「地に足がついている」とは何か?
Reverse Diverse アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
前回は、ファンタジーについて。
はい、はい。
自己防衛的ファンタジーについて、いろいろと。
そういう言葉があるのかどうか分かんないんだけどね。
うんうん、確かに。
私が勝手に使ってる言葉って。
もともとファンタジーっていうのも勝手に作ったからね。
そうそう、それってファンタジーじゃないみたいな。
確かに、それはちょっと調べておかないといけませんね。
はい。
自己防衛的ファンタジー時点を発売するにあたっては。
今回は、ファンタジーの反対語。
反対語、はい。
私はだから、現実適応とか、現実対応とかいう言葉を使ってる。
別に学術的にとかじゃないよ、日常用語としてね。
うんうん、そうですね。
で、それに関連して、私がよく言う、イーノさんに対して。
あー、そうそう。
イーノさんは地に足がついてますよねっていうね。
どういう意味なんだろうと思ってて、常々ね。
一つの解釈としては、私の勝手な解釈としては、
現実をちゃんと直視して、それに対応しようとしてるよね、みたいなことだったら、
私が意識してやろうとしてることだから、
それを表現してくれてるとしたら、嬉しいなって思うけど、
違うことも意味してそうだなって思って。
そうですか。
なんか、こういう話をした時に、イーノさんはファンタジー的な面もあるんだと。
例えば、空想的な世界を自分の中に持っていて、
それも持ってるんだっていう話をされる時もあって、
それを聞いた時に、それとの区別がよくついてるんだろうなって。
あー、ファンタジーと現実と。
で、私がイーノさんが地に足がついてるなって感じるのはどういう時かっていうと、
それは生活をちゃんとしていこうとするところ。
習慣を、自分がだから何かやりたいこと、仕事だったり、やりたいことがありますよね。
それをやるためには、じゃあどうすればいいか、現実的に。
それを具体的にしていくっていう。具体化と似てる。
地に足がついてるっていうのは。
私の中で具体化しないことっていうのは、ずっとうろうろと考えて、
うろうろしちゃってて、ずっと進まないんだけど、
具体化していくっていうのは、
具体的な生活習慣と体調管理
まずは朝、ちゃんと決めた時間に起きよう。
朝起きたらこれをして。
で、外に出かけよう。
で、外に出かけてみて、体調を確認しよう。
そうね、歩いてみたらわかるからね。
そういう風によく言っていて、
日常的に体調が悪くない人っていうのは、あまりそういうこと意識していないから、
現実的にちょっと体調を崩したりした時に、
体調を崩しながら、自分が仕事をしていくっていうのが、
うまくいかないことがあるんじゃないかなと。
例えば、すごく自分はもう何もできなくなっちゃったとか。
あー、なるほどね。
もう大変な生涯をこむってしまったとか、いう風に思ってしまって、
実際にじゃあ、自分の状況がどういうものなのか、
把握するっていう。
地に足をつけて、あ、これはできるね、これはできないね、
これをするにはこういう助けがあればできるね、
道具があればできるね、みたいに進んでいくっていう。
それを地に足がついてるっていうふうに表現したんですよね。
社会の規範と個人のペース
ひらがなしさんもどっちかっていうと、そっち系じゃない?思考としては。
例えば朝起きた時の気分とか、体調に左右されるっていうタイプにはあんまり見えないんだけど。
でもなんか、習慣的な人間化っていうと、もうちょっとこう、
プリミティブな人間っていうか、その日の気分によって合わせて動いてる。
そうなんだね。
気分っていうか、なんていうのかな。
だから、これファンタジーの話ですけど、
ファンタジーに踊らされることはないです。
だけど、自分の身体感覚っていうのかな。
なんかこう、肩になんか乗っかってるなーとか、足が冷たいなーとか、
そういうことは感じていて、それに対処しようとしてると思います。
そう、そんな感じはするんだけどね。
だからそれを自由にさせてくれると、私は多分、パフォーマンスというか、ある程度動いてやっていけるんだけど、
なんか世の中の肩みたいなものがあって、それに合わせなきゃいけないって思うと、ちょっと難しくなるかなって。
世の中の肩って、例えば8時半に出社してみたいな、そういう肩。
そう、ちょっと無理しないといけないから、無理しながらパフォーマンスは発揮できない。
でも多くの人はそうじゃない?
