梅干しと独自の面白さ
いつ梅干し干したらいいかわからない。
りゅうちゃんの独り言
おはようございます。りゅうじです。よろしくお願いします。
あのー、梅干しいつ干したらわからん問題がありまして、
お盆にすごく雨が降ったじゃないですか、
お盆から梅干し干そうと思ってたんですけど、
干せず、ちょっと悩かんやったりとかして、
自然にはかなわないなーっていう話でした。
今日はですね、
僕のおもしろみを感じるところってどこだろうっていうことを考えていこうかなと思って
話し始めてるんですけれども、
人によってどこにおもしろみを感じるかは違うじゃないですか。
自分のおもしろみを感じるところを探り当てることができれば、
もっと毎日を面白くできるんじゃないかと思って、
車を運転しながらとか考えてたんですけど、
なかなか一人じゃやっぱり、
おもしろみをこれだ、みたいなのは出てこないんですけど、
そうだな。
基本的に僕はあまり自分が面白いとも思ってなくて、
自分が面白いって思ってないので、
面白がられることとか、面白がってくれることはすごく嬉しいんですけど、
逆に自分が面白いと思ってるのかなと思ってですね、
いろいろ考えてみたんですよ。
何が面白いと、なんなんこれはみたいな。
面白いって言っても、笑える面白さと、興味引かれるみたいな面白さと、
あとなんかあるかな。
あるじゃないですか。
結構いろいろ幅あるなと思った面白いのも。
そういったのは両方なんですけど、
好者というか興味引かれる側というか、
これなんかすごい面白いなみたいな、好きやわみたいなそっち側ですね。
なんていうんだろうね。
これはまた見たいなとか、これもう一回聞きたいなとか、
この話を思い出したいなとか、
こっち側のインタースティングの方の面白いについて考えていきたいなと思っててですね。
どっからしゃべろうかな。
おそらくね、おそらくですけど、
ちょっと分類分けしてみたんですよ、自分の中で。
これはこう、これはこう、これはこうみたいな。
僕が感じる面白さは今のところ3パターンあるんじゃないのかなと思ってて、
ここが比喩?
例え話みたいな。
上手い例え話とか、上手い言い換えとかに、
うわ、それはすごいなとか面白いなみたいなのがあって、
なんかいいというか、たまにあるじゃないですか。
アニメとかもなんかそんな感じな気がしてて、
なんかちーっていう漫画でもアニメでもあるんじゃないですか。
あれも題材が地動説から天動説っていう話で、
それを漫画にしてるっていう例えですよね。
例えというか、
天動説とか地動説を題材に物語にしてるとかみたいなのは、
大きい比喩ですけどいいなとも思ってて、
あと、ドラマとかもそうですよね。
上手いこと社会のことをひにくったりとか、
ひにくるというかね、上手いこと言い表したりとかしてるみたいなのが面白い。
逃げ恥とかそれでたぶん僕ハマったと思うんですよね。
普通の一般家庭やねんけど一般家庭じゃない感じを出しつつ、
視聴者に届けるためには、
主人公とか登場人物の人たちが喋らなあかんくて、
その喋りの中にもあるし、
その構造自体が面白いなっていうのが面白いなっていうのと、
あと今出てきました2つ目の僕が面白いなって感じるのが、
構造に当てはまった時とか構造に気づけた時とかかなと思ってて、
先週のしゅうさんの話でもそういう話をちらっとしたかなと思うんですけど、
しゅうさんとしゅうさん以外の描き合いが、
そうじゃないところの人たち、
アーティストとかアーティストとファンの人とかみたいなところに
同じような構造を見て取れたりとか、
それを違うところに転用できたりとかするときに、
面白いなあみたいなのを感じましたね。
ドラマとキャラクターの深層
結構自分のこの思考の中に、
それがよくよく入ってきてるなと思ってて、
構造が面白いなっていうのを多分言葉にせずとも感じてるから、
