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はい、今日のテーマは、僕たちはつながるために生きている、生まれるということについてお話ししていきます。
ちょっとふと思ったんですけど、僕たちが生まれてくることだったり、僕たちが生きていくことだったり、
僕たちが何かをする行為っていうものの前提というか、もう全てのことについての土台になっている部分っていうのは、
このつながるとか、つながりっていうもののためにというか、それを前提に僕たちは生きているし、生まれてくるし、
それが全てと言っても過言じゃないんじゃないかなっていうことをちょっと考えていたというか、感じたっていうことが近いのかもしれないですけど、
やっぱり僕たち人間と言われているものっていうのは、どうしても間というものを生きてしまうようなことだと思うんですね。
僕たちに限らずというか、僕たちというのは人間に限らずというか、動物、植物、世界全てしかり何かのつながりによってできていると言っても過言じゃないというか、
全てそういったつながりとか流れ行くものというか、循環というか、全てそういったものの流れ、つながりといった個人としては、
もう本当に完璧なことをしてというか、完全に孤立したものっていうものがないんじゃないかというか、
それは当たり前なんですけど、本当に世界って一つなんだなというか、そのつながりっていうのをどういうふうに僕たちは求めていくかというか、
そのつながりっていうのをどう表現していくか、自分たちがどういうふうにつながって生きていくか、
世界を表現していくか、世界とつながっていくかっていうのが、僕たちが生きている上での意味でもあり理由でもあるというか、
それが生存本能でもあるしというか、全てがつながりなんだなというか、それなしでは語れないんですよね。
もし本当に時間という概念っていうものがあるんだとしたら、それこそも僕はつながりがその目に見える形として出てきているだけなんじゃないかなというか、
それを僕たちは過去とか未来とかっていうふうに線を区切ってというか、そのつながりという線を区切って、
分かりやすいように自分を見やすいようにしているだけなんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
人間だからこそっていうよりかは、例えば人間っていうもので表したいと思うんですけど、
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その間をつなげたいんだと思うんですよ。人間っていうのは色々なものの間というか、
例えば心とか言葉だったり、身体だったり、思いだったり、そういう色々な僕たちっていうのは、
つなげたい、つながるためにっていうか、そういうつながりたいっていうのが基盤にあるしつながるために生きていると言っても過言じゃないんじゃないかなというか、
だからこそ究極的なというか、つながるっていうのを前提に僕たちは色々なことをしてきたんじゃないかなというか、
文明もしかりだし、色々な知恵とか弁学とか、そういったものを突き詰めていくと結局つながるためになんじゃないかなというか、
例えばインターネットもそうだし、例えば電話っていうこともそうだし、例えば手紙っていうことも含めたとしたら、
すべてがつながりなんですよね。このつながりたいって思う気持ち、ここにいるのはというか、
例えば僕たちが今呼んでる世界に生きている僕たちがここにあるよね、存在してるよねって思ってるし、
そう感じるっていうのはやっぱりつながってるから、つながりたいと思ってるからっていうのがあるのかなと思ったんですよ。
それはその人とっていうのもあると思うし、世界とかそういう例えば植物だったり、もちろん僕たちは空気っていうものとつながって生きてるし、
そことは切っては切り離せない。体で考えたらそうだと思うしっていうか、なんかそういうつながりたいなっていう思いがあるからこそつながれるし、
例えば体があるし、つながれる言葉とか声があるっていうか、どうしても僕たちはつながりっていうものを求めざるを得ない。
いやそんな僕はつながりたくないんですよとか思ってたとしても、どこかで何かをじゃあつながりたくなくても表現したい、
何か僕はそのつながり、人としてのつながりじゃなくても、何か僕は一人で生きていくんだっていう中でも、
すべてつながってしまっているというか、人と例えばつながってないと思っていたとしても、
例えば太陽だったり酸素だったり植物だったり、そこに座っていることだったり、
たとえそこに自分というものがない、たとえ自分という存在を証明できなかったとしても、
それはつながりの中というか流れの中というか、循環の中っていう中に存在し得るというか、あるっていうことなんだと思うんですよね。
だから僕たちが目に見えないものっていうのを、つながりを求めるものっていうか、
例えば知恵とか友情とか知性とか神様とか幽霊とかっていうものは、
例えば目には見えなかったとしても、例えばそれってつながりっていうものをどうしても具現化できなかったものというか、
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その具現化できないものだけどどこかでつながりを求めるっていう部分でもあるのかなって思ったんですよ。
神様っていうのはやっぱりその見え方の一つっていうことを僕は前にお話ししたと思うんですけど、
神という見方っていう部分でお話ししたと思うんですけど、
それこそも、じゃあ世界とどうやってつながるんだろうか、つながるためにはどうしたらいいんだろうかっていうか、
自分、こういう個体、体以上のものとして世界を見るためにはそういった神様とか幽霊とか知恵とか知性とか、
そういったその身に見えないもの、他者を介してというか世界を通してどう僕はつながっていくんだろうか、
