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こんにちは。最近見てるアニメは、寄生獣リュウジです。
このポッドキャストは、考えてるんだけど、別に言わなくていいことを言っちゃうっていうポッドキャストです。
なんと、今日は初めての公開収録です。イエーイ!
目の前にね、今お客さんが一人います。イエーイ!
ありがとうございます。本当にいつも聞いてくださる皆さんのおかげで、このポッドキャストを続けさせてもらってます。本当にありがとうございます。
初めてのお客さんが前にいるということで、ちょっと緊張しながらも、喋っていきたいなと思ってます。
寄生獣の話も、ちょっとしたいんですよ。本当にめちゃくちゃ。
けど、まだ見終わってないんで、アニメの方が。
見終わってから、ぜひしたいと思います。
この寄生獣の話。
マジで、語れると思いますね、これは。
それもまた、お楽しみにしてください。
今日は、もう少し、有意識について言及していきたいなって思ってます。
有意識を、もう少し理解。
僕が今、現時点で理解している有意識を、お伝えできたらなと思ってます。
で、なんでこれ言いたいかなって思ったら、
今日の朝、古典ラジオの三蔵法師現状編を聞いて、より一層、もう一回、僕の中で落とし込んだ有意識っていうのを、お伝えできたらなと思いました。
ぜひ、僕のこの有意識の話、聞くよりも、古典ラジオさんを聞いてほしいんですけど、有意識について、いろんな人にも聞いていただけたらなと思ったので、聞いてください。
で、有意識、まず漢字は、唯一の有意、唯一が独尊の有意に、認識の識ですね。
で、有意識って言います。
で、難しい、本当に難しいんですよ、この論理は。
端的に言うと、この世は認識でしかなってないよっていう話で、
今、僕が目の前にサブローっていうビスケットが見えてるんですけど、このサブローっていうのも、僕が認識してるからそこにあるだけで、
このサブローっていうのも、僕が認識してるからそこにあるだけで、
本当にあるかないかは分からない。
そこに認識があるだけでしかないっていうことなんですよ。
つまりどういうことかって言うたら、いや、つまりでもないんですけど、
今、このサブローは黄色って見えてるけど、パッケージが黄色だけど、黄色っていう名前が当てられてるだけであり、
そもそも黄色じゃない色をしてるかもしれない。
人間ってね、コウモリとかトンボとか見ると、
人間ってね、コウモリとかトンボとか見ると、
音を広げたりとか、目がめちゃくちゃ見えたりするわけではないので、
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この今光ってる光をただ単に黄色って認識してる。
それはこの人間の目でしかないし、
もう一つ言えば、今こう聞いてくれてる人は黄色に見えてないかもしれない。
同じ黄色だけど、黄色とは言えないかもしれないみたいなところ。
つまりそれぞれの認識でしか、この世は成り立ってないよっていう論なんですよ。
よ 大丈夫ですか今まで
ついてこれますか 良かったです今の視聴者さんはついて来
れてるらしくて でえっともう一つあの
いうとあのね何 今言葉の本質っていう本も読んでって同時
にそれもなんか似たような感じのことを 僕は受け取ったんですねつまりどういう
ことかっていうとこのビスケットって言う んですけどビスケットはビスケットじゃ
ないんですよ はい
つまりビスケットはビスケットっていう 音が並んでいるだけビトスとケイトちっ
てずっと等が並んでいるだけでありその この茶色のサクサクした小麦粉でできて
いるもの ではないですよねビトスとケイトとの
流れ
意味わかりますか ビスケットの中にはサクサクした卵と
小麦粉が混ざってオーブンで焼いたって いう意味はないですよね
はいないんですよビトスとキッズとケット とにはただの音なので
つまりどういうことかっていうと むずいなぁ
ビスケットはビスケットじゃないんです よ
でなんかこのこれをどこに持っていきたい かっていうわけではないんですけど
あそうだねいやわかったかな今のでで だから卵も卵じゃないんですよ卵っていう
名前があるだけで例えば英語にすると エッグじゃないですか
