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認知の歪みは誰にでもおきる①
2026-05-01 16:15

認知の歪みは誰にでもおきる①

#認知の歪み #ニューロダイバーシティ #アタッチメント
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サマリー

このエピソードでは、「認知の歪み」という言葉が、発達障害と混同され、特定の人の特性として捉えられがちな現状に疑問を呈しています。本来、認知の歪みは誰にでも起こりうる人間の思考パターンであり、ストレスや追い詰められた状況下で生じやすいものです。発達障害は脳の多様性であり、OSのような根本的な違いであるのに対し、認知の歪みは環境や状況によって変化しうるものです。この二つが混同されることで、人々は「自分は正常で、問題は他者にある」という万能感を維持しようとし、自己防衛的に他者化してしまう傾向があります。しかし、人間関係は相互的であり、自分自身も他者も複雑で矛盾を抱えた存在であると理解することが、より良い人間関係と自己理解につながると結論づけています。

認知の歪みと発達障害の混同
Reverse Diverse。アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
今回は、認知の歪みについて。
日中にわたってお話ししてきたのかな。
はい、そうですね。
その認知の歪みっていう言葉を、もともとちょっと鬱になってきてしまったり、
ストレスがかかったりね。
そういう時の思考のパターンっていうことで、
イーノさんが10個のどんなパターンになりやすいかみたいなことを紹介して、
2回のポッドキャストをやってきたんですけど、
私がこの発達障害と関連した文脈で、認知の歪みっていう表現を見たときに、
結構違和感があって、それは多分間違ってるっていう意味での違和感もあるんですけど、
最近の傾向として、発達障害もそうなんですけれども、
人の多様性、本来人の多様性であるっていうものと、
あとは特定の状況になれば人間はそのように行動するよねっていう、
例えば追い詰められたら攻撃するかもしれないし、
不安になったら疑心暗鬼みたいなものが出てきたり、
自分の評価が低くなったりするかもしれないし、
そういういろんな人に起こりうるものを、
特定の人の特別な特性として言うっていう。
発達障害っていうのは、脳の多様性ということで、
元々というか、その人のパターン。
だけどそれは簡単に変えることができるようなものではなくて、
持って生まれた。
そうね、OSの部分だからね。
OSの部分で、いろんなMacのOSとWindowsのOSが違うみたいに、
そんな簡単には書き換えられない。
だけどその認知の歪みみたいな話っていうのは、
少ししんどい状況が続いて、物的な状況になると、
思考がそれといくつかのパターンになるような思考になってしまうみたいな話なので、
結構違う話なんですけれども、
それが混同されるっていう。
そういう傾向が見られて、
それは愛着障害の話とすごく似てますよね。
そうですね。
なんでそういうふうにしてしまうのかっていうのは、
認知の歪みのパターンでラベリングの話があったけれど、
ラベリングして、そういう型にはめ込んでいたほうが安心するんですかね。
そういうのもあるかもしれないし、
もう一つあるとしたら、
認知の歪みは誰にでも起こりうる
持って生まれたOSによっては、
認知の歪みみたいなものを経験しやすい人っていうのがいるのも事実だとは思うんだよね。
これもアタッチメントの話もそうなのかなって思うんだけど、
アタッチメントの話は持って生まれたものの話ではないような気もするけどね。
でも組み合わせによってはそういう。
組み合わせっていう意味で。
だから、いわゆる発達障害があるとされている人たちが、
コミュニケーション上、あるいは人間関係において、
認知の歪みっていうのを持っていることが大きくて、
それがトラブルになりやすいみたいな現象自体はあり得るのかなとは思う。
ただ平昭さんが言ったように、認知の歪み自体は、
特定のOSの人だけが持っているっていうよりは、
人間なら誰しも持ち得る認知の働きっていうことだよね。
一部の特殊な人たちが持っている、修正できない問題とか課題っていうことではない。
そこを誤解しているんだとしたら、その誤解は解いていく必要があるよなっていうふうには思う。
そういう誤解を生みやすい構造はありそうだなって思うよね。
さっきラベリングっていう話出たけど、
ラベリングして安心したいとか、あるいはラベリングすることでも、
それは医療の問題でとか精神医療の問題でとか、あるいは専門家が対応することでということで、
自分の側にもあり得るはずの責任を放棄するみたいな、
そういう側面もあるかもしれないよね。
人間関係だから相互に責任があるはずなんだけど、
あいつがこうこうこうだみたいな決めつけで、あいつがおかしいんだみたいな形で、
自分の責任を放棄するっていうことはよく見受けられて、
それは自分では対象が難しい状況に陥ったから、
ディフェンシブになったからそういう認知の歪みが生じてるっていうふうには説明できるんだろうか。
でも誰でもストレスがかかれば、特にストレスがかかり続けると、
白黒思考になったりとか、すべき思考に囚われたりとか、いうことはあるんじゃないかな。
だからカウンセリングなんかでそこを解きほぐしたり、
他の事実と付き合わせて認識を修正したりして、
それが自分を苦しめているということがわかれば、
もうちょっと事実っていうか、実際何が起こったかっていうことにフォーカスを当てれば、
そんなに苦しまなくても。
そうそう。
自分の認知の歪みって、私たちはみんな持ってるよねって環境によって、
それは生じるものだよねっていう捉え方をする必要があって、
強制的な健常性と万能感
おそらく平昭さん懸念してるのは、認知の歪みっていうのを、
例えば発達障害を持っている人たちの特徴みたいにすることで多捨化して、
