文学フリマ東京41の体験
はい、投資家のrennyです。声日記175回目のはずです。
はい、前回は先週だったのかしらね。ちょっとすいません、ちゃんと覚えてないです。なんかもうダメダメですね。
えっと、そうですね、この間3連休があったんですよね。
最初の日と最終日は、ちょっと長男の大学の学園祭に行ってまして、そんな大きなアレはなかったんですけれども、
真ん中の日、中日が文学フリマがあって、東京ビッグサイトのほうに行ってきました。
3回目なんですかね、僕をお邪魔するのは。あくまで見て回るほうですよね。受け手側というか、そういう立場で行ってきまして、
今回は結構欲しいなと思う本がたくさんあったし、ただ一方で帰ってきてみて、こんな人たちも出展してたのかっていうようなことも知ったりしてですね、
もう少し事前の準備をしておくべきだったかなと反省してたりするんですが、ただ一方でそれなりにいっぱい本を買ったのでですね、
今読んでいる途中の本もありますし、なかなか時間が読む本たくさんできちゃったなっていうような感じで、
これからちょっとずつ消化していこうというようなことを思っていますという感じですかね。
そうですね、規模も非常に大きいイベントですし、本当に盛り上がってるなっていうようなことで、
ちょっとそのノートにも記事は書いたんですけれども、本屋さんで本が売れないというふうなこととかっていうのがいろいろ言われてたりするんですけれども、
それって本屋さんのビジネスのやり方っていうか、商売のやり方自体がもうちょっとだいぶ沈黙しちゃってるっていうようなことが実際にあってですね。
例えば本の本棚がバーッとあってですね、上から順に並んでまして、背拍子だけしか見えてませんと。
下の段とかもどこにあるのかほとんどわからないとかっていうようなところでですね。
それこそ表の表紙が見えて陳列されてれば、そのタイトルを見て手に取ることってあると思うんですけれども、
背拍子だとタイトルの視認性がほぼゼロって言ったらちょっとあれですけれども、あるのかないのか紛れちゃいますよね。
だからそういうふうな並べ方をしてると、なかなかおっと思って取るってことは、ほとんど締め返しと考えづらいとかっていうようなことになってしまうと思いますし、
そういうような本がいっぱい並んでてもですね、そこに商品はあるけれども、在庫として存在してるけれども、
本当に誰かに手に取ってもらえるような状況にあるのか、そういう意味でこんなにたくさん本並べないといけないのかなっていうようなこともすごい思いますし、
あとそういうふうに物理的にたくさん本のタイトルとかが見えるようにとか、そういうようなことをやっていかないと本と出会う機会っていうのはそもそもないんじゃないかなと。
結局、今の商売のやり方だとAmazonとかそういうところで探したほうが本が見つかりやすいとかっていうようなことになってしまうような気がするんですよね。
だから偶然の出会いとか、思いもかけない出会いとかっていうようなことをどうやって演出するかっていうのを、
いろいろ知恵は絞られてるんだと思うんですけれども、そういうようなことはもっとあってもいいんじゃないかなっていうようなことは、
文学フリマンみたいなところに行って、それと町の本屋さんとか大型書店とかを比較するっていうのは全く比較するものが違うっていうような向きもあると思いますけれども、
やっぱり参考になるところっていうのはかなりあるんじゃないかなっていうふうなことを思いました。
今回、文学フリマンにお邪魔してみて、いつかはあそこで本を出展する側に回りたいなとかっていうようなこともちょっと思ったりもして、
そういうようなこともちょこっと考えようかななんていうようなことを思った次第です。
しかし、規模が巨大化してるというふうな話もあるんで、でもそれでもやってみる価値っていうか、一回やってみてどうかっていうのもあると思うし、
やらないよりやって体験することのほうがいいだろうし、それがまた資産になるんじゃないかなというふうなことを思います。
ということで、文学フリマンを振り返ってみました。
来年また5月くらいありますかね。それに向けていろいろ考えてみたいなというふうに思います。
最後までお聞きくださってありがとうございました。
また声に聞いてください。