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認知の歪み10のパターン ⑥〜⑩
2026-04-24 24:43

認知の歪み10のパターン ⑥〜⑩

#認知の歪み  #アーロンベック 
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サマリー

このエピソードでは、認知の歪み10のパターンのうち、6番目から10番目までを詳しく解説しています。まず、認知の歪みの提唱者であるアーロン・ベックが提唱した、自分自身、周囲の世界、そして将来に対する否定的な見方という3つの基本的な歪みについて補足説明がなされます。これらが相互に影響し合い、うつ病を悪化させるループを生み出すと考えられています。次に、前回紹介された5つのパターンに続き、残りの5つのパターンが紹介されます。具体的には、「拡大解釈と過小評価」、「感情的推論」、「べき思考」、「レッテル貼り」、「個人化(自己関連付け)」が挙げられます。それぞれのパターンについて、具体的な例を交えながら、それがどのように現実の認識を歪め、対人関係や自己評価に影響を与えるかが説明されます。特に、「べき思考」や「レッテル貼り」は、自分自身や他者に対して厳しいルールや固定観念を課すことで、可能性を狭め、葛藤を生むことが指摘されています。また、これらの認知の歪みに対処するためには、メタ認知能力を高め、自分の考えを客観的に見つめ直し、事実に基づいて柔軟に解釈を更新していくことの重要性が強調されています。録音や録画といったテクノロジーを活用して自己の認識を客観視する方法や、他者との対話を通じて事実を確認することの有効性も示唆されています。最後に、人間の認知がいかに歪みやすく、意思決定が後付けであるかといった実験例も紹介され、自身の認知パターンを理解し、より現実的で柔軟な思考へと更新していくことの重要性を改めて示しています。

00:16
Reverse Diverse アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
アーロン・ベックの認知の歪み3つの基本パターン
前回は、認知の歪みっていう概念ですね。
これが、何か誤用されてるんじゃないかっていう話を、平林さんから聞いて、
ちょっと具体例があったら、教えて欲しいなって思うので、また今度見つけたら教えて欲しいんですけど、
そもそも認知の歪みって一体どういう概念なのかっていうことで、
学術的な話ではないんだけど、
一応、10のパターンみたいなのは言われてるから、一般的に。
それの1から5までを紹介しました。
今日は6から10までを紹介しようかなと思うんだけど、
その前に、前回のポッドキャストで出した、アーロンベックっていう人が、
もともと何を言ったのかっていうところを、ちょっと補足説明しておこうかなと思います。
前回も話したように、アーロンベックっていうのは、
うつ病の研究ですよね。うつ病患者の研究を通して、
うつ病の患者っていうのは、すごく特徴的な思考のパターンっていうのを持っている。
しかもそれは現実を適切には捉えていない。
そういう意味で歪んでるってことだよね。現実の捉え方が歪んでいて、
しかもすごくネガティブに解釈してるっていう。
それがうつ病の患者の特徴なんだっていうふうに言ったんですけど、
アーロンベックが出した時は3つなんですよ。
それが英語では何て言うんでしたっけ?
