本当にめちゃくちゃ僕の中で、これが一番大事な話題みたいに前回も思いながら。
なるほど。
その、どの辺が大事そうな感じなんですか?シュウさんの中で。
そうですね。ケージくんが本能と理性の話っていうのをしたいって言ってくれた後の流れで。
要はそれによって戦争がどうなるか的な話。
戦争、理性が100になった時に戦争をしないような人類なんではないかというか、そんな感じの流れになったと思ってるんですよね。
そうですね。すごくざっくりはしょると。
そうなんですよ。僕の中ではもうざっくりその観点なんですよね。
分かりました。でも、僕がだいぶ、もうどれくらいか分かんないですけど、たぶん一番、そうだな、この話もすると長くなるんです。
まあまあ、理性と本能についてすごい興味があるっていうのが明確に自分の中に出てきたのは、その理性と本能という言葉。
たぶんここ10年ぐらいなんですけど、でも、もっと中学生ぐらいの時からそこにつながる思想というか思いがずっとあって、
その時は理性とか本能っていう言葉も出てきてなくて、ただある一つの思いがあったんですけど、そこからつながってる思想的なものがずっと続いてる感じですかね。
はい。ぜひ聞きたいですね。
これは別に僕はずっと自分の中で、一つの考えるテーマとして、ぼーっとしてる時にそのことについて考えてるみたいなことなんですよね。
中学校の時も、僕だいたい校長先生の話とかをみんなで聞く時とかあるじゃないですか、学校行事の中で。
はいはいはい。
ああいう時に、ぼーっと話半分でそういう自分の思想を深めていってる時間だったんですよね。
えー面白。
今はだから洗い物したり散歩したりとかそういう時に、ポッドキャスト聞いたりお風呂の中とかで、お風呂の中はポッドキャスト聞けないんで、ぼーっといろいろ考えてる時に、
そういうこと、自分の中で何か考えを深めてるというか、いろいろずっと妄想してるみたいな。
まあそういうのがずっと妄想癖がある感じだったんで、たぶん物心ついたぐらいから。
そこでずっと考えてるテーマの一つが理性と本能みたいなところだったんですけど、
それをしゅうさんと話したいなと思ったきっかけが、しゅうさんが瞑想合宿に行って、
その瞑想合宿で、直後にすごくそのことについて熱く語られてる回があった時に、その感覚、
ちょっとしゅうさんの言葉、一言一言覚えてるわけじゃないんですけど、
そこでしゅうさんが感覚っていう風な言葉で言ってたことかな、
それがすごくなんか僕の中で本能って、僕の中で勝手に定義付けてること、こと柄にすごく何か近いことを言ってるなって気がして、
まあいつでもいいんで、ちょっとその辺の話をしゅうさんとしてみたいなっていう、
僕が思ってるこの本能みたいな概念と、ちょっと違うとは思うんですけど、でも近いところがあるなってすごい思ったんで、
完全には一致しないと思うんですけど、しゅうさんの感じた感覚みたいなものの、
そのしゅうさんの解釈と自分の本能っていうものに対する解釈をちょっとすり合わせてみたいというか、
照らし合わせてみたいというか、そういうことしたいなって思ってて、
で、たまたまこの前先週ですかね、
しゅうしょうのほうでお話ししてるときに、あれは後半ですよね、終わりかけのときにたまたまこういう話をしたいんですよって。
今日じゃなくてもいいんですけどっていうふうに投げ込んだら、大輝くんのところでもそれ聞きたい聞きたいみたいになって、
っていうのでちょっと軽く話してたときに、理性と本能がその割合が本能20、理性80みたいな、
とか、本能50、理性50みたいなときのこととか、本能が0になって理性が100みたいなことになったら、きっと戦争なんて愚かなことはしなくなくなるんじゃないかみたいな、
そういう話になっていったっていう流れですよね。
あれっていつ頃配信されるんですか。
結構先ですね。
結構先ですか。
あの前もめっちゃ長い時間喋って、トータルであの日4時間ぐらい喋ってたと。
あの日だけで4本分ぐらいある感じですか、じゃあ。
いや、6本分ぐらいになりますね。
だいたいしゅうしょうは40分ベースなんですよね。
だから6本分ぐらいになっちゃうなっていう感じだから、えっとね、今ちょっと予定してるやつ見てるんですけど、あれ、これがこう、
こっからもういきなりいけるんだっけな。いけるのかな。
一応4月9日から始まって26日に終わるみたいな感じかな。
あの日取った分なんですか。
そうですそうです。
じゃあこれ今から2人で話す内容を週報で出すとしたら、その後に出す感じですか。
いや、さっき出そうと思ってたんですけど、あれ踏まえないとまずそうですか。
わかんないですね。話してみないと。
いやなんか、あの日は1対1じゃなかったし、いろんなところに結構飛んだかなと思っていて、あれはあれで、あれを踏まえとかないとっていうほどじゃなくてもいいかなと思ったからもう。
別に全然、僕は何もお任せというか。
大丈夫ですか。
何でもあり。
勝手にその後僕の中でこうマグマみたいにみたいに言った感じでぐつぐつし始めちゃったから、それをじっくりけじ君と1対1で喋りたいってなったんですよね。
ありがとうございます。
だからその感じであれば週報だなってさっき言ったみたいなのもそうだし、それだったらなるべくリアルタイムに近い状況、タイミングで出したいって思っちゃうって感じなんで、後先になるのはもうしょうがないみたいな感じで。
もう後からそのスピンオフ的にバットマンビギンズは後から見てもらうみたいな。
まあね、別にあんま関係ないっすもんね多分ね。
関係ないかなと思って。
前にこの話したんだろうなとか想像つくレベルで大丈夫じゃないかなと思ってるんですよ。
そうですね、完全にシームレスに話の続きとか多分できないですしね。そんなに覚えてないから。今回とかまで。
それにマグマはまあまあ飛んだかなと思ってるんですよ。大輝君だけじゃなくて橋野さんもいたし、とか思ってはいます。
そうですね、橋野さんとの話もすごい面白かったですね。
面白かったですね。
すごい面白かったなあ。僕、終章最新回聞いて、それは大輝さんと二人で話してて、なんかフラットの話してた回なんですけど。
大輝君の弟さんとの流れですね。
あれですよね、LINEグループでいろんな哲学対話みたいなされてるんですよね。そこでなるべくそのフラットな考え方で物事を判断したいっていう話をしてて。
で、あ、面白いなあと思って、そのフラットっていうものに対してどう考えてるかっていうところで、しゅうさんと大輝さんがやっぱ違ってましたよね。
違ってたんですけど。
違うとは思うけど、ちょっと何話したか忘れちゃった。
どんな感じでしたっけ。
ざっくり大輝さんはそのフラットな立場というか考え方っていう一つのものがあるはずみたいな立場で、大輝さんは。で、しゅうさんはフラットっていうのは人それぞれあるんじゃないのみたいな。
人それぞれのフラットなものがあるんじゃないのって言われてて。
僕はどっちかっていうとその考え方でしゅうさんよりというか、フラットとは何ぞやっていうところでフラットの定め方が人それぞれになってしまうんじゃないかっていうところで、いろいろこの話面白いなあとも言いながら聞いてたんですけど。
毎回やっぱしゅうさん面白いなあと思って聞いてるんで。
そのあの場に入れていろんな話がリアルタイムでできたのがすごい面白かったですね。
いやいや、本当にケイジ君来てくれたときは偶然すごい人数になっちゃったのもあってめちゃくちゃ面白かったんですけど。
僕的にはですね、ケイジ君言ってくれたみたいに、瞑想合宿で言う感覚と反応っていう僕が使ってるワードとケイジ君の理性と本能をすり合わせつつも面白かろうなあって思いながら、
僕がこのしゅうの話すラジオで、なかなか自分の思いとか頭の中に描いてる世界観?観世界?どっちかなわからないみたいな感じなんですけど、それを表現したい。
けどなかなか一人だと難しかったりクソ真面目になるっていうんで、ごしゅうしゅうラジオでみんなに手伝ってもらおうと思いつつ、どっちでもまだなかなか進まないなあって思いながらやっていて、
それこそあのケイジ君来てくれた回の後、実はもう一回収録がごしゅうしゅうラジオあって、
はい。この週の火曜日とかやってたやつですかね?
