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#082 StraightFilmes〜元プロランナー岸本大直さんが紡ぐ光彩の芸術〜
2025-03-07 1:21:20

#082 StraightFilmes〜元プロランナー岸本大直さんが紡ぐ光彩の芸術〜

ゲスト:キッシー(主宰)/岸本大直さん(クリエイティブディレクター)

MC:ハルカ(ダサポーズ担当)

おしながき;倉敷高校からの明治大学/アウトローな寮生活/箱根駅伝8区/社会人&プロランナー遍歴/龍ノ口で低酸素マスクトレーニング/クリエイター転身の理由/センスと努力と/主宰との出会い/岡山地元企業から大阪へ/共感力/なぜ塩屋に/塩屋は明るい/走るのと撮影するのは似ている/川上から川下まで/これからのランとの付き合い方/岡山の仲間にむけて ほか


Shioya Mountain Club

@shioyamountainclub

神戸のウエストサイド、各駅停車しか停まらない小さな町、"塩屋"。海も山も街も駅から.すぐに入れる絶好の環境に、垣根を超えた仲間が集います。トレイルランニングと地域活性化を軸に、go spicy say hee haa!な日々を送っています。

⛰️日朝練

→毎週日曜朝6時塩屋駅北口魚屋さん前集合

🐟水曜ドーロ練

→毎週水曜朝6時塩屋駅北口魚屋さん前集合

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00:00
塩屋ヒーハーFM
皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
神戸のトレランチーム、塩屋マウンテンクラブのサポート担当、はるかです。
2月の寒波の訪れた寒い日、ここ塩屋の真ん中にあります武室にて今回も収録しております。
今回は2人のゲストがいらっしゃっております。
芸術才能、岸井さん。
岸井です。こんばんは。
こんばんは。
ノロウィルスからの復活を果たし、本日お越しいただきました。
やっぱりご飯が食べられてほしいです。
ですね。
ワンダさん食べてきました。
ワンダさん行かれたということで、私はシロちゃんにその頃おりました。
声かけとけばよかったな。
残念。
そっちだったかと思って。
そうですね。シロちゃんかワンダ迷いますね。
迷うところですよね。
秋鉢さんはやってなかった。
秋鉢さん見てなかったですね。
見てなかったか。そっかそっか。でもシロちゃん行ってたらこっちにたどり着けてないかもしれないから。
長いこと。
そうですね。
酒が入ってて。
確かに。よかったです。ワンダさんで。
そんなワンダさんに一緒に行かれてたということで。
今日は素晴らしい。
素晴らしい。
超素敵な。
レアかもしれないですけど。
キュンキュンしちゃう。
作ったものを見て。
作ったものを見て。
すごい方に来ていただきましたね。
元って言っていいのかな?トレイルランナー。
そうですね。
今クリエイティブディレクターをしていらっしゃる岸本寛太さん。
皆さんこんばんは。岸本寛太です。よろしくお願いします。
箱根駅伝にも。
そうですね。全国高校駅伝にも。
そうですね。高校時代は全国高校駅伝。あと都道府県で駅伝。
ありとあらゆる。
富良敷高校から明治大学って超エリートですからね。
エリートですね。
トレイルでも富士登山駅伝で区間賞ですからね。
かっこいい。
でも元ですから。
そうですね。今は過去の。
そんな岸本さんが今映像を作っているというところで、
どういう経歴でそこに今たどり着いているのかみたいな奇跡を色々お聞きしたいななんて。
経歴が色々聞きたいことがありすぎてかなり話飛んじゃいそうですけど、
ちょっとなり受けのままで。
あと松屋とのつながりとかね。
03:02
分かりました。
よろしくお願いします。
それでは今週も神戸のウエストサイド松屋から松屋マウンテンクラブのメンバーが
スパイシーセイヒー派な話題をお届けいたします。
ということで今日は聞きたいことが盛り盛りですので。
そうですね。
余計な話はせずに。
いきなり話を聞きたいなと思っております。
まず自己紹介的なところでプロフィールを私の方から簡単にお伝えさせていただきます。
岸本寛太田さん、1988年生まれ岡山県のご出身。
先ほどの通り明治大学のご卒業というところで。
公認最高タイムが1万メートル29分35秒32。
ハーフが1時間5分16秒。
めちゃくちゃ早い。
トレイルランナーとかのこの辺に出ているレベルとは違うので。
実業団まで行かれているので。
カポネランナーとしては結構タイム遅いんですよ実は。
29分35秒。今の学生だったらメンバー入れないレベルです。
今はめちゃくちゃ早くなっているので。
どんどん高速化している。
1分ぐらい高速化していますね。
僕の現役時代も僕がギリギリでメンバー落ちるか走れるかという境目だったので。
このタイムは割といるんですね。カポネランナーの中では。
出れるか出れないかのあれですよね。
でもそもそも明治に来ている方自体が小駅伝でも主要区間を走ったような。
例えば同級生でもラクナン高校出身とか。
あとよろい坂さんが一つ下。
オリンピアンでしたっけ?
世界選手権で。
アサヒカセイで27分台の選手が一つ下にいたりなので。
だから甲子園に出て活躍している選手が明治に行くという感じなので。
そのメンバーに入るのが補欠に入るのが大変ですね。
チームの中にもAチームからDチームというのがありまして。
合宿もそのメンバーに振り分けて行く場所が全く変わるんですよ。
Aチームは夏休みは北海道に行ったりとか。
ただBチームは長野とか。
CとDは東京に残って合宿とか。
そんな対抗がモチベーションにも引き割れそうな。
部活なのに。
結構厳しい世界ですね。
本当に実力勝負のところですね。
06:01
でも岸本さんちょっとアウトローなところがあったんで。
スケボー持ち込んだり。
高校の時もギター持ち込んで。
超きついところですよ。
超きつい今と違って。
きついきつい部活動の中で落ち込んで。
結構縛られたって聞きました。
会うたんびに監督にはお前あの時スケボーしちゃったよなって。
お前が死ぬまで俺は言い続けるからなって。
って殴られます。
今のこの姿とか雰囲気を見るとすごくご丁寧だし。
アウトローなイメージというか。
逆らうみたいな。
好奇心に素直な。
その中ではアウトローだったかもしれないんですけど。
さっき楽南の友達とかも一緒にラジコンとかやってたりしたんですけど。
ランニングと音楽関連してたりしますし。
そっちの側面で助けられることが多かったんで。
スケボーも腰に乗って安定したらうまくプッシュっていうんですけど。
違うものでトレーニングをしてたっていうような感覚だから。
全く悪いことをしてるつもりではなかった。
やっぱりそれって高校も大学もちょっと制限されてる中の環境ですもんね。
そうです。もうガチガチに文言ありますし。
飲み会とかもないですし。
東京の新宿まで15分という距離感ですけど。
全くそんな悪いことはしなかった。
スケボー乗りましたけど。
そんな学生時代でした。
そんな中切磋琢磨をしながら、大学4年の時ですか?
一番最後の4年の時に箱根を走りました。
2011年の箱根駅で8区走られてますね。
すごいですね。4年目で掴み取るという最後のところで。
そうなんです。結構大変で僕は怪我が多くて膝をやっちゃうことが多かったんですよ。
それが原因で本当にまともに走れたのって1年間ぐらいじゃないのかなと思っていて。
それがたまたま大学の4年の最後に結果が出てたまたま走れたような運が良かったタイプです。
でもその最後の先行のところ。
要はエントリーメンバーには入るけれども。
実際自分が走れるっていう。
もちろんオーダー発表の時は最後だと思うんですけど。
その辺の確信とかってのはどんな感じでした?
