことも含めて、
すごくミクロな自然との関係性の中で起きてくるネガティブなインパクトっていうのも結構あるなと。
さっきのクマの話もまさにいいゆうかげんで、
人と人間以外の存在が関わり合いながら暮らしてきた、
淡いのような世界のバランスがちょっと崩れて基地を越えてきたのかななんてことを、
僕んちの前で7等ぐらい撮れてるんですけど、
なかなかな感じになってきたなというのが、
多分最近の自然との暮らしの中での関わり合いみたいな感じかなと。
クマの去年7等っていうので、
クマの出没問題と地域社会への影響
その手前ってどうなんですか?
一昨年とか4年前とか。
去年があれだもんね。
あんまり不作の年っていうふうに言われてるから多かった可能性があるってことだよね。
去年いきなり人身被害も含めて異例の事態っていう感じだったんですけど。
時間事故もちょっと長く見ると、
7年に1回ぐらいブナの大凶殺があって、
それはもう自然のペースみたいなのがあるんで、
大凶殺の時に奥山から里山や町に出ていくっていうのは、
ずっとここ最近はずっとそういうペースで来ていたりはしたんですけど、
やっぱり年々その人間が里山に入って遊んだりとか木を切ったりとか、
そういった行動がなくなってくるにつれて、
野生のラインが近づいてくるにつれて、
大凶殺の時はもちろんいっぱい出るし、
そうじゃない時も今までよりは出てきているっていうのは、
年々おそらく増加してきている感覚はあって、
かつこの凶殺と豊作のペースが短くなってきているっていうのが最近は見えていて、
去年大凶殺で、さらに2年前も凶殺だったりして、
結構短すぎですね。
1年おきに出てくると、さらにその凶殺の後に、
今年2026年度は大豊作って呼ばれてて、
すごく奥山に餌があるという状態なんですけど、
それでもこの春にもすでに近くでとれてますし、
豊作の年は子どももたぶんたくさん産むので、
来年の秋はなかなかな感じになるんじゃないかっていう風に、
結構専門家たちも言っているので、
その1年間でいろいろ社会実験も含めて、
結構高速でやっていけるといいなと、
いろいろ企んでおります。
それは牛さんたちは地域としての取り組みで、
クマとの距離感っていうのを考えていこうぜっていう感じなんですか?
一番最小単位で言うと、自分たちのヴィレッジが、
子どもも住んでたりするので、
アリさんとか、朝市のあるとか酒蔵のある街中とか、
自分たちが住んでるこのエリアで、
良い環境で遊んでいられ続ける街になったらいいなっていうのが、
一番最小限なので、
自分たちでできることっていうのは、
それは自分たちの暮らしの中でやれることと、
ビジネスとか事業としてやれることと、
行政とか国と連携してやれることと、
いろんなプロジェクトによって経済圏って結構違ったりするんですけど、
真ん中には自分たちとか子どもたちとか、
次の世代も街や領域で楽しくそこら辺を徘徊してもOKな世界になったらいいなとは思います。
めちゃめちゃそうですよね。
今、宇品さんの周りに住まわれているご乗務員の方々とかも、
今の段階ではやっぱり結構熊を警戒して、
森側では遊んでほしくないとか、
そういう親御さんの感覚とかって強くなってきちゃってる?
