誇らしかったんだとは思うんですよね
なんだけど、こっからです。すぐ辞めます。すぐ辞めました、その事務所。
お金が安いとか、あと残業代出ないとか、もう本当に深夜0時ぐらいまで働いてましたけども
そういうのはね、もう覚悟の上だったですよ、そうだよっていうのはいっぱい話聞いてきたし
まあ会社に入った時点でそれはわかってたから、それはね、まあしんどかったけど若さもあったからね、できたんだけど
人があんまり会わなかったんですね。すごいちっちゃいデザイン事務所だったんで
人が会わないってなるとね、もうね、救いがないんですよね。
僕も若かったから、人間関係を修正するというか、どうやっていいのかわかんないっていうところがあって
丁寧にそんな仕事のことを教えてくれるような状況でもないからさ、新卒なんだけど
もう促進を求めてるので向こうも、とにかく仕事をどんどんどんどん与えられるんだけどっていう感じ
向こうも受け入れ体制ができてない状況で、こっちもあんまりよくわかってないっていうので、もう相互ね、結構しんどかったと思うんです
それで、やめます。とにかくやめます。というか、親がもう戻ってこいって言いました
そんなね、過酷な環境の中にいて、もう体がおかしくなるから戻ってきなさいって言われて、東京を後にします
そこでね、僕が思ったことは、はい終わったっていうね、人生積んだって思った
もう新卒ブランドを捨てたし、デザイナーとしてももう本当に全然1年も働いてないぐらいの中で
私はこの先、再就職絶対無理って思いましたね
だってもう1回デザイナーになろうと思っても、そんなすぐ辞めたやつまた辞めるだろうでしょ?絶対
だし経験もないしね、もうゼロじゃなくてもうマイナスになっちゃってて
他の企業に行くってなっても、第二新卒とか今ではあるけど
新卒で勤めた会社で何年か頑張って転職みたいな流れだから
この時点でもう超終わった、終わったっていう感じで実家に戻ってきて、もう寝込みますわ。寝込みです
そっから結構暗黒始まるんだけどね、あんまり記憶がないんだけどね
ちょっともうしばらく、何してたかな?
ちょっとはね、関西のデザイン事務所とか受けてたと思う、でもダメで
いろいろ考えたんですよ、この先どうしていくかって。でも結構もうこの時点で諦めてるんだけど人生
だいぶ早いよね、22、3ぐらいなんだけどね、無理かもと思ったんだけど
その時点でね、もうじゃあクリエイティブの道をもう一回目指すか、それとも全然違うとこかって考えた時に
僕はクリエイティブの道を諦めることにしました。皆さんだったらどうします?
僕はね、もうそこで諦めた。なぜならその東京の事務所で散々言われてたのが
お前は美大も出てない、芸術も学んでない、だから基本的なものがなってないっていうのは散々言われてきて
今思ったら八つ当たりみたいなのされてただけだとは思うんだけど、そういうふうなことずっと言われてたから
もう当時の自分としては、そんなやつがどこでも無理だわって。もう一回美大とか専門学校行ってやり直すんだったら分かるけど
この状態でもう一回就職は無理だわって思ったから、もうこの道諦めないとっていうのもあったし
あとそこで接してきた人たちしか僕はね、その業界の人たちって
インターン先の方だったり、大学時代にアルバイトしてた方たちもいるんだけど
やっぱ東京のその人たちっていうのが、僕の理想の仕事をやってる人たちだったんですよね。
だから、その人たちイコール自分が憧れてる世界っていうのだったから
人間がね、ちょっとね、合わなかったから
こういう人たちがいる世界でもう一回やるの無理だわっていうのもあったし
だからもう諦めたんです、夢は早々に。早かったわ、早かったです。
ここでね、僕はどうしていくかっていうと
公務員をね、もともと死亡してたんです急に
田舎にいた時とか大学の最初の頃は
親にずっと言われてたのは、あなたは民間じゃなくて絶対公の仕事の方がいいよって
ちゃんとこう地道に努力して頑張ってたら評価されるところだから
競争とか無理よっていうようなことをずっと叩き込まれてたんですね
そういう性格だったし、行政とか法律とかね
公務員を仕事にできるっていうことへの興味もあったんだけど
すっかりそれがね、大学入ってから違うところに行っちゃったんだけど
改めて思うとですね、自分に適してる仕事ではあったし
行政の仕事をやってみたいっていう思いもあったので
突然なんですけど公務員を目指すことになります。
なんだけど、そこら辺の時期にね、私は母親を亡くすんですね
もう怒涛じゃない?マジで
もともとずっと母親は糖尿をしてて
僕が幼稚園ぐらいの時からね、がんを患ってずっと糖尿して