もし日本語と英語の話者が2人存在して 日本語の話す人はエッグっていう単語を
知らない英語話す人が卵っていう単語を 知らないときに卵とエッグっていう言葉
を通じてコミュニケーション取れないです よね
本当のその エッグイコール卵っていう認識の結びつきが
なければ卵 まあ格好エッグをお互いに認識できない
本当は卵なのにエッグなのに認識できない ということが起こりうるまあもう少し
ちょっと具体的に考えると例えばエッグが 2個並んでたとして外国人がそれエッグ
って呼んだ時に2個ある状態がエッグなの かもしれないし2個卵が存在するって言うと
いうことがエッグなのかもしれない もしくは机の上に2個並んでいる状態が
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エッグって呼んでるかもしれないですよ それを卵単体のことだけをエッグって決め
れるわけではないですよね それはちゃんとその後に
まあその本は何で何て言ってるかって言っ たら
めちゃくちゃ人間は推論できる人間だって 言ってですね推論してここに2個あるから
エッグって言うかもしれないとか机の上に 2個並んでるからエッグって言うかもしれ
ないとかいろんな推論して1回失敗するん ですよ
でだから他のところで何かが2個並んでる 状態をエッグって呼んでで伝わらなかっ
た時にこれはエッグじゃないんだと じゃあこの単体がエッグっていう名前なの
かもしれないなぁみたいなことから推論し てあ
でエッグって通じたらこれがエッグなんだ っていう話になるらしいんですよ
確かにて思ってでこれをどうなんか思った かなーって僕は思ったときにその
なんだこう推論するんですよ えっと
推論するっていうことは不確かなことに 対して仮説を立てたりとか
結果がわかってないけどなんかアート 思考的にいろんなことを考えてみるって
ことなんですよね
つまりどういうことかっていうと単越と 卵がは卵の殻を割ってその白身と黄身が
出るっていうのが結果が勝ってたとしたら その何ですか
結果がわかっているものがあるとしたら 想像する余地ないですよねでもこの卵が
割れたら何か出るかもしれないとか っていうのが推論
て意味わかるかな
なんですかね
やってみなくてはいけない授業になる授業 なんですよ
でこの推論することによって推論するだけで どうなんですか推論して一回試してみて
で失敗してそうじゃなかったっていうこと からもう一回仮設検証して
試してるっていうことでエグとか卵が 割れた状態っていうのわかるんですよ
給だからこそ
how do you do
dj
two
or
two
ことになるんですね
これちょっと何言ってるか分からないと思うんですけど
いや本当に何言ってるか分からないな
何言ってるか分からないんですけど
僕はなんかそう理解したんですね
でこれ今説明できてないってことは
説明できてないかつ
その聞いてる人が理解できてないっていうことは
僕も多分理解できてないんですよ
おそらく
有識的には
有識的にはもう向こうも理解してないだろうなーって
認識しちゃってるので
それはもう有識的にはもう
認識できてないんで
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ダメなんですよ
だからちょっともう少し
あの有識の
もう一回今持ってる有識の本読み返すのと
もう一冊新しいの読もうかなと思ってて
その2冊を読んでからもう一回
有識のことを説明したいなと思ってて
まず今の僕の現段階での有識の説明はこれです
はい
でこれなんですよ
そうなんです
でなんかエピソードトークというか
有識を使ったこの僕の悩みというか
なんかちょっとしんどくなるみたいな状況がたまにあるんですね
つまりどういうことかっていうと
このだから認識
自分の認識次第ってことなんですよ
つまり全部が
だから苦しくなったりとか
暑いなとか
普通に走ってしんどいなっていうのも
自分の認識なんですね
そうなんですよ
だから暑いのも暑くないかもしれないんですよ
冷たいのも冷たくないかもしれないんですよ
それは自分の五感が冷たいって感じてしまってて
それを心の中とか頭で冷たいって認識してるから
冷たいんですね
