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はい、シェアする落語のシケです。 8月9日日曜日、アートスペース兜座、改め日本橋兜座という名前になったみたいですよ。
のにおきましての開催、港家小ゆき15年目の挑戦、 マヨ江宮崎滔天へ行ってまいりました。
この宮本旅順というペンネームで港家小ゆきさんが書かれた浪曲をご自身が書けるという回ですね。
これの3回目、毎月開催されています。 今回は宮崎滔天。
これは日本人として世界革命を夢見て尊文の侵害革命を支援した人でございます。
この方がまだ売れる前の東中堅久萌え門、浪曲中高の層ですね。
それまで仮想民の文化という風にされていた浪曲をグイグイグイと押し上げて歌舞伎座でまでやれるところまで持って行った人です。
この東中堅久萌え門の弟子になるという、牛えもんという名前なんですね。
仲入りを挟んで2つに分かれておりまして、前半は33年の夢というですね。
この宮崎滔天の宮崎家というのは長男の宮崎八郎は八郎だったと思います。
西南戦争で戦死しちゃうんですね。
お父さんがこれからも政府の官のと言ってますけども、六郎は食らうなみたいなことを言うわけですよ。
まあ政府側につくなということですよね。
という中で宮崎滔天は東京に出て、熊本出身なんですね。
東京に出て今の早稲田大学に入ったりするわけなんですが、これからどうしたらいいんだろうと思っているところ。
特に地元の子作農の子作人の人たちがものすごい困窮に貧乏にあえいでいるという現実の中で自分はどうすべきかというところをですね。
お兄さんと共に中国での革命というところに希望を見出すんですが、
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残念ながらこのお兄さんが病気で亡くなってしまうという、その辺ですね。
この辺りが33年の夢という当店が書いた本に基づいて小ゆきさんが浪曲にまとめられているわけなんですが、
まあとにかくね、浪曲としての気持ちよさ、局主は広沢美舟さんですね。
美舟さんのもうその『天災』的な鉢さばき、特にそのパーカッシブな感じでグルーヴさせていく。
ちょっと小ゆきさんが軽くとっちり気味かなっていうところもぐっと美舟さんの三味線で持ち上げていく。
でもうお客さんもいいお客さんだからまあ盛り上がる盛り上がる。
でみんなで資本主義をぶっ壊すという風に御称はしてしまうというですね。
非常にこのアジテーションのグルーヴというものがですね。
浪曲に乗っかって痛快な椅子席になっております。
仲入りを挟んで牛エモン、ひらがなで牛エモンなんですが、
これはですね、当店の奥さん、奥さんの名前がすいません。今ちょっと出てこないんですが。
このね、明治大正、戦前かな。ひょっとしたら戦後かもしれないけども。
なんかこう、世の中をリードしていく男たちのがですね。
まあ女癖がひどいね。
というような話なんでございますが、その革命に失敗した当店はですね。
絶望のあまり上野の愛人宅に潜伏をするというですね。
そこに妻が怒鳴り込んでくるという、そういう話なんですけども。
こちらはですね、NHKFMの浪曲十八番でかけられたんですけど。
これが素晴らしい劇で、僕はラジルラジルで4回聴きました。
素晴らしいグルービーなね。33年の夢にも増してグルービーでかつ笑いどころも多い。
非常に良い劇だったんですが、やっぱり生で聴いた方が楽しかったね。
やっぱりね、この浪曲士と局士の間のコミュニケーションがバチバチっと来る。
それが目でも確認できるんで、そこがもう楽しいなっていうところがあるのとね。
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基本的にこれ宮崎とってのダメ男なので、この会においては、そのダメ男のダメっぷりを妻から急断されて、
すみません、すみません、すみませんっていう風にラジオではね、そこを聴くところがあった。
あとあの三角龍さんがね、これをやった時も僕は見てますけども、