そういうふうに見たりとか、
話し聞いてる時とか、
講義受けてる時とか、
ワークショップ受けてる時とかに、
自分とそうじゃない人とかをメタに見ようとするとか、
そこに他の構造を当てはめたりとか、
今この構造を見た上で、
今の僕が取るべき構造を考えてみようと思ったりとかします。
そこに面白みとか、
自分のこの面白みを感じるところを探ると、
自分のこの構造の選択とか判断の、
何がそれを決めてるのかみたいなところに行き着くのかもなっていうのが一つ思ってて、
それで面白さとか面白みをどこに感じてるんだろうっていうのを考えてたんですよ。
基本的にアニメが好きなのは、
それがすごくある気がしてて、
うまいこと比喩使ってたりとか、
うまいこと構造を違うところに当てはめられたりとか、
逆にもうその構造がアニメに当てはめられてたりする、
ガンダムとか分かりやすい、
味方が敵がおって戦争をしてるんですけど、
僕たちは銃とか飛行機とか爆弾とか使って戦うけど、
それはもうロボットで戦いを起こしてるんで、
そこは比喩であり、
同じ構造でありみたいなね。
人間模様とかも描かれるんで、
そこの構造とか心理描写的なのも面白いなと思いますね。
それでいうと二面性というかね、
表に立っている感じのその人の言動とかと、
裏側の思っていること、腹黒く思っていることとか、
家に秘めている感じとかを見るときとか、
そのギャップとかにもちょっと面白みを感じたりするので、
それは人間みとか、
人間ぽいねみたいなことを言われる言葉かなと思うんですけど、
そういうのをアニメとかドラマとかで感じるときも、
面白いなあっていうのは思いますね。
Amazonプライムでやっている、
私の夫と結婚してっていう、
コシバフーカさんと佐藤武さんの主演のドラマを見たんですけど、
韓国からリメイクしているやつを見たんですけど、
コシバフーカちゃんが生き返るんですよ。
10年前にタイムスリップする感じに。
死んで生き返るんです、10年前に。
で、友達がおって、
婚約者がおって、
上司がおって、
この4人がメインプレイヤーみたいな感じなんですけど、
女の子の友達がすごく、
小学校の時からの大親、幼なじみで、
でもこう、なんだろうな、
コシバフーカちゃんを下に見ることで自分を上げて、
均等を保つみたいな親友なんですよ。
それと仲いい旦那さん、コシバフーカさん、
自分が嫌なことあったりとかしたら、
背を上げちゃったりとか、
お前のせいやろ、みたいな。
君がそうじゃないから、こうなっちゃったんだ、みたいな。
他責にする感じの人なんですよね。
で、上司が、
キーパーソンなんですけど、
あまり多くは語らないけど、
本当に、
10年前にコシバフーカちゃんだけ戻ってて、
その以外の人は同じ人生を、
コシバフーカちゃんが歩いてた人生を歩んでて、
同じことが起こるんですよね。
それをなんとかクリアして、
女の子と付き合わなかったりとか、
旦那さんと別れようとしたりとか、
みたいなのを広げていくっていうのが、
コシバフーカちゃんの人生だったりとか、
コシバフーカさんの人生だったりとか、
コシバフーカさんと別れようとしたりとか、
広げていくドラマだったんですけど、
最後、コシバフーカちゃんの親友の子が、
悪者みたいな感じで扱われてたというか、
ずっとドラマの中で、
旦那さんも悪者というか、
見てる側が早くすっきりしたいみたいな、
うっぷん溜まってるみたいな、
旦那さんの方にも、
イライラするんですよ、めっちゃ。
モヤモヤする。
で、コシバフーカちゃんとか、
コシバフーカちゃんの上司が、
すっきりすることを言ったりとか、
やったりとかしてくれるので、
なんとかすっきりすっきりしていって、
ラストには結構すっきりするんですけど、
でもなんかすっきりしたんだけど、