あります。秋田全土そうですし、
多分東北も全体的にそうだと思うんですけど、
去年の秋なんかだと小中学校なんかだと、
もう子どもが歩いて登校するのはちょっと危ないっていうので、
車で学校の玄関まで着けて呼び出して出てくるみたいな、
もう限界体制みたいな感じ。
確かに東北はね、特に熊の報道が多かった気はするかな。
秋田岩手がすごかったですね。
被害もそれなりにあったんで、恐れる気持ちっていうのは正しい部分はありつつ、
あと子どもの数も減って、
人が外で車社会化して歩かなくもなってるので、
もともと熊関係なく、
外で田舎町ってあんまり人が歩いてないとか、
子どもが遊んでないって多分あるだって、
人もまばらになってそうになってくると、
例えばスクールバスで子どもたちもてんてんと集落に落ちてくと、
昔みたいにいろんな多学年の子どもたちでつるんで、
森とか川に行って危険な遊びするみたいなことも、
集落に一人しか子どもいないとかなると、
結構やっぱり親御さんたちも不安なところは当然あるから、
それも相まって複合的に、
外であまり人が徘徊してない状態に。
どんどんバランスが悪い。
徘徊可能自治体にしたいっていう、
あの、密かな野望があるんです。
おじいさんおばあさんも、
うちのおじいさんが今95歳で、
老人ホーム入ってるんだけど、
やっぱり施設側の視点からすると、
外に自由に出ると何があるかわかんないから、
やっぱり施設の中でなるべく楽しく過ごしてほしいっていう、
管理システム的な思いって当然あるんだけど、
でもなんか自分だったら90歳とかになって、
街の朝一のストリートで、
あてもなくふらふらして、
いろんな子供たちと適当な話をしていたらいいなとか、
徘徊してるおじいちゃんがいても、
子供たちが建造おじいさんが徘徊してたぞって、
みんなで連れて帰ってくるぐらいな、
緩やかなコミュニティがあるといいなとか、
そんなことを思ったりするんですよね。
いいですね。
コモンズの再発明と現代社会
それこそさっきのクマの話もそうですけど、
誰がどこを管轄するのかみたいなことが、
結構多責というか足り気になっていくという感じがすごいあるじゃないですか。
だけどその徘徊できるとか子供たちが遊べるとか、
自然とちょうどいい塩梅湯加減でっていう話は、
むしろ自分たちでどうすんのみたいな話を、
結構リアリティー持ってやっていかないと、
だけどそれがなくなっちゃってるよね、この社会みたいな感じが。
すごい感じるんですけど、
それがなんか御縄面には、
全体じゃないかもしれないですけど、
生まれてるとか育まれてるっていう話なんですかね。
そうなっていったらいいなと思いながら、
コモンズっていう共有地とか共有資源とか呼ばれている領域も、
まさに時代の流れとともに、
あんまりまさにさっきの多責じゃないけど、
プライベートで自助で自分たちでやるものと、
行政が税金でやってくれるパブリックなものっていう風に、
ぎゅっと左右に引き延ばされていって、
土地も山も所有権がこま切れになって私有化されたりとか、
それを利用するときは、
貨幣でサービス化して売買していくみたいな時期になっていくと、
じゃあ森をみんなでどうしようとか、
商店街の最中の通りをどうしていこうとかっていうことを、
いわゆるそれがコモンズとか共に作るの今日みたいな領域だったんですけど、
そのあたりがだいぶ薄くなってきているという、
この近代社会の大きな流れがあって、
でもこのコモンな部分に結構楽しさとか可能性を感じてる人も、
おそらく増え始めてる兆しがなんとなく感じるし、
いいですね。
それをデジタルテクノロジーとかもしくはコミュニティを、
住民票だけにとどまらずにもう少し拡張していったりとか、
複数の拠点に暮らしたりとか学んだりとかっていう感じで、
今までのコモンズとまた違った視点とか暮らし方とか価値観で、
テクノロジーでもう一度再発明することができると、
割と世の中が楽しくなるのではなかろうかと思いながらやってます。
めっちゃわかります。
うっしーさんコモンズの再発明っていう言葉で、
表現した意味もすごいよくわかるんですけど、
多分共有地とかコモンズみたいなものが、
ここで生きるみたいな、
自分、村社会から離脱みたいなことで、
自分の人生を生きるみたいな物語が強くなった時に、
共に何か祭り的なものとかをするっていうのは煩わしいよねっていうことだったり、
いろんな多分価値観の中でそういう変化があって、
逆にそれが全然なくなっちゃった時に、
みんなで地域を維持するって当たり前のことだし、
面白いことかもしれないっていうのを取り戻す時に、
