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こんにちは、パリナパルトマンからお届けします。フリーランスのSAKIです。
このラジオでは、私SAKIがパリ生活やビジネス、読書で学んだことを毎朝配信しています。
皆さんお元気でしょうか。
この前、LINEの公式にね、よかったら登録してくださいって話をしたと思うんですけど、
早速結構皆さん登録してくださってありがとうございます。
なんかラジオを、私結構ホームみたいな感じにすごい感じてるんですけど、結構素で話せてるので、
でもなんか私からこう一方的に喋ってるから、どんな方が聞いてくださってるかって、
その在住の国しかわかんないんですよね。
だからなんかLINEの公式をしてね、
普通のLINEみたいな感じでLINEできるんで、
誰々です、みたいな、どこに住んでますとかいうメッセージもらって、
初めましての方も結構いてですね、
ラジオの先の方、ラジオの向こうの方を知ることができたんで、すごい嬉しかったですね。
ありがとうございます。
今日のラジオなんですけど、
前にね、私がエッセイを書いたんですよ、
ノートというプラットフォームの上で、
ノートっていうのは結構何年か前からあるプラットフォームで、
エッセイとか小説とか記事とかいろんなものが載ってて、
イラストとかも載ってて、
それは誰でもアカウント持ってたらできるんですよ。
ライターじゃない人とか一般の方が書いてたりとか、
ライターの方が書いてたりとか、
作家の方が書いてたりとかしてて、
クリエイターが創作活動しやすい場として存在しているものなんですね。
だから、吉本バナナさんとかね、
私がすごい大好きな文筆家の塩谷舞さんとか、
結構文章のプロの方もいらっしゃって読むのが面白いんですけど、
そこで私がエッセイを書いたんですよ。
ハンガリーにこのまま行った時の気づきを書いたんですけども、
それがなんか偶然というか、
ありがたいことにノートの公式オススメ記事として載ってですね、
結構嬉しかったって話をラジオでしたと思います。
それで、これちょっと読もうって思いました。
いつも本の朗読してるんですけど、
03:02
この記事読もうかなって今思いついて、
5秒後にラジオを撮ってる次第です。
思いついたらすぐやる女なんで、
お付き合いをいつもしていただいてありがとうございます。
ちょっと短くないんで早速読んでいきたいと思います。
タイトルは、アイデアが降ってくる桃源郷は、
どこにもないことに気づいた私と土なうの真珠というタイトルです。
じゃあ読んでいきます。
10年前、初めて見たヨーロッパの建築様式。
知らなかった乾燥で髪が凍りかけて、
ツンと目の奥まで冷える冬の寒さ。
初めて会う鼻の高く目と髪の色素の薄い人たち。
初めての景色に初めての顔形をした人たち。
みんな目がでかくて鼻が高くて二重だ。
あの頃の私にとって新鮮さしかなかった。
ここには大学の卒業旅行で来た。
初めましてのドイツ人や韓国人と一緒に
安宿ドミトリーの同じ部屋に泊まって
二段ベッドが二つギュウギュウに配置されているところで
ベッドに座りながらおしゃべりした光景が
今も瞼の裏をひっくり返して出てくる。
英語も大して話せないのに
偶然部屋が一緒になったその人たちと
三日ぐらい一緒にいて
夜な夜なトランプをしたりしていた。
どうやって会話してたんだろう。
全く思い出せない。
多分現実はほぼニヤニヤうすら笑いと
いくつかの単語
そしてアイコンタクトだったんじゃないかと思う。
でもそうは思わせないくらいの深い話を
朝まで語ったくらいの親密さを
楽しさを思い出す。
22歳のヨーロッパ初旅行
何もかもが初めてで
私は目を輝かせていたと思う。
アルファベットの標識を見つけただけで
写真を撮っていた。
つまりものすごい回数写真を撮った。
写真の中の私は
目の奥が、表情がキラキラしている。
旅の間中いつでもとてもワクワクしていて
一緒に来た友達と
ずっと笑いころけていた記憶がある。
見たこともない大きさの
偉そうな石像の横で変顔をしたり
06:03
公園で当時流行っていたCMのポーズをしたり
文字通りの箸が転げてもおかしい年頃だった。
就職する前の最後の時
私たちは
私は
狂ったようにこの国の
旅の
その時間の虜になった。