コシバフーカちゃんの親友の方が、
目線で、コシバフーカちゃんの親友目線で見ると、
なんかすっきりせんのかもなぁと思って、
うーん、なんだろうなぁ。
すごくこう、そのコシバフーカちゃんを下に見て、
自分をあげたりとか、
なんかその旦那さんを揶揄したりとか、
自分がいいようにいいように進んでいくし、
その子も結構多責にする感じなんですよ、
あんたがそうやからみたいな、
あんたのせいで困ったんや、みたいなことを言う感じの子で、
でもめちゃくちゃ頭いいんですよね。
だから上手いこと言わたりしてきたし、
別の上司とか社長の人たちにも気に入られる、
猫かぶってる感じの子なんですけど、
じゃあその子の幸せとか、
その子のやりたかったことってそうなのかな、
みたいなのを思ったときに、
なんかドラマの中では、
それでコシバちゃんとコシバさんの上司が、
上手い感じになって終わるんですけど、
親友目線で見るとね、
なんか何とも言えんなと思って、
じゃあその子の親友の幸せとか、
どうしたらよかったんだろう、みたいな、
どこで、
その親友の家族関係とかもちょっと、
ドラマの中で出てきたりとかして、
ちょっと赤座、ちょっと話した分ですけど、
鬼滅の刃の赤座のときにも思ったんですけど、
やっぱり家族構成がねじれてるから、
みたいな、
だからこういう性格になっちゃうよね、
みたいな擦り込みみたいな、
言い訳みたいな感じに感じられちゃうというか、
それだけじゃないはずなんですけど、
でもそれがすごく大きな、
赤座とかコシバちゃんの親友とかの、
現体験として語られてきてくれるんですよね。
そうなんだろうけど、
じゃあその家族関係が悪かったから、
そうなっちゃったのは仕方なかったのかなとか、
じゃあそれこそ親がちゃって言われたりとか、
するのかなとか、
家族環境が違うかったらいけたのかなとか、
家族環境がそういう家庭環境なのであれば、
じゃあどうしたらその子は幸せになれたのかなとか、
スキルとか知識とか、
努力とかでなんとかできたものなのかな、
みたいなのを思ってですね、
そういうことを考えちゃったんですよね。
それを考えることに僕は面白みを感じてたというか、
想像をしてたりとかしたんですけど、
だから赤座とかコシバちゃんの親友とかの、
家族環境を映してくれるのはすごく、
こちらの納得を得させてる感じがあるというか、
納得をこれでしてくれみたいな感じがあるというか、
僕は赤座はあまり、
そもそもそういう気質だった気もする気がするというか、
赤座自身が、
家族環境とか育ってきた環境がそうだったからかもしれないけど、
じゃあどうしたらよかったんだろうかな、
みたいなのは思ってですね、
じゃあ自分はどういう状況に置かれてるのかとか、
現状を見たりとか、
現状をどう捉えてるかっていうのを、
自分でメタ認知したりとか、
じゃあ自分はどう歩きたいのか、
どうしていきたいのかみたいなのを思ったりとかすれば、
ちょっと変わったのかなとか、
そういう人、赤座もそうだし、
コシバちゃんの親友もそうだし、
やっぱり自分のことばっかりを見続けちゃうと、
周りとハレーションを起こすんだろうな、
みたいなことを感じたりとかしたので、
やっぱり自分は大事なんだけれども、
協調性とか社会性というか、
他の人たちとのうまい折り合いを、
お互いがお互いに折り合いをつける、
尊敬し合った上で、
大量に話し合うみたいなのができれば、
ちょっとは変わったのかもしれなかったりするのかな、
とか思ったりしたんですけど、
うまく言葉にできる人とできない人もおるし、
感じたこと、やっぱりそれこそ赤座みたいに
暴力でやっちゃう人もおるだろうし、
すごく感情的になって手が出ちゃう人もおるだろうし、
じゃあ、感情を抑えることだったりとか、
感情を出はするんだけど、
家庭環境と欲求