ああそうかもしれないですね。
はいはい。
行けなかったやつ。
その時は大輝君と二人っきり、また急に戻ったなみたいな感じなんですけど、そこでちょっと話し始めたことだったりするんですけど、
僕の中でそのアウトプットが先っていう言葉に代表されるような、僕が勝手にイメージしてる世界観というか、そこで完結するイメージがあるんですよね。
その話とも、ケイジ君の理性と本能の話が、理性100になったら戦争がない状態なんじゃないかっていう仮説的な話が、そういう流れがあったのが、
かなりつながってくるなと思ったから、一人で勝手に興奮してるみたいな感じなんですよ。
だからちょっと話の転がり方が今日どうなるかわかんないんですけど、ちょっとワードだけバババって出させてもらおうと思ってメモだけしといたんですけど、
アウトプットが先っていう単語だと、インプットとアウトプットがあってアウトプットをその方先にやるっていうだけの文章じゃないですか、本来は。
でも僕がその文章に含めてる意味合いっていうのはそれじゃなくて、お金の流れであったり、生き方とか考え方っていうのをいろいろひっくるめてアウトプットが先って言っちゃってるんですよね。
で、そこにいろいろ含めてるものっていうのを、この間大輝君と二人で喋ったときも、実はこれも含んでるっていうのでいくつか出したんですけど、
これで全部カバーできてるかわかんないけど、人のことは変えられない、変えられるのは自分だけって言ったりするじゃないですか、その感覚が混ざっているし、五首章ラジオでちょいちょい出している好き嫌いに落ち着くっていう感覚も混ざっている。
で、これは修法でもよく言ってるんですけど、交換条件じゃないっていうのが混ざっている。で、無理やりやらないっていうのは混ざっている。
で、他にもなんかいろいろ混ざってるかもしれないけど、今パッと出てきてないっていう感じなんですけど、それが全部は、その混ざっている世界みたいなイメージの中では、もうすでに戦争がないみたいないイメージなんですよ。
で、それが本能と理性の話で、理性が100になったら戦争がないんじゃないかっていう、なんとなくあの日はそういう流れになっていたんで、そこと一致するのかなどうかなみたいな感覚を持って今日ちょっと話したいなって僕としては思ってるって感じですね。
なるほど。そうですね。今、アウトプットが先っていうのは確かに、結果というか過程がない言葉ではありますよね。アウトプットが先って過程がないっていうのは違うかな。で、今4つ挙げてくれたじゃないですか。人のことは変えられないけど、自分のことだけ変えられる。2つ目何でしたっけ。
好き嫌いに落ち着く。
そうそう、好き嫌いに落ち着く。で、3つ目が。
交換条件じゃない。
そうだ、交換条件じゃない。で、最後が無理矢理やらないですよね。
無理矢理やらない。
はいはいはい。そう、これはだから、朱法とか朱書を聞いてたらよく、朱さんの口から馳せられるキーワード。
話してるうちにもっと出てくる可能性高いんですけど。
でも確かに、僕は結局好き嫌いに落ち着くっていうのが、この4つの中だと僕が言ってる理性と本能の話でいくと、本能、僕の言ってる理性と本能っていうのは簡単に言うと、何か物事を判断するときに、
理性で判断してる場合と本能で判断してる場合があるんじゃないかっていうふうに僕の中で思ってて、で、その本能で判断するっていうのが単純に好き嫌いで判断してるのが本能で判断してる部分だと僕は思ってるので、
で、いつも朱さんの結局好き嫌いに落ち着くっていうのは、人間は理性で色々物事を言ったり判断したりしてるけど、最終的に好き嫌いに落ち着くっていうことは、結局最終的な判断は本能のところでしてるんじゃないかなって僕は疑っているんですけど、そこに繋がってるなっていつも聞きながら思ってました。
なるほど。その理性が細かく分解していくと、判断基準に最終的には本能が結局判断基準になってるんじゃないかって、ごしゅうしょうラジオで前回おっしゃってたことに繋がるみたいなイメージですかね。
前回のごしゅうしょうラジオでお話ししたその話でいくと、理性が100になるとかその理性と本能の割合がどう変わっていくときにレイヤーが上がっていってみたいな話で膝が高くなっていって、トータルで理性が100になると戦争がなくなるんじゃないかみたいな話があったんですけど、僕は自分の一人で考えているときにそういう発想を全くしたことなくて、あそこの話の流れでそうなればこうなるかなっていう話でさせてもらった。
理性が100になると戦争がなくなるっていうのはどういうロジックというか話の流れかっていうと、超合理的に考えて戦争っていうのをやる合理的理由が全くないので、
なので、理性100%で物事を全ての人類が考えることになれば、戦争をする合理的理由がないから起こり得ないっていう、そういう話でしたね。
ただ、僕の中では全ての人間が100%理性で判断するっていうことはできると思ってないので、人類が今の人類である限り、戦争は絶対に終わらない、なくならないとは思ってます。
理性100に全員が考えることができるようになったら、それは今の人間ではないと思うので、それは別の何かになってると思うし、またこれもちょっと話脱線するかもしれないですけど、僕は中高生の頃めちゃくちゃ正義感が強かったんで、なるべく理性の部分で物事を考えないといけないと思ってたんで、
そういうふうなことを常にしてきたんですけど、そういうことするたびに、なんか人間らしくないロボットみたい冷徹、冷たいってずっと言われ続けてきたんで、なるほどなーって、なるほどなーってずっと思ってました。
だから、結局最終的に全ての人間が超冷たく合理的に考えるようになれば、戦争はなくなるかもしれないけど、みなさんそっちに行きたいですかって言うと、みんなそっちには行きたくないって言うかもしれないなーっていうふうに思ってましたね、20歳、20歳ぐらいのときは。
でも合理的の中にも、視点みたいなのがいっぱい切り口として、モテるなーみたいに僕は思うし、今も話聞いたから感じたんですけど、それを僕がいつも終章でレイヤーって言って伝わらないっていう流れにそうなってるんですけど。
レイヤーっていうのが、いろんな、一般的にいろんな使い方されてるし、しゅーさんの使うレイヤーっていうのが、いまいち僕はわかってなくて、前回も言わせてもらったんですけど、まずその画像編集ソフトとか、フォトショップみたいなやつでレイヤーって出てきますよね。
で、あれってアニメのセル画みたいな感じで、あるレイヤーの中にいくつかの画像オブジェクトを配置して、でまた別のレイヤーの中にいくつかの画像のオブジェクトを置いていくっていう、レイヤーって日本語で言うと層、地層とかの層って意味になると思うんですけど、
そのセル画みたいなやつにどんどん絵を描いていったレイヤーをどんどん重ねていくと、一枚の絵になるみたいな感じで、上のレイヤーにあるものが手前に見えて、下のレイヤーにあるものが奥に見えるから、絵の重なり部分、下のレイヤーにすると絵の下のほうになっていくっていう、なんていうんですかね、上に乗ってるものが下を隠してしまうみたいな意味で、