これがね、その謝るところがね、だんだん頭が下がっていって、最後テーブル掛けに隠れて見えなくなっちゃうっていうね、
そういう仕草し方ですわなが、めちゃめちゃ面白かったですね。
とにかくね、あの痛快痛烈ですよ。
非常に面白い。かつぐっと来るし、やっぱり今の視点から見た時に、この宮崎登天っていう人のあり方っていうのは、
いろんな形、角度から見てね、面白いと思うんですよね。
やっぱりね、ただこういう題材を得たことによって、小ゆきさんの節が前にもましてパワフルでグルービー。
ここがね、一番の収穫というか、いいなって思うところですよね。
で、この宮崎登天に関しては、あるいはクモエモンね、東中堅クモエモンに関しては、僕もちょっといろいろ思うところはありまして、
いろんなところから見られるんですよ。
声の国民国家っていう本が出ていて、その浪曲の流行が国民国家の形成を側面支援したのではないかというような話ですね。
天皇の下の平等、市民平等、市の交渉がね、法権制度が崩れたところで、その国民国家作るぞっていう流れの中、政府が強引なこともいっぱいしてるわけですが、
それをちょっと側面から支援して、ちょうどその日清戦争、日露戦争というものがありという流れがあったりするわけですよ。
その宮崎登天は原容者にいて、原容者っていうのはこの東山光っていう後に、右翼テロリズムを引っ張るような人がいたようなところだったりするわけですね。
だから宮崎登天もそっちの人なんじゃないかっていうふうに誤解されやすいところもそれは違いますよというお話をされたのが、
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今回の熊小ゆきさんだったりもするわけなんですが、この辺は非常に歴史が入り組んでて、非常に面白い多角的に見れるところです。
そのきっかけを作ってもらえるっていう意味においても、この宮本隆二の作っていうのは非常に面白いなっていうふうに思いますし、
やっぱりこの南谷節が歌う南谷節的な価値観、浪曲的な価値観、当時の浪曲的な価値観、熊江門は義士伝なわけですけども、
その義士伝の価値観を良しとしなかったのが宮崎登天というのがこの話の確信なんですよね。
で、熊江門はその義士伝の価値観を不死でもって講談以上にその日本国民にバーンと叩き込んだ。
で、浪曲はその日本中で人気を得てるんですよ。
で、これが何をもたらしたのかっていうあたりのその歴史の綾みたいなところもねまた面白い。
で、結局その貧しい人がそのいっぱいいる不国共兵の中で貧しい人がいっぱい生まれてしまっているっていう、
それをどこにその責任を持ってどこにその活路を見出すのかっていうところでこの思想が分かれていくわけですね。
それはもう明治政府ができた直後からもう青函論あたりからもう出てきてるわけですけども。
で、これひっくり返すとなぜ貧しい人がいっぱいいたのにいわゆるその社会主義的な動きもちろんいっぱいあったわけですけどもがうまくいかなかったのかっていうところですね。
もちろん政府が弾圧したっていうのはあるんですが、その国としてのムードというものが戦争によって作られていった、
残念ながらその側面支援をひょっとしたら浪曲もしてたんじゃないかっていうのがさっきの公衛の国民国家っていう本の中に出てくる話。
まあちょっとねここはもう1回その検証してみなきゃいけないところなんですけども。何が言いたいかというとこの歴史ってのは一筋縄ではなかなかいかないというところですよ。
で、小ゆきさんの今後のですねこの会の中で例えば高徳周水、退却事件の高徳周水であるとかもちろん中江兆民であるとかですね、高徳周水の師匠でありますが、
というあたりが出てくる。この辺もね非常に面白いところだし、今を考える上でもとても貴重な歴史の話だと思うんですよ。
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まずは浪曲としてですねその痛快感をたっぷり楽しんでもらって、興味があったらググるなり本を読むなりしてみるっていうのがなかなかいいんじゃないかなというふうに思いました。
ということで、シェアする落語の四家でした。ではまた。