自分たちはそういうのはない。
あの人たちは持ってるみたいな二分法が生じてるんじゃないかっていうことへの問題提起だと思うんですよ。
そういうことってやっぱりありますよね。
それは社会全体の、ちょっと障害学とかのタームになるけど、
強制的健常性っていって、
この社会の中ではこういう心身の在り方、心の持ちようっていうのを持った人間が正しい、望ましいのであるみたいなね、
そういう理想像だよね、いわゆる。
そういう理想像と関係してるんだろうなっていうふうには思う。
常に明るくポジティブで前向きで、みたいなね。
そうですね。
結構それってちょっともったいないなって、
例えば認知の歪みみたいなことでパターンがあってっていうことっていうのは、
自分自身を理解したり人間を理解する上での道具だって、
だから特殊な人の特徴として理解してしまうのではなく、
自分にもある。
自分が何か苦しみを抱えたり、誰かが苦しんでいるのを見たときに、
役に立つような、そういう知見のはず。
だから、それはもっと考えると、発達障害っていう考え方自体も、
そもそもそういう人間の多様性っていうものなので、
連続線上であって、
特殊な人がいるっていうわけじゃなく、
特定の人に集中して、
不利益が集まってしまった結果、サポートが必要だから、
そこにラベリングが必要になっている。
みたいに理解していたほうが、
人間を理解したり自分自身を理解したりする上では、
役に立つから、すごいもったいないよねって、
他者化して、特殊なものとして箱に入れてしまうっていうのが。
でも、このアタッチメントを探求するっていうシリーズの、
最初の頃に話したと思うんだけれども、
やっぱり人って、自分は正しいとか、自分は正常であるとかね、
そういう万能感っていうものを、
これファンタジーなんだけれども、
その万能感をどこかでやっぱり維持しようとする部分っていうのがあるんだと思うんですよ。
自分のアイデンティティを保つためにね。
だからどうしても自己防衛的になってしまって、
それで望ましくない特徴っていうのは、
自分の中にはなくて他者の方にあるんだ、みたいなね。
そういう思考を働かせてしまう。
それ自体が認知の歪みなんだけど、本当はね。
だけど、やっぱり人間のある種、
多くの人が持ってる特徴なのかなと思う。
それをその万能感みたいなのを抱えている限り、
結構苦しみは続くっていうのが、
私が長くカウンセリングを受けて、ちょっと気づいたことだよね。
人間関係の相互性とリペア
だからどういうふうにその万能感を手放していくのか。
自分には、もちろん正しい時もあれば間違ってる時もある。
ちゃんと問題に向き合って対処できる時もあれば、
そうじゃない時もあるっていう。
自分自身もすごく複雑で矛盾を抱えた存在なんだ。
それと同じように他者もそうなんだっていう前提ができると、
随分世界の見え方とか人間関係の見え方は違ってくるんだと思うけど。
そうですよね。
やっぱりこの万能感みたいなものに自分のアイデンティティを守りたいみたいな、
そういうところが、いろいろと人間の認知に歪みをもたらすんだなというふうには思う。
特別支援みたいなことを勉強することの利点っていうのは、
それを相対化して、人間っていうものを理解して、
面白いねっていうふうに考えて、
いろんな人を見た時に、
それぞれ、この人はこういうところが、こういうタイプに似てるなとか。
それはその人を貶めるとかではなく、
すごく面白いっていう言い方もあれなんですけど、
興味深いっていうね。
それがすごく特別支援には大事な。
人間の多様性に対するある種の関心とか興味っていうのかな、
好奇心っていうのかな、そういうのを持ってないと。
だからそういう意味では、
自分自身も苦しみにくくなるんじゃないかと思います。
自分がそういう状況に置かれたりして、
例えば誰かを攻撃しちゃって、反省したりするっていうことがあった時に、
自分がそれが特殊だからそうしたというよりは、
この状況によってそれは生み出される。
そうね、やっちまったなっていうね。
これをまたやらないためにはどういう環境を調整しておけばとか。
でもまたやっちまったなって思ってね。
でもやっちまったなっていうのはあるんだと思うんですよ。
やっぱりすごく切迫した状況の中で、
冷静にいろんな人の立場を考えながら適切に行動するみたいなことは、
ほとんど誰にもできないと私は思ってて。
それができる、自分ができるとかあの人ならできるっていうふうに思うこと自体が、
多分ファンタジーなんだと思うんですよね。
そういうものは少しずつ話して、
誰でも特定の状況、それぞれ違うけどね。
どの状況になったらどういう歪みが生じるのかみたいなのは、
それぞれ違うと思うけれども、環境が変われば、
私が今とても誠実でいい人だと思っている人だって、
自分を攻撃してくるかもしれないってそういうことじゃないですかね。
そうするとさ、なぜそういうふうな態度を相手は取ったのかなとか、
なぜそういう態度を自分は取ってしまったんだろうって、
内政を働かせることができるわけですよ、すぐに。
それがすごく大事で、内政を働かせることができれば、
やっちまったなって、こういう環境で自分自身を追い詰めてたなとかね、
思って、相手に対して謝罪するとかね、
リペアすることが可能なわけだよね、対人関係をね。
そこがポイントで、私がカウンセリングを通して学んだことっていうのは、
人間関係っていうのは相互的なものであると。
自分の中だけで起きていることってほとんどなくって、
常に対人関係の中でいろんなものは起きている。
その人の性格っていうのも、その人の内面にあるんじゃなくって、
その関係性の中で生じてるんだっていうふうによく言われたんですよね。
その時ピンとこなかったけど、実際そうだなと思っていて。
だから常に特定の人との関係、あるいは社会との関係で、
何が起きているのかっていうのを、ちょっと距離をとってね、
見ることは少しずつできるようになったのかなとは思います。
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