出し方、体で出すのか、言葉で出すのか、
他の消化の仕方ですよね。
技術作品出すのかとか、
その辺の出し方も、
社会にあったものの出し方だったら、
よかったのかな、とか思ったりするんですよね。
ほんま誰にでもというか、
自分の欲求を発散させるとか、
自分の欲求を満たす行動があるじゃないですか。
人には誰しもが。
それが大多数に認められないから、
罰せられたりとか嫌われたりとか、
モケモノにされたりとかするんですけど、
じゃあどうすればよかったんだろうっていうね。
そもそもそういう欲求なのであれば仕方がなかったりするだろうし、
じゃあその欲求を植え付けたのが家庭環境かもしれないし、
学校の環境なのかもしれないし、
友達との関係なのかもしれないけれども、
でも育ってきたところはね、
子供の時って選べないし、
行くところも選べないしってなったらね、
どうしたらよかったんだろうみたいなのを思うし、
周りの大人がうまいこと手を差し伸べれたらよかったのかなとか。
赤澤はね、お父さんが亡くなって、
道場の人に拾われるんですけど、
そこまではよかったじゃないですか。
そこまではネタバレなんですけどね。
道場の人に拾われて、そこまではよかったんですけどね。
事件があったから赤澤もグレちゃってみたいな。
きっかけがあってグレちゃって。
きっかけの元を作った人とか、きっかけの元の人、
赤澤の一個前の原因の人はどういう家庭環境とかね、
どういう生活をしてきたのかみたいなんで、
またそこでもありそうやし、難しいですね。
みたいなことを話が長くなったんですけど、
案外面白い意味を感じているというか。
やっぱりこれ、僕の今の話は赤澤と家庭環境の話とか、
小柴ちゃんの親友の家庭環境の話とか、
ちょっと構造的に似ている気が僕の中ではしてて、
死生学への興味
その上でその子の感情とかその子の心情と、
その子が育ってきた環境とかとの、
自分がその中に入ってみたときの感じとか、
まるっきりその子やったりとか、
言葉をうまく話せなかったりとかしたときの感じですよね。
そんなことを考えたらね、やっぱり、
この人にも何かあったんかもなとかって、
現実世界で思ったりとかするときもあるし、
うまいこと、どうやってうまいこといくんやろうかな、
みたいなのを思ったりするので。
僕自身も多分そういうところは少なからずあると思うんで、
僕自身が僕自身を現状を見たりとか認識する上での
材料にはなってはいるんですけど。
きついですよね。
人が死ぬとかきつい。
やっぱりまだ現実にある感じがしない気がして、
僕は今まだ誰かが亡くなるみたいなのが、
あまりちゃんと身に染みて分かってないんですよね。
分かってるんだけど分かってないんですよね、
その現象というか。
僕にもっと身近な人とかがそういう状況になれば、
もっと自分の中にガツンと来るのかもしれないんですけど、
今は正直絵空事な感じで死について受け止めちゃってるんですよね。
ドラマとかアニメとかもそうやし、
実際でもそうなんですけど、
それの同じようなカテゴリで見ちゃってるんですよね。
それは自分の身を守るためでもあるのかもしれないなと思って、
それをガツンと感じちゃいすぎちゃうと身が持たなかったりするので、
死についてあまり考えた感はないんですけど、きついですよね。
だから大学院とかでも死生学といって、
優生思想とか終末期医療とか、
安楽死とかの題材を扱ったりとか学んだりとか、
レポートに書いたりとかするんですけど、
やっぱりそこにすごく僕は興味があるというか、
死についてあまり触れないでおこうとは思うが、
逆にそこを知ったら何かがあるんじゃないかみたいな欲求があって、
それは面白いなと思いながら感じるんですけど、
その姿勢もどうなのかなと思って、
面白いなみたいな、確かに面白いなで進めばいいんですけど、
それで進んでいい?