これがもう落ちると思ってて。
もう走れないだろう。
というのも僕と8区という区間を。
僕8区とアンカー任されてどっちか行く予定だったんですけど。
アンカーが僕の同期のキャプテンで。
その8区が有望な1年生だったんですよ。
09:01
練習もいい感じ同じぐらいできていて。
その子が最後のメインな練習を落としちゃうんです。
落とすことはこなせなかった。
それでたまたま選ばれたんですけど。
それまでずっと多分調子悪くても1年生を使った方が経験になるから。
僕は使わないだろうと思って。
本当に前日まで分からなくて。
オカンに走れないと思うから。
この4年間本当にお世話になりましたというメッセージを送った後に。
監督に。
送った後に。
走れって言われて。
ギリギリでしたね。
それってなんていうんですかね。
後日だになると思うんですけど。
監督が岸本さんを選んだというか。
それは聞けてるんですか?
直接は聞けてなくて。
ただいろんな人から話を聞く中では。
いろんな流れがあって。
一番怖かったとお前が。
その4年の一番最後に調子が上がって走りになっても経験がないから。
走るのが怖かったっていうのが一つで。
その前日にオーロが終わった時に監督にインタビューをするんですよ。
その時に八九が一番怖いですねって言われていて。
よくそれ見てて。
俺?っていうのを見てて。
逆に結構考えてもらっているんだなっていうのを感じて。
別にプレッシャーとかは思わなかったんですよ。
本当にたまたまなんですけど冷静に走れて。
こういうなかなか出せない結果を出せた時に。
起用した理由としては4年生の中で。
4年間見てきてお前は怪我ばっかり多かったけど練習は絶対真面目にやってた。
練習以外も誰よりも早く来て。
誰よりも遅く帰り。
筋トレも言わなくてもやると。
監督が出すメニューっていうのは6割ぐらいが俺が提案するメニューだ。
そこから残りの4割はお前たちで考えろっていうスタンスなんですよ。
それはちゃんと理由があって。
社会人としてこれからなる人間を育てるという意味と。
また社会人になっても伸ばす選手を作りたいという意味で。
そうやっていたのに僕は当てはまっていたというのがあって。
お前が走れたとしたら後輩たちにいろんな希望とか勇気を与えられるから。
起用したんだって言われたのはこのチラッと聞いたんですよ。
それを聞いた時は嬉しくて。
自分を信じて頑張ってきてよかったなって報われるなとは思いましたね。
でもそれ選ばれないって思っていた部分もあってのモチベーションが結構大変ですよね。
かといって走る準備もしておかないといけないし。
12:01
その通りですね。
最後ですし。
その辺がやっぱりすごく。
最後までずっと。
21歳、22歳にして結構やっぱり。
後遺伝とかも経験されてるんでそれなりの舞台を踏まれてるにしてもですよね。
僕意外とこういう土壇場って緊張しなくて。
箱根の当日走るってなってもあんま緊張しなかったですよ実は。
すごい力が抜けてて。
ただどっかしら緊張している部分があったんですけど。
僕が走るってなった時に卒業された先輩たちがスタートラインに来てくれてびっくりして。
お世話になってた結構かぶってない先輩とか高校時代の大先輩が来てくれたりとか。
え?っていうような成果っていう。
それで結構力が凝ってた緊張がいい感じの緩和をした気はしていて。
なんで冷静に走れたのかなと。
本当に皆さんのおかげでしたね。
実際の走ってての沿道の声援とかそういうのってどうですか?
聞こえるものなんですか?
これ意外と聞こえるんですよ。
僕はめちゃくちゃ聞こえて。
8区って結構面白くて。
1.5キロくらいに徳水さんいるじゃないですか。
徳さん。
徳さんがいるんですよ走ってて。
徳さんおったと思って。
走りながらあんまり聞いてなかったんですけど。
思いっきり僕の名前間違えてて。
岸本博太だったんですけど大輝大輝とか言って。
普通に呼んだらそうですもんね。
聞いちるなーとか思いながら。
それはすごい気づくものではあるんですけど。
でも沿道にいる大学の友達とか。
うちの岸本が15キロくらいにいて。
その声もはっきり聞こえましたし。
割と冷静に聞こえるんですよ。
不思議でしたね。
股間が高ぶっているというか。
不思議でしたね。
平塚から戸塚まで?
はいそうです。
海沿いの爆風ですね風は。
その時は風は?
その時は向海でしたね確か。
向海風でタイムが出にくいコンディションでしたね。
でも体感的に向海は強そうな感じはするんですけど。
僕スピードランナーでグイグイ押してきるんですけど。
ストライドがないんで結構浮くんですよ。
横風弱いんですよ。
横風が来ると流されるんですけど。
向海は割とガシガシいけるタイプなんで。
あんま気にはならなかったですね。
15:03
後半で一気に前半向海押していっていると急にオーバーペースできない感じになって落ちちゃったりすると思うので。
なかなかでも腹が決まっている感じの走りをされていたんで。
コーチには僕結構フロントランナーで走るのが好きで。
大会とかで一番前に出るタイプなんですよ。
それをよくやっててめっちゃ怒られてたんですよ。
もっと上手く走れよと。
すごいトーンでお前最初出たら許さんぞって言われて。
これもう落ち着いていこう。
競ってた状態だったんですか?
僕の1分半くらい前に東海大学の赤染くんと呼ばれて。
それを背中を追っているような感じで。
僕ちっちゃく見えるかなって。
大立場だといいですね。
よかったです。
どんどん背中が大きくなっていって。
一回抜いたんですけど。
遊行時の坂っていう急塔があるんですけど。
そこでちょっと離されちゃって。
1分くらい詰めたけれどもっていう感じでゴールしましたね。
速感6位だった。
そうです。どうだったかな。
同着の5位は忘れちゃったんですけど。
そんな感じでしたね。
同じタイムの人がもう1人いた。
でもいい走りですよね。
すごい回想ですね。
当時の明治大学の名台。
その8区走った人の中で一番速かった。
それこそ1万のタイム以上の走りですよね。
それも期待以上の走りをしたということですよね。
みんなどのチームのピーキングを合わせてきている中で
空間5位というのはすごいですよね。
すごいと思います。
ありがとうございます。
進路としてはその後プロの。
これ結構情報量多いんですけど。
言わしてますけど。
僕こんなゴリゴリにやってたんですけど。
どうしても実業団に行きたいという気持ちがあったんですが。
その時就職氷河期というのと
僕自身結果が出ていなかったというのがあって
実業団には行けなかったんです。
社会人1年目は東京の農協JAさんに勤めていて
銀行業務をしていたりしたんですね。
そこからもう一度走りたいとなって
仕事を辞め
その次が郵便局。
郵便局の同好会があって
その同好会でトレーニングランナーの有名な
荒木幸太さんってご存知ですか。
荒木幸太さんと同じチームで駅伝やってたりとか。
それも1年間くらいやって。
その後に新潟にある
おもかわ材木店という
フルタイムで仕事をしながら
大工さんの会社があって
そこの駅伝部に入って
そこにも駅伝部が入って
話題になりましたよね。
おもかわ材木店ってちゃんとニューイヤーにも出てるんですけど
大工さんが大工をやりながらみたいなのも含めて
新潟という場所も含めて
18:02
実際どういう風にお仕事を両立されているのかな
みたいになるようなチームでしたよね当時は。
新しかったんで。
本当にフルタイムで同じように働きながら
僕は広報課というところで営業してたんですけど
ほとんどメンバーが大工で
作業をしているという感じで
同期に外人のカルクワという子がいたんですけど
黒人選手がいたんですけど
彼も大工で手伝ってました。
日本の文化を。
そんなところでしたね。
そこから1年間やって岡山に帰ったのが
12年前ぐらいになるんですね。
そこ12年前に岡山に帰って
引退する気で帰ったんですけど
結局職場にUTMFを目指している人が一人いて
その人に影響されたっていう。
それも偶然ですよね。
偶然でしたね。
僕は走る気なかったんですけど
ランニングのセカンドキャリアっていうのかな
そういった部分でトレイルランニングって
面白いなと思って
その時はまだ選手からトレイルランニングで
株主さんとか小出徹さんとかが
YKKにいたんですよね。
有名な方で
あんまりそういう進路に行く人がいなかったんですよね。
これって結構可能性あるなっていう
ランニングの業界でも可能性あるなと思って
トレイルを始めたっていうのは
岡山に戻ってから
そうです。始めた。
UTMFの話を聞いて
聞いてですね。
そこから練習をし始めて
神戸だったら淡市とか
淡市とか参加させてもらったりとか
あとローカルなコミュニティがいっぱいあったので
そこに顔を出して練習させてもらったりとか
そこで知識をつけて経験値を積んで
その時は社会人を普通にしていたんですけど
トレイルで面白いことができないかなと思って
活動というか
トレーニングしていたって感じですね。
ヤマはもともとあれでしたっけ?