ただ層が違うっていう意味のレイヤーっていう言葉の意味がまずあると思うんですけど、そっちが僕の中でのレイヤーというものの認識のスタートで、さらに自分が仕事でプログラマーとかやってるんで、エンジニアというかパソコンの世界だと、OSのレイヤーとかアプリケーションのレイヤーとか、そういう言い方をする、それも層っていう意味のレイヤーなんですけど、
それは構造的なアーキテクチャというか、パソコンソフトが動くときの構造的なアプリケーションが動くときの仕組みの構造的なときに、仮想レイヤー、上位レイヤーみたいな説明をする。その2パターンだと僕はしっくりくるんですけど、レイヤーが。
たぶん前回はそういうふうな言い方をしたし、過去回首相で大輝君と喋って、他にも一人いたかもしれないけど、その都度違う意味で使ってる可能性も高いなと思っていて、僕がレイヤーを。
その辺でたぶん僕が理解が混乱した海外、過去にあったのを覚えてます。
だからその画像編集ソフトの話も1回南岡さんが出してくれたことあって、まずそういう細かい、正確に言うとそれみたいなのには当てはまらなくて、ふわーっとイメージでしかないですみたいな回収をその時もしたと思うんですけど、
だいたい僕がその話を聞きながら、視点が一方向に偏ってるなって考えたときに、それにサッサッサッて斜めに線が入るみたいなイメージのことをただレイヤーって言ってるんですよね。
この切り口で見たら。
それだけで捉えてもらっていいですかね。
と言った方が今はいいかもしれないっていう感じですね。
その時によって違う使い方してるかもしれないし、前回の収賞ではシザをレイヤーに見立てて、でもそれも100%ではないんですよね、当てはまる当てはまらないもん。
みたいな感じなんで、さっきの話で言うと合理的になればなるほど冷たくなるとも限らないと思ったりしていて、そこまで考えた上でこの方が合理的って思ったらめちゃくちゃロボットっぽくない振る舞いになることもあるかなと思ってたりして。
僕は20歳くらいの時はそう思ってたんですけど、結局その辺をもっともっと細かくしていけば、その辺は全然回避できるというか、まさに今おっしゃられたように合理的な判断だからといって冷たく見られるっていうわけでもないかもしれないなっていうのは。
あとまあ合理的、どこを見るかですよね。その判断だけ、判断だけ見た場合と判断するにあたる過程とか理由とかをどう説明するかによって、それはどう印象を与えるかまた変わってきますし、
どこまでそれを説明するかとか判断した後する前に、周りにどこまで説明するかどういう対応をとるかっていうのもすべて含めて合理的に行動をとるっていうことはできると思うんで、そういう意味で別にそこまでじゃないのかなとは思ってはいるんですけど、
ただまたなんていうかその人がどう感じるかっていうところも結局その本能の部分になってきてしまうので、どう捉えるかとか、だからなんかその辺りもちょっと僕の中でもすべて答えが出てるわけではないんであれなんですけど。
ラジオ。
今のところは僕はその本能と理性っていう分け方が、ある意味ざっくりしすぎていて、ちょっとそれで分けようとするのは難しかろうっていうのが今のところの感想なんですよ。
その世の中だったり、人間一人にしてもそうですけど、実はめちゃめちゃ複雑で、自分一人のことに関してもその時その日の調子によって変わったりとか、考え方も気分は同じ、調子は同じとか体調は同じであっても、
情報を持ってるみたいな二面性、自分の中ですごく人に対して思いやりを持っている部分と、同時にその人に対してすっげえや気持ちがいてたり、心の中でけなしてる自分がいたりとか、そういうものもあったりするんで、めちゃめちゃ複雑だから、理性と本能っていうわけで考えようとするとなかなか難しいみたいな感覚があって、
それは理性と本能の話に限らず、いろいろざっくり言い切ってしまうっていうのがなかなか難しいっていつも思っていて、その意味で結論を決めない、これもアウトプットが先に混ぜるものの中にちょっと含まれそうだけど、まだ自分の中でちゃんとした単語として出てないですけどね。
少々でもちょいちょい話題としては出してきてたんですね。結論を決めないみたいな。近いもので言うと、あれかな、あれかなって言いながら、なんて言うんでしたっけ、居心地悪いのに耐える力みたいな。
ネガティブケーヴァビリティ。
それです。それが近いかもしれないんですけど、そういう意味で言うと、あんまり何も決めずに言語表現はその時によって違うかもしれないから、気分とか意識だけが大事って思って僕、修士を続けてきてたんですよね。
そんな中で、瞑想合宿に行って、言語化して一つに決めきるのはすごく難しいんだけど、初日に衝撃を受けた感覚と反応の話だけは、あまりにも根っこに近い部分だから、その表現で大体のことに当てはまっちゃうっていうので衝撃を受けたっていう感じだったんですよ。
だからそれで言うと、その感覚と反応の話は、本能と理性の話で言うと両方本能みたいになっちゃうんですよね。
体の感覚、心の感覚っていうものを得て、それでいい感覚だっていうふうに感じられる。これは悪い感覚だっていうふうに感じられる。それは理性じゃなくて本能に近いと思うし、それに対してついつい反応しちゃうっていうのもやっぱり本能だという感じなんですよね。感じに僕は捉えていて。
今の感覚と反応に対して、感覚と反応って2つの単語の概念で言うと、感覚っていうのが心の中に生まれてくる感覚っていう。
両方含めてると僕は解釈してますね。体の感覚と心の感覚。皮膚に風を感じる、温度を感じる、目で光を感じる、鼻で匂いを感じる、耳で音を感じる、それに対して心で何かを感じる、それを全部感覚って教わった気がします。
で、反応っていうのが。
反応はそれに対して執着するとか嫌悪するっていう反応なんですよね。その一瞬でこの熱いとか温かい、気持ちいい、気持ち悪い、それはもうその瞬間の感覚なんですよね。
気持ち悪いっていうのも感覚、反応ではなく。
反応ではないのか。
それに対して早くこの感覚から逃れたいとか、この感覚ずっと続いてほしいが反応なんですよ。
なるほど。面白いですね。
例えば今笑ったじゃないですか、しゅうさん。僕が面白いですねって言って。
この笑ったのは反応ですか?
笑ったのはどっちなんでしょうね。そこら辺、僕もちゃんと掴み切れてないかもしれないんですけど、今思ってるのは感覚なんじゃないかなって思ってますね。
笑ったのは感覚。
後々矛盾してくる可能性あるけど、感覚だと思ってますね。
前回の終章の収録の時にケイジ君が脊髄反射的な表現をしてくださったじゃないですか。
それに近いもんだと思ってはいるんですけど、でも脊髄反射的な反応もあるんだよな。
脊髄じゃないのかな。あの時も僕ちょっと言いそびれちゃったんですけど、人数多かったから。
反射っていうのと条件反射っていうのって実は違うじゃないですか。
条件反射と反射。どう違うんですか?
