世界から見る日本へ、ようこそ!
世界から見る日本は、海外の視点から日本社会を考えるポッドキャストです。
世界から見た日本はどう映るのか?他の国ではどうなのか?
そんな比較をしながら、日本の当たり前を少し外側から見つめ直し、
より良い日本へのヒントをリスナーの皆さんと一緒に考える番組です。
お相手は海外在住歴30年以上、現在オランダに住み、
日本とオランダをつなぐ事業開発サポートをしている私、ゆきです。
今日はお便り紹介からしていきたいと思います。
お便りをくださったのは、リスナーのすみなりのさんです。
すみなりのさん、この間もお便りをいただいて、お便り2回目です。
嬉しいですね。ありがとうございます。
それではお便りを読みたいと思います。
シャープ35では打文を要約してくださり、ありがとうございました。
紹介されると聞いた時は、どうなることかと少し嬉しさと心配が入り混じっていました。
日本で中立を考えようとすると、武装中立をするには、
日本は中国に信用されていないので、スイスにはなれないですね。
また、非武装中立は第二次世界大戦でオーストリアがどういう目にあったかを
変えりみれば、やはり選べない。
ロシアや中国を日本側も信用できないからと言い換えても良いですね。
となると、大抵の人の思考が止まっているように思います。
アメリカが10年前のアメリカでいてくれたら、それでも良かったのかもしれませんが、
今のアメリカは中国から見たら、日本の軍閣へのフタとしての機能は弱くなり、
それどころか、アメリカが日本に軍閣を促す事態。
日本から見たら、どこまで頼って良いのか不安になる状態ですね。
そんな状態をどう捉え、平和を維持するために何をしたら良いか、
真剣に考えないといけない時期になった割には、
相変わらず米軍が沖縄から出撃することはスルーで、
本州から出撃すると大騒ぎする反戦活動家などを見ているともやもやしてしまいますし、
政府からアメリカべったりな政策を見せられると、
何がしたいんだとジタンダを踏んでしまいます。
平和に必要なものは経済力、外交上の影響力、軍事力のバランスを国のサイズに合わせて持つことだと考えるのですが、
今の日本はチグハグですよね。
外から見たらより強く感じるのではないでしょうか。
今までと変わらないですか。
願わくば軍事費の増強を避けられないのなら、装備一変等ではなく、
まずは単位の生活環境改善に回ることを願います。
日本の軍事的に弱いところは、今も昔も補給と単位の生活環境だと思うので。
話がずれました。
日本人に必要なのは、やはりまず知ることなのだと思います。
知らないから考えられない。
今日本が受かれている状況、扇動されたりせず、冷静に見つめられる姿勢というか、
観察眼をどう養うか、まずはそこからなのかもしれません。
扇動される人多すぎるのですよね。
今も昔も。
嫌な歴史は繰り返したくないのに、繰り返しそうで悲しいです。
今回も窓場に物がないまま、たぶん丈夫になってしまいました。ごめんなさい。
そんなスミナリドさん、全然謝らなくていいんですよ。本当に。
ねえ、これ難しい問題ですよね。
シャープ35、日本の平和はどう守る?