そうね。
無理しながらパフォーマンスは発揮できないから、日本社会は30年以上も、おそらくそれ以上停滞してるんじゃないかなと思うけどね。
だからもっとさ、それをやってるフリをしなきゃいけなくなってくるってことなんですよ。
無理しながらそこに居続けているってことは、
現実的に仕事を進めていくっていうよりは、とりあえずそこに行って、やってる。
だけど実際はやれてるよね。
本当は違う風に、まず寝てからやったほうがいいとか、
まずそんなに朝無理して行かないほうが、10時ぐらいからちゃんと働けるっていう感じなんだけど、
それが合わせなきゃいけないとか、社会人に足るものがこうあるべきだみたいな、
そういうことをあんまり強く内面化すると、うまく働けない。
そうだろうね。
私はさ、その、なんつーのかな、こう、
効果不効果、ちょっと若くしてさ、ちょっと深刻な病気になったりもして、
で、それはもう職場にも伝わってるから、
調整することが許容されてるっていう状況の中、働けたところはあるかなと思う。
そもそもバリアフリーってついている分野でもあるし、
で、職業的にも基本的には成果を出してればいいわけで、
毎日決められた時間に出勤して、決められた時間、そこで時間を過ごして、
っていうことが求められるわけじゃない。
それ、5年も6年もやってても論文一本も書いてなかったら、それは成果がないっていうことだから、
成果を出せばいい場所だから、できてるっていうのはあるよね。
今のこの暮らしっていうか、やり方でできてるっていう。
ただ、得人だし、しかも。
だからそれがさ、もっと違う立場で、大学とか学部の運営にもっと関わらなきゃいけないような、
そういう役割とかね、仕事が増えてくるとまたずいぶん違ってきちゃうのかもしれない。
よくわかんないけどね、その辺。
自分に必要な生活習慣の構築
今もうなんかさ、コロナ禍を経てほとんどのミーティングはオンラインになってたりもするからね。
いいよね。
コロナの前はさ、私だけがオンラインっていうのはあって、
それでやっぱりちょっと小言い言われたりさ、やっぱ楽してるっていうふうに思われたんだと思うけど、
あの時は本当に動けないほど状況だったので、皆さん。
でもあの時があったからちょっと動けるまでに復活したっていうのもあって、
まあいろんな幸運だよね、そこは。
その、なんていうのかな、実際に自分のペースとか、そういうものを身につけていくっていう時にはやっぱり習慣にしたり、
取り組めるところを取り組むっていうか、生活習慣。
なんかさ、規則正しくあらなければならないとかそういう基本的なことじゃなくて、
人間のあり方として、誰かに強いられる生活習慣じゃなく、自分に必要な生活習慣って言うんですかね。
それをちゃんと踏んでいくっていう。
で、ちょっと試してやってみて、違えばそれをまた修正して、
また変えて、食べるものを変えたり、寝る時間を調整したり、
働きすぎていたら休憩を挟むようにしたりとか、
何か自分はこうなっちゃうからこうしようとかっていう具体的なことを、
世の中の規範や誰かに言われたからとか、そういうことではなく、自分自身で作って決めてやっていく。
自分で考えて、決めて、実行してっていうところが、地に足がついてる感があるっていうことか。
なるほど、なるほど。
それを日常生活レベルでやってるからっていうことね。
世の中で良いとされている、健康に良いとされていることをただ実践しているとか、そういうことではない感じですかね。
もちろんそういうところを取り込むのもあるわけだけど。
そうそう、あの一時期はね、酸素水みたいな。あ、水素水か。水素水みたいなのね。
ファンタジーと現実、そして「地に足がついている」
それはさ、テクノロジーの力っていうのを、ある程度信じる必要があって。
だって、科学技術信じなかったらね。
結構騙されたものもあるのかなと思うけど。
でもプラシーボ、プラシボ、プラセボがあるわけだからね。
そうね、それもそれで一つの結果であってさ、別に何かトライしてみたっていうことであって。
そうせざるを得なかったっていう状況だったからね、しょうがないし。
だからさ、ファンタジーの話に戻すと、私は病気が治るっていうのもファンタジーだと思うんだけど、
病気が治らないっていうのもファンタジーってかさ、治らないでどんどん悪くなっていくとか、
もう死んでしまうんだみたいなのもある種のファンタジーだと思ってて、今はね。
そうだよね。
もう一日一日しかないし、すごく貴重なものだから自分にとっては、あんま無駄にしたくないなっていうふうに思ってるだけなんじゃないかな。
だから一生懸命に見えちゃうなと思う。毎日一生懸命。
でも一生懸命やるために、自分の体調、メンタルも含めてだけど、整えとかないと、
やっぱりさ、息ができてないわけだからさ、酸素欠乏になりやすいわけだよ。全体的に。
酸素欠乏になると人間の心理ってさ、本当にもっとプリミティブになっていくっていうのはわかるんだけど、
キャパシティなくなるんだよね。で、簡単なことで切れやすくなるの。
そりゃそうだよね。
そう。
溺れてる時、そりゃ切れやすいもんね。
そうそうそうそう。溺れてる時みたいな感じになるんで。
だから結構整えとかないと、対応できないっていうか、いろんなことに。すぐにこう、コップの水が溢れ出しちゃう感じ。
地に足がついてるっていうイメージ伝わったでしょうか。
互いの「地に足がついている」側面
でも私から見るとね、平昌さんの方が地に足がついてるなと思って見てるから。
結構やっぱり、一つはさ、合理的な考え方を本当にするなっていつも思って関心してるし。
最近何かそう思ったことありますか?
言えないんだけどね、そこでは。
具体的すぎて。
具体的すぎて。
でも、危機対応の支援とかした方がいいぐらいの、コンサルになれるんじゃないかなって思うし。
現実こうなんだから、次のステップはこうだよね。
次考えるべきステップはこっちでしょってよく言ってくれるなと思って。
私やっぱりくよくよするタイプだからさ、なんであの人はこうしたんだ、こうしたんだみたいなさ、
言っても仕方のないところに原因を見出そうとしてしまう時はある。
あの人がこの時こうしたってことは、こういう状況ではまたこうするかもしれませんねとか。
パターンとしてね。
そういう風に考えてるのかもね。
そこはなんか話をしてて面白いなと思うし、勉強になるなと思う。
現実逃避と「地に足がつく」ことの意義
はい、ということで、ちょっと違う話になったけど、また次はどんな話に行くの?
ファンタジーの話ですか?
ファンタジーまた何か見つけたら、ファンタジー時点作成に向けた。
全然違う風呂敷を広げ始めたけど。
でもファンタジー時点の、だから大義豪みたいなものは同じなんじゃない?
地に足がつくってどういうことかを考えるのも、
現実逃避だから、日常的に使ってるじゃないですか。現実逃避してるとかさ。
一時的なものだったらいいんだけど、逃避し続けちゃうと現実おろそかになってしまうから。
っていうことだよね。
だから、役に立つ。何からあなたは逃げているのかっていう帯にして。
大きな話。
どんな現実からあなたは目を背けているのか。
見るとこはそこじゃない。
じゃあ遊んでいきましょう。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。