反射は膝の下を十勝か何かでコンコンってやったら、カクンって跳ね上がる。自分で頭で考えなくても足が跳ね上がるっていうカッケって言われたりするのとか、
暑い夜間に触ってしまって、もう頭で考えるより先に、脳みそに感じるより先になったかな。
もう手が反射的に引っ込める。これが反射で。
脊髄反射ですね。いわゆる。
脊髄が入った時にどっちか僕ちゃんと把握してなくて。
たぶんその、暑いもの触った時に手がパッて動くのは脊髄反射って言われる。
であればそれですね。でも条件反射はパプロフの犬のやつみたいなんですよね。
だから僕の今の笑うは、条件反射の面はあるのかないのかちょっと。笑いはちょっとあり得るな。文化が入ってそうだからな。
ちょっとそこはあり得るかもしれない。文化が入っているとなると条件反射の方ですよね。
だと思います。だから笑うは瞬時だけど反応なのかもしれないですね。
なるほど。条件反射は反応になるってことですよね。
かもしれないですね。
いや僕はなんとなく直感的に笑ったのは反応なのかなって気もしたんですけど。
おーなるほど。
でもその感覚と反応はやっぱ面白いですね。
面白いんですよ。
なるほどな。でも僕が理性と本能で感じてたっていうのはあれですね。確かに感覚、反応のことを本能に近いなと思ってたのかもしれないですけど。
なるほど。
感覚も反応も結局僕の考える理性と本能の話でいくと本能が両方とも生み出しているものというか本能が感じているものというか本能が判定している判断しているもののような気がしますね。
僕のこの理性と本能を考えるきっかけになったっていうか、どっちが先だったかあんま覚えてないんですけど、二重仮定理論みたいなの聞いたことないですか?システム1システム2みたいなやつ。
いやーない気がします。あったにしても絶対忘れてました。
なんかのポッドキャストでもこの話があったような気がしてて、結構山村達也さんとかもこの話普通にしてたような気がするんですけど、
とにかくシステム1とシステム2っていう人間の脳のシステム考える思考するシステム2種類あるみたいなやつで、システム1っていうのが直感とか想像で本当に反射的にパッと反応してしまうようなものがシステム1で、
システム2っていうのは推論とかしたりする熟考するしっかり考えるみたいなやつがシステム2って言われてて、それが僕が考えるシステム1が本能でシステム2が理性みたいなのにすごく近いなーって思ってて、
なんかその二重仮定理論みたいなやつが心理学でなんかこう提唱されてる。そこまでシンプルなもんじゃないでしょって今は多分言われてると思うんですけど、学問的には。でもなんかそのこの説明を見たときに、なんか自分が思ってる本能と理性っていうのになんとなく近いなーって完全に一致するものではないんですけど、なんとなく近いなーって思ったのは記憶してます。
おー記憶にないなー。山本さんもそんな話されてましたか。
なんかシステム1、システム2ってこれなんで出てきた話なのかな。コテンラジオでも話してたか、違うかな。ごめんなさい、僕なんかのポッドキャストでもこの話してたなーと思って。
あら、そうですか。
誰かがシステム1とかシステム2とか言ってたような気するんですけど、あんまり最近ではないですね、多分。
おー。
最近ではないと思います。3、4年前とか。
記憶に残ってはいないですね、僕の記憶に聞いてはいるのかな。
なんとなくシステム1、システム2をもし知ってる人がいたら、僕が言ってる理性と本能はシステム1とシステム2の話に近いなーみたいな感じがするんですよ。
システム1、本能の部分って結局、判断がとにかく早いんですよね。だから、生死を分ける判断をしなくちゃいけない。野生動物とかは常にそうだと思うんですけど、人間が原始的な生活をしてた時って常に死の恐怖みたいな、脅威みたいなのがいっぱいあったと思うんで、
その本能の部分で即判断して即行動みたいなのがすごい重要だったと思うんですけど、システム2っていうのは理性を使ってじっくり考えるから、判断には時間がかかるんですけど、
より正確で、長期的な展望でいろんなことを踏まえた上で判断できるから、より正しい判断ができるんじゃないかみたいな言われてるものだと思うんですけど。
僕はすごい、これもずっと興味があるというか、面白いなと思ってることがあって、好き嫌いありますよね、だいたい人には。
食べ物でも飲み物でも人間関係とかでもあると思うんですけど、僕は好きなものの理由を考えることがすごく好きで、それが今風の言葉で言うと好きを言語化するみたいなことだと思うんですけど、
なんでそれが好きなのかを考えるんですけど、それがほんと不思議なんですよね。なんでそれを好きと思うのか。理由はいくつか思いつくんですけど、例えば、でも、それがなんでそうなのかはわからないっていう感じなんですよね。
で、よく若いときは、好きな女の子のタイプどんなの?とか聞かれたりするじゃないですか。恋花みたいな感じで。で、僕は小さいときから、小学校5年生のときにも既に記憶があるんですけど、もしかしたら保育園のときかな。でも、それはちょっと曖昧すぎる。小学5年生のやつも確実に記憶にあって、僕は性の高い女の子にすごく惹かれるんですよね。
まず、性が高い女の子で、ちょっとずつ歳を重ねていって、さらにそれに色々付け加えられていくんですけど、例えば賢い女の人が好きとか、勉強ができるっていうのは賢いですけど、とかもあるんですけど、一番最初に、性が高い女の子が好きだなってことを気づいて、それが小学校5年生のときに気づいたんですけど、だいたいそれ以降、ずっと性が高い女の人のこと大体好きになるんですけど、
その理由がずっとわからなかったんですよ。なんでかなーってずっと考えてて、いまだにちゃんとした答えはわかんないんですけど、大学生ぐらいのときに一つだけ、もしかしてって思ったのがあって、僕、足フェチなんですよね。
その足フェチもなんで足フェチかがわかんないんですけど、それもまた考えだすときりがなくて、これも結論は出てなくて、理由は全くわかんないんですけど、あるとき気づいたんです。足フェチだってことに。
で、足フェチには2種類あって、足っていう漢字2つあるじゃないですか、脚っていう脚、あと一足二足の足、足首より下が一足二足の足で、足首の上が脚なんですけど、僕は脚の方の足が好きなんですよね。
あの、足の方の足が好きな人もいるんですけど、僕は脚の方が好きで、結局何が言いたいかっていうと、僕が出した結論の一つとして、自分足フェチだから背が高い人はその分足の部分が大きくなるじゃないですか、体積として。だから背が高い人のことが好きなんじゃないかっていう風な結論を一旦出したんですけど、好きな理由ね。
でも、なぜ足フェチなのかは分からないんですよ。で、これも本能でそう思ってるとしか言いようがないなっていう風には落ち着いたんですけど。
体積を危惧するのは、背とは限らないですけどね。
でも、背が高ければ必ずその脚の部分の体積が。
いやいや、ごめんなさい。今のはあれですよ。ただのボケ?ツッコミどっちだったんだ。すみません、それは。
しょうもない話で申し訳ないんですけど、とにかくその、何で好きなのか考えていったら、結局もう本能的な部分、その理性でなぜ好きかが説明できないなと思って。
でも結局何かを、これいいなーとかこれ悪いなーって思った時に、なんか本能でそうなってしまってる部分があるような気がするなーって思った時に、
例えば、今外国人差別みたいなので、外国人に対して嫌悪感を抱く人とかがいた時に、
あれって、いろんな、こういう理由で外国人が日本に来ることを拒みますっていういろんな理屈があると思うんですけど、
それもなんかこう、分解していったら結局本能的に外部から来る脅威として捉えていて、それを嫌がってるっていうことになってしまうんじゃないかなーみたいな気がしたりもしているんですよね。
いろんな理屈をこねることができそうな気がするんですけど。
で、しゅうさんの言ういろんな視点があるっていうのも、どの視点に立つかが結局その本能にコントロールされているとか捉われてしまってるんじゃないかっていう。
現状そうかもしれないですけど、それはコントロール可能だっていう感覚ですね。
それはコントロール可能っていうのは、さまざまな視点があるっていうことを認識した上で、さまざまな視点で考えることができるでしょっていう意味ですよね。
そうですそうです。
そうですよね。
うんうん。
で、そのさまざまな視点があるから、さまざまな視点で考えてみようって、僕もすごく思うんですけど、その中でじゃあやっぱり一番しっくりくるのはこれだなーみたいな感じに普通はなるんじゃないかなって気がするんですけど、そういうわけではなくて、
先ほどネガティブケーパビリティな話であったみたいに、いくつか視点があって、そのすべての視点で捉えることができる、それぞれの結論みたいなのを常に持ち続けようって思ってるのが、しゅうさんの言ってる結論を決めないっていうことなのかなっていう解釈なんですけど。
うんうん。
そんな感じですか?