そうですね。
好きだったんですか?
ヤマは大好きで
僕は高校時代に駅伝部をやったんですけど
高校時代というのが
僕が3年生のときにあったんですよ。
僕は中学校から国体の強化選手だったんですけど
トラック競技ではなくて
重装競技という競技があるんですよ。
その12キロの重りを背負って
直投
ヤマを直投するという練習を
ボンカーじゃないですか?
だから確かにテキストがあるんですよ。
それも出さされていて
21:01
最初はお前上体筋肉ないから
クライミングやられていて
倉敷高校ってクライミング場があるんですよ。
トレーニング用で
クライミングやらされていたんですけど
気づいたら12キロの重り背負って走っているみたいな
ヤマは面白いなという経験があったんです。
国体には補欠で出たんですけど
3年生の頃も
秋田国体の
中国大会で優勝したんですけど
これちょっと独特なルールがあって
失格になっちゃったとか
そんなヤマの経験があって
心残りな部分がいっぱいあったんで
それをトレイルでも発散できるなみたいな
と思って
ずっと頭に残っていたのが
今は現実的にできたなみたいな
どんなトレーニングをしていたんですか?
チームでいろんなところに
顔を出しているというのをおっしゃっていましたけど
知識をつけるときは
いろんな人に情報を聞いて
一緒に走っていたりしたんですけど
どうしても
一匹狼派で
トレーニングを一人でするんですよ
岡山の山って結構低い
シティトレイルといって
標高100から200くらいの
標高差の山を
トレーニングしていたんですけど
一人のときは
本当に登って降りての繰り返しで
往復
低酸素摩擦をつけながら
トレーニング
そういうの好きなんで
なかなかこの辺じゃ出かけない
そうですね
なかなか低酸素摩擦をした方と
すれ違った経験はないですね
本気でやってます
本当に先日開催された
アーバントレイル辰野口という
塩田さんが主催している
アーバントレイルというチームが
あるんですけど
ラシンバンというチームが
主催している大会があって
そこのチームが使っている山があって
一番きついと言われている水落
水が落ちると書いて
水落と言うんですけど
3キロで
200キロちょっと強固さのある
結構上がりますね
行ってないか
行ったよね
辰野口
そこでトレーニングしてましたね
上半身裸で
2リットルのペットボトルを持って
ザックを背負って
低酸素マスクして走っているので
ヤバい人
ヤバい人
ハイカーの方もいるじゃないですか
結構普通の登山者多いですよね
そうなんです
あんまりそちらから来る人はいなくて
てっぺんに登ったらいるみたいな感じで
そのマスクが
ダースベイダーみたいに
スコスコ言うんですよ
イノシキだみたいな感じになっちゃって
驚かしてしまうこと結構あって
これちょっとアカンな
トレイルランナーのイメージ悪くなりそう
トレイルランナーって
TPOを分け合い
トレーニングしていたりとか
しましたね
24:01
まだでも本当に
あれですよね
例明記トレイランの雑誌とかも
まだちょっと出ているぐらいの
感じの時ですよね
そうですね
UTMFっていうものが
何回大会とかですかね
はっきり覚えていないんですけど
それが
11年
12年前ぐらい
でしたっけさっきの話
戻ったのが12年前で
そうですね
走ったのは
17、18、19
18、19か
STYとUTMFを走ったんですよ
8年、9年
だったかな
結構前ですね
7、8年前ですね
自分も本当に
トレイルをやり始めた頃
ぐらいかもしれないし
はるかちゃんはその時は
ハイカー?
まだハイカーですね
そうですね
多分ですけど
なんとなく岸本さんのことを
知ったのが
あれですね
それこそ心情のトレイルか何かで
小寺さんのことを知っていて
ヒロポン
小寺さんがロストか何かをした時に
優勝されました
順位賞でした
その時に岡山に
我々走ってた
僕も競技やったんだよ
分かるんだけど
男前の方がいるなみたいな
小寺さんって
ロストするか
優勝するか
0-100の女子が
ロストしたわ
帰ってきたんで
どこ行ってんすか
その時も岸本さん
ちょっと
その時プロトレイラーナーかどうか
わかんないですけど
岡山で活動されてる
知ったぐらい
あの頃も
ここまでのあれじゃなかった
まだ面識はそんなないけれども
まだ面識はないですね
接点何かしらの
僕はちょっと知ってたぐらい
近いところには
本当はじめは
ある程度トレーニングできるようになって
スカイランニングとかも挑戦してたんで
その時に龍太くん
中谷龍太くんとか
ヒロポンとか
西澤くん
一緒に
裸足の
富士登山
富士登山行き前は
それのはちょっと後ぐらいですかね
そうですね
もうちょっと経ってからですよね
さっき資料見たら2017年
17年
富士登山競争
富士登山行きで
競争も
競争も出ている
10位やって
直太くんに負けてましたね
直太と一緒のレース
27:00
一緒でした
優勝してましたね
そうか彼はバケモンやな
バケモンっていうか
びっくりしました
この岸本さんには
このほどじゃ
僕が10位で
強いですよね
松原さん
松原さんが出てたんですか
だから
怒られるけど
ちょっと一世代前の
あれいいですよね
みんな
今みたいにSNSが
ここでなかった時に
純粋に
走ってるっていうか
そうですね
松原ちゃんともよく練習してて
そう
夜通し山走って
僕はお腹壊して
彼は上からで
そんなので走って
なんかすごい
情報もあんまり
そこまでなかったのと
なんとなく
うっすらあったって感じですね
ですよね
だからトレランの道具って何とか
あと
いいこと悪いことっていう
アウトラインとか
そういう状況でしたね
そこから色々人数も増えてきて
岡山では
岡山トレイルランニング大会が
できましたし
本当
盛り上がる前の話かもしれないですね
新庄村の大会とかは
本当に街おこしの
モデルとしても
結構取り上げられているような
ルーツで
私もそんなに詳しくはないんですけど
その後ちょっと形変えて
ホレストレールって変わって
運営会社のフィーズさんから
変わって
ああいうのは本当に
街おこし的なところも含めて
割と考えられながら
チャレンジされている
あれでしたもんね
そういう流れがあったんですね
そうですよね
そんなトレイランの経歴が
目覚ましいというか
花話か
そんなところで
どうして
クリエイターの方に
転身されたんですか
これは大きなきっかけは
2019年のコロナ禍がきっかけであって
いろんな理由があるんですけれども
まずどこから話そうかな
これ2つの側面があって
陸上走るっていうことと
あと
クリエイティブっていう部分の話になるんですけど
走るっていう観点から考えると
このランニングって
言い方すごい悪いんですけど
ちょっとダサいじゃないですか
すごい悪いんですけど
ダサいというのも
きついイメージしかない
地道っていうことですね
30:00
よく走っていない人から
走るの何が楽しいのとか
聞かれるじゃないですか
よくあれあれなんですけども
そこのイメージを変えたかったっていうのもあって
僕プロのランナーという形で走っていたんですけど
それもそういうきっかけで走っていて
単純に見栄えを良くしたかった
ランニングっていう業界の
もっとかっこよさを切り取りたかった
って意味でカメラを持ち始めたっていうのが
きっかけではあるんです
例えばそれが
写真じゃなくて