スイスの武装中立から考えるも、たくさんの反響をいただいて、本当に配信者妙利につきます。
スミナリドさんからは、外から見たらより強く感じるのではないでしょうか、という問いもいただきました。
これについて、私自身考えて、最近ちょっと気になったことがあります。
先日の9月22日、ニューヨークで行われた国連総会での高市首相の一般討論演説です。
高市首相は演説の中で、力または威圧による一方的な現状変更の試みは、国連憲章に挙げられた原則に反するものであり、世界のどこであっても認めることはできません、という趣旨の発言をされました。
そして日本が国際司法裁判所、国際刑事裁判所、国際海洋法裁判所など、国際的な司法機関を支持し貢献してきたことについても触れています。
これは日本が法の支配を重視するという外交姿勢を示したものだと思います。
一方、ここで私が気になったことがあります。国際刑事裁判所、ICCの現在の署長は、日本人の赤根智子さんです。
そして今年、8月18日、アメリカ政府は赤根署長を制裁対象に指定しました。
ICCの側もこの制裁について、裁判所の独立性への攻撃だと強く反発しています。
もちろんアメリカにはアメリカの立場がありますし、ICCの活動についても様々な意見があります。
なので、私はここでどちらが正しいという結論を出したいわけではありません。
ただ、日本は国連の場で法の支配を重視すると表明している。
その一方で、日本人が署長を務める国際刑事裁判所のトップがアメリカから制裁を受けている。
この状況を日本はどう捉えているのだろうと。
そして、日本とアメリカとの関係を外から見た時にどう映るのだろうと。
私はちょっと考えてしまいました。
スミナリノさんの書いてくださった、アメリカにどこまで頼ってよいのか不安になるという問題意識とも重なるところがあるように私は感じています。
そして自衛隊員の生活環境の改善についても本当にその通りだなあって思います。
このお便りやXでいただきました様々な感想ポスト、そしてDMでのやり取りを通して、多くのリスナーさんが平和について考えてくださっていることを感じました。
そこで、この平和についてはまた一歩踏み込んで別の視点から捉える回を配信してみようと考えています。
なので今日はこのお便りに対する私からの回答というわけにはいかないのですが、ぜひ今後の配信も楽しみに引き続き聞いていただければと思います。
スミナリノさん、今回も大切なお便りをありがとうございました。
では今回のテーマに入りたいと思います。
今回のテーマを考えるきっかけになったのは以前聞いたポッドキャスト。
35歳右に行くか左に行くかシャープ271人文科学系のダウンサイジング。
ナイちゃんはどうするの?でした。
そこで日本の学歴について語られてたんですね。
学歴が高いというのは東大や京大のような有名大学を卒業していることなのか。
それとも本来は大学院まで進み、博士号などより高い専門性を身につけていることなのではないか。
そんな趣旨のお話がありました。
それを聞いて私は改めて日本とオランダ、そして日本と海外の教育や働き方の違いについて考えました。
日本を見てみると大学の学部を卒業するとそのまま就職する人が多いですよね。
一方、私が暮らしているオランダでは大学に進学した人が学士号の後に修士号まで進むことも珍しくありません。
もちろんオランダと日本だけを比べればいいという話ではないし、ヨーロッパの国々もそれぞれ教育制度や雇用制度が違います。
ただ、今日お話ししたいのは大学院に行く人が多いか少ないかという教育制度だけの話ではありません。
今日の本当のテーマは日本社会は何に報酬を払う社会なのかということです。
大学に入る、会社に入る、会社の中で経験を積む、そして長く勤める。
一見するとそれぞれ別の生徒です。
でも並べてみると一つの人生設計としてつながっているようにも見えてくる。
今日は大学院進学率、高学歴という言葉の意味、学位、新卒採用、そして退職金を順番に見ながら
日本社会が何を評価してきたのかを考えてみたいと思います。
まず大学院進学について見てみましょう。
文部科学省の令和7年度学校基本調査によると、
2025年度の大学学部卒業者のうち大学院などへ進学した人の割合は12.7%でした。
前年より0.1ポイント上昇しています。
これはざっくり言えば、大学を卒業した人の8人に1人ぐらいが大学院などに進んだということになります。
ただしこれは注意が必要ですよ。
この12.7%という数字は大学院だけではありません。
大学院などには大学院のほか別の大学の学部、短期大学、専修学校などへの進学も含まれています。
ですから日本の大学卒業者のうち12.7%が大学院に進学しているということはできません。
そしてこれは分野によってかなり違いがあります。
同じ調査では、大学院などへの進学率は人文科学で4.6%、社会科学で2.8%なのに対して、理学では47.5%、工学では40.4%となっています。