ざっくりだとそうですけど、ちょっとざっくりすぎるなって感じながら今返事してるんですけど、どれか選ぶかもしれないし、そのときに一番いいこと、直感的にパッて飛びつくんではなく、全部見た上で選ぶなら選ぶ、選ばないなら選ばない、みたいにできる可能性が増えるんであれば、
基本的には視点が多ければ多いほどいいから、多くなるっていうことがイコール、資座が高くなるにつながると、ざっくりは思ってるんですよね。
でもそれが本当にそれに終始してしまったり、多くなりすぎて何も選べないみたいな状況もあり得るから、本当に基本的にはとかざっくりっていう言葉をつけて表現してるんですけど。
ちょっとじゃあまた別の話になるかもしれないですけど、僕聞きたいこと聞いてもいいですか?
もちろんです、もちろんです。
冒頭で話があった、たとえば理性と本能の話をしたときに、理性100になったときに戦争がなくなるんじゃないかみたいな話があって、
僕がそういうふうに言うのは、結局好き嫌いみたいなところが本能であって、好き嫌いっていうのは人それぞれ全然バラバラになるはずなんだけど、
合理的な思考とか考えっていうのは、前回の皆さんと話したときに、僕は数学をたとえに出したんですけど、
数学みたいな理屈の塊というか、理屈だけでできているものみたいなのって答えが一つだと思うんで、
そういうふうにすべてが合理的に理屈で説明できる理論みたいなのが仮にあるとすれば、そこで判断すると、
戦争っていうのは合理性がないので、戦争する合理的理由はないので、戦争はしないんじゃないかっていう、理屈100%、理性100%で考えたらそうなるんじゃないかなっていう話だったんですけど、
で、しゅうさんの気分と意識が大事ってそのふうに思ってた、瞑想合宿に行く前は気分と意識が大事っていう話でしたっけ、気分と、
うんうんうん、ざっくりそんな感覚ですね。
なんかその気分と意識みたいなのって、僕の中では本能の方に近い考え方のような気がするんですけど、
その辺ってその気分と意識が大事っていうのをもう少し説明をしてもらうとどんなイメージになりますか。
まずやっぱりその本能と理性っていうふうなのが、この間パーセンテージで表しちゃったじゃないですか、それもまあ無理があるなとは思ってるんですよ、一応乗っかってその前提で喋りましたけど、
で、もっと言うとさっきの数学的なところっていうふうにも僕はあんまり思っていなくて、そこら辺も気分と意識みたいに収束していく、この好き嫌いに落ち着くとちょっと通じるかなと思ってるんですけど、
で、その気分と意識はなんか生きている間ずっと持ち続けているし、気分の良い悪い、これは良いこと、自分にとって良い、これは悪いみたいな表現がある以上は、そこが変わることは基本的にあんまりないんじゃないかなと思ってまして、
これ誤解を見そうな表現だなと思うから途中で、あのあれなんだ、中学的に言っちゃうんですけど、価値観が変わることはあると思うんですよ、価値観が変わることはあるけど基本的には、なるべく生きているほうがいいし、死に向かうより楽しく生きていくほうがいいっていうのは、
人類全体に共通して基本的に変わらないんじゃないかっていう前提で、そこが変わんないんじゃないかっていう、その気分と意識っていう感覚で言ってるんですよね。
その都度その都度視野の狭い好き嫌い、その瞬間に感じたことだけじゃなくて、この間の終章の時にも長期的視点に置き換えていいですかって僕言ったと思うんですけど、それを持った上で長期的に見たらこのほうが長く幸せな状態でみんなが生き続けられるよねっていう、
そこを全部把握した上での気分と意識なんですよね。
それをざっくり全体的に捉えるっていうことは、理性っていう言葉を無理やり当てはめるとしたら、そのほうが長期的視点で見たら合理的っていうふうになっていくんだと思ってるんですよ。
そのほうっていうのは、今、園が示すものなんですか?
その瞬間には自分個人にとってデメリットがあるような、デメリットっていうか感覚的には嫌なことをちょっと棚上げしてたり、ネガティブケイパビリティみたいに置いていたり、一瞬それはちょっと自分が他の人に譲るみたいなことをしたりとか、そういうこともあり得るから、
その瞬間の好き嫌いとは限らないっていう意味で、そこをみたいな感じかな。
長期的視点での意識と感覚。
今、意識って言ってるのは、気分っていうのはすごい、いい気分悪い気分とか好きとか嫌いとかっていうふうの気分っていうので理解できてるんですけど、今言ってる意識っていうのはどういう意味の意識?
ざっくりその気分の集合体みたいな感じですかね。普段どんな意識で生きてるかみたいなぐらいの意味ですかね。
収穫で最後の文章の中で僕が、根っこの方にアクセスしようっていうふうに僕が言ってるのは、なんかみんなの意識にアクセスしてるような気分なんですよ。
みんなの意識っていうのは、それぞれが持ってる、いわゆる意識というか、それぞれが持ってる考え方みたいなところってことですか?
そうですね。
なんかよく言われる、それぞれの意識が深いところでつながってるとか、そういう話ではなく。
気分としてはそれも、混ぜちゃってるかも。意識っていう単語になっちゃったからあれだけど。
僕も何回もりゅうげんさんとかの話も、ポッドキャストで聞いたりしてるから、自分の中に染み込んでて、それがにじみ出てる可能性はあるんですけど。
そうなのかな?ありえるのかな?みたいなことは思ってますね。
ここで集合意識?集団意識でしたっけ?
集合意識みたいなのがあるっていう話ありますよね。
あるのかな?実感したことはないですけど。
なんか瞑想を複数人でやったときに、一人でやるよりも深い瞑想に入りやすいって、経験談を聞いたり、僕もそうかな?みたいにうっすら感じたりぐらいはあるけど、ちゃんと集合意識って絶対あるなっていうようなレベルでは絶対ないですけどね。
なるほど。
この気分と意識が大事っていうのは、どういう意味合いになるんですか?何に比べて大事というか、気分と意識が大事の反対は何になるんですか?そうじゃない状態。
これ途中で言ったアウトプットが先の中の概念に関わる話に突入していく感じになるんですけど、多分交換条件じゃないっていうところからそこが出てきてる気がしていて、
交換条件ってそういうルールを、お金自体もそういうルールを作って回してるものですけど、どっちかっていうと機械的だなと僕思ってるんですね。
交換するという行為がですか?