当時はGoPro Hero5ぐらいが出てて
それを持って自撮りしながら走ったりとか
あといろんな場所に行って
走ってる人を撮りながらとか
そういう発信をしたかったという
どうしても文章だけじゃ
認知されない部分もありますし
ちょうど僕がその時は
Facebookが一番流行っていた時期なんで
Facebookで写真とか動画とかを上げると
反応が良くて応援してくれたりだとか
こういうことがやっぱこれから大事だなと思って
カメラを持ったっていうのがきっかけなんですね
そこから本業になるのはちょっと先で
さっき言ったコロナ禍
コロナ禍ってなった時に
単純に僕自身の仕事がなくなってしまった
っていう時に
たまたま持ってたものがカメラっていうもので
ちょっと仕事が来るようになった
っていうのがきっかけなんです
そのきっかけになったことで
これなんかもっと勉強すれば
また仮にランニングに戻ってきた時に
そういうクリエイティブな側面を持ってきて
もっとかっこよくできるなと思って
じゃあもう本当ちょっと修行しようと思って
2019年後半ぐらいからカメラ持って
一人でずっと撮り続けたりとか
勉強したりして今に至るっていうような感じなんです
コロナの時にランニングコーチのお仕事とか
結構されてたんですけど
コロナで特に地方ほど
より集まらないというか
いつも避けようっていうのがやっぱり
あったと思うんですよね
その時にやっぱり
イベントしても
イベントそのことすること自体が
開くみたいな感じもあって
僕も旅行の仕事をしてたので
旅行って団体に行ってみたいな
世界の中で
それがやっぱり全部中止になる
全部売上のものがなくなっていくっていうのを
経験をしている中で
イベントもやっぱりアクだったんで
その中で考えられたってことですもんね
行き着いた結果が映像だったってことですね
映像だったって感じですね
本当にあれの中で
私もウーバーされてるのとか
そのウーバーされてるのも
また動画というか
撮って軽くバズったりとか
しましたね
僕もウーバーしてるから
33:00
違うところですから
だから結構似てるというか
そうですね
でも趣味だった映像が
お金をもらえるようになるまでって
なってたわけですよね
お仕事もらえてたっていうこと
ただ
ちゃんとしたお金をもらえるようになるには
結構時間はかかりましたね
1年はかかってないかもしれないけど
そういう時期でもあったので
案件はあることはありましたね
そこから2年くらいしてから
ちゃんと仕事として成立するような
お金をいただけるようになったかなと思いますね
これでやっていこうって思うまでには
またさらに時間かかったんですか?
割と早かったです
コロナ禍になった時に
走ってるだけじゃ
未来作れないなと思っちゃったんです
これ
突き通すことはかっこいいことだと思うんですけど
一回一歩引いてみて
俯瞰して自分を見ようってなった時に
影の人間になることが
これから多分
意味のあることにつながるんじゃないかなと思って
割と早くカメラの勉強をし始めた
影っていうのはカメラの被写体ではなくて
撮る側っていう
後ろ側に立たないといけないと思って
これ勉強しようと思って
やりましたね
割とカメラは絶対仕事にするって決めたのは
コロナが始まったくらいでしたね
いろんな別にカメラじゃなくて
普通にまた一般の企業に就職とか
いろんな選択肢ってある中で
それを直感的なところも含めて
選んで包まれているのがすごいなと
なんかあったんですかね
感じるものはあって
単純にSNSとかに出すと
Facebookとかに出すと
かっこいい動画だねとか
写真いいねとかっていう
反応が明らかに良かったので
これすごいランニングにイメージ良くなるし
ランニングじゃなかったとしても
企業のプロモーション動画とか
これ撮れるようになったらお金になるなとか
思ったり
可能性はすごいある
これから伸びていくものだなと思っていたので
やるべきだなと思ってやりましたね
映像って撮る以上に編集する時間とか
結構かかるじゃないですか
これは人とか案件の内容によって
全然スピード感は違って
例えばクライアントさんによって
進め方が全く違うんですけど
例えばミーティングをめちゃくちゃ詰めていけば
撮影と編集は割とすぐ終わる
さっきワンダーソンさんの話で
それはやっぱり思っちゃうよね
思っちゃいますね
36:01
そこである人は
全部任せるよ君最高だから
このまま好きにやっちゃって
っていう方がめちゃくちゃ違うんだ
こだわりが詰まっちゃう
そうなんです
聞かないとわからないですもんね
向こうがいい好きにやっちゃってよっていうのが
どういうものなのか
それとも人間関係の仕事なので
その人が良かったとして
被写体さんがダメだったらNGだとか
被写体さんが良くて
クライアントさんがダメだったらNGだとか
結構分解して考えないといけなくて
調べることは結構しますね
話したかったのは
作ることってすごく思いが
強くないと
なかなか本気になって
できないというか
仕事として選ぶってところまで
いかないと思うので
岸本さんすごい強い思いで
いつも作ってるんだなっていうか
魂もすごい入ってるんだなと思って
だからすごく
そういう仕事に選んだところが
すごいなと思うんです
ありがとうございます
見る映像も聞いてくださってる方が
まだ見たことない方もいるかもしれない
映像はやばいですよ
すごいですよ
本当にすごいと思います
また後で出るかもしれないですけど
僕の仕事として依頼したものとか
むちゃくちゃハイクオリティーで
多分
なんとなく見たウーバーの
遊びで撮ってあるやつとか
センスの世界だと思うんですけど
むちゃくちゃかっこよかったんで
その辺からやっぱり
さっきの話でもセンスじゃない
という話はされてたんですけど
センスじゃなくて
努力が結構されてたんですけど
でもやっぱりセンスとか
今まで生きてきて見てきたものとか
旅した時に撮る写真とかも
違うじゃないですか
違いますね
それが僕的には
すごい思うものが多かったし
嬉しいです
そもそもさっき言ってた
走る映像とかを
かっこよく撮っているものって
今もちろん色んなものが
あると思うんですけど
そんなに
すごいなぐらいはあったんですけど
結構岸本さんの部分は
色が出ていたので
色が綺麗ですからね
ありがとうございます
岸本さんらしい
今見たらこれ岸本さんの
映像だなというのは分かるような
独自のそっちの色が出ていたので
嬉しいですね
ありがとうございます
すごい輝いて見えるというのか
その出ている方の
情熱とかが
伝わってくるというのか
嬉しいですね
目の色が
目が輝いているというのか
39:01
その魂まですごい
映像で感じるなって
すごい思いました
そういう意図では撮っていますね
例えばイベントって
最初から最後まで熱量がある
というわけじゃないですか
例えば鉄塊の動画のときも
鉄塊の遊びで撮った
あのときも
人が喜ぶポイントとか
苦しいポイントって
どっかしら薄っすら分かるじゃないですか
カメラって魔法の道具で
向けるとイエーイって
やってくれるじゃないですか
あれってすごいなと思っていて
僕の感性と
カメラの魔法が
バフがかかると
結構いいのが撮れるなと思っていて
わざとそういった
見せる撮り方をしたりしますね
鉄塊のとき
話が飛んじゃい過ぎるかもしれないですけど
鉄塊に来てもらったときがあって
あの鉄塊祭
そのときに