昔のようにではなくて、
現代に合わせた形でコモンズを取り戻さないといけないよねっていう話なんじゃないかと思うんですけど、
そこで大事になるもの、
現代版コモンズって考えた時に、
どこが重要なんだろうっていうのがすごい気になるなと思うんですけど、
たぶん昔は人間が生き延びるために、
助け合って、
共有地を作って、
資源が枯渇しないように、
いろんな掟とかルールとか、
そういったものを作ってきたっていうことだと思うんですよね。
なので、生存戦略的な感じで、
人間は群れて生き延びてきたはずなんだけれども、
それがあえて豊かになって、
別に群れなくても、
なんとかコンビニ行けば飯も食えるぜみたいになってきたら、
そっちの方が気楽であるっていうのももちろん価値観として、
事実ある気がするんですが、
これからのコモンズを考える上で、
一つは、生き延びるためにこっちにみんな行こうぜって言っても、
なかなか振り向いてくれないっていうのがあるので、
それはそうだね。
楽しそうだなとかワクワクするなとか、
しかも子供たちが一番本能的に楽しいことに夢中になって、
時間を忘れて、目的も意味があるかとか、
社会に価値を出せるかとか、
あんま関係なくそこに没頭していくような状態を、
プレイフルな状態とかプレイフルドリブン、
イシュードリブンというよりはプレイフルドリブンな、
世界との関わり方だなと思ってて、
なのでコモンズを再発明していくときに、
もちろんそれが課題解決とか生存戦略に、
結果的には繋がっていくんだけれども、
入り口としてもしくはそこに関わっていくことが、
めちゃくちゃプレイフルでワクワクするとか楽しいみたいな感覚を、
ちゃんと持っておけるといいなと思っているんですよね。
すごいわかるなと、楽しさというか、
いいよなみたいな感覚ですごい重要でありつつ、
それを、なんていうんだろう、
みんなでデザインとか設計みたいな話のときに、
サービス提供者と受容者に分かれてしまった時点で、
しんどいっていうのはあると思うんですけど、
ありそうだね。
誰が踊り続けるのか、
こっちめっちゃおもろいやろって、
言い続けなくてもだったり、
踊る人が変わりながらみんなで踊っていくとか、
楽しんでいくっていうことは、
しかも踊りたい人もいれば、
じっと魚を見てた人もいるしみたいな、
いろんな人の趣向性があるところで、
楽しさみたいなことを地域の中で、
みんなで共有していくっていうことの、
ある種の立ち上げメンバーはすごくわかる。
すごい重いでね。
そこにフォローしていく人たちとの関係性作りみたいな、
またあるよなと思ったりして、
僕もそれこそ顧問じゃないですけど、
いろんなことをイベントやったり森のことやったりする中で、
ずっとサービス提供になっちゃうとよくないんだけど、
みんなが自発的に何かする状態って結構むずいなと思ったりして。
踊り続ける人が頑張って踊り続けないといけないと、
踊ってる側が疲れるみたいな。
そう、突然多分マイクを置いて裸足になってステージ降りるとか。
でも本当にそうで、
新陳代謝とか代謝量をどれだけ増やせるかっていうのが、
多分すごく大事な視点で、
ずっと中心にリーダーシッペとかカリスマ的な人がいて、
熱狂し続けてないと維持できないっていう状態が。
しんどい。
しんどい、結構きついんで。
最初着火するときは多分狂気の遊び人が、
これやろうぜとか言って、みんなで仕方ねえなって集まってきて、
何かが始まったりすることって結構多いし、
子どもたちの遊びも多分似たような感じで、
これやろうぜってみんな乗っかってったら、
それを維持するためにちょっとしたルールとかも考えようって言って、
例えばサッカーとかも最初はボールを蹴って遊んでたのが、
オフサイドとかやったほうが絶対面白いよって言って、
ルールとか制約を作って、
プレイがちゃんと維持していくみたいな。
誰がサッカーを発明したかとか別にどうでもいい状態まで、
中心性がなくなって、
メンバーもまた新しいメンバーが入ったり、
っていうのが各地で起きていくっていうイメージが結構近いかもしれなくて、
立ち上げた言い出しつけが、
まさにどっかで中心から溶けていなくなったりとか、
中心にまた次の世代が入ってきたりとか、
コモンズを自治したり関わる人たちの、
いわゆるコミュニティのようなもの、
コモンズ運営における新陳代謝とデザイン
別に無理にそれを簡易制度にしてもしなくても、
僕はどっちもアリだと思ってて、
けどそのメンバーが固定化して、
そのコミュニティが閉鎖していくと、
やっぱり同質性が高まったりとか、
その中で淀みが起きて、
例えばいじめみたいなものが出るから、