そのルールを決めてそれどおりに人が従うっていうところかな。交換もその等価交換っていうことを基本的には、等価なのかわかんない。とりあえずあなたがこれをくれるならこれをあげるよっていう条件をつけて交換すること。
約束なりルールなりそれを全部その対象として僕は見ちゃってるんですけど、その長期的視点でこの方がいいよねみたいな自分の考え方、気分とかではなくて、
その仕組み、ルールに自分たちの動きを合わせていくっていうことに僕は結構問題があると思っているので、
で、このアウトプットが先っていう意識をみんなにこう、みんなの意識にアクセスしてるみたいなふうに言ってるんですよね。だからそこの意識のことかな。
自分たちが長期的に本当はどういうことを望んでいるのかっていうのを、いつも本当は何を考えてるんだっけ、何を大事にしてるんだっけっていうふうに思ったときに、ルールがこうだからとか仕組みがこうなっているからとかいうことは
別にしてどうしたいかみたいなことを本来持っているはずだって思っているから、ざっくり言うとその仕組みとかルールに対しての意識かもしれないですね。
ルールとか仕組みに対する意識。
仕組みっていうことに対してそうじゃなくて意識っていう意味。
ああ、そうか。気分と意識が大切っていうのは、そのルールとか仕組みに対してそっちよりも気分や意識が大切ですよねっていうことってことですよね。
はい。
でもまだそれだと僕の中ではふわふわしてて。
はいはいはい。
これ何かの時に、これちょっと違うながら、南岡さんが言ってた気が、これ違う話かな。
でも同じようなことで、でもルールとかがないと社会成り立たないじゃないですかみたいな。
いいそうですね、南岡さん。僕忘れちゃったけど。
ルールとか仕組みがあることによって全く価値観の異なる人たちが、社会というものを駆動させていけるというか、争いとかを起こすことなく社会という仕組みが回っていくためには、
ちゃんとしたルールとか、人々を納める力みたいなものが仕組みが必要となってくるので、それを否定してしまうと、みんなが自分の気分とか意識だけで好き勝手やり始めたら、社会が成り立たないじゃないですかっていう反論があると思うんですけど、そういう次元の話ではないっていうことですか。
いや、それも一つあり得るとは思ってるんですけど、僕はそうなったとしても成り立たなくならないと思ってはいます、一つ。一つ思ってるからこそやり始めたっていうのはあるんですけど。
でも、それは要は程度の問題というか、たぶん僕が言ったからといって急にゼロゼロにはならないし、そういうそこが、でも本当は何が一番大事なんだっけっていうのを立ち止まって考えるぐらいの意味で、その気分とか意識っていう言葉は使ってます、今のところ。
僕は最初にそれを聞いたときに思ったのが、今の反論的なやつはこういう見方ありますよねっていう例でただ言っただけなんですけど、僕が最初に今話を聞いて感じたのは、何か決断というか判断とかをするときに、先にルールや仕組みについて考えてしまうんじゃなくて、
まず自分の気分とか感覚とか意識に向き合ったほうがいいんじゃないのってシュウさんは言ってるのかなっていうふうに、なんとなく理解はしてて、僕も自分が好きなものに対して何で好きなのかっていうのを考えるのが好きっていうのは、自分の好きなものを大切にしたいなって思ってるからなんですよね。
いかに自分が楽しく幸せに生きていくかっていうのを考えたときに、僕は世の中に自分の好きなものがあればあるほど自分は幸せに生きていける気がしてるんですよ。
だから好きなものがいっぱいあったほうが絶対いいと思ってるんですよ。
それは物でも、本とか漫画とか食べ物とか何でも人とか何でもいいんですけど、好きなものがいっぱいあればあるほど自分の生活は豊かになっていき、楽しい人生を送れると思ってるから、とにかく好きなものをいっぱい増やしたい。
で、自分が何を好きなんだろうっていうことを知れば、さらに好きなものを見つけることができるって思ってるので、自分がなんでこれを好きなんだろうって考えるのが好きなんですけど。
それは、だから僕は常に何かやるときに、自分が好きになれるかどうかとかはめちゃくちゃ考えるんですよ。
世の中の仕組みとかルールとかこうなってるからとかあんまり考えなくて、自分がそれを好きかどうかみたいな。
例えば楽器を買うときに、例えばギターを買いたいときにどんなギター買えばいいかって相談を受けたりすることもあるんですけど、絶対言うのが自分が好きになれるかどうかだけだと思ってるんですよ、僕楽器を買うときって。
その弾き心地とか、いろいろ見た目とか、どのメーカーのやつとか、誰が使ってるかとか、いろいろ楽器を選ぶときの判断基準あると思うんですけど、他もその楽器のこと、ギターのことをどれだけ好きになれるかどうかが全てだと思ってて、楽器は本当に好きになれるかどうかだけで選んだほうがいいよって言うんですけど、それも自分の思想にすごいつながってて。
好きになったが勝ちというか。だから僕の判断基準は本当に好きかどうかだけみたいなところがあるんですけど、それがだから、完全に本能に基づいてる判断基準なんで、本当にそれでいいのかなっていうのもすごい考えるんですよね。
全人類がそれをしてしまったら戦争はなくならないだろうなっていう。
全人類が自分の好きなものばっかりこだわって、それを第一優先にしてしまったら、他人を踏みにじることもあるかもしれないじゃないですか。
それはでも好きの一部に含まれないんですか?
違うか。
分からないです。だって自分がやりたいようにやって周りに迷惑かけてる人いっぱいいるじゃないですか。
例えばトランプ大統領とかそうなんじゃないかなって思ってるんですけど。
けいじ君のさっきの話は、そのぐらい好きを極めたほうがいいっていう話ですか?
好きを極めたほうがいいというか、僕は自分の好きなものがいっぱいあればあれほど自分の人生は楽しくなると思ってて、
とにかく好きか、自分が本当に好きになれるかっていう基準でいろんなことを選ぶことが多いんですけど、判断することが多いんですけど、
もし仮に全人類が全て同じようなことをしたときに、それが本当に世界平和につながるのかなって思うこともあるってことです。
僕が言うなって話ですけど、ちょっと飛んでる途中で飛躍がある気がしていて。
もちろんだからすごい極端な話ですけどね。
極端というか、好きであることとそれを得る得られないっていうのはまたちょっと別の話と僕は捉えたんですよ。
判断するときにそれを重視するかどうかっていうことなんですけど、自分が好きだっていう理由だけで全て判断して果たしていいのかっていう。
判断。ちょっとわかってないかな。好き嫌いを、僕の中ではね、考えてわかるもんじゃないと思っちゃってるもんで、
好き嫌いはもう最初からあって理由はわからなくて、僕はそういうスタンスで好きなものを認識して、そこまでは全然僕いいと思って、これ好きだなーって言ってるうちには誰も傷つけない。
でもそれを人を踏みにじってまで得ようとするかどうかっていうのは、どんなにそれを好きだろうが、それをしない人はしないって思ってるんですよ。
もちろんそうなりますね。ただ、全ての判断の基準を自分が好きか嫌いかっていうことだけにしてしまうと、人の気持ちを踏みにじっても自分の好きなものを選ぶ人は出てくるんじゃないかっていう話です。
僕はみんなわがままであっていいと思うんですね。自分が好きなことしたらいいと思ってるんですけど、でも他人が傷つくことに対して嫌な気持ちになれない人はそうすべきじゃないと思ってるんですよ。
自分が好きなことはもちろん自由にわがままにやっていいと思うんですけど、でも他人が傷つくのが平気。他人が傷ついたとしても自分が好きなことをやるっていうのだと、しんどいっていうかつらいなって思うんですね。
そういう前提はあるんですけど、僕の中には。ただそういう前提もなく、とにかく自分の好きを第一優先して、物事をすべて判断していけばいいってみんなが思ったら、世の中大変になるなって極端な話です。
それで言うとあれかな、このアウトプットがさっきの中に含めているっていうのを僕4つ出したけど、途中で出てくるかもしれないって言ったものの中にめちゃめちゃ大事なのが今中道ですね。
中道。中の道。
まあ程度問題みたいなのもいつもハッシュタグでつけてるからそれと似た感覚ですけど、今のけいじ君が出してくれたすべての判断基準を好きに、自分の好きかどうかにするっていうのはもうすごく極端なんで、僕なんか極端な生き方ってめっちゃ言われるけど、実は一番大事にしてるのは中道なんですよね。
だからそれが大きく絡んでるかもしれないですね。
中道って簡単に説明してもらってもいいですか。
いやまあ単純にどっちにも行き過ぎないってことですね。
真ん中の道ってまさにその言葉の通りってことですよね。
程度が中くらいのところをいつも意識するみたいな。だから僕好き嫌いに落ち着くっていうのも好き嫌いを極めようみたいな気分では全然言ってなくてというか、確かさっきの話題の出発点ってそこかな?好き嫌いに落ち着くのところでしたっけ?違うかな。
えっと、その全ての判断基準の話ですか。
その手前の僕の気分とか意識っていうのをどういう風に使ってるかの手前がこの好き嫌いに落ち着くに絡めてみたいに始まったかなって今思ったけど、間違えちゃったかな?違うかな?