ここでこの身体性と認識の意識化
認識か意識のズレが生じるんですよね
暑いっていうことに対して
身体的には暑いって感じてるんだけど
認識では暑いって感じたら
その先にしんどかったりとか
動けないっていうのが分かってるから
暑いって感じたくないっていう
ズレが生じるんですよ
すごい矛盾するんですよねここで
でバグるんですね
非常にしんどくなる
これは今身体性って言って
暑さとか冷たさとか五感に対してもそうなんですけど
これ精神的にも来るんですよ
めちゃくちゃ
こうして欲しいって思うじゃないですか
いろんな人に対して何がいいかな
朝ごはん作って欲しいでもいいわ
朝ごはん作って欲しいなって思うじゃないですか
朝ごはん作ってくれないっていう結果がフィードバックされるときに
朝ごはん作って欲しいって思ってるがゆえに
朝ごはん作ってくれなかった時の辛さしんどさがある
これ二重で有意識かかってるんですよ
つまり朝ごはん作って欲しいっていうまず第一の認識有意識があって
でフィードバック返ってきたのが朝ごはん作ってくれない
作ってくれないがゆえにその期待のギャップがあるからしんどくなるっていう
第二の有意識がきて
しんどさを痛感する
これどこで防ぐかなんですよね
まず一番最後の辛くなるっていうところを除くこともできることできるかもしれないし
一番最初に期待しないっていうのも有意識があるんですよ
有意識ずらすっていうこともあると思うんですよね
相手に朝ごはん作って欲しいと思わないっていうね
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期待しないっていうのでそもそも有意識をしない
認識しない期待しないっていうのも一つ手だと思うんですけど
でもこれしちゃうと
相手に期待しないがゆえに相手に仕事を頼めなかったりとか
お願いしづらかったりとか思いやれなかったりすることもあるんですね
辛くなるっていうのが結果で出てくるのが分かっててしんどいから
期待しないからお願いしないってなってくると
相手とのコミュニケーションが余計に気迫になって
また変な方向になって
それはそれでまたしんどくなるっていう
これまた難しい問題が出てくるんですよね
これ思ってたんですけど
コテンラジオの
三蔵法師の現状の回を聞いたときに
三蔵法師現状はコミュニケーションはバチクソ上手かったらしくて
本当はめちゃくちゃ賢いんですよ現状は
めちゃくちゃ賢くて国の役職に就いてほしかったんですけど
現状はブッダの教えとかを中国語に翻訳したいっていう欲望があるんですよ
国の役職に就いてほしかったんですけど
その仕事に就いちゃうとその欲望が達成できないから
達成できないから
欲望に対して翻訳機関を作るんですね
でもそれは国のお願いを断って
けど国の管轄の中で翻訳センターを作るんですよ
つまりどういうことかっていうと
役所の方とか王様からお願いされたことを
ちゃんといい感じにあしらった上で
自分の役職に就いてほしかったんですよ
自分の欲望を突き通すっていうコミュニケーションと思うんですね
これはねマジですごくないですか
期待もしてないし
けど自分の欲望を乗せれる
実現できるっていう
三蔵法師のコミュニケーション力
これはなんかもうなんか
上記を意識してる気がしますね
仏教って
それこそ有識もそうだし
空の思想とか
話し方とか
人形とかもそうだし
自分と他者
自分を犠牲にじゃないけど
自分よりも相手のためにっていう精神もあれば
自分を無我にして
自然に溶け込ませるっていうのもあるし
空っていう思想もなくすんですよ
消すんですよね
その認識とかでさえも
っていう自分をなくすっていう
自分を無くすっていう思想もあるし
自分を無くすっていう思想もあるし
論理になるので
けど現状は
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無くすし
自分の翻訳したいっていう
欲望も叶えるんですよ
これすごくないですか
すごいですよね
だから分かります?
仏教の教えをちゃんと守りつつ
社会でコミュニケーションとって
成功するっていうことなんですよ
分かりますか?
もう少しちょっと言い方を聞いてみますか?
もう少しちょっと言い方を聞いてみますか?