僕撮ってるって気づかないくらいの
遊びで登ってた感じだったんですよ
僕はだから
撮りましょう何もなくて
単純にご案内しますねって
せっかく来てほしかったんで
歩きながらご案内してる最中に
あれ
どういう感じで撮ってあったんですか
その感性じゃないけど
歩きながら
ちょっと向けてある感じにしか見えなかったんですけど
実はみたいな
ちょっとでも
ちょっとの方が大きいですね
割とその感が当たったりするんですよ
別にファインダーを覗かなくても
いい画角が想像できるっていうか
そうかそうか
今日岸さんと
初めての仕様を
来たときに
何感じるかなと思って
とてもすごい雰囲気が良かったんで
この雰囲気は大事だなって
その中を走るランナーって
どんな感じなんやろうって
考えたときに
出来た背骨
その映像の背骨みたいなのに
肉付けしていったような感じがあって
その撮り方とかは割と
ライブ感のある撮り方をしてたと思います
やっぱりでもトレイルランナーというか
ランナーじゃないと
分からない画角というか
目線というか
そういうようなクオリティにもなりつつ
多分私たちが初めて行った場所で
お!って思う
感情と同じようなものを
その場所に来られたんで
それを
やっぱり初めて見たところって
良いじゃないですか
それを上手いこと出して貼って
っていうのがあったので
それはね色々経験されてる中の
サクッとなんですけど
多分そこに行き着くまでに
やっぱり1年間2年間
色んなことをされたとかっていう
両方の部分も
もちろん明るい面もですし
陰の面も
いい意味でもあるように
岸本さんやっぱり経験されて
持ってはるので
それが僕すごく好きだな
という風に思ってて
仕事とかでも
42:00
すごい苦しんだりとかってありますし
そこはね
よくなんとなく似てるところがあって
僕もめちゃくちゃ
めっちゃやっぱり人がやらないような
ここでやめたらいいやん
っていうところを
割りつくばってやったりするから
ちょっと結果につながってたり
あるので
だから体壊させかけたりとか
そんなのもしてるので
含めての
サクッとっていうのが
いいなと思ってます
話がいろいろ前後しちゃう
かもしれないんですけど
このままキッシーさんとかとの
つながりみたいなところも
聞こうと思って
この後聞いてみようと思います
もともとキッシーさんと
吉本さんとの
出会いっていうのは
何年間あったんですか?
多分吉本さんは
ちょっと有名っていうからだったんで
僕はなんとなく知ったのがあって
より知ったっていうか
名前を完全に知ったのは
さっき言ってた
富士登山駅伝っていうの
吉本さんでやられてて
チームキビ団子っていう
岡山みたいな
結構チームキビ団子って
すごくいいチームで
もともとは
岡山の強い選手を
集めてくらいの
コンセプトだったと思うんですけど
だんだんと
富士登山駅伝って
むちゃくちゃレベルが高いので
だんだん監督が
熱い方なんですけど
安部さんっていう方なんですけど
今時は男だろ
男ですよね
大江戸監督の方なんですけど
その駅で
吉本さん空間のショートって
割と上へ上へ行ってた
チームがあったんですけど
さっきなぜ出なかったかは
ちょっと覚えてはれない
みたいな感じだったんですけど
その次の年に
なぜか僕が呼ばれたんですね
なぜか
本当に何かの間違いで
知り合いだったんですか
安部さんが
しゅざる組の藤代さんっていう
結構仲が良くて
僕もロードのタイムっていうか
そういうコアを持ってることは
持ってたのと
トレでもチャラチャラ走って
ちょっと結果出してたので
藤代さんがきちくやったらいけるで
みたいな感じで
気ぃつけ
でも全然ノリでいいっすよって
もっとちゃんと背景聞いてたら
ちゃんと練習してたんですけど
そこのメンバーに中谷君とか
それこそ西澤君
裸足の
とかがいて
当日ぐらいだった
強烈なメンバーやと思って
やったんですけど
それでもその前の年に
岸本さんが
10万ボロボロやったんで
45:00
こんなところで空間上位入るって
どんなやつなんだろうと思って
空間賞取ったやつがいるって
岸本さんの名前が出たんで
ヤバいなって思ってて
でその
あれ岸本さんのホーカーでしたっけ
サウルスの合宿
メッセージ頂いたの
そこは僕もあんまり覚えてなくて
もしかしたら岸さんからだったんですかね
からだったんですかね
かもしれないですね
コロナ期ぐらいの時に
プライベートでもイベントやってましたけど
会社でもスポーツの部署を立ち上げて
人と人とつなげてとか
僕も
割と
普通に
よくあるような
イベントとかじゃなくて
割と本気で走ってる人が
行きたくなるようなものみたいな感じで
アミノサウルスさんと
坂本さんと
ちょっとしたイベントとか
プチ合宿みたいなのを
やってたんですよね
その時に
その地域の面白い人とかを読んだり
結構ランニングコミュニティ
僕も知り合いがいたので
仲間に助けてもらったり
イベント
みたいな感じになっていて
そこにオリバーが来てくれたり
戸口くんが来てくれたり
たまたまミッキーの時に
多分僕が声かけたのかもしれないです
岸本さんに
お声かけをさせてもらって
その時だからまだ
クリエイターになる
まだむちゃくちゃ走れてありましたもん
前ですね
いわゆるトレイルランナーとして
むちゃくちゃ強かった時の
岸本さんにお越しいただいて
まだ出会ってはいないんですか
その時に初めて出会いましたね
その状態でお声かけをするわけですね
あの時はね
イケイケやったんですよ
あの時はイケイケっていうか
そうですよね
全然僕も部署立ち上げて
やっていかないといけないし
あとコロナっていうところにも
結構嫌気させたところもあったんで
それもうまいことやったら
なんでもかんでも中止って
するんじゃなくて
っていう風に思っていたので
そこでありがたいことに
お越しいただいて
でもその時はね
本当にすごい他の方もいるので
お話しさせてもらった程度だったんですけど
ただ覚えているのは
今で5000m 14分ぐらいで走る
ハセベ君っていう子がいるんですね
14分00秒ってむちゃくちゃ早いので
ガイドランナーで活躍してる
でハセベ君が
まあまあ走れてた時に
48:00
ミキのホースランドパークって
半分クロスカントリーで
ちょっとトレイル的な
アップダウンもあるんですね
でハセベ君と岸本さんが
ちょっとまあ
ガチとまだやめないですけど
ちょっとこう何て言うんですか
お互い火ついてみたいな時になってたんですけど
そのハセベ君を圧倒的に
岸本さんがぶち抜くというか
ついていけない
なんであの時に
いやほんまに強いなっていうのを
覚えてますね
そういう時も
それがまあ多分
出会いとは出会いですけど
そこから結構飽きますよね
飽きます
もう忍者かもしれない
そうなるんじゃないですかね
何となくのたぶんやりとりとか
ちょくちょくしてたような気がするんですけど
忍者トレイル?
忍者トレイルの頃って
どういう状況でしたっけ
もう多分結構大変そうやなとかっていうには
僕も思いながら
映像はいっぱい撮りながら
あの時大阪には来ていて
引っ越しして
岡山から
大阪に出てきて
そうなんです
これまたなんで?
かなり話がいろいろと思うんですけど
これ結構これも面白い話で
2年間ぐらい
映像で個人でやっていて
岡山の結構大きい企業に
声かけてもらって
その大企業の初めての
映像クリエイターとして
実は勤めていたことがありまして
企業の中に?