今、私は32歳でフランスに住んでいる。
あの頃には全く
一ミリも想像しない形で
10年後を迎えている。
鼻の高くて目の色素の薄い人たちと
毎日やりあっている。
郵便局で仕事に必要な荷物が届いていないと主張し
色使いが素敵なカフェで
ストライキについて議論を交わし
美しいオスマン建築のアパルトマンで暮らし
家でパソコンで仕事をし
上の階のうるさい住民に文句を言っている。
あの時の私からすると
全く予想していなかった日々だ。
想像上にもなかった未来。
あの旅行の後
私は大学を卒業し
大阪で音楽業界に就職し
その5年後にフリーランスライター
その後フランスでもライター
それからバイヤーとして株式会社を設立
そのバイヤーを辞める
そして今ここである。
そんな私がまたプタペストに来た
10年ぶりに
フランスに来てから
この地で生きるために必死で
とりあえずコネスキル
スキル・グワークがなくても
できるオンラインショップを始めて3年
なんだか盛り上がってしまって
夢中になって
会社まで立ててしまった。
たくさんのことを学んだバイヤーの仕事で
私はとても成長したと思うし
お金で何かを諦めることのない
割と自由なパリでの生活を
3年で手に入れた。
今次のステップに進みたいと思ったところだ
今回は新しい仕事を何か始めようと思い
アイデアをもらいに来たのだ
どの国に行こうかなと思った時に
10年前に初めて行った
ヨーロッパの国に行けば
初心に帰る旅って感じで
なんかかっこいいんじゃないかなって思った
本当に就職する前の
初心に戻れるんじゃないかと思った
ただブタペストの空港に降り立ち
09:00
迎えに来てくれたタクシーでホテルに向かうまでの
街の景色を車内から見て
全く何も懐かしく感じることができなかった
寂れた感じで
逆に気持ちが落ち込んだぐらいだ
どこの国も
フランスだって
郊外はそんな感じだ
特に空港って
大概市外から離れているところに位置しているから
寂れている
そのあたりの思い出は全く記憶にないし
だからその当時の記憶が
パズルみたいにカチッとはまって
わぁここ来た来た
懐かしい
などとはならなかった
多分泊まっていたエリアが違ったことも大きかったが
あの頃は多分
電車の切符の買い方もわからないので
ジェスチャーで質問したり
ハンガリー語で親切に道案内してくれる人に
必死にいいタイミングで挨拶を打とうとしているとか
新しい体験をするのに夢中だったんだと思う
何気ない景色なんかの
細かいところを覚えていない
結論から言うと
今回は散々な旅だった
10年前に出会った数々の親切な人たちは
どこにもいなくて
寒い国特有のコンサバティブな国民性を
たくさん見た
ヨーロッパの国々はすべて残らず
見知らぬ人に話しかけられたら
ウィットに飛んだ冗談とともに
陽気に返事をしてくれると思っていた
そんなことなかった
返事がノー!だけのこともあるんだ
心が冷えた
極めつけは3日目にイチオイになった
この土地の食べ物が合わなかったのか
ホテルの朝食バイキングを食べ過ぎたのか
ずっと胃もたれがしていて
3日目にはついにどこにも行きたくないくらい
胃が痛くなった
今回は一人旅だったし
しかも薬を持っていたら
病気になる準備をしているようなものだ
と謎の迷信を持っていた私は
薬すら持っていなかった
夜中に腹痛で目覚めた私は
数時間我慢していたが
とうとう眠いのに
痛くて寝れない状況が耐えられず
フロントにコールした
電話口には
もっと危機感の会としか思えないサービスを
滞在1日目から披露していた男性が出た
嫌な予感しかしなかった
とてもお腹が痛いのですが
薬かホットミルクは
持っていらっしゃいませんでしょうか
12:01
私はなるべく丁寧に行ったつもりだった
でも帰ってきた答えは
いいえの一言
できないならそれは了解する
きっときっと
ホテルのサービスマニュアルや
ルールがあるのだろう
でも体が弱っている時に
いたわりの言葉がないのは
思ったよりつらい
いいえの一点張りなので
他に何か解決法を知りませんか
と言うと
今度はちょっとイライラしたような口調で
いいえないです
夜中なので何もできません
タクシーで病院に行ってください
極めて正論だが
求めていない時の正論ほど
ナイフのものはない
確か彼は電話口の第一声で
May I help you?