この違いを見ると、理学・工学では大学院に進むことがその後の職業や専門性とかなり直接的に結びついている分野であることがわかります。
では海外と比べるとどうでしょう。
OECDの図表で見る教育、2025年度版で2023年の数字を見ると、日本では修士の初回卒業者の割合が2.5%で、
比較可能データある24カ国または地域のうち21位という低い水準です。
つまり日本では大学院に進学する人そのものが少ないというよりも、大学を卒業した後、さらに修士課程へ進む人が国際的に見るとかなり少ないということなんですね。
ちなみに少し古い2020年のOECDデータでは、日本の大学院への新規入学者は修士課程相当が約10万5000人、博士課程が約1万5000人でした。
人口1000人あたりで見ると、大学院への進学者は0.95人で、OECD加盟国の中で最も少ない水準でした。
もちろんね、国によって教育制度や学位制度が違いますし、単純なランキングだけで判断することはできません。
それでも日本では大学を卒業した後、さらに修士や博士へ進むことが国際的に見ても一般的とは言いにくいということは、この数字からも見えてくると思います。
ここで考えてみたいのが、では日本社会は大学院でさらに専門性を身につけることをどのくらい評価しているのだろうということです。
うーん、大学に行くためには時間もお金も必要ですよね。
それなのに修士号や博士号を取得したことがその後の仕事やお給料に十分見すびつかなければ、そこまで進学する必要あるの?って考える人が植えるのもある意味では自然ですよね。
つまり大学院進学率の低さには単純に日本人は勉強しないっていう話ではなくて、社会がより高度な学習や専門性にどんな価値を与えているのかってそこを考える必要があるのではないでしょうか。
ここでもう一つ気になることがあります。大学院に行く人が少ないという話をしてきましたが、その前にそもそもなぜ大学なの?っていう問いです。
日本では進学先として大学が非常に大きな意味を持っているように私は感じています。
もちろん専門学校や職業教育を選ぶ人もいますし、それぞれに専門性があります。文部科学省には一定の要件を満たした専門学校の課程を修了した人に専門士や高度専門士という称号を与える制度もあります。
ですから、大学に行かなければ専門性が身につかないという話ではありません。私がいるオランダにも大学とは別にHBOという高等職業教育があります。
オランダの大学はWO。このWというのはWetenschappelijkでOがOnderwijs。Wetenschappelijk Onderwijsは学術や研究志向の教育ですね。一方このHBOのその高等職業教育は職業実践を重視した高等教育です。
ここはね、どちらが上かという話ではありません。目的が違うんです。研究者や学術的な専門性を目指す教育と、それがオランダの大学ですね。特定の職業に必要な実践的な知識や技能を身につける教育。これがオランダの高等職業教育です。
どちらも社会には必要ですよね。ひるがえって日本ではどうでしょう。日本にも大学、短期大学、専門学校など様々な進路があります。それなのに社会の中では大学を出ているか出ていないかという区分が就職やその後のキャリアで大きな意味を持つ場面があります。
そうすると私はこんな問いを考えてしまいます。社会が本当に評価しているのは学ぶことなのでしょうか。それとも大学という場所を通ったことなのでしょうか。
もちろん大学には大学でしかできない学びがあります。研究に触れたり専門分野を体系的に学んだり、様々な人と出会ったり、大学そのものに価値があることは否定しておりません。
でも大学を卒業したという事実が実際に何を意味しているのか、そこを一度考えてみてもいいのではないでしょうか。そしてここから、じゃあ高学歴って一体誰のことなんだろうという最初の問いに戻ります。
日本で高学歴という言葉を聞くとどんな大学を思い浮かべるでしょうか。東大、京大、早稽などいわゆる難関大学や有名大学をイメージする人も多いと思います。もちろん海外でも大学ランキングや大学のブランドが存在します。
ですから日本だけが大学名を気にするとかそういった単純化することはできません。ただ日本では大卒という区分そのものが就職や採用の場面でかなり重要な意味を持ってきました。
では、高学歴とは本来どういう意味なのでしょう。大学院まで進んで修士号や博士号を取得していることなのか、それともどの大学を卒業したかということなのか。
ここにはこの学歴と学位と専門性がごちゃ混ぜになっているように思います。
例えば英語でBachelor of Artsと書いてあると、これは学士号を指しますね。Bachelor of Arts in Psychologyなら心理学を専攻した学士という意味になります。
日本語で学士、心理学のように専攻分野をつけるのと大体同じイメージですね。ただしBachelor ofArts in Psychology、学士心理学だからといって日本の文学部で心理学を専攻した場合と全く同じ意味になるわけではありません。