それってすごいことですけどね
すごいですね
普通だったら
飛び急でちょっとそういうこともやっていて
ある程度その知識があるので
できるんですけれども
全然面白いものが作れない
ってなっちゃったんですよ
というのもどうしても企業の中にいると
しがらみがありまして
100%これいいものを出せば
絶対いいのに
これが60%ぐらいになっちゃうんですよ
僕もあると思うんですけど
それで
僕が学ぶものは技術じゃなくて
もっと経験とコミュニケーションかなと思って
岡山のトップ企業だったので
ここ以上ないってなった時に
学ぶ場所がないって感じちゃったんです
なので考え方では
いろんな学びがあると思うんですけど
僕の中ではここにいたら
一生成長できないんじゃないかな
っていうのを思っちゃって
これちょっと修行するために
ちょっと外に出ようと思って
その頃たまたま繋がってた人がいて
大阪にいるんですけど
そのラッパー
本当にラッパーとかの
トラックメイキングですか
音楽を作る人がいて
その人がすごい感性を持っていて
すごい僕に親切にしてくれて
一緒にチャレンジ戦かみたいな感じで
声をかけてもらっていて
まさにこの人だと思って
51:01
大阪に出たっていう
安定した
立ち位置を捨てて
茨の道に
やっぱりアウトローかもしれない
アウトローですよ
カレー屋さんの近くに
カレー屋さんやったんですけど
その2階が製作スタジオで
形としては同じなんです
なぜか僕もそこのカフェを知りながら
映像写真撮ったりとかして
カフェも経験したことがなかったので
そういう意味ではすごくいい
経験になりましたし
コミュニケーションとか
ホスピタリティとか
そういった学びもありました
しばらくラッパーさんと一緒に
活動してたんですか
そうですね
半年くらいで
中にいるより外に出た方が
そこもカフェの店員みたいになっちゃってたんで
これはあかんなと思って
一人でやり始めたっていう
業務委託みたいな感じで
別れたっていうのが
またきっかけとしてあります
話は戻すと
その頃に岸井さんとお会いしたんですかまた
忍者ですよね
忍者で再会したもんね
でもその頃だと思います
その年の
その年っていうのは
年明けでしたっけ忍者って
11月ですね
忍者あれいつだったかな
秋ですね
11月ですか
そうですね確か11月くらいで
その時に
久しぶりにお会いしましたね
その時に
たまたま岸本さんも
トレイルからしばらく離れてて
ずっと修行的な感じのことを
されてたから
完全にそういう世界から
離れてたんだけれども
たまたま岸本さんも忍者にね
そうですね
ご縁があってっていうので
運営されている人が
僕の中のいい人で
久しぶりに忍者が再会する
というところで
応援したかったという気持ちと
僕もそれをきっかけに
もう一度走り
本当は走り始めたかったという
きっかけはあったんですけど
そういった理由で
大阪からバイクで行ってましたね
三重県ですね
三重県か
そうですそうです
その時に本当に
それもさっきの主役を
被るんですけど
遊びに来たはずなのに
やっぱり映像を撮られてるんですよ
撮ってたんですか
撮ってるんですよ
インスタにもありますけど
またかっこいいんですよ
そうなんですよ
そのトレイルのムービーでも
やっぱり他の人じゃない色が出ていて
その後に多分
僕インタビューさせてもらいましたね
クチ
SSの公式の方に
インタビューさせてもらいましたね
そうなんですよ
だからやっぱり僕も
映像の力って
54:01
やっぱりすごいっていうか
言葉はいらないじゃないですか
見たら分かるので
スポーツのそういう部署を立ち上げて
もちろんお金があるチームが
プロモーション云々とか
そりゃかっこいいの作れるのは
あれなんですけど
どっちかって言ったらマイナースポーツとか
本当に
例えば関西の
関東と比べたら
大学のチームとか高校のチームとかでも
認知度的とか
PR力とか的なところも
あんまり強くなかったりするところもあるので
そういうチームに
何か映像を使ってっていうので
何かできないかなっていうので
本当にリアルに岸本さんに
仕事として
依頼を
させてもらいたいなっていう風に
思うように
なったんですよね
実際映像作ってもらってましたよね
いくつか
そうですね
いろいろ言いましたね
でもやっぱり
本当に抜群です
抜群です
それも見させてもらって
すごく
走っている方々
なかなかでも
なかなかないですよね
そうですね
でも結構難しいんですよ
実は競技場ってすごい
トラックで走っている方々の
演奏でしたよね
でもなかなか本当に
ルールのしがらみ
ルールのしがらみが
あるんです
トラックの中から撮っちゃいけないとか
あと個人
肖像権とかありますので
観客どうするかとか
観客の顔全員モザイクかけるのか
そうできないですし
だから全員後ろ姿で撮ったりとか
合わせてたりとか
関係ない人は映さないようにとか
いろんな考えることが多かったですね
やっぱりあとジャンルの幅が広いので
ジャンル系もいけるし
そうですね
これもなかなか続いてはいないんですけど
農業の
自分がお付き合いしている
協会があって
そこの農業のプロモーションムービーみたいな
やっぱりすごいですね
目線が
トラクターに乗っているところを撮る
普通の人はそこ撮らないだろうとか
という目線が
やっぱりよかったり
想像力というか
その先の
人の気持ちの部分まで
想像しながら
いろいろ撮っているんだなというところは
共感力って言うのかな
共感力があれば
その人の立場に乗って
想像できるという
共感があって
想像が後かなという
大阪からあれですからね
塩屋に来た
ついに
なぜ塩屋に
これも岸さんがきっかけで
塩屋に来てみませんかという
お誘いが
3年前の12月でしたっけ
57:01
2年前か3年前か
アテンドしていただいたというのがきっかけで
最初に来た印象としては
すごいハッピーな場所だなという
印象が強くて
トロピカルというか
南国というか
僕はそんな風に見えたんです
たまたま天気がすごい良くて
さっきワンダーさんでもその話をしてて
本当ですか
ワンダーさんもご本人が
むちゃくちゃ陽気な感じの
っていう姿勢だから
ワンダーさんも
陰か陽かって言ったら
塩屋は陽ですねって言ってましたね
え〜陽か
そんな雰囲気ですね
ふしぶしが明るいような印象で
これなんでかなって考えた時に
山と海が近いじゃないですか
地形も
上っていくような地形になってますし
海が近いから
太陽の反射とかで
水面が反射して
街が明るいんじゃないかな
とか思ったりとか
コントラストが綺麗
みたいな気がしていて
僕が最初受けた印象としては
なんか
ここにいると
うつとか治るんじゃないかなとか
うつ病とか
マイナスな気持ちとか
良くなるんじゃないかなとか
ような
陰と陽の雰囲気を感じたっていう
割と大阪が
都会のところで
なかなか海とか
そういう自然から
かけ離れたところで
過ごされていましたんですよね
そうなんですよ
すごい自然好きなんで
山も海も好きなんですけど
その2つがあって
すごいパワーあるなと思って
可能だったらこっちに
引っ越していきたいなっていうのが
ずっとあり
ただ仕事の関係で
大阪にいた方が動きやすい
っていう事情があったので
ちょっと遅くなったんですけど
去年の5月に来たっていう
ついに念願叶って
うーん
その場所は塩谷の近くで
ちょっと違うところなんですけど
2駅隣なんですけど
近いですね
めちゃくちゃ近い
走りに来たりとかは
しているんですか
できる日は毎日走ってますね
鉄塊も1人で走り
たりとかしてますし
なんか活気がありますね
やっぱり人に
たまに遊んで1人で
舞妓の海の入ったりとか
してますけど
海に入っているのも
全部があるんです
Azureで?