認知の歪み自体は、コグニティブディストーションズっていう。
それは多分別の人たちが作っていた、
10のパターンっていうのはね、パターンの名前なんだけど、
アーロンベックが最初に言った時は3つで、もうちょっと抽象度が高い。
私は実はこっちの方がよくわかりやすいと思うんだけど、
一つ目は自分自身への否定的な見方。
自分は価値がないとか、誰にも愛されてないとか、
能力が低いとかね、なんか大きな欠陥を持っているみたいな、
そういう捉え方をしてるのが自分自身への否定的な見方ですよね。
二つ目が今度は社会、周囲の環境とか、
もうちょっと広い世界に対する否定的な見方ですよね。
社会とか世の中っていうのは、自分に対してすごく過酷である、
過酷な要求ばかりをしてくる場所だとかね、
あるいはもうちょっと平たく言うと誰も助けてくれないとか、
みんなが敵意を私に向けているみたいな捉え方だよね。
私もちょっとそういう思考を持ってたよって話もしたんですけど。
三つ目が将来、自分、世界、将来、将来に対する否定的な見方。
この今の苦しみっていうのはもう永遠に続くであろう、
ずっと続くものだ、もう絶望しかないとかね。
あと一生懸命やっている、死に物狂いで自分はいろいろ努力してるけど、
何やっても状況は良くならないみたいな。
将来も未来永劫そのままだみたいな。
無力感とか絶望感っていうのを持っている。
これが三つの認知のある種偏りだよね。
これは結構三つは関連してて聞いてわかるように、
つまり自分は無力だから、あるいは能力がないから、
愛されるに値しない存在だから、
世界っていうのは自分にとってはすごく敵意に満ちて厳しい場所であって、
だから将来は絶望しかないみたいなね。
だから自分はもう今の場所で、
善意ある人たちから保護を受けて生きていくしかないんだっていう風に、
自分の実際の現実の選択肢っていうのを狭めていってしまうっていう、
そういうループっていうのかな。
三つの自分、世界、将来に対する否定的な見方がループしてしまうっていう。
これが非常にうつ病を難しくしている原因なんじゃないかっていう。
逆にそれが大事だってことですよね。
認知の歪み10のパターン:⑥〜⑩の解説
自分と世界と将来っていうのが人間にとって。
それをもうちょっとブレイクダウンしたのが、
多分臨床現場に向けてしたのが、前回から紹介している10のパターン。
前回は善か無か思考、過度の一般化、心のフィルター、マイナス思考、
結論の飛躍まで話しました。
それぞれ似てるところはあるかなって思います。
じゃあ6つ目。6つ目は拡大解釈と過小評価。
また少し似てるけど。
似てますよね。自分の失敗を過大に評価して、
もうとんでもないことをしてしまったみたいなね。
で、成功は過小に評価する。
すごくマイナス思考でね、いやこれはたまたまだっていう風に解釈するっていうのと非常に似てるけど、
確かにそういう思考パターンに陥ることってあるよね。
善か無かにも似てるよね。
なんか一個の悪いことが善とになって、
一個のダメな逆が今度、また一個良いことが、ちょっとうまく説明できないけど、
なんかそういう良いことは小さくなり、悪いことは大きくなるっていう。
だから基本的にはその認知の歪みっていうのは、
ネガティブな解釈を引き起こすような思考のパターンですよね。
ですが、現実を歪めて捉えていることで起きる思考のパターンなので。
なるほど。
これはだから、うつじゃないパターンの場合、今度逆の、
良いことは全部自分のおかげみたいな、という逆もあるんでしょうね。
あるのかもしれないですけどね。
歪み方としては。
で、7つ目。
7つ目は感情的推論っていう風に言われていて、
これ平昭さんはよく臨床現場で見てると思うんだけど、
自分がそう感じるから、それは事実である。
っていう取り違いだよね。
自分の内面的な真実っていうのかな。
それと実際に外の世界で起きている事実っていうのを、
混同してしまうというか、一緒にしてしまう。
これ対人関係においてはさ、結構大きなコンフリクトを起こすものだよね。
なるほど。その人が感じているものが世界になってしまう。
私はね、実はこの感情的推論っていうのが意外とないんですよ。
メタ認知がここだけは働く。
論理的に見れるみたいで。
でも次はすごい強い。