いや、そうですね。好き嫌いに落ち着くの話はその前に確かにしてましたね。
僕はその話の延長としての気分で来てたんですよ。
はい。
はい。
どうぞどうぞ。
好き嫌いに落ち着くっていうのは、僕の解釈では最終的にもう好きか嫌いかだけの話になっちゃうよねっていう風に捉えてたんですけど。
だからそこが多分、言語表現としてはそれでも同じかもしれないけど、僕がなんでそう言ってるかの理由がもしかしたら伝わってないかなと思ってるんですよね。
僕はその好き嫌いに落ち着くっていうのは明らかにべき論とか絶対的な善悪みたいなのを論じようとしてる人とかそういう話題、その流れに対して、
いやそんなこうするべきみたいなものは究極的にはなくて、ただの好みだよねっていう感覚で好き嫌いに落ち着くって言ってるんですよね。
例えば挨拶はすべきって強く主張してる人のその挨拶はすべきっていう主張は、
はい。
正しいか正しくないかは置いといてその人が挨拶はすべきっていう考え方が好きなんだよねっていうそういう話ってことですよね。
うんうん。簡単に言っちゃうとそういう話ですね。
それはめちゃくちゃ僕もそう理解してます。世の中の物事は。
その意味で好き嫌いっていうものはさっきケイジ君がおっしゃってくれたみたいな、もうすべてをその判断基準にするっていうようなものじゃなくて、
なんかべきとかいう言葉を使うと社会全体がそれに足並みを揃えないといけないようなそんなニュアンスが含まれると思うんですけど、
好き嫌いっていうともう本当に個人的なことで自分の中、ただの本当にただのって今も頭につけたみたいに好みに過ぎないんだから、
そこまで人に押し付けるもんじゃないっていう風になりやすいなと思っているから、そっちの方が争いが減るだろうっていう感覚で好き嫌いに落ち着くっていうのを言ってるって感じなんですよね。
何々すべきみたいな主張は結局は好き嫌いの問題だから、そんな好き嫌い、自分の好みを人に押し付けなくてもいいじゃないかっていう、そういう風にみんなが考えることができれば平和になるよねっていうことですよね。
そういうことです。
全く同感です。
基本的に全部自分の好きを極めたいとか、プラス方面ではなくてっていうとちょっと卑下しすぎかもしれないんですけど、僕の発想は全部マイナスをせめてゼロに戻そうよっていうのがずっと通廷してるんですね。
修法もそうだし、今日もそのアウトプットが先っていうことを他のいろんな項目と合わせて表現しようとしてるのが、この社会課題が大きくなってたり、戦争がまた起こりそうな雰囲気になってたりとか、すごく僕としては人間がマイナス方面の余計なことをしまくってるせいだと思ってるから、
自分の好きなことをやるみたいな理想の世界を描くっていうよりは、まずは落ち着いて自分たちが本当にやりたいことに意識を戻そうよみたいな気分で全部話していることになりますね。
自分たちがやりたい。でも、戦争してる人たちは戦争やりたいと思ってやってるような気もするんですけどね。
あ、うん。なんていうか視野が狭いからと僕は思ってるんですけど、いっぱい含める要素が、それも僕レイヤーって言っちゃってたかもしれないんですけど、含めるのが多いんですよね。視野も広がった、もうちょっと広がったほうがいいだろうし、
長期的に考える。現在のこの空間的な視野だけじゃなくて、時間的な視野の広さももうちょっと広がったほうがいいと思うし、みたいな感じ。ざっくり言っちゃうともうそれで終わっちゃうんですけどね。
でも、なんかちょっとさっきの話戻すと、僕が聞いてたところの話の流れは、気分と意識が大事っていうことの反対になるものは何ですかね、みたいな話で、ルールとか仕組みばっかり考えるんじゃなくて、みたいな。
話をしたときに僕が、自分個人としては好きかどうかっていうのを基準にめっちゃ考え、仕組みとかルールとかのことあんまり考えずに、好きかどうかっていうのを個人的に、僕個人ではそういう発想なんですけど、みたいな話で好きを基準にしていくみたいな話になったと思うんですけど。
そういうあれだったんですね。ちょっと捉え違えてたかもしれないですね。それに対応する形での好き嫌いの、好きを基準にする話だったんですね。
その話の流れで、交換条件じゃないみたいなのもあるじゃないですか。交換条件みたいなやつが社会の仕組みみたいな感じになって、等価交換みたいなところがアウトプットが先につながっていく概念だと僕は理解してるんですけど、
なんとなく僕は理解、ふんわりわかってるつもりになってる、その交換条件じゃないみたいなところの概念みたいなのって、ちょっと説明してもらってもいいですか。
ここが、今日もうまく説明できるかどうかわからないんですけど、ケイジ君が週3入門っていう風に言ってくれて、最初にしてくれた質問がそれだったんですよね。
その時、前もちらっと裏ではお話したかもしれないですけど、僕緊張してて。
今はどうですか、今は。
今は全然、あの時よりは大丈夫です。
だから、もう本当にそのワードに引っ張られるような形で、辻褄が合うようにただ言葉を当てはめて喋っちゃってるなって僕は後で聞き返して思ったんですよ。
だからでも、これじゃあないなってことだけは今わかった。これっていうのはその時のね、週3入門ってケイジ君が言って聞いてくれた時の答えではないなと思ったんですけど、
でもこれが本当になんか話す順番によっても印象が変わっていくし、僕の中ではもう感覚的に途中で完世界みたいなこと言ったみたいに、
それが全部こううまい具合につながってつながって、戦争とかが起こりづらいイメージの中にアウトプットが先があるんですけど、
そもそもその交換条件じゃないといけないっていう前提?