Azure、そうだ
夏は朝5時に起きて
まず鉄塊登って
山頂
旗振りまで行って
鉄塊行って
戻ってきて
Azureで海入って
家帰って
そこから
1:00:00
入江が近い
入江が近くて
そこにサップボード持ってるんで
サップ持って行ってサップするみたいな
そんなフルコースで楽しむ
めちゃめちゃ山と海も楽しめる
どっかの裕福な実業家みたいな
そうです
他にないんですけどね
走ることと
撮ること
あんまり一見
共通点がなさそうな
ものですけど
両方ともガッとのめり込んでいる感じは
すごいするなと思っていて
どのあたりが
両方とものめり込める
要因というか
輝くものというか
何が両方つき動かしているんですか?
これ多分考え方が
走ることと撮ること
映像を作ることって結構似ているんだと思っていて
撮ることがランニングに似ているという感じなのかもしれないですけど
簡単に言えば
ゴールを見ながら
目標を打っていくっていう感じですね
例えば10キロっていうゴールを
ゴール地点があって
それまでにペースを決めて走るじゃないですか
その間って結構集中して
考えてるようで考えてないというか
ゴールチェックが終わった
でもゴールじゃなくて
次のゴールがあるっていうような
その繰り返しだと思うんですよ
映像制作も
成果物というものがあって
それに向けて考えて考えて考えて考えて
点を打っていって形にするようなものなんですよ
その考え方が
すごい心地いいというか
取り込み方が走る時と結構一緒で
どうしてもランニングと
クリエイティブって全然違うんですけど
考え方が一緒だから
できてるっていうのは
あるかなと
あと両方ともきついみたいな
きついのってやっぱ成長するじゃないですか
人として
だからそれをきつい道を選ぶ性質があるので
昔から
それをしているのと
言っていましたけど
結局ゴールがないというか
例えば
動画を一本作って
これが正解なのかって正直分からないじゃないですか
人間の頭に頼っている部分が結構あって
人間って頭いいんで
映像を見たら補正してくれるんですよ
例えば自分の経験とか思い出を
その動画に共感を持ってもらったりとか
構成っていうものがあるんですけど
例えばその一コマだけ変えるだけでも
雰囲気がパッと変わるんですけど
でも例えばそれが違和感があったとしても
その違和感を補正してくれるんですよ
人間の頭に
そういう
助けてくれる
技術が助けてくれる部分も
すごい面白いなと思いますし
動画っていうものを作った時に
相手に投げかけられるっていう
1:03:00
そういう部分も
面白さが輝く部分ではあるのかなと思ってますね
例えばランニングでも
42.195キロ
3時間で走る目標で
走ったけれども
4時間かかった
でもその中で得たものとかあったりするじゃないですか
それ決して失敗ではなくて
フィードバックした時に
自分が成長できるものを見つけられたら
それは大成功だと思うんですよ
そういうのも関連
映像の中にも関連してあったりとか
だから結局ゴールがあって
また次に成長できるゴールがいっぱいあるというか
そうして自分の道を振り返った時に
ちゃんとした道になっているというか
経験になっているというか
それが振り返った時の良さもありますし
勝負している時の楽しさもありますし
そういう時は面白いですよね
だから多分それが
映像にも僕の楽しい気持ちが伝わっているのかなとか
その撮られている人も楽しいっていうのを感じ取れているのかなとか
そういった部分が輝きという部分につながっているんですかね
と思ってます
正直面白いから
どこが面白いか分からないですよ
どっちもランニングも映像制作も
そういう僕の性格に合っているものなのかなと思ってます
まるで走るかのように映像を撮るみたいですね
走ってますね
走りながらかもですけど
その疾走感をそのままにというか
その突き動かされている情熱のまま
映像にも情熱的なものを撮っているのかなという感じは
嬉しいです
すごくしますね
それはその通りですね
あとやっぱり地方を盛り上げたいというか
そういう思いもお持ちになりたい
町おこしみたいなところか
今はよく言う地域創生だとか
何かをコンセプトに
何かものを作るとか
そういったのが地方で多いので
やはりそこと映像関係の相性がいいですし
クリエイティブなところを
ディレクションしていきたいなという
気持ちは今後そういうのがありますね
例えばキャンプ場と何かとか
若い人を呼ぶとか
海水浴場とキッチンか
そういうことをやっている人がいるので
そういった人の言葉を真似てはいるんですけど
そういったものに対しては
絶対クリエイティブというものが
必要だったりするので
それがカメラかランニングかというのもありますけど
振り幅広くできるんじゃないのかなと思っています
今後撮っていきたいものとか
もしくはカメラじゃなくて
こんなことをしたいみたいなものとか
1:06:02
何かありますか?
結構野望はいっぱいあって
数年先とか
例えば60歳の時になって
どうなりたいかとか
結構あるんです
ここにずっと関わってくるのは
ランニングとクリエイティブという部分で
何か肉付けをしていく
何を肉付けしていくんですか?
と言われたらまずはデザインとかを
勉強したいと思っていて
文字とかロゴとかって
結構力あるじゃないですか
パッと見の破壊力というか
その理屈を知りたいとは思っていて
映像だけだったら絶対食いっぱくれるので
どうしてもそこの
知識をミックスさせることで
自分の作品がより良くなっていくと思いますし
その感情とか
情景っていうのも
伝わりやすくなるんじゃないかなと思って
僕全く勉強してこなかったんで
文章の作り方とか
本読んで勉強してたりとかしてますね
あと音楽が好きなんで
音楽をトラックメイキングとかをしていって
自分の映像に100%あった音楽を作りたい
っていう野望があって
そこも仕事にできたら
もっと振り幅が広がるかなと思っています
音楽も本当にいい
音楽もジャンルもそれぞれ
あれによっても違うんですけど
本当にいい曲を
見事に放り込んで貼るんですよね
インスタにも曲トラックメイキングしてる
音が上がってますよね
作ってます
あと楽器も?
ギターはできますし
今はDJを
タウンテーブルを練習しているって感じですね
多彩すぎる
好きなことをやっております
全部映像を自分で巻かないと
そうですよね
それはそうなると
一人でやったほうがいいよ
本当に
そこはそう思ってます
というのも
川上から川下までという気持ちはあるので
全部自分で
わがままですけど
これすごく不効率なことなんですけど
やってみたいっていうのはありますね
特に音楽って
今は著作権とかの問題がすごく難しいので
これ自分で思う通りに作れたら
めちゃくちゃ楽ですし
他の人とかぶらないと
かぶるとダサいなと思ったりするので
そこを差別化したいという気持ちもありますね
ランとは
この後はどういう付き合いをしていきたいですか?
