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2026-10-10 09:46

18. マロニーとメラニー・クラインの話

市販の麻辣湯に替え玉のごとくマロニーを入れる技を覚えた。
それとは関係なく、最近実家に帰った。
会話のリズムがまったく違う。
この人たちは一体何者なんだろうか?
メラニー・クラインの「別の人間としての他者」が
頭によぎって、父親に話しかける

「これまでに、さびしかったことって、ある?」
思いがけない返事だった。

マーラータンとマロニー / 実家はひな壇芸人 / 移ろいやすい自分 / 親を名前で呼ぶ / 「さびしかったことある?」 / 別の人間としての他者 / 寂しくなってケアができる

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サマリー

実家に帰った話から、家族の会話のテンポや、自分が環境によって変化する感覚について語る。親を名前で呼ぶようになったことで距離を感じる一方、役割を越えて話せる可能性にも触れる。父親の孤独を仮説に、寂しさや苦しさを尋ねたところ、これまで知らなかった経験を聞き、親を一人の人間として感じられるようになった。心理的に他者と分離して理解することが、ケアや関係の変化につながるのではないかと考える。

実家で感じた家族の会話と自分の変化
そして今、特別な瞬間です。
しまぴーの秘密の話
しまぴーのPの話、今日もやっていきます。
最近お店で買ってきたマーラータンに、おかわりとしてマロニーを入れてるんですけど、
なんか、いけないことをしてる気持ちになります。
はい。
今日はですね、最近実家に帰った時の話をしようと思っていて、
なんか、家族の会話のテンポとかリズムが、今の自分とは結構違うなって思ったんですよね。
はい。
でも、なんて言うんでしょうね。あの、この人たちはひな壇芸人なのかな?みたいな感じで、
なんかすごい、われがわれがっていう感じで話してるんですよ。
もう、なんて言うんでしょうね。
同時並行で、なんか話が進んでたりとかするんですよね。
全くその、はい、こちらボール投げました。はい、ボール帰ってきます。じゃなくて、全員がボール投げてるみたいな感じで飛んでくるんですよ。
え?なんだこれ?っていう、なんかイベントみたいですよね。なんか、日常というか、日常的な感じ。
こう、目の前の人と話してても、え、これ食べる?とか、あ、これもう片付けるね?とか、もう、どんどんこう差し込みが入ってくるみたいな。
あー、でも前からずっとそう感じていたわけではないと思うんですけど、
でも今まではそういう自分が、というか、その環境に最適化する?適応化しようとする?自分が多分いたんでしょうね。
その時はあまりそこまで気にならなかったんですけど、そこから一回出て戻っていくと、あれ?こんな感じだったっけ?っていう気付くということがあります。
親を役割ではなく一人の人間として見る
はい。で、今は新しい家族と暮らす中では、なんか、なんだろうな、もう自分たちのリズムみたいなのがやっぱり出来上がっているんで、はい。
そういう別の環境での自分を経て実家に戻ると、あれ?っていうのもそうだし、自分っていう存在はすごい移ろいやすいものだなって思うわけですよ。
関係性だったりとか、環境といったものにすごく影響を受ける。
うん。
当時いた場所から一度出てまた戻ったりすると、よりそういうのが顕著に分かるという感じですかね。はい。
なので、自分という存在をちょっと知りたいなっていう場合は、自分に直接行くっていうのもあるかもしれないんですけど、環境とかどういう人と一緒にいるかだったり、あるいは一緒にいたかみたいなのを見ていった方が、より色々なことが見えてくることがあるだろうなって思います。
なので、自分はその実家に昔の自分にそのまま戻るっていうのがもうなんか違うなって思っていて、ちょっとあんまりしっくりこないんですよね。
なので、今は自分は親を名前で呼ぶんですけど、これちなみに親にも認知されてるんですけど、親を名前で呼ぶのはお前だけだよなみたいな感じで。
多分寂しいんじゃないかなと思ったりもするんですけど、ただ逆に父とか母っていう役割ではないところで話ができるみたいな、そういうことはあるんじゃないかなって思ったりはしてます。