まあまあ歴史上自然にこうなってきたっていうのはもちろんあるんですけど、
今この社会においてもそれがないといけないんだっけっていう風な疑問を持った時に、
僕はそのなんか交換条件であることが、人が自分たちの本当の気分とか意識に反してるじゃないけど、
その気分とか意識を無視してそのルールの方が先にあるから、
なんかなんでしょうね、機械に人が動かされているみたいな感覚的に言うとそういうイメージを持っちゃってるんですよね。
ルールを決めたのは自分たち、もともとは自分たちというか、もう生まれた時からあるから祖先が決めたっていうことになるんですけど、
でもそれに自分たちが振り回されちゃってるなっていう風に見えるんですよ。
その交換条件っていう仕組みでないとダメだっていうことは、
何か苦労をしないとっていうか、何か苦労をしたその対価としてじゃないとものを得ちゃいけないっていう考え方がレースにある気がしてますと。
でも本当にそうだっけみたいに思うんですよね。
もちろん今みたいに科学技術も何も発達していなくて、
動物とあんまり変わらないぐらい苦労をしないと食料が手に入れられなかった時代だったら、
究極その延長でこうなったって思ってるんですけど、
今はもう人類全体が余裕を持てていると僕は思っているんですよね。
昔本当に食うか食わないかみたいな状況で、
食べ物で例えたほうがいいと思うんで、食べ物を得ていた時代からしたら、
もう一人分っていうものが確保できて、余りある余剰が出るぐらい技術が発達したって思ってるんですよ。社会全体としては。
そしたらその一人分を作り出した上にそれをみんなで回すっていうものは十分できるはずだっていうのが多分ベースにある発想なんだと思うんですよね、僕の中で。
だとしたらそれをただ回していけばいいって循環させていけばいいって思ってるんですよね。
それがもう得られない前提だとインプットが先でしかしょうがなかった、過去はしょうがなかったって思ってるけど、
今はざっくりアウトプットをしてみんなでただ回していけばそれで回るぐらいの技術力になったし、
可能なはずじゃないかっていうのが感覚的にあって言い始めたのがアウトプットが先だと思ってますね。
この形での言語化は今初めてした気がしてるから、今後も形を変えるかもしれないんですけど、
今日は一つそれがあると思ったんで、そういう言い方を今してみました。
でも僕多分この最初にしゅうさん入門したの2013年だと思うんですけど、
もうあれから3年、まだ丸3年当たってないですけど、ずっとしゅうさんの発信を毎週受信してるので、
だいたい分かってるっていうか、3割4割ぐらいはなんとなくぼんやり分かってる気になってて、
僕だけじゃなくてたぶんしゅうさんの発信を聞いてる人の中ではだいたい同じような認識にはなってるとは思うんですけど、
でもやっぱりそれを全員が他の人にうまく伝えられるぐらい言語化できてるわけではないし、
しゅうさんもたぶん言語化を常にしようとしてる最中みたいな感じだと思う。
そうですね。ちょっとサボりすぎな感じが。
そうですね。その交換条件じゃない。
そうですね。アウトプットが先。
いや、始めたのはもう直感的に始めてしまったから、さっきの話も後付けなんですけどね。
その、なんていうね、こういうのぐらいはメモできるぐらいにしておかないとなって思うんですけどね、サボっちゃってきたんでしょうね。
僕はその話を聞いて感じるのは、しゅうさんの思ってることと全然違う話になっちゃうかもしれないんですけど、
僕は単純に思ってるのが、今とにかく貧富の差が激しすぎると思うんですね、世界的に。
お金持ってる人めちゃくちゃもう使い切れないぐらい持ってて、
でも、お金ない、世界的にも日本の中だけでも考えてもそうですけど、そんなお金持ってなくて、その日とかその月暮らしていくためのお金を稼ぐのがやっとで、貯金もできないしみたいな感じの人もいる中で、めっちゃお金持ってる人もいるみたいな。
その不均衡が激しすぎて、他もっと企業なり人なりお金持ってる人たちがそれを持たない人たちにお金をどんどん回せばいいのになって思ってるんですね、単純に。
それがまたしゅうさんの言ってることとちょっと軸がぶれてるというか、また違う構造の話かもしれないんですけど、単純にそれはすごい思ってるのと、
ちなみにずれてないですね。
ずれてないですか。
それは。
あと交換条件じゃないっていうのも、逆に交換条件とか、投下交換っていうのは何かって僕が考えたときに、
これもわりと10代のときからずっと考えてることなんですけど、人間のそれぞれの価値観が全然違うなってずっと思ってて、
自分が好きなものを友達も好きだったらすごい楽しいけど、そうじゃなくて自分が好きなものを全然興味ない人の方が多かったりとか、自分の好きなものを嫌ってる人さえいるみたいな、そういうことを知るたびに、
やっぱり価値観って人それぞれだなって、僕がすごいこれ面白い楽しい大好きって思うものを全然なんとも思わない人もいるなっていう中で、人間ってそういうもんだなっていうふうに思ったんですよ。
僕のこの人めっちゃ好きだなって思ってる人をめっちゃ嫌ってる人おるわとかね、そういうので、なんでこんなことになるんやろうって最初思ってたんですけど、人間ってそういうもんなんだなって逆に思ったときに、
みんなが価値観が異なる中で、もしみんなが同じ価値観を持ってたらブツブツ交換とか全然いけると思うんですけど、そうじゃないから全ての人に同じ価値を与えるためにお金みたいなものができて、
お金を使ってやり取りすれば価値観が違っている人の中でもお金の価値だけはみんなが同じと信じて、それでまあ等価交換というかお金を使ったそのもののやり取りみたいなものが普通に行われていると思うんですけど、
はいはいはい、前おっしゃってましたね。
はい、で、交換条件じゃないものが成立するときって、これまたしゅうさんの言ってる交換条件じゃないとまた違うかもしれないですけど、僕の中での理想的な交換条件じゃないものっていうのは、価値観が近い人たちの間で行われる交換みたいなイメージがあって、
例えばですけど、僕はポートキャストのジングルとか作るのがすごい楽しいんですよね、多分今、最近時間がなくてできてないんですけど、めちゃくちゃ楽しいんですよ、本当に時間を忘れるぐらい楽しくて、
で、それを例えば今、ポートキャストスターターセットキットみたいなのをいっしゅうさんと山村達也さんの3人でやってて、それはお金とってやってるからあれなんですけど、別に僕はお金もらってジングル作るのが楽しいとかじゃなくて、たまたま自分が作ったジングル喜んでもらえたらそれが嬉しいし、それを使ってもらえたら嬉しいんで、全然無料で気分が乗れば作るんですよ。
それは多分、通過交換じゃない、交換条件じゃないっていうところで、僕がいいなと思ってるものをたまたまいいなと思ってくれてる人がそれをその人のために作って喜んでもらえただけで嬉しいし、向こうも同じくらい嬉しかったら、
それだけでやりとりが、通過交換じゃないやりとりが気持ちよく行われてるなみたいなイメージなんですね。で、それと同じようなことがいっぱい色んなところで起こったらいいのになっていう風に思ってて、それがしゅうさんの言ってる交換条件じゃないとかアウトプットが先っていう考え方に近いのかなっていう感じに思ってるんです。
近いですか?
近いというか、それはピッタリ一致してるくらいの勢いですね。
なんかそういうのが各それぞれ、例えば僕がたまたまそれはPodcastのジングルなんですけど、それが色んなところで色んな人に起こったら面白いなっていうことなんですよね。
で、ちょっと今聞いてるうちにだんだん整理されてきてるところもあって、もしかしたらその、やっぱり足りない前提でいるか、いや足りてるっていう前提でいるかっていう分岐、途中でも表現してたかもしれないですけど。
次回へ続く。