そのメンバーの陳々退社みたいなものが作り続けられる、
生まれ続けるような形をどう作っていけるかとかも、
すごく設計、コモンズをデザインできるところとできないところが当然あるので、
資座としてはすごく中心性を溶かして、
退社が生まれて生成され続けていく状態をどう作るかっていう、
マネジメントだったりとか、
もしくはお金の巡らせ方だったりとか、
関わり方のデザインみたいなのが、
多分普通のビジネスとちょっと毛色が違うからこそ、
まだおときでどうしたらいけるのであろうかみたいなのが、
僕自身もすごいいろいろ苦労しながらやってると思うし、
そのコモンズの種類とかあり方で、
それが人数の規模感だったりとか、
どういうお金の巡らせ方をするのか、
あえて貨幣は介在しない方が面白いのかとか、
多分いろんなタイプが類型化もできてきてる気がしてて、
そのあたりの知恵をもっと全国のローカルとか、
もしくは日本に閉じずに地球全体で再発明しまくるみたいなのが、
これからの時代の面白さになっていくといいなと思っている。
いいですね。
それこそ商工会とか消防団って40歳丁寧みたいな感じのやつで、
そういう国家の策略の可能性があるかもですね。
もはや40歳丁寧はなくなってる状態でもあるけどね、ローカルによってはね。
確かに男性的な社会すぎるから、
少し変な歪みを感じるっていうのはあるんですけど、
でも僕も共有地とか古文、森をすごい扱ってる中で、
資産というか個人資産の分散っていうのはかなりめんどくさいんですけど、
古文図というか共有地と言われていた場所に関しても、
やっぱり再発明じゃないですけど、
非更新、アップデートされなかった時代っていうのがすごく重くのしかかってると言いますか、
昔は多分みんなで管理してた場所っていうのが、
移住者とかもしくは引っ越してくる人みたいなのが入ってきた時に、
暗黙の了解的に在来の住民でしかそこは使えませんみたいになっていく中で、
世代交代がうまくいかなくて、
共有地昔あったっぽいけどもうわかんないみたいな風になったり、
もしくは特定のおじいちゃんたちだけキノコを取っていたりするっていうのが割とあるなと思っている中で、
もう一回その止まった時みたいなのをどうやって動かすんだみたいなのがすごい大事だなと思うし、
そのおじいちゃんたちも結構なおじいちゃんになってきちゃってるから、
逆に引き継げるかもみたいな、
15年前ぐらいだと結構難しそうだったなと思ったりもするんで、
でもその感じもありそうですけどね。
時代性というかね、タイミング。
まさに森の話で言うと、
財産区とか入合地の共有林みたいなものって、
多分集落のみんなでお金を出し合って、
そこから生まれる利益を集落のために使ったり分配したりみたいなのをやってきた時代の流れがあって、
そこにまさにさっき話してたように移住者が来た時に、
こいつの権利はどうなんだみたいな、
俺らの権利ができないかとか、
もしくは引っ越して脱退した時にそれがどうなるんだとか、
そういったものっていろいろ複雑な部分がある。
複雑ですよね。
今まで積み立ててきた金額がでかい小さいみたいなとかね。
でも一方で、
ここまでそれがもはや監禁化されないぐらいの時代背景になってきてたりとか、
高齢化でそこまで主張しなくても、
もう次の世代に関与度高く託すかみたいな風になってきてる側面もあるので、
そういう意味だとまさに転換していく時期にあるなとは思います。
託される喜びじゃないですけど、
なんかそれを感じつつ、
僕たちの世代っていうのが託された森との関わり方とか、
整備の方法論を全く身につけずに来ちゃったみたいなところで、
もう手余すみたいなのも難しさですよね。
そうだよね、確かに。
50代くらいの人たちもすでに分かんないよね、その森の使い方とか。
ちょっと山菜取るとか、たけのこ掘りに行くとかはあるかもしれないけど、
管理っていう面で言うとほとんど手つけたことないみたいなことの方が大きいよね、きっと。
まだ木が育ってきてる段階みたいなタイミングで、
たぶん子供の時代を過ごしてるだろうから。
確かに、それが所有権もどんどん細切れになっていって、
誰がこの森持ってるかっていうのも、
たぶんあんまりみんなよく分かってないし、
それが相続されてさらに分散していくっていうので、
森山ビレッジを建てる時も裏山の木で建てられるのがもちろん一番理想なんだけど、
やっぱり所有権の細切れさがすごい一括してそこから切り出していくっていうのはすごく難しくしていて、
いろいろ苦労しながら一定の面積がまとまってあるところから切り出していったりしたんですけど、
