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はい、今日のテーマは、水槽の魚と広い海、
制限の中で安心する心と、自由を前にして少し怖くなる気持ちについてのお話です。
僕は時々、自分のことを狭い水槽の中を泳ぐ魚みたいだな、と思うことがあります。
今の環境、今関わっている人たち、慣れている日常は安心で心地よくて、そこにいるだけでホッとします。
でも、ふと考えるんです。
もし、この水槽を出て、どこまでも広がる海で泳げたらどう感じるんだろうって、
ワクワクするよりも、正直今は少し怖い。
深くて、果てが見えなくて、そこ知れない海が怖いなって思ってしまう。
でも、もしかしたら、水槽だと思っているその壁は最初からなかったのかもしれない。
気づかないうちに、もう広い海にいるのかもしれない。
体には制限があるけれど、心や想像は海よりもずっと広い。
魚は、水槽か海かなんて気にしながら泳いでいるのかな。
たとえ、コップの中でも気持ちよく泳げるのかもしれない。
人だけが、広さや大きさに意味をつけているのかもしれない。
水があれば、そこがすべて。
上も下も大きさも関係なく、ただ生きていく。
だったら、水槽でも海でもどこ泳いだっていい。
水さえあれば。
はい、ちょっと補足していこうかなって思います。
えっと、ちょっとこの文章を考えながら書いてた時に、そもそもこの水って何なんだろうなというか、
その人にとってじゃあこの海とか水って何なんだろうっていうのをちょっと考えてたんですけど、
なんか、まあありきたりな言葉で言っちゃえば愛なのか、
繋がりとか、なんていうか、一人ぼっちじゃないかっていうことなのかなともちょっと思ったり、
その、なんか夢とか、こういう自分の気持ちをどこまでも広げていける世界というか、
基本主義っていう、頑張ったら頑張っただけに報われるよねっていう幻想の中を生きていく私たちって、
もっと広くとか、もっと自由にっていうことを考えると思うんですよね。
ただ、本当は今いる場所で呼吸ができているかだったり、心が渇いていないかっていう方の方がもしかしたら大事というか、
息使いの仕方というか、そういったことの方がもしかしたら考えてみてもいいのかなっていうか、
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白いノートに白色で何かを書くような感覚だと思うんですよね。
なんていうか、わかんないですよね。その水ってそもそも凍らせないとつかめないじゃないですか。
水蒸気にするとそれもつかめないと思うんですけど、なんていうか、そういうはっきり見えなくても、
確かにそこにあるなっていうのを感じようとすることだったり、意味がわかんなかったり、言葉にならなくても、
ただ感じて漂って、今日を泳いでいくっていうか、そういう水の使い方っていうのもあるのかなって思うんですよね。
それもまた生きるっていうことだとは思うんですよ。
だからこそ、意味とか存在価値とか考えちゃうのも、今も考えるんですけど、
ただその水を浮かびながら漂うっていうこともまた生き方の一つとしてあるのかなとも思ったりしました。
なんかこの話がまたちょっとこの誰かにとっての手紙だったり、
なんかちょっとでも心が、また泳いでもいいかなって思えるような放送になったら嬉しいです。
じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
どこを泳いでいても大丈夫。水があるならあなたは一人じゃない。今日もあなたのペースで泳いでいきましょう。
はい、じゃあ今日はここまでにしたいと思います。
それじゃあ、またね。