と言っていたが
何もヘルプしてくれなかった
日本のおもてなしは
世界では特別
普通ではない
こんなことは海外暮らしが長くなるほど
知っているつもりだったが
こうも辛辣にされるとは
動けないため
長時間無駄にポツンとデカい
ホテルのベッドの上にいた私は
昔ここを一緒に旅行した友人に
またブタペストに来ていることを伝えた
10年の時を超えて彼女は
去年の夏の暑い日に
可愛い女の子を出産したばかりだ
子供には
彼女らしい名付け方をしていた
とても美しい名前
私は胃が痛いので
時々
彼女も子育てをしているので
途切れ途切れに
懐かしい思い出話を
LINEで送り合った
断続的にやりとりをする中で
飛行機の中でさ
これ見たよなと
彼女がこんな写真を送ってきてくれた
まず自分が楽しいかどうか
このキャッチコピーのある広告は
その当時に見たものだ
10年前の2010年2月の新聞
乗っていた飛行機の座席ポケットにあった
新聞広告
まず自分が楽しいかどうか
というキャッチコピー
その当時主流だったSNS
ミクシーに彼女が載せていて
そこにログインして
写真を引っ張ってきてくれたのだ
ちなみに私は
ミクシーのパスワードを忘れ
さらにIDにしていた大学の
メールアドレスが消滅したため
15:01
ログインできない
当時の私たちは
バックパック旅行だった
行く先も
次の日泊まるホテルも決めてなかった
何も決めてなくて
息抜きないで
てか行くとことかどうする
早く決めな
とツッコミどころ満載のタイミングで焦っていた
そんな時に
この文字が飛び込んできて
私たちはハッとした
まず自分が楽しいかどうか
せっかく楽しむために旅行に来たのに
焦って
スケジュールを埋めることに
気を取られていたことに気づいた
それでは本末転倒だ
このキャッチコピーが刺さりまくった私たちは
旅の間
それを合言葉のようにして
Wi-Fiのない時代
地球の在り方の本一冊で
慣れない土地を片言とジェスチャーで渡り歩いた
まず自分が楽しいかどうか
これを毎日合言葉にしていた
結果
とっても楽しくなった
ずっと笑っていて
そうだ
あの時もお腹が痛かった
笑いすぎて
自分がまず楽しいかどうか
長らくそんなことは封印して
がむしゃらに働いていた
頑張る今日だった私には
10年の時を越えて
このキャッチコピーからまた学ぶものがあった
そのキャッチコピーを見て
少し元気になった私は
辛い状態のままではあったが
少し症状が良くなったその隙に
ブタペストの絶景と言われる国会議事堂を
わざわざ見に行った
夜の気温はマイナス5度なのに
電車を乗り継いで
正面から拝める対岸まで
遠くからなのに
私は目が悪いのに
彫刻の左右まで
精神が宿っている建築様式が見えて
惚れ惚れした
一切妥協のない
塔の先端
ライトアップされて
そのディティールが際立ち
さらに
ドナー川の水面に反射していた
その建物は美しかった
圧倒された
心身やられて打ちのめされていた
そんな時でも
ドナーの神社美しかった
私は多分
この旅に期待していた
環境を変えれば
仕事の素晴らしいアイデアが
自動的に降ってくるだろうと
無意識に
環境に期待していたと思う
そんな魔法みたいなことないって
今までの自分は
とっくに知っていたはずなのに
18:02
どうして急に
駆け上がろうとしたんだろう
今までで一番好き
と思っていたぐらいだった
ハンガリーは
人の冷たさと腹痛で
灰色の思い出になったし
画期的なアイデアなんて
この寒空の下からも
広いドナー川からも
どこからも出てこなかった
ただ
いつまでもまどろんでいられる
37度の温泉と
ドナー川沿いに佇む
国会騎児堂が良かった
普通に観光旅行だった
旅が終わり
パリに戻ってきた私に残ったのは
旅に出る前に2ヶ月間
毎日うんうんうなって考えていた
アイデアたちだけ
別に画期的なアイデアが
ポンと出てくる桃源郷は
どこにもなくて
やっぱり地道に
毎日努力を積み重ねていくしかない
まず
自分が楽しいかどうかを問い続けて
それを見つけて
さらに仕事にしていくのは
思ったより難しい
それっぽいことを見つけるのは
簡単だけれど
本当に自分が好きなことを
見つけられて
それを毎日の優先事項にできて
なんなら仕事にできている人は
どれぐらいいるだろうか
私なりの自由な働き方論
それは
今日も明日も
ただ毎日を積み重ねて
何が自分が好きか
自分が何を楽しいと思うか
真摯に向き合い
発見していくだけ
それが本当の意味での
自由な働き方に
繋がると思う
はい以上になります
はい
じゃあ
今日はこんなところで
お開きということで
また次回お会いしましょう
それでは皆さん
素敵な一日をお過ごしください