この所有権がプライベート化されすぎたところを、
じゃあ誰がそれを再整理していくのか、
それを民間企業がそこに投資してまとめて整理できる、
ちゃんと収益化できるかというと、なかなかパドルも高くて放置されちゃったりしてるし、
知恵の生計みたいな話でも、
その5,60代、4,5,60代がなかなかそこに関わらなかったことで、
たぶんその上の7,8,9,10代の方々が持ってた里山とともに関わりながら生きていくっていう知恵も、
たぶん断絶し始めているので、
じゃあそれを次の世代の子どもたちとか教育システムがどう受け取っていくかっていう視点もすごく大事だと思っているし、
あとその熊問題なんかも、その知恵がないと、
共有林の現状と次世代への継承
もう進撃の巨人的に城壁を作って、人間はこの都市の中へみたいな感じで、
たぶん生きるしかなくなって、
もう人間と自然を切り分けることでマネジメントしてリスクを下げるっていうのが、
今の近代社会のやり方なんだけど、
里山的な思想とかテクノロジーというか技術を持っていると、
じゃあこの街に近いところはちゃんと張り取って見通しが良くしようとか、
その奥にどんぐりとか木の実が落ちるような森を戻していこうとか、
そこの木材をちゃんと活用して経済とつなげて、
住宅産業とかエネルギーをちゃんと産業化していこうとか、
そういうランドスケープをちゃんと見立てたりとか、
マタギの精神性と自然観
自然の資本を暮らしに生かしたり、お金に巡らせたりっていうところをできる知恵が、
もうちょっと現代のテクノロジーの進化によって、
新しい向き合い方が生まれつつあるんじゃないかなと思っていて、
森山ビレッジも一つの一条になればと思ったりするし、
AIのセンサー技術とか、もしくはドローンだったりとか電柵だったりとか、
そういったところもだいぶ日進月歩で進化してるんで、
ある意味ビジネスチャンスと捉えることもできるし、
もっと知恵を受け継ぎながら、
どう人と自然の関わり合いを楽しくするとか、
事業にすることができるかっていう、そのあたりはすごく可能性は感じてるんですけど。
そうですね。結局、地域のエリアの利用をどう考えていくのかみたいなことの話ですよね、きっと。
この場所でどう暮らせたらいいんだろうみたいなのを、
柵に含まれて生きることじゃないよなっていう話だし、
多分その対処両方的に柵作るとかなんかいろいろやっても、
ずっと同じ問題に苦しみ続けるから、
根本的に何を変えるべきなんだろう、暮らしの中でっていうのを、
どれだけ持てるんだろうっていうのはね、すごい感じますよね、今。
本当ですね。そのテクノロジーとかビジネスとか技術でできるところと、
世界観、世界の認識の仕方とか自然観とか、
そういう哲学観みたいな、そういうレイヤーの部分もやっぱり連動してあって、
秋田だと、マタギっていう熊と関わり合いながら暮らしてきた人の発祥の地とも言われてる場所が、
5畳目の内側の内陸のアニっていうエリアで、
マタギ的なこの精神性が、
結構秋田の人たちの中ではすごくリスペクトされているし、
彼らの世界の認識の仕方って、
コモンズ、森っていうコモンズを一つ取っても、
熊って所有権とか誰が持ってるかとか関係なく駆け回って走っていくから、
実際それは誰かの行政の森だったり個人の森だったりするかもだけど、
熊を取るっていう時にはあんまりその所有権とかを全く気にしないように世界をおそらく眺めてるはずで、
確かに。
どちらかというともう地球のコモンズであるとか、
もしくは俺らが住んでるこの行ける範囲は自分たちでちゃんといい森のままで、
熊も取り過ぎないようにしていこうっていうのが働いていたはずで、
だからそのコモンズっていう捉え方も濃厚民族的に見ると、
所有権を明確にして、個人か集落のみんなでちゃんと明確にこれを所有している状態を持って、
そこに何かを植えたりとか適度に間伐して育てたりしながら、
マネジメントしていくっていうローカルなコモンズのあり方っていうのが、
これはこれですごく大事なんだけど、
同時にこの狩猟再就民的なコモンズの捉え方っていうのは、
もしかしたら育ってるとかっていうものもそこまで大事じゃないというか、
育てられる、勝手に自然の力で再生産されたり育っていくものって、
やっぱり世の中、自然資本でそういう類のものだったりもするし、
所有権という視点でも別に自分たちで明確に登記して持ってますとか言わなくても、
ちゃんと関わり合いを持ってるっていう、
で、そこから取れたものは取るって言わずに授かるっていうふうに、
赤ちゃんを授かると似てる感じですけど、
なんか自分たちの力とか手柄っていうよりは、