ずっと付き合いしていきたいという気持ちがあって
今はこういった形で
クリエイティブを勉強しているので
距離は置いてはいるんですけど
難しいですけど
選手としてという形は
多分出るとは思うんですけど
1:09:01
ここ結構悩んでいるところであるんです
深井・難しいですよね
難しい
どうしても昔のように走りたいんですけど
そこまで走れるようになるまでの時間って
結構かかるなっていうのと
僕一回火がつくと
それしかやらなくなっちゃうんで
仕事やらなくなっちゃいます
両立ができないタイプで
シングルタスクの人間なんで
選手としてっていうのもあるんですけど
ショートに出ていくとか
富士登山競争みたいな
労働あってのレースとか
そういうのが出ていく可能性はあるなと思っていますし
それよりも今クリエイティブという側面を
手に入れたので
もっとランニングに
クリエイティブしていきたいということがあって
また考えているのは
岡山で自分のチームを動かしている実験があったんですけど
こういう関係で
今は動かしていないんですけど
それをまた動かして
とかもっと
クリエイティブな側面を使った
広め方をしたいかなというのが
一つあるんですけど
もう一つ結構先の目標があって
ちょっと話したんですけど
ランニングの業界って正直
お金にならないじゃないですか
夢がないというか
コロナ禍でそれは痛感したんですけど
これが例えば
私たちの子どもの世代
小学生とか中学生とかが
果たして僕ら大人の状況を見て
陸上競技ってやるのかな
というのを思った時があって
今流れとしては
中学にしっかり陸上やって
高校駅伝とか出て
大学箱根駅伝走って
実業団で走って
本当に頑張れる人がプロでやって
そういう流れがあるんですけど
これって夢あるんかな
という気持ちがあって
例えばプロになる人が
今少ないんですけど
こういう人がもっと増えるべきだと思っていて
それがそういう人たちが地方に戻って
地方の子どもたちを教えるとか
そういうサービスというか
引退した人たちも
陸上をやっとってよかったな
とか思える
陸上だけじゃないですね
スポーツやっとってよかったなと思える
活動をしていきたいという
すごい大きな目標があるんですけど
最終的な
そういうところに向けた
行動をしていこうかなとは思っていますね
わかりますねすごく
トレイルランニングもそうですね
競技としてのランニングみたいなところって
なんかプロとかお金をもらって
1:12:00
やるみたいなところって
まだまだ
相乗としてできていないなというのは
すごく感じていて
それをやるには
次世代の人が
ヒーローができていく必要があるのかなというのは
最近すごくそれを感じるようになってきて
おっしゃるとおりですね
その活動をするのはやっぱり
小さな目をどんどん作っていく
ところなのかなと思うんで
そのプロの方はこれから増えると思うんですよ
もっともっと増えると思うんですけど
僕みたいな取れる人って増えないと思うんですよ
僕もプロっていう経験があるっていうのが一つと
未来を見てるというか
未来を作りたいというか
そういった側面で考える人はいないんじゃないのかなと思って
僕は外に出るというよりかは
やっぱりさっき言ったように
カメラのこっち側に立つっていう
それでプロモーションしていきたいとか
そういうのが強いかなと
変な話で言うと
ちゃんとビジネスというものが
成り立ってほしいなと思っていて
さっき言ったプロの方が仕事になるような
それがスポンサーにお金をもらってとかでもなくて
地域での仕事を作る仕組みを作りたいなとか
そうですね
ちゃんと還元ができるようなね
中学校も
無活動が今後どんどんなくなっていって
そうですよね
神戸神戸
神戸神戸
やっぱりお金を払ってというよりは
ボランティアという
ボランティアはすごくいいことなんですけど
ただ継続性とか発展性とかで考えると
やっぱりクエスチョンマークになっちゃうのかなというのが
多かったりしていて
そういうところから含めて
変わっていったらいいんじゃないかなとは思うんですけどね
仕組み自体が
インフラを整備したいみたいな感じかもしれないですね
僕の年代がゆめないなって感じているのは
もっと上の人たちが作った今の競技の状況だと思うんです
これからの未来って変えれると思うんで
子どもたちの未来を作るのは僕らなのかなという認識で
行動していきたいと思っていますね
本当にいろいろ考えて試行錯誤されながら続けてきたことが
やっぱり今後も含めて繋がっているというのが
すごく無駄じゃなかったというか
そうですね。無駄ではない
ちゃんと真が一つあって
それの理念で信念で動いているというのがすごく分かります
なかなか今までにないあれですね
ヒーハーですね
1:15:00
今までの
情熱に突き動かされて生きている方が多かったので
酒モットーでイエー言っている
そうですね。ロックな感じで動いて
ここに生き着いた
しおやに
情熱ある方がいるのはいいですね
ちょっと話が逸れてしまいましたが
さっきも言っていたんですけど
しおやのメンバーで
この前のNOTもそうですけど
運営って本当に小さいぐらいのレースだったら
実はメンバー揃っているなと言っていたんですよ
みんなの得意どころが職業も含めて
見事にサポート面とか含めて分かれているじゃないですか
得意分野が
しかもそれなりの
社会的に活躍されているような方もいたりして
だからそれってすごい
狙ってできるものではないんですけど
気がついたら
集まっていたという感じなので
無駄じゃなかったということじゃないかなと
それもね
春香さんも含めて
ありがとうございます
ヒーハーF
いい感じで締められている
かなと思います
楽しみですね
楽しみですね
また体調崩すかもしれないですけど
頑張ります
無駄なことは何もないと
思いますね
またしおやマンテンクラブも
ぜひ撮ってほしいです
ぜひぜひ
テッカイファイブは走っていただきたい
そうですねテッカイファイブ走りながら
やばいな
トレーニングしようか
倒れているところを
そうですね
全然クオリティはあるんですけど
撮らせていただいて
メイキングのメイキング
そうですね
ありがとうございます
ここでしおやマンテンクラブからお知らせです
しおやマンテンクラブでは
毎週日曜日朝6時から
日朝連を開催しております
朝6時しおや駅北口
魚屋さんのある方に集まって
旗振り山
テッカイ山と登った後
いろんなところへ行って
いろんな練習をすることができます
朝からヒーハーできて
有意義な一日の始まりになること間違いなし
興味のある方は
ぜひ参加してみてください
そして毎週水曜日は
岩本ビッグボスと
上坂近子さんによる
しご前ロードレーンがございます
こちらも毎週水曜朝6時に
しお駅北口に集まって
しおやから舞妓公園の方まで
往復10キロぐらい走ります
こちらもぜひ
参加してみてください
ということで
エンディングのお時間でございます
何かお二人宣伝することは
ございますか
1:18:00
そうですね
宣伝は
特にないんですけど
多分
僕のことを
久しぶりに声を聞いたことが
多いんじゃないかなと思って
特に岡山の
そうですね
聞いてくれた方が
主業という意味で
クリエイティブという部分を
勉強しているんですけど
また岡山とはつながりが
今は経ったわけではないので
そういったメンバーに
また再会したいなと
ローカルですもん
やっぱ大事ですよ
自分の生まれ育ったところは
そうですね
岡山を盛り上げたいというのは
すごい変わってはいないので
本庄さんいまして
本庄さん
僕もそういう
感情的な部分とか
根っこの部分は変わってないんで
またみんなにお会いしたいなと
思っていますので
僕も皆さんのことを応援していますし
僕のこともまた応援してくれたら
嬉しいなと思っております
おそらく大会にも出ていこうかなと思って
出る出る詐欺は知るんですけど
そうですね
そこは結構出る出るが
走る走る詐欺
痩せる痩せる詐欺かもしれないですけど
1キロぐらい
そういった状況ですので
またみんなに再会できるのを
楽しみにしておりますという言葉を
残したいなと思っています
岡山 ぜひぜひ岡山の方々
聞いていただきたいですね
岡山 聞いたら
こちらにDMください
西田さんも聞いてください
岡山 西田さん聞いてるんですか
西田さん元気ですか
いろんな方いるので
岡山だけじゃなくて
山口でもランニングのイベントをやっていましたし
広島にもすごい大切な
友人関係のコミュニティもありますし
結構全国的ですね
全国的に知り合いはいるんで
東京にもやっぱり
4年間住んでいらっしゃったんで
岡山 そうですね
また再会できたらなと思っています
西田 はい
ぜひ塩屋に遊びに来ていただいたときには
下坂に会いに来てください
岡山 からどうします?
50人くらい来たら
西田 イベントに
岡山 ラッシンバーの皆さんもぜひ
西田 そうですね
ぜひ来てください
岡山 お越しください
という感じで
それではそろそろお別れしたいかなと思います
それではこの先も
ひいはな週末をお過ごしください
塩屋マウンテンクラブの
はるかと
岡山 岸井と
岸井 岸井です
岡山じゃないな
岸井 クリエイターの岸井です
クリエイターの岸井
レベル1の岸井です
岸井 ダブル岸井
せーの
ごきげんよう
01:21:20

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