政治を学ぶ重要性
こんにちは。今日は5月の28日、トークの524回していきます。
政治の話をします。
なんかね、政治の話、お詳しいですね、とか言われることがあってですね。
全然詳しくないんだよ。しかも、あんまり好きでもないんですよ、僕ね、政治の話。
興味ないわっていう感じなんですけどね。新聞とかもあんまり見ないし、テレビもあんまり見ないし。
ただですね、ただ、なんだろうな、一応、やったほうがいいからやるっていうか。
町内会の掃除当番とか、町内会で何ヶ月に一回、水を掃除とかするんですよね。
そんな感じ。好きですかって言われたら、いや別に好きでもないけど、やるしかないでしょうって。
そんな感じです。だから皆さんも政治の勉強をするのは、そんな感じですよ、別に。
好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、次の時代の人、今の時代でもいいですね。
今の時代の人、もしくは次の時代の人にいい日本を渡したいですね、ということですよね。
例えばですね、今農業、農業でいろいろ問題があるわけですよね。
日本の農業の問題
だから米の問題、米の値段の話じゃないわけではない。別に米の値段高いわけではない。
米の値段の話かもしれないけど。だから今日は政治を勉強する意味っていうことを話してみましょう。
政治を学ぶ意味。政治を学ぶ意味はですね、未来の人のためですよ。
未来って言ってもね、100年後かって言われたらわかんない。1年後かもしれないしね。
近未来でいいと思います。近未来。
例えば米の値段の話。米が今高いわけじゃないですか。
米というのはね、結構大事ですよね。
単純に食料の自給率という視点で見ると、米っていうのは防衛でもあるわけですよ。
防衛だって危ないですよ。危ないっていうか、食べ物を海外から輸入してそれに頼ってたらですね、いざ海外が日本には米出しませんと言われたらどうするんですかね。
それで戦争を起こしたのが太平洋戦争ですからね。
米じゃなかったか、当時はね。石油だったけど同じですよね。
米を海外に握られてるっていうのは、お前らはそれで戦争を起こしたんだろう。
とはいえね、戦後の自民党っていうのは、日本に戦争を起こさなかった政権なんですよ。
僕はそこはすごく高く評価していいのかなとは思いますけど。
今の考えで米がどんどん自給率が下がったらやばいですよっていうことが一つですよね。
農業というのはですね、戦後GHQというのかアメリカというのかの政策で日本の農業というのが弱くなっちゃったわけですよ。
どうして弱くなっちゃったかというとですね、大規模農業を許さなかったわけですよ。
大地主の土地を取ってパッと配った。だから小さい農家をいっぱい作ったわけですよ、GHQの政策の中でね。
海外の農業を見てみたら、アメリカとかヨーロッパですよ、大規模農業が主流なわけですよ。
その方が効率いいでしょ。ところが日本の農業は小さい農家がいっぱい集まって、だから大規模農業ってほとんど工場みたいな感じですね。
それに対して日本は小さい農家がいっぱい集まっているという、そういう仕組みにしてしまったわけですよ、GHQというところが。
それはちょっとまずいねというところで、それらをまとめるような組織として農協とかができたんじゃないかなと思います。
だから日本の農業を弱くしようというのが最初から仕組まれていたわけですよ、GHQによってね。
というのが前提で、じゃあそれ何のため?って言ったら普通に小麦を売りたいからだと思いますよ。
とはいえそれが悪いかと言われたら、パン美味しいですよね。
それをとやかく言ってもしょうがなくて、しかも戦後日本が食べ物がないときに、アメリカは無償でかなりの食料をくれたはずですよ。
その見返りとして学校給食が米になったとか、そういうのもあるのかもしれないけど。
とはいえ、それをこんにゃろうということでもなくて、ただGHQの政策というのは、どこまで計算づくかわかんない。
例えばですね、天皇を無くしたかったわけよ、GHQはね。
でもやっぱりちょっと無理と見て残ったわけですよ。
とはいえ、継承権というのはGHQ変えたと思いますよ。
狭くしたわけですよ。
で、狭くして何代か後には続かないだろうみたいな、そういうことをしたりですね。
だからかなり手の込んだことをいろいろやっているわけですよ、GHQというところはね。
やってきたわけですよ。とはいえ、もういいじゃないですか。
で、今は別にないですからね。自由にやればいいんですね。
だから農業というのは、日本の農業を弱くしよう政策があって。
今は多分ね、米が高くなったのは単純に米が少ないからじゃないですかね。
普通に考えたらね。
で、なんで少ないかというと、今度は海外から米を入れたいんじゃないですかね。
なんでそんなことをするのかがよくわからないですね。
どこから話をしたらいいのかちょっと。
例えば今ですね、子ども食堂とかあるじゃないですか。
子ども食堂、今日新聞に見てたら子ども食堂とか出てて。
僕はね、子ども食堂立派だとは思うんですけど、そこじゃないとも思うんですよね。
なんだろう、子ども食堂がない世の中を作ってよって感じで。
なんかちょっと微妙な気がするんですよ、子ども食堂って見るとね。
なんかちょっと悲しい気がするんですよ。
でも立派だと思います。立派だと思うけど、それが良くないような気もしてるわけですよ。
だからなんだろうな。
自国への道は善意のカーテンで作られてるみたいな、そういう言葉があって。
自国に通じる道は善意のカーテンで、カーペットで道が作られてるみたいな、そういう言葉を思い出しましたね。
僕、いつかお話したことがあって、共産主義と資本主義の違い。
その前提は、10人の人口で食べ物が9人分しかない。それをどうしましょうかというのが前提で。
共産主義は9の食べ物を10人で分けましょうね。資本主義は買ったものが取りましょうね。
というお話をしたんですけど、とはいえ前提が今違ってますよ。
今10人いたら食べ物が15くらいあって、別に好きなだけ取りゃいい時代なのですよというお話をしてきました。
本当にそうだと思います。だからそもそも子供食堂は立派ですよ、立派だけど、そもそもおかしいんじゃないかなとは思います。
一部の人が利権を取ろうとしてるんでしょうね。
政治を学ぶ意味、好きとか嫌いとかそういうものじゃなくて、掃除当番みたいなノリです。