関わり合いの中で真剣に勝負して授かることができたから、
能動でも受動でもない、中道体的に世の中を認識して、
そういう言葉遣いをすることで、
ちゃんと感謝して余すところなく使い切っていくと。
なんかそういう風な哲学感とか自然感を持っている気がして、
なんかこれはまたぎっていう名乗っている人たちだけじゃなくても、
なんかそういった精神性とか世界の眺め方は、
なんか持って生きるといいなと思ったりすることはすごく多いですね。
でも確かに自然の恵みとかっていう、その恵みっていう言葉とかも、
実際はコントロールできないものとして認識しているから、
ボトボト使われてたりする可能性もあるしね。
そうですね。
この昭和以降の価値観が強すぎるみたいな、
昭和以降生まれだからしょうがないんですけど、
でもなんかやっぱり、過去の戦前戦後の写真とかを見たときに、
山がすごい、木がないっていう状態を、
どちらか、江戸時代もそうですけど、
悲観的に捉えるっていう話がすごい多いですけど、
実際は多分広めに撮ったバッファーゾーンだったっていうことが、
かなりあるんだろうなっていうのは最近僕も思ってるんですけど、
なるほど。
なんかそういうふうに多分、江戸時代とかじゃなくても、
本当にこの何百年何千年の間、野生動物との境界線争いじゃないですけど、
割と自分たちの命を本当にどうやって守るかっていうことに、
取りすぎるっていうこともそうかもしれないですけど、
必死だったんだろうなっていうのは、
なんか最近の昨今の熊問題を見ていて思うし、
やっぱり競うとか、秋田もそうだと思うんですけど、
車で走っていたら、5年ぐらいほっといたら、
もうこの道全部森の中に帰るのかみたいな。
ありそうですね。
いっぱいあって、その時に、
これは人の道っていうよりどっちかというと、
動物の道に近いなって思ったりもするので、
なんか境界線曖昧なままに、
なんとなく行き過ぎているっていうのが、
感じるなーって、これどうすんだみたいなのを思ったりしてるんで。
日本はほっとくと、ほぼ全てが森に戻るぐらい、
ある意味豊かな場所なんですよね。
それを人間が草刈ったりして、
なんとか人間が生きると、
生きてきたっていう感じ。
渓流釣りとかしてると、やっぱり林道とか橋とか、
日本中にも裾裏裏張り巡らされているものも、
もう全部を維持して、草を刈ってっていうことが、
除雪をしてとか、多分難しくなってきてる部分もあると思う。
それを全部残すっていうのは多分難しいかもしれないし、
もしくはテクノロジーが解決できることも、
ある意味テクノロジー楽観論者的な視点で言うとあり得るし、
それだけだとできないものっていうのも当然あったりするなとか、
そんなことを思ってよく、
減流域に向かってます。
地域利用の再考と未来への展望
いやいやいや、三拠点しながらよく釣りに行く時間ありますよね。
確かにそうだね。
生きるためには釣らないといけない。
そういう食べるために。
基本は食べるためにやってる感じです。
今日も直前、アジをさばいてました。
川から海まで。
素晴らしいな。
いいっすね。
すいません、だいぶ広がった話の中で、
いろんな発散的に広がった話と、
こうしていけるかもみたいなヒントになりそうな話もいろいろあったんですけど、
やっぱりなんだかんだ自分たちがどうすべきなのかみたいなことを、
地域の中で受け継いでこなかった世代だからこそ、
この街がどうなったらいいかって問われたときに、
結構逆に難しさもある。
たぶんおじいちゃん世代は、
自分たちの先祖が守ってきた土地だから、
それは大事にするのが当たり前だろうみたいな、
インストールされた価値観みたいなのがあって、
僕らはそれがないからこそ、
そこをどうデザインし直すのかみたいなことに、
結構一生懸命にならないと、
何もせずに、公共サービスじゃないんでしたっけそれってみたいな、
移住してほしいんですよねみたいなすごい、
えーみたいな感じの。
そっちのほうが多いよ、基本はね。
そこをもうちょっとみんなで、
みんなでっていうのが難しいんですけど、
各公民間単位ぐらいで話していこうよっていうのが、
本当は必要だなと思ったりするのですが、
だいぶ長くなってきたので、
前半この辺にして、後半は、
大島でやってる小学校の、
作ろうとしてる小学校の話も含めて、
自然資本と子どもたちみたいな話を聞けたらいいな、
かなり繋がってくると思うんで。
じゃあ一旦この辺で終わりにしたいと思います。
ありがとうございます。
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