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おはようございます。今日は9月13日になります。今朝の7時47分です。
今日は、歴史トークで幕末と明治の話をしてみたいと思いますが、その前に小話を聞きましょうか。
今日の小話。ケーキが悪くなってしまいましたね。お寺さんのケーキはどうですか?ぼちぼちですね。
おはとのケーキはどうですか?ぼちぼち。お寺さんのケーキはどうですか?ぼちぼち。
どっちがいいんでしょうね。まあいいとして、今日はですね、歴史、幕末明治のお話をちょっとしてみたいと思います。
幕末明治の話。
貼り付けようと思ったんだけど、貼り付けられないのかな。ちょっと貼り付けられたら後で貼り付けておきますね。
幕末明治のですね、ベスト10ということで時系列順にね、ちょっと調べてみたんですけど、
まずペリー来航1853年、日米和親朝条約1854年、安政の退獄、桜田文外の変、薩長同盟、大正奉還、母親戦争、明治維新、廃藩地権、大日本国憲法の廃歩。
これが1889年かな。ということで、ペリーが来たのが1853年。
で、大日本国憲法が1889年。わずか30年ぐらいでね、いろんなことが起きましたね。
ペリーの来航の話をしましょうかね。本当は全部の話をしたいんだけど、どう考えても間に合わないな。
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できるところまで話してみたいと思います。ペリーの来航ですね。ペリーというのはアメリカの人ですよね。
黒船って言われてますね。黒船でしょ。4隻来たんですよね。目的はですね、目的は日本に開国を求めることだったんです。
当時日本は鎖国ということで、海外との取引をやらなかった。やらなかった。正確に言えば一部だけ。一部だけ。
だから全く海外とのやり取りがなかったわけじゃないんですよね。江戸時代って。ちゃんと海外の情報も取り入れてましたね。
海外はオランダ、なぜかオランダとのやり取りはありました。オランダ経由でいろんな海外の情報を入手してはいたんですよね。
ペリーが来てですね、開国しろということでですね、その翌年、日米和親条約をしてですね、下田と函館の港を開港することになる。
これで200年続いた鎖国が終わってしまって、外国との交流を再開することになりました。ということなんですけど、鎖国を解く。
アメリカ、まずはですね、日米和親条約。これは押し付けられ感がありますよね。ペリーという人は偉そうに来たわけですよ。黒船4隻で来るって。
パンパンと大砲とかやったんでしょうかね。もう明らかに洞窟ですよね。洞窟洞窟が。役者みたいな奴が来てですね、パパーンとやって、まだ言うこと聞けみたいな。
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当時の幕府はですね、着飾る得なかったんでしょうね。なぜなら、もう明らかに敵わないのがわかったんでしょうね。
まずこの黒船。日本はね、鎖国と同時に大型の船を作れなかったと思うんですよ。江戸時代ね。
だから船を作る技術っていうのは、多分小田信長が大きい船を作って、それ以来大きい船を作ったことが日本にはないような感じでね。
大きい船を見てビビったんでしょうね。幕府がですね、外国に入ってきていいよって言ったもんだから、日本国内でなんていうことをするんだみたいな反対派の意見も立ち上がったんですね。
上位という考え方かな。そこからその中心人物が薩摩長州ですね。
薩摩長州という国は、ペリーというのはアメリカなんですよ。アメリカ。でもその後、実はアメリカってあんまり関係ないんじゃないかな。
その後イギリス、フランスが日本に入ってきたんですけどね。ペリーは来たけど、その後あんまり日本とアメリカの関係ってなかったんじゃないかな。あんまり何か出てこないんですよね。
その後あんまりペリーって出てこないんですよ。というのもですね、アメリカっていうのはまだまだまだまだまだ国が出来上がる途中だった。ペリーのちょっと前に南北戦争がありましたね。
1865年、南北戦争の時代ですね。ちょうどペリーが来たのが1853年。南北戦争が1860年。
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南北戦争の後なんだな。同じ時代ですね。南北戦争とペリーが日本の幕末。同じような。だからアメリカ自体は南北戦争でも死者60万人。すごいね。北と南に分かれて大変な時代で。
だからアメリカも実は自国で自分の国をまとめるので大変だった時代なんでしょうね。60万人って大変な数ですよ。ちなみに母親戦争の死者は13000人と言われています。
南北戦争60万人。これどう考えるかですね。南北戦争はそのうちまた話したいと思うんですけど。南の黒人奴隷を解放しろという北側の市長ですね。奴隷なんかもう時代遅れだ解放しろみたいな。そういえば聞こえがいいんですけど。
北側ってのは要は工場です。工場。奴隷をこっちによこせっていうことじゃない。奴隷として国旗を使うより安い給料と自由を与えて工場で働かせた方がいいでしょうっていうのが北側の本音でしょうね。
結局4年くらい南北戦争続いた。北側が勝って黒人奴隷解放されて、これからアメリカという国が出来上がっていこうかなという時代ですね。
ペリーは日本に来たけど特に日本をどうのこうのしてやろうじゃなくて、その後日本に入ってくるのはイギリスとフランスですからね。イギリスが薩長の方につき、フランスが幕府の方につき。
だからイギリスとフランスって仲が悪くて、隣同士で喧嘩したらいいんだけど、他の国を使って喧嘩するんですね。イギリスとフランスってね。
ちなみに南北戦争もそうですよ。イギリスとフランスの。