言い方変えると
仏教の思想は自分を消すっていう思想だから
めちゃくちゃ端的に言うとね
めちゃくちゃ端的に言うと
自分を消すっていう思想だから
この相手のためにとか
社会のために
世界のためにっていう思想で動くというか
そうした方が救われるというか
悟れるよっていう教えであると
けど現状は
本当はその思想を分かった上で
かつ翻訳したいっていう欲もあるんですよ
本当はその思想を分かった上でかつ翻訳したいっていう欲もあるんですよ
本当はその思想を分かった上でかつ翻訳したいっていう欲もあるんですよ
このしたいの先には
自分みたいに
ガンダーラ
インドに行きたいけど行けないっていう人のための教えの翻訳をしたいっていう
社会のためでもあるんですよね
何かその
なんだかな
この相反するものを持った上で突き進む
っていうのがマジですごいなって思って聞いてました
僕は
これすごくすごく難しいことだと思ってて
えっとだからですよ
会社しんどいけど社会のためにこれしないといけないってことが分かってるからしんどいけど続けるみたいな
ちょっと違うかもしれないけどそういうことだと思うんですよ
で現状それがしんどいとか思わずにそれが自分の中に当てはまってやりたいことでなおかつ社会に意味があることをしてるんですよね
で現状それがしんどいとか思わずにそれが自分の中に当てはまってやりたいことでなおかつ社会に意味があることをしてるんですよね
で現状それがしんどいとか思わずにそれが自分の中に当てはまってやりたいことでなおかつ社会に意味があることをしてるんですよね
これなかなかないと思うし
なかなか難しいと思うし
自分の信念を曲げずにそこまでできるのはすごいと思う
これ朝ドラのあの牧野富太郎さんもそう
それに近い気がする
なんか偉人ってその節ある気がするんですよ
自分を持ってるし
自分のやりたいこともあるし
それがなおかつやり遂げた先は社会のためになるっていう
この
なんかね積み上げ方の論理があって
これなかなかだなって思って聞いてました
これでもむずいですよ
自分のそもそも自分の信念ない人もおるし
自分のやりたいことがない人もいるし
自分のやりたいことと社会が繋がってない人もいるし
なんかどれから手をつけたらいいのか分かんない人もいるし
なんかすごいむずいと思うし
あと環境とか周りの人とかでも変わってくるだろうし
でも変わってくるだろうし
でも変わってくるだろうし
かといって自分を持たなきゃいけないわけでもないじゃないですか
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なんか今の時代って多様性って言われたりとか
しかも自分のやりたいことがなくてもいいじゃないですか
自分のやりたいことばっかりやったときの社会ってどうなるんだろうと思うし
でもなんかやりたいことと社会との接点はなんか分かんない
感覚的には必要な気もする
ただやりたいことをやるっていうのはなんか
なんだろう
引っかかるんですよ
それがなんか社会とか自然とか世界とかの
なんかどこかで通じるっていう
なんか説明含めあってほしいなっていうのがなんかありますね
なんか分かんないけど
そんな感じで思ってました
じゃあどうでしょう
意識
なんか分からんけど分かった気しません
分からんけど分かった気してるんですよ僕は
で僕は
仏教のむずいところはこの分かってるんですよ
みんな分かってるんですけど
身体性が伴ってなかったりとか
そのアクションとか実現ができてなかったりするみたいなのが
僕は難しいなと思ってて
つまりなんかそれに対して修行が必要だなとか
ずっと教徒なきゃダメだなとか
なんか社教しなきゃなとかみたいなものがなんか必要っぽいですよね
分かんないけど
でもなんか今って少し違う気もしてて
結構そこの理解が必要なのかなと思うんですけどね
理解までのスピードは速いから
実践するかどうかみたいなのが
なんかむずいな
なんて言ったらいいのかな
理解はするけど
それって本当は理解なのかなって思いますね
だから実現し
実行しないといけないんですけど
でも実行とやりたいことと
それが社会と繋がってるかって
また別の視点になってくるんで
難しい
難しいって言っちゃうんですけど
難しいんです
それがなおかつ仏教っていう土台がある
つまり有意識っていう土台がある上での行動だから
なお難しいですよね
その矛盾とまでは行かないけど
これ結構なんか難問だなって思って
僕は僕の中でそれをこじらせちゃうんですよね
さっき言った期待しちゃったりとか
期待した上でフィードバック変えた時の辛さに対して有意識であるとは思わないんですけど
期待した上でフィードバック変えた時の辛さに対して有意識であるとは思わないんですけど
期待した上でフィードバック変えた時の辛さに対して有意識であるとは思わないんですけど
反応しようとしたりするところとか