やっぱりなんか今までね、父さん母さんって呼んでたのが何々さんみたいな感じで来るんで、まあ結構距離は感じますよね。だいぶ距離開くなみたいな。
それにしても本当に関係性って面白いんですけど、面白いと思っていて。
父親の孤独を聞き、距離感が変わる
よく聞くのはこっちが変えようと思っても相手は変わらないみたいな話あると思うんですけど、自分の場合は結構だいぶ効果感じてる方かなとは思ったりはしていて、ずっと一緒にいないっていうのもあるかもしれないんですけど。
なんかだいぶ関係性変わったなっていう実感はめっちゃあって。
それとは別にふとした時に、親ももしかしたら結構寂しかったかもしれないよねって思ったことがあって。
特に父親なんですけど、いろいろ調べて知ったんですけど、家族の中では父親は孤立しやすい役割らしくて。
そうすると孤立してるんで寂しくなったりとか不安とかそういったものが生まれたとしても、なかなかシェアができない、共有できないとなると、別の感情が立ち上がってきたりする。
例えばイライラしたりとか防衛的になったりとか。
なので父親は結構孤独だったんじゃないだろうかっていう仮説が立っていましたと。
だからといって自分勝手に振る舞っていいわけではないと思うんですけど。
その仮説をもとに実家に帰ったタイミングでいろいろ聞いてみたわけですよ。
寂しかったことあったのかとか辛かったこととか苦しかったことはあるのかみたいな。
これまではなかなか聞かれることもなかったと思うのでどうかなーと思ったんですけど、これが思ってる以上にいやありますよみたいな感じになってですね。
それでいろんな話が出てきて、今まで聞いたことのないエピソードもたくさんあってすごく意外だったし、それを聞いているうちに今までにない心の距離感というか親近感みたいなのが湧いたんですよね。
他者として理解することとケア
なんか自分もそれを聞いているとじんわりしてくるというか、どっちかというと嬉しさもあったかもしれないですね。
で、なんかああ親も人間なんだなーって。
より一人の人間として自分の中で浮かび上がってきた感覚があって聞けてよかったなって思ってます。
そういうのを聞かずに別れるのはちょっと違うかなーと思ってたし、人ってやっぱり多面的だなって改めて思いましたね。自分の親を通して。
最近、遠畑海人さんって何回か引き合いに出してるんですけど、心理カウンセラーの方が寂しさの病理学っていう講義を今やってるんですけど、それに参加していまして、そこでも出てきた考え方として、別の人間としての他者という言葉が出てきました。
はい。メラニー・クラインさんっていう方のおそらく精神分析の研究なんですかね。
なんかざっくり言うと、自分と他者がしっかりと心理的に分離する。それで相手にも心や痛みがあると気付く。
相手は自分の思い通りになる存在ではなく、自分と同じように傷ついたり寂しさを抱えたりする。別の人間であると理解できるようになる。みたいな感じで説明されていて。
これが自分の体験ともちょっと繋がる感じがあって。父とか母とかという役割の向こうに、今まで聞いたことのない話を持つ一人の人がいるという感覚がちょっと繋がる感じがしたんですよね。
うん。そう。なのでなんでしょうね。やっぱりこう、親という存在から一人の人間ってなるってことは、なんかちょっとこう、親と子よりも距離が開く感じもあるんですけど。
開くことで別の人間、親ではなく別の人間というふうに理解をする。それによってなんかいろいろ思い合ったりとかケアをできるようになるとか、そんな感じなのかなとかちょっと思ったりしてますね。
うん。なので、まとまらないんですけど、ケアをするようになる、ケアをできるようになるためにはある程度寂しくなるっていうことはあるのかなとかちょっとそんなことをうっすら思ってますね。
はい。まあちょっとまだまとまってないんですけど、名前で呼ぶこと、親を名前で呼ぶことだったりとか、これまで聞いたことないことを聞くっていうことだったり、そういうことを通して関係って少しずつ変わったりするし、それによってお互いの自分という存在もちょっとずつ変わっていくっていうことがあるんだろうなーって思ったりしてます。
はい。ということで今日はこの辺で終わります。それではまた。じゃあね。
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