それは国や大学によって学位の付け方や専攻の位置付けが違うからですね。日本でも昔は文学士とか法学士とか工学士など分野ごとに学士の種類が分かれていました。
しかし1991年の制度改正によって学士の種類は学士に一本化されましたが、現在でも学士、経済学のように専攻分野を付けることがあります。
こうしてみると学位というのはどの大学を出たかだけではなく、何を学んだのかを示すものでもあります。
MBA、これ日本で比較的よく知られてますよね。Master of BusinessAdministration、つまり経営学修士です。MBA、MBAを取りましたとか、何とか何とかコンサルティング会社でアメリカに行ってMBAを取りましたとか、名刺にMBAとか書いてある人結構私は見るんですね。
一方でMFA、Master of Fine Arts、芸術学修士。それとかMENG、Masterof Engineering、工学修士。MPHはMaster of Public Health、公衆衛生学修士。
それぞれの専門分野に関係する人以外は何の学位なのか分かりにくいかもしれません。これは私自身の印象ですが、日本では大学名や大学卒、院卒という大きな区分に比べて個々の専門分野や学位の違いが一般社会ではまだ十分に知られていないように感じることがあります。
皆さんどうですか?そう考えると最初の問いが少し変わってきます。
工学歴とはどこを卒業した人なのかだけではなく、社会はその人が何を学んだのか、どんな専門性を持っているかまで見ているのかという問いです。
そしてここから話は教育から仕事へつながっていきます。
大学を卒業した後、人はどうやって会社に入るのでしょうか。そこに出てくるのが日本独自の新卒採用です。
日本では大学を卒業するとまず会社に入るということが大きな節目になります。それは就職という言葉でも表されています。
日本の雇用習慣を考えると、実際には仕事に就くというより会社に入るという側面が強かったのではないでしょうか。
いわゆる就社です。企業が新卒の学生を一括して採用し、入社してから研修を行い、その後、配属や移動を通して様々な仕事を経験していく。
これはいわゆるメンバーシップ型雇用と呼ばれる考え方と結びついています。
もちろん日本のすべての企業がこの形だったわけではありません。
ただ、長い間日本企業の雇用習慣を特徴付けてきた仕組みの一つです。
実際、経団連の2024年の人事労務に関する調査では、怪盗企業の83.2%が一括で採用を実施していると回答しています。
一方、ジョブ型採用を実施している企業は16.5%でした。
これは、経団連の調査に怪盗した企業についての数字なので、日本企業全体の割合とそのまま考えることはできません。
ただ、新卒一括採用が今もかなり残っていることはわかります。
一方、ジョブ型という言葉も最近はよく聞くようになりましたね。
ジョブ型というのは、仕事の内容や役割、必要なスキルなどをあらかじめ明確にして、その仕事に人を配置するという考え方です。
日本政府も2024年にジョブ型人事指針を公表し、企業の取り組みを紹介しています。
つまり、日本も変わり始めています。
でも、完全にジョブ型へ移行したわけではありません。
ここで、大学の話と会社の話がつながってくるんですね。
大学を卒業したら会社に入る。会社に入ったら、その会社の中で経験を積む、そして長く勤めることが評価される。
そうすると、大学を出たこと、会社に入ったこと、長く勤めたことが、一つの人生のストーリーとしてつながってきます。
ここまで、日本の新卒一括採用についてお話ししました。
では、オランダはどうなんでしょうか。
ここで、海外では新卒採用がないと言ってしまうと、少し違います。
オランダにも、もちろん、大学を卒業した人を対象にした採用があります。
ただ、日本のように、この多くの学生が同じ時期にリクルートスーツを着て、電車に乗って、サミネラに行って、就職活動をして、卒業後の4月に一斉に会社に入るという仕組みが中心というわけではありません。
では、どうやって仕事につながっていくのでしょうか。
一つの大きな違いとして、学生のうちから企業や組織と接点を持つことというのがあるんですね。
例えば、大学の修士課程でインターンシップをする、企業や組織と一緒に研究する、卒業論文あるいは修士論文のテーマを企業や組織から依頼された課題として取り組む。
そうすると、学生は大学の中だけで勉強するのではなく、実際仕事の現場に触れることにもなります。
オランダの内伝大学も、修士課程でのインターンシップについて、理論を実践に移すだけではなく、将来働きたい組織を知る機会にもなるという説明もしているんですね。
つまり、大学を卒業したから、その人がどんな人かわからないけど、とりあえず会社に採用するというより、
学生の時から実際の仕事を経験してもらい、お互いに合うかどうかを見るという接点が作られるわけなんです。
もちろん、オランダのすべての学生がインターンをして、そのまま同じ企業に採用されるわけではありません。
