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今日は、曖昧なままじゃだめですか?についてお話ししていこうと思います。
今日は、自分の思ったことを続々言っていく感じなので、もし話がまとまっていなかったりして、言えなかったら、いつもの形に戻します。
最近、改めてニーチェ先生の本を読んでるんですけど、超簡単に言うと、神は死んだっていう言葉が有名だと思うんですよ。
それって、みんなが神っていう絶対的な価値を信じてたのに、もう各々で絶対的な価値って違うよね。
だからもう絶対的な価値ってこの世に存在しないよねっていうことなんですよね。
寄り所としてるっていうか、絶対にこれだよねってものってないよねっていうことなんですけど、
そこからちょっといろいろあって、そういうことなら生きる意味もないじゃんっていうことになるんですよね。
ただ、生きる意味が僕はなくても、これだよねって絶対的な価値がもしなかったとしても、曖昧なまま漂うっていうのじゃだめですかねっていうのをちょっと思っちゃって、
なんとなく理由にはならないですかね。
もちろんわかるんですよ、答えが欲しいっていうか、こういうために生きていくんだっていう、ブレない自信っていうのがあるのとないのじゃ、
生きていくための力っていうか、割り切っていうのが違うっていうのはわかるんですけど、
もっと僕としては、曖昧なぼやっとしてる感じのまま進むのじゃだめですかね。
多分ダメじゃないんだけど、それだと怖さや不安があるってことだと思うんですよね。
目標とか目的がないのに、だらだら生きることに対しての罪悪感というか、
必要とされてない私なんて、この世に意味がないんじゃないかみたいな、確かに自分の存在価値を見失ってしまうことってあると思うんですよね。
でも、そういう、白黒はっきり言葉でつけちゃうっていうよりかは、そういうふうな面もあるけど、
でも私ってなんか、例えばですよ、お花に水あげてるしなとか、
お花、自分一人で育つ場面もあると思うんですけど、あなたがいるから、お花が綺麗に咲いてるってこともあると思うんですよ。
本当そういう、二面性どっちもあるよねっていうのじゃダメかなっていうか、
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今日のお茶美味しいなとか、今日太陽めっちゃ気持ちいいなとか、
そういう曖昧さというか、その場その時を生きていくっていうことじゃダメですかね。
意味とかそういう価値とか、そういう大きなものに対して考えることってすごいかっこいいし、
なんか考えちゃうんですよね。どうなんだろうこれってみたいな。
ただ、もっと曖昧でいいのかなって思っちゃうんですよね。
その答えこれだよねとか、無理に言語化とか、その答えを求める必要ってないような気がしてて、
それでも僕はここで言語化してるんですけどね。それも面白い話っちゃ面白い話で。
でもそういう曖昧さって多分社会は許してくれないのかなとも思うんですよ。
その社会ってどうしても一人じゃ社会とは言わないですもんね。
人との結びつきの中で、ある程度共有されてないといけない部分があると思うので、
どうしてもその曖昧さっていうのは均衡を保てないというか、
社会としてその団体としてなるっていうとどうしても難しいと思うんですけど、
ただ、その曖昧さっていうのを一緒に楽しめる社会だったり、
その世界だったら面白いなというか、余白があっていいなって僕は思っちゃったっていう話です。
なので最終的に僕が何を言いたかったかっていうと、
いろんなことに対してどうしても二面性があるよねっていうことだと思うんですよね。
生きることに関してもそうだし。
だから片方から見てこの答えだって言い切るよりかは、
もっとその間の曖昧さというか、
そういった部分を楽しんでみてもいいのかなって思ったっていうことです。
それに関しての曖昧じゃダメですかっていうことでした。
じゃあ最後にしたこと、ちょっと今考えたことを言って終わりにしたいと思います。
少し曖昧さを一緒に楽しんでみませんか。
今日はここまでにしたいと思います。
それじゃあまたね。