8番目。
べき思考。
まるまるすべき。
まるまるであらねばならないっていう、厳しいルールで自分を縛るっていうやつだね。
なるほど。あるよね。
自分を正しくあらねばならないとか。
あんまりないけど、でもやっぱり失敗しちゃいけないみたいな。
なんか自分に落ち度が、自分の能力がないからだとか。
本当はやるべきなのに、頑張るべきとか、なんかそういうのあるかも。
私はこれがやっぱりすごく強くて、
特に自分はその倫理的に正しい存在であらねばならないっていう厳しいルールで
自分自身を縛っていた。
でも人間だから、正しい時もあれば間違ってる時もある。
やっぱりすべての情報を自分の中に取り込んで、
それを公平に精査して結論を出すみたいなことはしてないわけだよね。
できない。人間だからね。
常に情報は偏ってるし、自分が得られる情報は偏ってるし、
バイアスっていうものはあるし、
気をつけていても、バイアスによって評価が歪められるみたいなことはあるわけだから。
今は長いセラピーとか、その後の自分自身での試行錯誤も通じて、
自分は正しい時もあるかもしれないし、間違ってる時もあるかもしれないし、
文脈にもよるし、相手との関係性にもよる。
もうちょっと複雑なものなんだっていう理解が、
自分の中に納得のいく形で降りてきたから、
あんまりこのべき思考に苦しまなくては済んでるけど、
全くなくなったってわけでも全然ない。
これなんか自分に向かう場合もあれば、
社会のこうあるべき、自分に対してこのようにするべきだ、みたいなのもありますよね。
あるよね。そっちの方がコンフリクト大きくなるよね、人とのね。
だから結構その修正の仕方としては、その立場を入れ替える。
自分がこうすべきだって思ってるってことは、相手もそういうふうにすべきなわけで、
そのようにされてるかっていうと、そうではないなっていうので修正していくみたいなのがありますよね。
あり得るかもしれないですね。
で、その相手との関係を悪化させるというか、
思考パターンのもう一つの典型が、
だと思うんだけど、私は9つ目のレッテルバリですね。
自分にレッテルバリするときもあるんだけど、自分はもう無能でダメなやつだみたいな。
他者にレッテルバリをするときもある。
だからよくあるのは、お前は加害者だ。
お前が悪いみたいなね。
そういうそのレッテルバリをする。
私呪いって呼んでるかもしれない。
呪いを、相手に呪いをかけるとか、自分に呪いをかける枠にはなっている。
確かに。
お前はこうだ、こういう人間だ、みたいに言うの。
可能性を狭めて。
現実じゃないのよね。
事実は人間ってもっと複雑だから、
もちろん加害者的な部分もあるし、被害者的な部分もあるし、
だからって別に誰も責任を取らなくていいというわけじゃないんだけど、
そのためにルールとか法律とかあったりするんだけど、
でもやっぱり人間っていうのは一つのレッテルに収まるような、
シンプルな単純な存在でもないし、
関係性の中で生きているわけだから、
それはあり得ないわけだよね。
そうですね。結構これ子供にやらないように、
私は認識している。
あなたはこういう人だねっていうふうに、
あんまりちょっとしたことから言わない。
結構それって大人がやりがちというか、
ポジティブな意味でやってる時もあるんですけど、
ポジティブな意味でも呪いになる可能性があるよねって。
すごくこれが得意だねとか。
勝手にそれをそのように設定してしまって、
そうするとそれ本当はやりたくないのに、やりたいのかなみたいに。
私が気になるのは、
私自身も病気を持ってずっと生きているから、
特に気になるのは、病気を自分のある思考、
自分に入れている、私は何々病だから、
障害もそうだよね、私は発達障害だから、
こうこうなんだって決めつけちゃうみたいな。
そういうのもある思考の呪いだよね。
そうだよね。
女の子なんだからとか男の子なんだからとか、
そういうのもそうですしね。
発達障害があったとしても、
それはある種OSの多様性の問題というか話であって、
それを自分のOSをどう使って、
どう人と世界と関わるかっていうのは、
多様な選択肢が本当はあるはずなんだけど、
自分は発達障害だから、
もう人とはこういう風にしかできないとかね。
これはもうできないんだみたいな、