なんて言ったらいいの?
カテゴリーでもない気もするし、難しいなと思って。
自分が当事者じゃないからまだ全然何も優生思想だったりとか、
内在してるかもしれないですけどね。
自分がそうじゃないから面白がれたりするのかなとか、
自分がそこに行ったら面白がれないじゃないですか。
そんなことを思うと、第3者、第4者くらいの距離感で、
僕は面白がってるのかなと思って。
その構造も面白いけど面白くないというか、
やっぱり当事者になりきらないところなので、
分かりみがないというか、分かるけどちゃんと分からないというか、
言葉で分かるけど感覚が分からんとか、
そういう方向になってきてはいるのかなと思うので、
優生思想だったりとか、今僕の中でホットな感じのところも、
本読むだけじゃやっぱり足りないので、
かといってどう研究というか調べていくのか、
自分の体にしていくのかみたいなのはまだまだ分かんないんですけど、
ヒントがあったら教えてほしいんですけど、
言葉で分かるけど体で分からんみたいな感じがあって、
だから僕が今これまでの面白いみたいなことを感じてるところは、
やっぱり言葉で分かってるところなんですよね。
比喩だったりとか構造だったりとか、
言葉とか概念とかで面白がってるところなので、
自分の感覚が身に振ってきたときに、
面白がれるかどうかみたいになって結構ネックになってくるというか、
自分の身に振り返ってきたときは面白くなくなっちゃうというか、
それに対処しなきゃいけなくなるというか、
当事者として面白がっていいのか悪いのかみたいな問題もあるし、
面白がった方がいいのだろうかもしれないけど、
そんな感じですね。
知的好奇心と距離感
面白いにも僕なりのくらめな感じなんですけどね。
やっぱりくらめになるな、僕。
面白がってはいるんですけど、こういう話も。
面白いな。
小説とかも読んでて面白いなとか思うんやけど、
やっぱり上手い言い回しとか、
作者のこの意図こうなんじゃないかなみたいなことを探れるようなときがあったらすごく面白いし、
それにもこっちの体力がいるんで、
安全な状態で安全なことをし続ける。やっぱり体調大事。
体調大事っていう話。
まとめ方も適当なんですけど。
そんな感じですね。
今日は僕の最近思った面白い、自分が感じてる面白いについて話してみたところです。
最初まとめようとしたのが比喩と構造っていうところで、
自分が面白みを感じてるんじゃないのかなっていうところを思ってて、
で、こしばちゃんとか、
赤澤、鬼滅の刃の赤澤の話とかをしたんですけど、
敵側というかね、
家族環境と、
その人の性格が、
見てる側に納得感を帯びさせようとさせてる感じがあるんじゃないかみたいなことも思いつつ、
で、じゃあその本人は家族環境じゃなかったらそうじゃなかったのかどうかとか、
その家族環境だったとしたら、どうやったら社会に認められた、
こしばちゃんと仲良くしたりとか、炭治郎と仲良くしたりとかできる人になれたのかなみたいなことを話したりとかしました。
結局はそれを考えられる体力というか、知的好奇心というか、
それを万全な状態で居る方が一番それを考えられるよねというか、
自分にその当事者となった時には、
自分に当事者になった時には自分が面白がれないんじゃないかとか、
自分が今面白いと思ってるのはやっぱり第三者、第四者ぐらいの距離感で面白がっちゃってるんじゃないのかなみたいな、
それはほんまに面白いって言えるのかなみたいなのを、
最後に僕はこの話の中で持ってこれたところが、
今日のまとめです。
はい、以上です。
ご聞きいただきありがとうございました。
いちいちチャンネル登録ともう少し僕もブラッシュアップしていきたいなと思うし、
それこそ面白みを皆さんに届けられるような話をしていきたいなと思うので、
今後とも見ていただけたらなと思います。
ということで、今日か明日かご元気で楽しんで、
癖強めでお過ごしください。
ありがとうございました。