そこが僕のウィークポイントだなって最近思ってます
規制時を見てても思うんですよ
有意識じゃないですか
作品見るとかもそうですけど
作品があってそれを見た時の僕の心の変化自体
別に作品見なくてもいいし
作品見た先に
有意識じゃない
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作品見た先に感情を揺さぶられなくてもいいし
揺さぶられなくてもいいわけじゃないですか
揺さぶられちゃうんですよ
揺さぶられた先でどうしたらいいか分かんなくなるっていう場合もあるんですよ
規制中とかまさにそれで
どうしたらいいか分かんねえな
どう考えたらいいか分かんないみたいな
思考にもなってきた時に
有意識が効かないんですよ
そうなってくると
有意識でさえないものが出てくる
それは
有意識の
思想っていうのを見た時には
マナー式とかアラー式っていう認識の
さらに仮想部分のことだっていう話にもなってきてて
それはなんか僕はまだ理解できてないんですけど
理解できるものじゃないかもしれないんですけど
そうだって言ってて
なんか分からないこともたくさんありすぎるなーって思ってます
ちっちゃい頃というか
何だろうな
いつぐらいかな
高校大学
なんか分かんないけど
いつからか思ってるのが
分かりませんよ
1たす1は2って理解できるじゃないですか
でも1たす1って
1たす1イコール2って理解できなかった時があるわけじゃないですか
いつか
で1たす1が2って理解できるっていうことは
自分の中にそもそも答えがあったんじゃないのかなとも思うんですよ
意味わかりますか
1たす1イコール2が分かる前と
後があるとして
分かる前と分かる後って何が変わったかっていうと
自分の中で1たす1イコール2っていうのが
負に落ちたか落ちてないかだけなんですよ
つまり有意識なんですよねこれは
認識できたかどうか
理解できたかどうかでしかないんで
つまり有意識の話で
僕が解釈ですよ
僕の解釈でいう有意識の理解でいうと
1たす1イコール2は理解できた
つまりそもそも僕の中に認識があったっていうことになるんですよ
っていうことになるんですよね
だから
ブッダも
同じような感じじゃなかったのかな
って思うのが
彼はずっとその後瞑想をするんですよ
本当に座り込んで
何してるかっていうと
別に社会とも付き合わずに
現状もそうなんです空海もそうなんです
最中もそうなんですけど山にこもるんですよ
山にこもるんですよ
自分と向き合うんですよずっと
で社会とか
世界とか論理とか
認識っていうのを
詰めていくんですよね
自分の中で
だから認識が
自分の中にそもそも存在してるから
自分の中に答えが
あるとして
思考を
巡らせていくんですよね
だから1たす1は
自分の中に答えがあったんですよ
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うん
そう
だから
何人が
言いたいかっていうと
社会に答えはないかもしれないなっていう
そんな今日は話でした
ありがとうございます
はい
ご視聴者さんには何も振らずに
進めてしまいました
すみません
ちょっと本当に今は有意識
何言ってるか分かんないと思うので
これもう1回聞き直しても
何言ってるか分かんないし
僕も聞き直しても
何言ってるか分からないと思うから
まあ本読むなり
古典ラジオ聞くなり
ぜひしてください
はい
僕も1回本読んでから
これ言い直します
言い直しますこれ
もう少し解像度上げて
理解したものを
言いたいと思うし
あの
ちょっと
今迷ってるのが
何か
そもそも答えは
そもそも答えは
自分の中にあるから
何か旅もしてなくて
いいんじゃないのかな pour l'amour
と思うんですよ
外見なくてよくないっていう
けどやっぱり外とか自分じゃないものを見たときに刺激受けて
そこからブーストして学んだりとか
意欲も湧いたりするじゃないですか
これって何だろうかなとも思うし
今僕にとって必要な刺激って何だろうかなとか
どこに行けばいいのかなっていうのを分かんないんですよね
だから旅するにも
行き先決めるにも
誰に会うにも
会う前に行く前に悩んじゃう
迷っちゃう
迷うけどこの日行こうって
ピロンって閃いたときに
連絡したりとかめっちゃ調べたりとか
したことに従うようにしてます
僕はだから
閃きに
それは僕の中のあらやしきとかまなやしきから
浮き上がってきたものだと思ってるので
そう思ってやってるんですけど
そう
従わなかったときもあるから
そう従わなかったときに
どうやって動こうかなって迷うときがあります
はいそんなちょっと
こじらせるんですよ
やっぱりいろいろと行動と思考が
難しいなっていう話で
皆さんの今日のこの27分ぐらいの話を聞いて
どう思ったのかなってちょっと気になりますが
また次回
お話できたらなと思います
ありがとうございました