いう捉え方をしている人たちを見ると、
もったいないなあと思うよね。
前に学校の小学校の授業で、
認知の歪みへの対処法とテクノロジーの活用
みんなには見せていないけれど、
自分っていうのはこういう面もあるんだよって、
みんなにちょっと知らせたいことを、
授業の最後に書くみたいな、
そういうワークやってる学校があって、
それもいいなと思ったですけど、
自分がみんなにこう思われてるかもしれないけど、
でも違う面もあるんだよねっていうのを、
ちょっと表明するっていう機会を持つみたいな。
そうそう。
レッテルバリーっていうのが9つ目。
じゃあ最後10個目は、
個人化とか、
自己関連付けって呼ばれたりするみたいなんですけど、
自分の責任ではないことを、
自分のせいにする。
はいはい。
あるいは、
自分の責任ではないことを、
自分への攻撃にするみたいな。
これも過剰に反応してしまうっていうところ。
そうですね。
一つだと思うんだけど。
プレゼンテーションで、
みんな自分見てるんじゃないかみたいな。
ちょっと前回話したのに近いのかも。
実はもうちょっとフラットに考えてたらいいけど。
私に実はこれも結構強かった。
タイプとして。
自分の責任じゃないのに、
私があの時こういうふうにしていればっていう。
平林さんには自己攻略感が高いんだって言われるけど。
ヒーロー症候群みたいな。
そういうのが強かったですよね。
なるほど。
当時はこういう銃のパターンとか全然知らなかった。
私は全然違うセラピーを受けてたからね。
対人関係の精神分析の。
だけど、こうやって後で勉強してみてみると、
対人関係精神分析はもうちょっと一段深いことをやってはいるんだけれども、
言われていたことは、
そこで受け取っていたメッセージっていうのは、
結構似たようなものがあるのかなっていう。
つまり常に事実にセラピストが戻していくっていうのは、
私の解釈だよね。
事実の捉え方にいろんな歪みがあって、
自分を苦しめている。
人との関係っていうのを悪化させている。
だから一旦事実に戻って、
もう一回一緒に見直してみましょうっていうようなことだったのかなっていうふうに思うんですよ。
だけど結構一般世界の中では、
これ結構企業とかで見られるんだけれども、
こういうネガティブな解釈、ネガティブな捉え方が良くない。
ならばじゃあポジティブに考えようみたいな。
ポジティブ心理学みたいなのもまた御用の対象になって、
とにかくポジティブに考えればいいみたいに捉えられていることもあり、
確かにポジティブに解釈した方が幸せそうには一見見えるんだけれども、
実際にやらなきゃいけないのはやっぱり事実に基づいて、
事実が一体何なのかっていうのにもう一回戻って。
でもそれはすごく恐ろしいことだから、
だって世界への否定的な見方っていうのを持ってるわけだから、
事実ってすごく怖いものだよね。
自分をもう傷つけるかもしれない。
さらにもう死んでしまうかもしれないと思ってるわけだから、
事実にでもサポートする人がいてくれて、戻してて、
よりそこまでネガティブでもない、
フラットなっていう風に言ってもいいし、柔軟な考え方。
もうちょっと起きてることは複雑だったねとかね。
そういう考え方に更新していく、
アップデートしていくっていう作業が必要なんだねっていう。
だからその時にやっぱりメタ認知っていうのがどうしても必要で、
自分の考えっていうのはあるんだけど、
それは尊重しなきゃいけないんだけどもちろん。
だけどその考えをもう一回違う視点から考えるっていうね。
そうですね。だから今はこの録音技術とか、
ビデオが簡単に撮れるとか、そういうのがスマホでできるから、
メタ認知ってその場でするの難しい時は、
ちょっと録音したり、録画したりして、
ちょっと見るのは嫌なんだけど、嫌なのはなぜかっていうと、
自分の認識とずれてたりするからですよね。
現実を知るのが怖いからなんだけど、でもよくよく慣れれば。
見直すことが大切だっていうのが分かれば。
すごい助けてくれますよね。
私も最近Zoomのミーティングって多いじゃないですか。
だからすべて文字起こしモードを入れといて文字起こしして、
それで相手にももし必要だったら保存してくださいねっていう風に言って、
自分も保存して見返しますねすぐ後に。
