1. 静かな声の手記
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#113喪失になれる。失くす練習。
2026-03-29 11:33

#113喪失になれる。失くす練習。

アニメを通して、知らないうちに「喪失」の感情に触れ、心の準備をしていた。
そんな気づきを綴った回。
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。のめんま、
魔法少女まどか☆マギカのまどか、
Angel Beats!の卒業の瞬間。
それぞれの物語の中で味わった「大切なものを失う痛み」は、現実ではなかなか経験できない“内面的な死”の疑似体験だった。
その積み重ねによって、心にぽっかり穴が空くような感覚や、自分の一部が消えてしまうような喪失にも、少しずつ耐えられる力が育っていく。
恋愛や人生の中で突然訪れる深い喪失に対して、何の準備もないまま向き合うのではなく、物語を通してあらかじめ触れておくことの意味。
アニメはただの娯楽ではなく、
「失うこと」と共に生きるための、優しい予行演習なのかもしれない。

BGM拝借元
ベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」
BGM:Kamatamago (https://kamatamago.com)
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今日のテーマは、喪失になれる、失くす練習っていうことについて話していければと思います。
今思えば、僕はアニメで喪失の練習をしていたなっていう気がするんですよね。
例えば、あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らないっていうアニメで、僕はメンマっていう女の子のことで喪失ということを知ったと思いますし、
例えば、マドカマギカというアニメでは、マドカの存在という意味で僕は喪失を体に刻み込んだと言っても過言ではないと思います。
その他のアニメで言うと、例えばエンジェルビーツっていうアニメで、卒業式だったり、いろいろな仲間の、あれは成仏と言った方がいいのかな。
いろんな意味での、そういった喪失っていうのを僕はアニメを通して学んでいたなっていうのを今は思うんですよね。
だから僕は今思えば、学生の頃にああいうアニメをハマったというか、アニメってすげーんだっていうのをわかったがゆえに、
人として何かをなくすことだったり、何かを喪失するっていうことに関して、僕は学んでいたというか、何か体制をつけることができたような気がするんですよね。
その免疫っていうのかもしれないけど、極端な話を言うと、例えばじゃあ人がなくなってしまうだったり、
例えば僕の大切なものがなくなってしまうとか、っていうことに対しての予行練習を僕はしていたんだなと思うんですよ。
心の中の、例えば僕っていう自身を解体していく作業のようにも感じるんですよね。
一回心に穴を開けるっていうか、ブリーチみたいなホロになってしまったんじゃないかっていうあの感じ。
っていうのを僕はアニメの喪失、アニメの中で起こることの喪失っていうのを自分自身に当てはめて、何か予行練習をしてたんじゃないかなって思うんですよね。
ちょっと難しいというか、何言ってるのって思う部分を話すんですけど、今現在、現代を生きていく僕たちにとって、
そういう何かをなくすことだったり、何かを喪失していくっていうことを、僕たちはあまりにもそういう経験をせずに生きてしまっているというか、
何かそんな死なんてないじゃんっていうような、なくすことなんて何もないんだよみたいな世界を僕たちは今生きてるんですよね。
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何かそのまさしく天国じゃないかみたいな、何かそういう感じで生きてると思うんですけど、
ただ成長するとか、何か壁を一枚登っていくっていうことに関しては、内面の死、自分自身の精神的な死っていうのを経験しないで、
僕たちは成長するっていうのはまずないんじゃないかなと思うんですよね。傷を負っていくっていうか、刻み込んでいくっていうような感じだと思うんですけど、
何ていうのかな、そういう内面の死っていうのを経験しないで大人になると、耐えられないと思うんですよね。
子供と大人の過渡期っていうのってすごいやっぱ大事だなって思うのが、
完全に大人になりきってないし、完全に子供じゃないっていう思春期のあたりに、
例えばこういうちょっとした喪失っていうか、何か自分自身の内的な死っていうのを経験するかしないかで、
例えば大人になった時に、大人になるっていうちょっと線引きも難しいですけど、
世間一般的に大人って言われているものになった時に急に来るそういう喪失、
例えば失恋をしてしまって、例えば自分の身が切り裂かれるほど苦しいっていう思いを、
したとしたら、その喪失って僕は耐えられないような気がするんですよね。
だからといって、じゃあ思春期のうちにみんなが恋愛とか、そういうの経験した方、
絶対にした方がいいっていうわけではなく、何ていうのかな、擬似的な僕は喪失ができると思うんですよ。
例えば今回で言うと僕はアニメっていうので、その内的な死っていうのを僕は、
現実には起きてないけど、内的な死っていうのを体感したんですよね。