つながっているんだろうかっていうことの確かめというか証明だったりというか、
っていうことの何か一つの答えじゃないけど、何かそういったものをつながりっていうものを示すためのものなんじゃないかなっていうか。
だから宇宙とかっていうのもまさしくそうだと思うし、
なんかそういう目に見えないものをつなげるための、
なんていうか言葉とか意味付けというか、そういうつながりっていうものに全てつながってしまうんじゃないかなっていうのをちょっと思ったんですよ。
だからこそ人は人を求めてしまうっていうのもあるし、
人は人に求めなかったとしても何かを求めてしまうっていうのは、究極的に例えば自分とつながることだったり、
何か世界と何か違う部分と僕はつながっているんだっていうことの確かめをしている作業なんじゃないかなというか、
全てのこと、全ての物事、世界っていうのは現象っていうのはつながりで説明というか、
表現ができてしまうんじゃないかなっていうのを感じたんですよ。
これっていうのも例えば仏教でいうと因果だったり、
縁ですよね。
っていうものとして多分表現というか、伝えられたというか、多分そういうふうに釈迦さんは言ったんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
多分もう気づいてらっしゃったのかなと思ったんですよ、そこの部分に。
っていうことっていうのを多分悟ったんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
だから、もしかすると本当に悟りっていうのはそこに気づくというか、
本当に個人っていうのは究極的には川の泡というふうなものかもしれないけど、
本当にそういうつながり、大きなつながり、大きな循環の中でというか、大きな流れの中に全てはあるよねっていうか、
本当に全部はつながりで話ができてしまうんじゃないかなっていうのを思ったんですよ。
で、ごめんなさい、話が逸れるかもしれないけど、僕結構前の配信で、
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その心前美愛っていうものが全てゼロにつながるんじゃないかなっていうのを話したと思うんですけど、
多分これっていうのも全てつながりに収束するからゼロっていう言い方をしたのかなって僕思ったんですね。
例えばその真理ということでつながりを求めるというか、つながりがあるんじゃないか、
全て世界をつながってるっていうことを言えるんじゃないかっていうことだったり、
例えば善って言われるものは、例えば人にするとか、環境とか何かつながりの中で自分を立たせるというか、
何かその、なんていうのかな、つながりがあるというよりかは、流れにあるんだよねっていうようなことの表れとして
善っていうものを表現したのかもしれないしっていうか、美しいなっていうものはその世界との同期、
世界って私なんだっていうか、私って美しいんだっていう、なんていうのもそういうもうつながってるよねっていうものに結局収束してしまうんじゃないかなというか、
愛っていうのも自分じゃなくて他者の中に自分を見出せたというか、他者を自分より大切にできたっていうことってそれこそもう同期というか一緒だよね。
つながってるんだよねっていうことの究極体なんじゃないかなっていうか、だから本当に人間が求めてることというか、すべてこの世界というか僕たちが感じてるもの、
世界とか真理とか愛とか美しいとか美とか、全部僕たちが求めたり表現したりすることっていうものの真ん中には何かそのつながりっていう部分があるんじゃないかなっていうのを感じたんですよね。
ゼロになるっていうのは無っていうか何もないじゃないですかって思うかもしれないけど、
ゼロってその円なんですよね。つながってるんですよね、そのすべてが。だからこそその無でもあるし、
なんていうか、ゼロでもあるし、つながりっていう意味なのかなって思ったんですよ。
だからゼロってもしかしたらつながってるよっていう意味合いなのかもしれないなというか、
何もないんじゃなくてすべてがつながってるんだよっていうことの表れとしての無っていうのがあるのかなっていうのを感じたというか、
だからもしかするとその世界の宗教とかっていうものすらもすべてつながってるよねっていうものなのかもしれないし、
その神様だったり、何か僕たちがこうやって常日頃学問だったり、他者と喋ることだったり、ご飯を食べることだったり、
生きていくことっていうのはすべてつながりということで表現というか説明というか何か答えなんじゃないかなという答えというよりかも、
それこそがもうすべてつながりなんじゃないかというか、もうつながりという言葉で、言葉というよりかもつながってる結んであるよねっていうことなのかもしれないなというか、
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何を言いたいかというと、この世のすべてのものっていうのはつながりとか結びとかそういうなんていうか、すべてつながってるっていうことで表せてしまうんじゃないかなというか、
だからもしかすると体の不調とかって言われているものはどこか その結び目が切れてしまっていたりとか何かその
つながれてない感覚っていうのがその出たからその体の不調だったり何か
何かこううまくいってないなって感じている部分になっているのかもしれないなというか その川の流れが詰まってしまうようなことというか
まあ言い方は違えどその見方は違えどその その縁っていうのが切れてしまっているのかだったり
何かその川の流れが滞ってしまっているんじゃないか 縁になってないんじゃないか
つながれてないんじゃないかなっていうのですべてその何か 表現というか言葉にできてしまうというか僕たちは腑に落ちる何か
につながっているんじゃないかなっていうのを感じたという はい今日この頃でしたここまで聞いてくださりありがとうございます
それじゃあまたね