私はちょっとここ急ぎすぎたなとか、
ちょっとここは自分の感情を相手に投げ込んじゃったなとか、
そういうリフレクションをしてます。
時々しすぎてめっちゃ苦しんでる。
しすぎても戻ってるのは事実に戻ってるわけだからね。
で、やっぱりちゃんとリペアをするっていうことも心がけてて、
ちょっと私急ぎすぎてしまったと思うと。
で、それはあなたの意見をしっかり聞けなかったっていうことだと思うので、
申し訳ないと思ってるっていう風にちゃんと伝えるようにはします。
あとその実際の認識自体もリアルタイムで人間が認識できる情報っていうのは結構少なくて、
見てるようで、私なんか本当に見てるようで見ていない時っていうのがあって、
目の前に物があるのに探せないみたいなことがあるので、
だからそれは録画して、違う視点で見てみたら見えないものが見えて、
それもまたその事実を捉えていくときの重要な役割が果たしてくれるから、
いい道具になるかなと思ってます。
というわけで、この認知の歪みのパターン10個。
認知の歪みと意思決定の実験
結構面白いですね。
面白かったですか。結構似てるなぁとは思うけど。
根っこにじゃあ何があるのって言ったら、
事故と世界と将来へのネガティブな捉え方っていうのがループしちゃう。
その円環からどう抜け出すのかっていうところだよね。
将来っていうのもあると思うけど、時間が歪みますよね。
いつもいつもとか、ずっととか。
私もセラピーでずっと言われた、いつのことですか?
それ誰に言われたんですか?具体的に何て言われたんですか?っていうね。
それが多分すごいポイントで、時間と時と他とかね。
実際に何を言われたか。
言ったことと行動を抑えていくっていうのが多分やってることなんですよね。
多分それを、セラピー受けてた時はそんなに私は全然上手にできてなかったと思うけど、
自分の解釈というか感情と事実を分けて考えるっていうのを。
だけどその後だよね、セラピー辞めて。
多分そこで私なりに学んだことを少しずつ少しずつ実世界で実践していく中で、
なんとなく概念化とか言語化っていうのができるようになってきたのかなとは思う。
まあとはいえね、結構まだまだすごく感情的に大きく揺さぶられたりとかさ、
あるいはもうすごいストレスが大きすぎて、大変な時は起きますよね。
こういう認知の歪みっていうのはね。
そうですよね。
その時に、もちろん自分自身で振り返るっていうことができればそれもいいし、
それを誰かに話して、でその人から違う視点からね、
いやでも事実はこうなんじゃないの?みたいに整理の助けをさしてもらうのもすごく有効だなって思いますね。
あと私はやっぱり認知心理学とか心理学勉強して面白かったなって思うのは、
そういうその人間の認知器の歪みって作り出せるわけですよね、実験的に。
それで、
睡眠をさせないとかね。
そうか、あとあのゴリラ。
あーゴリラのやつね、バスケットボールのね。
バスケットボールの数の数を数えてくださいって言われてて、
数えてると途中でゴリラが出てきて全く気づかないみたいな。
あれを経験すると自分っていうのは世界を見ているようで、
自分の見たいように見ているというか、それはコントロールできないんですけど、
そういうものなんだなっていうことがよくわかったし、
意思決定の実験も面白くて、
自分がジャムを試食して、
で、どっちが美味しかったかって言うんで、
こっちって言うんだけどすり替えられてるわけですよ。
で、もう一回食べてみて、やっぱこっちが美味しいっていう風に言うっていう、
意思決定ってのは後付けなんだっていうのは本当に私にとっては、
はーって、こう、そういうものか、でもそうかもしれないねって。
やっぱずっと意思決定ってもっと自分の中に書くことしてあるものっていう風に思ってたけど、
そうでもないんだなっていうのが、すごい大きな学びだなって。
うん、なるほどね。
まとめと今後の展望
はい、というわけで今回は、
演劇の歪みのパターンの5から、
6から10。
6から10でした。はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
24:43

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