でも、大学と企業、学生と雇用主の間にこうした接点があることは重要だと思います。
そして、もう一つ、オランダの就職を語る時によく出てくるのがトレーニーシップです。
トレーニーシップは、簡単に言えば、若い大学卒業者などが仕事をしながら研修を受けるスタート職みたいなものです。
企業によって内容は違うんですけれども、例えば最初に研修を受け、その後いくつかの部署を経験する、あるいは複数のプロジェクトを担当しながら仕事を覚えていく。
つまり、学校を卒業した瞬間から完成した専門職として働くというより、採用された後も仕事をしながら育てていくという仕組みです。
例えば、ユトレフト大学はトレーニーシップをスターター向けの職のようなものとして紹介していて、複数の部署を経験しながら学ぶ仕組みも紹介されています。
ここは日本との違いとして非常に面白いところだと思うんですね。
実は、日本でも会社に入ってから研修をすることは珍しくないじゃないですか。
では何が違うのかというと、日本の場合は大学を卒業する会社に採用される、入社後に会社が育てる、こういった順番になりやすいんですよね。
一方、オランダでは大学在学中にインターンや研究などを通して企業との接点を持つ、実際の仕事を経験する、卒業後に就職する、必要に応じてトレーニーシップなどでさらに育てるという流れもあります。
つまり、採用してから仕事を教えるのか、それとも仕事を経験してもらいながらお互いに採用を考えるのか。
ここには人をどうやって採用するのかというだけではなく、大学で学んだことと仕事で必要なことをどうつなげるのかという考え方の違いも見えてくるのではないでしょうか。
そしてここまで考えると、大学、学位、専門性、採用、そしてキャリアが全部こうつながってきますね。
海外を見ても制度は様々です。
例えばフランスには一定の条件の下で法定の退職手当があります。
アメリカでは401Kのような働いている間に自分や会社が積み立てをしていく確定居室型の年金制度があり、一定の条件の下で転職時にその資産を移していける仕組みもあります。
もちろんこれらも日本と制度の背景が違います。
だから海外はこうだから日本もこうすべきっていう話ではなくて、大切なのは私たちは何をしたことに対して報酬を払う社会を救っているのかということではないでしょうか?
ここまで大学院進学率、高学歴という言葉の意味、学位、新卒作用、そして退職金について見てきました。
こうして並べてみると、大学に入ってその後会社に入って会社の中で経験を積んで長く勤めることで最後に退職金を受け取る。
一つ一つを見るとそれぞれ別の制度に見えます。
でもこうして人生の流れとして並べてみると、どこで学んだのか、どの会社に入ったのか、どれだけ長く勤めたのか、そうしたものが人生の評価や報酬と結びついてきたことが見えてきます。
もちろんそれは日戦後の日本社会にとって一定の合理性があった仕組みでもあったと思います。
企業が人を採用して育てて長く働いてもらう。働く側もその会社で経験を積みながら生活を安定させていく。
そういう仕組みが日本の経済成長を支えてきた面もあったでしょう。
でも社会の環境が変われば評価するものも変わっていく必要があるのかもしれません。
大学を卒業したことだけではなく、そこで何を学んだのか、どの会社に入ったかだけではなく、どんな専門性を持っているのか、何年その会社にいたかだけではなく、
どんな仕事をして何を生み出してきたのか。そう考えていくと、今日の最初にあった問いに戻ってきます。
日本社会は何に報酬を払う社会なのでしょうか。
そしてこれからの日本社会は何を評価する社会になっていくのでしょうか。
もちろん、世界から見る日本では何度も言ってるんですけれども、海外の制度をそのまま日本に持ってくればいいという話ではありません。
オランダにもオランダの仕組みがあり、日本には日本の歴史や社会背景があります。
だからこそ海外と比較することで日本もこうすればいいという答えを出すのではなく、なぜ日本では今のような仕組みになっているのか。
そしてこれから私たちは何を大切なものとして評価していきたいのか。
それを考えてみることに意味があるのではないでしょうか。
皆さんはどう思いますか。
日本社会は今何に報酬を払う社会だと思いますか。
そしてこれからの日本では何をもっと評価する社会になってほしいと思いますか。
世界から見る日本の今回のエピソードはいかがだったでしょうか。
番組ではリスナーの皆様からのお便り、質問なども概要欄にあるお便りフォームからお待ちしております。
いただいたお便りは大切に必ず番組で紹介させていただきます。
この配信より番組制作で参考にした調査や資料のリンクを概要欄に貼ることにしましたので、もし関心があればこれらの資料をご覧になってください。
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お相手は海外在住歴30年以上、現在オランダに住んでいるユキでした。
それではまた木曜日にお待ちしております。