やばい、何か僕の中でなくなったっていうような感じが。
そういうのがあるのとないのでは全然違うっていうか、
そういう喪失っていうものと自分とを切り離せないというか、
うまい具合にこう、何ていうのかな、自分の中で料理できない、調理できないというか、
自分に肉付けできないような気がするんですよね。
肉付けっていうとちょっとあれですけど、何ていうのかな、
それを改めて自分自身としてまた拾っていく作業っていうのがないような気がしてしまうというか。
だから例えば大人になって恋愛をして、そういう他者と自分とうまく切り離せなくなってしまうっていうのはやっぱ苦しいと思うんですよね。
他者が自分だと思っても切り離せないとなると、その人がここにいないのに僕はどうやって生きていけばいいんだっていう風になっちゃうとも思うんですよ。
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ちょっとこれは家庭の息を出ないような気もしますけど、そういう風なこともあり得なくもないというか。
だからこそ僕はたまたま学生のうちにそういう喪失、自分の中で何か壊れていくというか何かを失うというか、傷をつけてどんどん自分を磨いていくっていう行為を、
あの時に僕はできてたんだなって思うんですよね。
例えばあの日見た花の名前を僕たちは知らないであったりとか、
例えばガンダムでも人が死んだりもしますからそういった面で嘘でしょみたいなそういう何ていうのかな内的なこうあるものだけどなくなっていくんだよっていうのをどんどん経験していったような気が僕はするんですよねそこで。
だからそういうなくす練習、喪失する練習っていうのを自分の中でできるっていうのはすごい大きいなと思うし、
僕はそういうなんかアニメとかドラマでもいいと思うんですけど映画でも何でもいいと思うんですけど、
そういう作品小説とかなんかその疑似的にその喪失やなくすっていうことがないと、
なんかもう自分の世界がすべて終わってしまうような気がしてしまうような気がして、
何ていうのかな全部が全部他者にというか例えば、
全部自分の身をすべてそのものに傾けてしまう何でもいいんですけど恋愛だったりオタカツだったり何でもそういうその自分自身をすべて預けられるものっていうのを見出してしまって、
それがなくなってしまった時にもうこの世に自分なんていないんじゃないかっていう感覚に陥ってしまうような気がするんですよね。
そのもう自分なんていないっていうような。
だからそうならないためっていうちょっと予防戦というよりかは、
なんかそういうちょっと喪失なくすっていう練習を僕たちは疑似的にでもというか事故の死っていうのを体験しておくっていうのはもちろん、
大切というよりかはなんか、
なんか生きやすくなるための一つの手段としてあるのかなって思うんですよね。
なんかもちろんそれが耐えられないほど苦しいとかもちろんあると思うんですけど、
もっと軽くでいいと思うんですよね。
自分のクローゼットの中にあるものを手放してみるというか、捨ててみるだったり、
それはなんていうか、捨てられるものだったらいいと思うんですけど、
メール借りて売ったりとかでもいいと思いますし、
得るものももちろんすごい生きてるとあると思いますし、
その中でいかに古くなってしまったものを循環させていくために手放すというか、
今の自分にはこれって合わないなっていうものを送り出していくような感覚っていう、
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もうそういう自分的な内面的な死っていうのを繰り返し繰り返していくっていうのは、
生きるっていう意味をより実感できるようなものであるのかなっていうのも思うんですよ。
だからこそ今はそういう死って言われている、
なんかそういうなくすものだったり喪失するものっていうのを、
すごい現実的な面で切り離してしまっているような気がするんですよね。
僕たちは生きながらというか、死んでいる面がすごいあると僕は思うんですよね。
だからその、なんていうのかな。
生きないで死を感じながら生きるっていう面。
なんていうのかな。
死っていうものがない生というか、死がない生き方っていうのは、
それはちょっと歪にならざるを得ないような気がするんですよね。
やっぱりどうしてもそういう死とか生きるっていう面の中で、
心の中でどうそういうふうに死ぬとか生きるっていうのを、
自分の中でうまい具合に学ぶというよりか、
体感していけるかどうかっていうのは大切だなって思ったので、
そういった面でも例えば愛とか幸せとか、
そういう自己の成長っていうのもやっぱりアニメとか小説とか、
そういったもので学べる部分がやっぱり多いなって思うし、
そういった中で自分の中で手放していく、喪失していく、
無くしていくっていうことを推奨するわけじゃないですけど、
時にはそういう部分がないと、
全部が全部、得る得る得る、入れる入れる入れるだと、
持たないような気がするような気がするというか。
そういうアニメとか小説っていうのは、
自己の成長とか自己の擬似的な死っていうのを体験するには、
すごい最高なものなのかなっていうのを思ったっていう、
今日この頃でした。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
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